カリナウスカスの輪
Grigory Reininは、現在のソシオニクスで一般的なモデルAではなく、カリナウスカスの輪というモデルを使用している。そのため機能の配置がモデルAとは異なっている。
機能 #1 – 主観的論理 (Ti)
私の理解、私の世界観、私の流儀 [1]。
「私の論理は世界で最高の論理です」
LIIに、「自分の信念体系と矛盾するもの」を納得させることは困難です。
さらにいうと、彼らにとって自分の考えを他人に説明することは、彼ら自身にとって、かなり難しいことです。
第1の機能の何かを人が変えることはとても困難です。それを変えるためには、非常に重く深刻な状況が必要になります。彼らは強力な確信によって、何も受け入れません。
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時にLIIは、無視できないような自分の信念体系、世界観と矛盾する客観的な状況に直面します。こういう時はいつも、自分の信念・世界観を再構築するために、いくらかの時間を必要とします。生きるためには、自分の絵を再び完成させる必要があります。
LIIは新しいことをすぐには受け入れません。
人の議論に耳を傾けはしますが、新しいデータを評価し、レビューし、処理をして、受け入れるか拒否するか判断する時間を必要としています。そのため、その場ですぐ同意することはありません。
第1の機能は保守的であり、ベースとして機能するものです。ベースは堅固で強力である必要があります。
私たち個人の意識には限りがあるため、何かに基づいている必要があります。人は、自分の存在を疑う余地もなく知る必要があります。自分の思考が世界の明確な記述に基づかない限り、何かを考えることができないのです。
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しかし、人と人との関係に関わる機能は、LIIの場合、第4の機能の領域にあります。LIIは人付き合いが苦手です。
LIIの持っている「人間に対する考え方」は原始的です。「人は良い人と悪い人に分けられる」という、グレーゾーンのない白と黒の考え方です。
他のタイプの人の中には、人を善と悪に分けるという傾向が全くないタイプもいます。「人間はもっと複雑だと思う」といった風にです。「それが人と言うものだ」とLII以外なら誰でもそう言うかもしれません。
機能 #-1 – 客観的論理 (Te)
これは無視の領域です。
「世界は私が見た通りのものです。もし私の見方と違うという証拠があるなら、世界にとって残念な事だと思いますが、とにかく私には関係ない事です。私は、世界は私が見たとおりのものであるべきだと考えています」
このような人たちは、しばしば想像の世界に生きています。しかし社会は、そんなLIIにはお構いなしに、その社会独自の法律や尺度、基準に従って人や人の行動を評価します。
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社会は特定の基準に従って人を評価しますが、どんな社会にも必ずギャップがあります。社会の基準を満たさない場合、孤立することもありますが、その一方で基準を満たさなくても、社会の役に立っていると評価されれば社会から報酬を得ることもあり得ます。
ちなみにこのギャップの狭間で、様々なスピリチュアルな教えが花開いていますが、これは今回の話とは別の話です。
機能 #2 – 客観的直観 (Ne)
これは創造性の領域です。外部環境との整合性の感覚に関わります。
「私たちは太陽の街を建設し、そこに美しく、幸せに満ちた人々を住まわせます。世界は完全ではないため、世界の調和のために働く必要があります」
「世界は調和していなければならず、全ての人は幸せでなければならない」とLIIは言います。そして、太陽の街の建設を妨害する全ての人を断頭台送りにしようとします。
そうすれば、良い人だけが残り、全ての人が幸せになれると信じているからです。悪い人、抑圧、暴力、不当のない社会を築くために、LIIはギロチンを求めます。これがLIIの創造の形です。
こうした「太陽の街」の理想は、トーマス・ムーアやトマソ・カンパネッラ、アンリ・ド・サン=シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オーウェンといったLIIの空想的社会主義に非常に典型的なものです。普遍的な調和のアイデアは、さまざまな哲学者に見られます。
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しかし、もしも現実の世界が調和したら、LIIには何もすることが無くなってしまうことでしょう。
何らかの理由で、この調和に適合しない人(例えば貴族)がいる場合、LIIは「そうした人を断頭台送りにしてでも世界を改善しなければならない」と感じています。
フランスのマクシミリアン・ロベスピエールやロシアのフェリックス・ジェルジンスキーを思い出すだけで、このことはよくわかると思います。彼らは、自分が正しく、腐敗しておらず、妥協もしない人間であることを心から確信していました。
LIIの創造的な才能は、しばしば社会の改革に向けられます。
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LIIが人を率いる場合、決して世界を網羅することのできないグローバルな仕組み作りに夢中になっていることに、ある時点で気が付くかもしれません。そしてうまく回っていたはずの歯車が軋んでいき、途轍もないピンチに陥ってしまうのです。
最終的には病気や神経症にかかって、諦めざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。
LIIは、後になってから上手く機能しないことが明らかになるような構造・システムを作り出すのに、多大な時間を浪費することがよくあります。
調和を求めて、作曲によって自己実現を果たそうとするLIIも、しばしば見受けられます。音楽家の中には、セルゲイ・ラフマニノフ、リムスキー・コルサコフといったように、多くのLIIがいます。また、ワシリー・スホムリンスキーやコンスタンチン・ウシンスキー、アントン・マカレンコのように優れた教師になるかもしれません。
LIIが作るシステムには、ちゃんと機能するものもあれば、しないものもあります。しかし実際にLIIのシステムを導入してみると、人間のために作られたはずのシステムなのに、現実の人間を考慮していないこと(あるいは抽象的で実態に即していない「人間」しか考慮していないこと)がすぐに明らかになります。自分のシステムが想定している人間像と、リアルな人間の乖離は、LIIに大きな衝撃を与えます。
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悪い人間などいません。ただ人は違うというだけの話です。何か間違ったことをしているように見えるだけなのです。住む場所も、持っている価値観も違うのですから、違いがあるのは当然です。
私たちは自分と異なるタイプの精神構造がどのように異なるかを理解していません。そして、他人の価値観を理解することは不可能です。なぜなら別のタイプの精神に入り込むという行為は、おそらく最も難しく、ほとんどする機会もないような心理的体験のひとつだからです。
機能 #-2 – 主観的直観 (Ni)
LIIのスタンダード(標準、規範)の領域は、いくつかの状態とムードで構成されています。
「私の状態は常に外部の状況に対して適切です。私の内部の状況 [2] は標準的なものです」
世界の調和を作ろうとしている時に、自分の内面にかまける暇などあるでしょうか。LIIは通常、自分の標準となる状態を一つ選び、ほとんどの時間をそこで過ごします。
またこの領域には、このタイプの人々に極めて首尾一貫性の高い内的状況をもたらす倫理的な規範と原則も含まれます。
機能 #3 – 主観的感覚 (Si)
これは問題の領域です。健康、幸福、性生活に関する感覚に関係しています。
もし性格診断の設問で、次のような質問をされたらLIIは苛立ってしまうことでしょう。
「セックスは体に悪いだけではなく、良いこともあると思いますか?」
彼らは感覚の分野で200%の安全性を求めています。ありとあらゆる種類の健康法を探し出し、それに従います。
このタイプの人々のモットーは「完璧な健康状態であればいい」です。そのため、すぐ必要かどうかに関わらず、健康に関する知識集めには余念がありません。
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性生活の活発化は、自己肯定に繋がるため、第3の機能の保護にもなり得ます。
LIIは、自分の身体に自信がある状態を保つために努力します。また、自分の感じている自信が妥当な物かどうか、テストしなければならないとも考えています。このテストに合格している限り、LIIは自信を持って「私は大丈夫」と思い続けることが出来ます。これはポジティブな防衛です。
しかし、次のようなネガティブな防衛をすることもあります。
「元気ですけど、貴方が思っているよりはずっと調子が良くないです」
機能 #-3 – 客観的感覚 (Se)
問題解決の領域です。健康上の問題が発生すると、LIIは「何とかしなければならない」と考えます。
クロスカントリースキー、空手、氷のように冷たい冷水浴、サウナ、その他の身体運動、食事療法、断食、定期的なスケジュール、トレーニングなどに目を向けます。感覚的な信頼性を高め、「独立した戦闘部隊」になりたいというニーズがあります。
機能 #4 – 客観的倫理 (Fe)
人にとってそこが良い場所か、悪い場所かを評価する原則になる領域であり、暗示的な影響力のある領域でもあります。動機、〇〇したい、私に対する人々の態度。こういったものに関係する領域です。
「この人は友達で、この人は敵です。この人はどうですか?私は愛されたい」
LIIにとっての良い場所とは、人から愛されることができる場所です。LIIは他者の否定的な態度を察すると、その場から去ります。しかし往々にして、なぜそこから去ったのか、自分自身でうまく説明することが出来ません。
「私は愛されたい。ただそれだけなんです」
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みんなから愛してもらうために、自分でチームを作ってリーダーになることをお勧めします。誰もが自分の話に耳を傾け、賛同してくれるような環境を作ればいいのです。
「はい、その通りです!あなたの考えは素晴らしい!あなたの言うことには論理性があります!」
第4の機能の領域における客観的倫理とは、自分の周りに人を集めて、自分に対する他人のポジティブな態度を体験したいというニーズを満たすことを意味します。この動機は無意識的なものです。そのため、いつの間にか自分の周りがLIIをヨイショするだけの太鼓持ちだらけになってしまうかもしれません。
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4番目の機能の影響で、LIIは疑心暗鬼になりやすいです。
「口ではそう言っているけど、本当は自分のことをどう思っているのかわからない。これに関しては他の人の方がよくわかっているかもしれない」
LIIに限らず、自分の4番目の機能の領域に関わるジョークを理解できるタイプは存在しません。LIIの場合、ユーモアを交えられると、より疑心暗鬼に陥り、不適切な反応をしてしまうかもしれません。
機能 #-4 – 主観的倫理 (Fi)
これは恐れの領域です。LIIの場合、自分自身の態度 [3]が、この領域に関係しています。
何かについて話すべきか、話さないべきか。何を言うべきか、言わないべきか。愛の告白をすべきか、やめておくべきか。つまり自分の態度を表明することに、LIIは恐れを感じます。
「あなたの意見は何ですか?あなたはどう思いますか?」
この質問は、LIIに恐れを感じさせるものです。
自分の態度をはっきり話さなければならない必要性に直面した時、大きな悲劇が起こるかもしれません。
一般的に、LIIのコミュニケーションの方法は、どこか余所余所しく、抑制されているような傾向があります。出来るだけ仄めかしや冗談を使って、暗黙の裡に意見を表明しようとします。
「他の人も自分と同じように考えているに違いない」と思い込んでしまう癖があるため、人から理解してもらえないことがよくあります。
有名人
- マクシミリアン・ロベスピエール
- カール・グスタフ・ユング
- ミケランジェロ・ブオナローティ
- ダンテ・アリギエーリ
- ルネ・デカルト
- フリードリヒ・ヘーゲル
- イマヌエル・カント
- アルトゥール・ショーペンハウアー
- フリードリヒ・ニーチェ
- ポール・ゴーギャン
- クロード・モネ
- フランツ・カフカ
- ビクター・グレンコ(ソシオニクス研究者)(本サイト訳者追記)
- http://wikisocion.net/en/index.php/Type_Descriptions_by_Grigory_Reinin#LII_(Robespierre)
- http://isra-trainings.com/reinin/socionics/rob.html
訳注
^ Grigory Reininの定義だけで考える場合、LIIと最も紛らわしいタイプはLSIである。
この2つのタイプは、自分が一度正しいと思った物事の見方を絶対視しやすいという意味で柔軟性に欠けており、対人関係での暗示の受けやすさ、特に感謝や敬意への過剰な敏感さと狂わされやすさ・疑心暗鬼になりやすさという意味でも共通点が多い。
LSIは犯罪組織に親和性が高いと言われているようなタイプだが、LIIはLIIで「人を断頭台送りにする」ようなタイプだと言われている点から、攻撃的な面も共通している。
少なくともGrigory Reininの記述だけに限れば、両者に「これが決定的な差だ」という点を見つけ出すのが難しいほどである。
LIIとLSIの違いは、自分の社会的な理想を社会に適用しようとするのがLII、既に存在している「社会の正しさ」を信奉するのがLSIと言えるかもしれない。ただしLSIにとっての信奉する社会は、一般的な社会のルールからは外れている可能性があるため、「LSIは法律やルールを守ろうとする意識の強いタイプだ」と考えるのは間違いである。
- ^ Grigory Reininの定義では、Niは「内的状況の整合性」、言い換えるとどれくらい精神的にバランスが取れていて、心の平穏が保たれているかを意味する情報要素である。
- ^ ここでの「態度」とは、「人や物事のことが好きか、嫌いか、という意味での自分の気持ち」を意味する。