ビジネスや対人関係におけるガンマ直観型の問題行動
ガンマ直観型(LIE, ILI)は、倫理的なイニシアチブとビジネスにおけるイニシアチブの両方を自分が握ろうと画策します。しかし、そうまでして相手からイニシアチブを奪おうとする割には、複雑な対人関係を上手く処理することが出来ません。そうした状況下で、彼らは非常に不安定な存在になってしまいます。
LIEは暗示機能(第5機能)に関係性の倫理(Fi)を持ち、ILIは動員機能(第6機能)の位置にそれを持ちます。つまり彼らの関係性の倫理(Fi)の側面は、超イドの幼児レベルだということです。
倫理的な幼児性とクアドラ・コンプレックスの組み合わせは、しばしば「混沌とした無秩序な行動」として現れます。ガンマ直観型はそれを使ってパートナーを操作し、押しのけ、怖がらせ、困惑させ、行き止まりに追い込み、自分の都合を押しつけようとします。
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ガンマ直観型は、決して「関係性の倫理」に自信があるから「このような行動」をしているわけではありません。むしろ自信がない時ほど彼らは「ハッタリ」として「より活発」に行動し、より多くの混沌をまき散らします。そうしてなんとかして自分にパートナーを従わせようとするのです。
「状況が複雑になったせいで、自分が負わなければならない責任が重くなりすぎている」と感じると、ガンマ直観型はこのような不条理で・矛盾していて・不自然極まりない行動を取り始めます。それによってパートナーの頭を悩ませ、「なぜガンマ直観型は、こんな行動を取るのか」の推測で頭を埋め尽くさせることで、パートナー側に状況のコントロール権が渡らないようにするためです。その結果として、ガンマ直観型は自分のパートナーとの関係を行き詰まらせてしまいます。
さらにこのタイプの人々は、パートナーの興味を惹きつけ続けるために、「自分が『なぜ』こんな行動をしているのか」という動機を隠そうとします。そうしてパートナーとの関係を曖昧な状態のまま固定してしまい、この絶望的な不確実性の中に、限りなく長い間パートナーを閉じ込めようとします。
このような状況を作り出した上で、様々な手段、例えば言葉や行動で安心させてみたり、友好的に好意を示してみたり、譲歩してみせたり、いきなり感情的に爆発してみせることで、相手がそこから抜け出せないように画策します。
相手の行動に目を光らせ、観察し、状況を抑圧的に、かつ厳密にコントロールしながら、自分にとって都合の良い形で問題が解決するのを待ちます。
時にはそれと同時に「第二の戦端を開く」場合もあります。こんな時、彼らはサブパートナーと「いい感じ」になってみせることで、メインパートナー(このメインパートナーは、ガンマ直観型との関係を改善しようとして、さぞ四苦八苦していたことでしょう)が自分から関係を断ち、ゲームから撤退し、身を引いてくれることを期待しています。もしメインパートナーがそういう行動をとってくれるなら、わざわざ不快なことを自分から口にしたり、面倒な説明をしなくても済むからです。
さらにその後(あるいは同時に)、ガンマ直観型は実利的な理由から、「善良な(あるいは役に立つ)人との友情を失うのは残念だ」と言って、相手(メインパートナー)を自分に縛り付けようとすることさえあります。
また、二人の関係性(付き合っているのか、別れたのか)を明確にすることも許さず、曖昧な関係を続けようとしてメインパートナーをさらに混乱させることもあります。
決定的なことを言って、相手を怒らせたり、失望させたり、敵に回したくないのです。こうした不安から、ガンマ直観型はメインパートナーに中途半端な夢を見させたまま、自分の行動の本当の理由をいつまでも隠しておこうとします。
その結果、パートナーは「手足を縛られ」、数々の道徳的・倫理的な義務に巻き込まれる一方、この騒動を起こしたガンマ直観型自身は、責任や義務に縛られることなく、自分が思うままの行動をするようになります。
これは彼らの双対であり、強力な関係性の倫理(Fi)を持っているSEEとESIでさえ、まるで蟻地獄に引きずり込まれる蟻のように、「そこから抜け出すのは難しい」と感じるほどです。SEEとESI以外にとってどれほど困難なことかは言うまでもありません。
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ガンマ直観型は、このような矛盾と混沌に満ちた行動(少なくとも他の人からはそう見える行動)を、「独創的で素晴らしい発明」だと考えます。そして時にはビジネスや対人関係において、他人よりも優位に立ち、所定時間内に自分の目的を達成するための手段として、この「発明」を活用しようとします。
この「素晴らしい発明」によって、ガンマ直観型は、自分の問題を未解決にしたまま、他人を混乱させ、他人を自分の都合のいいようにコントロールして支配できます。少なくとも彼ら自身はそう信じています。まるで「不安定なイカダに乗りながら、自分の足元を何とか安定させようとしている」かのような試みですが、このおかげで彼らは困難な状況の中でも、自信に満ちた気持ちのまま、より快適に過ごすことができます。
一連のガンマ直観型の行為は、傍から見れば「何も得られることのない、無意味で理不尽な行為」にしか見えませんが、彼ら自身にだけは「意義のある行為」に見えます。それによって一切の努力は実を結び、面倒な義務から解放され、望むもの全てを簡単に手に入れられると信じています。
ガンマ感覚型(SEEとESI)は、ガンマ直観型の双対か活性化関係にあたるタイプですが、彼らはガンマ直観型のこのような行動を、一種の救難信号、助けを求める声として認識することが多いです。
しかしガンマ直観型は増長し、自分の価値を肥大化させ続けてしまいます(ガンマ直観型は常に自分のことを「別れるよりも付き合っていたほうが有益な存在」だと考え続けます)。道徳的な義務から逃げたいガンマ直観型は、せっかくのガンマ感覚型からの支援を拒否するだけでなく、手さぐりにあれこれやって状況を悪化させ、どうしようもない状況に陥らせることがあるかもしれません。
このガンマ直観型が引き起こした混乱で、最後の言葉 [1] を発するのはガンマ感覚型のほうです。ガンマ直観型の方法では最後の言葉を言うことはできません。しかしガンマ直観型は、自分たちをまるで「犠牲者」のように演出し(このために、彼らは「犠牲者」タイプと呼ばれます)、新しい資源、権利、利益をパートナーから引き出そうとします。
いたたまれなくなったパートナーが、ほんの少しでも譲歩の姿勢を見せて、資源、権利、利益をガンマ直観型に譲ろうとすれば「しめたもの」です。ここでガンマ直観型は反抗的な横柄さでもって、ガンマ感覚型からの「ほんの少しの譲歩」を拒絶します。「ほんの少し」ではなく「もっとたくさんの譲歩」を搾り取るためです。
ガンマ感覚型であるESIやSEEは、プログラム機能(第1機能)や創造機能(第2機能)の位置に関係性の倫理 Fiを持っています。それに加えて双対関係・活性化関係であるはずの彼らでさえ、ガンマ直観型と付き合い続けるためには非常に多くのものを犠牲にせざるを得ません。時にはそれにとどまらず、多大な損失と最悪の失望をもたらす結果に至ることさえあります。
これまでに説明した、社会通念的に見て問題のあるガンマ直観型の行為(一貫性に欠ける矛盾した言動であったり、友情を笠に着るような行為であったり、不当な要求をしたり、強引に物質的利益を自分の側に引き寄せようとしたり、モラルハラスメントじみた行動をとったりすること)をする人を「ビジネスパートナー」として迎え入れたいという人などいないでしょう。このような「ルールに反するプレー」は、「チーム全体の競争力を低下させるものだ」と見なされても仕方ないことです。そのためガンマ直観型は1回、または数回の警告の後(あるいは警告なしにいきなり)チームから排除されて、希望のプロジェクトに参加できなくなってしまうことがあります(これを防ぐために、あらゆる努力をしていたにもかかわらず、皮肉にも彼らは自分から最悪の事態を招き寄せてしまいまうのです)。
つまりガンマ直観型は、自らの横暴さのせいで、船から投げ出されてしまうのです。そして彼らを尻目に船は去っていきます。ガンマ直観型は自分を満足させてくれなくなった会社から離れて、別の仲間を、別のプロジェクトを、別のチームをもう一度探し直さなければなりません。
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このガンマ直観型の行動の矛盾は、彼らのプログラム機能、あるいは創造機能に位置するビジネスの論理(行動の論理 Te)とどのように結びつくのかという疑問が生じるかもしれません。
これは(ガンマ直観型のビジネスパートナー、あるいは双対ペアである)ガンマ感覚型が、「ガンマ直観型の行動の論理」を理解しようとする時、そして手助けをしようとする時、何よりも困惑させられるポイントです。
ガンマ直観型の行動を正しく評価するには、その結果によって判断する必要があります。ガンマ直観型は、パートナー(ガンマ感覚型)が状況を悪化させ、より大きな行き詰まりに至ることを恐れています。そしてそれを避けるために、混乱した一貫性のない行動をとってパートナーのビジネスや倫理的活動を妨害しようとするのです。一般的に、このような妨害がある状況下では(非情に積極的で決断力がある人だったとしても)、あえて何かをする勇気はなくなってしまいます。その代わりに、彼ら(ガンマ直観型)に対して「理不尽でバカげた行動をやめて、やるべきこと、すなわち危機から脱出するために必要なことを早くやってほしい」と願うことになります。
こんな時のガンマ直観型は、「自分こそが状況の支配者である」と感じます。そして自分のペースと計画、問題解決の方法を相手に押し付け、自分の裁量で行動しようとします(危機に面した時、しばしば彼らは非常にリラックスして、自分の欲望と利益だけを追求し始めます)。
それでも時々、どうしようもなく絶望的な状況(船が沈んでいるとき)では、乗組員の生命、名誉、幸福を危険にさらすことをやめ、(まだ可能であれば)状況を危機から導こうとすることもあります。ただし、倫理的な意味での危機的な状況では、通常この試みは成功しません。
この「倫理的な意味での危機的な状況」をうまく切り抜けられない典型例は、アレクサンドル・プーシキンの詩に登場する「エヴゲーニイ・オネーギン(ILI)」です。
オネーギンは、結婚という絆で自分を縛ることを望まず、どんな時でも自分が状況の主人であり続けようとします。そして自分に恋をしている女性タチヤーナを疎外しようとした結果として、オネーギンは彼自身にとっても取り返しのつかない致命的な結果をもたらす行動(一見、混乱と矛盾に満ちている行動)をとってしまいます。その結果、タチヤーナは状況の犠牲者となり、オネーギン自身もまた自分の行動の犠牲者になります。その後オネーギンはタチヤーナへの恋心を自覚し、彼女に告白します。しかしその時には全てが遅く、オネーギンの本当の望みが叶うことはありませんでした。
個人の自由と利益を守るために自らの「防壁」を構築することに情熱を注ぐILI(内向的で否定主義的な戦術家)は、しばしば自分が築いた防壁の虜になってしまいます。時々、自分の「防壁」の強さをテストするために、最高のパートナー候補である双対関係のSEEや、活性化関係のESIに対して「この壁を壊してくれ!」と焚きつけることがあります。そこでの彼(ILI)の配役は、「黒檀の塔に閉じ込められたおとぎ話の王子様 [2]」です。「親切で思いやりがあり、多くの美徳を備えているにも関わらず、非常に孤独な人物」として自分を見せようとします。
そんな彼を黒檀の塔から救い出そうとして多くのパートナーたちが長い間苦労することになります。しかしそれに失敗したパートナーたちが「時間の無駄」と考えて、それ以上の努力を放棄した瞬間に、彼は本当に「非常に孤独な人物」になってしまい、孤独に責め苛まれることになります。