第3機能(役割機能)
ソシオニクスのモデルA、超自我ブロックにある第3機能は、役割機能とも呼ばれます。
人が第1機能を積極的に使っている時、第3機能は基本的にオフになっています。第1機能と第3機能は、同じような物事に対して相反するアプローチをとるため、第1機能と第3機能を同時に「オン」にすることはできません。
以下は、それぞれの相反する要素の例です。
Si vs Ni:環境が自分の身体的状態にどのような影響を与えているかに焦点をあてること vs 時間の経過とともに変化する状況や、その背後にある意味に焦点をあてること
Se vs Ne:目に見える領域やモノを積極的に捉え、コントロールし、組織化すること vs 目に見えない可能性や新しい状況を積極的に探索し、発展させること
Fi vs Ti:個人的な感情による評価 vs 非人格的な法則による評価 (慈悲 vs 正義)
Fe vs Te:関係する人や社会的要素に応じた評価 vs 効率性、有効性、客観的論拠に基づく評価
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この対立のために、自分の第1機能に夢中になればなるほど、第3機能が無視されたり抑圧されたりします。
人は一般的に、この抑圧をある程度自覚し、他人の期待に応え、社会で何かを成し遂げるために「努力」しなければならない個人の弱点として認識しています。
生活の中で生じたアンバランスさを修正し、弱点を改善するために、定期的に第3機能に取り組もうとするのが一般的です。
しかし、こうした試みは通常散発的なものです。認識された問題が消え始めると、多くの場合すぐに忘れられてしまって、いつも通りの第1機能に支配されたライフスタイルに流されてしまいます。
したがって第3機能の開発は、「完全な自給自足構造を構築する」というより「雨漏りの補修をする」というほうが似ています。
自分の第3機能を伸ばして「スーパーマン」になりたいと思うことはよくあることです。しかし結局いつも第1機能が勝ってしまうため、そのような実現不可能な目標に過度にこだわり過ぎても、失望するだけです。
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第3機能への配慮が足りないと批判された場合、人はしばしば苛立ちを覚えます。なぜなら人から言われるまでもなく、既にその不足を自覚していて、それを直そうとして失敗しているからです。
第3機能に問題が生じると、第1機能からエネルギーが流出し、普段の活動を停止して、それまで放置していた全ての仕事を巻き取ろうとします。
第1機能でエネルギーを使うのは簡単ですが、第3機能でエネルギーを使うためには努力と集中が必要です。
このように、人の自己開発というのは、一般的に、第3機能と超自我ブロックの開発に集中していることが多いです。
人は第4機能(脆弱機能)への批判と比べると、第3機能への批判にはより敏感で、思わず反論したくなります。理論的に言えば、人は第3機能に何らかの価値があると信じているからです [1]。
第3機能は、人が自分の基本的な現実の様相とは矛盾する状況 [2] に直面したときに、状況に応じて発動されます。第1機能は、その情報の側面に関連する情報のみを受け付けるため [3]、それ以外の情報を第2機能で加工し、新たなデータにすることはできません。
訳注
^ 価値があると信じている:ソシオニクスの次元という理論を踏まえると、第3機能は規範パラメータを持つため、社会的な規範(その人が属する社会で一般的に求められている人物像)を重視する機能だと言える。
ところでソシオニクスには次元とは別に、モデルAには機能二分法と言う理論もある。それによると第1,2,5,6機能は「尊重する機能」であり、第3,4,7,8機能は「控え目な機能」である。この「尊重する機能/控え目な機能」は「価値を感じる機能/価値を感じない機能(軽視する機能)」と言われることもあるが、本記事の通り、文字通りの意味で「第3機能に価値を感じない」というわけではないため解釈には注意が必要である。この機能二分法は「クアドラ」に密接にかかわっている。
- ^ 「基本的な現実の様相とは矛盾する状況」とは:「第1機能で処理しきれないような何かに遭遇した場合」という意味。
^ 「第1機能は、その情報の側面に関連する情報のみを受け付ける」とは:例えばILEの場合、第1機能はNeである。そのためILEの第1機能はNeに関する情報のみを受け付ける。
もしもSeに関する情報を処理しなくてはならない場合、ILEにできることは「第1機能をオフにして、第3機能でSeの情報を処理する」または「情報を無視する」または「(本来Seで処理すべき情報であるにもかかわらず)第1機能Neを使って無理矢理に処理する」のどれかになる。
モデルA:機能二分法の分類
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