LIE-ESI
LIEの強い側面は、LSEと同じく論理です。LIEは抽象的思考力が発達しており、その一方でパートナーの外見には無頓着で、ほとんど注意を払いません。多くの場合、パートナーが優れた身体的データを持っていると、むしろそれが邪魔になってしまいます。LIEにとって大切なのは「最も美しい人」ではありません。「LIEのことを『最も美しい存在だ』と感じてくれる人」です。LIEは周囲に注意を向けるのが苦手で、他人が自分をどのように見ているか正確に理解することに難を抱えています。そのせいで常に自分の外見に自信がなく、自分が少し醜いのではないかと想像して、思い悩みがちです。
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直観タイプにとって、自分の肉体的な自己を認識することは非常に重要です。彼らは発達して信頼できる美的感覚を持つパートナーを必要としています。直観タイプの理想のパートナーは、「ほとんどの人間のことを醜いとさえ感じるほど非常に厳格な審美眼を持っていて、自分(直観タイプ)の見た目が美しいかどうかを正しく評価することができ、また実際に評価してくれる人でありながら、同時に自分(直観タイプ)の『自分らしさ』の部分に魅力を感じていることがよくわかる人」です。
LIEは他の論理タイプ同様、対人関係における感情(あの人が好きとか、嫌いとか、その他のもっと複雑で持続的な感情)を把握する力という意味でも、その時々の感情表現(楽しい、つまらないなどの瞬間的な感情)をしたり、読み解いたりする力という意味でも、あまり感情にまつわる力は発達していません [1]。
LIEとパートナーの両方を合わせた時に、意識化された愛の感情が二人分あり、意識化された魅力(パートナーを惹きつける魅力)も二人分ある時 [2]、彼らは絶えず愛し合うことができます。LIEは日常生活では散漫としていて、パートナーの好みを全面的に信頼し、この点でパートナーから指示されることを受け入れます。
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ESIは、そんなLIEのパートナーとして最適です。深い倫理的感情と愛の創造者でもあるESIは、感覚も発達しています。ESIは感情という点でも、魅力という点でも、どちらの点でも自分の力だけで十分に自信を持って行動できるため、この両面で他者をリードできます。
ESIは自分の感情を表に出さないため、冷たく見えます。また、彼らは鋭い視線で周囲の状況を的確に把握していますが、そのせいで他者に厳しい印象を与えたりもします。自分の鋭い視線で対話者を焼き尽くさないようにするため、あえて相手から目をそらしています。
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第2要素は、第1要素よりも創造的です。その創造性のため、人は第1要素以上に、第2要素の表われを心地よく、より自分に有意義なものだと感じやすいです。そのためESIの美意識は非常に厳格で、断固としていて、しばしば不快にさえ映ります。すべての人は秩序を好みます。秩序を好む程度は人によって違いますが、秩序があれば楽になります。第2要素が感覚要素である人々は、正常な秩序からのどんな逸脱にも、非常に敏感に認識します。おそらくそれが、ESIの視線が多くの人にとって不快で、刺々しく、邪悪に見える理由です。
ESIは時間やエネルギーを度外視して、家庭内の秩序を過剰すぎるほどの理想的な状態にしようとします(特にESIを精神的に補完できるパートナーがいない場合そうなりやすいです)。アート、衣服、インテリアデザイン、つまり心地よい感覚に関わる、または関わる可能性のある全てのものに対する自分自身の見方を、ESIは非常に重視します。
ESIが快適に付き合える相手は、なんらかの美的感覚プログラム(美的感覚のこだわり)を持っている人ではなく、むしろそうしたものに無頓着な人です。他人から提供された美的感覚プログラムに適応し、満足できるのは直観タイプの人だけです。こうしたプログラムは、直観タイプの生活を楽にし、簡素化するだけではなく、豊かにもしてくれるものです。
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ESIは将来のことは考えず、ただ今日を生き、待つことを好みません。ESIは「今日できることを明日に先延ばししてはいけない」の原則で生きています。ただ、やろうと思ったことを今やるだけです。ESIは頑固で、譲歩しない人です。そんな彼らと上手くやっていけるのは、現在に囚われるのではなく過去や未来に目を向け、今日を重視しないLIEです。LIEは愛を言葉ではなく行動で示しますが、日常的で具体的な物事については、すすんでパートナーの意志に従って行動します(LIEもLSEも言葉ではなく行動で愛を示すタイプですが、日常的な事柄において、パートナーの意志に従うか、自分の意志でパートナーをリードしたがるかという点では全く逆です)。パートナーが望めば、LIEは自分のやろうとしていたことをやめて、パートナーの希望に叶う別の行動をとります。
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ESIであるアルヴァという女性は、自分が夢中になっている理想の男性について、次のように説明しています。
「彼はファッショナブルで、小奇麗にしていて、間違いなくスリムです。とても礼儀正しくて、物腰が柔らかく、私にも私以外の人にも気を配っています。人に妬みを抱いたり、嘘をつくような人ではありませんし、利己的な人でもありません。彼はあらゆる問題について、自分なりの考えを持っています。彼は私と一緒に劇場や映画、美術館、コンサートに行きます。長距離の散歩や、旅行、ハイキングが大好きです。頭に浮かんだことを全て話しているかのように、よく話す人です。そして家での彼は私のアシスタントです」
彼女が語る理想の男性の説明は、筆者が想定するLIE像ときれいに一致しています。彼は他の誰よりも、自分が読んだり、聞いたりしたことの話をしたり、議論するのが大好きです。アルヴァの全ての望みを素直に叶えることができるのは彼だけでしょう。
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出典の全文訳:人間の双対性(by A. Augusta)
訳注
- ^ ロシア語ではчувства(対人関係における感情)とэмоции(その時々の感情表現)は、異なる概念として区別されている。厳密に紐づいているわけでもないようだが、おおむねчувстваはソシオFiの文脈で使用され、эмоцииはソシオFeの文脈で使用されることが多い。オーシュラとソシオニクスに影響を与えたドイツ語話者のユングは、タイプ論にて内向的感情と外向的感情をчувства/эмоцииに相当する意味での区別はしておらず、感情と言う概念を、чувства/эмоцииの違いに着目して区別することは、オーシュラがロシア語話者であることから新たに生じたことではないかと思われる。чувстваは独Gefühle、эмоцииは 独Emotionen(文脈によってはGefühle)が使用されるが、ユングのタイプ論における「感情機能」は厳密にGefühleという単語で説明している(ユングの外向感情、内向感情どちらもEmotionenという単語では説明されない)。なお、英語話者マイヤーズとブリッグスが作成したMBTIは、感情機能(MBTIのFiとFe両方)を厳密にFeeling(Gefühle相当)に紐づけていて、Emotional(Emotionen相当)には厳密に紐づけていない(FeelingとEmotionalを混同しないよう注意喚起されることがある)。
- ^ 日本語で考えると「愛の感情」も「魅力」も同じような意味に感じてしまうが、オーシュラは「愛の感情」と「魅力」を明確に異なる概念として分けて説明している点に注意。「愛の感情」はソシオの倫理要素(FeとFi)に紐づき、「魅力(人が人を、特に肉体的な魅力や美しさで惹きつける力)と、そうして惹きつけられた時に生じる『この人を自分の物にしたい』という欲望」はソシオの感覚要素(SeとSi)に紐づくが、この書籍「О дуальной природе человека(The Dual Nature of Man; 人間の双対性)」の時点では後の8機能を区別したモデルAほど細かい分類がされておらず、FeとFi、SeとSiはそれぞれまとめて記述されている節が見受けられる(そのためESIの第2機能(創造機能)はモデルAではSeであるが、本稿では現在では一般的にSiと関連付けされている美的感覚のスキルもまとめて同時に「ESIの創造的な第2要素」として扱われている)。