アルファ・クアドラの権利と機会
口が自由である限り、アルファ・クアドラは何も恐れません。常に状況を打開する方法を見つけたり、最後手段として社会に助けを求めたりして、自分をいじめる人に打ち勝ちます。
しかし口を塞がれると別です。
「黙れ!口を閉じてろ!」と言われることは、アルファ・クアドラにとって最も屈辱的で、攻撃的に感じる暴言です。
何か言いたいことがあるのに、発言するチャンスがないことは、それ自体がアルファ・クアドラにとって非常に不快で屈辱的なことです。「主観主義」「民主主義」のアルファ・クアドラのコミュニティで、この種の脅威を人に与えようとすることは危険なことです。
- 自分の身を守れる可能性が最も高い人は、「より大きな声で叫ぶ人(-Fe)」または「最も説得力のある形で、自分の権利と正しさを証明する人(-Ti)」です。
- 全ての人は「インサイダー」と「アウトサイダー」のどちらかに分けることができます(「主観主義」)。
- 誰もが自分を「仲間」「身内」として見せようとします。また誰もが「異分子」を拒絶します。
- 社会的システム内には、全員のための十分なスペースはありません。
- 「共同体から追放し、選挙権を奪い、自由で平等な権利を持つ市民から、追放者、奴隷、不可触民に落とす」という罰が採用される可能性があります。
したがって、アルファ・クアドラにとってマスコミの前で、あるいは公衆の面前で自分の名誉を守ることはとても重要なことです。そのために「派手な」スキャンダルを仕掛け、多くの目撃者や同調者を自分の側に集めようとします。
例えばILEは「人が多い場所」で、よく人と喧嘩します(喧嘩相手は衝突関係のタイプや監督関係における監督者であることが多いです)[1]。衆人環視の中で、ILEは言葉を使って相手を非難し、「公開処刑」しようとします。
人がいる限り何も怖いものはありません。ILEは「きっと周りの理解を得られるに違いない」と主観的に思い込み、大声で「加害者」を非難し、周囲の注目を集めて自分の味方にしようとします。
ここで「うるさい!そんな恥ずかしいことはやめろ!」と言われて恥ずかしくなってくると(外野から見たら、こんなILEはもはや勝者に見えません)、すぐに爆発して、そんな指摘をしてくる「悪い人」を懲らしめようとします(ILEの試みる最後の復讐です)。
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怒っているアルファ・クアドラに「黙れ!」と言うのは、火に油を注ぐようなものです。
しかしアルファ・クアドラには、この「黙れ!」以外にも地雷があります。それは「権利やチャンスの分配が不公平だ」と非難されることです。
特にプログラム機能(第1機能)に関係性の論理Tiを持つLIIは、この批判に敏感です(プログラム機能Tiにとっては、なんであれ不正は許せないことです)。
例えば、仮にあなたの趣味が「歌を歌うこと」だったとします。そして、あなたの歌声がうるさいと思った近所のLIIが、それについて苦情を言ってきたとします。こんな時もしあなたが「口を閉じて生きろとでも言うのか!」とLIIに言い返したとすると、この言葉はLIIの胸に深く突き刺さります。実際にはLIIは「口を閉じてほしい」と思っているわけではなく(これはLIIにとってゾっとするような要求です)、「音楽の練習をする時間を朝に変更してほしい」と思っていただけだとしても、LIIはすぐにそんな言い方をした自分を恥じてしまうでしょう。
「投票権」「発言権」「黙秘権」といった権利と機会の公正な分配を確立すること。これは公平な関係性の論理をプログラム機能として持つLIIが最も尊び、最も得意とすることです。
「果敢」なクアドラには「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉が当てはまりますが、「主観主義」かつ「賢明」であるアルファ・クアドラにおいては、全ての言葉は金と同じだけの重みがあります [2]。
言葉による合意は、非常に重要な意味を持ちます。仮にビジネスで争いがあったとして、その後、言葉で和解し、合意に至ったのであれば、実際にその争いは「和解した」と見なすことが出来ます(この和解がLIIの存在下で成されたものであれば特に)。
LIIの前で交わされた約束を反故にすることは難しいことです。手段を選ぶ自由が等しくある二人の市民が、正義の天秤の上で同等の権利を持つように、LIIはすべてを非常に真剣に、厳格に取り扱います。
「LIIは公正な分配をする」という事実は、関係者に安心感と信頼感をもたらします。その結果、争いの和解に繋がり、関係に安定と秩序を生み出します。
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社会的関係が複雑になればなるほど、この法則の例外が現れてしまいます。
口約束はもはや十分ではありません。しかし「口先だけ」な人、そして昔の約束を改変しようとする人はたくさんいます。そして、以前交わした合意や取り決めに勝手に修正が加えられます。
しかし、人のいないところで、その人の代わりに、その人の同意なしに強制された口だけの合意や約束は、アルファ・クアドラでは何の力も影響力も持ちません(アルファ・クアドラにおいて、意志的な感覚の側面は抑制されます(±Se↓)[3]。
アルファ・クアドラはこのような意志的な感覚による「義務の踏み倒し」はしませんがその代わり、潜在的可能性の直観の側面が優勢であるため (+Ne↑)、義務を拒否できるような可能性を求めて、あらゆる抜け道を最大限に利用しようとします。
ここでは、約束の履行を拒否する理由として、あらゆる種類の質が悪い「悪ふざけ」が持ち出されます(「この前の約束?あんなのただの冗談じゃん。もしかして本気にしちゃったのw」。こうした悪戯っ子の典型はESEです)。
アルファ・クアドラからそう言われて、相手が怒ったり、文句を言ってくる場合、悪ふざけをやめて、きちんと約束を果たしてもいいです(この場合、他の人との約束が犠牲になります)。
しかし、そこでもし相手がアルファ・クアドラの仕掛けた悪ふざけに閉口して、そのまま黙って立ち去ってしまった場合、アルファ・クアドラは「立ち去るのは相手の自由だ」と考えるのと同時に「黙って立ち去る判断をした相手の方の問題だ」とも考えます。そして、立ち去ってしまった相手との約束に使われるはずだったリソースは、他の人との約束のために使用されます。
官僚的な不公正(残念ながら「主観主義」のクアドラでは一般的です)を黙認することによって、彼らはさらに大きな不公正のための条件を作り出します。より大きな声で叫ぶ人、より強く激しい議論をする人、より活発に自分の権利を主張する人、つまり自分の権利を守るために戦うことができ、またそうしようとする人に対して優先的に、権利、特権、物質的リソースの蓄えを与えようとします。
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アルファ・クアドラとベータ・クアドラの「主観主義」的なコミュニティには、全ての人に行き渡るだけの十分な物質的資源があるわけではなく、また、生産者よりも公共財の配給を受ける人のほうが常に多いという前提の認識があります。
アルファ・クアドラの場合、(最初は)リソースを公平に分配しようとしますが、「主観主義」かつ「果敢」であり、ヒエラルキーが明確なベータ・クアドラにおいて、リソースや特権は、強く、影響力があり、闘争的なメンバーに集中します。そうして多くのリソースと特権を持つベータ・クアドラのメンバーは、社会の背骨として、ヒエラルキーのエリート階層を形成するようになります。
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アルファ・クアドラの主観主義的なコミュニティでは、約束の履行を拒否する理由として「悪ふざけ」が持ち出されるという説明を先ほどしましたが、「悪ふざけ」だけではなく「誹謗・中傷」もまた、アルファ・クアドラでは「自分が果たすべき約束」を踏み倒す攻撃材料になることがあります。
例えば誰かから借金をしていたとして、「(金を貸してくれた人に対して)あいつには失望した。あいつは不当な手段で金儲けしていたんだ。だから金なんて返してやらない!」と言うアルファ・クアドラがいるかもしれません。
こういった誹謗中傷的な言い草を根拠にして、自分の債務の履行を拒否すること。これはアルファ・クアドラにとっては簡単なことです。
それに対して債権者(金を貸していた側)が、怒りと驚きのあまり閉口してしまい、自分の正当性を主張できなかった場合、この債権者の評判を守ったり、債務者に約束を履行させるための手助けをしてくれる人は誰もいません。
不誠実な債務者は、持ち前の機知と創意工夫を発揮して、さらに不条理な口撃を繰り出すこともあります。
「沈黙は同意の印」という考え方を持ち出して、大衆を自分の味方につけ、債権者を嘲笑おうとすることさえあります。「黙っているのは図星だからだ!自分のほうが悪いとわかっているから何も言えないんだ!」