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ソシオニクス デルタ・クアドラ (8) by Stratiyevskaya

2022年9月3日土曜日

EII IEE LSE SLI クアドラ ソシオニクス

メフィストフェレス「今、ファウストは何が何だか分からないままに、神に奉仕している。オレがヤツを導いてやらねばならない。全てがはっきりする境地へと」



コンプレックスに対する防衛策:「薔薇色の光に包まれた生活」

希望が失われ、幻想が打ち砕かれた時、デルタ・クアドラは後悔の念を感じ、自分を取り巻く世界への不満を抱き、過酷で残酷な現実を受け入れたくない気持ちに襲われ、「世界を『より良い方向』へ変えられないかもしれない」という恐れと疑念を抱きます。

デルタ・クアドラが尊重する側面は+Te +Fi -Ne -Siの4つ [1]ですが、こんな時この4つの側面が司る「ネガティブな側面」、さしずめコインの裏のような面が表れ、デルタ・クアドラが陥る「人生に対するダブルスタンダードなアプローチ」の前提条件が作り出されてしまいます。


このダブルスタンダードなアプローチとは、厳しい現実から逃げ出そうとするアプローチと、留まろうとするアプローチを意味します。

デルタ・クアドラは別世界に逃げ出して現実逃避できるようなイデオロギー的概念を作り出しますが、それと同時に「客観的な理由によって現実世界から追い出されることに対する恐怖」もまた作り出します(この恐怖によって、彼らは現実世界にとどまります)。イデオロギー的概念を作り出すのは、二分法「貴族主義」「賢明」の表れです。そして「客観的な理由によって現実世界から追い出されることに対する恐怖」というのは二分法「客観主義」の表れです。


これらは最終的に、デルタ・クアドラ(直観型、つまりIEEとEII)に特徴的な傾向、すなわち人間関係において「現実の過酷さを和らげ、高いレベルの純粋さと美しさをもたらす」という方向性に縛られる傾向を生み出します。

デルタ・クアドラのアプローチは、現実を「好ましい世界(想像上の世界)」と結びつけることで、現実世界を「最も優れた精神性を持つ人々」にとって「より快適で受け入れやすいもの」にしようと試みるアプローチだと言えます。


しかし、当然ですがこの目標は容易には達成できないものです。そして短期間で達成できないことに対して、デルタ直観倫理型( IEEとEIIは「幼児タイプ」に分類されます)は絶望に陥り、新しい代替条件を探さざるを得なくなります(多くの場合、この代替条件はファンタジーじみたものとなります)。彼らの意見では、その代替条件下では現実と空想の差がほとんどなくなります。

実際に現実世界から追い出されることから目をそらして、安心して夢に浸れる条件を探したいという欲求は、デルタクアドラ・コンプレックスの現れです(空想の世界から現実の世界に落とされるというのは、とても辛いことです。大空を飛んでいる時、いきなり撃ち落された鳥の感覚を味わいたい人などいないでしょう)。


◆◆◆


失望から身を守りたいという衝動、野卑な現実から逃げ出したいという衝動、現実を空想に書き換えるために、空想の城を築き上げ、そこに向かって飛び去ってしまいたいという衝動。(特にデルタ倫理型が抱く)これらの主観的、理想主義的な衝動は、デルタ・クアドラの二分法「客観主義」には反するものです。

この矛盾を解消するために、デルタ・クアドラ(特に倫理型であるIEEとEII )は、客観的現実に対してダブルスタンダードな態度をとるようになります。そして自分自身と他人のために「薔薇色の光に包まれた生活」を組織化します(彼ら自身にとっては自発的な試みですが、彼らの周囲にいる他人にとっては、強制的な試みです)。


この問題は、非常に雑で単純な方法で解決できます。

それは、全てのネガティブな現象(そしてそれに関する一切の話)を、完全に「ないもの」として扱うという方法です。そうした扱いを儀式的に続けているうちに、いつの日か人々から完全に忘れられ、事実上「ない」と言うのに等しい状態になるだろうと期待してのことです。

この方法によってネガティブな現象は過去と共に去って消え去ってしまい、現実は空想(彼らにとって望ましい世界)と何ら変わらなくなります。

「そうすれば薔薇色の眼鏡をかける必要もなく、世界は優しいものになり、ネガティブな現象は発生しなくなる」

こう彼らは期待しているのです。

しかしそれが実現するまでは、シンプルに「ネガティブな現象に目を向けること」を拒絶べきです。つまり、それらについて語らず、言及せず、関心を持たないようにして、最初からネガティブなもの自体を排除するように組織立てるべきなのです。


◆◆◆


貪欲さや妬みというものを人間関係からなくすためにはどうしたらいいのでしょうか。

もしもデルタ倫理型がこの問題にどう取り組むのか観察したいのであれば、EIIにパーティの主催を依頼するだけで十分です


EIIは最も敏感で繊細な人に対して、特に慎重な配慮をしながら接します。これは嫉妬からの恨みを考慮しているからです。そのため、EIIの経営者は「全参加者の目線から見て、徹底的に公平な分配が出来ている親睦会やパーティー( EIIスタイルパーティ)」を好みます。

参加者を不快にしたり、参加者間の人間関係に不協和音をもたらしうる全ての危険性を排除するために、EIIはあらかじめ「誰が何をどれだけ食べそうか」を徹底して調べ、全員に対してほぼ同じ金額を使うようなパーティを用意しようとします

EIIスタイルのパーティ中に、料理の取り分けについて話し合う必要性など出てきません。全てが事前に、厳密に計算されているからです。パーティの豪華さそのものは重要ではありません。もしも不満を抱く人がいないのであれば、EIIは「1人1切れのピザと1缶のコーラでも十分である」と判断することでしょう。


これはもはや企業パーティではありません。「孤児院の幼児向けのパーティ」と言った方が適切です。しかしそれは重大な問題にはなりません。恐らく参加者はそれに慣れ切っているので、その滑稽さには誰も気が付かないでしょう。

EIIにとって何よりも大切なのは、全てがフェアであることです。そして関係性の調和をはかることです。そのために彼らはパーティ参加者の行動を厳しく管理しようとします。

「みんな『2切れのピザしか食べてはいけない』ことになっているのに、4切れのピザを食べた人がいて、それを不快に感じた人がいたら一体どうするのか。苦情と非難の芽は、あらかじめ潰しておかなければならない

そこでEIIは社員にカラフルなチケットを用意して、イベント前に配ります。もちろんこのカラフルなチケットは「一人分のピザと交換できる券」や「一人分のコーラと交換できる券」です。企業パーティを行っていたはずの会場は、もはやただの食堂に化します(これ以外、私はどう表現したらいいかわかりません)。

さらにいえば、EIIは「このチケットの交換を禁止すること」も忘れないでしょう。交換したチケットを使っている人を見て「一人が食べていいと言われている枚数より多いピザを食べている人がいる!ずるい!」と思う人が出てくるかもしれないからです。


◆◆◆


これがEIIの作るシステムです。

間違いなくEII自身は極めて倫理的な努力をしていますが、恐ろしく原始的で、大きな欠陥のあるシステムです。彼は「嫉妬深い人」に道徳的サポートを提供し、「嫉妬深い人」が最大限満足するための条件を用意しようとします(誰かの口に余分なピザが入らないように徹底して場を管理することで、誰も「嫉妬」させないのがポイントです)。

その結果、彼が真に期待している結果とは真逆の結果が訪れます。このEIIのやり方では、人の心から嫉妬と羨望を払うことなどできません。ここで彼が出来たことは、ただ「嫉妬深い人」に不公平なほどの過剰な配慮をしただけです。


このEIIのシステムは原則として非倫理的なものだと言えます。その理由は、そこに「人に対する強制」を伴うからです (誰が何枚ピザを食べたかを数える。それは一体どれほど「楽しいホリデー」だと言えるでしょうか) 。

また、倫理的に取り組まれるべき問題を (比喩的に言えば) 論理的な操作によって「解消」しようとしている点も「非倫理的」だと言えます。

EII (+Fi/-Ne) の関係性の倫理の側面は、すべての人に良い待遇を提供することを目指します。しかしこのEIIのシステムで用いられているのは、実はこの関係性の倫理ではなく、関係性の論理、すなわちLII (-Ti /+Ne) 的な「公平な分配」の側面です。上述のEIIのシステムでは、+Fi/-Neではなく-Ti /+Neが支配的になり、前者ではなく後者の優先的な機能が余儀なくされています。

この-Ti /+Neが優位な環境においては、誰もが監視とプレッシャー(強制的に何かを課されるプレッシャー)を感じることになります。ここでは、人は「信頼に値しないもの」として扱われます。そういう扱いを受けた人間の多くは、おそらく屈辱を感じるでしょう。

そこでは誰もが心の中では不信感を抱いて怒りを感じることになります。少しも「ホリデーを満喫している」という感覚はありません。こんな状況では、人間関係の調和の実現も程遠いものです。全員が監視下に置かれて、そこにどんな調和があるというのでしょうか。やはりこのEIIの方法は倫理的な問題を解決できるものだとは言えません。


「自分は正しいことをしている」「人を再教育する必要がある」と信じているEIIだけは、それが倫理的な問題を解決する方法だと思い込むかもしれません。彼らの「主張」、空想、不自然な考え方や観念を通して見れば「問題を解決している」ように見えるかもしれません。しかしこの「教育」にはどれだけの時間がかかるのでしょうか。一体いつになったら人は「信頼に値する存在」になれるのでしょうか

結局のところ、いつかは統制を弱めて、薔薇色の眼鏡を外さなければならない時は訪れます。そこで彼は何を目にすることになるのでしょうか。


「妬み、貪欲、他人への不信感を克服する『心の強さ』」なしに、エボリューション的な関係性の倫理(+Fi)のどんな特権、どんな道徳的自己改善、どんな未来における道徳的達成について語ることが出来るというのでしょうか。

自分の行動に責任を持つ必要がない人は、こんな条件下でわざわざ自分の道徳的な支柱を鍛えようとはしないでしょう。道徳的自己改善のための努力をせず、内的な道徳的核心を磨くかわりに、外部の道徳的指示に依存することになります。良心・隣人愛・責任感・友人や家族に忠実であること。これらの倫理的概念が成長する機会は失われます。それどころか、時が経つにつれて完全に委縮しきってしまう可能性もあります。


ここまで読めば、EIIが+Fi(関係性の倫理、宣言的・エボリューション的 Fi)ではなく、-Ti(関係性の論理、質問的・インボリューション的 Ti)への負荷を強めて、それを機能させるという間違った方向性に進んでいることが理解できることでしょう(これによって人々は安らかに眠り続けることは出来ますが、明るい未来は遥か彼方のままです)。彼らの純粋で理想的過ぎる優しさに需要を感じるのは、おそらく天使たちだけです。

彼らの元で、人は「より良い時代」がやってくるまで、真綿で包まれながら穏やかに眠り続けることになります。しかし、人は魂(人間関係の倫理の側面)を働かせなければ、つまり自らの力で誘惑と闘って克服しなければ、永遠に「より良い時代」に至ることなど出来ません


◆◆◆


疑問はこれだけではありません。友好的なパーティーや企業パーティーなどのささやかなイベントの中で、(心理的な不快感を除いて)非の打ちどころのない倫理的関係を組織することが非常に難しいというのであれば、エボリューション的(戦略的、大規模)倫理 +Fiの「グローバルなエボリューション的プロセスと変革に対する倫理的制御 [2]」について、どう説明することが出来るでしょうか。もし自分や他人の生き方の複雑化を嫌って、魂と精神にかかる最小限の負荷さえも避けようとするのであれば、一体この変革はどこから訪れるというのでしょうか。

このような状態 [3] では、ネガティブな現象に対処するための話し合いさえ出来ません。全てを忘れて目をつぶり、自分も他人も思い出さない方が簡単です。「薔薇色の健全な生活」の信奉者が好むのは、周囲の人々の思考、感情、言動に対して、膨大な数の禁止事項や制限を課すことです。

そこでは「人の欠点について話すこと」自体が禁じられることになります(デルタ直観型が、自分自身に対して禁止するという話ではなく、他人に対して「許される限度」を超えた批判をすることを禁止します)。


そしてこれはデルタクアドラ・コンプレックスの現われでもあります。なぜわざわざ人の欠点に目を向けて、それに失望しなければならないのでしょうか。「自分は天使たちの領域に住んでいる」と思ったまま「人の良い側面だけ」を見るようにしていれば、人への信頼を失わなくても済みます。

あるいは、人々の間で批判し合うことを禁じることによって、彼らだけが「人の欠点を自分の目的のために利用できる」という状況に仕立て上げ、彼ら自身が「見たくないもの [4]」になることもあります。

「悪徳と暗い情念の深淵に堕ちて、魂の最も陰惨な部分を目にし、全てに失望して薔薇色の空想世界に逃避してしまうよりは、薔薇色の眼鏡越しであっても実在する世界を見ているほうがまだマシである。そしてそれを他人にも強制すれば自分の利益にもなりうる」

デルタ直観型の「薔薇色の光に包まれた生活」の背景には、このような消極的な打算があります。


◆◆◆


社会に失望し、友人やパートナーに失望したデルタ直観型は、自ら「翼をたたみ」、絶望の深淵に飛び込んでいくことがあります。そこで彼らは自らを責めるのではなく、自らを失望させた社会と、自らの期待を裏切った世界を呪い始めます。



出典:


訳注

  1. ^ 機能についているプラスはエボリューション的(建築的・肯定的)、マイナスはインボリューション的(再構築的・否定的)という意味。関連記事「ソシオニクス デルタ・クアドラ (1)
  2. ^ +Fiの代わりに-Tiで対処しようとしている状態。
  3. ^ 「人々の段階的な道徳水準の向上と、それによって生じる『より良い時代』へと向かう社会の変革」に対する「+Fiの機能の仕方」。
  4. ^ 道徳的に醜い行動を取ること。

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