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はじめに
活性化関係のこのペアは、どちらも二分法が外向性、肯定主義、構成主義に分類されるタイプです。構成主義タイプである彼らは、相手に尽くすことで愛情を示そうとします。そうすることで彼らは互いに肯定的な感情を呼び起こします。両者はすぐに二人の間の関係に真剣さを感じ取ります。
両者はどちらも積極的で、率先してイニシアチブをとる傾向があり、エネルギッシュで生産的です。それぞれが相手の活動を導いて、方向づけようとします。もちろんどちらも自分の関心や影響力の対象を、家庭や家族内のことに限定するつもりはありません。このペアはどちらも外向タイプですが、内向的な役割は、ESEが女性の場合、感覚タイプであるESEが担うことが多いようです。
初対面の時点で、互いに心地よい好印象を与え合います。ILEはESEの実用性、勤勉さ、優れた管理能力、心からの寛大さと温かさ、優れたセンス、印象的でエネルギッシュな性格、美的センス、楽観性と陽気さ、そして自己犠牲的ともいえるほどの子どもへの愛情に魅了されます。ESEはILEの博識さ、知性、洞察力、分析力、想像力の広さに感銘を受けています:「ILEの指摘はなんて鋭いんだろう。どうやってこんなことに気付けたんだろう」。
チャンネル 1 - 6
「感情の倫理」の側面 (Fe)
ESEの熱狂的な感情性は確かに ILE に良い影響を与え、彼を活性化します。しかし時間が経つにつれて、ILEはパートナー(ESE)の行動があまりにも融通が利かず、率直すぎるように感じ始めます。ILEが必要としているのは、双対であるSEIが持つFe(モデルA機能二分法が「接触」)のような柔軟性と機敏性のあるFeです。しかしESEのFe(モデルA機能二分法が「不活性」)には、SEIが持つような柔軟性や機敏性がありません。その結果、ILEはすぐに感情的な不快感を感じるようになります。ILE自身は感情的に不活性であるため(ILEのFeはモデルA機能二分法「不活性」に分類されます)、感情的に完全に解放されるまで落ち着くことができません。これはESEを驚かせ、ILEとの距離を置こうとさせる原因となります。ILEにとってESEとの関係は、感情的および倫理的問題において、自分(ILE)を慰め、安心させてくれる人が欠けている関係性だと感じられます。
「可能性の直観」の側面 (Ne)
ILEの空想的な計画によってもたらされる新たな可能性は、ESEを強く活性化します。ESEはこれらのプロジェクトの進展を待ちきれないほど心待ちにしますが、それが実現されることはありません。なぜならILEは自分の空想を実行することを好まず、計画を実行可能な詳細レベルまで詰めることすら好まないからです。それでもILEは自分のあらゆる考えを、今日でなくとも明日にでもすぐに利益をもたらすものであり、完全に明確化された、あらゆる面で完成されたプロジェクトだと信じ込んでいます。
ESEがこうした提案の「成果」を見ることはありません。そうして物事が幻想とアイデアの段階から一向に進まないことに気付いたESEは、ILEの考えへの興味を失います。ILEが何か新しい「未来志向」の考えを提案するたびに、ESEは苛立ち始めます。やがて、ESEはILEの素晴らしいアイデアに対して拭い去れない懐疑心を抱くようになり、それがESEの感情状態に影響を及ぼします。ESEに無気力な時期と感情の爆発が交互に訪れ、それがILEの気分にも影響を与えます。この苛立ちを消して、鎮めてくれる人が周囲にいないことが多いため、両者が互いに苛立ち続けた結果として、互いに距離を置き、互いに排除し合うようになります。
チャンネル 2 - 5
「経験の感覚」の側面(Si)
ILEは、パートナー(ESE)が、「経験の感覚」(Si)の側面を操作目的で、つまり報酬と罰の手段として使用するたびに、感覚的な不快感を覚えます:「今日のあなたには満足しているのでパイをあげましょう」「今日のあなたは私をがっかりさせたので、冷たいパスタを食べることになる」。こういった状況は、基本的にILEを動揺させます。「どうしてこの人はそんな方法で罰を与えようとするのだろうか」。無意識のうちに、ILEは自分の双対であるSEIの感覚的な寛容さと無私の精神を指向しています。SEIは完全に与える人であり、与えるという行為そのものに喜びを感じます。そういうSEIを無意識的に期待しているILEは、どんな気遣いや心配りも当然のものとして受け止め、特別に「活性化」されることも、報酬のパイのために「働く」こともありません。なぜなら、ILEはそのような感覚的寛大さを、パートナーの最も自然な状態であり、パートナーが持ち合わせるべき魂の素質だと信じているからです。
したがって、ILEが「感覚的ケア」を受け取る際に、非難や懸念が伴い、さらには請求書まで添えられると、ILEは深く傷つき、失望する可能性があります。そのような情報は彼の暗示機能の期待と一致せず、まさかパートナーがそんな振る舞いをするとは想像もしていなかったからです。時がたつにつれて、ILEはESEの「感覚的な監視」を警戒するようになり、その結果、ESEから不合理な主張や過剰な要求が提示されるのではないかと恐れるようになります。
「関係の論理」の側面 (Ti)
一方で、ESEはILEの創造的な論理に対して、長く幻想を抱き続けたりはしません。ESEが最初に心配し始めるのは、ILEの論理に明確な原則が無いこと、操作性と機動性があることです。最も不利な状況でも「無傷」で切り抜けるILEの能力は、もしそれが論理的な柔軟さに依存していなければ、ESEに感銘を与えたかもしれません。ILEがTiの側面を柔軟な解釈(「これはこれ、それはそれ」)で長期間使用した場合、ESEは明確な指針を得られないため、ILEのTiに納得できなくなっていきます。そうしてESEの思考はますます混乱し、この側面に関してILEが伝える情報を次第に批判的に見るようになっていきます。時間が経つにつれて、ILEから得られるTiの側面の情報は自分に必要ない物だと理解したESEは、明らかに無視するようになります。ESEはこの側面でのサポートを得られないまま放置されることになり、不安と苛立ちを感じます。
チャンネル 4 - 7
「時間の直観」と「関係の倫理」の側面(Ni と Fi)
両方のパートナーは不活性ブロックにこれらの側面を持っています。一方は監視機能として、もう一方は脆弱機能としてです。この結果、何が起こるのでしょうか。各パートナーは自分の脆弱な側面について、もう一方のパートナーを頼りにしています。しかし両者とも脆弱機能へのサポートを受けられないため、不安になり、非常に神経質になり始めます。また、お互いが期待しているサポートを受けられないだけでなく、互いに相手の行動を矯正しようとしたり、あるいは矯正まではいかないにしても、どう行動すべきか忠告しようとするため、互いに苛立ちを感じてパートナーに要求し始めます。しかもこうした忠告は彼らの性に合わないものであるため、当然それを有効活用することができません。
例えば倫理的な問題が発生した際、ILEはESEに対して、事態を収束してくれたり、不快な対立や「衝突」から自分を遠ざけてくれないかと期待しますが、ESEはただ事態を成り行きに任せるままにします。しかも後になってからESEの視点から見て不適切なILEの行動に対して指摘をします。この指摘はILEを特に怒らせます。複雑な倫理的状況において、ILEは無意識のうちに、自分の双対であるSEIの迅速かつ外交的な介入を期待していますが、ESEとの関係ではこのサポートが受けられないだけでなく、ESEはILEの「傷」に「塩を塗り付ける」ような、あらゆる種類の役に立たない道徳的説教をしてILEをしつこく悩ませます。ILEはおそらくすでに自分のしたことを恥じており、そのことで自分自身だけでなくパートナー(ESE)をも責めます。結局、問題が過ぎ去るまで緊張を和らげるための介入をせず、すべて終わってから批判するのは誰にでもできることです。繰り返しになりますが、ESEはILEの倫理を批判するのは、恨みや悪意からではなく、ILEの行動がESEにとって衝撃的だったからです。結局のところ、ESEは無意識のうちに双対であるLIIの規範Fi(社会規範に従い、より抑制的で、争いを好まないFi)を期待しています。ESEはLIIの行動を正す必要がある場合も、ILEにするのと同じように矯正しようとします。このような矯正は、ESEからすると「非常に丁寧で巧妙なもの」です。
「時間の直観」の側面 (Ni)
ESEは、自分の行動のタイミングが悪いと人から非難されるとフラストレーションを感じます。そうした非難を受けても、結局のところ自分の行動は時宜にかなった適切なものだとESEは信じています。なぜならこの側面では、ESEは完全に状況に依存しているからです。ESEのパートナーであるILEは、この点でESEをサポートするどころか、ESEにかかる余計な負担を軽減したり、不必要な焦りを解消したり、ESEの時間管理や行動を調整する助けをすることもなく、ただ座ってESEのタイミングの悪さを批判するばかりです。ESEはそんなILEに激怒します。非合理タイプであるILEが予測不可能なスケジュールで生活しているのに、一体どうやってESEの時間を調整できるというのでしょうか。
結局のところ、ILEは時間に正確で几帳面なLIIのように、時間を調整して一日の計画をしっかり立てようとはしません。ILEは他の全ての非合理タイプと同様に予測不可能です。ILEがいつ来て、いつ帰るのか、いつ食事や世話をする必要があるのかがわからないのです。ESEにはパートナー監視する以外にもやるべきことがあり、パートナー以外の物事にも関心をもっているはずです。そしてこれら全てには時間が必要ですが、ILEとの交際するとESEは常に時間不足に陥ります。したがってILEによる「ESEの行動のタイミングが悪い」という非難は、もちろんESEを動揺させます。ESEからすれば、すでに必要以上の時間をILEに費やしているのです。またESEはILEの提案や予測に説得力を感じず、それらがESEに楽観主義をもたらすことはありません。それどころかESEはILEを世間知らずの夢想家だと捉えます。ESEには、LIIがするような正確に的を絞った、論理的に裏付けされた予測が必要です。LIIの予測はILEの予測ほど楽観的ではないかもしれませんが、少なくとも現実的であるため、ESEにとっては説得力があって安心感が得られるものです。
チャンネル 3 - 8
「ビジネスの論理」と「意志の感覚」の側面(Te と Se)
TeとSeの側面は、両者ともに同じブロック(操作的ブロック [1])にあります。一方は役割機能(第3機能)であり、もう一方は実証機能(第8機能)にあります。つまりどちらのパートナーも実証的な側面で活動し、パートナーが必要としてしていないところでサポートを提供することを意味します。つまり簡単に言えば、彼らは互いに干渉し合います。これは一方のパートナーの実証機能が、もう一方のパートナーの役割機能(他者からのサポートを求めていない機能)と重なるために発生します。役割機能は、ただ誰かが「目を光らせている」だけで十分です。しかし、この「目を光らせる」のは実証機能ではなく監視機能(第7機能)の仕事です。そしてILEとESEの関係において「目を光らせる」だけしかしない監視機能と重なるのは、役割機能ではなく脆弱機能(第4機能)のほうです(チャンネル4 - 7)。つまり活性化関係では、パートナーが必要としている情報は提供しない(実証機能から、パートナーの脆弱機能へのサポートが行われない)にも関わらず、パートナーが必要としないところでは、非常に積極的といえるほど関与してしまいます(実証機能から、パートナーの役割機能への干渉が生じます)。このように実証機能は非常に能動的にパートナーへ関与しますが、それだけでなく実証機能は非常に受動的に、かつ分析的に情報を「要求」します。その結果パートナー同士で衝突し、「必要な時には関与しないくせに、必要ない時に余計なことをするな!」といった非難が飛び交うことになります。
そして、これはまさにその通りです! ILEは「意志の感覚」の側面で他人から保護されたり擁護される必要はありません。ILEは自分自身のために立ち上がることができ、争いの多い状況で自分がいかにうまくやっているのかを示すことさえ楽しんでいます。ILEのパートナーに求められることは、せいぜいILE(ILEのニックネームはドン・キホーテです)の「風車との戦い」を見て、「さっきの君、すごかったね!」と言うことです。これはまさにSEIがすることです。
しかしESEは、SEIとは全く異なる反応を見せます。ESEは「自分の仲間」の一人が攻撃され、打ちのめされているのをみると、自ら戦いに加わります。なぜなら実証的なSeは、控えめで、譲歩的で、繊細なため、積極的な対処ができない双対のLIIを守るために設計されているからです。ILEにとっては、そのような保護は場違いで、屈辱的でさえあるように思われるでしょう。「私を子ども扱いするな!他の人の前で恥ずかしいじゃないか。まるで馬鹿にされてる気分だ!」。ILEは自分が必要としない時や場所で「世話を焼かれる」ことを非常に嫌います。ILEは「保護者」を攻撃することさえあるかもしれません。それはESEを非常に傷つけ、動揺させることでしょう。
「ビジネスの論理」の側面でも同じ問題が発生します。ESEが何かビジネスを始める場合、ESEはビジネスの全体を自分でリードしようとします。ESEはすべての計算を自分で行い、行動計画を作成し、それを実行する準備をします。この段階で、ESEはパートナーとの行動の打ち合わせをするために「ビジネスの論理」の側面に関する情報を要求します。ESEと双対関係にあるLIIは「ビジネスの論理」の側面を監視機能という観察と「相談」の機能の位置に持ちますが、ESEと活性化関係にあるILEはこの側面を実証機能の位置に持ちます。そしてILEは、自分の「ビジネスの洞察力」を発揮できる機会を逃しません。まずILEはESEのプロジェクトが実現不可能であることを証明しようとしますが、そのために創造機能Tiの巧妙な論理を使うため、ESEを説得することはできません。ESEが慎重に計画したプロジェクトを分解した後、ILEは素晴らしく冒険的なアイデアとして代替案を提案しますが、もちろんそれは単なるアイデアにすぎず、きちんと練り上げられた草案ではないため、合理的で現実的なESEには受け入れがたいものです。しかし同時に、それを聞いたESEは、自分の計画の正しさに自信がなくなってしまいます。そしてこうした全てが相互の批判に繋がります。「私は最善を尽くしたかったのに、あなたはただ邪魔をしているだけだ!そんなに言うなら自分でやったらいいのに!」。結果として、誰も何もやらなくなります。
こうして活性化関係は徐々に冷え込み、両方の外向的なパートナーが少しずつ内向的になっていきます。「活性化」という言葉は、特に内向的なパートナー同士の関係に当てはまります。彼らは一緒にいることでより活動的になり、より表に出るようになりますが、それでも他の多くの問題を避けられるわけではありません。