プロとしての力量不足が及ぼす影響
ガンマ・クアドラは時間内にプロとして、あるいは創造的な人材として自分を確立することを重視していますが、それと同時にプロとしての成功に繋がる時間やチャンスを逃してしまい、「何者にもなれない」ことを恐れています。
ガンマ・クアドラとアルファ・クアドラはタイプ的にみて対立関係にあります。
アルファ・クアドラがガンマ・クアドラに「家族のために好きな仕事を諦めろ」と強制し、ガンマ・クアドラのことを「無価値な人」「何も達成できなかった失敗者」だと言ってしまった場合、非常に危険な対立が生じます(こんな時、アルファ・クアドラは自分の命を危険に晒しています)。
ガンマ・クアドラのことを「誰でもない」「特にこれといって何もない人」「空っぽな人」と呼ぶことは、火種を持って火薬庫に立ち入るのと同じことです。こうした発言をしてしまったアルファ・クアドラは、知らず知らずのうちに死の淵に立つことになります。
傷付いたガンマ・クアドラ(特にSEEやESIのような攻撃的な感覚タイプのガンマ・クアドラ)は、手元にあるものなら何でも(できるだけ重量があるもの)を掴み、後先を考えずに最も強力な「反論」としてそれを使うことでしょう。
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家族やパートナーに寄生し、友人たちと浪費を繰り返す、劣悪で強迫的なギャンブラーであるLIEに対して、不十分な批判を行うことは逆効果です。これは最悪の場合、LIEの理性と道徳的感覚を低下させてしまいます。LIEの双対によるESIの批判の仕方を見ると、LIEを批判する際の禁じ手が理解できるかと思います。ESIは、人を批判する際、「失敗者」「敗者」「空虚な人」とは呼んだりしません。ESIは、親しい人との関係でそのような無粋なことを言うくらいなら、苦難や欠乏に耐えることを選ぶタイプです。
パートナーとの関係が本当に不幸な場合、ESIはLIEと真っ当な双対関係を築くことができるのできるのだろうかと疑問に思うかもしれません。
経済的に破滅的な娯楽や快楽があまりなく、労働や職業を持つことがすべての人に義務づけられていた少し前の時代(社会主義が発達した時代)には、LIEと双対生活を築いたり、家族を作ることが比較的簡単にできました(LIE自身がそれを拒絶しない限り)。しかし現代の見通しはあまり明るいものではありません。特定の職業を持たない人と家族を作ることはほとんど不可能です(そしてそのような生き方に慣れていることさえあります)。
ここでの選択肢は2つだけです。
少なくとも子供を災害から貧困から救うことを願って、苦しみ、血まみれになりながら双対を心から引き離すか、またはそんな人とは双対ペアになることを願わずに、最初から避けてしまうかのどちらかです。
ESIが決定を下し、LIEが結論を出すことになります。
実は第3の選択もあります。それは、決定を下す前にLIEを徹底的にチェックすることです。しかし、これが成功する可能性は低いです。
ESIは相手に試練を与えるようなタイプではないからです。そして、LIEは自分に与えられた試練の結果をすぐに開示するタイプでもありません。つまり、この第3の選択肢が成功するかどうかは、LIEの誇りと良心にかかっていることを意味します。しかしLIEは快楽を貪欲に求めたり、快楽に依存したりしやすいタイプです(+ Si)。「脆弱な」機能 [1]と「縛られた手」コンプレックスに対する恐れをお金で和らげようとする傾向は、LIEの誇りよりも強く、彼らの内なる良心の声をかき消してしまいがちです。
- チャンスがほとんどない時に、危険でリスキーな賭けをする力。
- 極めて困難で混乱に満ちた状況から抜け出す力。
- リーダーシップの才能。最も重要な瞬間にサポート(資源、予備軍、共犯者、味方、債権者)を見つける力。
- 人を惹きつける力。
- 人を説得して導く力。
- 極めて絶望的な状況でも、動じずに希望と前向きな見通しを示し、パートナーを励ます力。
- 素早く信頼関係を築き、すぐに友達を作ることができる力。
- ほとんど瞬時に(直観的な洞察力によって)行動計画を考え、実行する力。
- 自分のために時間を有効活用する力。
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LIEの持つこれらの資質と特徴のすべてが、(疑わしい事業も含めて)あらゆる事業で大成功を収めるのに役立っています。
- 自分の行動で他のチームメンバーを「溺れさせた」としても、チームの一員であり続ける力。
- どんな自分の思い付きであっても、それを許可させる力。どんな条件でも主導権を握る立場であり続ける力。
- 潜在的な競争相手を押し戻し、物質的資源やビジネス、創造性を使い果たしたパートナーの権利の要求を阻止する力。
上記すべての力は、他の人であれば「溺れてしまう」(または首を折ってしまう)状況であってもLIEが成功する役に立ちます。
ESIにとって、そのような状況下でLIEと競争することは困難です(またLIEがESIとパートナーになりたいと思っている場合、LIEは結婚詐欺のような微妙で複雑なゲームを仕掛けてESIを凌駕します)。
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最終的にはLIEも何らかの形で双対化する必要がありますが、それにもかかわらずLIEは、この解決策に代わる便利な方法を欲しがって探し続けます。
このLIEの探究は、LIE-ESIペアにとって深刻な問題になります。これはLIEとESIが双対ペアとして存在すること自体を危険に晒します。
双対関係にある両者が、双対関係であった経験を失うことはできません。そして過去と現在において双対関係であったという経験がなければ、将来この関係が発展することもありません。それでも、もしLIEとESIが別々に生きて、お互い以外の誰かと双対のようなペアになろうとするなら、それは実際にはどのような関係になるというのでしょうか。
ソ連崩壊後、暴力的な犯罪の嵐が国中を覆った「狂気の」90年代後半は、LIEにとって苦境そのものともいえる時代でした。そして、その時代はESIにとっても耐え難く、受け入れがたく、(そして最も重要なポイントですが)絶望的で、選択肢も逃げ道もない時代でした。
こんな時、スペードを「スペードだ」と言えば救われるのでしょうか。もちろんガンマ・クアドラの「縛られた手」コンプレックスの中では、誰かを「寄生虫」「何者にもなることができなかった人間」「空っぽの人間」と呼ぶことは、最悪最低のタブーであり、侮辱になることです。
訳注
- ^ LIEの脆弱機能(第4機能)はSi。