双対関係であるLIIの説明にもESEに関する説明があります。
第1機能(先導):Fe
典型的なESEは、強い意志による圧力である「意志的な感情主義」や「感情的な意志の強さ」が根底にある荒れ狂う感情を持っています(wikisocion編集者注釈:この荒れ狂い方は、ESEの特殊な思考形態の影響を受けている部分もあります)。
ESEは激しい感情を持つ人々です。彼らは生き生きとした感情的な性格です。ESEの感情は、すぐに情熱的な願望、言い換えると情熱的な愛、または情熱的な憎しみに変わります。冷静で感情的なバランスのとれた状態になることはほとんどありません。通常、ESEが落ち着きリラックスするのは、彼らの双対関係にあたるLIIとの相互作用の中で、感情的、感覚的、直観的なある種の自然なやり取りが2人の間で起こった時だけです。ESEの自然な感情状態は、やや高揚した心地よい気分、適度な興奮状態です。そしてエネルギー、楽観主義、自分への自信に満ちています。
賑やかな感情表現はESEの特徴です。ESEがやってくると、その場に「感情の交流」が始まり、「自然な感情の循環」が起こります。ESEは感情的な賑やかさに欠ける環境を嫌います。こうした環境では、他の人が何を考えているのか、何に関心を持っているのか、どのような価値観で生活しているのか理解することができません(「彼は私を健康リゾートに連れて行ってくれたことがあります。でも一体なにがいいのかさっぱりわかりませんでした。そこでは誰も互いに話をせず、また、話をしていたとしても自分の家族や友人同士で固まっているだけです。彼が迎えに来てくれた時、私は彼に『私をどこに連れてきたの?ここでは誰も私と話をしようとしなかった。そんな場所でどうやって休んだらいいんだ!』と言ってしまいました」)。
ESEは、強く、明るい気質の持ち主です。このタイプの俳優が演じる役が、明るくて面白く、一度見たら忘れられないようなキャラクターであることが多いのは偶然ではありません。ESEが登場するエピソードやシーンは、あらゆる演劇における装飾品であり、あらゆる映画の「レーズン(干しブドウ)」です。ESEの感情は、明るい花火や鮮やかな滝のように、非常に速いペースで展開することがよくあります。そのためESEは「徐々に感情状態が変化していくようなイメージ」よりも、「感情状態が真逆の状態に急変するようなイメージ」を持った役やシーンを演じるほうが得意だとされることも多いです(中心的な役を見事に演じるESEも多いですが)。
ESEは、他者が表現する感情を通じて、その人の性質を正確に把握することができます。他者の感情を正確に評価したり、深く共感して、相手の全感情を自分のもののように経験することができる優れた心理学者です。ESEの倫理的洞察力は、「周囲の人々が表わす感情」を通して「周囲の人々の動機」を理解する能力の上に成り立っています。ESEは人の目の表情や笑顔から、その人の意図を巧みに読み取ります。そして人の本質や倫理的な可能性を見抜ぬいてしまいます。
ESEは、幸福、子供の健康、親しい人や周囲の人々の繁栄、個人の能力や才能の創造的な実現、思想や判断の自由、平和といった、人生の最も自然な価値観を重視しています。そしてこれらの価値観や思想こそ、ESEが感情的な魂の炎と熱をもって、いつでも、どこでも、努力や時間を惜しまずに擁護しようとしているものなのです。
ESEは、自分の感情や願望を隠す必要はないと考えています。彼らは良いことも悪いことも関係なく、ありのままにそうしたことを表現することで、周囲の人々に彼らの感情や願望を伝えようとします。ESEは自分の喜びや幸せ、悩みや苦しみの全てを惜しむことなく人と分かち合います。
ESEはトラブルを恐慌的といっていいほど恐れています(彼らにとって人生は幸福と楽しみのためにあるものであり、また人の一生は短いものです)。ESEは非常に積極的に、かつ非常に感情的に「どんなトラブルも御免だ」と思っています。そしてトラブルメーカー(実はESE自身もそうであることがありますが)との関わりを避けようとします。また、単に自分が避けるだけではなく、他の人にもそれを警告します(「もしあの人とまた何かしないといけないとしたら、たまったもんじゃない」)。ESEは悩み事を隠す必要性はないと考えています。というより、むしろ自分の悩みに他の人の注意をもっと引き付けたいと考えています。 ESEは、ポジティブな感情よりもネガティブな感情に表現の自由を与えます。彼らにとっては、どんな手段を使ってでも問題を素早く解決することが重要です。ただし、ESEの優先度は「自分の不幸の真犯人を知らしめる」ことよりは、「見ず知らずの人に自分の弱さを示す」ことに傾いています。
ESEは生活環境の些細な変化を、重大で不快な問題として認識することが多く、それがパニックやヒステリックな大騒ぎに繋がることもあります。こうした行動をとるESEは、他人の理解をほとんど得ることができません。傍目には取るに足らない変化であっても、ESEの価値観の枠組みの中では、「確実にこれから悪くなっていく変化」だとされることがあります。そのため、こうした変化がまるで「時間の経過とともにどんどん解決するのが難しくなっていく問題」のように見えてしまうのです。ESEは、個人的な生活や周囲の環境における「あらゆる否定的な傾向」を、恐慌的なまでに恐れています。そのためESEは、社会にも政治にも積極的に関わろうとします。自分の生活や周囲の社会を平和で豊かなものにするために、市民的自由や権利を最大限に活用しようとするのです。
ESEは朝から晩まで自分の問題について話し続けることができますが、他人が他人の悩み事や愚痴を言うのは許せません。特に、自分の知らない、何の役にも立たない、全くの赤の他人が語る悩み事を聞くのは大嫌いです。他人(特に何の縁もない他人)が落ち込んでいたとしても、彼らはそれに関わろうとしません。通常ESEは、自分に関係の薄い問題にあまり関心を示しません。彼らは自分の気分を台無しにしたくないし、他人の問題に巻き込まれたくないのです。
一方でESEは周囲の人々が盛り上がっているとき、「なぜ皆、そんなにテンションが上がってるんだろう」と考えます。そしてその原因に強い興味を向けます(誰かに幸せなことがあったとしたら、それについて本人の口から語ってほしい。ひょっとしたら自分にも幸せなことがあるかもしれない!」)。
ESEは、自分にとって必要だと感じる人の気分を高めることが大好きです。彼らは、他の人の気分や状態を良くすることだけを目的として、よく何かを言ったりやったりします。例えば「職場の女性全員にホワイトデーのプレゼントを用意している」と職場でまじめに話したりするかもしれません(※出典では「3/8国際女性デーのプレゼント」となっているが、ホワイトデーに置き換えて翻訳している)。ここで重要なのは「仕事仲間がいつかそのプレゼントを実際に目にすること」を意味しているわけではないという点です。ここでESEにとって重要なのは、今日というこの日、周りの人々の気分を盛り上げ、お祝いの楽しい空気を作ること、周囲の人々との前向きな人間関係構築の足がかりにすること、全ての人の前向きな配慮と承認を受けること、少なくともこの発言をした今日というこの日のヒーローになることです。ESEにとって最も重要なことは、明るくて前向きな空気を生み出すことであり、プレゼントについては誰もが後で忘れてしまうかもしれないということです(ESEは自分の果たさなかった約束について掘り返されるのを嫌います。なぜなら彼らはいつも、この手の「場の空気を良くする」ための約束をしたとしても、実際にその約束を果たすことはないからです)(※「果たさなかった約束について掘り返されるのを嫌う」というのはESEがだらしないからではなく、社交辞令やリップサービスを真に受けて、大真面目に言葉通りの意味で解釈してしまった人の対応をしなければならない時の気分に近いのかもしれない)。
第2機能(創造):Si
ESEの感情的な活動は、周囲の人々を幸せにし、彼らの世話をし、保護者となり、彼らのために暖かさ、幸福、繁栄に満ちた環境を作り出す能力に表れています。心のこもったもてなしや、客をもてなす技術、娯楽や晩餐会を企画する能力において、ESEは他の追随を許しません。また、退屈で平凡な仕事の中に休日の雰囲気を作り出すという点も、ESEに叶う人はいません。例えば特に明確な理由なしに、クッキーやドーナツなどのお菓子を大量に職場に持ち込んで仕事仲間のためのささやかなお祝いをすることがあります。職場での祝賀会やパーティーについては言うまでもなく、ESEはこうした催しを積極的に企画したがるタイプです。そしてそうした役目を任されたら、喜んで自分にできる限り素晴らしいものにしようと尽力します。
ESEにとって休日とは神聖なものです。ESEほど賑やかで楽しい休日の計画をたてたり、素晴らしいパーティやお祝いを企画する人はいないといっても過言ではありません。ESEは出来る限り短時間で、全ゲストのための全準備をすることができます。ホームパーティでは皿洗いが追い付かないほど次々に料理を作ります。ESEはゲストや親しい人に何かをご馳走するのが大好きです。客がいない時は近所の人を招待します。彼らは人と話したりコミュニケーションをとったりすることがとにかく好きなのです。特に老後には、ジャムの缶詰やキャンディーの箱(時には自分で作ったもの)を持って近所の人の元を訪れ、お茶を飲みながら話をすることもあります。(wikisociono編集者注釈:東ヨーロッパでは、友人や隣人の家に訪れてお茶を飲むというのは、特に年齢層が高い人にとっては一般的な社会的娯楽です。他の文化圏の場合、それぞれの文化圏の社会的娯楽に置き換えて読んでください)
ESEは、誰かをもてなすために料理を作るのが好きです。ESEの家に訪れると、高い確率で「これは美味い!」と言いながら料理を作っているESEを目にすることができるでしょう(そして実際に美味しい料理を作ることができます)。典型的なESEが料理に興味を持った場合、実際の職業やキャリアに関わらず、偉大な料理人やシェフになることが多いです。ESEがプロの料理人としての訓練を受けることを選択した場合、彼らのゲストとして彼らの料理を味わった客は、生涯忘れられない特別な喜びを体験できるかもしれません。
ESEは、自分の美的センスや、それに関する自分の考えに自信を持っており、それが自分の長所だと考えています。それぞれの人の外見や性格に適した服や化粧品、髪型を選ぶことができます。直観タイプの人はもちろん、感覚タイプの人にとっても、ESEの意見はとても参考になることが多いのではないかと思います。優れたスタイリストやデザイナーになるESEもたくさんいます。(wikisocion編集者注釈:これは感覚サブタイプのSi-ESEにより当てはまる説明です。ESEは確かにこの分野について強い自信を持っていますが、自信があるからと言って必ずしもそれが才能と比例しているわえけではなく、また、異なるクアドラや双対ペアによって、何が魅力的で何がセンスがいいと感じるかが異なっていることは言うまでもありません)
美学というテーマのコンサルタントとして、ESEは他の追随を許しません。
「同僚(ESE)に新しい衣装ダンスの中身を選ぶのを手伝ってもらったことがあります。驚きました。1時間以内に5つの店を回りました。どの店でも、服が店の中を飛び回り始めたのです。『このセーター、このスカーフ、この帽子をください!』服の試着などせずに、同僚は全て目測で選んだのですが、家に帰って試着したとき、全てのサイズがぴったりでした!1時間以内に、同僚は頭の先からつま先まで私に服を着せました」
ESEの衣装棚は常に変化しています。一度買って手に入れた物にはすぐ飽きてしまいます。裁縫が得意なESEの場合、自分で衣服の手直しをしたりアレンジしたりすることが多いです。
また着ている服の傾向や髪型もコロコロ変わります。出勤に合わせて一分でドレスからブラウスに着替えたり、髪型を変えたりするのは元より、よく髪の色を別の色に染め変えたりもします。これは「昨日の気分」にはぴったりだった「昨日の服装・髪型」も、「今日の気分」にはぴったりではないことが多いからです。
ESEは家の中のインテリアを変更するのも好きです。頻繁に新しい家具に変えたり、配置を変えたりします。ESEの部屋によくある物は「新しいケースやポーチ」、「手作りのランプ」などといったものです。
ESEは、友人や親しい人の部屋のインテリアを手直ししようとすることもあります。SEIとは異なり、ESEにとって「美的な欠陥」をそのまま無視して放置しておくというのは我慢ならないことです。そのためそういった欠陥を見つけた場合、ESEはその欠陥に言及します。これは親しければ親しいほど増す傾向です。
「このズボン、もっと短い方がいいんじゃない?」「このテーブル、こんな場所に置かないで別の場所に置いた方がいいと思う」「もっと別の髪型のほうがいいって」などなど。
彼らがこのような発言をするのは、無作法で礼儀知らずだからではありません。単にESEは、美的な調和に欠けている状態に対して敏感で、そうしたものを感じ取ると本当に我慢できないほど苛立ちを感じてしまうせいだからです。例えアドバイスを求められていない時でも、黙っているわけにはいきません。ESEにとってこれは注意してあげたほうがいいと感じる問題点です。
ESEはプレゼントを贈ることが大好きで、自分とあまり関わりがない人にもプレゼントすることがあります。プレゼントを贈る理由がなくてもかまいません。特に理由は無くても自分のインスピレーションに導かれてプレゼントしたり、たまたま親しい人にぴったりのアイテムを見つけたからプレゼントすることもあります(「ほら、君にぴったりの赤い口紅を買って来たよ。あの古い黄色い口紅なんて捨ててしまったらいいんじゃないかな。もう使うことなんてないんだから」)。
ESEは流行しているファッションの情報に敏感なタイプです。彼らの家にはファッション誌のカタログが散乱しているかもしれませんが、彼ら自身のスタイルは流行にとらわれず、自分の個性を十分に生かしたものです。
自分が愛する人の健康にかかわる問題には、非常に積極的に取り組みます。仕事を休んで薬局に駆け込んだり、医者の元に突撃して、その分野の最も有名な権威に会おうと「押し通す」こともあります。自分の同僚、友人、家族、親族の健康状態について定期的に聞いて回ります。「もし病気が長引いてしまったらどうしよう」「合併症になったらどうしよう」という心配のあまり、病気に対して文字通り「攻撃」的になってしまうのです。病気の症状が目に見えて落ち着いていくにしたがって、ESEも落ち着きを取り戻していきます。
一方でESEは自分自身の体調についてはほとんど注意を払いません。体調が悪くてもそれを人に話すことはほとんどなく、病気になった場合は自分だけで何とかしようとします(これはESEにとって自分の健康状態の悪さは自分の弱さ、能力のなさだと感じてしまうからです。そして、そうした弱さを人に知られたくないとも感じています)。このようにESEは現在の自分の体調にはあまり意識を向けるタイプではありませんが、スポーツをしたり、栄養面に気を配ったり、様々なダイエットを試すことで病気を予防する努力はするタイプです。このタイプの女性は、年をとっても若々しい外見と魅力を持った人であることが多いです。
第3機能(役割):Te
ESEは何よりもまず自分の感情・状態・欲望に依存した行動をとるタイプであるため、あまりビジネス向きの実用的な資質には秀でてはいません。これはいくらESE本人が、そうした資質を大切だと思い、鍛えようとしていたとしても言えることです。こうした傾向は、ささいな欲望または感情的衝動を感じた場合であっても、過剰なほどお金を使ってそれを叶えようとする部分にも表れています(wikisocion編集者注釈:あるESEは、自分の父親が住んでいた国を訪れ、父親の墓を見た時、財布に入っていた所持金の半分を使って父親の墓の石碑を注文しました。これは感情的な衝動買いですが、後になってそれを知ったSEIの娘から『お金の無駄遣いだ』と批判されました)。
ESEが買い物に行ったとき、新鮮で美味しそうな商品を見つけると大量に購入します(「後でもっと食べたくなったらどうしよう」)。ほぼ毎日食べ物を調理し、しかも大量に作ります(もしも食事が足りなかった時用のため)。それでいて前日に用意した食品には興味を失ってしまいます。ESEは「食のリノベーション」のプロであり、彼ら自身そこに誇りを感じていることが多いです(「昨日、肉を焼きすぎてしまいましたが、それを捨てずに有効活用するために、挽肉にしてパンケーキの具にしました」)
ESEの買い物はまさに「気分次第」であることが多いです(「このドレスを見て一目ぼれし、思わず買ってしまいました」)。そしてその「気分」が去ってしまうと、ESEは買ったものを店に返品したがります。そして返品期限が過ぎていたり、その他の理由で返品できない場合は、通販に売りに出したり、他の人にプレゼントしてしまいます。それもダメな場合、そしてどうしても捨てられない場合は、捨てる前に「価値のある物」に変えようとします。
典型的なESEの考えでは、お金は何か楽しいことに使われるために存在するものであり、彼ら自身まさにそういった目的のためにお金を使おうとします。そのため複数のローンを抱えているESEはたくさんいます。しかしながらESEはこうした自分の衝動買いに始まる、あまり現実的な行動とは言えない行動をしてしまう自分の性質を何とかしようとして、特に金銭的な問題については非常に慎重になろうともします。この二つの特性(衝動的な部分と慎重な部分)が絡み合って、とても奇妙で理解しにくい不思議なコントラスト─ 贅沢と小遣い稼ぎの組み合わせが生じます。これはESEが、自分の欲望を満たしつつ、同時にお金が増えていくような方法で、自分のビジネスをしようとする傾向が強い点から説明できます。
この矛盾ともいえるようなコントラストの問題をESEはどうやって解決するのでしょうか。ESEは物の良し悪しを見極めることができ、また、安くてもきちんとしたものが買える場所を知っています。このタイプの人は、さまざまな販売イベントやディスカウントストア、価格交渉が可能なオープンマーケットなどによく訪れます。ESEは、ある品物の価格がどのように決められているか理解するのが上手で、何からできているか、品質はどうか、そして合法的な範囲でどうやって値下げ交渉すればいいのかという問題を解くのが得意です。相手の意志や根気が折れるまで価格交渉し、取引を成功させることができます(一部の東ヨーロッパの市場でたびたび見られる光景ですが、こうしたESEの値下げ交渉に対して、「もう勘弁してください!あなたやあなたのお金は当店に不要です!」と叫びながらESEを追い出そうとする販売員もいます)。
ESEは、店を訪れた際、商品の価格だけでなく、セールの有無や割引率にも関心を持ちます。彼らは大きな買い物をするための準備として、追加費用の原因となる税金を何らかの形で「回避」できないか販売員と交渉し、それを合意させ、そのうえで一般的な値下げも要求します。さらにそれだけに留まらず「販売員が『違法』な取引に合意した」という事実を利用して販売員を脅すことすらあるかもしれません。ESEは自分が何をすべきか、何を享受すべきかを常に理解しており、消費者の権利を守ることに長けています。
彼らはビジネスの契約を取り付ける際、個人的な同情を示したり、「相手を信頼している」ことをアピールしたり、「ちょっと食事に行こう」「コーヒーを飲みに行こう」という提案から始めることが多いのですが、それと同じくらいの頻度で、意志的な直接的圧力や、場合によっては恐喝と言えるほどの脅迫に至ることさえあります。
ESEの中には、税制をうまく利用して自分の収入を増やす方法を知っている人もいます。どんなに税金を高くしても、こうしたESEは巧みに「節税」してしまうため何の意味もありません。もちろんコンプライアンスを完全に無視し続けた場合どうなるかは、今更話すまでもありませんが(脱税で有罪判決を受けた大富豪レオナ・ヘルムズリーはわかりやすい実例です)。
しかし、いくらESEが個人の予算を合理的に配分しようとしても、「多すぎる。そしてその次には少なすぎる」という状態から抜け出せない場合が多いです。昨日は山のようなお祝い事があり、今日は「教会のネズミのように貧しく」、誰からお金を借りようか模索しているのがESEなのです。
ESEは、友人や親しい人からお金を借りると、期限内に必ず返済しようとします(これは個人的な関係に関わることだからです)。しかし、相手との関係が「プライベートな関係」ではなく「ビジネス上の関係」になった場合や、経済的に深刻な問題が発生した場合、ESEは黙って借金を放置することがあります。
彼らは時折「個人的で倫理的な公平性」という独自の考えに基づいてビジネス上の関係を構築します。これはいわば「あなたは私のために、私はあなたのために」という「ビジネス」の原則の独特な倫理的解釈を意味しています。自分の心のこもった行動を「より高い値段」で相手に売りつけ、相手に「高い値段」相応の減額や譲歩を求めるのです(「私がここまで誠意を見せているんだから、あなたもこれで合意してくれるよね?」)
経済的に困難な場合、ESEの雇用主は従業員に対して「情熱的な愛」や「献身」を示しながら、従業員への賃金の支払いを遅らせてしまいます(従業員側が思わず『ちゃんと賃金を払ってほしい』と言い出せなくなるほど、激しい愛を従業員に示すのです)。ESEは、自分が経済的な損害を被った労働者やビジネスパートナーの立場になって初めて、自分の安い「倫理的な貸し」の本当の代償に気づくのです。そしてロビン・フッド(※義賊、無法者)的な、およそ倫理的とは呼べないような手段を使って、加害者に復讐し始めます。
ESEは、ESEの双対関係にあるLIIと同様に、物質的な財の分配は公正かつ公平でなければならないと考えています。しかし、公平性が抽象的な概念や達成できない夢に過ぎないとしたら、どうすればいいのでしょうか。この罪深い地球上で、公平に生き、公平に行動することは可能なのでしょうか。また、個人的な感情と釣り合う物質(金銭)を見つけることは可能なのでしょうか。ESEは「ビジネス」の価値観を個人的なものに置き換えて操ろうとするところがあります。その影響で、ビジネスの関係をプライベートに持ち込んだり、その逆のことをしたりします。
ESEは、LIIから物質的な資源や利益を公平に分配し、予算を合理的に編成する方法を学びます。ESEの「個人的で倫理的な公平性」が評価され、最良の形で提供されるのは、まさにLIIとのビジネス・パートナーシップにおいてです。ESEとLIIは同一の倫理的・論理的原則を志向しているため、ビジネス関係においてすぐに相互理解することができます。さらにLIIの影響を受けることで、ESEはもっとバランスがとれていて、安定していて、穏やかで合理的な人物になれます。そうなるとESEは、自分の絶え間ない欲望を法外なお金の支出で解消する必要性を感じなくなります。
ESEは効果的な仕事の仕方や良い結果を出す方法を知っていますが、通常は自分の能力を過大評価しません。彼らは、外見上は成功に対する自信で満ちているように見えても、心の奥底では自分の能力や可能性を疑っていることがよくあります。ESEにとって、自分の仕事に対する評価を得ることは非常に重要なことです。ESEの仕事の質は、自分がやっている仕事の重要性に気づけば気づくほど高くなります。
ESEは通常、ハイペースで仕事を進めていきます。新しいプロジェクトや仕事には熱心に取り組みますが、後から冷めてしまうことがあります(特にその仕事が自分に向いていないと感じた場合、仕事を終わらせるために無理をしなければならないため、冷めてしまいやすいです)。急いでいる時は同僚に頼んで仕上げまでやってもらうこともあります。
ESEの気分は、仕事の結果に大きく影響します。全く集中できないこともあれば、あまりにも軽率に仕事に手を付けてしまい、後になってからESEがやった仕事を他の人がやり直さなければならなくなることもあります。
ESEはビジネスの方向づけという意味では優れています(※仕事のやり方がまずいことはあっても、仕事の方向性がまずいことはない)。定期的に解決しなければならない問題、疑問、課題に関する既存の規制、指示、命令をきちんと把握しています。そのためESEは、多くの困難がある状況であっても、特別なダメージを受けることなく、そこから抜け出すことができます(wikisocion翻訳者注釈:第3機能は規範の機能であり、二次元性です。そのため規範を考慮できます)。ただし、効果的な行動をとろうとしますが、往々にして大げさな喧騒を持ち込んでしまいます。(※関連記事「機能の次元」)
ESEは自分の仕事をするとき、すでにチェックされており、テスト済みの手順を使うことを好みます。
ESEにとっての仕事の完了は、勤務時間の終了時刻を意味します(ESEは、仕事に余分な時間をかけたり、残業することを嫌います。特に給料が少ない場合はなおさらです)。
ESEは重要な仕事をする際は特に、前もって準備をするようにしています。しかし、それにもかかわらず、時間ぎりぎりの必死な作業なしでは時間通りに仕事を終えることができません。
第4機能(脆弱):Ni
ESE自身の気分や状態の影響を受けて、ESEの目の前には予想もしていなかったような問題が次々に現れます。ESEには「計画になかったことをしたい」というある種の願望があります。何かに夢中になっていると、ESEは頻繁に時間を無視するようになります。まるで時間を止めたいか、止まっているとでも思い込みたいようにも見えることがありますが、実際にはそうではないことも彼らは理解しており、この問題について多くの悩みを抱えています。
ESEは、与えられた時間内に自分が出来ること以上のことをしたいと常に思っています。その結果、あまりにも自分にとって負担になりすぎるのではないかという不安やストレス、心のざわめきに襲われ、神経質になり、常に疲れ切ってしまっているような感覚に陥ってしまいます。
彼らは1日の計画を立てるのが非常に難しいと感じています。予定を急に変更したり、ずらしたり、あまりにも密にスケジュールを埋めすぎてしまったりすることがあります。彼らは時間の浪費を非常に恐れています。不必要な時間の浪費はESEを大いに悩ませる問題です。招かれざる客、予期せぬ電話、歓迎されない訪問者にはイライラします。自分の仕事のやり直しが発生してしまった場合もイライラします。これは、やり直しのために余計な時間を費やさないといけなくなるからです。公共交通機関の待ち時間が長かったり、道路が混雑していたり、お店で行列ができていたりする場合もイライラします。
ESEは常に自分を急かし、常に他人を急かします。ESEがバランスを崩し、あまりにも興奮している時には、声に苛立ちを含んだ熱っぽい焦燥感が見られることがよくあります。
来客が訪問した際、すでにどこかへ行こうと急いでいるESEの様子を目の当たりにして不愉快な気持ちになることがあります。まるで訪ねてきた人を急かすようなESEの行動は、コミュニケーションに大きな支障をきたします。急いで最新のニュースを聞き出し、インテリアや新商品をチェックし、バタバタと食事の準備をし、そして時計を見て、そろそろ帰る時間だと話すのです。
ESEは他人の行動の遅さ、鈍さ、ぎこちなさ、反応の悪さ、レスポンスの遅さに対して非常にイライラしてしまいます。自分にとってうんざりするトピックに会話の流れが進んだ時や、情報が欠けたまま進んでいく会話にもイライラします。ESEにとってこういったことは「時間の浪費だ」と感じてしまうものです。
彼らは「本を読むために時間を作る」ということが出来ないタイプです。そのため読書をする場合は、公共交通機関での移動中や行列の待ち時間、就寝前や起床前などのスキマ時間に読書をしようとします。本の好みに関して言えば、話のテンポが遅いもの、説明がクドすぎるものは嫌いです。
ESEは、自分が焦らずに生活し、やりたいことを全て出来るようになることを夢見ています。しかし、この願望は満たされず、実現できない夢のままです。静かに工芸品の作成に打ち込んだり、黙々と必要な作業をすると言ったことは出来ません。「時間が合理的ではない使われ方をしている」という感覚に常に悩まされています。このタイプの人はマルチタスク好きです。同時に出来る全ての事柄を組み合わせようとします(※ストレングスファインダー「アレンジ」的なイメージか)。座って裁縫をしながら、同時に洗濯機で何かを洗いつつ、そのうえで料理をしつつ、テレビも見つつ、電話することすらできます。
ESEは常に活動的な環境の中で生活しているため、立ち止まって状況を分析し、時間の経過にしたがって全体がどう展開しているのか確認し、必要に応じて将来の計画を修正するという「一時停止」をすることができません(そうすることをESEは自分自身に許すことが出来ません)。
自分の力を合理的かつ経済的に使うことができません。彼らにとって「行動のタイミングが遅い」とか「タイミングを逸している」という指摘をされるのは非常に苦痛なことです。
また、「非生産的な時間の使い方をしている」と非難されることも耐えがたい事です。彼らは、時間が制限されている時に苛立ちを感じます。すでに最大限に合理的に時間を使おうとしていますが、それが達成できないのは、他の感覚タイプと同様に、ESEが過剰な責任を自分に課しているからです。そのため、予期せぬ緊急事態が常に彼らの前に現れます。
ESEは遅刻を非常に嫌います。自分が時間を正確に見積もれないことを隠そうとします。そのため例えば、何かのイベントや社交の場に遅刻してしまった場合、いっそ全く行かないことを提案します。時間を守らないことを批判されると苦しくなります。
自分の活動やイベントを時間通りに調整しなければならない時、彼らはいつも緊張しています。彼らにとって、時間の流れを感じることは非常に難しいことであり、あらゆる出来事、仕事、活動のタイミングが正しいかどうか、どれくらい時間がかかるかどうかを正確に見積もることはほとんど出来ません(ESEは、時間の調整に関するあらゆる種類の仕事を避けた方が賢明です)。
すでに述べたように、彼らは積極的な市民としてのスタンスを持っているので、全てのニュースやイベントに遅れずに参加しようとします。今後起こりうる社会的・政治的な変化や見通し、そしてそれらがもたらす新たな可能性に対して常に興味関心を持っています。
ESEは、自分のために新たな展望を開いてくれるような変化を常に期待しています。個人的な問題を、そうした助けによって解決することを期待しているのです。
ESEは楽観主義者で、人生には最高のものしか求めません。そのため、予想外のややこしい問題やトラブルは彼らを大いに落胆させてしまいます(唐突なバッドエンドを迎える映画や本にも嫌悪感を抱きます)。複雑さや問題を予見し、取り組みを消滅させてしまうような懐疑論者も嫌いです。彼らは、自分自身が将来の悩みを感じていたとしても、暗い色でしか未来を見ない人のアドバイスはいらないと考えます。
ESEは、先見の明を持って慎重に行動しようとしますが、残念ながらいつもこの目標を達成出来るわけではありません。そのため、彼らはこの点に関する批判には過剰に反応してしまいます。
こうした状況は、ESEの双対関係に当たるLIIとパートナーになった場合、一変します。LIIは時間管理が上手く、過剰な負荷、焦りやストレスの原因になりそうな物事を整理して避けることが出来るタイプです。LIIはESEの計画を修正し、活動の速度を調整し、ESEの活力と健康にとって最適な体制、つまり仕事の高い生産性と合理的な時間の使い方を両立させる条件を作成できます。
予測を立てることが得意な直観タイプはLII以外にもいますが、ESEに好まれるタイプの予測を立てられるという意味ではLIIが一番です(※この説明のESEの場合、LIIと同じく4次元性のNiを持ち、かつ論理タイプである典型的ILIにはたえずイライラしてそうである。ILIとESEは衝突関係だというのを度外視しても)。さらに、LIIの予測には必ず何らかの論理的な裏付けがあるので、ESEにとっては非情に説得力があるように思われます。なぜならESEは論理的なものにしか納得できないからです。
ESEが自分で検討し、基礎づけ、理解しようとして失敗したどんな考えであっても、LIIの説明を聞けば、すぐにシンプルで、自然で、理解しやすいものになります。したがってESEはLIIの助けを借りることで、合理的な時間配分で重要な問題の検討と解決を行い、また時間の節約をすることが出来るようになるのです。
第5機能(暗示):Ti
ESEは、論理的に考え、要点を絞って話し、自分の考えを明確かつ簡潔に説明できる人を尊重します。体系化された論理的な議論と結論によってのみ納得します。ESEを真に説得できるのは、論理的なものだけです。ESEにとって「見解の体系」という概念はとても説得力があり、合理的に聞こえるものです。そしてこのような「見解の体系」を持っている人は、特にその見解が論理的という言葉に値するものであれば、ESEの中で純粋な尊敬を呼び起こします。
ESEは「合理的」という特徴が自分を表す特徴ではないとわかっていても、自分自身が合理的であろうとします。時には自分の軽率さで笑いをとろうとでもしているかのように、自分が行った無計画で考え無しの行動を率直に語ることもあります。
彼らは何かの対象やテーマを研究する際、まずそこにシステムを見出そうとします。また、何らの教科について勉強する場合、その教科の指導が体系的であればあるほど、ESEはその教科を学び、習得することが容易になります。
ESEにとって、事実に基づく情報は最も説得力があります。通常、ESEは、本、友人、ラジオ、テレビ、インターネットなど、あらゆるチャンネルから同時に情報を収集します。討議の際、ESEはさまざまな情報源から得たこれらの事実を持ち出します。彼らがよく知られた事実に言及し、その後誰かがそれに対する反論や異論を出した場合、相手の言い分が体系的でない、ごちゃごちゃしていて混沌としているという時点で、ESEがその反論や異論を受け入れることは無くなります。このような状況では、「反論の余地がない」としか思えなかった自分の主張や結論に対して、さらに論理的かつ明確に、そして厳密に体系立てて反論できる人の話にしか耳を傾けません。
原則的に、まさにESEの議論相手を務めることが出来るのは、彼らの双対であるLIIです。LIIは、ESEの混沌とした思考を一点に集めることができる唯一のタイプなのです。LIIは、ESEの「知的な混沌」に秩序をもたらします。論理的に考えることを教え、重要な問題や課題に集中できるようにし、適切な思考方法を構築します。一言で言えば、LIIはESEの知的潜在能力の開発を助けます。LIIの影響を受けると、ESEは落ち着きを増し、集中できるようになり、賢明になります。深刻で破滅的な結果をもたらす可能性のある軽率な行動をとることがなくなります。自分の考えを整理し、体系化することによって、ESEの中には自分の周りで起こっている出来事を理解する新しい方法が生まれ、新しい展望、可能性、能力が生まれます。
第6機能(動員):Ne
新たに発見された可能性は、ESEの実用的でビジネス志向の活動を刺激し、促進します。彼らは膨大なエネルギーと熱意をもって、新しい事業や取り組みをサポートし、新しいアイデアで「光り輝く」ことができます。
ESEは、自分の人生をひっくり返すような思いがけない出来事が起こらないか、いつも期待して生きています。つまり彼らは常に奇跡を期待して生きているのです。これから何かが変わる予感がするということを、よく口にします。彼らは無意識のうちに、変化に備えているのです。ESEは、こうした変化への期待に基づいて、予定にないものを衝動買いしたくなることがあります(「ある日、私は家を出て、突然王子様に出会うのです!ところで、どんな服を着て王子様に会うんだろう…」)。
ESEは運命を信じ、より良い方向への変化を信じています。彼らが何かを始めようとする際は、運と縁に頼ることが多いです。
「他の人は幸運に恵まれているのに、なんで私は彼らよりも運が悪いんだろう」
ESEは幸運な人の存在には敏感に影響を受けます。
ESEは、自分の成功や可能性、能力について、よく語りたがります。自分に自信が持てない分野でも、自分の能力を疑うことを許さないのがESEです。「この世に不可能はない」「本気で望めば何でも叶う」といった言葉は、よくESEの口からきくことが出来る言葉です。
ESEは自分の能力が疑われていると感じたら、自分の実績や成功例について「たまたま」話したりもします。さらに説得力を高めるために、ESEは自分の成功がいかに高く評価されているか、自分の仕事に対してどれほどポジティブなフィードバックを受けているかを説明します。彼ら自身の能力と可能性というトピックは、ESEがとてもよく話したがるトピックです。ただ、こういった話をしている時のESEは、自分の話していることに疑いを向けることを恐れているかのように、積極的かつ感情的に会話相手に影響を与えようとします。
自分の子供の成功、才能、能力は、ESEにとってデリケートな話題です。子供たちの創造的な作品は、しばしばESEに深い印象を与えます。例えば子供たちの歌を聴くと、それが自分の子供であろうと他人の子供であろうと感動して泣いてしまうことがあります。
子供の教育のために金銭的投資を惜しまないSEIとは対照的に、ESEは最小限の金銭的支出で最大限の教育を子供に与えようとします。例えばESEがセラミック工房で働いている場合、絵の具や粘土を家に持ち帰って子供に与えて芸術的な才能を伸ばす手助けをしようとすることがあります。そして自分の職場の炉を借りて子供の創作物を焼くことを上司に頼むかもしれません(もし許可してもらえない場合であっても、こっそり焼いてしまうかもしれません)。ESEが値段交渉をよくするタイプなのはこれまでにも説明した通りですが、彼らは子供のレッスンの支払いも交渉しようとします。無料の「お試し」レッスンを積極的に活用したりもします。
ESEはしばしば、自分の権利が奪われ、その結果、自分の能力や可能性が奪われていることに問題の根源を見出す傾向があります。彼らは自分の失敗を、自分が受けた不公平のせいにしてしまうことが多いです。
ESEはこのように、自分の権利と、その権利が自分にもたらす可能性のために積極的に闘います。なぜなら、やや限定的な直観により、「こういった権利こそが自分に可能性を与えるものだ」と考えているからです(「あなたが私に与えなければ、あなたも受け取ることが出来ません」)(※ESE的な「倫理的な公平性」)。もしこうした権利が与えられていない場合、彼らにとってそれは社会における個人の平等な権利が侵害されていることを意味しており、それは混乱、無秩序、そして社会の合理的な基盤の破壊に繋がる可能性さえあるのです。
ESEは常に可能性の不平等について非難しています。この点において、彼らは双対関係にあるLIIによって全面的にサポートされます。
第7機能(監視):Fi
ESEは、社会が公正で公平であると言えるのは、全ての市民に平等な権利と可能性を与えている時だけだと考えています。まさにこの原則に基づいて、ESE-LIIペアの倫理的プラットフォーム(「公平性の倫理」である可能性の分配を伴う合法的な規制の遵守)であるが構成されています。
ESEは、あらゆる倫理的関心事の中でも、権利と可能性の相関関係という点には最も強い関心を向けています。なぜならこの権利が侵害されたり否定された場合、人の可能性の制限に繋がり、その結果、人が出来る限り最善な方法で自分自身を表現し、自己実現することが出来なくなってしまうからです。ESEの感覚からいうと、これは「日の当たる、自分だけの大切な場所を侵害されて、不当にそこから追い出される」ようなものです。
ESEは、不正行為の記憶を保持し、「適切な時期に」これを思い出させることが「倫理」であり、「正しいこと」だと考えています。ゲンナーディー・ハザーノフ(※ロシアの芸能人、俳優)の記念日の晩餐会での出来事は、わかりやすい例かもしれません。そこでは次々と様々な人が壇上に上がって、その日のヒーローに敬意を表し、祝福の言葉を述べ、その功労者や功績に言及していました。そしてあるESEの順番になった時のことです。壇上に上がった彼は、ある年、自分が尊敬する俳優が演劇協会に合格しなかったこと、その一方で特別な演技をしたわけではないのに、コネで合格した俳優が何人もいたことについて話しました(この晩餐会には、まさにこの「コネで合格した俳優たち」も出席していました)。もちろん、その場にいた他の俳優に対しては、このスピーチは非倫理的と言えるかもしれませんが、これこそがESEの倫理の基本原則である「何よりも公正であること」の表われなのです。ESEは、自分の可能性や能力を不当に利用している人がいる場合、良心の呵責を感じることなく、その人に石を投げることができる人々です。
ESEは(少なくとも優れたESEは)、この倫理原則に率先して従おうとします。例えば「Field of Miracles」というテレビ番組に出演したESEの人気女優は、大きな賞を獲得する成果を上げたにもかかわらず、「私がゲームに成功したのは、他の参加者からヒントをもらったからです」と言って辞退しようとしました。彼女は結局、司会者から「ヒントを使う権利は全参加者にあります。なので、あなたがヒントをもらうのは何も問題ない行為です」と言われて初めて、彼女は辞退を取りやめたのです。
ESEは「目には目を、歯には歯を」の原則に従います。彼らはこれらの概念の抽象的な方程式にのみ注目しています。善のためには善を、悪のためには悪を支払う必要があるのです。しかし、あなたの善と私の善、あなたの悪と私の悪という尺度は、何をもって通約されるのでしょうか。
ESE自身の倫理的価値に最も自然に相当するのは、常に物質的価値です。例えば、相手の寛大さの限界を「テスト」するために、ESEは非常に独特な方法を使う傾向があります(「初対面の友人と食事に行く場合、最も高価な料理を注文します。また、他の料理も含めて、どれもこれも大量に注文します。もし友人が払えない時の場合に備えて、私はいつも余分なお金を持っていきます」)。このような「テスト」の結果として相手との縁が切れたとしても、少なくとも楽しい思い出と一定の物質的な補償は確保されています(「少なくとも彼は全てのお金を私に残しました。今では全てが私のものです」)。
ESEは、LIIとのパートナーシップにおいてのみ、関係における公平性と平等性について疑問を抱かなくなります。この場合に限って、ESEは「自分が与えたものよりも、受け取ったものが少ない」と感じずに、「自分が与えたものよりも、受け取ったものの方が多い」と感じるのです。
ESEから見て長所があり、能力が高く、そして欠点が少なく感じるLIIを相手にする場合に限り、ESEは「相手がどれだけ良いことをしたのか、その対価としてどれだけ受け取ったのか」をテストして確認することをやめます。
他のタイプのパートナーとの関係では、ESEは常に関係の不公平感を感じています。ESEにとっては、「自分が与えるもの」が「受け取るもの」よりも遥かに多いように思えるのです。このようにESEは、常に自分が相手に追い越されしまっており、不公平に扱われていると感じています。その結果として「公平性を回復したい」と考えるようになり、往々にして倫理的な方法からはかけ離れた方法をとってしまうのです。
第8機能(実証):Se
ESEは、倫理的な不満を感じると、通常、意志的な感覚を優先することで補償しようとします。つまりESEから見て「既に倫理的な平等は存在せず、また、今後も実現しないだろう」と思われる場合、「平等であること」ではなく「自分が優位に立つこと」が彼らの目的になるのです。
そのためにESEは、パートナーの全ての影響力の領域と、全ての物質的価値を自分の手に集中させようとします。そして、もしそのときにパートナーがすでに敵になっていたら、パートナーの意志と活動を完全に無効にして麻痺させようとします。
主観的に「倫理的な不平等や不公平」を感じている状況下において、一部のESEは、自分の子供が先妻の子供よりも劣悪な関係に置かれているのではないかといった類の不安を抱くことがあります(「シンデレラの継母コンプレックス」)。この場合ESEは、「莫大な利益」と「明確な優先権・優位性」を獲得するという方法を介して自分の利益を追求し、「公正さの回復」を図ろうとする可能性もあります。さらにいうと、誰も異議を唱えようとは思わないほどの圧力と感情的な攻撃をもってこれを行います。(wikisocion編集者注釈:ESEの親は、自分の子供が学校の先生や課外活動の先生から不当な扱いを受けているのかと感じ、それを直接訴えかけることがあります)
LIIとの関係では、ESEはこうした状況を引き起こす原因にならないで済みます。なぜならLIIは非常に几帳面な教育方針でもって、家族の全メンバーの権利と責任を平等に分配するからです。また、LIIは誰かのために例外を作ったりはしません。
ESEは、実際に自分の利益が侵害されているかどうかに関わらず、自分の利益を守るつもりであることを、常にあらゆる場所で示そうとします。ESEにとってこうした示威行為は自分の利益を守るための予防措置です。自分の力の優位性を示し、そして実際に優位だとを証明することは、利益の侵害を防ぐうえで非常に重要なことなのです。
ESEは、他の不愉快な結果やトラブルと同様に、自分の権利が侵害されることを恐れています。そのため、他人の不正や他人の身勝手さに対する必要な相互行動としてのみ、あらゆる形態の個人的な強制的保護を認めています。そして、ESEがそういったトラブルを見逃すことはありません。このような理由から、ESEはすぐに「私は誰かに抑圧されることを許さない人間である」ということを示そうとします。
力と意志を発揮することは、ESEにとって自然な状態です。彼らにとって意志的なイニシアチブを示すことは、倫理的なイニシアチブを示すことと同じくらい自然なことなのです。彼らは誰はばかることなく自分の感情や願望を伝えて意志的なイニシアチブを取ろうとしますが、他人がそれと同じことをしないかどうかもまた、常に警戒しています。
ESEは、自分が譲歩して柔軟な姿勢を見せることを恐れています。それが自分の利益を損ねることになるからです。譲歩するのは「バリケードの向こう側」にいる人たちであって、自分や自分のチームの利益は断固とした態度で守るべきだと考えています(wikisocion編集者注釈:ESEはレーニン二分法では「頑固」に分類されるタイプです)。(※参考記事「二分法」)
ESEは、あたかも自分の行動を「見習うべきモデル」だと提案しているかのように、自分の毅然とした態度、粘り強さ、目的意識の強さを頻繁に示そうとします(ESEは、どのような障害が起きたのか、それを自分がどうやって克服したのか、他の人々から何を言われて、何を言い返したのかを、かなり詳細に語りたがる傾向があります)。
ESEは(自分から見て)弱くて受動的な人にはイライラします。しかし、ESEは自分の双対であるLIIを「弱くて受動的な人」だとは思っていません。LIIのように「自分の考え」のために自分を犠牲に出来る人は、ESEにとってすでに「強い人」です。LIIのような強い人には、「多くの損害を受けずに『自分の考え』を守るためには、どのような手段を用いればいいのか」を教えるだけで十分です。
ESEは、敵対勢力やライバルの力の優位性を正確に見積もることができます。さらに、自分にとって不利な条件で敵と直接衝突することを避けるには、どうしたらいいのかという点について、非常に鋭い先見性を持っています。双対であるLIIと組むことによって、ESEは最も合理的な手段と最も適切なタイミングで自分の意志の資質を使い、自分の損失を最小限に抑えながら自分の権利を守るための時を待つことができるのです。