競争時における制圧手段:対立者の活動阻害
競争的な状況下において、成功を確かなものにするために、ガンマ・クアドラは包括的でタイムリーなトレーニングにいそしみます。しかし、それに加えて彼らはガンマ・クアドラ・コンプレックス(別名「縛られた手」コンプレックス)からの防衛手段として、潜在的なライバルや競合者の創造的活動をタイムリーに阻止するために、あらゆる種類の予防的な制限措置を構築することもあります。
相手の手がより固く縛られるほどに、自分の手がより自由になっていく。このこと自体が、ガンマ・クアドラにとっては励みになります。
このような活動阻害の例として、ガンマ・クアドラの直観型(具体的にはILIとLIE )に特徴的な、感情の倫理の側面の「不当に残酷で抑圧的な操作」、つまり「相手を挫き、相手の活動を弱め、相手のエネルギーと活力を削ぎ落し、相手を苦しめ、相手を抑鬱に引きずり込み、人間に対する理想や、明るく気高い理想に対する信頼を毀損し、相互支援・相互援助・相互理解に対する相手の中の望みを潰そうとする行為」があげられます。
これには、パートナーの感情的な経験に対する意図的な無関心(ILIの特徴)であったり、パートナーの希望に対する反抗的な無知(LIEの特徴)が含まれます。
LIEは、生産的なビジネス関係の条件を意図的に複雑にし、それを混乱させるのと同時に、「不注意さ」と「わざとらしい無責任さ」を見せることによってこと、パートナーの物質的資源を枯渇させ、それを「チームの資源」として自分の有利になるよう再分配し、その後パートナーのコントロールから離脱します。
チームの関係について何も知らない、不注意で、無軌道で、無責任な「バカ」の役を意図的に演じることによって、無制限の行動の自由を獲得するのと同時に(これはガンマ・クアドラ・コンプレックス由来の恐怖を和らげます)、パートナーのビジネス活動を阻害し、物質的な支えを奪い取ります。これによってガンマ・クアドラは、パートナーから「仕事を継続する能力」「LIEとパートナーが共有している物質的資源の使用を、パートナーが制御する可能性」を奪います。
─ このクアドラでは優位である(企業)倫理の側面(Fi)にある「道徳的規範」は、LIEに対してどう作用するのでしょうか。
─ 道徳的な問題も、LIEにとっては重要なことです。彼らは自分の仕事が、道徳的に満足のいくものであることを重視します。しかしもし、必要に駆られて道徳的な問題のある取引をしなければならない場合、LIEは簡単に道徳的な言い訳や正当化手段を見つけ出すことが出来ます。
◆◆◆
ロビン・フッド(LIE)のように、富の公正な再分配のためだと言って自分の強盗行為を正当化することができますが、そうして奪った富を、どれくらい公正に再分配しているかについては一切チェックされていません。
歴史家によると、ロビン・フッドの「森の軍隊」は50~60人程度と少数であったことだけは分かっています(大人数だと目立ちすぎます)。彼はまた、貧しい人々に重要な利益をもたらすこともできませんでした。これもまた、実際にそうした行動をすると目立ちすぎて、疑われてしまうからです。しかも、ロビン・フッドたちが通りすがりの商人から「徴収した」金額は、(当時としては)天文学的な金額でしたが、それを合法化することもできませんでした。
ロビン・フッドは、ただ「将来いつかそれを、すべての恵まれない人たちや、苦しんでいる人たちのために使おう」という夢で自分を慰めることしかできませんでした。
実際には、「公正な再配分」という言葉は、ロビン・フッドにとって都合のよいイデオロギーの支柱であり、道徳的な支持を得るための隠れ蓑として使われた神話にすぎないものでした。
◆◆◆
LIEは、パートナー(あるいはチームメンバー)に対して違法行為を行うために、自分の行動を道徳的に正当化する理由を見つける必要があります。
「彼は違反行為をした。私には彼をチェックし、罰する道徳的権利が必要だ」
といった具合です。そしてLIEの口実は大抵「想像上の疑い」や「曖昧な疑い」です。
パートナーが家族やチーム(彼)の経済的資源の多くを不正に盗もうとしていることを告発したいという願望のために、LIEはパートナーと絶えず喧嘩や議論を始め、パートナーの放蕩(あるいは過度のケチ)や、あらゆる大罪を非難します。
LIEは、金の大半を奪って別れるために、喧嘩の口実を必要としています(二分法「宣言」であるLIEは、自分の儲けを増やすために他の投資家と組むことがあります。そして最終的に富を分配する際は、自分のほんのわずかな貢献・投資の見返りとして、法外な報酬をむしり取っていこうとしがちです)。
(双対関係を含む)パートナーとの関係において、LIEは「物質的な資源の配分を、完全に制御することに成功した時」、つまり、「実際に物質的な資源を自分にとって適切な形で、自分の好きに使用できた時」のみ、彼は気まぐれな挑発と「疑惑」を止めます。同時に、彼は計画的に、かつ一貫して他者からはコントロール不能な状態になります。パートナーのそばから消え去ることさえあります。
LIEはだんだん姿を見せなくなっていきますが、それに伴って「しょっちゅう、あるいは長時間欠席するもっともらしい理由」を思い付かなくなっていきます。そしてそのうち一切の説明を拒否するようになります。こういったことは、LIEが完全に姿を消すまで続きます。
◆◆◆
会社の重要な資産をすべて手に入れたいというLIEの願望は、「縛られた手」コンプレックスの特徴的な現れの一つです。
LIEは、「自分であればこの資金を使って投資して、必ず利益を上げることが出来る」と信じています。そして、そうやって得た利益をうまく共通の利益に還元しようとします。こうすればビジネスパートナーにとっても喜ばしいことですし、自分も怒られずに済みます。LIEは、資金なくしてビジネスは成り立たないと考えています。
長くて費用のかかる開拓事業であったり、大冒険のための新しい資金を見つけ出そうとすること。これはLIEが持つ特徴的な本能の1つです。
この開拓者としての本能が、新しい世界、新しい地平線、未発見の未踏の国を探し求め、新しいチャンス、新しい勝利、新しい成功へと導く新しい冒険と宝物を探し求めるのです。
LIEは、常にこの本能によって新しい冒険的な事業のための物質的な資源蓄積(収集、征服、獲得)に駆り立てられていますが、それが常に成功するとは限りません。とはいえ彼らの前向きな姿勢は、自然な楽観主義、明るさ、決断力、自分の運に対する信頼を生み出します。この姿勢は、彼らが唯一無二の存在になることに繋がったり、素晴らしい運命を呼び寄せたりすることさえあります。
新しい発見、新しい成功、新しい冒険を求めるLIEの渇望は、彼らが一つの場所に長く留まることを許しません。
興奮の熱気の中で、さらなる大きな利益を追求するために、突然計画を大幅に変更して、家族の幸福、愛する人の健康や幸せを犠牲にしながら、新しくて、さらに費用のかかる事業に乗り出すこともあります。
他者からのコントロールは一切受け付けません。自分の行動をパートナーと調整することなどありませんし、共通の物的資源のほとんどを事前に横取りして、パートナーの活動を阻止してしまいます。したがってLIEの行動を阻止することは事実上不可能です。
彼らは何事にも手を抜かず、達成したことに満足もしません。LIEは後先考えずに危険を冒し、多くのものを危険にさらします。
◆◆◆
例:2500万人のアステカ人を征服して大金を得たエルナン・コルテス(LIE)は、まだ征服されていない土地の探索に夢中になり、アステカ人から略奪した全資産のほぼ16分の1を軍事遠征の装備のために費しました。
しかし未征服地の探索には失敗し(既に他の征服者が占領していたため、彼が征服できそうな土地の残りはありませんでした)。
コルテスは家族(妻と子供)をメキシコシティに残し、病気にかかった貧しい男としてスペインに戻りましたが、そのまま貧困のうちに、セビリアのスラム街で息を引き取りました(1545年)。
LIEは、自分の計画や事業に対して十分な資金がないことを、常に懸念しています。
いくら今自由に使えるお金があったとしてもLIEにとっては不十分です。彼らはそれ以上のもの、つまりもっと金のかかるプロジェクトを目指してしまいます(「大きな成果を出すためには、大きくやらなければならない!」)。
利用可能な資金の「少なさ」に不満を感じやすいLIEは、もっと手っ取り早く資金を増やそうと証券取引所やカジノに出入りするようになりがちです。その結果、自己資金も他人の資金も、その両方を全て失ってしまうのです。そして他人の資金を返済するために、さらにそういった場所に入りびたるようになります(少なくとも彼らはそれが返済につながると考えています)。
◆◆◆
また、LIEは不運なギャンブラー(あるいは「売れない起業家」)のふりをしようとすることがあります。
ゲーム(あるいはビジネス)で酷い不運に見舞われながらも、必死に仕返し(「リベンジ」)をしようとする人物を演じるのです。
困惑し、恥ずかしそうにしながら帰宅して、「ごめん、今日は運がなかった。でも明日はもっと運が向いてくると思う」と言い、それから「お金ちょうだい。明日までの借金があるんだ」と言うのです。
これはLIEにとって、家族のお金のほとんどを自分のポケットに吸い上げる、比較的無難で一般的な方法の一つです。
つまりLIEは、実際にはあまり負けていない状態の時に「不運なギャンブラー」を演じることで、自分の将来の計画や事業のために必要なスタートアップ資金をかき集めているのです。
もしLIEがとぼけて、愚か者、敗者、怠け者を演じ始めた場合、彼らはビジネスパートナーを「カモ」にして、パートナーの資金を狙ってだまし取ろうとし企んでいます。
なぜなら、ガンマ・クアドラにおいて敗者、愚か者、怠け者であることは、ベータ・クアドラにおける犠牲者、追放者、他人の罪のスケープゴートになることと同じくらい恥ずかしいことだからです。
そのため自発的に、理由もなく、「単純な人」「愚か者」の仮面をかぶろうとするガンマ・クアドラはいません。
LIEはしばしば、役割機能( 第3機能 )として働く感情の倫理(-Fe [2])に従って「愚か者」のふりをします。そして自分の「単純さ」を、「自分をだまそうとする全ての人をだます一種のエサ」として活用し、相手を残酷に罰します。LIEは相手の「悪意」を「罰する」のです。
さらに質が悪いことに、LIEは自分の愛する人にも「愚か者」の仮面をかぶって見せることがあります。「愚か者」の仮面をかぶって家族の前に立ち、ふざけたり、とぼけたりしながら同時に常に嘘を張り巡らして、家族からお金を吸い上げるような状態を作り出すのです。
◆◆◆
LIEの双対ESIは、真実と嘘を、誠実さとゲームを見分けることができます。身近な人であれば、特に鋭く見抜くことができます。
双対の陶酔感に酔ったESIは、LIEの中に「自分が見たいと思うもの」以外を見ようとしません。時にはLIEの「愚か者」の仮面に気付き、騙されていると感じることはありますが、LIEに何が起こっているのか、LIEの背後に何が隠れているのかを完全に理解しているわけではありません。
こんな時ESIは、LIE自身からきちんとした答えを得ようとして必死になり、LIEの友人に質問し始めます。しかしここでLIEと信頼関係を結んでいるLIEの友人が、LIEに対してこのことを知らせるため、LIEはすぐに自分が「監視」されていることを察知します。
それを聞いたLIEは、ESIを叱らなければならないと考えて、怒りをぶつけます(「人を疑って嗅ぎまわるなんて倫理的にどうかしてる」)。
LIEの横柄な態度にびっくりして行動を改めさせられたESIは、そのことをESI自身の倫理プログラム [1] に対する裏切りのように感じてしまい、自分自身に罪悪感を抱きます。
そして自分のFiに対する償いをしようとしたESIは、LIEに対して自分の行動の正当性を説明しようとします(「自分のパートナーに何が起こっているのかを知るために、自分には全てを整理する必要があるんだ」という風にです)。
◆◆◆
LIEの「大丈夫、そのうちいいことがあるさ」という言葉を聞いて、ESIは自分が「カモ」であること、詐欺の「被害者」であることに気づきます。その結果、すべてが変わっていきます。
LIEは(「策略」が終わった後)良心の呵責に責め苛まれることはありません。ガンマ・クアドラにおいて、「カモ」にされるのは常に「される側」が悪いのです。しかもすぐに「カモ」にした相手を批判する口実を見つけ出して、簡単に自分を正当化します。
「あいつはいつも厳しすぎた(あるいは、無頓着すぎた)。これを教訓に、もっと気を付けるべきだ。バカには教育が必要だということだな!」
必要に応じて起業家としての体裁を整えることは、LIEにとって非常に簡単なことです。
コンピューターの前に座り、株式市場のレポートを読み、高価な新しいスーツを着てビジネスセンターのオフィスの間をぶらぶらし、パートナーのお金で買った真新しい外車で「会議」に行ったり、パートナーを「現場」に連れて行って、将来の自分の会社の基礎を見せることは、すべてLIEにとって簡単なことです。こうすることで、LIEはパートナーを落ち着かせ、自分にもっと信頼させ、より不注意にさせることができます。
LIEの目的が価値のあるものを手に入れることであるなら(そして彼らがそれを盗むと決めたなら)、LIEを阻止することはほとんど不可能です。LIEは自分の欲しいものを手に入れる方法を知っています(二分法「果敢」「戦略家」「宣言」)。
いずれにせよ、LIEは自分の利益を見つける方法を熟知しています。彼らは「将来の事業のために」自分の興味を追及していると、自分自身と他人を納得させることができます。
LIEは騙される側の人間ではありません。また自分が損することを許す人間でもありません。
◆◆◆
LIEは頻繁に職業やキャリアを変更しますが、特定の専門的な方向性はほぼ必ず持っています。そしてこれはLIE-ESIペアの問題にもなります。
LIEは、次の冒険に出かける前に、しばらくの間、地味ではあるものの、かなり手堅い仕事に就くこともあります。
しかし、自分の将来の冒険の「スポンサーになりそうな」次のパートナーに出会うと、すぐにその仕事を辞めてしまいます。スポンサー候補のパートナーと親密になったとたん、LIEは「突然」「仕事上のトラブルを抱える」ようになり、理不尽な処分を受けることになります(少なくとも新しいパートナーには、突然の解雇の理由をこうやって説明します)。
その後まもなく、起業への渇望がLIEを圧倒し始めます。他の会社に就職することを断り、自分で会社を興すことを考えて、新しいパートナーにどんどん「相談」を持ちかけます。
それと同時にLIEはさらなる物質的な手段のニーズを感じ始めます(「恋人のために美しい人生を用意するための資金が足りない」)。LIEは様々な事業の計画を立て始め、そのアイデアをパートナーに持ち掛けます。
つまり最初、LIEは特定の職業に就いていない人に見えるのです。パートナーがLIEに金を与え始めると同時に、彼はそうなってしまいます。
パートナーの財産を正式に手に入れるために、LIEは、すぐには(あまり熱心には)結婚に応じません(これは相手が双対であるESIであっても同様です)。LIEにとって、交際のモチベーションは、実利的な計算、利益、利潤にあります。そこでは情緒、ロマンチックな気分、双対関係の陶酔といったものは邪魔になるだけです。
新しい土地に住んで、「家族は物質的な資源を共有しなければならない」という関係性を主張し、実際に財産を共有することに成功したLIEは、その財産の一部を少しずつ横領していきます。
「資金を最大限に活用する」といって、新しい投資や出資の必要性を語ります。そして投資の残金を自分の懐に入れてしまいます。この時、LIEにビジネスプランなど存在しません。計画のに従って行動するのではなく、戦術的直観に従って行動します。
LIEによる(架空の)「宣伝」が増えるにつれ、LIEの「トラブル」の数の増えていきます。LIEは、「必要な物的資源が不足している」といって騒ぎ続けます。
その結果、LIEは手に入るものはすべて奪い去ってしまいます。そして、家もなく、生活もままならないのに、パートナーに多額の赤字、未払いローン、膨大な借金を残したまま失踪してしまうのです。
◆◆◆
ここで読者は、双対関係が互いの恐怖を和らげるのに役立つ関係であるなら、クアドラ・コンプレックスの恐怖を和らげることはできるのだろうかと疑問に思うかもしれません。
結論から言うと、双対関係によって生じる幻想的な寛大さが両者の間にもたらされたとしても、双対関係はクアドラ・コンプレックスの恐怖を和らげることには役立ちません。
そのため両者は自分の優先権を高める一方で、相手の権利を過小評価しようとします(パートナーよりも強い法的な優位性を持とうとします)。
そしてこれが、双対関係における(今のところ)解決できない問題のひとつです。クアドラ・コンプレックスにはそれぞれが自分で挑まなければなりません。
二分法「客観主義」のクアドラ [3]における優位性は、ビジネスの成功と創造的な自己実現に関わっています [4]。
◆◆◆
ESIとLIEのペアの場合、この問題は最も深刻です。
LIEは一家の物質的資源をすべて奪い取り、横領し、自分のものにしようとします。
そうしてESIから道徳的・物質的支援を奪うと同時に、自己決定権・創造的自己実現権も奪ってしまいます(つまりESIの「縛られた手」コンプレックスに刺激を与えることを意味します)。これはESIに激しい苦しみを与えます。そして自分をLIEに縛り付けたことを後悔します。
ここでESIは「すでに自分の魂と融合している双対」と、「将来の支援や、自立した生活の保証になる創造的な自己実現」のどちらを選ぶか強いられることになります。
この選択はESIにとって耐え難いほど苦しく、信じられないほど困難なものです。
この時点で、ESIは自分の資金を必要とする趣味や情熱、創造的なプロジェクトを忘れなければならなくなります。結婚前に作っておいた貯金も、その頃にはとっくにLIEの「個人的な事業」に浪費されてしまっているので、何の役にも立たないでしょう。当面の物質的なニーズを満たすという問題も出てきます。
そして、この問題を解決するために、LIEはESIに対して「ESIの夢や希望とは全く関係無い、奴隷的な労働をする係」を押しつけようとします。
「店や市場で働くべきだ。最初の月の家賃はこっちが出すから、そこから後は自分で生活費を稼ぐようにしたらいい。
家で誰も弾かないような曲を書いているより、こっちの方がいいじゃないか」
◆◆◆
ところで、上述のことは、実際にあったことです。
非常に才能のあるクリエイターであるESIには、LIEである夫がいました。
ESIの全財産を横取りしたLIEは、結婚して数か月後から、ESIを化学工場の労働者として働くよう言いました(その時にはもう家の中にお金が残っていませんでした)。しかしそれを拒否したESIに対して、LIEは「市場で商売をしたらどうか」と別の選択肢を与えました。
このESIは、2つの高等教育を受けており、「自分の興味のあるテーマについて、静かに創造的に仕事をする」という結晶のような夢を持っていました。
それを叶えるために彼女は非常に長い間貯金をしていたのですが、双対関係がもたらす陶酔の盲目の中で(いわゆる双対関係下における「脆弱機能」に対する恐怖の緩和による、幻想の寛容さの影響下にありました)、LIEの夫を信頼して、素直に夫に持参金としてその貯金を渡してしまったのです。
その結果として、ESIの創造的な可能性は実現されないままとなってしまいました。
彼女は長い時間をかけて「資金」、すなわち、「生産的で創造的な仕事をしたり、専門家としてのスキルを磨いたり、完成した作品の売り出しの準備や、家族が不本意な失業を強いられた時に金銭的な支援を行うための資金」を蓄えていたにも関わらず、です。
パートナーであるLIE(そしてESIの家族の一員でもあるLIE)は、彼女の資金を補充する代わりに、彼女の資金を自分の事業活動につぎ込んでしまいました(しかもこの事業は、「奇妙な理由で」頓挫したため、その全てが無駄になってしまいました)。
しかし彼女の生活を狂わせ、彼女を市場や工場で働かせただけでは、この話は終わりません。
LIEは、この時すでに自分名義になっていた彼女の動産を、自分の将来の事業の資金源にするために売却してしまい、その金を持って彼女の前から失踪してしまったのです。
こうした状況に直面した彼女は、しばらく創作活動から遠ざからざるを得ず、創造的なひらめきがあってもそれに時間をかけずに(クリエイターにとっては常に極めて不快で苦痛なことですが)、生活を立て直すために四苦八苦することを余儀なくされたのです。
この後、LIEが再び彼女の前に姿を現わした時、平気で彼女に、自分の実現不可能なプロジェクトに対する資金的援助を頼んだそうです。
結局のところ、彼はESIと同じく、創造性と飽くなき起業家活動への渇望を、つまり「縛られた手」コンプレックスを持っています。
◆◆◆
どんな状況下でも、状況の主人であり続けようとするLIEは、倫理的な関係(他の関係も同様)を自分の都合のよいようにコントロールし、モデル化し、そこから自分自身や将来の事業のための最大の利益を得ようとします。
すべての障害を取り除きたい、自分の行く手を阻むものをすべて排除したいと考えて、自分のパートナーの事業活動を封じ、経済的(ひいては法的)な支えを奪ってしまいます。
しばしばLIEは、予測のできない不安定な男を演じます(彼の頭の中に「理由」はありません)。
しかし同時に、物事に熱心で、すべてを把握、管理し、全員と友好的関係を持とうと努めており、(LIE自身の不安定で矛盾した行動にもかかわらず)極めて明確で組織的で完全に正しい方法で関係を構築しようとします。[5]
その結果、LIEは個人間の合意全てを、自らの矛盾した行動によって破壊し、反証してしまい、無節操で、無責任で、不誠実な人という印象を与えることになります(特に他人の物質的資産を横取りすることにかけては)。
◆◆◆
当然のことですが、ここで説明したようなLIEの説明は、全てのLIEにあてはまるというわけではありません。
しかし、無限に広がるチャンスと、安易な存在条件とが相まって、LIEを誘惑に駆り立てることがあるのは確かです。
-
今日はここ、明日はそこ
落ち着きのないロビン
今日はここ、明日はそこ、彼はもうどこにもいない
ロバート・バーンズの詩3編(マーシャック著・翻訳)からの引用ですが、この詩はLIEと深く関連しています。落ち着くことのないLIEには絶えず「仕事」があります。
訳注
- ^ ソシオニクスでは第1機能のことをプログラム機能とも呼ぶ。ESIの第1機能はFi。
- ^ 機能についているマイナスは「インボリューション的」、プラスは「エボリューション的」という意味。Stratiyevskayaはエボリューション的を「建築的・肯定的」、インボリューション的を「再構築的・否定的」という意味で使用している。ソシオニクスにおける一般的な用語としてのエボリューション、インボリューションの意味はこちら。
- ^ 全てのガンマと全てのデルタは二分法「主観主義/客観主義」が客観主義に分類される。
- ^ ガンマとデルタは、尊重する機能(モデルAの第1, 2, 5, 6機能のどこか)にTeが入っているため。
- ^ Stratiyevskayaからは酷い言われようをされているが、こういうところのあるLIEは「(悪い意味で)アメリカ的なタイプ」に例えられることがある「ソシオニクス LIE(ENTj)by Gulenko」