機能1,4(結果の側面) LとE
機能2,3(プロセスの側面)VとF
このセクスタは、単に楽しむことよりも、ニーズを実現することを重視しています。
彼らは自分たちの生活を快適にするために努力したいという積極的な願いを持っており、第1セクスタのような表現を楽しみながらも、ポジティブで喜びに満ちた感情を追求しています。
このセクスタは積極的な物質的関心があり、物質的な快適さに必要な資源を構築し、獲得することを楽しみ、それに積極的に集中しています。
そののため、スポーツなどの物質的な努力も得意としています。
しかし、その代償として、過度に物質主義的になったり、依存症になりやすく、肉体的な活動に過度に強い執着を示すことがあります。
また、このセクスタは、知的な思索や研究、哲学の才能に長けています。
彼らのこうした分野の能力は、彼らの幸福感に関連しており、一般的に第1セクスタよりも長い期間にわたって彼らの精神的な放浪は続けられます。
このことは、現実を見失ったり、あるいはその逆に日常の楽しみに夢中になってしまって、より知的な側面を見失ったりするリスクを伴っています。
EFVL (プーキシン)
1E
EFVLは、様々な感情と情熱の強さを完璧に知っているタイプです。彼らは愛の詩を唄う最高の詩人であり、強い感情に導かれて冒険の旅に出る旅人です。人生の喜びの感覚こそが彼らにとって最も大切なものであり、彼らはその喜びをどうすれば得ることが出来るのかを知っている人々です。
EFVLの気持ちは頻繁に変わりやすく、気まぐれです。彼らの世界に対する認識は、映画「三銃士」の有名な歌に集約されています。
夕暮れの時間に思い出すのはいいことだ
かつて忘れられた愛を
夜明けの時間に思い出すのは役に立つ
忘れられた詩の言葉を
2F
EFVLは、物質的な世界では水を得た魚のようになります。
EFVLの視点では、物理的な世界の中で目標を達成すると、いつも陽気になります。スポーツをしたり、運動をしたり、料理をしたり、お菓子を作ったり、ガーデニングをしたり、人の世話をしたり、そのためにお金を使ったりすることは、EFVLにとって非常に喜ばしいことなのです。
EFVLは、様々な都市に住む人々(例えば有名なシェフなど)に出会ったり、危険を恐れずに冒険や旅行に出かけるようなことを楽しむタイプです。EVLFにとってリスクとは洗練された遊びのようなものです。
地球は私たち罪人に寛大です
そして、天国には危険がいっぱいです
3V
EFVLが強い意志を見せることは、あまりありません。
EFVLにはプーキシンに対応付けられていますが、プーキシンが自分自身について「ああ、プーキシン、ああ、雌犬の息子よ」よ書いたように、彼は自分自身や他の人々に対して信じられないほどの皮肉を言うことがあります。
誰かに自分の弱さを思い知らされたり、そんな誰かに「復讐したい」と感じたとしても、彼らはそれを非常に長い間、隠すことができます。ただし、もし復讐する機会を得た時は、その機会を最大限に活用しようとします。
第三の意志Vは、EFVLの危険に対する両義的な態度、すなわち危険を怖がりながらも、それに惹き付けられる原因にもなっています。
おそらく「禁断の果実は甘い」という言葉を生み出したのはEFVLでしょう。
4L
EFVLは論理に無関心とまではいかないまでも、非常に抑制して扱います。
彼らは論理的側面を「必要だから」勉強し、学ぶことができますが、感情的または物質的な価値の前では、論理的な価値は下がってしまいます。
通常EFVLは、「すでに確立されている、便利な論理的解決策や論理的真実」の基準に満足してしまい、それらをわざわざ再考しようとはしません。
LVFE (老子)
1L
LVFEは、世界に対する態度が「公平な論理的分析」に基づいています。「我思う、故に我あり」がこのタイプの人々の信条です。
理論物理学者のニールス・ボーアはこのタイプだと考えられますが、LVEFはちょうどニールス・ボアの相補性の概念のように世界を捉えています。彼らの視点から見ると、世界のすべてのものは一定の論理的パターンに従って配置されており、真実の客観的な基準の助けを借りて検証できるものなのです。
LVFEには知的なゲームを得意とする人が多いです。また、たとえその正しさが他人にとって不愉快なものであっても、真実を見せつけて自分の正しさを証明したいという欲求を心にいつも抱えています。
2V
LVFEは、自分のアイデアを実行することに非常に積極的な人々です。また、そのアイデアのメリットを適切に評価したり、人を呼び集めることもできます。
他の人々との関係におけるLVFEのスタイルの基本は「その解決策が最も合理的であれば、他の人々の合意を得ることができる」というものです。また、彼らはいつも強制ではなく説得という手段をとろうともします。こうした傾向の影響で、LVFEは積極的な社会活動に傾倒することもあります。
LVFEは自身の失敗を認めることを恥だとは思っていません。そしてこのことは、他の人々を指導する上でとても役に立ちます(ニールス・ボアは「あなたのように学生とうまく付き合っていく秘訣は何ですか?」という質問に対して「私がその点でうまくいっているのは、どうやら、私が愚かであることを学生たちに隠したことがないからです」と答えています)。
3F
LVFEは、物質的な面に多くの注意を払います。多くの場合、VLFEは仕事の手を抜かず、正確であることを追求しようとします。また、他の人々にもそうすることを求めます。
そして時には自分の身体を完全にコントロールしたいと思い、スポーツに励んだり、場合によっては非常に禁欲的なライフスタイルを送りたいと願うようになることもあります。
4E
LVFEにとって感情的な領域は些細な物であり、物事の客観的な状態を評価する際の妨げになることも多いため、なるべく感情が表に現れないようにしたがります。
他の人々が活発に感情表現をしている場面に直面した時、LVFEは一歩引いたところから冷静にそれを眺めているような発言をすることが多いです。
LVFEは他人をほとんど褒めません。もし彼らが誰かを褒めるとするならば、それは彼らの厳格な論理的正確性の基準を満たした時だけです。
しかしながら、彼らは他人の強い感情にはよく反応するタイプです。したがって感情的な領域で他人をサポートすることができない、というわけではありません。
LFVE (プラトン)
1L
LFVEの人生のモットーは、「私はそれがどうあるべきかを知っています」という言葉に尽きます。また、他にも「法律は厳しいですが、それが法律というものです」という言葉もこのタイプらしい言葉です。
LFVEからすれば、明確なルールこそが世界のよりどころなのです。それがなければ世界は混沌としてしまい、生存すら危ぶまれる事態に陥ってしまいます。彼らにとって、ルールからの逸脱は、例外的なケースをのぞいて許されないものです。
おそらく、古代ローマ人に多かったタイプはこのLFVEだったのではないだろうかと思われます。なぜなら、古代ローマの法のような【詳細な法律体系】を生み出すことができるのは、このタイプの人くらいではないかと思われるためです。
LFVEの特徴は、トラブルを回避するために、あらゆる可能性を想定して事前に検討し、解決策を練ろうとする点です。彼らは「どうすればいいかわかる」と確信できるまでは、問題の解決役を引き受けようとしません。また、どんな行為にも正当性を求めたがるのもLFVEの特徴で、しかもその正当性は論理的に厳密なものでなければなりません。
2F
LFVEは非常に現実的なタイプです。
1Lである他の多くのタイプとは異なり、LFVEの論理は常に世界の物質的な側面と結び付いており、実生活の経験を一般化することに対してその力を発揮する傾向があります。
そのため、ビジネスや管理の分野を得意とする人が多く、また、手先が器用な人も多いです。スポーツをしたり、体を動かす仕事をしたいという、自然な身体的欲求を感じるほうです。
3V
LFVEはルールを非常に重視します。これは、人間とは間違えたり、不注意になることがある生き物であり、また、間違った判断やルール違反がトラブルの原因になると考えているためです。
LFVEは個人的な欲望よりもルールを優先すべきだと考えています。彼らはルールの遵守と悪行の抑制を主張し、人に対して厳しく具体的な要求をしなければならないという考えを抱くことがよくあります。
LFVEはリスクを回避したいという想いがとても強いです。また、すべてのルールを完璧に理解していることが多いため、ほとんどの状況でルールを自分に有利に変えることができます。
4E
LFVE自身はあまり感情的ではなく、他人の感情の表れに対して非常に控えめな態度をとります。それでも感情的な強い印象を受けた場合は、それを自分の態度に反映させることができます。
LFVEは、感情とは世界に関する知識にほとんど何の役にも立たないもないものであり、確立された安定性 [1] を侵害しない限りにおいてのみ価値があるものと考える傾向があります。
また、LFVE自身は、自分が幸せであるという事実を述べることはできますが、その喜びを激しすぎる、暴力的な形で表現することはありません。もしLVFEがそうした喜びを表現するとすれば、その喜びの原因になった出来事について話すかもしれません。
EVFL (パステルナーク)
1E
EVFLは人生の充足感と喜びを大切にするタイプです。
「世界を見れば、驚かないではいられない」という言葉は、EVFLの世界観と非常によく一致しています。
彼らは他の人であればとるに足らないと感じるような平凡で小さな出来事にも喜びを見出します。そして、単に喜びを見つけるだけではなく、その喜びを他の人々と共有し、刺激を与え、希望を与える術を知っています。
彼らはコミュニケーションを通して人々にインスピレーションを与えます。
彼らの感情は非常に誠実で、裏がありません。EVFLは非常に利他的な人が多いタイプですが、これは彼らの多くが「利他的であること」を自分が目指すべき在り方だと定義しているためです。
2V
EVFLの特徴は、物質的な領域での活動も含めた高い活動性です。
彼らは自分の周りの世界を改善すること、人々に喜びを与えることこそが自分の人生のテーマであると考えています。
EVFLは周囲の人々を尊重します。また、注目に値しない人間など、この世に存在しないと考えています。
EVFLには、「罰に対する恐怖」は教育的モチベーションに繋がらないという考えを持つ人が多いです。「ドクトル・ジバゴ」の主人公の発言は、これに通じるものがあります(「もし人の中に眠る獣を、死後の断罪によって止めることができるのならば、人類の持つ最も崇高な象徴は殉教者などではなく、鞭を持ったサーカスの調教師になるであろう」)。
そしてEVFLは、自分より立場が上の人の前でも、自分の正しさを貫くことを崇高な使命としています。なぜなら、人は社会的地位の高さによって尊重されるのではなく、人は人であるから尊重されるべきだという信念をもっているからです。
3F
EVFLは、物質的な環境や物質的な側面に細心の注意を払います。
このタイプの人々は、非常にきちんとしている傾向があり、とても美しく着飾ることができます(ただし挑発的なものではありません)。
彼らは、清潔さと秩序への関心が高く、また、健康への関心も高いのが特徴ですが、時には自分の状態について奇妙な結論を出してしまうこともあります。
4L
EVFLは論理的な推論に対して非常に変わった見方をします。
文字によって書かれたありとあらゆる論理的結論は、彼らにとってはただの中間的な論拠に過ぎません。
彼らは美的な観点から考察し、もし何かを説明する場合は説得力のある論拠になるようなイラストを多用する傾向があります。
EVLFは分析的な思考よりも想像的な思考を優先します。外部からの観察者として論理的な議論を眺めるだけで、それに参加しようとはしません。
訳注
- ^ 確立された安定性:ルールや証明された理論。