第1機能「良いもの」主体的論理(Ti)
「私は誰よりもよく理解している!」
LSIは、自分自身の考え方や論理、概念に非常に強い信頼を置いています。自分の理解を「正しいもの」として大切にし、それを簡単に変えることはありません。外からの意見や指摘でLSIの論理的理解を変えることは、まず不可能といってよいでしょう。本人にとって論理は、ただの思考手段ではなく、生きるうえでの軸のような存在です。ただし、その論理を他人と分かち合うとは限らず、自分の中だけにとどめていることも多く見られます。事実と自分の考えが一致しないとき、「それなら事実のほうが間違っているのではないか」と考えることもあります。そして、他人に自分の論理構造を批判されると、強い苛立ちを覚える傾向があります。LSIは論理的に考える力を十分に持っていますが、自分の考えを他人に説明しようとはあまりしません。「分かる人には自然と分かるし、分からない人にはどうせ分からない」という態度をとることが多いためです。その結果、自分の論理に共感し、否定せず受け入れてくれる人たちだけを周囲に集めて、小さな「学派」のようなグループをつくることがあります。一度納得した論理的な結論を手放すのは非常に難しく、考えを変えるには時間をかけて自分の中でじっくりと見直す必要があります。また、「自分の理解と現実が一致している」ことを強く望んでおり、そうでないときには不快感を覚えます。そうした人物を説得するには、きわめて明確かつ一貫した論理的な根拠が求められます。新しい情報に対しては基本的に懐疑的であり、自分で検討して納得できない限り、安易に受け入れることはありません。「はい」と答える前には、関係する情報をすべて注意深く吟味しようとします。
LSIにとって、思考とは不安定なものであってはなりません。非常時にも頼れる「土台」として機能することが求められるため、自分の思考にはできる限りリスクを排除しておきたいと考えています。他人の意見にすぐ同意することは少なく、まずじっくりと理解し、自分の中で納得できてはじめて受け入れるのです。逆に、理解できないものは受け入れることができず、その結果として学習が止まってしまうこともあります。どんなに単純な内容であっても、自分で実際に使いこなせるようになるまでには、時間がかかることがよくあります。第1機能と第3機能:LSIは、「自分は物事を正しく理解しており、その理解は一貫していて原則に沿っている」と、無意識のうちに強く信じています。そのため、自分の理解が間違っていたと気づいたときは、自我に対して大きな衝撃――まるで「二重の打撃」を受けたかのような深い動揺――を経験することになります。
第2機能「必要」客体的感覚(Se)
「私は強い。あなたと戦うのは面白そうだ」
第2機能に外的感覚(Se)を持つ人は、といった感覚を自然と抱きます。ここでいう「戦い」は、単なる力比べではなく、状況そのものに積極的に関わることで成長しようとする姿勢を表しています。競争や挑戦に対して前向きで、そこに意義を見出します。LSIは、力や資源(金銭、身体能力、スキル、影響力など)を柔軟かつ創造的に扱うことが得意です。独自の方法で人を鍛えたり、能力を引き出したりする能力に優れており、トレーナーやコーチとして理想的な資質を備えています。相手の可能性を見抜き、実際に結果を出せるよう導くことができるのです。力の使い方には工夫があり、状況に応じて最適な手段を選びます。例えば、必要があれば周囲を引き締めたり、逆に緊張を緩めたりして、バランスを保つことができます。こうした柔軟さにより、集団の中でも指導的な立場で活躍することが多く、教育や子育ての場でも、甘やかしすぎず、かといって抑え込みすぎない、ちょうどよい距離感を取ることができます。
仕事面でも、スピードと効率を重視し、同時に複数の作業をこなす力があります。お金の扱いにも長けており、投資やビジネスで成果を上げる人も少なくありません。ただし、リスクを恐れない傾向があるため、成功と失敗の波が大きくなることもあります。中には、人生で何度も財を築いては失うという経験をする人もいます。競争自体が楽しいと感じるため、「絶対に一番にならなければならない」とは限りません。2位でも「ここからさらに伸びていける」という意味で満足することが多いです。過程を大切にし、その中で力を試すことに意味を感じています。この姿勢は、エクストリームスポーツや冒険的な活動への関心にもつながります。ときには、自ら困難な状況に飛び込もうとすることさえあります。例えば、大きな経済的損失や体力的な限界など、意図的に「穴」に落ちるような経験を選び、その状態から自力で抜け出すプロセスを通じて、自らの力を試そうとするのです。また、周囲の物事をうまく活用する能力も高く、貧しい状況からでも新しい価値を生み出すことができます。外見や雰囲気といった「見た目の印象」を使って物事を動かすことにも長けており、ビジネスパートナーとしても非常に信頼されるタイプです。
LSIは、自分の持っている力を「適切に使う技術」を身につけており、必要に応じて環境を引き締めたり、逆に余裕を与えたりして、最適な状況を作り出します。これは集団の中でも効果的に働き、教育の場面では、子どもが萎縮せず、かといって甘えすぎないように育てることができます。状況を見ながら褒めたり、必要な場面では適切に制限をかけることもできます。こうした特性は、特にスポーツの分野で顕著に表れます。自分自身がプロフェッショナルな選手として成功するだけでなく、子どもを幼い頃から指導し、将来有望なアスリートに育てるような親も多く見られます。一方で、感情の扱いには注意が必要です。LSIは、価値のある機能群(第1〜第4機能)に関連する不満や怒りを内に溜め込みがちです。特に第2機能は「周囲にとって適切な自分」であろうとするため、ネガティブな感情を表に出しにくい傾向があります。しかし、それが限界まで蓄積されると、突然制御不能な形で爆発することがあります。このとき、本人も自分が何をしたのか分からないまま衝動的に行動してしまい、後になってその結果に驚くことがあります。したがって、LSIにとっては、感情を溜め込まず、定期的に発散することがとても重要です。スポーツや趣味、あるいはパンチングバッグのような物理的手段でもよいので、身体を使ってストレスを解消することが効果的です。さらに、LSIは「見た目」や「イメージ」を作るのが得意で、服装や外見に独自の工夫を凝らす傾向があります。流行を追うのではなく、自分なりのスタイルを確立し、それがかえって成功につながることもあります。
経済的に厳しい状況でも、最小限の資源でやりくりする術を持っており、金融的な活動においても非常に頭の切れる一面があります。中には、「空気からお金を生み出す」と評されるほど巧妙なやり方で利益を上げる人もいます。物の形や構造に対する興味も強く、切手やバッジ、自動車の収集、インテリアデザイン、絵を描くことなどに惹かれやすい傾向があります。子どもの頃には、兵隊の人形で遊ぶのが好きだった人も多いかもしれません。こうした人は、自分の持ち物を他人に触られるのをあまり好みません。自分の物の扱い方そのものが「創作活動」であり、他人に手を出されることはその作品を壊されるような感覚を伴うためです。物を丁寧に扱い、長く使い続ける工夫をすることに長けており、古い物でも簡単には捨てず、何か別の用途を見つけようとします。これもまた、第2機能による「創造的な力の活用」の一環です。第2機能と第3機能:「理想や信念を守るには、それを支えるだけの力が必要だ。善意は力を伴ってこそ本物だ」と考えます。つまり、ただ優しいだけでは十分でなく、行動によって価値を守るという意識があると感じます。第2機能と第1機能・第4機能:自分の力の使い方や稼ぎ方について、時折それを見せたり語ったりします。自分が職場でどう評価されているか、どのような技術を持っているかについて話すこともあります。
第3機能「問題」主体的直観(Ni)
「自分に対して誠実であり続けるには、どうすればよいか?」
LSIにとって、自己評価の中心となっているのは、自分の内面が統一されていること、つまり心の中に矛盾がなく、理想や原則に忠実でいられることです。心の中がすっきりとまとまっていて、安定していると感じられるとき、彼らは安心し、自分に価値を見出せます。この内的な安定を守るために、彼らはしばしば他人と一定の距離を置こうとします。他者との関わりによって、自分の内面に葛藤や疑念が生じることを避けたいと考えるからです。そのため、LSIはこの課題――自分の心の一貫性を守ること――に比較的うまく対応できており、それを維持するために積極的に行動します。外から見ると、彼らは非常に原則的で一貫した人物として映ります。考え・言葉・行動の間にズレがなく、自分の信念に忠実に生きようとする姿勢が強く見て取れます。他人に対しても同じような一貫性を期待するため、周囲からは「まじめすぎる」「融通が利かない」と受け取られることもあります。
新しい情報に対しては、自分の内的バランスを脅かさないと感じたときにのみ受け入れます。逆に、自分の中に矛盾を生みそうな情報は拒否するため、頑固に見えることもあります。また、自分の原則や信条を曲げることはほとんどなく、礼儀正しく控えめな態度で、自分の内面をあまり明かそうとしません。これは、自分を「一貫した原則的な人物」として他者に印象づけたいという気持ちの表れでもあります。彼らの自己評価は、自らが掲げる理想によって支えられています。しかし、その理想が現実の状況とうまくかみ合わないとき、周囲の現実に対して冷淡になったり、軽視する態度をとることもあります。目標達成に向けて強い行動力を見せることもありますが、現実の状況や他者の意見を無視して突き進んでしまう傾向も見られます。ただし、そうした行動が社会的に認められる枠組み――例えば「自分は兵士として祖国に仕えているのだ」というような立場――の中にある場合、彼らはむしろ安心感を覚えます。つまり、「自分は正当な立場にあるので、批判されたり責任を問われたりする筋合いはない」と感じられるのです。彼らは、理想や原則こそが現実に優先すべきであると考えており、そうした理念を周囲に伝えようとします。その真剣な姿勢や誠実さが人々の信頼を集め、他者を導く力にもなります。というのも、彼らは自分の言葉を本気で信じており、嘘をついているのではなく、本心から理想を信じていることが伝わるからです。
何よりも内面の平穏を保つことを重視する彼らは、自分の行動が、自分の理想や原則に照らして正しいものであると確信できるときに安心できます。一方で、状況があまりにも複雑で、どちらが正しいかはっきりしないような場面では、混乱を感じやすくなります。そのようなときには、物事を単純化して理解しようとする傾向があります。つまり、「原則があり一貫していることは良いこと」「原則に欠けていて一貫性がないのは悪いこと」といった、白黒はっきりした価値観で物事をとらえようとするのです。自分の中に疑念や矛盾を生み出すような人物とは距離を置こうとしがちです。たとえ自分の行動に誤りがあったとしても、それを指摘されるより、知らないままでいたほうが精神的には楽なのです。このようにして、自己評価を守ろうとします。例えば、そうした相手のことを「自分に害を与えようとしている」と解釈して、その意見を軽視することもあります。全体として、内面の安定を脅かすものは、そもそも考慮の対象から外されます。彼らにとって、「たとえ結果として失敗に終わったとしても、自分の信念に忠実でいたい」と感じることのほうが、はるかに重要です。
第4機能「欲求」客体的倫理(Fe)
「ちゃんと俺のことを大切にしてくれ。じゃないと他の女のところに行くぞ」この機能にとって大切なのは、「自分が他者から好意的に受け入れられている」と実感できることです。周囲の人々から愛情や温かい態度を向けられることで、安心感を得ます。例えば、家族や身近な人から「あなたなんて嫌い」といった言葉を投げかけられた場合、それが一時的な感情の爆発であっても、冗談とは受け取らずに真剣に受け止めてしまう傾向があります。そして、そのような否定的な言葉をきっかけに、「もっと自分を大切にしてくれる場所へ移ろう」と考えることも少なくありません。そのため、自分が周囲からどう思われているのかが不明瞭な状況には、大きな不安を感じます。反対に、誰かが親しげに「元気かい、友よ!」などと声をかけてくれると、それだけで深く安心し、まるで救いの手が差し伸べられたかのような気持ちになります。他者が自分に対してどのような感情を抱いているかを言葉で伝えられると、その内容に強く影響されやすいのも特徴です。特に、前向きな感情や好意のこもった言葉には敏感に反応し、それによって内面的な活力を得るような感覚すらあります。自然と、明るく前向きな感情が流れている環境に引き寄せられ、反対に不満や批判といったネガティブな空気が漂う場には近づこうとしません。また、陰口や噂話といった、関係性が不透明になるような状況を非常に苦手とします。そうした場面では、自分がその標的にされるのではないかという不安を抱きやすく、誰かがこそこそと内緒話をしているだけでも、そこに敵意や悪意を感じ取ってしまうことがあります。
LSIにとって、人間関係は常に率直で誠実であることが理想です。誰かが「あなたのことを大切に思っている」と言うなら、その言葉は実際の行動によって裏づけられていなければなりません。言葉と行動のあいだに食い違いがあると、そこに不誠実さを感じて信用できなくなります。周囲の人々の自分への態度には非常に敏感で、ほんの些細な出来事でも、「ひどい仕打ちをされた」と感じた場合には、関係を断とうとしたり、その人を「親しい人」から除外して距離を取ろうとしたりします。そのため、周囲から「裏切り者」とみられやすいこともあります。自分をもっと大切にしてくれる人が見つかれば、実際にその人たちのもとへ移り住んでしまうこともあり、それを自分にとって十分正当な選択と考えます。こうした性質から、過度に持ち上げてくる相手や、ご機嫌取りのような人物にも心を開いてしまいやすく、結果としてそうした人々に影響されてしまうこともあります。
第-1機能「悪いもの」客体的論理(Te)
LSIは、客観的な事実よりも自分の理解や理屈を優先する傾向があります。例えば、「現実が自分の考えと合わないのなら、間違っているのは現実のほうだ」と考えるような姿勢です。このような考え方は、社会の一般的な価値観とは相容れにくく、結果として孤立を招きやすくなります。社会は通常、人が期待に沿って行動することを前提としており、それに従わない人は「変わり者」や「逸脱した存在」として見なされるからです。この人物は、自分の内側にある論理や考えに強い確信を持っており、それがまるで未来を見通す力のように働くこともあります。この内的な論理は、現実の細かい事実を軽視する傾向を補う役割を果たします。しかし、事実を無視したことで判断を誤ると、実際の問題に直面することになります。その際、柔軟に考えを切り替えるのが難しいため、対応に時間がかかってしまいます。第1機能は、すぐに現実に合わせて考え直すといったことが苦手なのです。例えば、本人は「たしかにあの店にあるはず」と思い込んで買い物に向かいますが、実際にはその店は10年前に閉店していた、というようなことが起こり得ます。これは、自分の記憶や理解を当然のように信じ込み、現実の変化を確かめることをしないために起こるのです。
このような人は、社会のルールや制度、法律のような外側から与えられる枠組みに対して反発を覚えることがあります。たとえ刑法のような厳格な規則であっても、自分の考えにそぐわない場合には「守る必要はない」と感じることさえあります。つまり、社会全体のルールよりも、自分の中の論理や価値観を重視しているのです。官僚的な手続きや書類の処理、予期しない出来事など、外部の現実と自分の考えがかみ合わないときには、強い不快感や抵抗を示す傾向があります。「壊れない道具こそがよい道具だ」と感じており、もし物が突然壊れたりすれば、それもまた「自分の理解を乱す不快な現実」として捉えるのです。本人がその分野の専門家でない限り、そうした現実の干渉には特に敏感です。彼らにとって、現実の事実とは「自分の考えの邪魔をしない範囲でのみ」受け入れられるものです。客体的論理(Te)、つまり客観的な事実や仕組みについて語るときでさえ、よく法制度や社会の仕組みを批判する形をとります。これは、事実そのものを受け入れるというよりも、自分の枠組みに沿って現実を解釈し直そうとする働きの一部といえます。とはいえ、自分の論理が通用しないような事態に直面すると、本人もそれを修正しようとすることがあります。たとえば、自分の考えが通らなくなったと感じたときには、将来に向けてより説得力のある論理を組み立てるために、必要な事実を自ら探し始めるのです。これは、自分の思考の核となる機能が外部から攻撃されたと感じたときの防衛反応であり、時間が経つと次第に心が落ち着いていきます。
また、議論などで「相手から激しく反論されるだろう」とあらかじめ予想している場合には、事前に自分の主張を守るために都合の良い事実を集めておくこともあります。こうした行動の背景には、「自分の理解が現実と何らかの形でつながっている」という感覚を持ちたいという欲求があります。相手がその解釈を受け入れるかどうかは、本人にとってはあまり重要ではありません。自分の中で納得がいけば、それで十分なのです。そのため、議論の相手にとっては非常にやりにくく、苛立ちを覚えることもあるでしょう。なぜなら、LSIは他人の意見を取り入れることにはあまり関心がなく、自分の第1機能(Ti)を守ることだけに集中しているからです。
第-2機能「不必要」主体的感覚(Si)
LSIは、病気になったときには治療を受けますが、それ以外のときにはあまり健康を気にかけません。もちろん、あまりにも体に悪い習慣が身についてしまうのは避けたいと考えていますが、実際に健康を害していないのであれば、無理にやめる必要はないと思っています。病気を恐れることもなく、むしろ病気であること自体を日常のひとつの出来事として受け止めます。また、自分の味覚や生理的な好みについて詳しく話すことはあまり好きではありません。何かが快適か不快か、美味しいか美味しくないかといったことは、それほど大きな問題ではないと感じています。食べ物であれば、食べられれば十分ですし、椅子であれば座ることができればそれでよく、それ以上の違いは人生の些細なことだと考えます。食事に関しても、清潔で普通に美味しければ十分であり、特別なこだわりはありません。いろいろな料理を試してみたいという気持ちはあまりなく、好きな料理があればそればかり食べることも珍しくありません。エキゾチックなものを食べることもありますが、そのためにわざわざ努力したいとは思わないでしょう。また、官能的な体験について、快楽や感覚の細かな差異を比較して盛り上がるような話にもあまり興味を持ちません。そうした違いが自分にとって特別な価値をもたらすとは思わないからです。「こちらの料理のほうが少し美味しいが、あちらの料理の方が健康に良いかもしれない」といった話題にもあまり関心を持たないでしょう。
生理的な快楽や感覚的な楽しみ、病気の話などについて、会話の流れで少し話すこと自体はあっても、日常的に語るものではないと考えています。例えば、誰かが病気になったときに少し話題にするのは構いませんし、どこかで良い経験をしたなら、それは素晴らしいことだと思います。しかし、そうしたことを頻繁に話題にするのは品がないと感じます。また、自分が身体的に不快な状況に置かれていても、それをあまり意識しないことがあります。もし長い間、外界の物理的活動や刺激(客体的感覚Se)を使って役立つことができないと感じると、代わりに自分自身の感覚(主体的感覚Si)で物事に取り組もうとします。例えば、周囲の快楽主義的な傾向を批判し、人々が有害な習慣をやめる方法を考えたり、運動習慣を身につける方法を教えたりすることがあります。また、そうした人々の弱点を利用してより多くのお金を稼ぐ方法を考え出すこともあるでしょう。このようにして、客観的な現実と主観的な現実を結びつけることができます。さらに、こうした話題について語るとき、過度に食べる人をあまり好まず、冗談混じりにからかうこともあります。
第-3機能「問題解決」客体的直観(Ne)
不安や違和感を覚えるときには、外の環境を整えることが内面の落ち着きにつながることがあります。例えば、好きな音楽を流したり、部屋を片づけたり、溜まっていた用事を片付けることで、気持ちが少し楽になる場合があります。また、人とのつながりも助けになります。誰かと連絡を取り合ったり、新しい友人をつくったり、職場の人たちと親しくなったりすることが、気分の安定につながることがあります。友人と会って雑談するだけでも、気が紛れることがあります。さらに、周囲の状況の中に新しいチャンスや可能性を見出し、それを実際に活かそうとする行動も、役に立つことがあります。こうした行動は、「やってみよう」と思い切ることで、はじめて実行に移されることが多いです。ただし、残念ながらこれらのことは、本人の心が大きく乱れているときにしか実行されない傾向があります。ふだんは、そのようなことにはまったく関心を示さない場合もあります。とはいえ、これらの対応策は常に身近に用意されており、必要になればすぐに取り出せる状態にはあります。
心が沈んで無気力になっているときには、友人に連絡して会う約束をし、飲んだり騒いだりして気を晴らそうとすることがあります。スポーツをしたり、趣味のクラブに参加して気分転換を図ることもあります。また、心が安定していたときには受け入れられなかった提案に対して、気分が落ち込んでいるときに限って、思いきって応じるようなことも見られます。本人にとっては、計画通りに物事が進んでいると感じられるときの方が、精神的に安定しやすい傾向があります。個人的な目標や計画を「果たすべき義務」として捉え、それを遂行することで自己評価を保とうとするのです。こうした計画は、自己評価を守るための拠り所として機能しており、それによって行動には一貫性と原則が生まれます。内面的な混乱も、ある程度抑えられます。しかし、もし外の状況によって内面の安定が壊されてしまった場合には、遅かれ早かれ、その外的状況を立て直そうとする努力が始まります。ただし、それは本人にとって非常に重く、痛みを伴う課題であることも少なくありません。
第-4機能「したくない」主体的倫理(Fi)
LSIは、自分の気持ちや人への好意・嫌悪といった感情を、率直に表現することが苦手です。誰かや何かに対して「これは嫌いだ」とはっきり言うのはとても難しく、不安や恐れを感じます。代わりに、あいまいで妥協的な意見を述べることが多く、どうしても言わざるを得ないとき、つまり感情が限界に達したときや、逃げ場がないときにだけ、本音を言うことがあります。普段は、冗談やほのめかしを使って間接的に気持ちを伝えようとする傾向があります。こうした特徴は、恋愛や親しい関係の場面でも表れます。誰かに好意を伝えるのは大きな心理的ハードルとなり、不安や恐怖さえ感じられます。仮に気持ちを伝えられたとしても、その経験自体が非常に繊細で傷つきやすく、特に相手とうまく気持ちが通じなかった場合には、大きな痛みを残します。彼らは、他者と深く言葉を交わすよりも、「お互いに察し合うこと」を大切にします。誰が何を求めているか、あるいは何を嫌がっているかを、言葉にせずとも周囲が自然に理解してくれることを期待しています。
「これがしたい」「これが欲しい」といった欲求を直接表現するのは苦手で、「まあ、いいかな」「別に断らないよ」といった控えめな言い方を選びます。不安が強いと、そうした言葉すら出せず、沈黙してしまうこともあります。また、自分にとって落ち着かない場所や状況から抜け出せずにいるとき、第-4機能が「マイナスの形」で働きはじめることがあります。これは、特に知らない場所や慣れない状況で起こりやすい反応です。すると、自分でも驚くほど急に、内にため込んでいた気持ちが外に表れはじめます。「これは好き」「あれは嫌い」とはっきり言ったり、人の悩みに強く関わろうとしたり、困っている人を助けたいという気持ちが過剰に表に出てきます。共感的で親切に振る舞おうとしながら、無意識のうちに「人から認められたい」「受け入れてほしい」という期待が強くなっていきます。そして、他人からの肯定的な反応、例えば「わかってもらえた」「受け入れられた」と感じられるような反応を得ると、その過剰な振る舞いはおさまり、ふたたび第4機能らしい控えめで遠慮がちな姿勢へと戻っていきます。元のように「場にうまく溶け込みたい」「好かれたい」と願う態度が自然に出てくるのです。
要約
LSIは「合理型」に分類されるタイプです。内面的には一貫した考え方や予測可能な反応を持っているのが特徴です。一方で、外から見える姿はかなり個性的です。服装や仕事のスタイル、作り出すものなどが一般的な型にはまらず、人目を引くような独自性があります。このような一風変わった性質は、第1機能が「起こりにくい出来事」に焦点を合わせていることと関係しています。つまり、ありきたりではない事象に価値を見出すため、一般的なパターンから少しずれた振る舞いをするのです。しかし、これはむしろ創造性や柔軟な発想につながる好ましい傾向だと考えられます。一方で、実際に作り出される成果物は、発生しやすい現実的な事象と結びついているため、感情に流されすぎず、冷静な印象を与えます。この点も、バランスの取れた強みとして評価できます。
LSIは内向型のタイプです。自分自身を「外の世界とは切り離された存在」として認識しています。周囲の一部として自然に溶け込むというよりは、どこか距離を置いた立場から自分や世界を見ています。そのため、自分のことを複雑でわかりにくいと感じることが多く、あまり自分の内面を他人に話したがりません。内面世界への関心が強く、それを探求することに喜びを感じています。一方で、外の世界に対しては「単純で理解しやすいもの」と捉えており、その分、柔軟かつ大胆に関わることができます。状況を冷静に見て動き、必要に応じてリーダーシップをとることも得意です。
LSIの強い欲求は、外の世界に向けた心理機能と関係しています。そのため、自分にとって居心地の良い環境に身を置くことが、心身の健康を保つうえでとても大切になります。逆に、対立や緊張の多い環境にはうまく適応できず、疲弊してしまう傾向があります。これは、落ち着いていて変化を好まない「粘液質的(フレグマティック)」な気質によるものと考えられます。創造的な力には恵まれており、これは第二機能が欲求の中心にあるためです。ただし、第一機能が「補助的な位置」にとどまっているため、自ら積極的に前に出て人生を切り開いていくような姿勢はやや控えめです。また、自己評価はこの強い欲求とは別の心理機能に結びついているため、自己評価が突然下がることもあります。自分でも理由がわからず、戸惑うような形で現れることがあるのです。LSIは、日常的に大量のデータや数値情報の中で生きており、それを処理する力はありますが、効率が常に良いとは限りません。方向性を見誤ったまま努力を続けてしまうこともあります。そのため、行動の質を高めるには、「今、何をすべきか」を外から具体的に示してくれる人や環境が重要です。
タイプの特徴
- 理解力がある(自己信頼の領域)
- 意志が強い(安心できる領域)
- 原則を重んじる(内面で葛藤しやすい領域)
- 妥協しやすい(譲渡や取引に関わる領域)
成功の鍵
- 所属する環境で、周囲の人々から好意的に受け入れられること
- 内面の調和が取れていて、自己矛盾が少ないこと
- 理念や価値観と、行動が一致していること
- 自分の価値観にとって納得のいく、理解しやすい現実世界に身を置くこと
- 自らの力や経済的な成功を周囲が必要としており、それが評価されること
職業
スポーツ選手、コーチ、金融関連職、理念形成に携わる仕事(イデオローグ)、ビジネスパーソン、公安・治安関連の職業、ファッションデザイナー、芸術家、グラフィックデザイナー、インストラクター、アート関連分野全般