内向的倫理 Fi
内向的倫理(Fi) は、内向、合理、静的な情報要素です。 Fi、R、関係の倫理、白の倫理とも呼ばれます [1]。
一般的に、Fiは誰かと誰かの間の主観的な「距離」を暗黙のうちに感じ取り、それに基づいて判断を下す能力と関連付けられています。
Fiを重視するタイプ [2]は、友人や家族と親密で個人的な関係を築き、維持しようと努めます。
他者の感情に対する感受性を大切にしており、誰かと親密な関係を築く可能性を模索するために、時々、自分の心の奥底にある感情や気持ちを打ち明けることもあります。
また、Fiを重視するタイプは、外向的倫理(Fe)的なアプローチである、「自分と何との間の話か」「自分と誰との間の話か」などの情報を明確に言わない形の表現(例:「最悪だった」)よりも、自分が何かによってどのような影響を受けたかという観点で感情を伝えます(例:「"〇〇は"最悪だった」)。
何かを決める際、Feを重視するタイプ [3]が「人々の集団などの"全体"にどう影響するかという観点から考慮するのと対照的に、Fiを重視するタイプは、自分自身や、自分と関係する誰かがどのように感じるかという観点から考慮します。
ウィキソシオンの説明
第1機能 Fi(ESI, EII)
モデルAでの第1機能:先導機能
主に静的な個人的倫理観と、自分を含む個人間の安定的な人間関係を通して現実を見ています。彼らは人間関係の状態を、自分の個人的倫理感に基づいて判断します。
他の人々の倫理的、または道徳的な質と、その一貫性を評価することに強い自信を持っています。そのため、そうでない人から「判断的すぎる」とか「独善的だ」と思われることがあります。
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もしもある特定の人間関係の状態を判断するのが難しい場合であっても、なんとかして何らかの結論を出そうとしますが、どうしてもそれが出来ない場合、彼らはその人間関係には価値がないと考えます。
彼ら自身の個人的倫理観と、他者との関係における一貫性は、彼の自己価値感に強く影響を及ぼします。
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第1機能のFiは、誰かが友で誰が敵か、善意を示しているか、悪意を示しているか、惹きつけられているか、拒絶されているかをほぼ即座に認識する能力に関係しています。
第2機能 Fi(SEE, IEE)
モデルAでの第2機能:創造機能
人との個人的な結びつきを感じ取り、築き、維持するのが非常に上手な人です。ただし、彼らは通常これらの結びつきを「静的なもの」としてではなく、「状況によって柔軟に変化するもの」として認識します。
自身の第1機能からの知覚を実現したり、それに従ったりする中で、他の人との個人的な関係を築くことに焦点をあてる傾向があります。
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彼らは好意や受容を表現することで、人々の間に親近感や、まるで血のつながりのある親族同士のような感覚を容易に生み出せます。ただし彼らの感情は恒久的なものではなく、状況に応じて移り変わります。
気分や外的状況がかわれば、すぐにその感情を「オフ」にしてしまい、親近感を感じさせていた相手のことさえ忘れてしまうこともあります。
第3機能 Fi(LII, LSI)
モデルAでの第3機能:役割機能
個人的な人間関係の存在と、その重要性を認識しているため、あまりよく知らない人を相手にする場合、最初は慎重に行動し、怒らせないようにします。
このリスクを最小限に抑えるために、彼らは関連する社会的規範(例えばポリティカル・コレクトネス)を、いくぶん単純化して遵守しようとします。
しかしそれが行き過ぎると、与えられた問題や状況について自分の考えを正確に述べようとする彼らの第1機能Tiの自然な傾向が阻害されてしまい、ストレスが生じます。Tiに従って自分の考えをストレートに言えば、他人は自分の無神経さを批判するのではなく、むしろ自分の率直さのすばらしさを評価してくれるかもしれないと期待してしまうのです。
この警戒心は、仲が良くなるにつれて、徐々に薄れていきます。
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彼らはオープンな対話と共通の活動に基づいて、他者との関係を間接的に築くことを好みます。そして、内なる個人的感情は、長い付き合いがある人にだけ明らかにします。
逆にこれらのタイプの人は、直接的な形での関係構築を迫られると、混乱してしまい、疑心暗鬼に陥ることがあります [4]。
第4機能 Fi(ILE, SLE)
モデルAでの第4機能:脆弱機能
通常、対人関係の微妙なニュアンスに注意を払いません。人間関係が明確に定義されていない場合 [5]、過度に疑念を抱いたり、過度に思い込んでしまったりします。
客観的な共通の利益に関連する関係を、より重要視します。彼らは「人間関係」そのものに価値を感じてるというよりは、「お互いを楽しませたり、相互の目標を達成すること」を主に重視しています。
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彼らは、他の人から「自分の個人的な感情に、積極的に気付いてもらうこと・気にかけてもらうこと」を期待していません。それと同様に、自分に直接影響するものでもない限り、彼ら自身も他人の感情を気にかける必要性をほとんど感じません。
もしも他人が実際にその人の内面的な感情を反映した発言をしたとしても、外的な感情表現や行動を伴っていない場合、ILEやSLEはそのことを十分に認識できません。
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「他の人から見て、あなたは人間関係にとって問題がある行動をしたかもしれない」と仄めかされても、その人がはっきりした形で「問題行動だ」と表明していない場合、困惑してしまいます。このような機転の利かない指摘をされた場合、彼らは無視するか、あるいは攻撃的な反応を見せるかもしれません。
深い個人的な感情の表現は、他人からのものであれ、自分自身からのものであれ、気まずいものです。
彼らは自分の本当の感情を他人に押し付けることを「権利」だとは思っていません。それは、他人の「本当の感情」というものが(たとえそれがポジティブで純粋な感情であったとしても)自分をどれほど不快にさせるかを知っているからであり、また、彼ら自身それを表現することがあまり上手くないからです。
第5機能 Fi(LIE, LSE)
モデルAでの第5機能:暗示機能
相互の信頼に支えられた雰囲気で、個人的でプライベートな経験を簡単に共有できる親しい個人的関係を切望しています。彼らは共有された感情と倫理的な信念によって支えられ、感情を外部に表現する必要性がないような関係を求めています。
自分から関係構築のための一歩を踏み出す傾向がありますが、彼ら自身は人間関係の存在や、その状態を正しく評価する力にはあまり自信を持っていません。
そのため、LIEやLSEは「明確であいまいさのない個人的関係」を重視しており、明確な倫理的原則に従っている人に好感を抱きやすいです。なぜならこうした人であれば、信頼するに値する人だと感じられるからです。
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他人を見ながら「この人は友人か、敵か」とか「好意と悪意、どちらを抱いていそうか」といったことを考えたりはしない傾向があります。
その代わりに、相手の行動に関する予備知識に基づいて、最初からその人が友人であるか敵であるかのように振る舞います。そのせいで友人を敵と誤解したり、その逆のことをする可能性があります。
彼らは少しずつでしか、他人が自分にどのような感情を抱いているかを認識できません。他人が明確な言葉で感情を表現し、その言葉と一致した行動をとらない限り、この過程で常に疑念が付いて回ることになります。
個人的関係の状態に不安を感じやすく、相手の気持ちが変わっていないかを頻繁に確認したがります。
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他の人に対して、自分の個人的な感情を控えめにしか表現できません(「あなたは本当に面白いと思います」や「あなたのことがとても好きです」となかなか表明できません)。
しかし他の人からそういったことを言われると、強い喜びを感じます。まるで予想もしていなかったタイミングで、嬉しいプレゼントを貰ったかのような反応を見せるかもしれません。
その代わり、彼ら自身は他人の行動が理にかなっているかどうかに焦点を合わせる傾向があります。
第6機能 Fi(ILI, SLI)
モデルAでの第6機能:動員機能
相互の信頼と理解に基づき、より深いプライベートな感情や経験を容易に分かち合えるような、安定的な個人的関係を求めています。
しかしながら、そういった関係づくりをする主体性には欠けており、他の人のほうからそういう素振りを見せてくれないだろうかと期待し、それが出来る人を賞賛します。
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第6機能がFiの場合、第4機能(脆弱機能、あるいは別名で、痛みを伴う機能)は必ずFeです。
第6機能 Fiと同時に第4機能 Feを持つタイプとして見た場合、「わざわざ言葉にして感情が語られなくても、それをシンプルに"理解"しあえるような感情的絆があることを重視するタイプ」だと言えるでしょう。
第7機能 Fi(ESE, EIE)
モデルAでの第7機能:無視機能
人の人との間にある深い個人的な絆の状態を判断する際、「絆で結ばれているという状態を反映する外的な感情表現があるか、ないか」を重視します。もしもそうした感情表現が見られない場合、絆があることを疑ったり、あるいは関係性を決定すること [6]へのためらいを見せます。
例えば、「互いの愛情を表現せずに、他人の前ではむしろ感情を抑制しているカップル」を見た時、彼らは「愛がない」とか「冷めている」関係だと見なします。
他者の内面的な感情についての議論や探求といった話への理解度自体は高いですが、同じ状況における自身の感情状態に焦点を当てることと比べると魅力を感じず、自分にあまり関係のない話だと感じます。
第8機能 Fi(SEI, IEI)
モデルAでの第8機能:実証機能
外に表れる明確な感情表現が無くても、第8機能の位置にFiを持つSEIやIEIの人々は、「特定の誰かと誰かの間の関係性がどのようなものなのか」を理解する力に非常に長けています。
しかし彼らはそういったものよりも、より大きなグループとして見た場合の感情的相互作用のほうが、もっと重要で、興味をそそられる問題だと感じます。
さらに、彼らはこうした個人的な絆というものを「静的なもの」ではなく「状況的で、かつ変動的なもの」だと捉えています。
価値機能の側面 by Dmitry Golihov
価値機能:モデルAの第1機能、第2機能、第5機能、第6機能のこと。別名「尊重する機能」
第1機能 Fi(ESI, EII)
感情的な結びつきを非常に大切にしており、他者に対する感情や態度が安定していて、自分が育んだ感情に忠実であり続ける人です。
自分の価値判断に同意しない人がいると、非常にイライラしてしまいます。一度誰かに騙されると、たとえその人が改心したとしても、永遠に嘘つきだと思い続けます。
こういった感情と評価が、生きていくうえでの中心的な要素であるため、ESIやEIIはしばしば道徳的立場を重んじる人だと思われることがあります。
第1機能の産物は、一般的に外部にはあまり表れません。その代わりに心の中に秘匿されます [7]。このような秘匿が特に起りやすいのは、自分の価値観に反する不快な何かがある時です。
ネガティブなことの方が、ポジティブなことよりも明確に見えることが多いです。そのせいで、時として彼らはネガティブな側面に基づく「誤った印象」や「誤った理解」に固執してしまうことがあります。
彼らのそうした評価に異議を唱えても、おそらく徒労に終わることでしょう。彼らにとって、何かは単に「良い」ものであり、逆に何かは単に「悪い」ものです。そして「なぜそうなのか」を、他者にもわかる形で言語化して伝えることはできません。
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一度、良好な関係になると、末永くその関係が続くよう努力します。
彼らは人を「良い人」と「悪い人」にはっきりと分けます。そして「良い人」を好み、「悪い人」を軽蔑します。
多くの場合、そうした判断を表に出すことはありませんが、相手が強いネガティブな反応を呼び起こすような場合は、率直に表現することもあります。
価値を感じる人が周りにいないと、攻撃的な感情を抱きやすくなってしまうかもしれません。なぜなら、そうした人の存在が無ければ「自分が存在する」という実感も得られないからです。
彼らは義務、名誉、尊厳、道徳などの概念に対して、つまり、そういった概念に対する自分自身の認識に非常に敏感です。彼らにとって重要なものは、自分自身の感情、情熱、態度であり、外的なもの、公的なものはあまり重要ではないかもしれません。
第1機能にFiを持つタイプの人々は、誰かに対する態度をあまり変えません [8]。特に、低い評価から高い評価に変えることは滅多にありません。
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さまざまな感情と、その多様で微妙なニュアンスを豊富に持っています。
他人が自分の道徳的規範から逸脱することに対して非常に敏感で、この点においては絶えず他人をコントロールし、ケアしようとするかもしれません。
ESI, EIIは、倫理的な意味での「良いこと」「悪いこと」には確固たる考えを持っていますが、そんな彼らが何かにポジティブな感情を抱くためには、その「何か」が、ここでいう「良いこと」だと言えるだけの行動や振る舞いをしている必要があります。
彼らの倫理観は個人的で主観的なものであるため、社会で一般的に受け入れられている倫理観から大きく逸脱していることがあり、そのせいで誤解されてしまうこともあります。
しかしながら、この主観的な認識は彼らに深く根差したものです。そんな彼らができる唯一のことは、自分に同意し、それを受け入れる人々を見つけることです。
第2機能 Fi(SEE, IEE)
彼らは頻繁に自分の態度 [9]を頻繁に他人に伝えます。相手を操るために、相手に対する自分の態度を利用します。
自分の周りのすべてに評価を下し、何が「良いこと」で、何が「悪いこと」かを判断しようとしています。
一日の中で何度も共感と反感を切り替えることがあります。この点では、非常に多情的で不安定な人です。
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彼らは、どんなものであれ、自分のこうした評価や意見に他の人が関心を持ってくれる場所を探しています。
この分野では、彼らの判断がしばしば受け入れられ、高く評価されるため、アートディレクターとしての使命を見出すかもしれません。マネージャーやリーダーになった時でも同じようなアプローチをとりますが、こちらで彼らの判断が受け入れられることは少ないかもしれません。
彼ら自身は、自分が行う評価を、「現在進行中の作業」と考えています。その進行に応じて、最初は賞賛していた人を、なじり、批判し、その後また賞賛したりします。
これができる立場ではない場合、物足りなさを感じます。そして「それができる立場になりたい」という欲求を感じますが、これが「社会的需要が少ない彼らの創造の産物(つまり創造機能Fiにおける彼らの判断や評価)」を彼らが社会に「売り込む」原動力になります。
なんでもかんでも批判するような人のことを好きだという人はあまりいないでしょう。彼らは頻繁に「外国に自分の独自ルールを持ち込もうとする人」だと思われてしまいます。「これは良いが、あれは悪い」「これは好きだが、あれはダメだ」と、すぐにあらゆるものを批評し始めます。
◆◆◆
人と人が争い合うような状況に興味を感じやすく、場合によってはわざと争いを引き起こすことさえあります。なぜなら、そうすれば自分の創造機能 Fiの仕事(つまり「評価すること」)を作り出せるからです。
彼らは他者の問題に参加することで、しばしば他者の共感を得ます。他者の問題に気付き、興味を持ち、より良いコミュニケーションを図るために適応することができます。
そのため、優れた政治家となることがよくあります。彼らの強みは、有権者が何を望んでいるかを知り、その要求に応えることができることです。
SEEやIEEの人間関係は信頼性に欠けることが多いです。「今日は好きだったけど、明日は嫌いになって、さらにその次の日にはまた好きになる」ということがあります。嫌悪さえも、ある日簡単に愛に変わることがあります。彼らにとって、気持ちというものは、まるで面白いゲームのようなものです。
あらゆるものの値段を知っているため、優れた評価者や味見役になれます。異性がいれば、ほとんど必ず何かしらの批評をしたがります。
◆◆◆
彼らの評価は時折、道徳的な説教のように聞こえることがありますが、その判断には一貫性がありません。
状況によっては、自分の意見としてではなく、「他の人の意見」のような形で言うこともあります。こういう場合、「〇〇だと言われている」というような、より受け入れられそうな表現で言ったりするかもしれません。
とはいえここで「それ、具体的には誰が言っていたの?」とつっこまれてしまうと、すぐに「自分の意見だと言うことをうまいこと隠すために、一般的な意見として語っていただけだった」ことが露呈するでしょう。
第6機能 Fi(ILI, SLI)
周りの人々と関わり、その人々に良い気持ちを抱き、尊重し愛することが重要です。好意を抱ける人がいないと、自己肯定感も低下してしまいます:「誰も愛せない私は、だめな人間なのかもしれない」
そこから抜け出す方法は二つあります。ひとつは仏教的な考えに従って、世界が完璧でないことを認め、それをそのまま受け入れて愛することです。そしてもうひとつは、完璧な世界と完璧な人々を想像し、それを愛しつつも、現実の世界では強い感情を持たずに進むことです。
それ以外の選択肢はすべて、自己肯定感の問題を意味します。身近な人を理想化してしまった場合、遅かれ早かれ、その人の欠点に直面しなければならなくなります。「理想化を解除すること」には、非常にネガティブな感情と自己評価の低下を伴うことがあります。
彼らには、個人的な態度や判断を表現し、自分が好きなことや、何をしているかについて話す機会が必要です。
周囲の世界の理想化が彼らの主要な問題です。自分の態度を率直に表現する許可を得ることが彼らにとっては重要なことです。したがって、彼らは自分の考えを安心して表現できる生活環境を選び、その場所だけと接触することが多いです。
◆◆◆
彼らは真実を伝えることを好みます。たとえそのせいで相手を傷つけることがあっても、適切に受け止められることを期待しています。彼らは「それでも、私は正直だった」と言うでしょう。
これらのタイプの人たちが、「私の魂に立ち入らないでください [10]」と言っているのをよく聞くことがあるかもしれません。
一般的に、自分の崇拝対象から距離を置くことを好みます。なぜなら、そうしたほうが失望しなくて済むからです。理想的には、崇拝の対象者が時々、彼らの前から離れて、長期間どこかへいってしまうことが望ましいです。
動物や、ある種の神秘的な存在に愛情を注ぐこともあります。そうすれば自己肯定感を維持しやすくなります。
◆◆◆
誰かと長い間関係を続けると、早かれ遅かれ相手を「自身の理想」通りに変えようとして、モラリストに変貌することがあります。
受動的な自己防衛をとった場合、すべての人を否定的に批判するかもしれません。
第5機能 Fi(LIE, LSE)
暗示機能にFiを持つ彼らは、「すべてのものや、すべての人を好きになれる環境」に身を置こうとします。「好きになれない誰かがいる」というのは、彼らにとっては「環境を変える」理由になります。
「他の誰かに対して、どのような態度で接すればいいのか」を他者からアドバイスされると、あっさり聞き入れます。他者にどう接するべきかわからない状態は不快であるため、「どう接したらいいか」を説明してくれる人々を必要としています。
自分の中にある他者の評価や態度をオープンにしても許される場所を求めています。それが許されるなら、その場所は素晴らしいものとなります。
この問題について彼らは非常に慎重で、しばしば客観的なデータに頼ろうとします。
身近な人たちの評価にとても影響されやすく、それを利用されることもあります。また新しい場所では、身近な人たちの評価に耳を傾け、それを自分のものにしようとします。
LIE, LSEにとって最高の場所とは、親しい友人や信頼できる仲間がいる場所です。
◆◆◆
彼らは白黒はっきりつけられる状況を好みます。そのような明確さがない場合、不安な気分になることもあります。
いつも一緒に仕事をしていたチームとの別れは非常につらいものであり、共にいた日々を思い出すと郷愁に駆られます。彼らにとって、長い間一緒に過ごした友人、仲間、同僚を失うことは非常につらいことなのです。
同じことがプライベートでの生活にも当てはまります。
◆◆◆
時折、何かに対する自分の意見を表現するために、わざとどこかでスキャンダルを引き起こすことがあります。
これ以外の他の方法の場合、グループや集団の承認がなければ自分の意見を表明できないと感じてしまう一方で、この方法をとれば、自分が心の中で思った通りの評価を、そのまま自由に表明できると感じるからです。そうしてスキャンダルを引き起こした後は、自分が感じた本当の評価を大胆に話します。
◆◆◆
もしも誰かに好意を抱いている場合、その人の犯す全てを見て見ぬふりをすることができます。こういう時の彼らはまさに「愛に触発」されています。
彼らの愛は盲目なのです。
愛は、すべての理性に反して彼らを暖める感情です。一般的に、そのような状況下で、この第5機能 Fiは非常に危険な状況をもたらします。なぜなら、誰からでも簡単に感情を「操られてしまう」危険性があるからです(「お世辞」の餌食になる可能性があります)。
そうなれば、催眠術をかける必要さえありません。ただ彼らは「これは自分の善意からの行動だ」と信じて、あなたの望む行動をとってくれることでしょう。
訳注
- ^ Fiの1文字表記「R」は、Relationsの"R"。
- ^ Fiを重視するタイプ:ガンマ・クアドラ(SEE, ILI, LIE, ESI)とデルタ・クアドラ(IEE, SLI, LSE, EII)のこと。これらのタイプは全て二分法が「客観主義(別名:深刻)」でもある。
- ^ Feを重視するタイプ:アルファ・クアドラ(ILE, SEI, ESE, LII)とベータ・クアドラ(SLE, IEI, EIE, LSI)のこと。これらのタイプは全て二分法が「主観主義(別名:陽気)」でもある。
- ^ コミュニケーションを重ねているうちに、「なんとなく友達のような関係になっている」状態がLIIやLSIにとっては自然なことであり、いきなり「友達になろう」と言われると、疑心暗鬼に陥ってしまう。
- ^ 人間関係が明確に定義されていない場合:例えば「私とあなたは友達」とはっきり言い交わされていない関係。
- ^ 関係性を決定すること:誰かと誰かの関係性が「仲間同士」や「恋人同士」といった言葉で定義できる関係だと判断すること。
- ^ 第1機能があまり表に表れない(他者から見て目立たない)というのは、ESI, EIIに限った話ではなく、他のタイプも含めた話として「外部の観察者からすると、表面的には何も処理が行われていないように見える」という説がある。関連記事「機能の特殊化」
- ^ 第1機能(先導機能)を含め、モデルAの左側の機能(第1機能、第4機能、第6機能、第7機能)は「不活性」という性質をもつとされる(ちなみに「不活性」の反対は「接触」)。「不活性」な機能は、内部変化を起こしにくい機能だと言われている。関連記事「接触・不活性サブタイプ」
- ^ 自分の態度:自分の気持ちや考え方のこと。例えば人に対する肯定的な態度や否定的な態度、友好的な態度、敵対的な態度、無関心な態度など。
- ^ 私の魂に立ち入らないでください:wikisocionでは「do look into my soul」となっているが、原文は「не лезь в душу」である。本記事では原文にあわせて翻訳している。
参考:https://socionic.ru/index.php/2010-10-04-22-23-59/2874-aspekty_v_cennostnyh_funkciyah