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ソシオニクス ILI(INTp)by Stratiyevskaya

2022年1月9日日曜日

ILI SEE Stratiyevskaya ソシオニクス

ソシオニクス ILI(INTp)の特徴 by Stratiyevskay

双対関係であるSEEの説明にもILIに関する説明があります。

意識的な機能

第1機能(先導):Ni

ILIは「ゆっくり急ぐ」という原則で生きています。彼らは他人のペースを押し付けられることを非常に嫌います

別段急いでいるわけではないのに、時間通りに物事を進めることができるため、時に他のタイプの人々はILIの持つ力を「羨ましい」と思うことがあるかもしれません(ちなみにILIはわざと遅刻することさえできません)。

交通状況がどうなろうが、どれだけ渋滞しようがILIには関係ありません。いつも時間通りに到着します。


彼らの人生には不測の事態は起こりません。なぜなら、彼らはすべてを予見する術を知っているからです。自分の予想が一致していたとしても、いちいち驚いたり喜んだりすらしないかもしれません(ILIにとっては当たり前のことすぎるためです)

まるで未来に起きる全てのこと、過去に起きた全てのことを生まれながらにして知っているかのように見えるILIすらいます。


この、一見すると大きなアドバンテージにみえるような能力が、逆にILIにとって大きな問題にもなっています

彼らはこのせいで時々人生そのものに飽きてしまいます。全てを予見しているせいで、人生に何も驚きがないように感じてしまうのです。


◆◆◆


あまり自分の予測を他の人に伝えようとはしません。彼らは「占い師になりたい」とは望んでいません。当然のことながら、ILIの「時間を見通す力」は、他の人々からは魅力的に見えるものです。

ILI自身は、犯した過ちを分析し、それに対して繰り返し警告する「教師」の役割を好みます


悲しきかな、ILIは勇気を歌う吟遊詩人ではなく、悲劇を警告する予言者です。彼らの予測はまるでロシア民話「イワン王子と火の鳥と灰色狼」に登場する道しるべのようなものです。

「こちらの道を進めば飢えと寒さに襲われる。こちらの道に進めば、お前は助かるがお前の馬は死ぬ。そして最後に、こちらの道を進めば、お前の馬は助かるがお前は死ぬ」

イワン王子と火の鳥と灰色狼
The Knight at the Crossroads by Viktor Vasnetsov (1878)

彼らの予測は、まるで「いずれの道にも進むことが出来ず、引き返す以外に選択肢が残っていない」かのように聞こえることすらあります。

つまるところ、彼らのする予測は、明るい未来ではなく、将来の危険性や困難、問題を予測するものなのです。無謀な行動にはタイムリーに警告し、起こりうるすべての危険について警告し、最悪の出来事がどのようにして生じるのか指摘することが自分の責務であると考えています


◆◆◆


彼らには、一連の現象の中にある「最も暗い綻び」を、タイムリーに感じとる力があります。誰よりも多く、様々な事業の避けられぬ破滅や、事業の誤り(今やるべきではない事業に手を出すという誤り)を見抜きます。

こうした特徴から見てわかる通り、ILIの予測は悲観的な物ですが、他のタイプに見られるいくつかの直観とは異なり、ILIは「近い将来の世界の終わり」に関する予言はしません(彼らは一般的に、暗い予言で大衆のヒステリーを煽るようなことは、すべきではないと考えています)。

哲学的に物事を考えるのが好きなため、次のような言葉を慰めにすることもあります。「すべての出来事は過去のものになる」「世界の終わりは明日ではない」


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彼らは「待つことの大切さを知っている人こそが、やがて全てを手に入れる」と考えています。ILIは「待つ」のが得意です。計画に損害を出さないようにしながら、ほとんど一生かけて何かを待つことすらできます。

自分の時間を管理し、時間を「自分のもの」にすることによって、彼らは自分が独立・自立していることを感じられます。状況に自分が屈するのではなく、状況を自分が利用できるようになろうとします。ILIは自分自身を過大評価することなく、等身大の自分を元にして、自分自身の可能性を現実的に見積もることが出来ます


ILIは、社会の歴史的発展の中に隠された、最もわかりにくい傾向を見抜くことが出来る唯一のタイプです。

彼らは、時間の経過とともに起こる出来事の相互関連性を他の誰よりも肌に感じながら、今日起こっていることが、将来の歴史にどう影響するのか理解します。

いかなるテーマについて考えていたとしても、ILIは過去、現在、未来を同時に見ながら考えています

ILIにとって過去、現在、未来を同時に見ることは、目で光を認識し、耳で音を認識するのと同じくらいごく自然な認識の仕方にすぎないものです。


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ILIは失敗を避けようとするあまり、しばしば傍観者に徹してしまいます。人生に対して消極的で受け身過ぎると非難されることもよくあります。


彼らの欠点は、「前向きな代替案」の欠如です。そのせいで誰かのビジネスを「凍結」させてしまうことが多いのです。

彼らがいくら努力しても、世界から間違いは減っていきません。それはなぜなら「危険を避けるために計画を放棄する」こと自体が、すでに間違いである可能性もあるからです。


第2機能(創造):Te

ILIはほとんどの時間「何をするべきか」「どうすれば最善の方法で出来るか」ということを考え続けています。

チーム内での争いやプレッシャー、倫理的対決、陰謀などの嵐が最も少ない場所で、最も活躍できます


ILIは内面的には非常に独立・自立しているタイプです。あらゆる状況に巻き込まれたり依存したりしないよう努めています。次々と急いで大量の仕事をしなければならないという種類の負荷には強い方です

冷静に落ち着いて仕事を進め、異なる種類の仕事を交互にこなすことで気晴らしをしながら、一日の仕事を片付けていきます。


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与えられた指示に細心の注意を払って従います。仕事の順番を決められたら、それに忠実に従おうとします。しかし、最終的な結果だけが求められ、そこに至る過程は重要でない場合、彼らは自分自身の作業計画と、可能であれば自分で考えた合理的な方法に従うことを好みます


非常に几帳面な性格で、根気が必要とされるようなコツコツとした作業を好み、細部まで丁寧に仕事をします

仕事が出来上がったら、提出する前に注意深くチェックします。ILIにとって、「仕事の間違いの分析をタイムリーに行えること」、そして最も重要なことですが「建設的な仕事であること」は非常に重要です。


常に自分の資格のレベルに気を配っています。

彼らは仕事に関する貴重な指導やアドバイスは感謝して受け止めることが出来ます

自分の仕事が評価されないと、とても不安になってしまい、「自分はこの仕事に向いていない」と思い込んでしまいます。

時には、自分が手を動かして仕事をするよりも、コンサルタント、インストラクター、方法論学者、監査役を担う方が、より多くの利益を生み出せるに違いないという結論に至ることもあります。


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ILIにとって、新入社員の指導係をするのはかなり楽しい仕事です。彼らは「人を指導する」ということが大好きです。人に何かを指導している時が、ILIにとって最高の時間の過ごし方なのです。

ILIに、「いつ、どのような順序で計画を実行すべきか」「何をどうすればいいのか」ということを教えたり説教したりするのは得策ではありません。ILIは「私は物事の正しいやり方を知っている」と言わんばかりの人は相手にしません(「自分のことは自分が一番知っているから余計なお世話だ」)。


彼らが仕事をする上で最も重要だと考えていることは「この仕事は、本当にする価値のある仕事なのか」という点です。

そのため、ILIは仕事を始める前に「それがどんな仕事なのか」「誰がそれを必要としているのか」「その仕事が完成したら、具体的に何の役立つのか」ということを徹底的に考えます。これは「やる必要性のない仕事をやるのは無駄だ」「誰もやらなくていいことは、やらない」という考えから来ています。

これはガンマクアドラの4つのタイプに共通する傾向ですが、ILIにとって「自分との関連性」はとても重要な要素です。誰も必要としていないことはしないし、誰かが本当に必要としていることをするために、自由でありたいのです。

まともな仕事がなく、生きていくための手段が他にないという場合だけ、「本質的には必要性のない、役に立たない仕事」をします。しかしずっとその仕事をし続けるのではなく、後からもっと有用な仕事を見つけようとします。


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ILIは100回考えてから7回測定し、それからやっと木材をカットするような人々です。

彼らは何かに自分が参加した場合の結果について必ず熟考します


決して危険を冒さないように気を付けています。体制に反対するような活動を行っている人が知人にいる場合、個人的な関係を継続はしますが、彼ら自身がそうした反対運動に加わることはありません。

「わざわざ自分の手で政権を変えなくても、自分にとって都合のいい政治の流れになるのを待ち続けることが出来るのに、どうしてわざわざ自分がそんな危険を冒さなくてはならないのか」

と考えるのがILIというタイプです。


第3機能(役割):Si

自分の人生を整えるために必要なことはすべて自分で行おうとします

彼らにとって自分の家は「自分の城」であるだけでなく、精神的で知的な「オアシス」でもあります。そこには、自分のお気に入りの本、お気に入りの音楽、お気に入りの肖像画や写真、お気に入りの「記念品」、つまり彼らが愛するもの・大切にしているものを配置していなければなりません。


広々とした豪邸を必要としているわけではありません。居心地のいい小さな部屋さえあれば、そしてそこでお気に入りの椅子に座り、お気に入りの本を読めさえすれば、それでいいのです。家具を選ぶ際は快適性を重視します。落ち着きがあって暖かみのある照明が大好きです。ILIは、冬の夜、暖炉の前に座り、窓の外の雨音に耳を傾けられるような生活を求めています


彼らは雨の日に備えて常に折り畳み傘を持ち歩くようなタイプです。それどころか、双対であるSEEと共にいないILIの場合、レインコートや、その他の雨の日に必要な物を全て用意しておかないと気が済まないようなところがあります。

さらにいうと「雨の日」どころか「戦争が起きた日」のために自宅の地下に居心地のいい地下シェルターを用意しておくような人々です。


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自分自身の快適さと心の安らぎをとても大切にしています。自分の周りに居心地の良い小さな空間を作ろうとします

美しいものに囲まれるのが好きです。芸術作品やその他のちょっとしたコレクションを蒐集し、「思い出の宝物」にします。

居心地のいい環境にいれば、素晴らしい気分を満喫できます。


また、「おもてなしの心」を込めて歓迎してくれる人々の家を訪ねるもの好きです(ただし、自分が本当に歓迎されていると確信できる場合に限ります)。楽しい仲間とのパーティーの誘いは積極的に受けます。「今度の休日をどう過ごすか」という心配をする方です。

限られた親しい友人たちを招いて、美味しい料理を楽しむだけではなく、文化や芸術、政治の最新動向を分析するような知的な会話を楽しみます

知的で豊かな会話のない夜は、空虚な夜です。

(したがってILIとSEEのパートナーを想定する場合、ILIにとって満ち足りた夜になるためには、いかにSEEがILI相手に知的なマウントを取ろうとしたり、「自分が自分が」としゃしゃり出たりせずにいられるかが鍵になります


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新しい感覚を体験することに対して常にオープンです

子供のように好奇心旺盛に新しい食べ物に挑戦したり、初めて聴く音楽を熱心に聴いたりします。様々なスタイルの音楽を次々と楽しむようなことにも抵抗感はありません(彼らの作成した音楽のプレイリストには、ハードロックとバロックが一緒くたに並んでいることもあります)。


確かにこのタイプの中には、粗悪な音楽が自分の耳に入らないようにしている人もいますが、これはILIの持つ「芸術的な趣味を発展させて、自分にとって快適な空間を作り出そうとする気持ち」の表現方法のひとつです

最高級のものに囲まれ、高価で美しく整った服を着て、プレミア感のあふれるファッション展や「有名人」のコンサートなど、あらゆる芸術的革新に遅れないようにしようとするILIもいます(例:ライサ・ゴルバチョワ)。


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これと同じ理由で、ILIは自分の健康には気を配ります。必要に応じて体重を管理し、健康な食事を心がけ、出来る限り断食を行い、野菜を多く摂るようにしています。


休息と睡眠にも気を配ります。このタイプの人の中には、独自の仕事と休息のパターンを開発する人もいます。彼らは眠気を感じた時、少し睡眠をとることに罪悪感を感じません。

眠りながら学習教材を聴いたり、手だけを動かして単純作業を続けているILIもいるかもしれません。大自然の中で、快適な寝床を作り、そこで眠ることもできます(ナポレオンをロシアから撃退したミハイル・クトゥーゾフが軍事評議会中に居眠りをしていたことは有名です)。


このSiの領域では、一般的に受け入れられているレベルまで自分自身を成長させようと努力することになります [1]

この分野での成功が、ILIと、彼らの双対であるSEEとの関係性を良好なものにするかどうかの決め手になります。

身だしなみを整え、きちんとした服装をし、適切に家計を管理しようとするILIの努力は、品格と天性の美的センスをもち、自分のそばに「見苦しくだらしない人間」がいることを許さないSEEから与えられる注目と評価によって報われます

Siを十分に成長させていないILIの場合、双対であるはずのSEEと上手く交際できなかった事例もあります


ILI自身はこの領域でそこまで意欲的に努力したがりませんが、それでもSEEがそばにいる場合は、「自分の外見にきちんと気を配り、自分の家を趣味のいい空間に整え、より頻繁に外出すること」を余儀なくされるため、嫌でも成長することになります。


第4機能(脆弱):Fe

ILIのFeは、「強い感情の影響から身を守りたい」「感情的に緊迫した状況に巻き込まれたくない」という願望に表れています

ILIは理性に感情を従属させることが大切だと考えています。これは彼らの不変のルールであり、ILI自身が率先して守ると同時に、自分の周囲にも絶えず教えようとしていることです。


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「神経をすり減らせるような悲劇、気を失う乙女、涙…」こういったものはILIにとって本当に耐え難いものです [2]。そして、何としてでもこうした厄介事を避けようとするあまり、しばしば倫理に反した行動をとったり、知らず知らずのうちに自分の手で厄介事を引き起こしてしまったりするのです


ILIは倫理的な意味での面倒事に巻き込まれるのを恐れて、自分の感情表現を極端に抑制したり、自分の心の状態を明らかにしないよう努めています。しかし、そのせいでかえってそれを露わにしてしまう危険を招いてしまいます。

つまりILIは平静を装おうとしますが、他の人からすると「露骨な演技」にしか見えないため、むしろ相手の興味を煽ったり、相手を苛立たせたりすることが多いのです。


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いずれにせよ、こうしたILIの態度を見て「本心を知りたい」と感じるパートナーが出てくるのは当然の成り行きです。

ILIが本心を隠せば隠すほど、最終的には人から相手にされなくなってしまうことも多いです。

(恋愛におけるILIの「平静なふり」は「見せかけの無関心」ですが、これはILIにとっては「倫理的な偵察の手段」であり、パートナーが自分との関係性をもっと発展させたいと思っているか確認するための試し行為です)。


感情的に脆く、傷つきやすく、不安になりやすいILIにとって相手が自分との関係性にどの程度関心を持っているか知ることは非常に重要なことです。

そのせいでILIは時々こうした「トリック」を使います。重要なことを話した後、何か些細なことに気を取られたかのように突然立ち止まりつつ、相手の行動をひそかに観察して、自分が出した話題に相手が関心を見せる瞬間を待つのです


SEEとの関係では、特にこのトリックは注意力散漫なSEEの注意を自分に集中させる手段として機能します。また、これはパートナーになる過程で特に重要になる、彼ら自身の価値観とパートナーの価値観が一致しているか調べるための手段にもなります。


しかし多くの場合、ILIは自分がなぜ「平静」を装っているのか、ということさえ説明できません(ILIは自分自身の中に謎を見出すのではなく、また、わざわざ自分の中に「謎」を作り出そうともしません。結局、彼らは倫理タイプではなく論理タイプなのです)。

ほとんどの場合、彼らは感情的すぎる雰囲気の中で経験する心理的な不快感から身を守りたいという欲求から、こうした行動(平静の装い)をとっています。平静を装うことでしか自分を保てないと考えているのです。

しかし、当然のことながらILIのこうした振る舞いは倫理的な場面ほど悪影響をもたらします

「無関心な振りをされている」と感じたパートナーは、「ILIから侮辱されている」と受けとってしまう危険性すらあります。慎重なILIは、自分の安心感を追求するあまり、真っ先に肝心の自分自身が「安心感」の犠牲になってしまうのです。


さらに、ILIが相手の感情状態を「平静」にしようとして、表情や言葉で励ましたりすると、状況はさらに悪化します

励まし自体は「道徳的支援」として行われることのある行為であり、決して悪いことではありませんが、複雑な倫理的状況下でこうした行動をとった結果、「なんでもいいから、とにかく相手をなだめて静かにさせたい」とILIが考えているに違いないと相手が感じてしまい、ILIが望んでいた状況とは真逆の結果を招いてしまうのです


◆◆◆


ILIは感情表現そのものも下手です。自然な感情表現であれ、演技で行う感情表現であれ、「誤解されるのではないか」という強い恐れを感じているため、どうしても「ぎこちない表情」になってしまいます


感情表現について、ILIは非常に多くの問題を抱えています。時には曖昧過ぎたり矛盾し過ぎていたりするせいで、自分がどう感じているのかすらわからない時もあります

もし自分がどう感じているのかわかったとしても、それを適切に表現するにはどうしたらいいのか毎回わかるとは限りません。

世の中には、他人の自己表現を手助けしてくれる人ばかりいるとも限りません。

「変に期待を持たせて後で苦しめたらマズい」と思ってしまうせいで、「これは余計なことではないか」と考えて口をつぐむ時もあります。自分自身、感情表現の曖昧さ、不十分さを感じることも多いです

パートナーと上手くいくか気になって仕方なくなってしまったり、「自分と付き合っていても、いいことなんてない」などの自分自身を貶めるような発言を利用した「トリック」によって、自分の気持ちを表現しようとすることもあります


さらに悪いことに、彼らはこういった全てのことを「自信と合理性に満ちた口調」で表現してしまいます

そのせいで「ILIがこうした言動をとってしまうのは、その背景に『自己不信』があるせいなのではないか」というところまで考えが及ぶ人はほとんどいません


残念ながら、ILIの自己不信を和らげようとする場合、非常に長い時間と想像を絶するほどの困難が伴います。しかもILIがこれに感謝するとは限りません

しかしILIの双対であるSEEは、これを上手くこなすことができます。SEEは、ILIの倫理面での矛盾をいちいち考え込まずに、ごく自然に、素朴な形で、ILIをユニークさとユーモアにあふれる感情のゲームに誘うことができます。


◆◆◆


ILI は、ポジティブな感情であろうとネガティブな感情であろうと関係なく、不十分な形で表現される感情にいつも怯え、苛立ちを覚えます。一回でも不適切な感嘆詞があれば、それだけで彼らは嫌な気分になってしまいます

こういう傾向があるからこそ、ILIはあらゆる感情的なトーンの会話をまともに受け止めすぎてしまうのです


ビジネスでの会話であれ、プライベートでの口論であれ、激しい感情の洪水に晒されるとあっという間に気分が悪くなってしまいます。ILIにとって「苛立ち」は耐え難い苦痛ですが、子供のうちは親や家庭教師との間で、大人になってからは上司や同僚との間で、という風に一生涯「苛立ち」に直面する運命にあります。

この苛立ちは、動きの鈍さ、ぎこちなさ、声の単調さ、柔和な顔、おびえた顔、古くからあるマナーなど、およそありとあらゆるものによって引き起こされる可能性があります。


涙と批難と絶叫の渦巻くヒステリーは、ILIにとって一種の神罰のようなものです。しかも、どんな罪に対する罰かがよくわからない神罰です。ただ為す術もなく巻き込まれ、強引な圧力をかけられ、パニックのような恐怖を味わうことになるうえに、そこから逃れる術は知りません。

そうしていっぱいいっぱいになってしまったILIは、時として非常に荒っぽく、突拍子のない暴力的な行動に訴えてしまうことがあります(例:妻に向かって大理石のテーブルを振り回したピエール・ベズーホフ)。


◆◆◆


倫理的な意味で困難な状況に遭遇すると、ILIは非常に不安になります。逃げ道を求めるあまり、かえって状況を悪化させてしまい、もはや自分が正しいのか間違っているのかもわからないまま、理性をかなぐり捨てて、どんな犠牲を払ってでも一刻も早く逃げ出そう、終わらせようとしてしまうのです。

こんな時、彼らは後になってから後悔するかもしれませんが、その瞬間はそれどころではありません。彼らの心は完全に感情の渦に巻き込まれてしまい、全く抵抗できないまま翻弄されてしまうことになります。


ILIにとって、感情に目がくらむことは狂気と同じです。そして他人もそうに違いないと考えています

だから彼らはあらゆる形の「社会的・政治的ヒステリー」を恐れ、嫌うのです。狂信的な政治指導者や電波な予言者が現れると即座に、快適な地下室に逃げ込んで、より良い時代が来るまでそこに閉じこもるか、海外に逃亡します。


◆◆◆


現実生活でさんざん激動に翻弄されたILIにとって、怖い話やホラー映画で簡単に感情を発散させることは、童心に帰って楽しめる遊びのようなものです。彼らは特にホラーコメディを好みます(『アダムス・ファミリー』など)。


ILIのユーモアは、一種の知的・感情的な「復讐」です。彼らが感じた心理的な不快感への反応として表現されることもあります。

「まずは凱旋しよう。彼は自分の魂を、そこに宿るすべての来賓の風刺画を描き始めた」 [3]


ILIのユーモアは、時に非常に巧みなエピグラム(風刺的な詩、警句)の形で表現されることがよくあります。陰鬱なトーンで描かれた、ぱっと見ではわからない皮肉であることもあります

ILIの「ブラック・ユーモア」は、独特の「死への志向性」によって特徴付けられます。ILIはEIEと違って友人の頭蓋骨について哲学的な思索をし始めることはありませんが、このテーマについてよく冗談を言います。

彼らは子供のうちから死という問題に対して哲学的な皮肉を込めた態度をとるようになります(ILIの子供は、よくスケルトンやお化けの絵を描いたり、怖い話をして楽しませてくれます)。


無意識的な機能

無意識的な機能

第5機能(暗示):Se

ILIは、困難に負けず、自信をもちながら、目標に向かって戦い抜く強い人を尊敬しています。

そしてこの資質を持っているのが、まさにILIの双対であるSEEです。


◆◆◆


ILIは「リーダー」ではなく「ナンバー2」を、つまり強力なパトロンを持つ「影のリーダー」であり続けたいと考えています。


ILIの性格は素朴で民主的です。高い地位や有力な人脈を誇るようなタイプではありません。

ILIは「すべての出来事は過去のものになる」ことを熟知しており、輝かしい経歴のために人生と健康を捨てるような人ではありません。権力の頂点にいても、自分の弱点や嗜好、癖を隠そうとはしない人です。


◆◆◆


とはいえILIは深い品格を備えている人々です。他人の尊厳を尊重することができ、自分自身の尊厳も求めることができます


彼らは力ずくで他人に要求することが苦手です。誰かを自分の意志に従わせることはできませんし、そうしたことが好きでもありまん。

自分自身への直接的な意志の圧力は許しません。ちなみにSEEは倫理的な機能によって意志的な影響力、つまりSeを行使するため、ILIはSEEが自分の人格を抑圧しているとは感じません。

しかしそんなSEEとは違ってストレートな意志的な影響力を行使するタイプの人々は、ILIに負荷をかけます(SLE、LSI、ESIのSeは、ESEの第8機能に位置するエネルギッシュな性質を持つSeと同様に、ILIにとって抑圧的です)。


◆◆◆


ILIの特徴は、常に半分程度、肩の力を抜いた状態にあるという点です。無駄な努力をしないようにしており、極力体力を使うこともしたがりません。どんなにエキサイティングな仕事であっても、客観的な必要性以上の努力はしません。「むき出しの熱意」で「最善を尽くす」タイプではありません。彼らは自らの仕事や作品に敬意を払い、それに応じた支払いをするよう要求します


ILIにとって、お金は決して重要でないものではありません(ILIの中には、お金がないことを哲学的に冷静に語る人がいます。「金。それはただの金だ。ただ来て、ただ去っていく」)。

とはいえ、彼らは権力や権威を行使する手段としての「お金」の優位性をきちんと認識しています。預金がない状況を冷静に受け止めることができるILIは稀です。彼らにとってお金は自分の生活を支えるだけでなく、いつか実現したいと思っている計画を実現する保証になるものでもあります。


ILIにとって貯金とは、自分の仕事という投資の「保存」の手段であり、自らの力を保存し、合理的に再分配する機会でもあります。ILIにとってお金は「強さに相当するもの」であり、来るべき老後のために若いうちに蓄えておくものです。


第6機能(動員):Fi

ILIにとって、この領域は「常に注意を向け続けるべき領域」ではありません。受動的で安定した価値観であり、それ以上のものにはならないものです

ILIはこの点についての情報を得ようとします。また、自分に向けられた純粋な関心と同情に勇気づけられもします。慈愛に満ちた人間関係は、ILIの高貴な感情の発露を促し、それが友好的な好意として具体的な形で表現されます(具体的な支援など)。


◆◆◆


ILIは、親切で思いやりのある友人、思いやりのある家庭人、愛する人を心から愛せる人になることができます。根が優しく従順で、(本人が望む範囲では)機転が利き、繊細で抑制されており、自分の尊厳を尊重でき、悪だくみというものを嫌い、意識的に悪い行動をとることができないILIは「倫理的なトラブル」とは無縁なように見えるかもしれません。

しかし、よく見てみると、彼らはこの点でも多くの問題を抱えていることがわかります


わかりやすい例をあげると、ILIは自分にとって会話が有意義でなくなると、一方的に会話を打ち切ってしまう癖があります

その際、「相手が気まずい思いをするかどうか」「相手が一方的に会話を打ち切ってしまうILIのことをどう感じるか」は気にしません。この時、彼らが気にしているのは、ただ「有益でない会話を続けることに意味があるのか」「時間の無駄じゃないのか」ということだけです。

一度や二度、こうしたことがあっても深刻な倫理的トラブルはならないと思えるかもしれませんが、人間関係はこのような一回一回の積み重ねで出来上がっています。

ILI自身にその気はなくても、こうしたことは他者から「意識的に犯している倫理的な問題行動」として受け取られてしまう恐れが十分あるのです(緊張状態になりやすいタイプ間の関係では、特にこうした受け取られ方をする危険性が増します)。


倫理的な問題は、まだ関係性が発展途上の段階であっても起こり得ます。ILIの持つ優れた先読み能力が災いして、彼らは時として最初からおおよその展開を見通してしまうことがあります。

つまり、ILIは先読みしてしまうせいで相手に対する興味を失い、それを態度に出してしまうことで相手を怒らせ、結果として苦痛に満ちた人間関係を引き寄せてしまうことがあるのです。


◆◆◆


もう一つの可能性は、理由にかかわらずILIが自分の感情に屈する場合です。いわゆる相性の悪いタイプ間の関係では、これがさらなる精神的ストレスを生み、彼らの矛盾した非倫理的な行動が悪化します。

繰り返しになりますが、ILIが抱く「パートナーの感情を平坦なものにしたい」という欲求を取り上げることは誰にもできません

「自分をコントロールすることを学べ」と説く彼らは、しばしばそのせいでとんでもなく厄介な立場に立たされることがあります(特に相手が倫理タイプである場合)。そう説くのと引き換えに、不安と孤独を強いられることになるのです。


そして問題はこれだけではありません。明るく、前向きで豊かな才能を持つSEEに無意識のうちに同調しているILIは、「灰色のシジュウカラ」ではなく「空の鶴」だけを求めています [4]

時々、実際の観察よりも自分の先見性にばかり頼ってしまうせいで、シジュウカラの中に紛れていた鶴を探す作業に時間をかけることすら厭うことがありますが、後になってから見逃したシジュウカラの群れの中に鶴がまぎれていたことを知って後悔することがあります

(wikisocion編集者注釈:これは「空の鶴よりも手の中にいるシジュウカラの方が良い」というロシアのことわざが元になっている説明です。英語での類似したことわざは「屋根の上の雄鶏よりも手の中のスズメのほうが良い」です。つまり、大きな成功や大きな儲けであっても達成不可能なものよりは、小さな成功や小さな儲けであっても確実に達成可能なもののほうが良いという意味です)


◆◆◆


さらに、自分自身にいくつかの欠陥があることを認識したり認めたりすることは、ILIにとって難しい事です

ILIの中には、ILIの理想そのもののようなパートナー(外見と内面の両方においてILIの理想通りのパートナー)に対してさえ、「相手と自分の相性が悪かったせい」にしたり「相手に問題があったせい」にしたりという風に、自分の失敗を他人のせいにしてしまうことがあります(童話「狐と葡萄」は、ILIによってILI自身のために書かれたものかもしれません)。


ILIの持つ弱点が特に顕著に表れやすいのは、私生活においてです。

人生に対する受動的な態度、深い悲観主義、余分な努力をしたがらない点、新しい状況や経験に対する恐れ、基本的な倫理原則に対する無理解、そして自分の能力の過大評価。これら全ての特徴が、深刻な問題を引き起こしてしまうのです。

もし、こういった特徴がILIになければ、それだけで彼らの個人的な問題の多くは解決してしまうかもしれません。


◆◆◆


それにもかかわらず、彼ら自身の否定的な経験は、ILIが倫理と関係性の分野で十分にうまく機能することを妨げるものではありません。

親切で、忍耐強く、思いやりのある彼らは、しばしば愛される教師や教育者になります。このタイプの人々の多くは、心理学の分野で優れた実践者になります。また作家として、人間関係の倫理を直観的に理解し、彼らが持つ最も深い(潜在的な)倫理的価値観を引き出すことで、非常に上手く倫理的な陰謀を描写し、成功する可能性もあります。


第7機能(監視):Ne

時にILIは、まるで「自分の周りから肯定的な兆候を見つけたくない」と思っているかのように見えることがあります

ただしこれは意図的・意識的なものではなく、無意識的なものです。あらゆる機会を観察する際、彼らは無意識のうちに「危険が潜んでいる」と思われるものにだけ注目してしまいます。


ILIの理解では、最もネガティブでない可能性だけがポジティブです。言い換えれば、それがベストであり、すべての中で「最悪ではないもの」ということになります。

ILI流の潜在的な機会の観察は、何よりもまず、すべての「マイナス」を考慮し、分析することです


◆◆◆


観察結果を狭く悲観的に分析するのは、双対であるSEEの法外な楽観主義に対するILIの無意識の防衛策なのです。

ILIの悲観主義は、常に「耐久性」と「安全マージン」を高めることを目指しています

ILIは自身を守るため、そしてSEEを冷静にさせるために悲観的な分析を行うのです(誰かがILIの心配が杞憂であることを納得させようとすると、ILIは苛立ち、一瞬にして困惑の表情を浮かべます。ILIは、なによりも自分自身のために、本当に怖がっているのです)。


ILIの直観の強みは、彼らの「積極的な」悲観主義にあります。このおかげで、計画を実施する際に考えられる全ての問題を考慮に入れることができます。ILIは計画段階での時間の見積もりが上手いですが、これは彼らが「何らかのネガティブな原因」、例えば疲労や注意散漫、予期せぬ出来事のせいで進捗が悪くなることを計算したうえで、時間の見積もりを立てることができるからです。

ILIは仕事が惰性になることに伴うペース変化まで考慮できる唯一のタイプです。どんな仕事でも、進み方は一定ではなく振れ幅があることを考えたうえで十分なリソースを用意することで、万が一にも対処できるようにしておこうとします。


ILIは「すぐに成功すること」「すぐに利益を得ること」は全く期待していません。これは危険すぎる冒険だと考えているからです。焦って先に進もうとするのではなく(この点では双対であるSEEにも警告します)、「回り道」をしようとします。

窮地を脱する方法を知っているし、その方法を人に教えることもできるような人です。


◆◆◆


多くの人がILIの洞察力と先見性を羨ましがるかもしれません。それ以外にも、彼らには注意深さ、見識の深さ、要点を簡潔に述べることができるという強みもあります。


過剰にアドバイスすることは好まず、常に特定の危機から抜け出すにはどうしたらいいのかという形のアドバイスをしようとします。

過剰に人に期待させることはせず、「将来の成功の約束をする」ようなこともしません。誰かのセンセーショナルな話を鵜呑みにするのではなく、自分ですべてを解明しようとします。


彼らはしばしば自分が何事にも受け身過ぎるせいで逃してしまったチャンスを嘆きます


第8機能(実証):Ti

彼らはどんな状況でも客観的に見ようとします。そして自分にこうした資質があることを、彼らは誇らしく感じています

しかし「絶対的な客観性」のために行動した結果、ILIはしばしば厄介な立場に立たされることになります。

自分の行動の絶対的な正義と公正さばかりを考え、倫理的側面を忘れてしまうからです(「全ての人に対して公平で公正ですか?」)。


ILIはどんな議論であっても、明確に中立の立場をとり、どちらの側にも肩入れしないようにします

全ての事柄について、私的な個人的意見としてではなく、客観的で正しいと思われる評価をするよう徹しています


彼らは自分を裁判官の立場に置くことを好みます。ただ意見を言うのでなく、あらゆる問題に対して(たとえ相手からしたら「ちょっと話をふっただけ」であったとしてもお構いなしに)「判断」「評価」を下したがるという特徴があります。


◆◆◆


ILIの推理の特徴は、正確さ、簡潔さ、物事の本質に対する深い理解だと言えます。この手の発言をする場合、ILIは次々にシンプルに答えることができるため、それを聞く人に賞賛の気持ちを呼び起こすことがあります。


深く考え事に没頭する状態は、豊かな思考を育むエネルギーに満ちたものであり、非常に大きな知的快楽をもたらします。彼らの言葉は印象深く、後から何度も聞き返したくなるような言葉も多いため、ILIの推論を聞いて、思わず「メモに全てを書き留めておきたい」と感じる人がいても不思議ではありません


◆◆◆


彼らの頭の中の情報は、単なる雑学の百科事典に留まるものではありません。この種の人々の中には類まれな博識さを誇る人が多くいますが、ILIはまず「知識の深さ」で人々に感銘を与えるようなタイプだと言えます。


彼らは新しい情報を段階的に、かつ継続的に学び、学習することを好みます

彼らの観察の枠組みを超えるような情報を雑多に集めるのではなく、既に彼らが観察している現象とリンクするような情報に関心を持ちます


ILIは、新しい情報を吸収すると、すぐにそれを自分が持っている既存の知識体系に結びつけようとします。

また、ILIの持つ既成のシステムを否定する、あるいは破壊するような情報は、非常に批判的に受け取ります


権威には盲従しません。誰かの発言を引用する時は、正確で適切な形で引用して自分の発言の裏付け、それが自分の推論とどう関係しているのかを常に明確に示そうとします [5]


◆◆◆


ILIはしばしば教訓的な「たとえ話」を使って自分の推論を補強します。場合によっては推論の代わりに「たとえ話」だけを提示することもあります。その場合、聞き手はILIの「たとえ話」を聞いて、「なぜILIはこの話をしたのだろうか」と推論することになります。

ILIが「自分の推論を話さず、『たとえ話』だけを話す」のは、特にILI自身の理解が曖昧な物事について強引に説明しようとするとき(例えばFeやFiに関する側面の話題について言及しなければならない場合)に多いです。この場合、「たとえ話」は、「自分を隠す隠れ蓑」として利用されています。


様々なトピックを一度に議論することもできます。この場合、彼らは次から次に自信を持って答えていきます

これは、一つのことに集中するのが苦手だからというわけではなく、彼らの知性の自然な躍動の表われであり [6]、ILIが無意識のうちに、決闘者とも呼ばれるSEEの弱くて反応の鈍い機能に同調しながら、十分な刺激を与えられるよう調整しているからです。

そうして次々と色々なトピックについて言及しながらも、全体の論理的な一貫性を損なわないようにできるのが、ILIという人々なのです。


出典:


訳注


  1. ^ 第3機能は規範の機能ともいう。
  2. ^ プーシキンの詩 エヴゲーニイ・オネーギン5章31節。主人公オネーギンをILIに例えている。タチヤーナという女性が主人公オネーギンに一目ぼれし、恋文を送るが、オネーギンは彼女との交際を断る。その後、そういった事情を知らない友人レンスキーに誘われ、オネーギンは偶然タチヤーナのために開かれた宴に出席することになる。宴でオネーギンの姿を見たタチヤーナは失神してしまう。関連記事「ガンマ・クアドラ (7) by Stratiyevskaya」この記事でもILIの引き起こす倫理的な問題が説明されている。
  3. ^ プーシキンのエヴゲーニイ・オネーギン5章31節より。オネーギンは、友人レンスキーに誘われて低俗な輩だらけの宴に参加させられる。そこで色々うんざりするような出来事が重なり、イライラした主人公オネーギンは、友人レンスキーに仕返しをしようと思い立ち、わざとレンスキーの婚約者を踊りに誘う。これは仕返しを決意したシーン。
  4. ^ そこそこいい物ではなく、最高のものを求めているという意味。
  5. ^ ソシオニクスの機能の次元という観点から見た場合、この説明は、ILIの持つTiが高次元性であることに由来するものだと考えられる。

    第8機能は「経験」「規範」「状況」「時間」の4つのパラメータを持つ。権威ある情報源の的確な引用自体は「規範」パラメータに基づくことであるが、それとは別に「外部の情報源を的確に参照することができ、なおかつ自分の意見や考えを構築し、基本的には自分の考えを外部の情報源よりもより正しいものだとして優先する」のは、「状況」あるいは「時間」パラメータの現われだと解釈できる可能性がある(関連記事「3次元性機能(状況パラメータを持つ機能)の特徴とタイピング時の注意点」この記事の「規範性の有無が不明」の「具体例2」と類似したパターンの可能性がある)。

    注意点として、低次元性Tiしか持たないタイプにも、高次元性Tiを持つタイプにも、「客観的に見て論理的に優れているといえる人」は存在する。両者を比較したいのであれば「SEI(ISFp)by Stratiyevskaya」のTiの説明が参考になるかもしれない。

  6. ^ ILIは二分法「動的 / 静的」でいうと「動的」となるタイプである。全てのEj型とIp型は「動的」である。複数の専門家(Gulenko、Tsypine、Popov)が、この動的/静的は後天的に変化しにくい性質(つまりタイプ判定の決め手となることが多い性質)であると考えている(関連記事「機能の組み合わせ」)


ENTp 
ISFp 
ESFj 
INTj 
ESTp 
INFp 
ENFj 
ISTj 
ESFp 
INTp 
ENTj 
ISFj 
ENFp 
ISTp 
ESTj 
INFj 

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