双対関係であるIEIの説明にもSLEに関する説明があります。
第1機能(先導):Se
「強者は、たとえ小声で話していても耳を傾けてもらえる」─ アレクサンドル・レベジ
強さ、力、目的意識、決断力、忍耐力 - これらは、SLEのプログラム機能(※第1機能は、leading, program, primary, base, dominant等の呼ばれ方をする)の主要な価値観です。彼らは一人一人の強さと「意志の力」を評価することに長けています。彼らは自分以外の「権力を熱望する人々」には特に注意を払い、決して他人に「意欲的なイニシアチブ」を譲ろうとはしません。
SLEが強い関心を持つものは次の二点です。一つ目が「既存の社会構造における力と権力の配分」、二つ目が「彼ら自身の能力」です。言い換えれば、このタイプの人たちは、職業や興味の有無にかかわらず、意識的にも無意識的にも、一生にわたって、常に自分自身に問いかけているのです。「誰が誰に勝つのか?」と。
SLEの「意志的な感覚(※Se)」は「私が彼らに勝つか、彼らが私に勝つか」という形で表れます(「私が小さい頃は父が私を従えていましたが、大人になった今は私が父を従えています」)。
自分の体力や能力、権威といった自分の力を実感できることは、SLEにとって重要な意味を持ちます。
SLEは能力と影響力を尊重し、SLEから見て「正しい」パワーバランスの上に成り立つあらゆる階層システム(※上下関係や指揮命令系統)を尊重します。SLEは、既存のシステムの中で自分のポジションを見つけようとします。これは、SLEの全ての努力の最初のステップである「最小限のプログラム」であり、SLEの掲げる中心的な目標です。
SLEの「意志的なプログラム」とは、短距離の目標を、あらゆる手段を駆使して次々に達成していくことです(「目的は手段を正当化する」)。
SLEの最終目標は、ヒエラルキーの中で主導的な地位を得ることです。今現在、彼らが誰であろうと(たとえば政府の部局長であろうと、野党のリーダーであろうと)、それは問題ではありません。SLEは常に自分が権力者であると感じています。自分に委ねられた分野や領域の中で、SLEは無敵であり、疑う余地のない権威を持ち、「神であり王」なのです。
SLEが一般社員として組織の中の特定の部門で働いているような場合であっても、彼らは「より高い」目標を設定することで、短期間のうちに経営者を自分に従属させてしまうかもしれません(その方が自分で直接部門を率いるよりも良い結果になることもあります)。
権力構造の組織化とリーダーシップは、SLEの社会的機能の一つです。彼らは既存の組織の中で、自分と志を同じくする人々を探し、ビジネスをする上で大きな影響力を及ぼす利害関係者になりながら、「部下」(SLEが活動を監督し、調整することができ、適切なタイミングで自分に従う自分の部下)を作ることで、SLE独自の下部組織を着々と作り上げていきます。そして、まるで段階的に圧縮する鉄の輪のように既存の権力構造を締め上げていき、既存の組織の持つ権力を徐々に掌握していきます。
SLEは、最終目標に繋がらない余計な目標に挑戦して時間を無駄にすることはありません。さらに、方向性に迷ってコースから外れてしまうこともありません(例えばSLEが既存の権力構造に立ち向かうような「反対運動」に興味を持つのは、その運動が拡大して影響力を持つ可能性がある場合だけです。具体的にいうと、「現実的に考えて、その運動を行えば自分が『政治的資本』を獲得できるだけの確かなチャンスがある」「反対運動のリーダーになれる可能性がある」と思った場合だけ反対運動のために時間を割きます)。
SLEにとって「使い走り」というポジションは受け入れがたいものなので、絶対に避けようとしています。彼らは、誰かに助けを求めたり、頼みごとをするのが苦手です。それが何か屈辱的なことのように感じられるからです。そのため、SLEは「SLEが必要としていること」を「他の人がしなければならない」ような状況を作り出そうとします(ミニチュア版の「鉄の輪」的手法です)。
SLEにとって「自分が騙されているかもしれない」と感じるような状況は耐えがたい屈辱です。これは彼らの自我を傷付けるだけではなく、彼らの「プログラム」全体を崩壊させることになります。
しばしば、SLEは「尊敬-軽蔑」の概念に固執しているという印象を受けます。彼らは常に、あらゆる場所で自分の優先順位を認めさせようとします(それ自体が自分に対する自信のなさの裏返しですが)。SLEは自分の内面に「卑屈さ」を感じれば感じるほど、他人に対する「もっと自分に注目してほしい」「もっと尊敬してほしい」という気持ちが強まります。
SLEは依存することを嫌います。彼らにとって「依存すること」は弱さの象徴であり、逆に「誰かを自分に依存させる能力」は強さの象徴です(SLEは自分の「価値ある」支援を提供すること、そして人に「必要とされる」ことが大好きです。さらに彼らは自分が他人に与えた好意を「記憶」しておいて、相手に「お返し」を要求することがあります)。
彼らが「自分の影響力の範囲を広げたい」と思うのは、満たされない野心があるからだけではなく、誰かに服従を強制させられるような状況に自分を置きたくないという内的な欲求もあるからです(「自分が相手を服従させるか、相手が自分を服従させるか」)。
生涯を通じて、SLEは「安全のマージン」を蓄えようとします。彼らは単に「理由もなく前進する」のではなく、「未来のために」少しでも多くのことを捉えようとします。彼らは必ずしも「降伏」を悲観的に捉えたりはしません。降伏に伴って何かを諦めて放棄しなければならないかもしれませんが、そうやって放棄するものは彼らにとって「本当の所有物」ではないからです。
このタイプの人々に特徴的な資質は、経営上の利点、物理的な利点、そして最も重要なこととして「縄張り」という利点を奪い、自分のものにするという資質です。
SLEにとってスペース(空間)を征服することは、最も重要な課題です。このタイプの人々は、最も自然な形で、したがって必ずしも完全には意識されない形で、この課題を達成します。
SLEは他人に空間を占有されることを嫌います。例えそれが、共同のキッチンにちょっとしたスペースを確保されたり、裏庭に何メートルかのスペースを確保されたりするような単純なものであっても、それが自分以外の誰かの手によってされたことであれば、彼らは不満を感じてしまいます。
このタイプの人々にとって、自分がスペースを取ることは最も自然な状態です(SLEは知らず知らずのうちに、空いているスペースの中央にいます。例えば、自分自身は部屋の真ん中に移動しながら、壁際に座っている人と気持ちよく会話することができます)。
時にはSLEが意図的に自分のための「行動範囲」を用意することもあります。例えば、SLEが他の都市や他の国に探検に行くことを決めたとします。そこでSLEは自分の友人からリクエストを集め、その友人の友人や、友人の親戚の元に訪問したりします(訪問先の人々がSLEを仲間として受け入れてくれるかどうか確認する前に)。そして訪問先の人々の生活や情勢について聞き、自分のことを話したり、新しい知り合いを作ったり、1日か2日滞在したりします。さらに、次の機会があれば、まるで自分の友人を訪ねるような感覚で再訪問します。
日常生活では、SLEはしばしば騒音と喧騒でスペースを勝ち取ります。子供のSLEの場合、庭全体に響き渡るような大声で親に対する返事を叫ぶのが特徴的です。このタイプの子供は、この瞬間、周囲の空間を全て自分のものだと感じています。
新しい場所に引っ越したSLE(特に南国出身のSLE)にとって、到着してすぐに、家やアパートのドアを全開にして、音楽を大音量で鳴らし、近所に古くから住んでいる人たちに舐められないようにしたがるという特徴もあります(「この土地のボスはお前たちではない」)。これと同じ理由で、一部のSLEは、大声で音楽を演奏する隣人を嫌って、立ち退きを求めることもあります。
SLEの力の配分は常に非常に原始的です(「どちらか一方が力を手にする」)。つまり代替手段がありません。これは、SLEが常に近距離の目標、取るか取られるかという点に集中しているからです(「成功するか、失敗するか、二つに一つだ」)。SLEの関係性のシステム全体のほとんどはこの原則に従っています(「リーダーになるか、召使いになるか」「オーナーになるか、無名の人になるか」)。SLEのシステムでは、パワーバランスは強者と弱者の2つの極しかありません。SLEは強者側にいることを好みますが、もし自分が負けてしまった場合は、負けを認めて勝者に従うことができます。
SLEの特徴は、仕事に対する並外れた能力と意欲です。彼らの能力は、直面する障害の数に比例して大きくなります。
SLEは、自分の持つ「他の人々を導く」という能力と権威に疑問を投げかけられることを絶対に許しません。このタイプの人は、自信を持って、威勢のいい声で、宣言するように話すことが多いです(※レーニンの二分法では「宣言」になるタイプ。詳しくは記事「二分法」を参照)。彼らは自分自身に甘えを許しません(それがネガティブな方向に繋がるかもしれないと思っているからです)。人に要求だけするのが好きです。決断力、忍耐力、堅実さなど、自分の意志に基づいた資質を、あらゆる機会を利用して示し、厳しくも公正なリーダーとしての姿を見せます。
SLEは通常、リーダーとオーガナイザー(※組織を作る人)の役割を得意としています。そのために、彼らは社員の資質を正確に把握し、全員に最高のパフォーマンスを求め、最適な戦力配分を考えて仕事を割り当てます。最小限の時間で最大の、そして最も生産的な成果を得るために、集中的な仕事のペースを設定します。
通常の生活環境では、SLEは「自分の本領を発揮できない」と感じていますが、緊急時には気力や活力が満ち溢れてきます。このため、SLEは自分から心理的な緊張の雰囲気を作り出そうとすることがあります。怖い話をしたり、物事の状態を悪そうに語ることがありますが、これは切迫感を生み出すために行われている行動です。
一般的に、極限状態はSLEを活性化させます。だからこそ、彼らはわざと部下に対して、常に緊張を強いるような過酷な条件を課すこともあります。彼らは、穏やかな仕事のスケジュールに、正当性のない「極端さ」を持ち込むことがありますが、これはSLEにとっては普通のことです。そのため、SLEの周りにいる他の人々は、SLEのそうした面に慣れる必要があります。
SLEは、問題や解決策についてグループで話し合うことを好みますが、最終的な決定権とその責任は自分自身が持ちたがります。
「戦いに勝つのは、良いアドバイスをした者ではなく、その実行に責任を持ち、命令を下した者である」─ ナポレオン・ボナパルト
SLEは責任者になるのが好きです。また、そのような役割を担うにはどうしたらいいかについて熟知しています。
現在の状況や力の分布を素早く把握し、判断して、行動します。彼らは恐れ知らずであり、一切のリスクを受け入れます。危険であればあるほど、自分の考えをしっかり持っていなければならないと考えています。極限状態では、SLEの意志の強さ、決断力、勇気、実用的な思考が、解決策や出口を見つけるのに役立ちます。
危機的な状況では、SLEは断固たる行動と「戦力の増強」を求めます(のんきで軽い態度は許されないと彼らは考えます)。冷静に、かつ極めてエネルギッシュに行動し、やられたらやり返します。外部からの物理的な危険がある場合には、慎重に撤退を選ぶこともできます。しかし、そうした状況下であっても争う必要性がある場合は、自分の利益を犠牲にしてでも、撤退せずに最後まで戦うことを選択します(「何としても勝利を掲げよ!」)。
SLEは相手に合わせようとはせず、独断専行します。普段は礼儀正しく大人しくしていますが、自分の価値観を蔑ろにされると苛立ちを隠せません。「軽視されている」状態では、SLEは内心ドキドキしており、一刻も早くこの状況から抜け出そうとします。
集団の中で、SLEは非公式のリーダーの役割を担うことが多いです。危機的な瞬間や重要な局面では日陰にいることを好む、秘密のコントロール役になりたがります。
SLEは、行動の適切性、持久力とスタミナ、そして反論の余地のない確信に満ちた口調で、自分の力を結集する必要性について語りたがります。また、規律や、意志の強い、決断力のある性格を育てる必要性について議論することが好きです。周囲の人々を常に充電した状態で動員し続けます。
SLEは自分にも他人にも厳しいです。約束を守らない人は尊敬できません。彼らからすると、そういう人は「いる意味がない人間」であるため、軽蔑の念を隠そうともしません。
彼らは自分の力と意義、そして社会的使命に自信を持っています。ベンチャー精神旺盛で、コンテストや競争を好みます。
自分の人生の価値観を、疑う余地のない絶対的な真実として、全ての人や場所に押し付けます。彼らはしばしば喜んで「厳しい現実」を語り、人生を「今現在の置かれている状況、状態のままに受け止める能力」を評価しています。
他の人からすると煩わしく感じるかもしれませんが、SLEは積極的に自分の人生経験を共有して、他の人に「生き方」や「物事はどうあるべきか」「どうあってはいけないか」ということを教えようとします。
第2機能(創造):Ti
このタイプの人々は、一生をかけて喜んで学び続けます。絶えず、どこでもそうしています。徹底的に物事に取り組み、あらゆる情報を収集・分析し、資格のレベルを向上させようとします。
彼らは自分自身に手を加えること(※自己啓発、研鑽)を楽しみます。彼らの手を加える範囲は広範囲に及んでいます。また、興味の範囲も幅広いです。
SLEが科学研究を行う場合、ランクや賞を第一の目標にしているわけではありません。しかし、自分の能力と実績を文書化した証拠(例えば卒業証書、証明書など)は、彼らにとって重要なものです。SLEは、広く認められている権威者を尊敬し、自分の能力を具体的に示すことを好みます。 しかし彼らにとって最も大切なものは教育の中身そのものであり、証明書それ自体の価値はそれに劣るものでしかありません。
SLEは、記憶力が良い人が多いです。様々なテーマについて自分の意見を持ち、必要に応じてそれを説明し、正当性を主張できます。確立された事実、統計、歴史的な例を広く適用することができます。
質問を検討する際に、彼らは取るに足らない些細なことまで考慮してしまいます。SLEがディベートやディスカッションの準備をしている場合、ディベートの流れを予想して、選べる選択肢の中から最良の証拠を選択しようとします。また、必要なら数学的な計算までして事前に全てを検討しようとします。情報源の妥当性を重視しており、必要に応じて注意深く、そして慎重に情報を選ぶことができます。疑わしい情報源は使わないようにします。
SLEは、知識を力だと考えます。そしてそういった価値観を持つ彼らは、関係性の論理(Ti)を最も重要なもののひとつであると考えます。SLEはTiのおかげで先導機能Seを知的な形で発揮することができます。
SLEの考えでは、情報を持たない人、知識を持たない人は無防備です。身を守るために、情報と知識を欠かすことはできません。そのためSLEにとって必要な情報を収集することは、潜在能力を開発することと同じくらい重要なことです(多くの場合、SLEにとって情報を収集することと潜在能力を開発することは同じ意味をさします)。重要度が高い情報であれば、お金を出したり、策略を用いたり、あるいは彼ら目線では「ちょっとした」脅しを利用して、何が何でも手に入れようとするかもしれません。彼らにとって、必要かどうかにかかわらず、情報とは常に価値があるものなのです。
「見知らぬ街を旅するときは、その街をよく知るべきだ。万が一、征服しなければならなくなった場合に備えて」─ ナポレオン・ボナパルト
SLEが情報を収集する際、彼らは双対関係にあたるIEI(INFp)から多くの支援を受けています。IEIは「出来事の中に身を置く」ことに努めているタイプであり、幅広い人脈(役に立つ人も役に立ちそうにない人も含めて幅広い人脈)を持っており、たとえ相手が口下手な人であっても、さりげなく会話に参加させることができ、並外れた好奇心で自分に役立ちそうなことには何にでも興味を示します。
SLEの意図的な圧力(※Se)は、論理的な議論と説得の方法によって発揮される傾向があります。彼らは持ち前の柔軟で適応性のある論理(※Ti)を活用して、自身の先導機能の目的を果たそうとします。
SLEは、個人的な利益や目標にとってどうかという観点から、先導機能Seという力の配分に関する機能によって結論を出すため、あらゆるテーマで常に客観的であるというわけではありません。したがってSLEが議論の際に持ち出してくる情報のうちいくつかは、実際には客観的にみて真実ではないという場合もあります。SLEと議論する場合、彼らの個人的な視点や信念を他人が覆すことはできないのだということを常に念頭に置いておく必要があります。
SLEとの議論は、多くの場合、無意味な試みだと言わざるを得ません。一度SLEと議論をすると、相手はすぐに彼ら特有の傾向(発言の偏り、投機的な傾向、安直な結論を出したがる傾向、「はい」か「いいえ」だけであらゆる問題を解決しようとする傾向)に気が付くことになります。まるで「物事には『白』か『黒』かしかない」とでもいうかのように見えることがあります。
彼らは個人的な計画について話す場合、それを自分自身の目標と関連付け、自分の能力と成功の可能性に基づいてアドバイスを行います。そのため、SLEと個人的な計画について話し合うことが常に有意義であるとは限りません。SLEは、自分がまだ掘りあてていない「金の鉱脈」を、他の誰かが掘ることを許しません。そして彼らの論理や主張、信念といった全ての力は、「他の人に金の鉱脈を掘りあてさせないこと」を目的にしています。SLEは、自分の利益や目的に反するアドバイスはしません。
彼らは基本的に、客観的な真実というものを、自分から遠く離れた「精神的な反省」のためではなく、意図的な議論を構築するための手段として使用します。たとえ周囲の意見に反するような意見であっても、自分の意見を主張し、それを守るために、あらゆる許可された、あるいは許可されていない議論の方法を駆使します。声を荒げ、感情的に、あるいは肉体的に圧力をかけることもあります。 議論の中で、彼らは真実ではなく勝利を求めています。
相手を説得する手段がない場合、他の参加者や観察者を利用して、相手をあざ笑い、相手の信用を失墜させようとします。とにかく「どんな手段を使ってでも勝たなければならない」と思っています。
しばしばSLEは、タイミングを見計らって「うまいこと一言でまとめた」ような類いの発言をすることで相手を圧倒し、それ以上の発言を封じようとすることがあります。
もちろん、このタイプの人が知識を必要とするのは、議論に勝ち、自分が信頼を獲得するためだけではありません。論理的思考能力は、彼らの知性にとって最も重要なツールです。
第3機能(役割):Ne
SLEの意思優先の「プログラム」(※つまり先導機能Se)をうまく発揮するためには、全ての行動において先見の明と慎重さが必要になります。もし見落としがあった場合、彼ら自身が抱いていた計画の失敗、キャリアの崩壊、そして指導的地位からの失墜という事態を招いてしまいます。SLEの場合、大きなスケールで活動した際に大きな損失を被る危険性もあります。
全ての感覚タイプでみられる特徴ですが、SLEは可能な限り具体的な話をしようとした結果、余計なことを言ってしまい、それが仇となってしまうことがあります。
SLE自身もこの点には問題を感じているかもしれません(「私の口は私の敵だ」)。馴染みのない人とのコミュニケーションに必要となる「慎重さ」や「注意深さ」などの資質を身につけようとしても、ついつい具体的な思考の流れや理由、事実にばかり気を取られてしまい、この「可能な限り具体的に話そうとして余計なことを言ってしまう」悪癖をやめることはできません。
例えば、SLEが交渉担当をする場合、次のようなことが起こるかもしれません。
「弊社は、高額な救急医療を割引するサービスを提供します。このサービスのためにお客様は毎月料金をお支払いにならなければなりません」
それを聞いた客は、次のようなことを言うかもしれません。
「ちょっと待ってください。今後数年間は利用する予定がない救急医療サービスのために毎月料金を支払わないといけないんですか。この『割引』はどれくらいになるんですか?」
SLEは議論のどこかで、自分に対する「切り札」を出しています。彼らの論理は、意志的な圧力が強い裏返しとして、直観的な面の弱さがあります。SLEの主張は常に何らかの目先の利益に向いてしまっています。
そして彼らの説得は、実際のリアルなデータではなく、彼らが「こうあってほしい」と望むデータに基づいています(自分の利益という観点からふるい分けた事実を使用して相手に説得を行うため、このタイプの人々はあらゆる商業的事業の仲介者として素晴らしい働きをします。彼らは「ドーナツホール(※ドーナツの穴のように一部分が欠落している状態。例えば保険契約などで、保険適応対象外になる部分)」が丸見えな商材ですら、堂々と取引することができます。
もしも強力無比な意思の力(※Se)に加えて直観まで身に着ければ、まさに鬼に金棒ではないかと思うかもしれませんが、残念ながらSeとNeは互いに阻害しあう関係であるため、これは不可能です。
SLEがいくらNeを発達させようと努力しても、彼らにとって直観は十分な力にはなりません。それだけではなく、そうやってNeを発達させようとした結果、彼らの「プログラム」機能(※Se)が弱くなってしまうこともあります。これはどういうことかと、ゆるぎない意志と決意を持って行動・前進しなければならないときに、「いや、もっといいチャンスがあるんじゃないだろうか」と二の足を踏んでしまうような状態です。
SLEは、特に社会的接触の初期段階では「可能性の直観(※Ne)」の側面に関する計算を考慮に入れる必要性を抱えています。SLEは新しい人と接点を持つという点では、とても慎重なほうです。
初対面の人が相手の場合、SLEのコミュニケーションのやり方は慎重で、かなり警戒心が強いほうです。相手に出来る限り好印象を与えようと自分の行動をコントロールしつつ、他方では相手を観察し続けて、相手の意志の可能性と自分の意志の可能性を関連付けようとします。
それだけではなく、自分の持つ力が相手の持つ力より大きいことをさりげなくアピールするための状況を作り出そうと画策したり、自分が「リードする権利」と「イニシアチブをとる権利」を持っていることを宣言し、それに対する他の人の反応を伺うこともあります。また、相手が自分に依存するように仕向けることもあります。
こうしたことは、SLEのコミュニケーションスタイルとして習慣化されて機械的に行われている場合もあれば、どこまでやって大丈夫なのか、限界を「偵察」するために行われている場合もあります。
SLEは外見的には率直なタイプですが、奇跡的とも言えるほどの高い適応力も持ち合わせています。例えば無節操で、不正直で、のめりこみやすい面があるSLEがいたとします。そのSLEがそうした特徴を持っていることをよく知っている人相手であっても、「自分に信頼を感じさせる」という荒業ができてしまうほど、SLEは自分を「世間一般的に受け入れられているイデオロギー」に合わせて見せる能力が高いです。
SLEは立てた目標に対して、まっすぐに突き進むことはありません。むしろ逆に、「その目標が達成できたとしても、何の益にも害にもならない人」のような振る舞いをしたり、「今現在行っている方法とは別の方法で行動したらどうなるのか評価してみよう」とすることがあります。個人的な魅力を利用してみたり、友人やその他の人脈を利用して影響力を行使しようとするかもしれません。
つまり、既存の人脈や上下関係に基づくネットワークを頼りに、「影響力のレバー」を探し(※「影響力を持っていること」の比喩表現。つまり自分の影響力を高めようとする)、「役立つ人」や「役立つグループ」を見つけ出そうとするのです(鉄の輪を締め上げる戦略)。彼らは無駄な労力を極力なくし、必要な時だけ必要な努力をしようとします。
SLEは、「後援者」「恩恵者」「ゴッドファーザー」(あるいは「レーニンと子供たち」のような一般的な父親像)の役割を果たしたがります(※「レーニンと子供たち」の一般的父親像:典型的な「子供好きの良いおじさん」のイメージ))。
プロの政治家であるSLEは、巧みに他者をナビゲートし、操る方法を知っていますが、彼ら自身は「自分のライン」と「自分のコース」を見失うことはありません。短期的な譲歩以上のことはしません。
彼らは自らの持つ「即興で成功させる」という能力を頼りに戦略を立てます(※SLEは戦略/戦術の二分法では戦略タイプ。記事「二分法」参照)。戦略を立てるにあたって、彼らは「自分から行動してみて初めて見えてくることがある」という精神で行動します。
SLEは、硬い枠組みの中で仕事をすることを嫌います。彼らにとって行動の自由と大きなスケールは欠かせないものです。
SLEの計画は柔軟に、実際の状況に応じて常に修正されます。彼らは誤ったタイミングで行動することを恐れており、可能な限り期待される戦術に頼り、必要な瞬間まで自分のイニシアチブと決定的で画期的な活動を温存します。
SLEは、効果的な助言を与えることができる全ての人々の話に耳を傾け、専門家と会話をし、彼らから学ぶことを好みます。将来の計画について、SLEは自信を持って楽観的に話そうとしますが、必ずしも成功するとは限りません。
たとえ親しい友人相手であっても自分の不幸話や、うまくいっていないという話をしないようにしています(SLEと、SLEの双対であるIEIは「不幸な人」をあまり評価しないタイプです。したがってSLEは自分の不幸な要素を可能な限り隠そうとします)。
また、SLEは「全てを管理下におき把握している人」という印象を他人に与えたがるほうですが、それでも自分の持つコネクションに関する情報は絶対に話したがりません。
彼らは確かに全てを「握って」いますが、そういった情報は自分と自分の仲間のためだけに使っています。この性質が、彼らの双対であるIEIを大いに魅了します。
第4機能(脆弱):Fi
SLEは自分の倫理的資質に幻想を抱くことはありません。
というのも、彼らは自分の倫理的資質の不快な特性についてよく知っているからです。例えば、初対面の人に対して不信感を抱いてしまう傾向があったり、他人の行動の動機を疑ってかかる癖があります(これは「関係性の倫理」Fi、「可能性の直観」Neの側面が弱く脆弱な位置にあることから生じている特性です)。
残念ながら、SLEは自分の倫理的な「コンプレックス」や「恐れ」、そして不信感や誤解に基づいて、個人的な人間関係を形成していきます。これは、このタイプの人たちの抱える最も深刻な問題の一つです。
SLEは、自分のネガティブな「欠点」が周囲に露呈して、自分の「プログラム」機能(※先導機能Se)や「知性」の機能(※創造機能Ti)に従って熱心に作り上げようとしている「厳しくも公正なリーダー」というポジティブなイメージが崩れてしまうのではないかと心配することが多いです(SLEは、自分の意志で行ったプログラムの倫理性(※Se主導のFi)がどうかという点について、確かに何の幻想も抱いていません。SLEの独裁的な権威と意志の特異性、そしてパートナー対する頑固さと独断専行する傾向について見た場合、そこに倫理的権利と倫理的な選択の自由があるのかという点について議論の余地があると言えるでしょうか)。
自分の意見や権威を他人がどう受け止めるかという問題は、SLEにとって非常に重要な問題です。この点に関していえば、他のどのソシオタイプと比べても、SLEはこの問題を重要視していると言えます。
SLEにとって「自分の最も価値がある資質」は「知性」と「能力」です。そのため、「自分の知性と能力を自分だけが評価している」のではなく「他の人々も自分の知性と能力を評価している」ということが重要になります。
またSLEにとって、単に見た目がそう見えるというだけでなく、「いい待遇、いい関係性に恵まれた場合、潜在的にそうなる可能性を秘めている」と認識されることも大切です。あるがままを受け入れられ、評価されるだけでなく、ポジティブな倫理的可能性を考慮したうえで評価されることが重要なのです(SLEの双対であるIEIは、こういった点をよく見抜いて評価してくれます)。
SLEは「自分は上手くやれる」ということをはっきりとは言わず、ヒントや冗談のような形で示そうとします。彼らは賢明で慎重なので、こういったことを露骨にアピールしたりはしません。自分で自分を褒めるような行為は、SLEにとって場違いで不適切なことのように感じられます(これは双対であるIEIを潜在的に志向しているために生じる傾向です)。
SLEにとって、特に自分に近づけようとしている人々(※心理的距離を近づけたい人)に自分のことを正しく理解してもらうことはとても重要です。そういう人が相手であれば、SLEは自分の性格や普段の行動に対する反応、人の好き嫌いなどについて話したりもします。
SLEにとって重要なのは、他の人に対たいして彼らSLEの行動に「悪意はない」と感じてもらうことです。厳しさ・疑り深さは敵に向けるものであって、友人のためには善良な性格と行動を示す必要があるとSLEは常に心がけています。
もしSLEが友人に対して「SLE側にも問題を引き起こすかもしれない支援」をする必要がある場合、SLEは自分から「自分に悪影響を及ぼさない、それでいて求められている支援と同等の、別の支援」を提案することがあります(例えば、友人から「借金の保証人になってくれ」と頼まれた場合、SLEはおそらく拒否しますが、その代わりにSLEは友人に多額のお金を貸すことを申し出るかもしれません)。
SLEは、自分の友人だけでなく、友人の友人も助けることができます。もちろん助けるかどうかは状況次第ですし、助けた相手が恩返しをしてくれることが前提です。
SLEにとって、ただ尊敬されるだけでは足りません。彼らは自分が愛されることを重視しています。
「恋することがメインではなく、他人に恋をさせることがメインだ」
SLEが個人的な関係において遭遇する問題の一つは、相手の愛をただ信じることができずに、愛の証明を求めるところです。
SLEは倫理的な自己評価を控えめにした状態で関係を築くため、他者と心理的な距離を詰めることを恐れています。 「よく見ると魅力のない人だな」と思われないかどうか不安なのです。
このような態度は、SLEが関係性の倫理(※Fi)の側面で、非常に緊張した、非論理的な、不自然な行動をとることに繋がってしまいます。
人間関係で前向きな手応えを感じた場合、(※距離が今以上に縮まることを恐れて)SLE自身の手で関係を断ち切ってしまうことも少なくありません(このタイプの男性は、物理的な距離は積極的に縮めますが、個人的・倫理的な距離は縮めません)。
このタイプの人々は、個人的な関係を築くのに苦労しますが、それは「どのように関係を築くべきか」という点について、現実的とはいえないほど高い理想を抱いているからです。その漠然とした理想の前で、SLEは自分の無力さを痛感し、途方にくれてしまうのです。
SLEは、主導権争いをしたらトップにならなければ気がすまないほうですし、少なくとも実際に「パートナーに選択の自由を与えない」という問題点もあります。
こうしたことが原因になって、彼らはしばしば倫理的問題を引き起こしてしまいます(これはソシオニクス的に見て互換性のないパートナーを想定しています)(※双対であるIEI以外のタイプをパートナーにした場合の話という意味)。SLEは自分の意見、自分の権威や力で相手を強く抑圧し始めます。彼らはパートナーのために全てを決め、全てを事前に考え、パートナーを厳しい状況に置き、パートナー側からの反論を許しません。
例えば、誰かと会うスケジュールや時間を即座に、そして反論を受け付けないような素振りで指定することがあります。
「火曜と木曜の1時から2時の間で。それ以外の時間には会えません」
また、それ以外にも条件をつけることもあります。
「私たちが知り合い同士だというのを他の人に覚られないようにするために、もし私とどこかで偶然会ったとしても、顔見知りであるという素振りは見せないでください」
SLEがこのような行動をとるのは「既婚者であるから」ではないこともあります。これは次のような心配から来ていることもあります。
「今は独身でも、将来誰かと結婚した時に、この人と繋がりがあったことが問題になるかもしれない」
SLEは、たとえ現在の人間関係が悪化しても、直観力を鍛え、先見の明を持とうとします。それが元で相手を怒らせたり、強く動揺させたりすることは、彼らにとっては二次的な問題でしかありません。しかし、こういったSLEの行動は、そのうち「二次的」とは呼べないほど重大な問題を起こし始めてしまいます。
SLEは、倫理的な問題に率先して取り組もうとすることで、重大な過ちを犯してしまいます。本当の自分ではなく、自分が「こう見られたい」と思っている自分を見せようとするだけでは駄目なのです。
さらに彼らは、このかなり不安定な基礎(※「こう見られたい」という理想の自分像)の上に、自分の人間関係の関係性をモデル化し、構築しようとします。
そんなモデルを作り出すSLEが、「自分の思い描く通りに関係が発展していくこと」を望んでいるのは言うまでもありません。そのために、SLEは「今、この人との人間関係はうまくいっているのか」何度も何度も確認したくなってしまいます。残念ながら、これはSLEがやってはいけないことです。そんなことしても、彼らが自分のためになる何かを得ることはできないでしょう。
関係性が良好かどうか、前向きかどうか、わざわざ確認するような行為をしなくても、すでに彼らSLE自身が十分にわかっているはずです。逆に「良好ではなかった」、つまり関係性の状態が悪かったことが明らかになったとして、それを知ったところで何のプラスにもなりません。自分の悪いところをわざわざ聞くことに何の意味があるのでしょうか。自分についての悪いこと、不快なことを聞くことは、SLEのコンプレックスを悪化させ、自己評価を低下させるだけであり、それによって彼らはまさに、これまで言われてきたようなモンスターに変わってしまうのです。
SLEには、彼らが「悪い」と感じる機会を与えてはいけません。これは何のプラスにもなりません。彼らの欠点を「目の前に突きつける」ようなことをしてはいけません。これでは、彼らをより厳しく、冷酷にしてしまうだけです。
また、「拳を使った善」や「戦闘的な善」をSLEに押し付けようとしてもいけません。彼らはこの種の「善」を信じていないからです。
悲観的で直観力が弱いため、SLEは関係の初期の善意、無条件の愛、全てを包み込む善という考えを完全に信じることができません。SLEは、自分の目で見たこと、目の前で展開されたこと、つまり具体的な人物との具体的な関係の中で、自分自身が「うまくいっている」と感じたことだけを信じています。
彼らはパートナーごとに「自分がパートナーから評価された」という実績を通して自己認識を固めます。
しかもSLEはパートナーの発言だけを材料にして評価されたかどうかを確認しているわけではありません。パートナーの表情、声のトーン、笑顔などの顔の表情を敏感に感じ取り、それらを通して確認するのです。
そのため、パートナーがSLEの行動に対して実際に失望するよりも早く、パートナーからSLEに伝わった評価が低いせいでSLEの方がパートナーに失望する可能性があります。そしてSLEは「どうやらこの人との関係には見込みがなさそうだ」と痛感し、それに応じた行動をとってしまうのです。
また、それ以外にも「相手の自分に対する評価が低すぎる」とSLEが感じた場合、相手が思っている以上に自分自身の自己評価を上げて、自分をアピールし始めるかもしれません。SLEはパートナーに対して、「自分(※SLE)がどのように扱われるべきか」「自分とどのように関わるべきか」、つまり、「私は良い意味でのポジティブな表現と、最も良い意味でのフレンドリーな表現を求めている」というヒントを与えようとしています。
SLEは、物理的、形式的には既存の関係を継続することができますが、精神的、知的な意味ではとっくの昔に関係が終わっていたという状態になることがあります。
朝から晩まで、パートナーはSLEに「SLEがいかに優れているか、偉大であるか、親切であるか」を伝え続ける必要があります。こうした理由から、SLEにとってのポジティブな関係性は、双対タイプであるIEIとの間で発展することが多いです。
IEIは強力な直観力と楽観的な性格を持っているため、人を見極める余裕があるタイプです。SLEの才能や長所に心から魅了されたIEIは、SLEの自己評価を大きく高める助けになります。その結果として、SLEの目に映るIEIの価値もまた高まります。
SLEにとって「この人(SLE)は本当にいい人だ」「この人なら誰にも負けることはない」と確信してくれる誰かの存在は、とても有難いものです。そしてSLEは、自分に寄せられた期待に応えようと奮起します。
第5機能(暗示):Ni
SLEの特徴といえば「前へ前へ突き進む猛烈な勢い」ですが、躊躇してしまうような状況や疑問を向けられるような状況に直面すると、この特徴は途端に曇ってしまいます。
例えば、すぐに解決しなければならない緊急の問題が無尽蔵にわき続けるような状況です。そんな時、SLEはとても心配症になります。彼らにとっては、自分の人生の全てがかかっているように感じてしまうのです。
こうした困難を感じているSLEは、先が見えずに慎重にならざるを得ない状況で、普段のように前へ前へと行動できない苦痛に耐えています。こんな時のSLEはとても傷つきやすいです。
SLEは様々な予測や予感の影響を受けます。また、陰気な予感には特に注意を向けます。
このタイプの人々は、占いやお告げ、根拠のはっきりしない憶測にも耳を傾ける傾向があります。中には占星術による予言を信じて、それに従って計画や行動を調整しようとする人もいます(特に女性のSLE)。
SLEにとって、こういったものから得られる情報はとても参考になる情報だと感じられます。何らかの予言的な内容が書かれている場合は特にです。
「今週は些細なことで悩んだり、誰かと自分がうまくいっているかどうか試すような言動はとらずに、確信を持って平穏に暮らしましょう。しっかり休息をとって、健康に気をつけてください」
SLEが必要としているこうした類の予言は、双対であるIEIにも行うことができます(彼らはSLEの心情を察して、SLEにとって必要なものを見抜くことができるためです)。
例えば、どんなに暗いニュースがあっても、IEIは励ましのほほえみをもって次のようなことを言ったりします。
「このトラブルや苦難は一時的なものに過ぎません。すぐに過ぎ去ってしまうでしょう」
期待される立場にあることが、SLEには重くのしかかってきます。特に時間がかかる人間関係には悩まされるほうです(空約束で自分の言動を誘導されたり、一方的に遊ばれた後で断られたり、結果に繋がらない多大なパートナーシップや愛に労力をかけるはめになった時など)。
SLEはこうした人間関係の駆け引き的なゲームを嫌います。場合によっては親しい友人に対して「こんなゲームをしていたら、いつかしっぺ返しを食うだろう」と諭すこともあります。
彼らは予想外の時間の浪費を嫌います。SLEにとって、他人の問題を押し付けられるということは、自分に時間とエネルギーを奪われるということを意味します。
SLEは通常、自分にどれだけの時間があるのか、その時間をどのように使えばいいのか、何をして過ごせばいいのか、ほとんど考えていません。そのため自分の時間があまりにも非生産的に使われているように思えて、スケジュール帳を埋めようとすることがあります。また、その逆に自分の予定があまりにもいっぱいいっぱいに感じて、何から手を付けたらいいのかわからなくなってしまうこともあります。その状態から持ち直すには、また時間が必要になります。
SLEは、必要な仕事をこなすための時間配分に問題を抱えていることが多いです。
このタイプの人の多くは、一日を徹底的に計画し、その日に決められたことを実行し、どこにいても時間通りに行動し、締め切りや約束の時間を大切にしようとしています。しかし、それにも関わらず不測の事態が起きてしまい、計画が当初の予定通りに行かないことがあります。
他の感覚タイプと同様に、SLEは短い時間に出来るだけ多くのことをやろうとするあまり、過剰な負荷やストレスを抱えやすい傾向があります。
SLEの双対はIEIですが、IEIはまさにSLEにとって偉大なコンサルタントと呼べるような存在です。IEIは「それは今やるべきか」「いつやるのがいいのか」という観点からタスク管理をするのが得意であり、また「仕事には果てがない」という事実をSLEに思い出させてあげることもできます(このおかげでSLEは「自分があまりにも無茶に働きすぎていた」ということに気が付き、適度に休息をとれるようになります)。
(wikisocion編集者注釈:SLEは自分に無茶な負担をかけたり、身体的な負荷の強い危険な仕事をする一方で、ケガをしないように作業するという部分の意識には甘さがあるタイプです。そのためSLEは早い段階で健康を害す傾向があると言われています)
さらに、IEIは「クリティカルタイム」を意識しています。クリティカルタイムとは、「生き生きとした積極的な行動の時間」であり、「決定的なインパクトを与えられる時間」であり、「これ以上遅れたり、待ったりすることは『死に等しい』という時間」です。
また、IEIは、時間の経過とともに明らかになっていく他者の倫理的な可能性を見ています。そのためIEIは「この人に何を期待すればいいのか」「この人は誠実な人なのか」「この人は敵か味方か」といった質問に答えることができます。
これら人生の重要な問題についてのIEIのアドバイスは、SLEにとって非常に頼りになるものです。
第6機能(動員):Fe
無意識のうちに、SLEは(論理的なタイプとして)推論に自分の感情を従属させようとします。
例えば、自分の気分が仕事にも部下や同僚との関係にも影響を与えないようにします。SLEは、誰に対しても同じように、レベルの高い、親しみやすいトーンを保とうとします。
しかし、このタイプの人々は、状況に応じて柔軟に適切な感情表現をすることが苦手です。関係性の倫理(Fi)の弱さは、感情の倫理(Fe)にも問題を引き起こします。
例えば、倫理的に気まずい状況に置かれたとき、SLEはしばらくの間、その心理的な不快感に耐えようとします。しかしその後、彼らは全く別の状況で、不適切なタイミングで、何も関係のない人にそれまで我慢していた感情をぶつけてしますのです。
SLEは、自分が感じている感情と、自分を「こんな風に見せたい」という感情の矛盾に悩まされています。彼らは、抑制された不動の仮面の下に、深く情熱的な感情を秘めています。
SLEは、自分のポジティブな感情(彼らの最も深くにある、強い親密さの感情)を自分の最も親しいパートナーに見せようとはしません。その一方で、彼らがどれだけ「こんな風に見せたい」と望んでいたとしても、ネガティブな感情をすぐ親しい人にぶつけてしまいます。そして後になってから、自分勝手にネガティブな感情を爆発させてしまった自分自身を責めます。
彼らは自分の評判や、他の人が自分をどう見ているかを心配しています。人を不当に怒らせたり、動揺させたりしたことを後悔することもあるでしょう。
SLEは思いやりに傾倒するだけでなく、自身の高貴な衝動を自己称賛する傾向もあります。さらに、彼らにとって、自分が持つ倫理的な可能性を明確に示すことは非常に重要なことです。そうすることで、自分の長所やポジティブな資質に目を向けてもらいやすくなり、自分が望むような状態の人間関係を得ることが出来るからです。
SLEは「良いことは目立たずに行われるべき」という考えには違和感を覚えるという人が多いですが、これは自分の行動の動機(※「いい人間に見られる」ために行動しようとするところ)に対する批判のように感じられて、気になってしまうからです。
幸いなことに、このタイプの人々にとって、彼らの最高の動機を奨励し、彼らの最も前向きな感情を活性化し、そして彼らがそれに従って良いものを作り出す助けをしてくれる存在として、宗教という「倫理的な出口」があります。さらに宗教は、彼らの心の奥底にある、未だ汚染されていない神聖で誠実な感情に彼らが気付くきっかけにもなります。
「自分のそばには自分の愛に値する人がいない」という場合、最も深い秘密の考えや願いを託すことができる何かがあるというのは、SLEにとってプラスになるかもしれません。ここでは心の奥底にある感情を表現することは奨励されており、それを恥じる必要はありません。
また宗教以外にも、自分の感情を素直に吐き出すことが出来る、他の「出口」や機会もあります。
具体的に言えば、クリエイティブなアーティストや役者のグループもまた、「出口」になります。ここでは、SLEの強みや気質を存分に発揮することができます。このようなタイプの俳優でも、感情を制限する必要があると感じることがあるのは確かです。
「俳優は感情的に控え目に生きなければならない。さもないと仕事にも人生にも感情が足りなくなる」─ アリーサ・フレインドリフ
SLEは、自分が孤独で誤解されていると感じていることが多いです。そしてそのために、見知らぬ人たちの中で、自分の本当の気持ちを見せることを躊躇ってしまいます。
通常、SLEは自分の気分を周囲の人々の感情的なトーンと結びつけようとしますが、この試みはいつも成功するわけではありません。他の人から感情的に浮いてしまうこともあります。しかもSLEは「かなりはっきり浮いてしまう」方なので、周囲の人々にとって必ずしも心地の良い存在にはなれません。
新しいグループに参加する際、SLEはしばしば、不運にも「大衆のまとめ役」や「ジョーカー」の役割を引き受けてしまうことがあります(男性のSLEに多いです)。しかし、うまいジョークを言うことが出来ず、それが原因で不快な結果に繋がることもあります。SLEは無理にリーダーの役割を果たそうとすることがあり、「自分の立場を押し付けられる」と非常に腹を立てます。このような場合、彼らは怒りを露わにし、物理的な衝突(※殴ったり掴みかかったり等)を起こすこともあります。
また、これとは真逆の行動をとることもあります。大衆的な歓喜から距離を置いて、近寄りがたく、そして影の薄い状態に徹するのです(こういった態度をとるのは、女性のSLEの方が多いです)。
SLEは、自分の感情や内面の経験を話さなければならないことに戸惑いを感じてしまいます。
彼らにとって、こうしたことは非常にプライベートな問題であり、自分の本質にかかわる話題なのです。一体どうやってこういった話題について話せばいいのかわからないでいます。「薄っぺらいやつだ」「馬鹿げたことを言うやつだ」「慎みのないやつだ」と思われることが怖いのです。
確かに、不自然に感じる(気分にそぐわない)行動を取ろうとすると、ほとんどの場合、SLEにとって不愉快な結果で終わってしまいます。自分の役割に夢中になりすぎると、途端に彼らの行動は馬鹿馬鹿しく、不適切で、時には良識の範囲を超えたものになってしまいます。
ところで「良識」についてSLEが深刻な問題を抱えていることはほとんどありません。SLEが、ここまでに挙げたような問題を起こしてしまうのは確かですが、彼らがそうしてしまう原因は、どのように振る舞うべきか知らないからでも、良い教育を受けられなかったからでもありません(こういった点については、特に問題を抱えていないことがほとんどです)。
しかし、SLEが少しリラックスして気を緩めた瞬間(これはゲストのそばにいる時に起こることが多いです)、SLEは「自分の役割から外れた(※今の自分は「こう見られたい理想の自分像」通りの自分ではない)」と感じ始め、その状況に困惑し、その結果、何かを見られたり言われたりすると、鋭く敏感に反応するようになってしまいます。
SLEの冗談や発言に対して、その場にいる誰かが不適切な反応を見せるだけで。SLEは簡単に感情過多に陥ってしまいます。もしもその瞬間にSLEが良識さと適切さを思い出すことが出来れば、そこで自分の言葉と行動を完全にコントロールできるかもしれません。
多くの場合、SLEは自分が問題を起こさないようにするために、ゲストの前であまりリラックスしないように気を付けたり、より落ち着きと自信をもった状態でゲストと会う環境を整えるために、自分の家にゲストを招こうとします。
SLE自身も、自分の短気に悩まされており、自分の自制心の無さにいつも後悔しています。その場の勢いで言い過ぎてしまったこと、誰かを怒らせてしまったこと、誰かに悪く思われてしまったことなどを後悔しているのです。一部の、そして特にこのタイプの女性は、自分がやったことを償おうとします。
SLEは自分が「難しい」性格をしていると自分を責めており、この問題について誰に相談したらいいのかわからなくなってしまっています。また、これがコミュニケーションや人との関係における深刻な問題を生み出してしまっていることも彼らは理解しています。
この状況は、SLEの双対であるIEIがいることで改善されます。
IEIは、軽やかで束縛のない相互的な交流に必要な雰囲気を生み出すにはどうしたらいいのか、コミュニケーション上の問題を解消するには何をすればいいのか、誰かの感じている気まずさを取り除き、より快適でおもしろいものに目を向けさせるにはどうしたらいいのか、よく理解しています。気の利いた褒め言葉や優しい言葉を見つけ出すのも上手です。
IEIと一緒にいる時だけ、SLEは心からリラックスし、肩の力を抜くことが出来ます。そしてIEIから倫理的なサポートや助けを受けることもできます。IEIのそばにいることで、SLEは文字通り魂の休息を得ることが出来るのです。
第7機能(監視):Si
この点については、SLEの男性と女性の間にはいくつかの観察可能な違いがあります。
SLEの男性は、耐久性があり、維持にコストをかけないほうです。
彼らは快適さを生み出すことにはあまり時間を割きません。家の中の全てのものが多かれ少なかれ清潔であること、物が所定の位置にあること、そして食べ物が新鮮で健康的であることを心がけています。彼らにとってはこれで十分です。便利で目立たない服装、流行に左右されないニュートラルなスタイルを貫きます。
SLEの女性は、男性の場合とは異なります。
彼女たちは、家庭内の快適さを作るために膨大な努力、時間、注意を費やします。家の中は模範的な状態に保たれています(ゲストが来る前は特に)。全てが綺麗で、全てが輝いています。家具は、質が高い、昔ながらのものを好みます。家の中にはたくさんの装飾品があるかもしれません。例えば磁器の置物、クリスタルの花瓶、ナフキン、カーテン、壁にかかった大きな絵、プランターに入った観葉植物など、簡単に言えば「全てがあるべき姿になっている」ということです。また、料理が素晴らしく上手で、美味しく食材を焼き上げることも、漬け物や甘いジャムを作ることも、お手の物です。海外に別荘を持ち、週末や休暇を過ごしている人もいるでしょう。流行のファッションに詳しく、裁縫もできますが、個性的なスタイルを保ち、明るくも高貴な色調を好みます。彼女たちは音楽やアートといったものが好きなのです。SLEの女性はまさに「いつも頑張り屋さんで、元気な歌と踊りを披露してくれるような人」です。
SLEの美学は、ロシアの国民的なフォークロア(※民族的な織物や柄、スタイル)にも見られます。高品質で、幻想的で、鮮やかに描かれ、金で豊かに仕上げられているような、装飾的な応用芸術をイメージしてください。また、歌謡フォークロアでは、倫理的な問題、現代的な「アーバン・ロマンス」、「悪役としての愛」をテーマにした、何事にも善良だけど恋には恵まれない「大胆で生意気な少女」などにもSLEの美学が見られます。
SLEの女性は、「燃える家に入り、疾走する馬を止める」人です。信じられないほどの自己犠牲を払うことができ、奇跡的な忍耐力と不屈の精神を発揮できます。文句や屁理屈を言わずに、毎日毎日自分の責任を果たすことができます。不平不満を言うのも、病気になるのも好きではありません。なぜなら、のたうち回って「不機嫌になる」のが嫌だからです。
SLEは病気になると特に、他の人と付き合うことが難しくなります。彼ら自身、自分の弱さを恐れており「このままずっとこの状態が続くのではないか」と不安になりやすいほうです。そのため、どんな犠牲を払ってでも常に活動的で、落ち着いていて、明るくしていようとします。
第8機能(実証):Te
SLEは、最も実用的なタイプの一つです。彼らはどんな行動も有用性という点から説明しようとします。
「無駄なことはしない」─ ナポレオン・ボナパルト
SLEは実用性を重視しています。SLE以上に「商品性(値段、形、色、匂い、味など)」を評価するのが上手い人はいませんし、その長所と短所を見抜くことができる人もいません。SLEは、モノの商品性に対する記憶力も並外れています。SLEに、その商品が持つ商品性の価値以上の金額を支払うように強制することは不可能です。また、見栄を張るために過剰な支出をするというのもSLEには理解できないことです。自分に不利な商取引はしません。
収入の多寡にかかわらず、SLEは常に予算の範囲内で生活しています。そのため、「裕福な人」でありながら「堅実な人」という印象を持たれることがあります。
家計を非常に経済的に管理しており、余計なものは使わず捨てない「無駄のない家計」を目指しています。例えば、SLEの女性は、残っている小さな石鹸を集めて、食器洗いに使います。1回しか使えないものを2回使える方法を探すかもしれません。また、手元に何かがなくても、家の中で見つかる他の何かを代替品として上手に利用します。食べられる野菜を捨てることは考えられません。彼らは最も安い価格で、最小限の「もみ殻」しか含まない商品を購入します(※できるだけ安く、できるだけ可食部の多い野菜を買う)。
彼らは物を大切にします。カジュアルなホームセットとフォーマルなホームセットを厳密に分けて、衣服を長持ちさせます。家の中ではシンプルで実用的な服を、外では上質で見栄えのする服を着ます。
SLEは仕事が好きで、仕事の仕方が上手いです。どんなことでも最高のレベルになろうとしたり、最高の資格を得ようとします。迅速に、質の高い仕事をします。
「最大の罪は、やりかたがわからないことを引き受けることだ」─ ナポレオン・ボナパルト
彼らは自分のスキルと適性を示し、状況に応じて常に正確に行動します。
与えられた課題には、最大限明確な説明を行います。もしその説明を聞いた同僚が上手く理解できていないようだったら、聞き手が理解できるまで説明をします(これはちょうどSLEの双対であり、弱い論理機能を持つIEIが潜在的に「こうしてほしい」と望んでいることです)。同時に、SLEは自分の説明に反する行動をとることは許さず、自分に説明を求められない場合、不機嫌になったりもします。これは自分の実用的で論理的な洞察力が控え目に評価されていると考えてしまうためです。
SLEにとって、他の人が自分の仕事を褒めてくれて、手本にしてくれることがとても重要です。彼らはこの目的のためだけに働いているように見える場合さえあります。
だらしなさや不注意には我慢できない方ですが、努力が見られる従業員、あるいは少なくとも努力する意志が見られる従業員のミスは寛大に受け止めることが出来ます(SLEは、IEIが少なくとも生産的に見えるように、IEIの生産的な資質を発揮するための手助けをします)。
SLEは誰かに好意を持ってもらおうと思った場合、その人から頼られるのを待つのではなく、自分から積極的に働きかけます(例として、映画「The Blonde Around the Corner」でタチアナ・ドギレバが演ずるナデジダというキャラクターがあげられます。彼女は、人が必要としているものをすぐに手配できるやり手のセールスウーマンです。スイミングプールのチケットであれ、輸入家具のセットであれ、自分の人脈を活用して、なんでも軽快に手配することが出来ます。SLEはこのように幅広く有用な人脈を活用して誰かを助けることが出来るような人々です)。
彼らは、「この人から感謝してもらいたい、友達になりたい」と感じている人々の日常的な問題を解決することを好みます。自分が「全てを握っている」人のように見られると、とても嬉しくなります。
SLEは、信頼と愛を獲得するための最良の方法は、日常の具体的な問題を解決するための効果的な支援を提案することだと考えています(こうした発想が出てくるのは無意識にIEIを志向しているからです)。タチアナ・ドギレバが演ずるナデジダのように、彼らは自分のビジネスの質を過小評価され、見返りを得られない場合、強い憤りを感じてしまいます。
IEIは、SLEの寛大で誠実な配慮を、熱意と深い感謝の気持ちをもって受け止めることのできる数少ないタイプです。IEIは双対であるSLEの現実的な実用性、献身性、仕事における無私の精神を称賛してやみません。