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ソシオニクス デルタ・クアドラ (3) by Stratiyevskaya

2022年5月8日日曜日

EII IEE LSE SLI クアドラ ソシオニクス

ソシオニクス デルタ・クアドラの特徴3



クアドラ・コンプレックスに対する防衛手段:自発的な支配と管理への欲求

デルタ・クアドラにとって、参加者全員のビジネスと創造的活動を互いに抑制するような激しい競争のプロセスに巻き込まれることは、自分自身を毀損することになると感じることです。

そのため彼らは、そのような激しい競争に繋がりうる要因を全て、ビジネスと創造的交流の領域から排除しようと試みます


◆◆◆


他者との関係性が形成されていく過程で、デルタ・クアドラは自然に、他者との間に従属関係を作り出そうとします

この従属関係とは、デルタ・クアドラが他者の行動を修正できる関係であり、倫理的(道徳的、道徳的、精神的、心理的)な面とビジネス的な面で、デルタ・クアドラが他者をコントロールできる関係です。


デルタ・クアドラの人々は皆、「自分には、他者の振る舞いや他者のアクションをコントロールし、修正する権利がある」と考えています。

専門的、ビジネス的、倫理的イニシアチブの枠組みの中で、彼らはこの権利を行使します。デルタ・クアドラが、この権利を他人に譲ることはありません


◆◆◆


実際の支配と自発的な従属関係(*1)が作られていく過程で、デルタ・クアドラは(自称)支配者、コントローラー、メンター、誰の意志からも自由で独立した人のいずれかになります。

あるいは逆に、従属者、「被支配者」、部下になることもあります。「コントローラー」「メンター」の要求に自然に従い、「コントローラー」の出した最初の要求に応じて、自発的に「報告」し、(支配者が命じるなら、他の人と同じように)隠し事を自白します。


(*1)デルタ・クアドラもベータ・クアドラも「貴族主義」に分類されますが、「主観主義」でもあるベータ・クアドラと違って、「客観主義」であるデルタ・クアドラは支配的な役割を確立する際、体系的なヒエラルキー(言い換えるなら上下関係を明示する肩書や役職)を必要としていません。彼ら自身が支配する権利を主張します。

つまり、彼ら自身のイニシアチブと状況によって、支配する者-される者という関係性を生み出します。

そうしてデルタ・クアドラは、人間関係のシステムのフレームワーク(グループ、チーム、家族)内に、誰が誰を管理するのかという秩序を敷き、可能な限りその秩序を安定化させようとします。

しかしこの場合でも、「客観主義」であるデルタ・クアドラは、客観主義の基本原則に基づいて、自分自身が体系的な関係に従う義務があるとは考えていません [1]

デルタ・クアドラ、そしてガンマ・クアドラは「人はシステムよりも重要である」あるいは「個人の権利はシステムの権利よりも高い」という価値観を持ちます。

デルタ・クアドラとガンマ・クアドラは「客観主義」ですが、この2つはシステムの論理(関係性の論理 Ti )よりも、行動とビジネスの論理・客観的論理(Te)の側面を優先するため、このような考え方をするのだと考えられます。


◆◆◆


「コントロール下」にある人に対する「懸念」あるいは「気配り」から、デルタ・クアドラはいつでも自分のコントロール下にある人々に「報告」を要求してもいいと考えています。

この要求は、全ての質問に対する誠実な真実の答えを受け取るまで止むことはありません

自分の条件、自分の意見、自分の決断を生活のあらゆる面で部下に押し付けるまで、自分のすべての出来事と計画について部下から完全な報告を受けるまで、部下が何を考え、何を感じているか、部下の魂で何が起こっているか、部下の心の中はどうなっているのかを知るまで、この要求は続きます(デルタ・クアドラに言わせれば、これは「隣人に対する真の気遣い」の表れです)


その結果、かなり柔軟で動的な上下関係が生じます。ここでは支配者は頻繁に変化します

デルタ・クアドラ社会における勝者とは、どんな条件下でも常に優先順位を保持した者、つまりたとえ短時間であっても、自分の方が優位に立っているという視点で状況を監視している者です。


◆◆◆


デルタ・クアドラ社会で支配者になる人の条件
  • 個人的な(たとえ自己流であっても)特権、権利、利点の観点から、あらゆる状況を構築し、コントロールする者。状況に影響を与えるすべての要因とすべての条件を、個人の計画、意図、優先順位、および野心に従ってモデル化する人。
  • 最後の言葉、意見、行動 [2] を持ち、それを従わなければならない絶対的なものとして「自分より下の人間」に押し付け、管理する人(多くの場合、何らかの合意によって、それを拒否するのが「不快」に感じるよう、あらかじめ状況がコントロールされています)。
  • 何を、どのように、いつ、誰に、何を言うべきかを常に最もよく知っており、なおかつ「人に何かを教わる」立場ではなく、常に「自分が人に教える」立場に立つ人
  • 他人からのコントロールを認めず、常に他人をコントロールする側にいる人。
  • 自分への批判は無視したり、真摯に受け止めない一方で、他人の欠点には目ざとい人
  • 時代の精神と課せられたイデオロギーの要件に従い、絶えず流動的に変化する条件や状況に柔軟に適応できる人
  • 順応性があり、自分の意見を頻繁に変えることができ、確立された人間関係のシステムにきちんと柔軟に適合できる人。
  • 謙虚でありながらも野心がある人。ごく自然に、特定の条件や合意(実際には存在しない架空の条件や合意も含む)に対して、「デモンストレーション」的に従って見せることで、他者に「それらの条件や合意に従うのは当たり前だ」と思わせることが出来る人。
  • 他人には和解、服従、恭順、譲り合いの精神を求めつつ、自らは服従や譲歩を拒否する人(それでも譲歩するよう求められると、パニックに陥ったり、涙を流してみせる)。
  • 他人を抑圧し、追放することで、あらゆる条件で自分が「トップ」に留まり、「道徳的・倫理的優位性」の立場を堅持する人。あらゆる点で「間違いのない人」。つまり社会から「道徳の守り手」「あらゆる美徳の中心」(「道徳の拠り所」「道徳の規準」)として扱われる人


上記のすべての条件は、「支配者」が社会的な関係性の中で「かなり複雑で、ダブルスタンダードな立場」を構築せざるを得ないことを意味します。

しかしながら、デルタ・クアドラ的な階層社会では、それは可能であり、自然であり、許されることです。

そして多くの場合、これは必要なことです。

そうでなければ、一体どうやって自分の空想上の謙虚さを誇りに思い、自分の空想上の道徳的・倫理的優位性をコントロールして、他者の傲慢さを非難することができるというのでしょうか。



出典:


訳注

  1. ^ つまり「自分より肩書が上の者に従い、自分より肩書が下の者を従わせる」というルールを守る必要はないと考える。
  2. ^ 話し合いで「一番最後に出される言葉」、つまりその発言を最後にして、他の人が黙るような言葉、意見、行動。

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