双対関係であるILIの説明にもSEEに関する説明があります。
第1機能(先導):Se
SEEの特徴は「自分の利益(または自分の「チーム」の利益)、そして自分の優先順位を意識的に守る」という点です。
彼らはSeを「無慈悲に、暴力的な手段で他人をねじ伏せて抑圧するため」ではなく、「SEE自身の感覚能力の可能性を自由に発揮するため」「輝かしい個性を思う存分表現するため」「倫理的な目標を叶えるため」に使用します。
したがって、SEEの価値観における「力」の評価は、まず第一に「個人の成果と競争の原理」に基づいています。SEEにとって重要なことは、自分の仕事ぶりや功績が認められ、「権威者である」と他の人々から受け入れられることです(この場合の権威とは、「SEEの持つ磨き抜かれた才能と、SEEが成し遂げてきた偉業」に裏付けられた権威です)。つまり彼らは他の人々から「最も思慮深くて切れ者のリーダー」「最もやる気に満ち溢れた仕事仲間」「最も誠実で最も信頼できる友人」として認められたいのです。
彼らは職業や活動の種類に関わらず、自分こそが「ベストの中のベスト」になりたいと願っています。この目標は、それ自体は賞賛や尊敬に値するものですが、一方で常にライバルと自分を比較したり、絶えず前へ前へと出て、他人に主導権を渡さないようにしなければならなくなります。緊張に満ちた「スポーツ競技」を永遠に続けているかのような生活を送るために、一体どれだけの体力と資質が必要になるのでしょうか。
仕事やプロジェクトに没頭し、成功のための努力や犠牲を惜しまないSEEは、並外れた仕事への適性を示すことがあります(あるSEEの若手歌手は、自分の技術を向上させるために3人ものインストラクターの指導を受けましたが、残念ながら費やした努力と資金に見合うような結果にはなりませんでした)。
彼らは自分の成果を自分で宣伝します(自慢話だと受け取られることもあります)。また時には「自分に比べていかに他人が劣っているか」わざわざ驚いて見せたりすることもあります(「えっ、まだこの課題やってるの?自分はもうとっくに次の課題に進んでるけど?」)。そのせいで、あらゆることを自分中心に話しているような印象を他人に与えてしまうこともあります。ただ彼らのこうした態度は、彼らの双対であるILI(最も受動的で、最も「熱意」に無関心なタイプ)に対してはプラスに働きます。SEEはILIを適度に煽り、創造的な競争と事業活動の精神をILIに与えることが出来ます。つまりSEEはILIという最も受動的でやる気のない人に活を入れることができるのです(もしSEEのような存在がいなければ、ILIは無関心と受動性の極みのような存在に陥ってしまうことでしょう)。
SEEは「消去的な人」「主体性がない人」「計画から逃げていこうとする人」のことを否定的に見ます。といっても彼らは「肘で他人をどかす」ような行為を賞賛しているわけではなく、「戦い、探し、見つけ出し、降参しない」という能力を高く評価しているのです。SEEは「困難を前にして諦めてしまう人」を尊重しません。彼ら自身、絶えず積極的に行動し、解決策を模索しています。時々、SEEが問題解決のために提案する案は、幾分直線的に見えることがあります。SEEの提案は「閉ざされた扉を破って先へ進む」というよりも(この種の提案が全くないわけではありませんが)、「あらゆる方法で自分の権利を守り、どんな条件でも大まかな目標を達成する」性質が強いです。
SEEにとって、どの問題が意志的な圧力(※Se)で解決できる問題で、どの問題は解決できないかを知ることは重要なことです。そしてSEEは「自分自身だったら、まず間違いなく従わないようなアドバイス」を他人にすることによって、自分の重要な自我ブロックの要素(※SeとFi)が有効かどうか、つまり『強引に押し通すことが出来るかどうか』を判別するための情報を得ようとします。
これと同様に、SEEが「ライバルになりそうな人物」を評価する場合、SEEはまず小手調べに自分のかける圧力に抵抗して意志を貫くことが出来るかどうか、すぐ反撃してくるかどうかを調べます。SEEは「自分の優位性を確認するため」であったり、「自分の方が相手よりも有利であることを実感するため」に、興味を惹かれた相手と「試しに闘ってみる」ことがあります。そして、相手がすぐにそれを拒絶しない場合「この人は自分の身を自分で守れない人だ」という誤った結論に至ることもあります。将来的には、こうして導き出してしまった性急な「結論」にSEE本人が躓いて、非常に不快な思いをする羽目になることもあります。
SEEにとって、公の場で「自分の居場所を奪われる」ことは非常に不愉快なことであり、自尊心を低下させるものです。さらにSEEにとって不条理だと感じることは、「見知らぬ人が、わけのわからない理由で突然襲ってくること」です。この場合、SEEは怒りに我を忘れてしまいます。残念ながらSEEは「自分の気持ちをコントロールし、落ち着いて相手に説明を求める」ことを常に出来るとは限りません。
SEEは生き生きと、時には挑発的に「自分自身について宣言する」ことができます。社会に逆らい、挑戦状を叩きつけ、スキャンダラスなイメージを自ら作り上げることがあります。これは、彼ら自身の創造的な個性の表現にほかならないのです。彼らにとって「誰かを挑発すること」と「自分自身に何の関心も向けられないこと」、どちらが不安かというと、後者の方がずっと不安になります。自分の輝かしい能力に目を向けてもらえず、自分の成果に関心を払われることもなく、自分のリーダーシップも認められないことはSEEにとってかなりの苦しみとなります。
彼らはまず行動する人です。そのため、自分の行動を制限するものには、特に敏感に反応します。他人がSEEの行動を抑制しようとすればするほど、彼らの行動は矛盾しはじめ、暴力的なものになっていきます(これはSEEが頻繁に引き起こす問題です)。SEEの活動や事業の規模は通常かなり大きいものです。
時にSEEは、他の人からすると考えられないほど強引なイニシアチブをとって他人の生活や人間関係に文字通り「割り込む」ことがあるため、「傲慢で恥知らずだ」という印象を与えることがあります。多くの場合、SEEは無愛想で堂々としていることが多いかもしれません(wikisocion編集者注釈:これはSEEの第4機能、別名、脆弱機能に位置するTiが人間関係の論理的根拠や階層を意識していないことが原因かもしれません)。
何が何でも主導権を握ろうとするあまり、SEEはしばしば自分をアピールしすぎてしまったり、最善の行動をとらないことがあります。そのせいで厄介な状況に陥ったり、時には哀れな姿や滑稽な姿を晒す羽目になることもあります(彼らのこういう面と向かって批判してはいけません)。SEEにとって、人気や権威、その他の前向きな要素を勝ち取るための努力の全てが「正反対の結果」に繋がることほど意気消沈することはありません。SEEは信用を得るための手段として、自分の間違いや非を認めることは出来ますが、おそらく他のタイプの人々よりも困難なことです。
ここまで読んで「SEEは自分の野望を何よりも最優先させている」と考えるのは間違いです。SEEにとって腹立たしく感じることは、他の人が彼らSEEの善意を理解してくれないことです。SEEは「自分には他の人々を率いる権利がある」と確信しています。そうした権利を認められないと言うことは、SEEにとって非常に不快なことです。なぜなら、それはすなわち「成功のための努力や犠牲を惜しまないSEEをリーダーにするメリット」や「SEEの誠実で私利私欲に囚われない創造的な労働」が認識されていないということを意味するからです。
簡単に言えばSEEが最も重視しているのは「自分が権威者だと感じられるかどうか」です。だからこそ彼らは自分のリーダーシップに対する自発的な承認と信頼を求めています。SLEにとって権威を得て、実権を握ることが重要なのに対して、SEEにとってはリーダーシップを得て、それを維持することが重要だと考えています。SLEは「システムのリーダーになる」ために権威を必要とし、SEEは「自分の創造的な倫理的潜在能力を最大限に発揮し、自分が率いるシステムを民主化し、倫理的に改善する」ために権威を必要としています。SLEの戦略がすべての勢力圏を制することであるなら、SEEにとっては、自分の活動のすべての領域で「覇権」を握ることが重要なのです。そしてSEEは、自分の個人的な資質や長所が「自分こそがリーダーとしてふさわしい」ということを周囲に納得させるのに役立つものだと考えています。SLEが「自分の影響範囲はどこまで拡大したのか」を厳密にチェックしているのに対して、SEEは、仮に彼らの影響範囲が拡大していたとしても、彼ら自身それに気付いていないことさえあります。(SEEとSLEの先導機能の比較は、これら2つのタイプの性質の違いを説明するために行ったものであり、どちらが「より良い」リーダーでどちらが「より悪い奴」かを示すために行ったわけではないことは注意してください。どちらのタイプにもリーダーシップを発揮するのに適した条件、状況があります。適した条件下では、どちらのタイプも十分にリーダーシップを発揮することが出来ます)
SEEには「フットワークの軽さ」「自己主張の強さ」「即座に、全方位に向けてイニシアチブをとることができる」という特徴があります。彼らは自分では気付かないうちに、自分の周囲の空間をすべて占拠しています。SEEは共感や注目を集めるための方法を注意深く観察したり、そのために適切な行動は何か、常に評価しているわけではありません。彼らにとって優先順位を維持することははるかに重要であり、この目標のために、自分で背負った義務を誠実に、かつ倫理的にやり遂げる覚悟ができています。
SEEの問題点の一つは、「どうあるべきか」を常に知っているSLEとは対照的に、「どうあるべきでないか」しか明確に知らないことです。そのため優れた才能を持つSEEは、クリエイターというよりむしろ破壊者になる可能性のほうが高くなります。政治の世界では、SEEは全体主義・権威主義体制の破壊者になります。そして芸術の世界では、既存の形式や流行を覆す、大胆なイノベーターになります。彼らは新しい芸術や運動の創始者です。他の人が彼らを模倣することはできても、彼らと同じように創造することができる人は誰もいません。このタイプの人々の中には、あらゆる面で才能に恵まれた、聡明で創造的な人物がよく見受けられます。
SEEの第1機能である意志的な感覚機能の矛盾は、彼らの独裁が非常に民主主義的である点にあります。彼らは専制政治や専制君主というものを非常に嫌っていますが、彼ら自身もまた「独裁的な面がある人物リスト」に名前が載ってしまうような人々です。SEEは自分の影響力が他の誰かの物にならないように、あらゆる手段で努力します。その意味で、「自分の敗北を認めること」は彼らにとって特に苦痛を伴います。自分の影響力や権威を何としても維持しようとするあまり、SEEはしばしば自暴自棄的で矛盾した行動をとり、それが悲劇的な結末に繋がることがあります。
第2機能(創造):Fi
SEEは、自分の第1機能である「意志的な感覚(※Se)」の立場から、あらゆる倫理的関係を構築します。つまり、SEEは相手との関係がどのような形に発展するにせよ、常に彼らがリーダーであり続けなくてはならないのです。
SEEにとって、人間関係の始まりの言葉と終わりの言葉は常に自分の口から発されなければならないものです。例え自分が主役であろうと脇役であろうと関係なく、倫理的な状況(※人間関係の状態)をチェックし、相手ではなく自分がそれをコントロールする権利を握っていると思っています。
倫理的志向が比較的強く、「関係の倫理(※Fi)」が強力な創造機能に位置しているにもかかわらず、彼らの人間関係は「苦労せずに円滑に発展していく関係」とは言い難いものです。SEEはいつでも、どこでも「征服者」でいなければなりません。そのため、この人間関係という分野が容易に進展することはほとんどありません。SEEの問題点は、誰かが占有権を主張していないもの、あるいは誰からの異議も立てられないものであれば、すぐに「征服」したくなってしまう点です。しかも「すでに自分の影響下にある」ものですら、時に「征服」の対象になってしまいます。
SEEが強力な関係性の倫理を自然な形で使用すること(魅力的に、気楽に、自由に人とコンタクトすること)を妨げる要因は一体何なのでしょうか。SEEには、自分がこうした魅力的な資質を持っていることを認知させたいという欲求があります。それに加えて、「自分の方が優位である」「自分の方が影響力がある」という証拠を欲しがります。SEEが本来、強力であるはずの関係性の倫理に関する素晴らしい資質の魅力を曇らせてしまいがちなのは、まさにこうした「証拠」を貪欲に求めるからです。彼らが不適切な形で、無理矢理、他人の目を自分の魅力に向けさせようとするせいで、「自己愛が激しくて誉め言葉に飢えている人だ」という印象を他人に与えてしまうのです。
倫理の分野において、SEEは中途半端な勝利を主張するだけでは満足できません。一度人前に現れたからには、皆を魅了し、自分に対する興味を掻き立て、注目を集めなければなりません。SEEがこういったことをしない相手は、彼らにとって考慮するに値しないような、どうでもいい相手だけです。規模に関係なく、こうした傾向を持つSEEが多くの敵を作り出してしまうだろうというのは想像に難しくありません。
また、SEEが持つ敵味方の関係にも、多くの矛盾が存在します。彼らは昨日の敵を「友人とすべきだ」と思ったら「今日の友」として快く迎え入れる一方で、自分の興味があるテーマとは違うテーマに興味を持った「今日の友」は、もはや友ではなく「裏切者」だと考えてしまいます(おそらくSEEは自分の関係性を「敵」と「友人」に分類する唯一のガンマクアドラのタイプです。ESIは「自分の仲間」と「赤の他人」に分類し、ILIとLIEはそもそもこういったことについて何も考えません)。
SEEの倫理は、彼らの「プログラム機能」(※第1機能)である意志的な感覚機能の目的のために、従属して使用される機能であるため、ある種の最大公約数的な性質を持ちます(※最大公約数的な性質…実際には微妙にニュアンスの違う様々な関係性を、「友」と「敵」の二つに分けてしまう性質)。SEEの倫理機能は、常に一貫性を持って使用されるわけではありません。SEEのFiはSeによって操作され、常にSeの目的のために関係性を調整する手段として使われます。SEEが他者と築く関係性には2種類あります(尊敬を感じる相手や、自分に関心を向けてほしいと感じる相手との関係性、そしてSEEから見て価値のない相手との関係性の2つ)。SEEの抱える倫理的矛盾(※自分の影響力や権威を維持しようとするあまり、独裁的で自暴自棄的な行動をとってしまい、かえって影響力や権威を失ってしまう性質)と、この最大公約数的な性質がSEEの問題点であり、すぐに敵を作り出してしまう原因でもあります。
SEEがいつまで友好・敵対関係にあるのかは、具体的な状況によってのみ決まります。もちろんSEEは関係が完全に崩壊して、修正しようがないとことを完全に確信するまでは、後に引きません(SEEの理解では、「誤りを正す」とは、もう一度権限を獲得することを意味します。彼らにとって手段は重要ではありません。許しを請うとか、スキャンダルを起こすとか、どんな手を使ってでも状況を「正す」ことだけを目指します)。
SEEの倫理的な機能は高次元性の強力なものですが(※関連記事「機能の次元」)それにも関わらず彼らの操作的な傾向のために、そうは見えないことがあります。SEEは、自分が悪いことをしていることを十分自覚しているにも関わらず(しかも正しい行動をするとしたら、どう行動すべきかを知っているにも関わらず)、常に自分の非倫理的な行為を正当化する「説得力」を見つけ出してしまいます。
彼らは、常に他人の非倫理的な行動に気付きますが、それを非難したり、言及したりはしません。SEEの長所は、ユーモアを持って他人の倫理的な不完全さを受け止めることが出来る点です。
SEEは、倫理的な影響力の範囲を拡大することを常に目指しています。このタイプの人々は、一種の「倫理的侵略者」と見なすことができるかもしれません。しかし自分の影響範囲内での行動は、かなり波があって一貫性がなく、それ自体が非倫理的であることも少なくありません。彼らの倫理的戦術、「信頼できる」人、敵、友人、そして彼らの意志と倫理的影響の中心地点は絶えず変化しています。SEEは、自分の周りで起こっていることはすべて、ただの「自分の行動に対する反応」に過ぎないということを、少なくとも自覚しています。
SEEが騒げば騒ぐほど状況は危機的になり、人間関係の戦略的な方向性を失います。結局、自分にとって誰が敵で誰が味方なのかわからなくなり、身近な人と何度もささいな話し合いをしたがったり、原始的で子供じみた策略をしかけて倫理的な争いを繰り広げたりする羽目になります。 SEEほど「創造的」に人間関係を台無しにする方法を知っているタイプは、他にないかもしれません。
SEEは他の人々が今、自分の行動をどう評価していたとしても「そのうち全てが良くなってほしい」と心から願っています。そして人を喜ばせようとして、あらゆる問題を解決しようとしたり、人の為になりそうなことをしようとします。
SEEを矛盾した行動をとってしまったり、決定的な行動を起こさずに倫理的な問題を悪化させてしまう背景には、こういった心理があります。
第3機能(役割):Ne
先導機能Seは、常に「可能性の直感(※Ne)」の情報を必要としています。SEEには、人それぞれの可能性と能力を出来る限り正確に推定する必要性があります。なぜならSEEにとって「成功するためのアイデア」は、その環境の潜在的な可能性と能力から構築するものだからです。
SEEにとって、自分の計画の進み具合と、他人が自分と比べてどの位置にいるかを知ることはとても重要なことです。例えば問題集を解くという課題に取り組む際、SEEは自分の周りの人が何問解いたのか監視しながら、他の誰よりも早く問題集を進めようとします。一番乗りで教師の採点を受け、教師の注目を自分に集めながら、自分が「有能な人」「まるで専門家のような人」だというイメージを周囲に植え付けようとします。
彼らはどんな状況でもポジティブな可能性に関心を向けます。例えば勉強が一段落したら、彼らはさらなる「自分が優位に立つのに役立ちそうな可能性」を探し始めます。他の学生の勉強がどれくらい進んでいるのかチェックしたり、自分の役に立ちそうな人とコネクションを持とうとしたりします。面白い情報を得るために活発に動き回り、色々な人と将来の計画について話しあったりもします。「誰が今どの位置にいるのか」のチェックを「誠実な」雰囲気で行い、まだ解決していない問題があれば、それに嘆き悲しんでいる様を見せます。そのおかげで彼らは自分の関心のある問題に対して、多くのアドバイスを受け取ることができますが、最終的には自分独自の方法で問題に取り組もうとします。
SEEは「先見の明があり、合理的な人間である」という印象を周囲の人々に与えようとします。必ずしも助言を素直に受け入れられるタイプではありませんが、それでも誰かから助言されたときに、自分の計画について話すことは大好きです。「すべてを知っている人」というイメージを植え付けようと画策することも多いです(何かについて知っている場合、急いで手を挙げて「知ってます」とアピールすることも多いです)。あらゆる分野で、「全ての鍵を握っている人」であるというイメージを持たれたくて仕方がないのです。明らかな誇張を交えて自分の影響力を語ることも多いです。嘘や「ブラフ」を使うことも厭いません。
SEEにとって、人と接触する場合、その初期段階から相手の潜在能力を見極めることは非常に重要なことです。この場合、SEEは主観的な印象で相手を評価することもあれば、相手の社会的地位から評価したり、相手の「見た目」から可能性を評価することもあります。
彼らは相手の可能性や状況に対する大まかな評価に基づいて、時には許容される倫理基準の範囲をはるかに超えることを自分に許可してしまうことがあります。SEEは「誰にどのように接することが出来るか」「誰がどう行動するか」「誰であれば自分の主張を押しつけても構わないか」あるいは「誰にそれをやったらマズいか」を可能性の直観によって決めます。
SEEは時々、「目に映る形で真実を見せる」と称して、非常に反抗的な振る舞いをすることがあります。SEEにとって「真実」という概念は非常に相対的なものです(特に主観的な印象から導き出した「真実」である場合)。そしてSEEにとって「真実の探求」とは、ソシオニクス的に説明するとするならば、倫理的・直観的に「探りたい」という欲求を意味しています。彼らが今やっているような反抗的な振る舞いがどこまで許されるのか、「彼らの目に映る真実(※SEEが反抗的な振る舞いをしている相手)」がどのような反応をするか確かめたいという思いがあるのです。
SEEは不確かさに耐えられません。そのため、わざと状況を危機的なものにし、その過程で力の再配置を行い、関係性のシステムにおける自分の位置付け(※自分と周囲の人の力関係や、自分にどの程度影響力があるのかどうか)を理解することもあります。誰が誰であるのか、彼らが他の人からどのように認識されているか、そして誰が彼らSEEを「拘束」しているのか理解しようとします。
SEE(そして彼らの双対であるILI)にとって幸いなことに、関係性が不確かな場合、SEEは一人のパートナーに固執したりはしません。こうした不確かな状況で、SEEは「他に脈がありそうな人」を見つけ出すことがあります。ILIの脆弱な倫理機能と無意識のうちに同調しているSEEは、ILIが特に大切にしている関係を整理してしまうことを恐れています。そのためSEEはILIに感情的な圧力をかけないようにします。不確かな状況で、SEEは自分の感情を「最もパートナーにしたい人」に100%向けるのではなく、他の「予備のパートナー候補者」に分散させることで、「本命」に感情的な負荷をかけすぎないようにします。
SEEのこうした「予備」を利用する戦術は、確かに厄介な状況から抜け出すには役に立ちますが、SEE自身にとっても不本意な戦術です。こうした戦術はSEEに欺瞞を強要し、尊厳を傷つけ、SEEの倫理原則(品位、正直、忠誠を尊ぶ原則)とは矛盾するものです。またSEEは自分のNeに自信がないため、「ウソがばれるのではないか」「自分がこうした戦術をとっていることが露見するのではないか」という恐れで苦しむことにもなります。しかしそれにもかかわらず、関係性が不確かな状況では、全てのパートナーとの関係性を一貫性のある形に清算することができず、「自分の都合のいいように誰かを操作せざるを得ない」と思い込んでしまう傾向があります。
SEEが状況分析する場合、彼らはあまり信頼性のない情報源から情報を集め、耳に痛くない方法でそれを評価するため、表面的であったり楽観的過ぎることがよくあります。例えばこのタイプの人々は、「メディア」に対して絶対の信頼を置いており、事実無根の噂話でも信じてしまったりします。
時に彼らは、「自信を持って未来を見つめ、自分にも他人にも数多くのチャンスを見つけ出すことのできる人間」の役割を果たすことがあります。多くの場合、他の人々を勇気づけながら、彼ら自身も活性化されます。しかし実際に具体的な障害に直面すると、最初の「熱意」が嘘のように消え失せてしまいます。そして、そんな窮地から抜け出すために可能な方法を無我夢中で探し始めます。
「可能性の直観(Ne)」のミスは、SEEに大きな犠牲を強いることになります。不愉快な状況に陥いったり、より酷い場合はキャリアを棒に振ることに繋がったりします。そのため、後で裏目に出るようなことをしないよう、細心の注意を払っています。彼らは自分の直観に対して強い自信を持っているわけではありませんが、それでも少しでも自信が持てるようになるために、常に直観を鍛えようとしています。
可能性の直観という領域で、SEEは双対であるILIの助けを借ります。ILIは最悪の結果を予見することが出来るだけではなく、発生しうるトラブルについて、きめ細かくSEEに警告することが出来ます。
第4機能(脆弱):Ti
SEEは、自分の倫理観や好き嫌いにとらわれているため、客観視することが苦手です。彼らの行動は常識はずれなことがありますが、これは彼らの感情的な態度が行動に反映されているからです。
SEEの行動は、時に論理的な意味付けがずれてしまうこと(つまり「そういうものだから」という理由だけで、ある種の原始的な論理的固定観念に基づいて、常識に反した行動をとってしまうこと)があります。さらに、こうした論理的な固定観念に引きずられて、倫理的な原則を損なうような行動をとることが多いです。例えば「一般的にはこうするべきだ」というステレオタイプな「あるべき論」を振りかざしてしまって、大切な人との良好な関係を破壊してしまうことがあります(自分がどう感じたかではなく、「こういう場合は叱るべき」「こういう場合は褒めるべき」という考えで行動してしまいます)(※Tiは構造の論理。法律などのルールに関する機能)。
これは、表面的な論理的(および倫理的)固定観念を使い、スローガンに基づいて行動し、理由のあるなしにかかわらずそれを口にする習慣に通じます(「哀れみは人を辱める」「恐怖とは敬意」「嫉妬とは愛」「自分で決めたことを投げ出すな」「女は主導権を握ってはいけない」等)。
時におかしなイントネーションを使ったり(※ソシオニクス的に言うと、「おかしなイントネーション」とは「ルール通りでないイントネーション」であり、つまり「論理的なおかしさ」を意味する)、倫理的な面から見てその場にふさわしくない表情をすることもあります。
情報を受け取る際、無関係な部分に関心を持ってしまったり、関心が持続しなかったりすることもあります。例えば説明を聞いていると、本筋とは全く関係ないどうでもいい部分に突然興味を持ってしまうことが多いです。そしてそのまま本題とは関係ない質問をして話を脱線させることがあります。
また、それ以外にも彼らは「自分の話にすり替える」ことによって、話を脱線させることもあります(話題をそらすために意識的に行う場合もあれば、特に理由なく行う場合もあります。具体例はプーキシンの小説「エヴゲーニイ・オネーギン」の「余談」です)。
概念や知識を分類し、それらを一貫したシステムに組み込むことは、SEEにとって退屈な仕事です。いかなる現象であれ、「現象を論理的に分析する作業」に集中したり、論理的な結論を正しく理解したり、論理的な説明をすることは、SEEにとって困難なことです。順を追って説明せずに、いきなり途中から話し始めてあっちに行ったりこっちに行ったりします。SEEの説明を聞いていると、簡単なはずの内容であっても、聞いている側が混乱してしまうことが多いです。
多くの現象についてのアイデアが表面的な物であっても、彼らはそれを自然なことだと考えます(「人はこうやって少しずつ何かを学んでいくんだ」)。あまりにも高度な議論に参加する必要性などありません。議論するにしても、そのテーマが少なくとも身近なものであればいいのです(そういうテーマであれば、他の人から「無能だ」と思われる恐れもありません)。他人からバカなやつだと思われたくないため、SEEは法律や技術的なテーマについて発言する時は非常に慎重です。
説明書を読んだり、ルールを覚えるのが嫌いで、すぐに退屈してしまいます(SEEは説明書を読まずに機械を操作して、何度も故障させるようなタイプです。メモリを解放しようとして、うっかり端末を初期化してしまったSEEもいます)。いくら悲しい経験をしても、SEEはその原因を「運がなかったから」としか考えないため、そんな自分を変えることが出来ません。そしてまた運や勘に頼った挙句、かなりの確率で失敗してしまいます。
他人の失敗から学ぶのも苦手です。彼らは人に相談するのが好きですが、最終的には他の人から与えられたアドバイスを全て無視して、自分独自の行動をとりたがります。SEEほど同じ場所に何度も「ぶつかり続ける」タイプはいないかもしれません。なぜ何度も失敗し、苦しむことになるのか、何が問題で、何を改善すればいいのかSEEに教えるには膨大な忍耐力が必要になります(そしてILIはこうした忍耐力に優れています)。彼らは自分の好きなように行動します。そうでなければ、彼らは自分自身でいることができないのです。
SEEに必要なのは、真剣に、注意深く、慎重に物事を考えて行動することです。SEEにとって、他人から自分の非論理性について指摘されることは我慢ならないことです。行動に論理的な一貫性を求められると腹を立ててしまいます。彼らは知的に、論理的に行動しようとしますが、誰かから「もっと論理的に考えろ」と指摘されたり、「知的な人」に向けられるような敬意が自分に向けられなくなった途端に、全ての論理的な統制を失ってしまい、無秩序で行き当たりばったりな行動をし始めてしまいます。
SEEに「非論理的だ」という指摘をすることは逆効果にしかなりません。仮に指摘した人がそこまでキツく指摘しているつもりはなくても、SEEにはかなり攻撃的な批判に聞こえてしまうため、指摘を素直に受け取ることが出来なくなってしまいます。SEEは「完璧な人間になりたい」という欲求がかなり強いタイプです(彼らからすると、それを望まない人のことが理解できません)。「自分が一番賢いわけではない」ということを認めるのは、彼らにとって非常に難しい事なのです(まずはこの点を素直に認めることが、最善策であるにも関わらず)。
SEEが論理的に行動するためには、いきなり勘で行動するのではなく、可能性の直観(※Ne)によって状況を複数の要素に分解し、それぞれの要素の順番を論理的な一貫性のある形に並び替えてから行動する方が簡単だということを知っておく必要があります。「合理的に行動する」という言葉をSEE向けに翻訳するなら、それは「これ以上ないくらい慎重に行動する」となります。「可能性の直観(Ne)」の面を徹底すればするほど、SEEは論理的に行動しやすくなります。
SEEの行動における矛盾や騒乱を少なくするためには、可能性の直観Neに関する十分な情報と、時間の直観Niに関する十分なサポート、そして非常に重要なことですが、人間関係の論理(※自分が相手に与えるもの、責任、義務と、相手から自分が受け取るもの、権利が釣り合っていなければならないというルール)に関する批判を受けないような、ある種の心理的な状態に彼らをおくことが重要になります。つまりSEEはILIの心理的なサポートを必要としています。ILIはSEEを怯えさたりパニックに陥れないような形で状況の見通しを示し、行き当たりばったりな行動にSEEの意識が向かないようにし、NeとNi両面からサポートすることで論理的な分析の手助けをします。ILIは的確な例え話を交えながら、非常に理路整然とした説明をすることができます。ILIは、自力で楽しく論理的な結論を出せるよう、会話相手を上手に導きます。
第5機能(暗示):Ni
SEEはこの点の問題を隠しません。「非常に活発に動き回っているにもかかわらず時間がいくらあっても足りない」という問題を抱えていることは、既に誰の目にも明らかな問題だからです。同時にいくつもの事柄や仕事に着手し、その一つ一つに多大な時間と労力を必要としているのに、一体どこで十分な時間を手に入れることが出来るというのでしょうか。
今何をしなければならないか、どれだけの時間がかかるか、ということに集中しようとすると、彼らには大きなストレスがかかります。何も考えず、何かやりたいと思ったら、その瞬間に時間を気にせずやるほうが楽だというのが本音です。出来るだけ多くの仕事をこなすために、彼らは「一つ一つのステップについて難しく考えすぎて行き詰まらないようにしよう」という考え方を採用します。曖昧さや不確かさに直面したら、彼らは別の問題に切り替えます。SEEにとって重要なことは、常に前進し続けることであり、一つ一つの問題に囚われず先に進むことです。
SEEは仕事に没頭するあまり、それがそもそも本当に必要な仕事なのか、やる意味がある仕事なのかという視点を見落としがちです。彼らは次に何が起こるか、将来何が起こるのか考えることを恐れて避けようとします。未来について考えたり悩んだりせず、今を生きる方が、SEEにとっては楽なのです。そして、その軽薄さのツケを後日払うことになりますが、それでも彼らは自分自身が望む未来だけを見たいと思っています。問題や挫折に関する情報は、その重要性を認識しているにもかかわらず、素直に受け取って深く考えることが出来ません。
彼らは待つのが嫌いです。彼らはあまりにも活発的すぎるのです。そのせいですぐ焦ってしまいます。全てを一度に、あるいは少なくとも早く明らかにしたいのです。「考える時間がない」あるいは「考える時間がもったいない」と感じることも多いです。そんな彼らに対して、ILIは彼らの生き方の原則である「ゆっくり急ぐ」ことの大切さを教えます。「時間がすべての疑問に答えてくれる」「時間がすべてを元の場所に戻してくれる」と、熱くなりすぎたSEEを冷静にし、安心させます。SEEはILIのアドバイスに耳を傾け、それを確信するようになります。そして突然、どのように起こるかを辛抱強く観察し、「最後まで見守る力」を(そして時には好奇心も)発達させます。
SEEは、自分は「正しく生きているのか」というトピックについて考えることがあります(「現在の行動が将来の運命にどう影響するのか、将来、すべてがベストな形で結ばれるために今何を変えるべきなのか」)。このようなトピックについて考えることそのものが、SEEには苦痛を伴うことです。そのため、この点については事前に編集された情報を用意しておくことを好みます。より良い未来のために、現在の生活に「秩序をもたらしたい」という衝動にかられたり、自分の一挙手一投足を分析し始めることもあります。SEEはしばしば民話のように、「あなたが右の道を進むらな、あなたは馬を失うでしょう」という道しるべを必要としています。(wikisocion編集者注釈:これはロシアの民話を引用した言葉です。旅をしている主人公が、「どちらの道に進んだらどうなるか」警告する道しるべがある三本の道に行き当たる話で、主人公はこの道しるべを元にどの道を進むかを決定します。SEEを主人公、ILIを道しるべに例えています)(※ロシアの民話「イワン王子と火の鳥と灰色狼」。下記は、このシーンのイラスト。ヴィクトル・ヴァスネツォフ作)。
SEEにILIのような才能を持った双対が存在するのは「天の計らい」と言う他ありません。状況に応じて未来の出来事の結果を予測することにかけてILIに勝るものはいません。SEEはただILIに「何が起こったのか」「どうすれば気分を落ち着かせることができるのか」と聞くだけで十分なのです。
彼らはILIから、いつ努力すれば効率よく物事が運ぶのかという情報を教えてもらうことで、自分の行動の結果に関する洞察を深め、自分の今の行動が遠い未来にどのように影響していくのか見通せるようになります。こうした情報はSEEにとって何よりも貴重な情報であり、こうした情報を見抜く力にかけてILIに並ぶ者はいません。SEEはILIからタイムリーに警告と予測をしてもらうことによって、慎重に、先見の明を持って行動できるようになります。
第6機能(動員):Te
SEEは、卓越したビジネスセンスと効率性を持った人物です。非常にタフで、勤勉な人であり、手間や時間を惜しまずどんな仕事でも引き受けます。いざとなれば、危険と隣り合わせの肉体労働もします。
SEEをはじめとしてガンマクアドラの人々にとって、「自分の創造性を発揮すること」「自分の仕事や作品が求められていると実感すること」は大切なことです。そしてSEEはそれを叶えるために、自分ができる仕事を次々と活発に引き受けていきます。どう仕事を進めればいいのか理解すればするほど、さらに熱心に、積極的に行動するようになります。
しばしばSEEは周囲の人々に「なんでもできる人」というイメージを与えます。確かに彼らは新しい技術、というより新しい商売のやり方を覚えるのは早いほうです。さらに一度習得したことは忘れません。SEEは、その多彩な能力と才能を積極的に活用することで、不自由することのない程度の収入を得る機会を容易に見つけることができます。彼らは「フルートの演奏家であり、農夫であり、スポーツ選手でもある」ような人々(※全く異なる様々な分野の高い能力を持っている人)です。彼らは仕事の内容が何であれ、まるで遊んでいるかのように生き生きと素早く、簡単に片づけていきます。(wikisocion編集者注釈。これはSeやNeが強調されている不活性サブタイプのSEEやIEEにより当てはまる説明です。このサブタイプは、倫理サブタイプと比較して「隠された思惑や計画」を意識しながら新しい方法を習得することに重点を置きます)。
彼らは準備よりも実際に仕事を進める段階に魅力を感じます。SEEが仕事をする場合、可能な限り様々な選択肢を提示することで、他の人にもそれぞれ「自分が適任だ」と感じる仕事を引き受けてもらおうとします。しかし実際に仕事をする段階になると、いろいろな選択肢について考えるようなことはしなくなります(考えたくないというのが本音です)。そして最初に思い浮かんだプランで仕事を進めます。
自分の失敗を批判されるのはSEEにとって苦痛ですが、自分の仕事や作品が他の人々よりも好意的に評価されるのはSEEにとって非常に嬉しい事です。仕事の結果を細かく指摘してくるようなパートナーではなく、仕事をチェックして、安心させてくれて、前向きなコメントをくれる、有能で信頼できるパートナーを求めています。細かい部分を理解しなければいけないというのは、SEEにとって気の滅入るような作業です。理論的な内容をじっくりと理解しようとせず、わからないことがあったらその都度アドバイスを受けながら進めていくことを好みます。実用的で建設的なコメントを求めています。合理的に仕事を進めるためのアドバイスには細心の注意を払って耳を傾けますが、出来上がったものを批判されることは、彼らにとって本当に嫌で嫌で仕方がない事なのです。(※SEEは説明書をきちんと読まずに自分の思うがままに作業を進める方ではあるものの、それは「いちいち説明書を読んでいる時間がもったいないし面倒だから」そうしているだけであって、「人と同じやり方は嫌だ、全てのことにオリジナリティを追求したい」という考えでそうしているわけではないので、)明確に整理された、覚えやすい方法がすでにある場合は、それに沿って作業を進めます。
日常生活ではかなり現実的で、合理的に家庭を管理することができます。
お金の運用方法やお得な買い物の仕方などの情報には、興味を持って耳を傾けます。この問題についてSEEの双対であるILIほど、SEEにとって有用なコンサルタントは存在しません。ILIはSEEに問題のある支出を警告したり、SEEが冒険的すぎるプロジェクトに夢中にならないようにしたり、危険すぎる近道に突き進むのを思いとどまらせたりします。SEEはILIから、何をすべきか、どのような順序で行うべきか、何に手を出さないほうがいいのか、あらゆる問題について明確な情報を得ることができます。
ILIの情報のおかげで、SEEは自分の行動に自信を持ち、人生の平和と秩序を感じながら、「自分の力とエネルギーが知的に、かつ目的にかなった使われ方をしている」という確信を持つことが出来ます。
第7機能(監視):Si
彼らにとって、自分が他人より劣っているように見えることは我慢ならない事です。自分の外見にはかなり厳しくこだわる方で、常に自分を効果的に表現することができます。
収入に関係なく、SEEは上品な服装をしています。彼らはしばしば贅沢なスタイルを持っており、人々の注目を集めるために、そういったスタイルに固執する傾向もあります(SEE本人はそうだと認めないかもしれませんが)。外見によって自分と他の人と積極的に差別化しようとします。自分の外見の華やかさを自分の成功の欠かすことが出来ない条件だと見なしています。
彼らは快適で便利であることが、「普通の生活」の前提になると考えています。生活空間を整えるうえでもっとも重視することはアメニティ(居心地の良さ、快適性)です。装飾性という意味ではこだわりを持っておらず、清潔さや居心地の良さ、快適さが重要な美的規準になります。また、もはや詳しく説明するまでもありませんが、「自分の家にある物はすべて、他の誰にも負けない物でなければならない」という基準もあります。
SEEにとっての美学は、彼らの持つ才能と能力の多くを実現する領域です。SEEは通常、かなり具体的で明確、そして自信に満ちた美的基準を持っています(ただし他の人がSEEの美的基準に疑問を投げかけたり、批判する場合もあります)。美的感覚という意味ではSEEは常に論理的で(※「自分が好きだから」というフィーリングではなく、実用的であったり価格が高いという風に、他人と明確に比較できるような具体的な基準がある)、彼らの芸術的なスタイルは常に何かによって正当化できるようなものです。SEEにとって「贅沢」とは自分を創造的に表現するための手段にほかならないものです。
芸術は、SEEの創造性が最も顕著に現れる分野であり、輝かしく完全な表現を見出すことができます。彼らは非の打ちどころのない仕事をするために最大限努力できるため、最高の評価を得られるような技術力を身に着けることも可能です(wikisocion編集者注釈:あるSEEは可もなく不可もないような普通の美容院で美容師として働き始めましたが、そのヘアカット技術の正確さと丁寧さで常連客をたくさん増やすことができ、美容院は大繁盛しました)。
彼らは体力があり、運動量も多いです。自分の健康問題から目を背けないようにもします。活気に満ちたアクティブな休日を好みます。とても陽気で、自分自身とILIにとって十分な程度の「生きる喜び」も知っています。どんなことがあっても、持ち前の明るさと生きる意欲を失いません。
第8機能(実証):Fe
彼らは無意識のうちに「操作的な関係性の倫理の枠組み」を作り出します。つまり、彼らは自分の必要性に応じて、自分の感情を正確に表現します。
そのためSEEは常に、起こっている出来事に対して正しい(とSEEは確信している)感情を表現します。例えばパーティーをしている場合、SEEは「みんなが楽しくなければならない」と感じて、真っ先に自分が「楽しそうに」することで、みんなの気分を盛り上げようとします(常に自分が「盛り上げ役」をしなければならないと考えているわけではないですが)(※すでに十分盛り上がっている場合は、わざわざ盛り上げ役になろうとはしない。いまいち盛り上がりに欠ける時に「パーティでは皆が盛り上がらないといけない」という固定観念が働き、それが無意識のうちにSEEを「盛り上げ役」にする)。何か問題が起こった場合、ジョークをひとまず脇に置いて、感情的なプレッシャーをかけることで、迅速に問題を解決しようとします。
他の倫理タイプと同様、SEEは感情に関する問題を解決するのが得意です。しかし、SEEは無意識的に感情的影響力を発揮することに加えて、双対であるILIの問題のある感情(※弱い倫理機能)に焦点を当てているため、あまり深刻すぎたり、劇的すぎる形で影響力を行使するわけではありません。SEEにとって、感情的な影響力を発揮することは「その時々の正しい感情的な衝動を表現する」という一種の倫理的なゲームをすることと同じです。
SEEは「私には自分の問題に自分で対処できる強さがある」と思っています。したがって、SEEがパートナーに与える感情的な影響は、(たとえばESEのように)極端な状況や悲惨な状況を知らせるためのものではありません。SEEがパートナーを感情的に操作するための一形態に過ぎないものです(SEEの操作は、一方では自分をアクティブにするため、もう一方ではパートナーを揺り動かすために行われます。ILIはこうしたSEEの操作によって非常に激しく揺さぶられます)。
SEE(特に幼いSEE)の感情は「子供じみた誇張」という言葉で説明することが出来ます。多くの場合、彼らが感情を表現する前には熱狂的、あるいは怯えたような感嘆詞(※「あー!」とか「うわー!」とか)がつきます。何かを詳細に説明することが出来ない時は、感情的な流れを利用することがあります(「ああもう!どうしてそんなことができるんだ!どうしてわからないんだ!」)。
大人になってからのSEEの感情は、「自分を表現する手段」としてではなく、より「関係性の調整のための手段」として使用されるようになります。いずれにせよ人生経験を積むと(そしてパートナーとしてILIを獲得すると)、SEEは慎重に、抑制的に感情を表現することを学びます。
過度の(不当な)感情的激しさを鎮めるILIとのコミュニケーションは、SEEにとって良いこと尽くめです。SEEから感情的な幼稚さが消え、真の大物の雰囲気を生み出すことに繋がるからです。それは単にSEEに「高貴さ」を与えるだけではなく、SEEの発言や行動に「重み」を与え、SEEの権威が高められることになります。