ESE | α | 外向 | 感覚 | 倫理 | 合理 | 賢明 | 構成 | 主観 | 戦術 | 利益 | 動的 | 民主 | 宣言 | 先見 | 結果 | 肯定 |
LSE | δ | 外向 | 感覚 | 論理 | 合理 | 賢明 | 情緒 | 客観 | 戦術 | 資源 | 動的 | 貴族 | 質問 | 先見 | プロセス | 否定 |
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タイプ間関係
協力関係:
互いを理解でき、喜んで交流するような関係になりやすい。ただし、互いの目標はかなり異なる。
あまり相手を傷つけてしまうことはないものの、第1機能(先導機能)を使用した際、もう一方の第3機能(役割機能)にプレッシャーがかかってしまい、突如として不快な感情が引き起こされてしまうことがある。
親密な関係を築く相手としては向いていない。親密な付き合いをした場合、相手の目標や意図に苛立ちを感じやすい。
同一の第2機能(創造機能)を持つため、完全に補完しあえる関係にはならない。
マスク
LSEがESEをマスクとして被っている場合、あるいはその逆の場合:
仕事の問題、つまり「仕事の忙しさが人生の充実を妨げているという感覚」に関係している。仕事の整理・優先順位の設定が難しい。長期的な就職難の問題に関係していることもある。
特徴の比較
論理 or 倫理
- LSEは論理、ESEは倫理。
- ESEのほうが、対人関係の問題を解決したり、最小限に抑えるのが得意である。LSEはこの手の問題を理解するのに苦労することが多い。
- ESEは(LSEよりも)論理的な操作に脆弱である。それに対してLSEは(ESEよりも)倫理的、あるいは感情的な操作に脆弱である。
- LSEは(ESEよりも)システムや構造、機能の研究に興味を持つ傾向がある。
- ESEは説得によって人に働きかけるのを好むのに対し、LSEは議論を通して人に働きかけるのを好む。
構成 or 情緒
- LSEは情緒主義、ESEは構成主義。
- ESEは、自分の内面的な感情状態を一定に保つための「感情的な錨」を使用する傾向がある。例えばESEは自分の内部の感情状態を一定にとどめるために、本や映画、場所などを「錨」として使用する。
- LSEは、これまでに触れたことのない、新しい経験を求める傾向がある。LSEが一度経験したことをもう一度行う(本を読み返す・映画をもう一度見る・以前訪れたことのある場所にまた行く)のは、それについて忘れてしまった時や、そこから新しい何かを学ぼうとしているときだけに限られる。
- ESEは、全体的には質が悪い情報であっても、部分的には興味深さや面白さを感じることがある。それに対してLSEが、全体的に見て質が悪い情報だと感じた場合、その全てに対して興味を失ってしまいやすい。
- ESEは、慰めや同情ではなく、具体的な解決策を提示してほしいと感じる傾向がある。一方LSEは、会話があまり感情的な意味でネガティブにならないよう気にしたり、働きかけたりする傾向がある(LSEは、ネガティブな感情状態に支配された会話には生産性がないと感じるため)。また、LSEは会話をポジティブな状態に保つためだけに、実際にはあまり興味がないこと、あるいは信じていないことを話すことがある。
- ESEは外部の感情状態に圧倒されやすく、そのことがストレスになりやすいため、他者との感情的な接触を避けようとする傾向がある。一方、LSEは外部からの感情的な影響をつっぱねたり、平然と流すのが比較的得意である。
- LSEは人から「何かをしてほしい」と要求された場合、それに圧倒されやすく、必要に応じて他者の要求を拒絶するのが比較的苦手である。そのため、不快な要求をされそうな接触を避けようとする。一方、ESEは他人からの要求をビジネスライクに検討したり、必要に応じて拒絶したりするのは比較的得意である。
主観 or 客観
- ESEは主観主義(この二分法は別名「陽気」と言われることもある)。LSEは客観主義(この二分法は別名「深刻・シリアス」と言われることもある)。
- 全てのアルファ・クアドラとベータ・クアドラは主観主義になる。
全てのガンマ・クアドラとデルタ・クアドラは客観主義になる。 - LSEは、(ESEと比べると)人間関係を深める際、特別な儀式や、その他の一般的に認められた形式(例えば歓迎会や、明確なプロポーズなど)を取り入れたがる傾向がある。
- ESEと比較すると、LSEは人間関係を段階的(全く見知らぬ人→顔見知り→そこそこ友好的な関係→何でも話せる関係などの段階)に進めていく。そのため、LSEのほうが(ESEよりも)こういった人間関係の段階に精通している。LSEは(ESEと比べると)、それぞれの段階の始まりと終わりを明確に線引きしたがる傾向がある。
- ESEは、(LSEと比較すると)周囲の人々やグループ内で生じる感情的なムードの評価が上手い。
- ESEはLSEほど「人と知り合いになること」を特別な活動とは認識しておらず、その時々の状況と目的に合わせて比較的フレキシブルな心理的距離感を構築する。ESEは初対面の人とコミュニケーションする際、共通の感情を増幅することで、スムーズな交流を図ろうとする(例えばポジティブなイベントの参加者と交流する場合、共通のポジティブな感情を増幅することでコミュニケーションをとろうとする。ネガティブな事件に遭遇した場合、その場にいる人とネガティブな感情を共有し合うことでスムーズな交流を行おうとする)。
- ESEは(LSEと比べると)人間関係の目的をよく把握している(「Aさんはビジネスのために交流している人で、Bさんはプライベートの趣味のために交流している人」といった具合)。ESEにとって、人間関係の目的のほうが、相手の名前や肩書よりも重要な情報だと感じる。
- ESEは(LSEと比べると)感情的なやり取りと、それ以外の活動を切り分けたがる。それに対してLSEは感情的な活動とそれ以外の活動を組み合わせる傾向がある(例えば仕事や深刻な問題に取り組む活動をする際、LSEはそこに何らかの「楽しさ」を取り入れたがる傾向がある)。
- LSEは(ESEよりも)ミスをした人に「どこが間違っているか」「正しい方法は何であるか」を伝えようとする。LSEは「誰がミスをしたか」と「ミスの修正を手助けすること」に焦点を合わせる。(または「めんどくさい」「指摘できる関係ではない」「わざわざ教えてやる義理はない」「鬱陶しがられたくない」などの理由で、実際に行動をとることはほとんどなかったとしても、他人の最善とは言えない方法を見た時に、自分の中で「こちらのほうが正しい・効率がいい方法だ」と強く感じる)
- ESEは(LSEよりも)ミスをした人に「なぜそのようにしたのか」を尋ねようとする。ESEはミスをした人を必ずしも正そうとはしない。それよりも、その人の決断や行動の経緯を理解しようとする。
- LSEは(ESEよりも)客観的な真実があると考える傾向がある。つまりLSEは「正しい(または最善の)方法がある」と考える傾向がある。
- ESEは(LSEよりも)相対的な真実があると考える傾向がある。つまりESEにとって「真実(相対的な真実)」とは「人それぞれの異なる信念、意見、意図などの延長にあるもの」として認識されている。
- LSEは(ESEよりも)概念を比較・検証しない傾向がある。LSEは特定の解釈(たったひとつの「正しい」解釈)だけが存在すると仮定することが多く、「他の人が自分とは異なった解釈をしている可能性がある」とはあまり考えない。LSEは「客観的な現実」「明白な事実」という概念を持ち出す傾向があり、「自分は物事の正しいやり方や本当の姿を知っている」(あるいは自分は「まだ」正しいやり方や真実を理解していない)と考えやすい。
- ESEは(LSEと比べると)概念を比較・検証したがる傾向がある。これは方法の比較と検討だけでなく、その理解や用語にまで及ぶ。ESEは、「他の人々が自分とは違う形で概念や用語を理解していたり、解釈している可能性がある」という認識を持っており、個人的な意見、立場、意図などから切り離せない主観的な概念の一部として、概念や用語というものを捉えている。用語を「客観的なもの」と認識するLSEとは対照的に、ESEは用語の背後にある個人的な違いを理解し、それらを比較および検証しようとする(これは十分に定義が確立されている用語にも当てはまる)。
利益 or 資源
- ESEは利益、LSEは資源。
- ESEは、自分の活動から得られる利益に対してより神経質になる。それに対してLSEは、自分の活動に費やすリソースに対してより神経質になる。
- LSEはリソースが不十分な場合、興味関心を失いやすく、それっきり忘れてしまうことも多い。
- ESEは自分の関心事に大きな価値を置いており、そのためであれば他のリソースの優先順位を下げることも厭わない。そのため、しばしばESEは自分の興味関心にのめり込みすぎて、自分の時間、睡眠、人間関係、お金などを犠牲にする。
民主 or 貴族
- ESEは民主主義、LSEは貴族主義。
- 全てのアルファ・クアドラとガンマ・クアドラは民主主義になる。
全てのベータ・クアドラとデルタ・クアドラは貴族主義になる。 - LSEは(ESEよりも)集団内での人間関係を通して、自分自身や他の人々を認識・定義することが多い。
- ESEは(LSEよりも)、個人的な資質によって自分自身や他人を認識する。自分を他の人と差別化しようとする傾向がある。
- LSEのほうが(ESEよりも)「この人についてどう思うか」という情報を判断するのが早い。これは、LSEが相手の所属する集団を踏まえて判断するためである。一方ESEは集団としての情報ではなく個人的な情報から判断したいと思うため、判断が遅くなる。
- LSEの他者に対する評価は、その人が所属しているグループ・派閥に対するLSEの評価の影響を受ける。「1人の人間が、相反する2つのグループに所属している」という状態は、LSEにとって「理解に苦しむ」ものである。
- ESEの態度は、(LSEと比べると)相手の個人的な特徴に左右されやすい。この個人的な特徴には「知性の高さ」「個人的な業績」「ディベート力」「命令に従わせる力」などが例として挙げられる。ESEは「どれほど優れた集団に属しているか(例えばどれほど有名な企業で働いているかであったり、どれほど有名な大学の出身者かといった情報)」よりも「どれほど個人的な資質があるか」を踏まえて、相手と自分のどちらのほうが、どれくらい優位かを認識する。
質問 or 宣言
- LSEは質問、ESEは宣言。
- ESEとLSEは好みの会話のスタイルが異なっている。LSEは質問と応答の繰り返しで進行していく形式の会話を好む。一方、ESEは会話の参加者が順番に「誰に向けているわけでもない独白」を言うような会話の形式を好む。
- ESEは、自分が話している最中に質問されるのが好きではない。一方、LSEは自分の話の途中であっても、必要に応じて質問に答えることにあまり抵抗がない( LSEのほうが、いつでも質問OKというスタンスをとる)。
- ESEは(LSEよりも)相手が話し終わるまで辛抱強く待ち続けられる。
- LSEは(ESEよりも)一度に複数の人と話すことに抵抗がない。ESEはどちらかというと1対1の会話のほうが楽に感じる。
プロセス or 結果
- ESEは結果、LSEはプロセス。
- 行動計画やプロセスを作成する時、LSEは自分を「プロセスの中」にいるものとして捉え、それに没頭する傾向がある。一方、ESEにとって「プロセス」や「状況」は外的なものである。そのため(LSEよりも)ESEのほうがマルチタスクになりやすい傾向がある。
- 明確な最終目標や結果がない場合、ESEは(LSEよりも)多くの不快感を覚える。これは、ESEにとってプロセスは外的なものであるため、LSEよりもプロジェクトの開発状況をモニタリングし、理解するのが難しいために生じる傾向である。
否定 or 肯定
- LSEは否定主義、ESEは肯定主義。
- 何かを選択する際、ESEは(LSEよりも)「その選択肢は自分にどのような利益をもたらすか」に焦点を当てるのに対して、LSEは(ESEよりも)「その選択肢にはどのようなリスクがあるか」に注目する傾向がある。ESEは無意識のうちにリスクを過小評価する傾向がある。
- LSEは「グラスに水が半分しか残っていない」と感じるのに対し、ESEは「グラスに水が半分残っている」と感じるタイプである。つまりLSEは、状況や計画の不十分な点や不足している点に、より注意を払う傾向がある。そのせいで「LSEは何かにつけて否定的な評価をする」と受け取られてしまうことがある。そのためESEはより前向きな人だと受け取られることがある。
参考: