コンプレックスに対する防衛策:「トレジャーハンター」あるいは「才能を見つける才能」の位置づけ
他のクアドラの人々がデルタ・クアドラに初めて会ったとき、その不当な(と感じられてしまうような)熱意に戸惑うことがあります。
新しく顔見知りになった人の趣味や才能、能力に対するデルタ・クアドラの異様な関心の高さに戸惑ってしまったり、逆に注目した相手の趣味や才能がつまらないものだと思ったら、あっさり興味を失ってしまうデルタ・クアドラに怒りを感じてしまうかもしれません。
デルタ・クアドラの「アイドル」は頻繁に変わります。ある対象から別の対象(時にはそれほど面白くない人であることもあります)にコロコロ変わるため、そんなデルタ・クアドラに辟易するかもしれません。
デルタ・クアドラは、新しい「今のお気に入り」の才能や趣味を評価する際、評価基準が下がり気味になる傾向があります。
こういう時、デルタ・クアドラは他人の大げさな自慢話にあっさり引っ掛かったり、能力に対する見境のなさ、創造的可能性に対する過大評価っぷりを露にします(2色か3色の絵の具を使って絵を描いている人を見ただけで、「凄い!この人は真の芸術家だ!」と大喜びします)。
「トレジャーハンター [1]」の行動の矛盾は彼らを苛立たせます [2]。
デルタ・クアドラの助けと支援を必要としている親しい人々が成し遂げた真の成功に対するデルタ・クアドラの無関心さは、さぞ親しい人々を苛立たせることでしょう。
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デルタ・クアドラは「部外者」の利益のために、身内(恋人、友人、知人、親族)をないがしろにすることがあります(デルタ・クアドラの身近にいる人々は、そのせいでデルタ・クアドラからイライラさせられるかもしれません)。
「部外者」と、限りなく注文の多いデルタ・クアドラを満足させるような奇跡を起こすために、わざわざ創造的な自己犠牲を払わされるかもしれません(特にデルタ・クアドラが絶えず要求のハードルを上げている場合)。
その一方で、見ず知らずの他人がデルタ・クアドラの前に現れ、「自分はこんなにすごい作家(芸術家)なんだ」と言ってデルタ・クアドラの関心を完全に引き付けると、彼らはすぐにその人のことを熱心に、惜しみない賞賛と賛辞を尽くして友人相手に語り、「ぜひこの人を我々の友達として迎え入れよう」と勧めます。
デルタ・クアドラは、初対面の相手の趣味を必ず質問します。玄関に到着するや否や、即座に(本人の目の前で)聞き出そうとしてくるのです。
「この人のどこが面白いか教えて」
これは、新しい才能を決して見逃さないようにするためです。
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デルタ・クアドラでも最も「才能コレクター」なタイプはIEEです。しかし、彼らは自分のコレクションの品質は保証しません。仮に誰かがコレクションに失望しても平然としています。
「そのうちもっと面白い人が現れることでしょう!」
コレクターにとって、コレクションは「それを発見した自分」をアピールするための手段でもあります。
その気にさえなれば、あるいは何かキッカケさえあれば、平凡な人間から面白い人間を作り出すこともできます。買ってくれる人さえいれば、ガラスの破片をダイヤモンドのように見せかけてプレゼントすることさえできます。
アマチュアの中から人を最初に見出だすのもIEEです。
「この詩は私の友人が作った!」
「この絵は私の友人が描いた!」
IEEは友人自慢をしがちです。「あなたの友達について教えて」の原則がここでも現れます。
創造性あふれる人々の友人として他の人から知られること、そうした人々の才能が認知されること。創造的な視野を広げ、新たな高みを目指す人間にとって、これほど素晴らしいことはありません。自分が見出だした人々の栄光の翼に乗って、さらなる高みに最初に舞い上がり、そこに留まれることを嬉しく思わない人などいないでしょう。
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「たとえ才能が平凡であっても、一人ひとりが絶え間ない自己研鑽を行うべきだ」
このような考えは、デルタ・クアドラのポジティブな願いをアルファ・クアドラの素晴らしいプロジェクトに近づけ、アルファ→ベータ→ガンマ→デルタと進んできた進歩と進化の螺旋 [3] を更新し、願いを実現化する原動力になります。
例えばトマス・モア(LII、アルファ・クアドラ)のユートピア思想 ─ 完全な創造的自己開発と完成のある高度な精神的社会では、各個人が、未熟で野蛮な肉体労働の日々の後、激しく知的、精神的、そして創造的労働に従事する権利を有するという思想というものがあります。この思想は、革命後のソ連の最初の数年間に影響を与えました。この時代、人々は9時間、機械に向かってノルマをこなし、家に帰ると今度は作詩作曲ハープ演奏に没頭し、ハープを片手に自作の歌を歌うような生活を送っていました。
このユートピア思想のおかげで、ソ連の人々はアマチュアの芸術グループに参加して、その鬱屈した日常生活を明るくすることができました。そこでは芸術活動自体が精神的、知的な「冬眠」という意味合いを持っており、それによって人々は周囲の恐ろしい現実に耐え、「バラ色の眼鏡」を通して世界を見ることができたのです。
訳注
- ^ 才能というトレジャーハンター。デルタ・クアドラの比喩。
- ^ デルタ・クアドラは要求が際限なく高くなるタイプ。その一方で知り合ったばかりの人を、ささいなことで無闇やたらに称賛するという矛盾がある。関連記事「デルタ・クアドラ (2) by Stratiyevskaya」
- ^ ソシオニクスでは、文明の発生から衰退までのサイクルをクアドラで考えることがある。文明の最初はアルファ・クアドラ的な世界観が優勢で、文明が成熟するに従ってベータ、ガンマ的な世界観へと変遷していき、最終的にデルタ・クアドラに至って文明が終わる。関連記事「社会的進歩リング」