第1機能「良いもの」主体的感覚(Si)
「私の好みと同じものを好む人だけが“まともな感覚”を持っているのです」
このタイプは、人生における五感の快楽を生き生きと味わい、それをあらゆる場面で自分のために探し求めます。美味しい料理、座り心地の良い椅子、さまざまな心地よい身体感覚、こうしたものを常に身の回りに取り入れようとします。多くの場合、自分の味覚に対して強い自信を持ち、「味の専門家」のように振る舞います。味以外の感覚についても同様で、例えばSEI自身が寒がりな場合、涼しさを好む人を「セイウチ」とからかい、SEI自身が暑がりの場合、温かさを好む人を「ミノムシ」と茶化すことでしょう。
健康についても非常に自信を持っており、医師の意見よりも自分の感覚を優先し、時には医師に対して侮蔑的な態度を取ることさえあります。たいていは健康体ですが、感覚的快楽への過剰な没頭が健康を損ねる原因になることもあります。喫煙、飲酒、過食、その他の「暴食」のような習慣は、やめるのが非常に難しいです。とはいえ、感覚的な好みに関しては非常に保守的です。料理に取り組むと、気持ちがこもっている場合にはとても美味しく仕上げることができますが、他人の料理、特にリスクのある冒険的な味付けのものには非常に批判的です。快適さを求める物品を持ち歩くことも多く、自分の「快適ゾーン」を維持しています。柔らかい猫、温かなカーペット、ウールの靴下、指で転がして弄ぶのにちょうどいいストレッチボールなど、身体的に心地よいものに囲まれていることを好みます。身体的にプライベートな話題についても、恥ずかしがったり隠したりせず、率直に語る傾向があります。自分の不調や体のあちこちの痛みについて話すのが好きで、気軽に語ります。
自分の感覚は保守的であるため、その分、感覚におけるこだわりも強く、親しい人間関係においてはとても愛着深くなります。また、自分が「不屈で」「頑丈で」「何ものにも動じない」存在だという確信を持っています。何かを「感じた」「察知した」ときには、それを強く信じており、他人の意見には耳を貸さず、自分のやり方を貫きます。信頼できる頑丈なもの、例えるならば「鉄板を捻じ曲げられるほど頑丈なもの」に惹かれやすいです。体がしなやかで、身体に対する感覚のコントロールにも長けています。常に身体的な感覚を得ることで、「自分がこの世界に存在している」という感覚を確認しています。
SEIの「快適さ」へのこだわりは、単なる便利さの追求ではありません。しばしば「自分にとって快適か不快か」について、あれこれと手を動かして気を配りますが、これは心配しているのではなく、会話を続ける手段なのです。つまり、感覚を媒介にしたやりとりが、他者とのつながりを保つための方法なのです。第1機能と第3機能:このタイプは感覚的快楽に関して深い理解を持っています。どちらの機能も自分自身に向かっており、この基本原理を脅かされると、非常に強い怒りや苛立ちを感じやすくなります。
第2機能「必要」客体的倫理(Fe)
「はい。私は人に好かれるのが得意です。たとえ誰かに好かれていなくても、その人との関係をよくしようと努力します」
人の感情を非常に巧みに、しかも繊細に操作することができる人物です。策略家であり、心理学的な洞察力を備え、人に好かれることを自らの使命と捉えています。しばしば、他者との関わりが苦手で孤立しがちな人々に惹かれ、そうした人々に「光」をもたらそうとする傾向があります。常に人間関係の構築や改善に意識を向けており、相手との関係を良くするためであれば、たとえ本意でなくても軽い約束を交わすことさえあります。
このタイプの人々は、一人きりでいることがほとんどありません。人が集まる場所では必ず「ここには自分を好きになってくれる誰かがいるかもしれない」と感じていて、好むと好まざるとにかかわらず、そうした場では自然と行動を起こすことになります。人と良い関係を築くことが、自分にとっての役割であり、創造的な行為なのだと感じているのです。
自己アピールが得意で、場の雰囲気づくりに長けています。ちょっとした自慢話を交えつつ、場を和ませたり盛り上げたりするのが上手です。また、人間関係の中にあるちょっとした不協和音を敏感に察知し、それをうまく修復して人と人をつなぎ直す力も持っています。とはいえ、自分の身の回りに特に変えるべき関係がないと感じると、わざと人間関係を揺さぶり、あえて問題を作り出すこともあります。その関係をあとから自分で立て直すことで、「これこそ自分がやるべきことだ」という感覚を味わいます。つまり、第2機能としての「仕事」を、自ら作り出しているということです。また、自分の望みを相手の願いであるかのように自然にすり替え、受け入れさせることにも長けています。人の願望さえも、自分に好意を持たせるための材料として使うことがあるのです。こうした「人の心を動かすこと」こそ、自分の社会的な役割だと考えているのです。
彼らは、ときに衝動的でリスクの高い関係性や、常識のギリギリを攻めるような「危うい関係」にも惹かれます。説得力があり、営業の仕事に就けば驚くほどの成果を上げることも珍しくありません。周囲の空気を明るくし、集団の雰囲気をひとつにまとめる力にも非常に優れています。
ただし、このように人間関係を操作し続けていると、次第にその手法が周囲に見抜かれてしまうこともあります。たとえ表向きは何事もなかったようにふるまっていても、「白を黒に見せる」ようなやり方を繰り返していれば、やがて信頼を失い、仕事に支障をきたすことがあるかもしれません。
第3機能「問題」主体的論理(Ti)
「どうすれば、世の中のことをもっと簡単に全部理解できるんだろう」
SEIにとって、「理解すること」はとても大切なテーマです。何か難しい話題をふられると、咄嗟に「うん、わかってるよ」と答えることがあります。しかしその「わかっている」は、本人なりの独自の理解であって、他の人と同じ理解をしているとは限りません。それと同じくらい大事なのが、「自分も理解されたい」という気持ちです。もし周りに理解してもらえないと、ひどく落ち込んでしまいます。このタイプの人々にとって、自分が何かを「わからない」と認めるのは、非常につらい事です。彼らは、自分の論理性や考え方を褒められるととても喜びます。「これは自分で考えついたんだ」と、得意げに話すこともよくあります。
また、会話の中で日常の体験談を持ち出すのが得意です。そうした話題ではたいてい、聴き手がいちいち事実を確かめようとしないと理解しているSEIは、あえてそれを利用します。さらに、「○○がこう言ってたよ」と有名人や身近な人の言葉を引用することも多いです。こうすることで、自分の意見に説得力を持たせ、万が一間違っていても、その責任を他人に転嫁できるからです。つまり、自分の考えを守るために、客観性を装ったり、他人の言葉を盾にしたりするのです。このタイプは、事実やデータでの裏づけが求められない分野で活躍しやすい傾向があります。たとえば、哲学的な思索や創造的なアイデアを語る場など、正しさを証明しなくても済むような場面を好むのです。
このタイプの人々の自己防衛の仕方には2パターンあります。ひとつは受け身のスタイルで、「自分ってバカだからさ」と自分を下げたり、「誰も自分のことをわかってくれない」と不満をこぼしたりします。もうひとつは能動的で、「いや、自分はちゃんと理解してるよ」と強気に反論するタイプです。
彼らの論理は、学問的な理論に基づいているというよりは、日常の常識や生活の知恵に根ざしています。だからこそ、専門的な知識がなくても直感的に納得しやすく、反論されにくいのです。日々の暮らしの中で何か新しいことが起こると、それを理解して納得できるまでは安心できません。そして自分が誰かの世界に関わるときには、「ちゃんと自分のことをわかってもらいたい」という気持ちが強く働きます。SEIは、何かを誤って理解していたり、間違った前提でものを考えていたりすることを非常に不安に感じています。それでも、もし自分の誤りがバレたとしても、スッと説明や意見を変えることができます。それも、違和感を持たせず自然に変えるのが上手です。たとえば、「ワニは飛ぶよ、でもすごく低くて地面スレスレだけどね」といった、突飛だけど反論しにくいようなことをさらっと言って、その場を切り抜けることがあります。もし相手に自分の意図が伝わっていないと感じたら、「違うよ、自分は良かれと思ってやったんだよ!」と一生懸命に説明しようとします。彼らは、自分の誠実さや善意をちゃんと理解し、認めてほしいと心の底から願っているのです。
第4機能「欲求」客体的直観(Ne)
「あなたのところにはすでに調和のとれた理想的な世界があるのですね。そんな場所があるなら、私はすべてを手放してでも、そこへ行きたくなってしまいます」
第4機能として客体的直観(Ne)をもつ人は、外的な調和や安心できる雰囲気を強く求めます。不安や対立、混沌が感じられるような環境には適応しにくく、できるだけそうした場所を避けようとします。心が落ち着くような穏やかな空間を直感的に探し、それが得られるかどうかを非常に重視します。この傾向は、住環境の選択や仕事、さらには対人関係の築き方にも反映されます。このタイプは、ときおり世界の成り立ちに関する新鮮で独創的なアイデアに惹かれることがあります。大胆な発想や革新的なビジョンに感化されやすく、特に外から提示された新しい考え方に対して強い関心を示します。自然の環境を好むのは、自然が一貫して穏やかで、変化が少なく、調和が保たれている存在として感じられるからです。彼らは、美しいものや調和の取れたものに強く影響され、それが損なわれることに強い抵抗を感じます。環境の調和が崩れたとき、自らの力でそれを立て直そうとはせず、より調和が保たれた別の場へと移動しようとする傾向があります。
このタイプは、自分が周囲の出来事の中心にいると感じられる場にいると、心が落ち着き、安心できると捉えています。自分のまわりで物事が進んでいるように思えるとき、そこに調和を感じやすくなります。祭りやカーニバル、フェスティバルのように、華やかで肯定的な雰囲気をもつイベントに強く惹かれるのは、そのような外的な調和を直感的に受け取るからです。このタイプの人は、幼少期に経験した感覚や空気感を深く記憶にとどめており、大人になってからもその当時の雰囲気を再現しようとします。子ども時代の環境を理想的なものと捉え、「あの頃に戻りたい」と強く願うこともあります。また、美しさや調和を表現する才能ある人物、たとえば芸術家や音楽家、画家、詩人などに深い敬意と共感を抱きます。彼らと一緒に過ごすこと自体が価値ある体験と感じられ、ときにはそのために経済的な支援を惜しまないことさえあります。こうした人物を自宅に招くことで、その空間全体が美と調和に満ちたものへと変わると感じるのです。
未来については、「必ず良い方向に進む」と信じている人に安心感をおぼえます。逆に、予測のつかない未来や混沌とした展開は不安を引き起こします。そのため、自分一人で将来を計画したり、重要な決断を下したりすることは苦手であり、他者の助言や導きを必要とします。意思決定においては、暗示にかかりやすく、人の意見をそのまま受け入れてしまう傾向があります。このタイプは、明確な目標を定め、それに向かって順序立てて進んでいくような予測可能な展開を好みます。計画の途中で突発的な出来事が起こると、動揺したり、思考が停止したりすることがあり、そのような事態を避けるため、あらかじめ様々な可能性を想定して備えておこうとします。
SEIにとっての理想的な環境とは、全体として一貫性があり、共通の目的に向かって動いていることが明確に見えるような場所です。例えば、「大学に入学して5年で卒業する」といった計画は、その一例です。一度こうしたスケジュールに組み込まれると、第4機能の暗示性によって、自分の意志で既存の計画から離れることが難しくなります。そのため、計画を変更する場合には、現行のものよりも明らかに優れた、かつ確実に明るい未来が保証されている選択肢が必要となります。
第-1機能「悪いもの」客体的感覚(Se)
肉体的な負荷や努力を極端に嫌い、できる限り避けようとします。やるべきことがたくさんあっても、それを一つひとつ片づけていくよりも、のんびり休んで気分よく過ごしたいという欲求が優先されます。その結果、仕事や義務を後回しにして、気ままな楽しみや遊びに時間を費やしてしまうことが多くなります。
外見にもあまり関心を払わず、服装には統一感が欠けており、全体的に見た目が「しっかり整えられていない」印象を与えることが多いです例えば、歯が痛くならない限り歯の手入れを怠るなど、身体のケアも最低限しか行わない傾向があります。お金の使い方にも無頓着で、金銭管理が苦手です。手に入れたお金をすぐに使ってしまい、計画的に貯めたり管理したりするのが難しいため、借金を抱えてしまうことも珍しくありません。また、目標の達成に向けて根気強く努力を重ねたり、長期間にわたって我慢を続けることが困難です。そうした「努力そのもの」に対して否定的な見方をすることがあり、「無理をしてまで何かを成し遂げる必要はない」「楽しく生きられればそれでいい」といった価値観を持つ傾向があります。
他人の行動や振る舞いに対して無関心で、自分自身の内面世界に没頭しがちです。そのため、他人の影響や関わりを軽視しているように見えることがあります。外部からの強制や命令に対しても「私は私のやりたいようにやる」といった反応を見せ、他人の意志を無視する姿勢が強く表れます。このような傾向は特に子ども時代に顕著で、非常に頑固で、人に指図されることを嫌います。大人になるにつれて多少は落ち着きますが、基本的な性質としては残り続けます。
さらに、第1機能が周囲から否定されたり、自由に使えない状況に置かれると、防衛反応として攻撃的な態度を取ることもあります。たとえば、口論を始めたり、場合によっては実際に手を出すような行動に出ることもあります。これは、自分の行動の自由を守り、これからもその機能を発揮できるよう「場を確保する」ための反応なのです。そして、楽しく快適な暮らしを続けることが難しくなったとき、つまり、好きなように生きるために必要なお金や自由が手に入らなくなったときには、ようやく自分を奮い立たせ、働き、より多くの収入を得るために努力するようになります。
第-2機能「不必要」主体的倫理(Fi)
自分が今、特定の人や物に対して、どのような感情(好意や嫌悪など)を抱いているかを、普段あまりはっきりとは示しません。感情を表に出すのは、本人が「今は出してもよい」と判断する、限られた場面だけにとどまります。また、自分の感情を他人に打ち明けることに消極的なだけでなく、他人からの率直な感情表現(楽しい、つまらないといったFe的感情ではなく、自分に対する好意や嫌悪などFi的感情の表明)に対しても、特にそれが自分に向けられたものである場合、快く思わない傾向があります。たとえ本心が言葉の端々に現れたとしても、その表現はごく控えめで、遠回しに包み隠されています。それ以外の多くの場面では、聞き手にとって心地よく響く話し方を選び、周囲からよい印象を持たれるように振る舞うことが多いです。仮に批判したいことがあっても、礼儀正しく、控えめで、角が立たないように表現します。こうした態度は、あくまでも他者との関係性を円滑に保つための配慮と言えるでしょう。
ただし、自分の中で「この場なら率直に話してもよい」と判断した状況では、ためらいなく本音を口にします。たとえば、誰かが自分の感情の限界を越えて踏み込んできたときや、本音を出しても相手との関係が壊れないと確信できる場合などです。こうした判断には個人差があり、SEIそれぞれによって「どこまでが許容範囲か」は異なります。日常的には、自分の感情を表すにしても、どこか「型どおり」で、無難で形式的な表現にとどまります。心の奥にある本当の感情をそのまま言葉にすることは少なく、それが必要と感じられる場面でも、社会的に受け入れられる語り方を選ぶ傾向があります。
しかし、もし第二機能をうまく発揮できない状態が続くと、内にためこんだ本音が否定的なかたちで表に出てくることがあります。普段は抑えている他人に対する批判的な感情やネガティブな評価が、あらわになるのです。このとき表れる否定的な態度は、本人の中にある「マイナス機能」の影響である可能性もあります。このようにして、彼らの主観的な認識(内的世界)と客観的な現実とのあいだに整合がもたらされ、人間関係の領域において再び「創造的」な働きが可能になります。そして最終的には、彼らは他者との間に「共通の土台」あるいは「共有された理解」へと到達するのです。
第-3機能「問題解決」客体的論理(Te)
この機能は、「現実の問題をどう処理するか」という面で表れます。彼らには、何かトラブルが起きたときにすぐ対処できるよう、専門家の連絡先を手元に控えておく傾向があります。分野を問わず、「困ったときに頼れる人」をリスト化しておくことで、いざというときに素早く動けるよう備えているのです。また、わからないことがあるときには、自分で調べるという姿勢も見られます。教科書や百科事典など、信頼できる情報源を参照することで、自分の理解を補おうとします。実際、こうした資料を読めば内容が整理されて書かれているため、彼らにとっては理解の助けになります。
ただし、こうした資料を使うのは多くの場合、問題が実際に起きてからです。普段から参考書やマニュアルを持ち歩くことはあっても、問題が発生するまではそれを開かないことがよくあります。そのため、予兆のない段階では小さなミスをしてしまうことも珍しくありません。例えば、自動車の扱い方について正確に理解していなかった結果、知らず知らずのうちに誤った操作をしてしまい、それが車の不調として現れてはじめて「間違っていた」と気づく、といったケースが挙げられます。
一方で、先回りして準備をすることもあります。将来起こりうる問題に対して、あらかじめ対処法をいくつか集めておき、それを必要な場面で他人に渡すことで、自分があとで手間をかけなくて済むように工夫することもあります。とはいえ、現実のすべての問題を事前に予測し、準備しておくのは容易ではありません。そのため、この機能の使い方にはどうしても「後手に回りやすい」という側面が残ります。
第-4機能「したくない」主体的直観(Ni)
彼らは「自分の内面を深く見つめること」に強い抵抗感をもっています。自分ひとりで内省するのも苦手ですが、それ以上に恐れているのは、他人が自分の内面をのぞこうとすることです。このような場面では、「そんなに心の中に踏み込まないで」と拒絶したくなるでしょう。こうした傾向のため、周囲からは、物事を深く考えない人、一貫性のない人、あるいは内面に「信念」や「価値観」といった芯がない人に見えることがあります。「信念を貫く」や「理念に従う」といった態度そのものが、本人にとっては怖さを伴うものなのです。ただし、まれに状況次第でそうした姿勢を受け入れることもあります。
たとえ心の中に何らかの問題を抱えていても、それを表に出すことはほとんどありません。むしろ「自分は平気だ」と取り繕う傾向があります。なぜなら、自分の不調を認めることは、そのまま内面の不安定さと向き合うことを意味し、それが非常に怖いからです。また、周囲から強く感情的に迫られることも苦手です。そうした感情の圧力は、自分の内側を揺さぶり、変化を引き起こしてしまう恐れがあるからです。第4機能が安心して落ち着ける環境を見つけられず、しかもその場から逃げ出すこともできない場合、「第-4機能」と呼ばれる不安定な状態が現れることがあります。この状態では、ふだん抑えている感情が一気にあふれ出すことがあります。例えば、通りすがりの見知らぬ人に突然悩みを打ち明けたり、新しい職場で誰かれ構わず愚痴を言ってしまうなど、普段なら考えられないような振る舞いが出てくるのです。
こうした行動の背景には、「誰かに自分を受け入れてほしい」「安心できるつながりがほしい」といった願いがあります。そして、周囲から「大丈夫だよ」「きっとうまくいくよ」と優しく声をかけられると、その場が一気に安心できる空間に感じられ、第4機能も少しずつ落ち着きを取り戻します。一度この経験をすると、本人の中で「このやり方は使える」と感じることがあります。その結果、次に居心地の悪さを感じそうな場面では、先に自分から心情を吐き出しておくという行動が見られるようになります。それによって、環境への適応を先回りして行おうとするのです。さらに、自分が今後心の問題について語りやすくなるようにという計算のもとで、他人の内面の悩みに関心を持ち始めることもあります。相手の問題に理解を示すことで、後に自分の話もしやすくなるという見通しがあるのです。
要約
非合理タイプには、内面において予測が難しく、その不安定さが一貫しているという特徴があります。感情や考えが移ろいやすく、自分の中では気まぐれに動いているように感じられます。ただし、外見上はむしろ落ち着いていて、振る舞いや服装、仕事のやり方などは標準的に見えることが多いです。表面上は規則正しく見える一方で、内面はその逆という二面性を持っています。
このタイプの中心的な機能(第1機能)は、起こる可能性の高い出来事に関心を向ける傾向があります。この機能は、多少なりとも先を見通せるため、本人にとって安心感をもたらしやすく、肯定的に働きます。しかしながら、彼らがつくり出す成果物もまた、高確率の事象に基づいていることが多く、あまりにも常識的すぎる内容になりがちです。その結果、創造性に欠けると評価される場合もあり、これは否定的な側面といえるでしょう。
内向タイプに属する人々は、自分自身を外の世界から切り離された存在として捉えています。つまり、自分が環境の一部であるとはあまり感じておらず、どちらかといえば「自分は自分、世界は世界」といった意識を持ちます。自分の内面は複雑で理解しづらく感じられ、他人に対して自分のことを語るのは控えがちです。一方で、自分の内面世界には強い関心があり、そこを探求することには意欲的です。そうした自己理解の過程で、外の世界がむしろ単純で扱いやすいものに思え、状況に応じて現実を巧みにコントロールする力も発揮できます。必要であれば、率先して物事の主導権を握ることもできます。
SEIのもっとも強い欲求は、主要な機能と結びついています。そのため、外から見ると活発でエネルギッシュな人物に見えやすく、つねに何かに取り組んでいるような印象を与えます。表情や体つきが健康的で生命力にあふれているように見えることも多く、気質としては黄胆汁質(いわゆる「短気で機敏」なタイプ)に近い性向を持っています。
ただし、こうした表向きの力強さとは裏腹に、自己評価は非常に不安定です。本人にも理由がよくわからないまま、突然自信を失うことがあり、それは副次的な欲求と関連した未発達な機能が影響しているためです。このため、自分を肯定する感覚が揺らぎやすくなる傾向があります。
SEIのもう一つの特徴は、情報の流れの中で生きているという点です。量的な情報にも、質的な情報にも敏感であり、その両方をうまくさばく力を持っています。状況を的確に把握し、どの方向に進むべきかを素早く判断しながら、効率よく行動できる点が強みです。
タイプの特徴
- 自己信頼の領域:味わう(情報や刺激を自信をもって取り込む)
- 信頼の領域:妥協的(対人関係における柔軟性)
- 経験の領域:理解(意味や関係性の把握)
- 堕落の領域:ロマンチック(理想的な感情への憧れや夢見がちな傾向)
成功の鍵
- 調和のとれた環境と、将来の予測可能性
- 世界や他者についての理解、完全な相互理解、そして身体的にも心地よい世界の中での生活
- 人と人とをつなぐ「橋渡し役」としての能力のニーズ、および友情を築く力
職業
- 商品・サービスの販売管理職
- 心理学関連分野
- 司会者(番組やイベントの進行役)
- 学校教師
- 販売員(扱う商品ジャンルは不問)
- エンターテインメント分野の俳優