カリナウスカスの輪
Grigory Reininは、現在のソシオニクスで一般的なモデルAではなく、カリナウスカスの輪というモデルを使用している。そのため機能の配置がモデルAとは異なっている。
機能 #1 – 主観的直観(Ni)
内的な状態の完全性は、このタイプの情報代謝の存在原理だといえます。
EIEにとってのNiが創造的な機能であり、それを使ってイメージの中に出入りできるとすれば、ILIにとってのNiは、誰かになり、自分自身を変えることができるものだといえます。
ILIは自分を失いながら、自分自身であり続けます。この資質は、他者との関わりの中で常に発揮されています。このタイプの人々は、相手の気分や状態に的確に共鳴することにかけては天賦の才を持っています。彼らは、あなたの望み通りの人物になってみせる力を持っているのです。
自分自身について知らないことは何もありません。
「ソシオニクスなんて役に立たないものは自分には必要ない。ソシオニクスを使って自分のことを教えてほしいなんて思わないし、自分が活動したり、人とコミュニケーションとる際にも不要だ。そんなことは自力でできる」
このようなことを言うILIは多いです。彼らは他のどのタイプよりも、自分やパートナーの状態を意識しています。
ILIの主体への志向は、他の内向的な人たちよりも、さらに顕著なものです。おそらくILIは最も直観的で、もっともそれが成長するタイプのひとつだといえるでしょう。
感覚タイプとは、古典的な定義に従えば、時間を圧縮し、「今この瞬間」の原理で生きている人のことです。直観タイプは、もっと過去や未来、記憶や可能性を重視します。
感覚タイプと直観タイプとでは、純粋に物理的な感覚という意味でもかなり違います。感覚タイプの場合、部屋に入った直後から、まるで部屋全体をその人で満たしているかのようになります。一方、直観タイプはもっと存在感がありません。エネルギー的にはほとんど存在を感じられないと言えます。
機能 #-1 – 客観的直観(Ne)
この位置にNeがあるILIは、外的状況の整合性を無視します。言い換えると、状況や日常生活を無視して、外的な出来事に著しく無頓着になることがあります。
与えられた外的状況を避けられないものとして認識したILIは、起こっている出来事が好ましくない展開を見せる可能性があっても、その情報を完全に無視してしまうことがあります。特に、それが個人的にしか影響しないものであればなおさらです。
ILIは、十分な情報を得たにもかかわらず、状況を改善するために必要な初歩的な対処さえとらず、そのまま放置してしまうことが多いです。そんなことをする気力がない、と言い訳をしがちです。
したがって通常ILIは、外部からの強力な働きかけがなければ状況を変えることができません。
機能 #2 – 客観的論理(Te)
今現在どのような命令や法律があるのかに精通しています。こういったものに詳しいタイプとしては、他にもSLIがいますが、SLIがそれらの合理化を目指すのに対して、ILIはシステムの愚かしさを批判する傾向があります。
ILIは他のタイプ、特に外向的なタイプと比べるとエネルギーが小さい人々ですが、それでも社会的な流れの落とし穴をよく知っています。
そして創造的な機能としてのTeを持つため、どの法則をどのように回避するか、どの壁を突破してどの壁を突破しないでおくべきか、ある行動をとった後にどのような困難が起こりうるかを知っています。
そのため、ILIはSEEの理想的な助言者となりうる人物だといえるでしょう。
SEEは自らの過剰なエネルギーに振り回されて、手あたり次第に活動し始めてしまうことがあります。そのためSEEは「この壁じゃなくてあの壁を壊せ」という指示を必要としています。こうした行動計画がない場合、SEEは攻撃的になってしまい、仕事仲間や大切な人たちを攻撃し始めてしまいます。
SEEは怒りっぽいから攻撃的になるわけではありません。単純に今どうしたらいいかわからないから攻撃的になってしまうのです。
そのためSEEは、ILIか、またはILIと同じくらい演繹的総合的思考力を持つ誰かから、行動計画を得る必要があります。
ILIは、客観的な世界の法則やロジックに精通しており、世界がどのように組織されていて、どのように支配されているかをよく知っています。さらにはILIというタイプの特殊性から、最もグローバルな事柄を研究することもできます。
ILIのニックネームにもなった小説家オノレ・ド・バルザックの描く世界観はどのようなものだったのでしょうか。
彼は「人間喜劇」と呼ばれる巨大な構造に含まれる98の小説と短編小説を書きました。彼はじつに2000以上の登場人物からなる世界全体を創り上げたのです。また、彼は当時の社会のロジックを一般化して提示するのが得意でした。小説では、さまざまな事柄の説明に多くの文章が費やされています。
彼は当時の社会のロジックを一般的に提示する力がありました。彼は小説で、様々なものの描写に多くの丈を費やしました。バルザックは説明するのではなく、社会のすべての層を一つの構造で見ることができるような絵を描いたのです。
機能 #-2 – 主観的論理(Ti)
ILIは説明することが好きではありません。しかし、もしも何かについて説明しなければならない場合、標準的な方法(一般的な、普通の方法)で説明しようとします。
ILI自身が標準的な方法の論理を理解できない場合、知的混乱に陥ることがあります(これは試験中に起こるかもしれません)。こういった混乱は、自分の頭の中にある標準的な説明方法と、自分が説明しようとしている現象が結びつかない時に起こります。
機能 #3 – 主観的倫理(Fi)
「この人のことは好きか嫌いか」「楽しいと感じるか、不快に感じるか」
これはILIにとって問題の領域です。
ILIの自己評価の原則は、「もし私が誰かを愛しているのならば、それが自分を大切にしてもいい理由になります」です。これは言い換えると「もしも私が誰かを愛しているならば、私は良い人間だ」という原則だといえます。
ILIがこの第三の機能に従って自分を守る必要がある場合、彼らは対象から自分を遠ざけ、抽象的な領域に引きこもろうとします。
自分が愛するべき存在は、遠く離れたどこか、例えば遠征先や海外出張先にいると思い込んでみたりします。欠点だらけの現実の人間よりも、心の中の理想像を愛するほうがずっと簡単なことです。
現実の人間は理想とは程遠いため、しばしば苛立ちを感じます。そうやって苛立ちを感じた時、彼らは「自分は相手のことを愛していない」と解釈します。さらにILIは、そうやって人を愛することができない自分を悪だと感じます。
ILIは、しばしば自分の愛をささげる対象に犬や猫、あるいはその他のペットを選びます。第三の機能は、ペットとの関係ではそれほど苦にはならないからです。このタイプの人々は、人との関係には非常に慎重です。
オデュッセイアに登場するペネロペがILIであるとすれば、愛する夫(ユリシーズ)が長旅から帰ってくるのを待つ間、彼女は常にこの第三の機能に従って、強力な正の補正を受け続けていたといえるかもしれません。
機能 #-3 –客観的倫理(Fe)
外部との関係を処理することで、問題を解決しようとします。
ILIはいつも「自分は愛されているのか・自分は愛に値するのか」と確認しています。
他のタイプにとって、この手のチェックは関係性を言葉で明確化したがっているように見えるかもしれませんが、ILIは愛の言葉ではなく、実際の行動を期待しています。
「私の態度に問題があるというなら、まず、その人の私に対する態度に問題がないかを考えるべきです」
こういう時、すでに説明したように、ILIは対象から物理的に距離を置き、シンプルな外的関係性を築こうとします。
機能 #4 – 客観的感覚(Se)
ILIは、周囲がこうあってほしいと望むイメージを簡単に受け入れてしまいます。
時には次々に別のイメージに溶け込むため、頻繁にイメージが変化することもあります。そのため、自分で自分を見失うこともあります。
このタイプの人は、何かの活動を押しつけられると、ほとんど無防備になってしまうので、なかなか抵抗できません。突然、まったく予想外のことに巻き込まれることになります。
ILIが何かをするためには、外部からの「押し」が必要なことが多いです。そうである一方で、ILIはこの外部からの後押し(あるいは押し付け)に抵抗できません。
例えばいきなり女性が押しかけてきて、「一緒に暮らしましょう」といってきたとします。するとILIは「まあいいですよ」と言ってしまいます。
ILIは人からの押しに抵抗するのが苦手です(こういったものが苦手なタイプには、他にIEIが挙げられますが、ILIはIEI以上にこの手の問題を苦手としています)。少なくともIEIは状況の美学にも注意を払っていますが、ILIはそれもできません。
この問題に対する苦手意識のために、このタイプの人は、いつも冷たく、飄々としていて、とっつきにくい印象を与えることがしばしばあります。これは無意識のうちに、他者との距離感を最大限に保とうとするからです。
機能 #-4 – 主観的感覚 (Si)
ILIにとって自分の気持ちや幸福、そして健康は恐怖の領域に含まれる物事です。
このタイプの人に対して、一般的に受け入れられている範囲より踏み込んだ(あるいはILIが望んでいるよりも踏み込んだ)ILIの健康に関する話を振った場合、彼らはすぐに話を打ち切ろうとするかもしれません。他人の健康に関する話はまだ受け入れられるかもしれませんが、ILIにとって自分の健康の話は避けたい話題なのです。
自分の健康を守るためには、特別な努力が必要になるタイプです。無理やり薬を飲ませなければならないこともあります(これは本当に大変なことです)。
筆者の観察によると、このタイプの人々は、入院している人のお見舞いに行くことも非常に嫌がります。これは、たとえ自分の健康問題と無関係なことがわかっていても、健康を意識させられる施設に行くこと自体が不快に感じてしまうせいです。その一方で、もはや病院が自分の家だと言うILIもいます。
何かに感染することを恐れており、1日に20回、あるいはそれ以上手を洗うかもしれません。
ある日、知人であるILIと地下鉄に乗ったときのことです。筆者がエスカレーターの手すりをつかんだら、彼はニヤニヤしながら「よくこんな手すりに触れるな。いろんな人がベタベタ触ってるのに」と言いました。筆者にとっては考えもしないことでしたが、彼はそのことを非常に気にしているようでした。
どんなタイプにも、現実への不適応から生じる独特の精神病的な傾向というのはあります。例えばILIは自分の健康について、神秘主義的としか言えないような考えを持っていることがあります。時に誰も経験したことのないような(そして科学では説明できず、医師でも診断するのが難しいような)症状に悩まされることがあります。肉体的にはどこも病気ではないはずなのに、体温が急に上がったり下がったり、あるいは突然血圧が上がったり下がさがったりするのです。
有名人
- オノレ・ド・バルザック
- ソクラテス
- フランシスコ・デ・ゴヤ
- ヘレナ・ブラヴァツキー
- 村上春樹(wikisocion側の出典にある追加情報)