このタイプの人は、人間関係にとても敏感で、誰が誰を好きなのか、嫌っているのか、あるいは好意を持っているのかといった感情の動きをよく読み取ることができます。特に、相手の態度や感情を鋭く察知し、その裏にある本音を見抜く力に長けています。
彼らは、道徳や倫理、そして人として果たすべき責任について語るのを好みます。義務を遂行する際には、誠実さや忠実さが何よりも大切だと考えています。
もしこのタイプの人が作家だった場合、登場人物の行動を道徳的・倫理的な視点から深く掘り下げ、評価することに重点を置くでしょう。たとえば、文豪イワン・ツルゲーネフは、高い道徳観と義務に忠実な女性像を数多く描いています。また、セオドア・ドライサーの小説にも、倫理や道徳の問題を深く追求する作品が多くあります。
ESIは、世界そのものが道徳的に欠陥を抱えていると感じる傾向があり、それが多くの社会問題の根本原因だと捉えています。そのため、彼らの世界観には独特の悲観的な一面が表れることもあります。
このタイプの人々の内面世界は、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公の描写に非常によく表れています。
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ESIは、料理が得意で、部屋の掃除など身の回りのことをこまめにこなすのが好きです。運動においては、自分の身体的コントロール能力を活かせるようなバレエやジムなどを好む傾向があります。
また、自分に与えられた「使命」や「方向性」に対して強い意志で従い、それに向けて長期間にわたって粘り強く努力を続けることができます。驚くほどの持久力と根気強さを持っているのです。
その一例として、イタリアのテレビドラマ『オクトパス』に登場するカターニャ警視が挙げられます。彼はマフィアを執拗に追い詰める姿勢で知られており、まさにESIの典型です。
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このタイプの人は、自分の意見や考えを説明する時、たとえ途中で遮られても話すのを止めず、相手が納得するまで丁寧に説明し続ける傾向があります。また、「第一に、第二に…」というように、物事を順序立てて論理的に話すスタイルをとることが多いです。
ただし、ESIの判断や行動は、常に論理だけに基づいているわけではありません。しばしば、強い感情や道徳的な信念に根ざした選択をすることもあります。
また、自分の能力や才能を他人に評価されることをあまり好みません。それよりも「自分の価値は、言葉や賞賛ではなく、行動や結果で示すべきだ」と考えています。