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疑似同一関係となるタイプ
はじめに
疑似同一関係とは、相反するクアドラ [1] に属する2人の人間が、全く同じではないものの似たような機能を持ち、なおかつ相手に対して暗示的な影響力 [2] を持たないタイプ間関係です。
疑似同一関係では、同じ種類の話題について話すことが多く(これは疑似同一関係の組み合わせに限らず、クラブが同じメンバー間で典型的にみられる特徴です)、共通の関心事項に引き寄せられるにも関わらず、あらゆる話題に対して全く異なるアプローチをとります。
同じ現象に注目しながらも、互いに全く異なる言葉で表現し、分析するため、面白さを感じつつも満足できない関係が、この疑似同一関係という関係です。
満足できない理由は、一方の主導機能(第1機能)の言葉やアプローチが、もう一方の実証機能(第8機能、デモンストレーション的な機能)という「強力ではあるものの、過小評価されている機能」に位置しているからです。
互いに相手の主導機能(第1機能)の巧みな使用に感心する傾向はありますが、それと同時にどこか「パフォーマンス」じみて聞こえてしまうため、相手が誠実に、正直に話しているとは感じられません。これは、自分の実証機能(デモンストレーション的な機能)に対する自分自身の態度を基にして相手を見てしまうからです。
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より親密な関係の場合、互いに「相手のアプローチを修正し、まったく別の言葉で問題を再定義したい」と感じ始めます。
これは互いに「相手から過小評価されている」という感覚を持つに至ってしまいます。
また、この関係では、相手が自分に共感してくれているという感覚から、かなりプライベートな会話になりがちですが、相手を修正し、再定義したいという欲求が怒りや不満として爆発してしまうと、この心理的な親密さは跡形もなく消し飛んでしまうことがよくあります。
その結果、相手に失望し、「信頼を裏切られた」と感じてしまったり、相手の誠実さの欠如を感じて、突然「この人のそばにはいたくない」と感じてしまい、関係を維持できなくなることがあります。
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疑似同一関係は、一般的に互いに同情的で、同じ弱点を多く共有しています。
しかし個人レベルで有意義な援助を提供することはほとんどできません。仮に互いに相手からの援助を期待していたとしても、すぐにありがた迷惑になってしまいます。
さらに、感情的な問題や個人的な問題に対する二人の解決策は、いつも根本的に異なっています。
例えば「自分を取り戻す」という問題を解決するために、EIEは「なまけたり、躊躇したりすることをやめる」という解決策をとらなければなりませんが、IEEは「気分転換や新しい気晴らしをする」という解決策を必要としています。
自分に必要な解決策をそのまま相手に適応しようとしても、うまくいかないことは火を見るよりも明らかです。
さまざまな著者による説明
Valentina Meged, Anatoly Ovcharov
疑似同一関係は、友人関係やパートナーシップには適していますが、非常に親密な関係にはあまり適していません。
この関係では、互いに相手を理解し、助け、助言を与えたいという願望があります。また、相手の考え方や方法は、かなり変わっていて面白く感じられます。
このため、二人の間では様々な議論や意見の相違が生じますが、通常、妥協点を見出そうとする気持ちもあります。しかし親密さが増すと、ほんのちょっとした喧嘩ですぐに関係が壊れてしまいがちです。特に、個人的な利益や関心を脅かされた場合は悪化しやすいです。
疑似同一関係の場合、関心事は同じですが、物事の見方が異なっていることが多いです。理解し合えず、お互いの利害や関心を認め合うことができません。この関係にある二人が共同作業をした場合、アプローチの違いが原因で「相手と別れて、自分のやり方で全部やってしまいたい」と感じるようになります。どちらも自分の道を進みたがり、相手の意見や経験を受け入れません。そのため、お互いが頼りなく感じてしまいます。
疑似同一関係の場合、「この人は何かあったら、すぐに自分のもとを去ってしまうだろう」という予感が付きまといますが、実際にはほとんどの場合、杞憂で終わります。
I.D. Vaisband
疑似同一関係では、しばしば同じような種類のテーマに興味を持ち、同じような話題について話します。しかし、互いに全く異なる観点からアプローチしています。
深刻な言い争いになることはほとんどありませんが、お互いに何かを納得させることは不可能なので、生産性があるとは決して言えない小さな言い争いはたくさん生じます。
O.B. Slinko
「The key to heart - Socionics」より
同一関係とは違って、疑似同一関係の場合、相手に同情を感じることはありません。むしろ「この人はすでに守られている。大丈夫だろう」と感じます。
互いによく似ているようでいて、微妙に違います。同じ道を歩むのではなく、自分と並行する道を歩む人というほうが適切です。
疑似同一関係では、共通の話題を見つけて、お互いを十分に理解することはできますが、それと同時にお互いに「他者性」を意識させられてしまうため、どこか「ぎこちなさ」が残り続けてしまい、完全な理解や同意には至れません。
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お互いに我を通そうとする関係にも見えますが、この関係には柔らかさがあります。相手を本気で怒ることはできず、相手の意図的な攻撃があってもあまり傷ついたりはしません。多少不快なことがあっても、禍根を残さずに、簡単に見逃すことができます。
疑似同一関係の接触は容易に起こり、スムーズに行われます。
R.K. Sedih
「Informational psychoanalysis」より
大人の場合、あるいは自分に自信を持っている十代の若者の場合:
この関係は鏡像関係に似ています。
この関係では、相手を修正しようという試みが頻繁に行われますが、完全に信用できなくなるほど関係が悪化することはほとんどありません。
何時間も議論しても、お互いに納得できることはありませんが、それでもその議論の過程で興味深い情報を得ることができるため、お互いに尊敬の念を抱くようになることもあります。これは、いつもそうなるわけではありませんが、十分起こりうることです。
協力しあう関係としてであれば、楽に付き合うことができます。疑似同一関係では、相互の助け合いが行われることが多いです。通常、お互いに対してポジティブに感じます。
相手の視点を理解する力こそ欠けていますが、これが深刻な対立に繋がることはほとんどありません。
このように、疑似同一関係は、互いに好意的であることが多いです。
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自信に欠ける十代の若者の場合、あるいは子供の場合:
時々少し礼儀がなってないと感じることはありますが、お互いに悪意を抱いたり、我がままをいうことはほとんどありません。相手が疑似同一関係で、なおかつ相手が双対タイプによるサポートを受けていない場合の関係性は、当然のことながらより困難になります。
この場合の問題点は消滅関係によく似ていますが、疑似同一関係の場合、互いの欠点を粗探しすることは、あまりありません。
Laima Stankevichyute
「Intertype relations」より
このタイプ間関係では、一緒に暮らしたり、密接な交流をする中で、深刻な喧嘩が起こることは事実上ほとんどありません。しかし、多くの時間とエネルギーを浪費するだけの、いつ終わるとも知れない小さな諍いは頻繁に生じます。このような諍いに勝者はいません。
疑似同一関係では、お互いに相手を納得させることは不可能です。この疑似同一関係が倫理タイプ間の場合、彼らの人生は荒々しい感情と情熱に満ちたものになります。論理タイプ間の場合はもう少し穏やかですが、緊張感や不信感に満ちたものになりがちです。
A.V. Bukalov, G. Boiko
「Why Saddam Hussein made a mistake, or what is Socionics」より
両者の関心事は似ていますが、より親密な関係では誤解が生じやすいです。例えばILEがより抽象的で仮説的な理論を語るのに対して、LIEはより実用的で現実的なテーマの話をします。ある有名なLIEの数学者は「数式は必要ない。あるパラメータを導き出す方法を知っている人が必要なのだ」と語っています。
疑似同一関係の場合、活動範囲を限定した共同作業では、大きく成功する可能性があります。
家庭生活においては、最悪ではありませんが、最も好ましいといえる関係でもありません。
Victor Gulenko
「Criteria of reciprocity」より
議論の調整:
疑似同一関係間のコミュニケーションは、形式的な口調・論調で行われます。この関係の相手から受け取る情報は、自分の期待にそぐわないものであることが多いです。
バランスの取れた議論をするためには、自分自身を会話のスタイルに合わせることが必要です。
疑似同一関係の場合、相手の発言の意味をすぐに理解するのは難しいです。長い時間をかけて理解することになり、そこでまた同じ問題に直面することになります。
このタイプ間関係では、同じような思考をしながら、異なる方法で表現しようとします。互いに何かを納得させることができないため、誤解や不毛な議論が起こりやすいです。
その結果、互いを過小評価しあい、切り捨ててしまう傾向があります。
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タイプ間関係における相違点の兆候:
疑似同一関係は公開討論に向いています。受容的な聴衆の前では、互いをサポートし、互いのアイデアを拾い上げて、発展させることができます。そうして大胆で壮大なプロジェクトが提案されるかもしれません。
しかし狭い人間関係の中で行う討論の場合、お互いを理解することが難しくなってしまいます。また、「自分の言っていることをよく理解していない」という印象を、相手に持ってしまうことにもなります。
まずお互いの立場を確認しあってから本格的に取り組むようにすると、この関係は安定しやすいです。そうでない場合、相互支援によるメリットはほとんどなくなってしまいます。準備不足・協調不足のままでは、有益な結果を得ることはできないでしょう。
疑似同一関係では、両者の実利的な論理が展開され、多くの見込みのあるアイデアが浮かびます。この関係性で感情が関わるのは、そのアイデアが成功したり失敗した時に限られます。また、疑似同一関係では、ユーモアのセンスと、常に成功するわけではない状況に対する楽観主義が育まれます。
この関係の場合、自分たちのアイデアを実際に試してみようという方向に向かうことが多いです。しかも、徐々に試すのではなく、大胆に実行していこうとする傾向があります。疑似同一関係は、リスクを受容して行動する力、起業家精神、楽観主義が促進されます。過去に試行錯誤してきたことを利用して、前向きな伝統を回復させることもできます。
この関係は、目まぐるしく変化するような状況下であれば有益な関係性です。互いの冒険へのあこがれを呼び覚まし、互いをリスキーな行為へ駆り立てます。計画は何度も変更され、新しいプロジェクトが提唱され、試行錯誤が行われます。立ち止まって息をつく暇もないほどです。
その一方で、変化に乏しい環境では、急速に破綻してしまいます。
疑似同一関係では、最初は緊張を感じません。相手が自分の主張を理解して、賛同してくれるのではないかという期待を抱きます。
しかし実際にはそうはなりません。同じ問題に取り組む時間が長くなればなるほど、両者の意見は食い違ってきます。結束を保つためには、両者が「同じ考えである」と装うしかありません。しかしそれも当然長くは持たないので、何か新しいことを考え出すか、過去の懸案に立ち戻るしかありません。
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付き合う上でのアドバイス:
この関係間の恋愛では、意見の相違が目立ちます。長く話せば話すほどに、お互いの視点を理解できなくなっていきます。論理的なレベルでの理解は、この関係では障害になります。疲れてくる関係ではありますが、すぐには疲れを感じません。コミュニケーションの後しばらくすると、両者ともに気分が高揚します。
今まで解決できなかった難しい問題を解決するのであれば、疑似同一関係の人間を誘うといいでしょう。このタイプ間で生じる緊張は、冒険的で生産的な活動に従事することによって軽減されます。ただし現実感に欠けやすい関係性でもあるため、重要な決定を行う場合は避けた方が無難です。
民主的な態度、ユーモアのセンス、楽観的な人生観は、疑似同一関係をより良いものにします。この関係性は危険な活動や冒険的な活動に適しています。変化に乏しい環境、平和で穏やかな環境にはあまり適していません。頻繁に旅行にでかけて世界について学んだり、新しい物事に興味をもって、自分で新しさを作り出してみるといいでしょう。
V.V. Gulenko, A.V. Molodtsev
「Introduction to socionics」より
疑似同一関係は、お互いを完全に誤解している共存の関係です。論理タイプ同士の場合、平和的な関係になる可能性があります。倫理タイプの場合、しばしば自分たちの関係性について議論になるような関係になるかもしれません。この関係で重要になるのは、サブタイプが一致しているかどうかです。
サブタイプが一致しない場合、(一致する場合と比べて)より多くの緊張状態が生じてしまい、相手の行動を非難する気持ちが起こりやすいです。しかしそれでも同じ目標で結託していて、互いに相手を頼りにしなければならないような場合であれば、この点はクリアすることができます。
基本的に、この関係では相手の「最も弱い部分」を傷つけるような攻撃は行われません。したがって相手から脅威を感じることはありませんが、それと同時に対等であることも感じにくいです。
自分からすると相手の能力が低く見えるのに、自分が失敗した問題で、相手はなぜか自分より素晴らしい成果を上げることになります。お互いにこのように見えてしまうため、自尊心が傷つけられてしまい、「不公平だ」と思ってしまいやすいです。
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この関係で最も不快に感じる点は、相手を完全には理解できない点です。
相手と情報交換する際はいつも、相手の言語を自分の言語に「翻訳」しなければなりません。疑似同一タイプが書いた文章を読むのはほとんど不可能です。なぜなら、相手の書いた文章を解読しようとしても、「膨大なエネルギーが奪われる割には、役に立たない」文章にしか見えないからです。
疑似同一タイプの創作物には、常に物足りなさを感じます。どこか薄っぺらく感じられて、満足感を得ることができません。もっとわかりやすく説明できるはずのことを、複雑に書いたり、あるいは単純に書きすぎていたりして、読み手をわざと混乱させるように書いているのではないかと思えてきます。
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疑似同一関係では、簡単に共通の話題を見つけたり、同じ問題で盛り上がることができます。しかし困難な状況に直面した際は、異なる解決策を見出します。そのため、お互いに「相手は時間を無駄にしている」という感覚を持ってしまいます。
疑似同一関係を結びつけるものは特にないため [3]、後悔することなく、簡単に別れてしまいます。タイプ間で生じる力場がこれといって特にないニュートラルな関係であるため、「あなたにはあなたの結婚式があり、私には私の結婚式がある」という言葉を体現したかのような関係になりやすいです。
Ekaterina Filatova
「Art of understanding yourself and others」より
疑似同一関係では、互いの弱い機能を介して相互に接触が行われることになります。主要なブロックの機能は同じですが、機能の位置や内向/外向が異なるため、共通の利害関係で結ばれています。
しかしその一方で、実際には相手には自分より優れたところがあるにもかかわらず、なぜか「自分より相手の方が劣っている」と見えてしまうことがしばしばあります。
この機能では、片方の強い機能がもう片方の弱い機能に力をかけることがないため、あまり衝突は起こりません。
そして将来、協力する必要性がなくなれば、あっさり別れてしまう関係性です。協力する気持ちさえあれば、別れるのと同じくらい簡単に付き合い続けることができます。
Eugene Gorenko, Vladimir Tolstikov
「Nature of self」より
疑似同一関係は、合理/非合理という二分法が異なるタイプです。
一般的に、両者はまっとうにコミュニケーションがとれます。関心を抱く対象も似ています。しかし、あまり強い関係性にはなりません。
コミュニケーションを続ける必要がなくなれば、簡単に別れてしまうかもしれません。
とはいえ、この疑似同一関係はおおむね良好な関係だと言うことができるでしょう。
Sergei Ganin
この関係は、大きな誤解を生む関係です。
どちらも論理タイプである場合は、多かれ少なかれ平和的に交流することができます。しかし、お互いが倫理タイプである場合は、言い争いになりやすい関係になる可能性が高いです。
また、他のタイプ間関係の場合と同じく、相手に感じる個人的な魅力が二人の関係を平和にするためには非常に重要かもしれません。
魅力を感じられないような相手の場合、不必要な緊張を引き起こしてしまい、その結果として対立が起きてしまう可能性があります。
しかし、この関係では対立状態はあまり長く続かない傾向があります。両者が内的緊張を解いた後で、通常、非合理タイプ側が先に働きかけることで、和解に至ります。
これらの関係の利点は、お互いの弱点を問題視しないため、お互いにとって脅威にならない点です。
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この関係には他に「自分と相手を対等だとは感じない」という傾向が見られます。相手を「自分より能力が劣っている、才能がない人だ」と感じやすいのです。しかも、それでいて「相手が自分よりもなぜか成果を上げている」という勘違いもしやすいのです。
そのせいでお互いに不公平さを感じやすく、ひいては共通の目的達成の妨げになることもあります。
この関係では、お互いに相手を完全に理解することは難しいです。疑似同一関係では、常に相手の出してくる情報を自分の言語に翻訳する必要があります。この翻訳には多大なエネルギーが必要であり、しかも満足のいく形には翻訳できません。
疑似同一関係の人が書いた本を読むのも難しいでしょう。疑似同一関係の創作物は、まるで怪物のように見えてしまいます。
このタイプ間の会話は、重くはありませんが、満足感ももたらしません。
相手が単純なことを過度に複雑にし、重要なことを過度に単純化することで、意図的に聞き手を混乱させ、誤解させようとしていると感じるかもしれません。相手が言おうとしていることが何であれ、別のもっとわかりやすい方法で説明できるはずだと、お互いが強く感じてしまいます。
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疑似同一関係の場合、通常、会話や議論のテーマを見つけるのに苦労はしません。しかし一緒に問題を解決することになると、相手が自分とまったく異なる方法で考えていることを理解させられることになります。
やがてお互いに「一緒に過ごした時間を無駄な時間だった」と後悔し始めるかもしれません。
疑似同一関係の繋がりは非常にもろく、通常、別れることによる負荷が何もないため、後悔することなく簡単に繋がりが切れてしまいます。