双対関係であるESEの説明にもLIIに関する説明があります。
意識的な機能
第1機能(先導):Ti
公平という言葉は、LIIにとって自分を表すのにふさわしい言葉です。彼らは常に公平性を求めており、そのために情熱的な戦いを繰り広げます。LIIにとって、この世は全て論理的でなければなりません。だからこそ公正で公平でなければならないのです。LIIはしばしば、公正な社会を作るにはどうしたらいいかという命題に対して、「公正な社会を実現できる統治構造を作るために最初に必要なことは、全ての不公正な行動をする人々、つまり公正の原則に反する人々に厳しい罰則を課すことだ」といった考えを持つ傾向があります(つまり聖書で言うところの「最後の審判」的なアイデアです)。
◆◆◆
LIIの多くは、米国の独立宣言に表れているような精神を持っています(「全ての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって、生命、自由、そして幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」)。[1]
LIIは非常に民主的です。LIIにとって民主主義とは「選択の可能性における自由」を意味します。LIIは、社会の構成員ひとりひとりが、どのように行動するかを選択する完全な自由を得て初めて、自分の行動に完全な責任を持つことができるようになると考えています。
◆◆◆
LIIは、社会における秩序と規律は、恐怖ではなく良心に基づいて築かれるべきだと考えています。そのため、「違反者」への罰は、その人の良心に対する教育、すなわちその人自身のために行われるべきものであり、「どんな罰も、その人が自分の非を自覚して認めた時に初めて効果を発揮する」という考えを持っています。
LIIは、知性と目的を持って、懲罰の方法を選択しようとします。通常、LIIの考え出す処罰には教育的な要素が含まれています。LIIは人の過ちを明確な論理によって証明するので、LIIに対して異議を唱えたり反論したりすることは難しいです(この理由の一つとして、あらゆるLIIの証明は、その本質において「最高の正義」や「客観的真実」といった観念的な概念に帰着するからです)。一方で、LIIを説得したり、「LIIの考えは抽象的な概念に過ぎない。だからそれで現実の具体的な状況や条件を評価することは不可能だ」と証明してみせようとすることは難しいです。LIIはこういった考え方に対して「社会にとって危険な考え方であり、混乱や混沌を招くだけのものだ」という意見を持っています。
LIIは常に自分の正しさを証明しなければなりません。彼らは人を説得することが好きではありませんし、人にお願いすること、嘆願すること、要求することも好きではありません。LIIは、自分自身が「正しさ」を満たすことができる場合にのみ、他人にどんどん要求します。
◆◆◆
LIIは元々論理力があって分析的思考に適正がある人々です(「我思う、ゆえに我あり」)。[2]
様々なモデル、構造、スキーム、分類について考えるのが好きです。どのような現象や出来事でも、矛盾や非論理性の元となる原因を探して見つけ出します。
LIIは論理的秩序と論理的調和を目指しています。LIIの先導機能の主な要求は、客観的な真実です。これは、実用性ではなく、全体性と論理的な一貫性を考慮した基準になるものです(ヘーゲル「真なるものは全体である」)。
LIIは、一般的な状況や倫理的な状況を、論理の観点から検討します。さらにLIIは、主要な一般的規則性(「グローバルロジック」)に注意を払いつつ、余計な細部は全て排除します(wikisocion編集者注釈:これはLIIの特殊な思考形態によるものです)。[3]
◆◆◆
LIIは公正性の感覚が高度に発達しています。不当な扱いを受けた人を守るためであれば、自分の安全や利益を度外視した行動することも多いです。公正性を守るために、輝かしいキャリアを断って、社会活動に乗り出すこともあります(例:アンドレイ・サハロフ)。[4]
LIIは、自分や自分の家族の利益よりも、真実と公正性を優先させる傾向があります。
LIIは意思決定の際に、まず自分の良心を鑑みます。彼らは他人の意見に依存したり、社会的に認められている権威に依存することを最も嫌います。
一度何らかのアイデアを受け入れると、LIIは末永くそのアイデアの忠実な、そしてかなり狂信的な支持者になります。彼らは自分の思考と行動をそのアイデアに従わせ、さらには自分のライフスタイルもそれに従わせようとします。
こうした場合、LIIが最も軽視し始めるのが「世論」です。自分の思想のために戦った結果として、自分の思想と社会の主流な意見が一致する状況になった場合(例えば反体制的な思想を持ったLIIが最終的に「自由の国」に辿り着いた場合)、他の人と同じように自分がこれから生きていかなければならないことに、ある種の失望感を覚えてしまいます。
「思想のための闘争」という要素が人生から無くなった時、LIIはどこか虚しさを感じてしまいます。何かと闘っている状態が当たり前になりすぎて、闘争そのものが生活の規範として必要なものになってしまうのです。
こうした場合、LIIは社会を「良くする」ことができる新しい進歩的なアイデアを探し始めます。そうして見つけた新しいアイデアが、以前のアイデアほど広がりや壮大さがなく、それほど自己放棄を必要としないものであったとしても、LIIはそのアイデアを使って自分の中の虚しさを埋め、それで満足します。
LIIは矮小な「おもちゃ」のようなアイデアに惑わされることはありません。十分にスケールの大きなアイデアが見つからなければ、「他の人と同じように」生きるのも仕方ないと諦めます。
LIIは社会的、政治的な活動をよく行います(これはアルファ・クアドラとベータ・クアドラに共通する性質です)。彼らは、自分が住んでいる社会の問題に常に心を動かされ、周囲の社会的・人道的な問題に関心を持ち、心配しています。
LIIの結論は通常ゆるぎないものです。彼らは「論理的なもの」が「悪いものであるはずがない」と確信しています(「知識は世界を救う」)。LIIは人間についての知識の範囲を広げるのではなく、深めることに特化しています。
◆◆◆
いつも貪欲に新しい情報を探しています。情報の信憑性や信頼性には注意を払います。何か重要なことを調べる時は、人に聞くのではなく、本や記事、研究論文、図表などを参考にしたいと考えます。疑わしい情報、怪しい情報は参考にしないように注意しています。
「摂理は静かな事務作業のために私を創った」(トーマス・ジェファーソン)
友人と対話するより、本と対話するほうが楽しいと感じることも多いかもしれません。
第2機能(創造):Ne
LIIの先導機能Tiは、特定の抽象的プロジェクトを、具体的に存在する状況に適用させるにはどうしたらいいのか、その可能性を模索するために発揮されます。
「極めて公平なプロジェクトの創造者」として、また、「客観的な真実の理論の創造者」として、LIIは自分の論理性をどのように生かすべきかを考えます(どうやって理想的な論理的秩序を実現したらいいのか、どういった条件の環境には、人為的な手を加えなければならないのか、そしてどのような条件のメンバーをもっと引き上げるべきなのか等)。
LIIは、他でもない自分であれば、社会的なアイデアを生み出すために、特定の状況を抽象化し、それらを変更したり調整したりすることができると考えています。しかしLIIが実現しようとした多くの「理想化された概念」は、現実の具体的な社会状況と衝突してしまい、もし仮に実現できたとしても、部分的にしか実現できなかったり、歪んだ形になってしまっていたり、時には道理に合わない形で実現されてしまったりします。
◆◆◆
LIIの社会思想は、彼らの思想と現実の社会状況との間に矛盾がないほど、よりうまく実現されます。歴史が証明しているように、社会の物質的豊かさのレベルが高ければ高いほど、LIIの普遍的な平等と公正のアイデアを導入することが容易になります(この点については、フランス革命やロシアの「軍事的共産主義」の時代の社会主義と、スウェーデンで採用された社会主義を比較すれば理解しやすいかと思われます。高い物質的豊かさという条件が満たされている後者の社会主義は、LIIの思想が模範的な形で実現された例だと言えるかもしれません)。
LIIのTiは、個々の状況における可能性の追求が成功すればするほど、よりうまく発揮されます。そしてこうした可能性の追求は、先述した通り可能性の直観であるNeの柔軟性と操作性によって行われます。
LIIのNeによる直観は、「個々のアプローチの方法」や「可能性の平準化の方法」などの「ツール」を創造的に使用し、個々の可能性を調整することに帰結します。LIIによる調整の元で、弱者は強者に合わせて「引き上げられます」。最後の一人が最初の一人になり、何者でもなかった人が全てになります。一方で、強者の可能性は弱者にも手が届く範囲にまで「抑制され、制限されます」。このような調整の結果、社会は「色鮮やかな平凡が花開く」社会システムになります。そこには目に見える形の矛盾もなければ、鮮やかに表現された個性もほとんどありません。
◆◆◆
LIIは常に、「公平性」と「客観的真実」(これはどちらもLIIの個人的な主観が色濃く反映されたものです)についての彼自身の理念に照らし合わせながら、社会の可能性を調整しようとします。
そのため、あるLIIは、自分の子供たちに(他の人が受けるよりも悪くない)幅広く包括的な教育を与え、人生で自分の居場所を見つけるための十分な可能性を提供することが必要だと考えるかもしれません。そして別のLIIは、自分の家族全員に車と住む場所を提供する必要があるとは考えますが、自分の子供に幅広く包括的な教育を与えることは、とんでもない贅沢であると考え、その上、彼は自分の子供の教育のためにお金を使い果たしている「同一」の隣人 [5] を批判するかもしれません。
このタイプの人々はそれぞれ、何が「標準」で何が「贅沢」なのかについて、主観的な理解を持っています。これは各人の生い立ちや人生経験の影響を受けて形成されます。
◆◆◆
LIIは通常、個人的な能力の開発に真剣な注意を払います(「人それぞれが自分自身を教育する」)。彼らは能力開発の良し悪しを、原則的に「その能力を得たとして、どの程度現実に応用できるか」という観点から評価します。例えば、ある人が新しい職業に就くための訓練を受けたとしたら、LIIはそれを歓迎します。しかし高齢者が最後のお金を使って芸術や音楽の教育を受けることは、LIIからすると、控えめに言っても軽薄な印象を受ける行為です。
通常、LIIは具体的な状況ごとの客観的条件を十分に正確に評価し、各人の可能性を見積もっています。LIIは、その状況判断に基づいて客観的・主観的なチャンスを算出する方法を知っているので、誰に何がどのような状況で「チャンスがやって来る」のかを常に把握しています。
また、LIIは自分自身の可能性と能力を正確に見積もるのが、かなり得意です。そのため、自分の能力を発揮するのに適した状況が見つからず、そんな状況がすぐに好転する可能性もない場合(近い将来、革命が起こらなさそうな場合)、LIIは黙って有利な状況になるのを待ち続けるか、あるいは自分の個人的な能力や可能性を既存の客観的な状況に適応させようとします。いずれにしても、LIIは通常、他人の不当な成功を羨むことはあっても、「自分の不運」や「自分が成功していないこと」を話題にして不平を言うことはありません。
◆◆◆
彼らは自分の失敗の経験を分析できますが、それを率直に認めたりはしません(これは多くの直観型タイプに特徴的な傾向です。その目的は、過去の失敗の重さを自分自身で「引きずらない」ことにあります。直観タイプにとって過去の失敗の重さは、将来の潜在的な成功を妨げ、自尊心を低下させ、不安にさせてしまうものです)。LIIは、自分の失敗や人生の問題に対して「哲学的」に関わります。
LIIは通常、「既に知られている条件や状況、目に見える法則や規則性」以外にも、世界には「目に見えない、隠れた法則やパターン」があり、この両方が共に世界全体を構成していると考えています。LIIは、目に見える具体的事実の背後にある、これらの一般的な規則性やルールを認識できます。
第3機能(役割):Fi
コミュニケーションや社会的交流において、LIIは十分な対応力を持ち、礼儀正しく、他人の幸せを祈ることが出来る人です。誰に対しても分け隔てなく、正しく、礼儀正しくあろうとします。「誰にでも礼儀正しくすること」は、他人や自分自身のために守るべき倫理的な規範や基準であると認識しています。彼らは人に干渉して新たな問題を起こさないようにしています。LIIは自分の権利と他人の権利を守ります。
◆◆◆
LIIは、自分にとって不都合で不快な人間関係から身を守ろうとします。そうした不愉快な社会的交流よりも、むしろ快適で知的好奇心を満たす孤独を好む人々なのです。
LIIのコミュニケーションは率直でわかりやすいほうです。彼らは社交辞令的なコミュニケーションは好きではありません。そして自分が共感できない人がいた場合、それをわざわざ隠す必要はないと考えています。
社会化を強制されることや、社交辞令としての訪問は好みません。LIIにとって自分の時間と感情的な努力は決して安くないものです。誰かが強引に自分を友達にしようとすることも嫌います。
嘘や偽善には非常に敏感です(LIIは、論理的にも直観的にも敏感に感じ取ります)。そして、そういったことをされるとLIIはむしろ冷たくなり、すぐに相手と大きな距離をとろうとします。
LIIは、犯罪と違反、そして自分自身や他の人々に対する無知と不公平の気配を決して忘れません。
LIIにとって、個人的・倫理的な関係を形成することは困難なことです。LIIの理解は基本的に「規範的な行動倫理」に基づいています。そして、LIIにとって規範を超えて状況に応じた個人的・倫理的な理解をするのは難しい事なのです。[6]
◆◆◆
このタイプの人々は、「倫理的に」という概念を「公正に」「正当な」という概念に置き換え、「公正な倫理」を求めて戦いますが、その結果として極めて非倫理的な状況に陥ってしまうことが多いです。[6]
例えば、誰かにパンをめぐんだ人がいたとします。ほとんどの人は、「パンをめぐむのは倫理的に正しいことだ。それを非難するのは、倫理的に間違っていることだ」と思うかもしれませんが、LIIの場合、これを「公平性に対する挑戦」だと見なし、「公平性」を取り戻すための戦いを始める可能性があります(「他人に寄生するような行為を助長するのは問題だ!」)。[8]
LIIは頻繁に「倫理的」という概念と「公平」「正当」という概念を混同してしまい、良い奉仕を受ける個人的な権利を持つための「倫理的条件」を抽象化しています。これでは相互の奉仕を期待することは可能ですが、誰かに奉仕を要求することは不可能です。[9]
「客観的公正」を倫理的な領域の基準にしてしまったLIIには、「どんな人であっても、人は生まれながらにして倫理的権利を持つ」という考え方が通用しません。LIIは、基準を満たすことを、すなわち権利を主張する前に倫理的義務を果たすことを人々に求めます。[10]
LIIの理解では、良いサービス(奉仕)には適切な報酬が与えられなければなりません。そうでなければ不公平で不公正なものとなってしまうと彼らは考えています(例えばある中小企業に勤めるLIIは、他の従業員を代表して次のような要望をするかもしれません。「ホリデーボーナスに小さくて安いプレゼントを支給するのではなく、大企業と同じように、それなりの金額の報奨金を支給してほしい。なぜホリデーにお金の報酬を得る人がいる一方で、我々はキャラメルやチープな菓子で満足しなければならないのか。これは不公平じゃないのか」)。
◆◆◆
LIIは、不当な扱いに感情的・倫理的な譲歩を見せることはありません(自分の場合に限らず、不当な扱いにあっているのが他人の場合であっても、LIIにとってそれは許しがたいことだと感じます)。
LIIがどんな努力をしても、あからさまに正義を侵害されているような状況が改善できず、正義を取り戻せない場合、彼らは自分の損失を最小限に抑えてその場を去ろうとしますが、場合によっては、自分が受けたと思われる損害を独自に補償するために、意志の力 [11] を行使して「これを対価として受け取る権利がある」と彼らが信じているものを奪い取ることがあります(「殴られる準備は済ませたか。先に殴ってきたのはお前だ」)
また、自分の力で「補償」を受けることができない場合、LIIは自分の損失の補償を公然と要求することもあります。これはいかなる状況においても、彼らは自分が不公平に扱われている状態を看過するつもりはないからです。
このような理由から、LIIは頻繁に物質的損害と道徳的・個人的損害の概念を交換し、互いに置き換えています。
例えばある学生グループが、全員分のお金を集めて食べ物を買い、みんなでそれを共有しました。LIIの少女は、他の人の食べる量が自分の食べる量よりずっと多いと感じ、「自分が物質的に、そして道徳的に軽視されている」と感じて「私は酒を飲まないし、肉や菓子もそれほど食べないのに、みんなと同じ金額を払うのは不公平だ。最初に払ったお金の一部を返してほしい」と言い出したのです。
結果的にこの少女はグループ内で浮いてしまいましたが、彼女はなぜ自分が浮いてしまったのか理解できませんでした。
◆◆◆
もちろんLIIの行動の倫理性や適切性は、多くの点で、その人の生い立ちや、その人が心理的に志向したメンタリティや倫理的価値観に左右されます。しかしLIIは、自分の双対であるESEの倫理の形も志向しています。ESEは、まさに倫理的公正性の原則に基づいているタイプです。
LIIはまず第一に、機会の配分の公平性をチェックします。人がみな、平等な権利を与えられている以上、誰かが機会を不平等に分配するという暴挙は許されません。早く食べられる人は、ゆっくりしか食べられない人のことを考慮する義務があるのです。
能力の高い人が、能力の低い人のことを考慮しない世界は「弱肉強食」の世界です。LIIにとって、これは「間違った世界」です。
◆◆◆
LIIは、自分自身の可能性や能力を、自分から率先して乱用することはしません。これは先導機能Tiの目指す理念に反する行為であり、彼ら自身にとって許しがたい悪行です。
また、個人の可能性だけでなく、個人の権利を乱用することも、(たとえそれが全ての人に平等かつ公平に分配されているように見えたとしても)非倫理的であると考えています(LIIにとっての「個人の権利の乱用」の例:「あの音楽家一家のために、私たちは引越ししなければならなくなりました。もちろん彼らには朝から晩まで演奏する権利がありますが、私たちは静かに暮らしたいのです。私たちの子供まで、あの音楽家一家に合わせて朝から晩まで起きていないといけないというのですか?」 )。
LIIの名誉のために言っておくと、彼らは自分の問題を解決することだけを考えているわけではありません。LIIは常に、他人の権利と利便性を考慮しています。
LIIは、その倫理的配慮に基づき、社会の全ての構成員が例外なく物質的な財を有効に(平等に)分配しているかどうか管理し、チェックしています。
例えばLIIが養子を育てている場合、養子には自分の実子と全く同じ権利と責任が与えられます。
「姉と私は子供たちのためにピクニックを企画しました。全ての食べ物は平等に分けられ、全員が2つのコートレットと1つのペイストリーを手に入れました。私の甥(つまり姉の子供)にとって、1つのペイストリーは少なすぎるようで、彼は別のペイストリーを要求し、おまけに癇癪を起してしまったのです」。[12]
どのような倫理的状況においても、LIIは、自分自身の権利と周囲の人々の権利や可能性の相互尊重、比較、および釣り合いに基づく原則に依存しています。
そしてまさにこの理由から、LIIにとってのベストパートナーは、同じ原則に基づいた関係性の倫理(Fi)を持つESEだと言えるのです。
ESEは、LIIにとって完全に信頼できる唯一の倫理タイプであり、LIIにとって「自分を軽視しているのではないか」「自分に不当な扱いをしているのではないか」と感じずに付き合うことができる相手でもあります。
ESE以外のタイプとは、LIIはこの点で完全な相互理解に至ることは出来ません。
第4機能(脆弱):Se
LIIが許せないものは、暴力や理性を欠いた勝手気ままな振る舞いです。こういったものは不公平、不正の元になるものであり、全ての不幸や悪の元凶であると彼らは考えています。
LIIからみて不公平なもの、そして暴力による独裁に対して、LIIは断固として反対します。
そしてLIIは自分自身の思想、すなわち「人は自分自身の倫理性・公正性をふりかえり、積極的に自分の倫理性・公正性を高めなければならない」という思想を、あらゆるところに浸透させようとします(このときのLIIはSe的、つまり威圧的・暴力的であり、「公平の独裁者」とさえ言えるほどです)。
LIIによる独裁の圧力は、何らかの理由でこのような性質(倫理性と公平性を自分で伸ばそうとする性質)を自分にもたらすことができない人、つまり「捕食者」にのみ適用されます。LIIは、意志的(Se的)な方法で他者に影響を与えることは、それが公正かつ公平なものであれば、正当化できると考えています。
◆◆◆
LIIは、権力、力、影響力の乱用を非難します。粗野な圧力、権威による押さえつけ、命令的な口調を許容せず、強引に影響力を与えようとする試みに抵抗します(意志的、倫理的に)。
こうした圧力でLIIに言うことを聞かせようとしても無駄です。LIIは他人から圧力をかけられた場合、必ず反抗するため、衝突は不可避です。たとえ彼らの命を脅かすような圧力であったとしても、暴力には屈しません。LIIは、彼らを辱めるような人、彼らに害を与えるような人を決して許しません。
LIIは、他人が自分の権利を侵害することを許さず、即座に抵抗します(一種の予防策として)。
LIIは意志的(Se的)な圧力に耐えるだけではなく、強引な行為から自分を守ろうとします。この際彼らは、他人からLIIに加えられた圧力を上回る圧力をもって反撃することが多いです。
例えば、他人からちょっとした支援や手伝いをするよう押し付けられた場合、LIIはこれを断固として拒むかもしれません。
なぜなら、一度勢いに流されて支援や譲歩をすると、今後「LIIが支援したり譲歩するのは当たり前」というような関係性が構築されてしまうかもしれないと彼らは危惧しているからです。これはLIIにとって不公平な関係です。
自分の土地の保護もLIIにとって重要な問題です。見知らぬ他人が勝手に自分の敷地に入るのは許しがたいことであり、侵入者を排除するためであれば、LIIは無礼で、無愛想で、つっけんどんで、思いやりのない態度をとることも辞しません。LIIは招かれざる客、望まれざる客を警戒しています。なぜなら、そうした客は自分の時間、資源、空間を「盗む」存在であり、個人の自由を侵害する存在だからです。
◆◆◆
LIIは、自分が予想できていなかった突発的なプレッシャーには弱いです。このようなプレッシャーに晒された場合、LIIはしばしば理不尽なほど過剰な譲歩をしてしまいます。そして後になってから後悔し、分析して、今後はもっと先見の明を持って慎重に行動し、同じ過ちを繰り返さないようにしようと考えます。
LIIは、自分自身に対して意志的な行動の前例や理由を与えることを恐れています。それゆえ、時にスキのない人間に見えることがあります。自分の弱さに他人が触れるのを嫌がるタイプであり、弱虫や不平を言う人、同情を誘おうとする人のことはあまり好きではありません(LIIは「安っぽい」感情的なトリックを嫌います)。
それと同時に、LIIは弱者に力を振りかざすようなことも許しません。彼ら自身、言葉と説得によって人を動かそうとします。よほどでなければ身体的な罰は使用しません。
◆◆◆
威圧的な口調で話すのは難しいです。LIIは、傲慢な態度でコミュニケーションをとろうとするタイプではありません。しかし普段の自制心が緩んだ拍子に爆発して、突然、かなりきつい発言をすることはあるかもしれません。
上司の前で委縮したり媚びたりすることはありませんが、逆に自分を過大に見せたりもしません。誰かがLIIに声を荒げて何かを言ってきた場合、LIIは意識から相手のことをそらしてしまいます。そのためしばしばLIIは他人からの指摘を耳に入れない人という印象を人に与えます。
LIIは、押しつけがましいアドバイスや道徳的な話をはっきり無視します。特に「私は物事がどうあるべきかをいつも知っている」と言わんばかりの人のことを嫌悪しています。
◆◆◆
LIIにとって、断固として自己主張するのは非常に難しいことであり、精力的になることも難しいことです。「声を張り上げながらエネルギッシュに道を切り開いていく」というのが自分のスタイルではないことを、LII自身よく知っています。
LIIにとって自分の権威性、意志の強さ、毅然さを態度にはっきり出すことは常に不愉快なことです。
自分のためであってもなかなか強引な行動をとれないLIIは、毅然とした態度を取れる人を尊敬します。
LIIの意思の力がどの程度あるのかという話題は、LIIにとってあまり触れられたくない話題です。
◆◆◆
基本的にLIIは、このテーマ(Se、意志の強さ)の会話を避けようとします。LIIが権利のために戦う際、彼らは常に自分自身に相当な負荷をかけ続けているような状態になっています。その結果、肉体的に緊張しすぎた状態になってしまうことがあります。
このような状態はLIIにとって不快なので、極力避けようとしています。自分の力と可能性、かかっている負荷、消耗する気力を計算し、適切なタイミングで休息をとろうとします(LIIがこうした行動をとるのは、自己保存本能のためです)。
LIIは「娯楽番組の見過ぎ」にも抵抗します。
LIIのパートナーが双対であるESEである場合、こうしたLIIの抱える意志の力(Se)に関する問題は、自然に解決されます。ESEのエネルギーと活動力によって充電され、常に感情と肉体の調子をサポートしてもらえるためです。ESEは身体的、感情的な負荷を柔軟に分散することができます。それによってESEはLIIの活動状態と興奮状態を、低すぎもせず、高すぎもしないような最適なレベルに保ちます。
ESEは、自然な形でLIIの活動を活発にできる唯一の存在です。ESEは挑発や「からかい」を通して人を楽しませることも、それを止めて静かにすることも自由自在に出来ます。そのおかげで、彼らはLIIにとって最適な条件で、仕事やレジャーのムードを作り出すことができます。ESEはLIIの利益を守るために、そして自分たちの考えや意見を守るために必要な能力を持っています。LIIだけでは乗り越えられないような困難であっても、ESEとLIIが組めば簡単に乗り越えることができます。
ESEとLIIが正当な利益を守ろうとする時、彼らの目の前には障害物などありません。歴史が示しているように、LIIの考えは、ESEの意志的な力に支えられて、人気を勝ち取ることができるのです。
無意識的な機能
第5機能(暗示):Fe
LIIの特徴は、感情を理性に従わせることです。しばしば彼らは、確固たる、揺るぎない、合理的な、強調された自制心と抑制のある人という印象を与えます。
感情的なストレスや緊張状態を非常に嫌います。喧嘩、ヒステリー、スキャンダルを嫌いすぎるあまり、自分の強みを損なってしまうこともあります。
◆◆◆
関係の初期段階では、LIIは対人関係において大きな距離を保つのが特徴です。相手の倫理観がLIIの主義主張と一致していると確信した場合だけ、人間関係の距離を縮めます。相手から何らかの情報を得ても、それが納得できないように感じる場合、LIIは相手の気持ちを試すような行動をとることがあります。
LIIは、自分に共感を示してくれるだけでなく、自分を気遣ってくれる人を信頼する傾向があります。
LIIは人間関係を整理するのが好きではありません(「なぜそんなことをする必要があるのでしょうか」)。LIIは、誰かが次の瞬間に何をするのかということを容易に予想します(優れた直観を持つタイプであるため)。LIIは、彼らの潜在意識に組み込まれている感情的な「インディケーター(信号表示器、計器、指示薬)」(これはLIIの双対であるESEの感情の使い方を志向しています)を通じて、他人が自分にどのように関係しているかを常に感じたり、疑ったりしています。そして彼らの「インディケーター」に合格しない感情は、誇張されていたり、十分に表現されていなかったり、わざとらしく偽りがあったり、不誠実で不自然であったりという風に、何らかの不備や不足があるものだと認識されます。
◆◆◆
時にLIIは、無神経で、感情がなく、思いやりのない人という誤解を招く印象を与えます。実際には、LIIは見知らぬ人であっても同情することができますが、自分の援助が本来の意味で解釈されずに受け取られたり(例えば相手を慮って行った譲歩を「押しに対する弱さ」だと受け取られたり)、適切な形で使用されていない(例えば支援したお金を、生活必需品を購入のためではなく、贅沢品の購入のために使われてしまう)と判断した場合には、家族への援助を拒否することがあります。
LIIは、他人の感情や気分を非常に注意深く観察しています。自分に同情的な人がほとんどいない場では、彼らは自分自身を抑制し、控えめにしています。
しかし、率直な陽気さ、誠実な心遣い、魂のこもった温かさ、心地よさを感じる雰囲気の中に身を置くと、LIIは自分自身を「解凍」します。ポジティブな感情を充電し始め、リラックスした態度をとるようになります。こんな時のLIIは、とても興味深い話ができる魅力的な人々になります。文字通り、陽気で魅力的な笑顔を見せ、洗練されたウィットに富んだジョークを飛ばし、様々な楽しい話や逸話で友人を楽しませてくれます。
その楽しさといったら、聞いた人はLIIの話を覚えておいて、後で誰かに話したいと思うほどです。感情的に高揚した状態のLIIは、すぐに周囲の人々の共感を得て、簡単にグループの精神的な支柱になります。そして共に過ごした人々に、忘れられない楽しい思い出を与えます。
◆◆◆
LIIの外面的な厳しさや冷たさは、彼らの内なる繊細な心の防壁にすぎません。ESEはそのことを誰よりもよく理解しています。LIIの近寄りがたい外見的な抑制は、一見乗り越え難い高い壁のように見えます。しかしESEはむしろ、そういった類いの困難を克服することに、しばしば喜びを見いだします。
LIIの壁はこうしてESEの心に火をつけるだけでなく、相性の良いパートナーを見つけるための「試金石」としても機能します。外面的な氷冠を溶かすために必要なのは、特定のタイプと性質の感情的な流れ [13] として表現された、深く誠実な魂の温もりです。
ESEは、彼ら特有の誠実な感情の炎とエネルギーで、LIIの「近寄りがたい砦」を襲撃し、その「冷たさ」を溶かしてしまいます。ESEは自分の感情を表に出すことを躊躇しないタイプですが、それでも十分に機転を利かせて感情表現を行います(LIIは自分に対するいかなる暴力的な圧力や強要も許容しません)。ESEは、美的に、知的に、センスよく、パートナーの気持ちや都合を常に気にかけながら、自分の感情を表現します。
ESEは全ての感覚・倫理タイプの中で、最も最適な形でLIIに感情的な影響を与えることができます。ESEと一緒にいる時だけ、LIIは自分が穏やかで守られていると感じます。そんな時だけ、LIIは本当にリラックスできるのです。
第6機能(動員):Si
LIIにとって、パートナーから常に心配や気遣いを感じることは、非常に重要なことです。
彼らの理解では、「愛する」ということは「気にかける」ということと同じ意味の言葉です。もしパートナーが自分の便利さ、快適さ、感じていること、ライフスタイルに適切な注意(LIIの主観で見た場合の「適切」)を払わない場合、LIIはパートナーが本当に自分を愛しているのか、わからなくなってしまいます。パートナーから気遣われ、配慮され、保護されればされるほど、LIIはパートナーの望みを積極的に叶え、パートナーの問題を熱心に解決していけます。
◆◆◆
LIIは、自分で自分の生活を整理し、快適さや幸福のために自分で何とかしなければならない状況には、イライラして疲れてしまいます。
家庭での日常生活では、LIIは非常に従順で、シンプルで気取らない性格です。家庭内の問題をあまり深く追求しません。
LIIの女性は(たとえ専業主婦であっても)、家庭内の仕事を二の次にします。家庭をきちんと整理整頓しなければならないというのは、LIIにとって苛立ちを感じる問題です。それは、自分の時間と体力をあまりにも多く要求するうえに、その結果があまり満足のいくものではないように思われるからです。
LIIが家事や雑用をすることに喜びを感じるのは、それが自分の思考を妨げたり、芋づる式にやらなくてはならないことが出てこない場合に限ります。
LIIの中には、職人や料理人が多くいますが、彼らは自動的に終わらせても質が落ちないレベルで仕事を管理しています(頭で考え事をしている間、手は「自動的」に動いています)。
そのため家で一日中、簡単な自動作業をしていても、LIIは疲れを感じません。
休日に、楽しい気持ちでホームパーティーの料理を準備することはありますが、LIIがゲストとして招待するのは、限られた親しい人たちだけです。
◆◆◆
このタイプの人は、控えめで保守的なスタイルが多く、服の色も中間色や落ち着いた色を好みます。LIIの服装の謙虚さは、時に刺激の鈍さへと変化します。
他の直観的なタイプと同様に、LIIは最も相性のいい色の組み合わせではなく、似たような色の組み合わせをよく使う傾向があります(例えばグレーにくすんだオレンジ色や緑色などを組み合わせた結果、全身がぱっとしない色になってしまいます)。
LIIの服装は、双対であるESEのコーディネートを受けたとき激変します。ESEはLIIの個性的な魅力を引き立てるような服をコーディネートします。双対であるESEの審美眼とセンスによるサポートなければ、LIIはしばしば魅力のない「灰色のネズミ」のように見えます。
LIIにとって、健康的なライフスタイルとは、それ自体が目的になるものではありません。彼らにとって、健康的なライフスタイルは仕事をするのに十分な体力を保つために必要なものです。「たくさん働いても疲れないということは、健康に問題がないということであり、何も心配することはない」と彼らは考えます。
LIIは、パートナーが自分の健康を心配してくれることを望んでいます。というのも彼らは潜在的に双対であるESEの創造的な感覚機能(創造機能としてのSi)を志向しているからです。
また、LIIにとって親しい人の健康は最も重要な問題です。
第7機能(監視):Te
LIIは、普遍的な平等と公正の考えを、仕事やビジネスの領域に持ち込みます。
そのため彼らの興味は、まず第一に物質的な財の公正な分配と、公正な生産的関係の問題に向けられることになります。
お互いの約束を守ること、労使協定の公正さ、労働者の権利の保護、公正な労働条件、これらはLIIの主要な悩みであり、関心事でもあります。
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LIIは、個人的な条件や都合とは関係なく、常に自分のグループの権利を守ろうとする人々です。具体的には、物価指数の変動や労働生産性の向上に応じて、自分の意思で労働条件の改善や全労働者の賃金の引き上げを雇用主に要求します。また、生産基準の公正な配分や、病気による休業保証、休暇の公正な支払いを実現しようとします。
LIIにとって、人権の保護は最も重要なテーマです。
しかしLIIが「誠実な方法では自分の権利を守ることができない」と最終的に確信したような場合、彼らは自分が一種のロビン・フッド(義賊、無法者の比喩)であると感じ始めます。そして非合法的で不誠実な方法も取り入れながら、自分の正当な利益を勝ち取ることを、自分自身に許してしまうのです。
例えば、あるLIIは自分の権利を守れそうにないと絶望した後、法律上は解雇する権利を持っていない経営者に対して自分を解雇するように迫りました。そしてそれを受け入れさせることで、会社に1.5年分の賃金という多額の賠償金を支払わせるように仕向けました。
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LIIはワーキンググループを管理し、従業員の創造的なイニシアチブと能力を引き出すことに重点を置いています。
人々の資格のレベル、実務経験の期間、経験の種類、受けた教育のレベルを徹底的に分析し、誰にどの程度のレベルの仕事を要求できるかを把握し、人それぞれの能力に応じた要求をするようにします。あらゆるイニシアチブを奨励し、それをグループ全体の利益に繋げようとします。
LIIは、仕事を進める上で最も合理的な方法を素早く見つけ出し、自分の経験を周囲の人々と積極的に共有します。このような「経験の交換と仕事の相互扶助」が、仕事上のあるべき人間関係の姿であると考えています。
ただし、自分の仕事のやり方を他人に押し付けたりはしません。LIIは経験の交換というテーマについて頻繁に話したがるほうです。ワーキンググループでの相互理解や相互援助がない場合、これを厳しく非難します。
同僚との関係は、常に良好で適切な状態に維持しようとします。これは、グループ内の心理的環境が自分の仕事への適性に悪影響を与えてはならないと考えているためです。[14]
LIIは誰かが良い仕事をしてもあまり褒めません。これは、良いことやポジティブなことは、すでに明らかになっていて、皆この点については当然理解しているものと考えて、いちいち話そうとしないためです。LIIは、欠点や未解決の問題に注意を払います [15]。
ただし達成した仕事についての報告では、ポジティブな結果について言及するのを忘れないようにします。
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LIIは非常に几帳面です。彼らは何事にもシステムを見つけようとします。それが仕事を成功させるためには不可欠な条件だと考えているからです。
LIIの仕事は正確で緻密です。細部まで入念に調べ上げて作業します。誰かを盲目的に信用するのではなく、自分の仕事についても、パートナーの仕事についても両方をチェックしようとします。
しかしそれと同時に、LIIの仕事ぶりを他人からチェックされるのは「余計なお世話だ」と感じる傾向もあります。
物事を最後までしっかりやり切ることが得意で、粘り強いタイプです。あらゆる仕事・課題・問題に対して、最後までやり遂げようとします。未完成のまま放置するのは嫌いです。
また、グループディスカッションや検討のために、中間結果を提供することを嫌います。
LIIは、現在の仕事がまだ終わっていないのに、別の仕事やプロジェクトを割り当てられることを嫌います。複数のプロジェクトを同時にこなすことは出来ません。
自分の仕事を全部やるのにどの程度時間がかかるのか、かなり正確に推測することができます [16]。そのため余程のことがない限り、LIIは期限内にきちんと仕事を終えることができます。
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「日々の生産性をもっと上げてほしい」という要望をされても、LIIは聞き入れません。もしこのような要求をされても、LIIは単に無視するか、または仕事の終了時間までに、負荷なしにやれることができる程度の量の仕事だけ引き受けようとします。
だからといって彼らは「とにかく自分にめんどうな仕事が回ってこないようにしよう」と画策しているわけではありません。LIIは仕事の時間を大切にしており、非常に効率的かつ合理的に時間を使うことができます。
それでも仕事の生産性をもっと上げるよう要求されるのが嫌な理由は、誰かに搾取されたり、相応の対価なしに労働条件を厳しくされたりすることが許せないからです。
第8機能(実証):Ni
LIIの時間は、彼の知的で創造的な追求のためにあります。そのため、LIIは自分と他人の時間を非常に大切にします。LIIは時間をきちんと守るタイプです。そして、自分と同じように時間を守れる人のことを評価します。
彼らは慎重かつ先見の明を持って日々の計画を立てています。その計画は通常、LIIが最初に意図した通りの形で、正確に実現されます。
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LIIは急ぐことを好みません。彼らの時間感覚は鋭く、上手く時間配分した計画を立てるのも得意です。騒がしいのが嫌いで、自分にとって最適な生活リズムで生活することを好みます。
LIIは時計の針のように一定のリズムで動く人々です。焦らず合理的に働くことで、彼らは多くのことを成し遂げることができます。
「慌てず騒がず」という原則に従って生きているLIIは、時間通りに目的地に到着し、時間通りに全てを行うことができます。動作が緩慢に見えるほうですが、彼らは本質的に深い合理性に基づいて行動しているため、実際のところは「緩慢」ではなく、ほとんどの場合において最適なペースで行動しています。
この性質のおかげで、LIIは彼らの双対であるESEを、余計なストレスや焦り、騒乱から解放し、最適なリズムと最適なタイムスケジュールで行動するよう支援できます。LIIはESEをリラックスさせ、落ち着かせることができます。
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LIIは空き時間を有効に活用します。例えば失業期間を利用して有益な資格を取得したり、外国語を勉強したり、独学で法律を学ぶなどして、別の職業に就いたりすることができます。
また、自分の自由な時間をとても大切にしています。彼らにとって自由な時間とは自分へのご褒美です。
LIIは自由な時間を手に入れると、それまで十分な時間を取れなかったせいで出来ていなかった活動、例えば創造的な興味を追求したり、教育と自己研鑽に励んだり、リラックスしたり、趣味に没頭したり、快適さと知的さに満たされた余暇を楽しんだりといった活動のための時間に充てようとします。
LIIから自由な時間を奪うということは、ご褒美を強奪することと同じことです。
これと同じことはESEにも言えます。ESEは、LIIの時間に対する実証的な直観を志向しているため、LIIと同様に他人の時間を大切にし、自分の時間を勝手に奪われないようにしています。
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LIIは社会生活における歴史的なパターンや規則性についてよく理解しており、「時間のつながり」を見ています。
LIIには自分を取り巻く環境のネガティブな傾向に注意を向けるという特徴があります[17] 。
直観的で論理的な洞察力を持つLIIは、様々な社会問題を適切なタイミングで理解し、深く分析することができます。LIIとは、社会問題にタイムリーな警告を発し、適切な解決策を提案できる人々なのです。
訳注
- ^ 1776年アメリカによる独立宣言の冒頭の一文。
- ^ 「我思う Je pense」の「pense」は「考える」という意味。
- ^ LIIの認知スタイルはホログラフィックである(Gulenkoによる分類)。これは分析的で、否定的で、帰納的な認知スタイルだとされる。
- ^ アンドレイ・サハロフは物理学者。旧ソ連で行われていた水爆開発に深くかかわっていたが、人生の後半では人権活動家、反体制運動家になる。
- ^ 上述の、子供に幅広く包括的な教育を与えているLII。ソシオニクスでは同じタイプ同士の関係を「同一」関係という。
- ^ 第3機能は2次元性であるため、「経験」と「規範」のパラメータは持つが、「状況」と「時間」のパラメータは持たない。用語の意味については記事「機能の次元」参照。
- ^ 詳しくは記事「機能の次元」参照。ソシオニクスのモデルAの第3機能、第6機能は2次元性であり、第4機能、第5機能は1次元性である。これら低次元性の機能に関係する問題を上手く解決できない場合、人は自分の得意な機能でゴリ押ししようとする傾向があるとされている。LIIの場合、低次元性のFiに変わって高次元性のTiで無理矢理問題解決しようとする。余談だが、逆に高次元性Fiを持つはずのEII(INFj)は、時として本来最も自由自在に使えるはずの第1機能 Fiを使うべき状況で、なぜか低次元性のTiを、それこそLIIのような「おかしな形で」でわざわざ使用することがある(関連記事「ソシオニクス デルタ・クアドラ (8) by Stratiyevskaya」)。機能の次元性に関わらず、必ずしも最も適した機能が使用されるわけではないということであろう。
- ^ 「働かざる者食うべからず」の原則を守ろうとするあまり、状況に応じた柔軟な倫理的解釈が出来ずに、「働いていない人にパンを与えるなんて良くないことだ」と考えてしまう。機能の次元的にいうと、状況・時間の次元の欠如。
- ^ LII自身が本当に困っている時も、援助に対する対価を支払えない場合、他人に助けを求めようとしない。
- ^ 倫理的義務を果たす前に倫理的権利を主張する人を許さない。倫理的権利は人が元々持っているものなのではなく、倫理的義務を果たした対価として得るものだという考える。
- ^ ソシオニクスでの意志の力はSeが司る。ここには相手を威嚇したり、暴力的な圧力をかけることが含まれる。
- ^ この例の場合、おそらく姉の方がLII。「私」の子供より食欲旺盛であり、そしておそらく癇癪を起すであろうことをわかっている自分の子供であろうと優遇しない。
- ^ ESEの先導機能 Feと、LIIの暗示機能 Feの流れ。
- ^ つまり「人間関係が悪いせいで仕事がやりにくくなる」という状態を避けたい。
- ^ LIIは二分法では「否定主義」にあたる。
- ^ 第8機能が時間の直観 Niであるため。第8機能は4次元性。詳細は記事「機能の次元」参照。
- ^ LIIは二分法では「否定主義」にあたる。