「手を縛る」というコンプレックス
「縛られた手」コンプレックスに刺激を与えること、すなわち「自分の手を縛られた」とガンマ・クアドラに感じさせることは、危険なことです。
「手を縛る」ような試みは、ガンマ・クアドラに警戒心を抱かせ、プロフェッショナルで創造的な自己実現の領域における自信を失わせるからです(そのため「縛られた手」コンプレックスをダイレクトに刺激してしまいます)。
ガンマ・クアドラに「手を縛られた」と感じさせる刺激になるものとして最も多いものは「危険で過酷な作業」です。
このような過酷な作業は、ガンマ・クアドラと隣接している二分法「貴族主義」のタイプ(主に監督者 [1] )から投げられることが多いです。
デルタ・クアドラは、被監督関係にあたるガンマ・クアドラ [2] に対して、実行困難な条件で、非常に過酷な作業を課すことによって、ガンマ・クアドラの創造的な可能性を実験的に「テスト」したり、「開発」したいと考えます(デルタ・クアドラを支配する潜在的な可能性の直観-Neの影響 [3])。
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ベータ・クアドラは、危険で、技術的または物理的に到底不可能な作業を、ガンマ・クアドラに任せようとすることがよくあります。
ガンマ・クアドラは様々な理由でそれを引き受けようとはしませんが、それでもベータ・クアドラは「必要な仕事」「重大で重要な仕事」として他人にそういった作業を課そうとします(時にはイデオロギー的な理由で課されます:「あなたの仕事に対する熱意を見せてください」。
ベータ・クアドラは時々、こういった「熱意の確認テスト」をしなければならないという強い確信を持っていることもあります:「誰かが『確認テストを人に課す仕事』をしなければならない!」。
「忍耐と従順性のテスト」として、あるいは「ガンマ・クアドラの抑えられない創造的な熱意を試すためのテスト」として、「過酷な作業」を使ったテストが行われることもあります。また、「仕事やプロジェクトといったものは、個人的な利益や楽しみのためにあるわけではない」ということを、ガンマ・クアドラに対して嘲笑的に教え説くために行われることもあります)。
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ガンマ・クアドラは「子供がやるような雑用」を嫌います。
そんな雑用は仕事とすら呼べない作業でしかないからです。ガンマ・クアドラは「なぜ自分がそれをしなければならないのか」納得できない仕事は引き受けません。
ガンマ・クアドラがこのように感じるのは、ガンマ・クアドラで支配的な関係性の倫理 (-Fi↑)と、控え目な側面に押し込まれている潜在的可能性の直観 (±Ne↓) の影響です [4]。
ガンマ・クアドラの「関係性の倫理(Fi)」は、高い道徳的・倫理的な評価軸と関係しており、潜在的可能性の直観(Ne)は「何かあったらどうしよう」という不安と関係しています。
ガンマ・クアドラは「はした金」で自分を浪費したくないのです(絶望的な状況に置かれた時、危険な冒険に巻き込まれた時、自分であえて挑戦したいと感じた時を除いて)。
ガンマ・クアドラは人の下僕にはなりません(二分法「果敢」「民主主義」「客観主義」のタイプであるため)。
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ガンマ・クアドラは人と競争したり、コンテストに参加するのが好きではありません(冒険好きなリスクテイカーであり、何かと議論に巻き込まれやすいLIEを除く)。彼らは、不幸な事故のせいで自分の創造的な成功が妨げられる危険性を恐れています(Neが控え目な側面にある影響です)。自分の責任で、自分の利益のために、独立して創造的・建設的な仕事ができること。こういった仕事こそが、ガンマ・クアドラにとって最も適した仕事です。
ガンマ・クアドラは自分自身に対してかなり厳しい要求を課すタイプですが、自分以外の人間が、自分や自分の仕事をコントロールしようとするのは許しません。人に何かを報告しなければならないような立場が耐えられないのです(特に野次馬根性丸出しの赤の他人の前では)。
ガンマ・クアドラの近親者や友人が、あらゆるガンマ・クアドラの行動を厳しく管理したり、口出しして来たり、やたらと宣伝しようとしてきた場合、ガンマ・クアドラは彼らとの関係を断ち切ってしまうかもしれません。ガンマ・クアドラにとって何よりも重要なのは、ビジネスや活動によって得られる利益です。
「家族のために(夫の求めに応じて)好きな仕事を辞めなければならなくなる」ということは、ガンマ・クアドラにとって家族関係を解消し、離婚を決断する十分な理由になり得ます。
ガンマ・クアドラが、「仕事と家庭の両立」を上手く果たせるとは限りません。これが上手くいかなくて、家庭内に問題が発生した場合、ガンマ・クアドラは仕事を諦めるのではなく、パートナーを諦める可能性のほうが高いです(パートナーが双対であってもそうです)。家でただじっと座って何もしないでいるのは、ガンマ・クアドラにとってはかなり苦痛なことです。
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ガンマ・クアドラが社会に望むことはただ一つです。それは恐れからではなく、まともな賃金のために、良心的で平和的な条件のもと、心ゆくまで働けることです。
平和、静寂、気品、そして、自分の好きなことを通して高みを目指せるような、面白くて良い仕事があること。これがガンマ・クアドラにとっての楽園です。
訳注
- ^ 具体的にはベータのLSI→SEE、ベータのEIE→ILI、デルタのSLI→LIEデルタのIEE→ESI。「監督者」とは、ソシオニクスの「監督関係」において、「監督する側」を指す言葉。また、監督関係とは全く別の話になるが、ベータとデルタの合計8タイプはソシオニオクスの二分法「貴族主義」に分類される。
- ^ LSI→SEE、EIE→ILI、SLI→LIE、IEE→ESI
- ^ 機能についているプラスはエボリューション的(建築的・肯定的)、マイナスはインボリューション的(再構築的・否定的)という意味。関連記事「ソシオニクス デルタ・クアドラ (1)」
- ^ クアドラの「尊重する機能」と「控え目な機能」という考え方はこちらの記事を参照。