LSE-EII
LSE自身が持っていて、最も大切にしているのは合理的で論理的な行動を取る力です。これは彼らが完全に満足し、完全に信頼している唯一の資質です。実際に彼がどれだけ頭がいいか(あるいは頭が悪いか)は無関係で、もしも他人から自分の論理を疑われても、LSEはそれに動揺しません。また高度に発達した感覚を持ち、並外れて繊細で鋭い審美眼を持つ快楽主義者でもあります。
興味深いのは、LSEが最も積極的に注意を払うのは他人の知性(彼の考えでは、恒久的に変化せず、その人自身の本質に依存しない価値が知性です)ではなく、合理的な行動をする力と、その人の外見です。LSEは、知性とは一定で、変化せず、その人自身の本質には無関係な価値だと捉えていますが、そのかわり人のエレガントさや体型には、その人の本質が表れると考えているため、パートナーの知性よりも、むしろパートナーのエレガントさや体型を重視します。太りすぎは、その人のだらしなさの表れですし、世間一般的な美醜の感覚に対する挑戦でもあります。これはLSEが考える中では最もありがちな品性の無さの表れだとさえ言えます。
LSEは美しいものと醜いものを正確に区別しています。彼らの理性・合理性には、醜いもの、不快なもの、不便なもの、無駄なものは存在しません。彼ら自身、上品にエレガントに服装を着こなしますが、決して華美な服装を好むわけではありません。一着一着の服を長い間愛用し続けるタイプです。しかも物の扱い方が丁寧なため、どれだけ時間がたっても、まるで買ったばかりのような輝きが失せることはありません。彼は自分のために生きているので、不快な靴を履くことはありません。彼は世界を飾るためではなく、自分自身のために生きています。しかし他のすべての人間には、自分の審美眼を満足させられるだけの美しい服装をするよう求めます。
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他者に恋愛的な意味での魅力(この人を自分のものにしたいという欲望)を感じた場合、LSEはそのことを完全に自覚できており、それを恐れたりしません。LSEにとって、人に魅力を感じることは何ら恥ずべきことではなく、むしろそれを自覚できなかったり、恐れたりする人の方が恥ずかしいと感じるほどです。
LSEにとって、誰かに魅力を感じて抱く「この人を自分のものにしたいという欲望」と、「人を愛したり、人を嫌ったりといった感情」は別物です。彼らにとって感情は欲望もっとずっと難しいものです。
LSEは愛の必要性を感じていますし、愛し愛されることを望んでもいますが、愛から詩を生み出すことはできません。このタイプの人は愛情をサービスや贈り物という形で示し、それによって相手に好意を感じてもらおうとしますが、感情についての美しい言葉をつづり、それによって人を魅了することはありません。これは彼を苦しめます、それは難しく、無意味に感じられます。
感情という面では、LSEは受け身で、傷つきやすいです。ひょっとしたら自分は騙されているのではないかと思ってしまったり、都合のいい希望的観測に流されてしまっているのではないだろうかと疑ってしまったりして、すぐに人を愛することができません。愛が論理に反する場合、彼は愛を捨ててしまいます。LSEは筆者らが最も男性らしいと考えているタイプの一つです。
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LSEは感覚が発達している代わりに直観が未熟なので、偶然の事故を避けようと痛々しいほどに努力し、完全な明瞭さや確実性を求めます。自分の感情が理にかなっていない(理性に反している・合理的ではない)と感じると、人を愛することが出来ません。
疑わしい部分があったり、信頼できないところがあったり、問題のある人を愛せません。
それだけではなく、独立精神が旺盛で、いつも自立していて、他人からのケアや手助けを必要としていない人も愛せませんし、ある種の柔軟な配慮ができない人も愛せません。
感情の領域では、リスクを取ることは出来ないと感じています。自分が欲しいと思う人を手に入れようとすることはできても、自分を愛していない人を愛することができないのです。
LSEが必要としているのは、表面的にはほとんど目立たないような、深くバランスの取れた内向的な感情を持つパートナー、言い換えるなら、自分の感情で他人の感情を測ることができる力を内面世界の本質として持つような人です。LSEにとって、自分の全ての行動、懸念、努力に対する、前向きで非常に機転の利いた感情的評価は極めて重要です。パートナーの機嫌を損ねずに、パートナーを幸せに出来たとき、彼らの人生は明瞭で、シンプルで、わかりやすいものになります。
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LSEのあこがれの恋人(EII)は、自分からは何も積極性を見せることはせずに、ただ誰かが自分に気付いてくれるのを待っています(ただし、新しい人との出会いのイニシアティブは通常、倫理タイプの側にあります。どのような倫理タイプであってもそうです)。しかしLSEがEIIに注目し始めると、EIIは非常に機転を利かせて行動し、ジョークとしてでもネガティブな態度を見せないようにします。LSEはこの手のジョークを理解することができず、その人のネガティブな感情的評価だと認識してしまい、そのまま相手を避けてしまいます。また、わざと興味がないそぶりをして誘惑するのもLSEには逆効果です。
LSEはパートナーに対して責任を感じます。現実の敵や想像上の敵から自分の利益を守る時以上に、積極的に攻め始めます。また、パートナーにできないこと(できるけどやりたくないことではなく、本当にできないこと)があれば、そのすべてを喜んで代行します。さらに正確に言えば、パートナーが生産的な行動をとるうえで妨げになっている問題を解決しようとします。LSEは、パートナーが自分以外の誰かに影響されたり、他人のアドバイスに耳を傾けたりすることを非常に嫌います。
LSEは、Si的な面での好みが洗練されていて強いこだわりを持っているため、自分の美の概念をパートナーに押し付ける傾向があります(一般的に、第1要素ではなく第2要素によって決定される行動において、人は常により強いこだわりを見せます)。何が美しくて何が美しくないか、どのような時に相応しく、どのような時には相応しくないのかという点には常に自信を持っています。
LSE(第2機能Siタイプ)にとって、他の人たちがそれを好むかどうか、自分と同じようにファッショナブルと感じるかどうかはそれほど重要ではありませんが、彼らにとって美的問題は全て解消されなければならない類の問題です。この点で何らかのこだわりを持っている人と一緒に暮らすくらいなら、いっそ全面的に自分任せにしてくれて、指示を聞いてくれる人と一緒に暮らすほうが遥かにマシです。
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そんなLSEに最も適しているのは、EII(倫理的・直観的・内向的タイプ)の感情です。EIIにはその内面に、部外者であれば気付くことができないような、静かな感情の海を持っています。EIIの感情の世界は非常に繊細で、豊かで、さらには自信に満ちていて安定しているため、EIIを相手にする場合、わざわざ言葉で愛を証明する必要はありません。誰が誰をどれだけ愛しているのか、誰が誰を必要としているのか、誰が誰を必要としていないか、いちいち言語化されなくてもEIIには理解できます。
EIIの貴重な特性は、他者の感情に順応し、共感し、他者の感情的ストレスを和らげ、落ち着かせる力です。常に誰かに焦がれ、惹かれているにもかかわらず、ほとんどの場合、EIIは冷たくて自分の世界に閉じこもっている人に見えます。場合によっては感情が希薄な人に見えることさえあります。それでも彼らの愛は、あらゆる直感的な愛のように、プラトニックで精神的な愛なのです。
外向論理タイプの人々(LSEやLIE)が自分を愛してくれる人を必要としており、自分を愛してくれる人でなければ愛すことができないのと同じように、EIIもまた、「この人を自分のものにしたい」と誰かから求められることを必要としています。EIIには、他者をそうやって求めるほどの勇気がありません。EIIは自分のそうした欲望に不満を感じ、なるべく抑えようとし、自分の欲望に従わないようにします。EIIが自らの欲望を受け入れる勇気を得るためには、愛する人への強い信頼と、自分の抱いた欲望が、他者から見ても滑稽で恥ずかしいものに見えないという確信が必要です。
EIIは心地の良い感情を求めます。これは合理性、論理性、活動性、保護能力、そしてパートナーの要求の厳格さによってもたらされます。愛の証拠や、愛を表現するための言葉などは不要です。EIIのパートナーには、デートに遅れないことや、約束を守ること、礼儀の正しさ、思いやりのある行動などを通して、EIIが求めている心地の良い感情を提供する必要があります。決して期待を裏切られることのない、好きなだけ夢を見ることができる待ち時間は、EIIの最大の喜びの一つです。
EIIに好みや欲望がないというわけではありません。しかしながら関係の完全な調和や、意志の完全な融合を望んでいる彼らは、自分の好みや欲望を押し通すよりも、他者の好みや欲望に従うほうがいいと感じやすいです。そのため一方では完全に相手の好みに従う傾向がありますが、他方では互いの好みが一致することを強く望んでいます。
EIIは、自分が気になる相手の好みをもっとよく知りたいと思い、その人の好みに自分を合わせようとします。
しかし、相手が論理的で外向的な性格ではない場合、つまりEIIの基本的な望みである「いつでも、どこでも自分の意見を持つこと」を満たせない相手の場合は問題です。仮に非常に賢い人であっても、短く言い切るような形ではなく、考察の形で自分の意見を言う傾向がある場合は問題になります。この手の人をパートナーにした場合、EIIはいつも不満と不幸を抱えることになります。
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「EIIには個性が欠けていて、あまりにも譲歩的すぎるのが問題だ。知性を持つ全ての人間は、自分の意見と好みをきちんと持つべきだ」と感じる人もいるかもしれません。しかし確固たる「自分の意見と自分の好み」を持つ人同士がペアになった場合(例えばLSEとESIがペアになった場合)、二つの意見と二つの好みが共存するのではなく、互いに引くことを知らない二つのエゴイズムの闘争が起こりがちです。もちろん、この逆に「自分の意見と自分の好み」を持たない人同士がペアになった場合もまた、うまくいかないことが多いです。
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出典の全文訳:人間の双対性(by A. Augusta)