ESE-LII
ESEの感情は強く、色鮮やかで印象的、表現力が豊かで、しばしば支配的です。感情を抑えたり隠したりしません。感情の深さと多様性は、彼らが自分自身の中で見つける最も価値のあるものであり、彼らはそれに基づいて他の人々を評価します。感情の表現方法を洗練させようと努めており、その影響で詩と音楽に特に強い魅力を感じます。愛にまつわる感情だけでなく、恐怖や憎しみなどといった、人を驚かせ、喜ばせ、激怒させ、忍耐力を失わせる感情についても簡潔にわかりやすく話せます。感情は意識的に管理され、導かれ、制御されています。
ESEにとって、気分は自分自身の意志で作り出すものであり、自分が望まない気分に支配されることなどありません。感情はしばしば人生の中心であり、本質であり、同時に装飾であり、複雑なものではなく、論理的思考を持つ人々に特有の感情とは異なっています。一般的にESEは非常に心地よい会話相手であり、熟練した聴き手です。他者の立場を理解し、感心し、賞賛し、同情し、共感できます。ESEは他の人々に率直になるよう促し、他者が感情を理解する手助けをします。賞賛の力で他者に影響を与え、気分を高揚させ、行動へのインスピレーションを与えます。
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ESEの感情は、ESE自身の意識によって非常に強く制御されており、彼らは自分の感情の正当性について非常に自信を持っています。このタイプの人は、誰かを愛したとして、その愛の感情に困惑したり、抑え込もうとしたりはしません。ESEが唯一、奇妙で理解できないと感じる人は、誰も賞賛せず、誰にも喜びや興奮をもたらさない人です。自信に満ちた人々、つまり自己価値感の高い人々は、自分の感情を隠さないと一般的にはよく考えられています。もちろん、確かにこれが自己価値観に関係しているのはその通りです。しかしながら、自分の感情に確かな自信を持っている人々が、自分の人格の他の側面、つまり知性、意志、能力も常に自信を感じているわけではありません。ここで重要なのは、ただ自分の感情が正当であると感じるというだけだという点です。そして、別段自分に強い自信を持っているわけではないESEであっても(それどころか、世間一般的に見て、自分に自信がないESEであっても)、こと感情と言う点に限れば、自分を抑えたりはしないという点です。
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育ちのいいESEは、憤りや嫌悪感などのネガティブな感情は隠す必要があると考えます。しかし賞賛の気持ちなど、ポジティブな感情は違います。賞賛の感情はパートナーの満足感を高めるのに役立つのに、なぜ隠す必要があるのでしょうか。
先ほど説明した通り、EIIやESIなどの内向倫理タイプは、相手を理解し、相手から心地の良い感情を得ようとします。それに対してESEやEIEといった外向倫理タイプは自分自身のために心地の良い感情を求めるのではなく、他者にそれを与えようとします。他者に心地の良い感情を与えることで、自分もまた幸せになれるからです。彼らの生きる意味は、他者にポジティブな感情を与えることです。他者の活動を励まし、勇気を与え、鼓舞し、必要であれば活動を止めたり、別の方向へと誘導します。だからこそ外向倫理タイプと内向倫理タイプは互いを理解できず、利己的だとか、偽善的だと疑い合いやすいのです。
ESEは感覚スキルを発達させているため、パートナーの精神的な性質だけではなく、身体的な性質にもよく気が付きます。彼らはパートナーの精神的性質だけではなく、身体的性質も必要としています。このタイプの人に興味を持ってもらうためには、精神的・知的データだけではなく、外見、見た目の雰囲気、エレガントさといった身体的データも必要です。ESEは美的センスが発達しており、だらしない外見の人や、不潔な人を嫌います。この点では他人の好みに合わせたりはしません。
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ESEが興味を持っている論理的内向タイプの人々は、閉鎖的でミステリアスで理解しにくい人に見えることが多いですが、むしろESEはそんな彼らに強い魅力を感じます。倫理的外向タイプの人々の鮮やかな感情と、あらゆる良いもの、美しいものに喜びを感じる力は、論理的内向タイプの人々の活力を高めます。論理的内向タイプの人々は、無感情な人ではありませんが、彼らの感情が適切かどうかに常に不安を感じています。倫理的外向タイプの人は、まさに自分の魂に蓄積されたものを表現する達人です。だからこそ彼らはそれを大切にします。
LIIは非常に従順で、すぐにパートナーに順応し、パートナーの好みを受け入れ、性的な面でパートナーにリードしてもらえれば、すぐにそれに従います。こうした点から、LIIはESEのパートナーに非常に適しています。LIIが自分の感情や魅力を確信できるのは、彼らのパートナーの目に、はっきりとLIIへの愛の感情と、LIIを求める欲望の両方が映し出された時だけです。
LIIは利己的なエゴイストではありません。他人の利益を考慮できないような状況であっても、そこで自分の利益を最優先に考慮するなど、このタイプの人には出来ません。彼らは自分が誰よりも良い人であると感じたいのです。しかし、この信仰こそが彼らの欠点でもあります。LIIには、自分の利益をきちんと守り、LIIの利己主義の欠如や、自分自身の世話をする能力の欠如を批判できるパートナーが必要です。LIIにもっと活動的になるよう奨励しない人、活動を求めない人、彼らの興味や利益に無関心な人、もっと自分自身を気にかけるよう強制しない人は、彼らにはふさわしくありません。これはLII以外の全ての直観タイプのパートナー選びでも同様です。こうやって彼ら(直観タイプ)を批判して、彼らに必要なことを強制してくれるパートナーがいないと、彼らは自分自身にあまりにも多くのことを課してしまい、肉体的に疲れ切ってしまいます。彼らの利益や名誉を守り、疲労困憊する活動を彼らが行おうとすると、批判して止めてくれる人のことを、彼らは「自分の人格の価値を認めてくれた人」「自分を愛してくれている人」だと認識します。直観タイプの人々が生きていくうえで、こういう人の存在は欠かせないことは、彼ら自身も感じています。それ以外のことはほとんど重要ではありません。
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LIIの最も強力な面は、論理的思考です。そして社会的活動を促進する外向的直観は、創造的でありながら、承認を必要としている第2の側面です。したがってLIIが自分の活動で満足するためには、パートナーの承認が欠かせません。それがないと道に迷ってしまうことでしょう。したがってLIIが健全であれるかどうかは、パートナーの知性、感受性、承認能力に依存しています。
時々、LIIはわかりにくいふざけた態度でパートナーの気持ちを試す傾向さえあります [1]。ここでパートナーが適切に反応した場合は、両者の間で適切な接触が出来ており、全てが順調だといえます。LIIの間違った行動をきちんと批判できる力は、LIIが社会で上手くやっていくための羅針盤として必要な力です。さらに、パートナーがLIIの活動とそれにまつわるLIIの利益に関心を持っている限り、LIIもまた、パートナーの人格に関心を持ちます。LIIがふざけているかのような悪い行動をとったとして、そんなLIIのパートナーには、LIIが本当に好き好んでその行動をとったのかどうかを見極める力が必要になります。LIIがこういった行動をとるのは、LIIがパートナーのことを気にしていて、気にかけていて、注意を払っていることを意味します。
性的パートナーとの関係は複雑です。LIIは自分の欲望や、ましてや感情の対象を、自分の意志で変えることはありません。LIIは自分のことを愛してくれていると確信できる人のことを愛します。
外向的感情が、ここでの結びつきの基盤となります。外向的感情を通して、感情面でより活発な外向倫理的な人々は、はるかに受動的で勇気のない内向論理的な人々を刺激し、自分自身と自分の活動への自信を与え、サポートし、活性化させます。一方の人間が、もう一方の人間に与える外向的感情の影響はまるで奇跡のようですが、これがどれだけ重要なものになるかは、両者の知的レベルによって異なります。
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出典の全文訳:人間の双対性(by A. Augusta)
訳注
- ^ オーシュラは本出典の別の個所で、LIIには男女共にアンチ・フェミニストが多いとも説明しているが、これもまた単純な女性蔑視からの言動ではなく、パートナーに対する試し行動の一種だと思われる。関連記事「双対関係:EIE−LSI(by A. Augusta)」