双対関係であるIEEの説明にもSLIに関する説明があります。
意識的な機能
第1機能(先導):Si
このタイプの人々は、不快な感覚から身を守りたいという願望が強いという特徴があります。
居心地の良い隠れ家、快適な社会、束縛のない気楽な関係の「温かい仲間」に引きこもったり、かつて経験して、長い間忘れることが出来ない楽しい体験を、色鮮やかに再現した記憶の中に引きこもっていたいと願っています(「生まれて初めて出かけたサッカー場の刈りたての草の香りを、今でも覚えています」)。
SLIには心地の良い感覚を記憶する能力が備わっています。色や香り、味などの感覚を再現したり、見たり聞いたり経験したことを容易に説明できます。アンドレイ・タルコフスキー(SLI)の映画には、ある種の意味を表現する「感覚的象徴主義」として音の想起が用いられています。
彼らは、他者が体験した感覚を観察することにも長けています。特に他者が感じている不快な感覚にはよく気が付きます(タルコフスキーの映画では、登場人物が経験する不快な感覚の一部がスローモーションやクローズアップで撮影されるという技法が用いられています。これによって特定の感覚に特別な意味を持たせると共に、観客が自然とディテールにまで注意を払えるよう誘導しているのです)。
◆◆◆
SLIは、多くの人が気付かない、あるいは認めないような隠れた欲求や感覚に、完全な形で気付くことが出来る唯一のタイプです。
さらに、よく知らない相手に対して、自分が気付いた情報を伝えることもできます。例えば相手の目を見て「この人は空腹なんだろう」と察して、食事に誘うことができます。
身体的なニーズを完璧に把握できるのです(また、察したニーズを無視することもできません)。痛みに苦しむ人を目にすると、動揺してしまうほどです。
彼らは自分が感じる肉体的、精神的な快適さの感覚を大切にしており、自分の内面的な調和を乱す刺激物を避けようとします。また、美しさに欠ける外見、刺激の強い音や臭い、陰気な照明、雑然とした室内、みすぼらしい壁、不快なイントネーションの声などにも悩まされやすいほうです。
肉体的、精神的な不快感の兆候は、SLIの気分に(時には体調にも)影響を及ぼし、「周囲の環境を一刻も早く変えたい」という欲求に火をつけます。SLIはいつも周囲の不快な刺激から身を守ろうとしています。例えば家にいる時は電話の電源を切って、快適な一人の時間を妨げるものが何もないようにしているSLIもいるほどです。
SLIは、自分の感覚システムに従って、感覚の全体的な調和を認識しようとします。外観が美しく、手触り、色、味、香りが心地よいオブジェクトを好みます。このタイプの人々は、自分を取り巻く現実に対して、知覚された感覚の調和を求めています。
動作の仕方が穏やかで慎重、かつ柔軟性があるという特徴があります [1]。外見的な柔らかさやリラックスした様子、内面的な抑制の組み合わせが見られます。
シンプルで着心地よく、センスの良い服装を好みます。実用的でスポーティな服装も好みです。衣服の目的に関係なく、どんなフォーマルな服であってもエレガントに、心地良く着こなせます。好みがかなり保守的なため、流行のファッションを追いかけることはほとんどありません。
仕事着でどこかに出かけることを恥ずかしく思ったり、気まずく感じたりはしませんが、どんな種類の服装であれ、だらしのない格好はしません。
自分の内面的な印象に注意を払い、耳を傾けて分析する術を心得ています。自然な美しさと鋭敏な感覚を高く評価します。SLIは感覚的な領域での不完全さを嫌います。これは欠如、不足という意味だけでなく、過剰についても当てはまります。感覚的な領域の不完全さは、SLIを苛立たせ、時には嫌悪感を引き起こします。
◆◆◆
心地よい感覚を長く記憶し続ける能力に秀でています。SLIにとって、心地の良い感覚を追求することは人生の規範そのものです。
「心地よさを求めない人間などいるだろうか。人は苦しみながら生きなければならないというのだろうか。もし私に10回分の人生があったら、そのうちの1回は母の望むように、そして1回は妻の望むように生きていただろうと思う。でも人生は1度きりしかないのだから、私は自分の好きなように自分の人生を生きようと思う」
「この世の全ての喜びには対価が必要だ」という考えは持っていません(多くのSLIは、こういった考え方には真っ向から反対します)。SLIにとって、心地よさに同調する力は、人それぞれの主観的な力であり、人それぞれの長所でもあります。そのため、心地よさを感じるためには、対価を支払う必要があるという考えはナンセンスだと感じます。
どんな状況でも、SLIは個人の幸福、快適さ、平穏さを損なうことはありません(また、そうならないようにします)。もしすでに自分にとって不利な状況に陥っている場合は、自分にとって最小限の損失でそこから抜け出そうとします。
その結果として、自分勝手な自分大好き人間に見えるかもしれませんが、他の人々のこうした考えが、SLIの生活を著しく複雑化させています。ただSLIは生きていく上での当然のの権利を主張したいだけなのです。実際のところ、このタイプの人々は、他の人に迷惑をかけていないかを気にしていますし、自分の生き方が誰かを苦しめていないか本当に心配しています。こういったことを踏まえると、SLIが利己的であるという考えが間違っていることは理解できるはずです。
◆◆◆
健康的な力強さを好むため、このタイプの人々の生活習慣は健康的であることが多いです。登山、観光、スキューバダイビングなどといった鮮烈で力強い感覚が満たされるようなスポーツを好みます。
SLIにとってのスポーツとは、人の限界を試すためのものというだけではなく、人生の充実感を得られるものであり、明るく満ち足りた雰囲気をもたらすものでもあります(SLIは「勇気ある探検家・開拓者」を好み、こういったイメージに強く惹き付けられる傾向があるため、SLIに好きな作家を聞くと、まずジャック・ロンドン [2]の名をあげることがしばしばあります)。
食生活でも健康に気を配ります。ベジタリアンやローフード [3] に熱心な人も多いです。たとえ料理の勉強をしていなかったとしても、SLIは例外なく優れた料理人です。自然な味わいと自然な美しさが彼らの評価基準です。塩分過多な食事や、山盛りの香辛料とは無縁です。
予防医療、ダイエット、運動にも真剣に取り組みます。中には心身のバランスを整え、自分の感覚能力をフルに活かす術を知るために、ヨガや瞑想に励むSLIもいます。
散歩を好む人が多いです。SLIの歩き方には、動作の一貫性と、適度に調整された自動性が見られます。一度決めたペースを崩さずに歩き続けることができます。
歩くのが遅い人に合わせるのは好きではないため、一人歩きを好みます。彼らにとって「歩くこと」は「思考を集中させるための方法」でもあります。目的地に着くこと以上に、「歩く」というプロセスそのものが重要であることもあります。
◆◆◆
色、線、形の調和に対する洗練された感覚を備えています。色の組み合わせを鋭敏に感じ取り、色使いがゴチャゴチャしていないか、線の強弱や明るさはどうか、フォルムはすっきりしているか、こういったこと全てをSLIは敏感に感じ取ることができます。
仰々しいモニュメンタリズムは好きではありません。過剰な装飾をそぎ落としたシンプルなものが好みです。このタイプの人々は狭い部屋でも有効に空間を活用する達人です。
上手に「雑然さのない広々とした空間」を作り出すことができます(SLIの美学は、日本の美の伝統に最もよく表現されています [4]。ここではシンプルで自然な形の調和と機能性の組み合わせがはっきりと見て取れます)。
断捨離好きで、いかに少ない物で日常生活を送るかを知っています。最小限のリソースで快適さを生み出すことができます。どんな状況や環境でも、快適で心地よい感覚を生み出すことができます。
第2機能(創造):Te
いかなる不測の出来事が起きても、慎重に思慮深く適切に行動する能力を持っています。どんな問題でも、どんな技術的課題でも理路整然と解決できます。また、どんな仕事からでも最大の利益を生み出し、どんなアイデアであっても最大の効率で実現に導くことができます。
多くのSLIは、新しい手法や新しい技術の開発を自分の使命・天職だと考えます。あらゆる科学的発見に、実用化の観点から関心を向けます。
このタイプの人々は、あらゆる仕事に合理的なアプローチを適用します。この場合の合理性は、まず効率を上げ、より働きやすい労働条件を整えることを目的にしています。
全ての仕事を細部まで徹底的に確認しながら、整然としたペースで着実に消化していきます。
SLIの仕事場はきちんと整えられており、必要なものは全て準備万端な状態で揃えています(時には道具が等間隔で整然と並べられている場合もあります)。SLIにとって仕事のプロセスは仕事そのものと同じくらい神聖なものなのです。
何をするにしても、焦らず、徹底的に進めます。仕事のプロセスそのものから最大の喜びを得ることができます。
目に見える形で結果が出るのであれば、どんな仕事であっても積極的に取り組めます。非常に複雑でややこしい仕事であっても同様です。そんな場合でも、真摯に、そして整然と仕事を進めることができます。破損状態が酷すぎて他の人だったら修理を諦めるようなものであっても、巧みに修理してしまうことも多々あります(そのため、SLIが「これはさすがに修理できない」と言った物であれば、心置きなく捨てても問題ありません)。
◆◆◆
複雑で、どこから手を付けていいのか分からないような問題であっても、タスクを段階ごとに分けて、実行可能な形に整理できます(「もしあなたの問題が、まるで巨大な山のように目の前でそびえ立っている場合、それを解決する唯一の方法は、土を一握りずつ退けることだと考えてください。毎日、少なくとも一握りずつ。そうすれば問題は解決します」)。
SLIにとって問題を解決するプロセスは、仕事のプロセスと同じです。だからこそ体系的に一貫性と目的意識をもって、進んで問題を解決しようとするのです。ゆっくりとであっても、着実に物事が前進していると実感できると、SLIは喜びを感じます。
自分から進んで義務を果たします(また、そうするのが好きです)。ビジネス面、技術面での問題、あるいは家庭内での問題を解決するために具体的な支援をすることは、友情を証明し、人々から好意を得るための最良の方法だと彼らは考えています。
道徳的に問題があると感じることは絶対にしません。仕事には対価を求めますが、「贈り物」として報酬をもらわずに仕事することはあります。仕事に意欲がある時は、空き時間であっても積極的に仕事します。
◆◆◆
ビジネスにおいては、自分の意見を仕事の成果によって証明することを好みます。自分の仕事が評価されることがSLIの喜びです。どんなことであっても高いプロ意識を持つよう心がけています。自分の仕事の評価も、他人の仕事の評価も、どちらも非常に重視しており、自分にも他人にも厳しい人です。生半可なことではSLIから賞賛を得ることはできません。
成果物の美しさだけでなく、全体のコンセプトのオリジナリティも重視します(時に、オリジナリティは美しさ以上に高く評価されます。そのためオリジナリティが欠けている場合、美的な面での欠陥がなくてもSLIは賞賛しない可能性があります。また、自分の考えるテーマと一致しない成果物は拒否します)。
人に指示を出したり指導したりするのを好みます。どんな事でも明確に、要点を抑えて説明できます。このタイプの人々は、人に何かを教えるのが大好きです。相談されたりアドバイスを求められるのが好きなのです。どんなに簡単なことでさえ、人に教えることが義務だと考えている節があります(例えば客にお茶を出す場合、すぐにお茶の淹れ方を客に説明し始めます)。
SLIは、自分がやっている仕事の一連の流れを、人にわかりやすく説明しようという意識が強いタイプです。このタイプの人々は、「観客」の目の前で仕事するのを好みます。
そして、例えば電化製品の修理をした場合、なぜ壊れたのか、どうすれば正しく操作できるかを、すぐに説明してくれます(SLIの双対であるIEEは、こういったSLIの特徴を非常に高く評価します。IEEは説明書をきちんと読まないため、なんでもすぐ壊してしまいがちです。そのため、自分が壊したものを修理してくれる人には深く感謝します)。
第3機能(役割):Ni
SLIは、彼らに喜びを与えてくれる物事や、魅了されている物事、興味のある物事に時間を費やします。ただ、比較的すぐに満足してしまうため、ふいに「何もしたいことがない」時間が生じがちです。その時間の空白を、好きな仕事や友人との交流、そして「自分探し」で自発的に埋めています。
しかし時々もっとアクティブに、もっと激しく生きてみたいと思うことがあります。
このタイプの人々は、柔軟で機動的なスケジュールを好みます。あまり先のことを考えず、計画を立てないようにします。約束の場所に到着して、15分もしたら飽き飽きしてしまい、「環境を変えたい」という衝動に駆られることがあります。そして、いよいよその不快感を我慢できなくなってくると、突然「急用を思い出して」去ってしまいます。もっと楽しくて面白い時間の過ごし方ができそうな場所に向かうのです。
◆◆◆
時間厳守を心がけていますが、なかなか守ることができません。それでも彼らは計画されたタスクをすべて完了させたり、作業の生産性をもっと高めたり、より充実した活動をするために、自分の時間を生産的に使おうと心がけています。
時にはかなり無理のある一日の計画を立てて、その通りに行動することもあります。しかし、それをやってみたSLIが気付くことは「時計を見ながら仕事しても全く楽しくない」ということです。また、いつもSLIをスケジュールから逸脱させるような抗いがたい誘惑が発生します。
例えば「ちょっとだけ」と思って近くの人に話しかけた時に、とても楽しい集まりに誘われてしまったら、彼らはもう誘惑に抵抗できなくなってしまいます。「ちょっとだけ」のつもりが数時間過ぎ去っていることもしばしばです(時には数時間どころか次の日の朝になっていることすらあります)。
SLIにとって、時間通りに物事を完成させるのは難しいことです。無理な約束の結果、不愉快な思いをする羽目になることもあります(SLIにとって、人に迷惑をかけたり問題を起こすこと自体が不快なことです)。そのためSLIはあまり人と約束しないようにしたがります(ただし一度約束したことは、無理矢理約束させられたものを除いて、たいていきちんと守られます)。
だからこそ、SLIが安心して付き合える人は「いつどこで誰と過ごしたか、いちいち報告を求めない人」「将来の保証を求めない人」「計画変更に寛容な人」「スケジュールは何が何でも守れと強要しない人」「約束をきちんと守れと要求しない人」なのです。
◆◆◆
そんなSLIにぴったりのパートナーは、双対であるIEEです。IEEはSLIよりもさらに時間にルーズで、しかも約束の時間にわざと遅れたり、まったく顔を見せなかったりといったトリックを使ってSLIの忍耐力を試す傾向があります。この戦術によって、IEEはSLIに約束の時間を気にかけさせ、時間という要素を一種の戦術装置、あるいは倫理的なゲームのツールとして活用します。SLIはIEEが一種のゲームをしていることを、きちんと認識します。そのためSLIも、この巻き込まれたゲームを楽しむことができます。ここでは、すべての要求が本気でないかのように行われます(まるで半恋愛といった様相を呈します)。
自分の洞察力を発揮できるチャンスを見逃しません。一度きりの短い接触で、相手の性格や行動、弱点やコンプレックスについて、非常に興味深い説明をすることがあります。
自分の直観を鍛えようとします。顔見知りになった初期の段階で、自分と相手の関係が今後どうなっていくか予測しようとします。
通常、どちらかというとSLIのほうが相手に自分のペースを押し付ける関係になりやすいです。相手との関係を素晴らしいものに感じて、最初から急激に心理的な距離を縮めようとする傾向があります。知り合って数分で肉体的な親密さを示したり、「プロポーズ」することさえあります。しかし、人間関係を継続するという意味では、こうトントン拍子にはいかないかもしれません。SLI自身、普段からそのことはよく理解しています。
何の問題もない安定した成功者のように振る舞おうとします。通常、自分の悩みを人に知らせようとはしません。
◆◆◆
自分の将来の計画を話す傾向があります。自分の未来についてはかなり楽観的ですが、他人の計画にはかなり懐疑的です。あまりに大胆な事業であったり、自分の考えとは違う計画であれば、思いとどまらせようとする傾向があります。さらに、説得力のある十分な証拠が手元にない場合は、相手に納得させ、自分の主張を通すために嘘もつきます。
これはSLIが直観的な志向を持っていることから生じる傾向です。自分の能力を過大評価する傾向のあるIEEの特徴にも関係しています。SLIの懐疑主義は、自分の双対IEEから過剰な傲慢と幻想を取り除くためにプログラムされています。自信に満ちたそれらしい態度を見せることで、相手から見た自分の権威性を高め、あらゆる面で相手の関心を引きつけ、できるだけ早く相手に敗けを認めさせようとします。
洞察力に秀でたIEEが、SLIの戦術的なトリックに引っかかることはありません。なぜならIEEはSLIの「過大な自信」の背後にあるものを完全に見抜いているからです。それでもこういったトリックは、直観的で倫理的なゲームの不可欠な要素であるため、IEEは喜んでSLIと「一緒に遊ぼう」とします。SLIとIEEの双対関係は、このようにして形成されます。
第4機能(脆弱):Fe
SLIは、その感覚的なプログラム [5] を非常にユニークな方法で感情の倫理(Fe)に関連づけます。つまり、感情や気分の乱れが、感覚の調和を乱してしまうのです。
SLIにとって、表現されすぎた(あるいは不十分な)感情を背景にした官能的な快楽は、もはや快楽ではなくなってしまいます。彼らにとって、生まれつつある関係性の感情的な色付けが、感覚的な知覚プロセスを妨げてはならないということは、とても重要なことです。
したがって、相手の感情的な雰囲気、さらに言えば、相手が表現する感情の質は、SLIにとって極めて重要です。
多くの場合、SLIはパートナーの感情の「調整役」を引き受けます。例えば、自分のパートナーに感情表現が足りないと思えば、「リラックスして、恥ずかしがらずに自分の気持ちを表現しなさい」と説得します。しかし感情表現が「解放された」相手が、よりストレートに感情を表現するようになると、相手の感情の高ぶりがあまりにも負担になってしまい、今度は相手の感情をいくらか「冷ましたい」欲求に駆られることになります。
◆◆◆
SLIは、パートナーの感情に火をつけたり、冷却したりするという彼らなりの「調整法」を持っています。この調整は、心理的距離を変えることを通して実行されます。例えば、まるで相手との関係性が終わってしまったかのように振舞った後、何事もなかったかのように関係を再開するというような形です。
こうやって人の感情を「調整」することが、時に相手の気持ちを苦しめることになるとは微塵も考えていません。しかしこの「調整」が原因で、SLIはたびたび不愉快な関係や醜聞、癇癪の嵐を引き寄せてしまいます。彼らの調整は、まるで水道の蛇口を開け閉めするように相手の気持ちを調整しているようなものです。それが最終的には心の平安の欠如や深刻な倫理的トラブルをもたらすことに繋がります。
SLIは強い感情的な影響を避けようとしています。さらに、感情的な影響を受ける可能性をなくすために、感情を表に出さないようにしています。このタイプの人々は、どれだけ関係性が深まっても自分自身に「常に平静を保っている人。感情的な交流が難しく、何を感じているのかわかりにくい人」という印象を作り出そうとします。
自分の行動を批判されると、まるで耐え難い拷問を受けているような気分になりますが、決してそれを表には出しません。SLIを叱責して、懲らしめ、「何とかしろ」と強要しようとしても、失敗に終わるだけです。SLIは平然と(時には笑顔で)聞き流し、何事もなかったかのように、今までと同じ調子を続けます。しかし、これはSLIが批判された痛みを全く感じていないわけではありませんし、気付いてもいないわけでもありません。
SLIが無神経で不可解に見えるのは、それがあらゆる感情的な圧力に対する彼らなりの防衛反応だからです。感情的な圧力の影響を受ければ受けるほど、感情表現が少なくなります。
もし批判されたSLIがどう反応しようと、どれだけ批判されたことを彼らが痛感しているか確認するために、少なくとも表向きの平常状態からSLIを連れ出そうとしてはいけません。
これはSLIが自分の深く弱い部分をさらけ出す気が全くない状態だからです。元来、善良で穏やかなSLIは、人に不快感を与えたことに苦しんでいます。
しかしSLIの感情にどの程度影響を与えたか他人が探ることは、最もプライベートな自己に、最も卑劣な意図をもって侵入することとSLIにとっては同義であるため、ありえないような邪悪な行為としてSLIは非常に深く動揺してしまいます。(人が私の魂の中に入ってくるのも、そこに唾を吐きかけられるのも、私には耐えられない」(ヴィソツキー)。
◆◆◆
SLIにとって官能体験の領域は聖域であり、それは最大かつ最も底知れぬ謎でもあります。彼らはそこに誰も近づけることはありません。SLIは、自分の本当の心の状態を誰にも知られることなく、むしろ無感動な彫像として誰かの目を覗き込みたいのです。
自分の本当の気持ちを守るために、表向きは落ち着いていて、リラックスしており、さも状況をコントロールできているかのように微笑む努力をします。ヒステリーやスキャンダルといった強い感情的圧力によってSLIの「鎧」を破壊しようとする試みは、SLIからすると、まさに悪魔の所業そのものに感じられます(そして「悪魔のような所業」を受けているという認識に応じた反応をします。つまり、ひどい感情の爆発をみせるのですが、それは他でもないSLI自身を消耗させ、後悔させることになります)。
◆◆◆
自分の感情や心の平安を全力で守ろうとしている人間が、どうやって他人の感情表現を制御しているのか、どうして他人の感情の強さを調整したり、そのために相手を苦しめたり、相手の苦しみをわざとらしく平然と眺め続けることができるのか疑問に思うかもしれません。
SLIとソシオニクス的に見て相性の悪い人が偶然SLIの周りにいた時に、このような事態が発生します。SLIは無意識のうちにソウルメイトであるIEEの柔軟な感情表現を志向しているため、自分の感情の閾値にパートナーを合わせることが問題になるとは全く考えていません。
つまり、自分の交際相手の実際のタイプに関わりなく、SLIは相手に対して「自分の双対であるIEEであれば可能なこと」が「できる」と想定してしまい、自分(SLI)がする「水道の蛇口を開け閉めするような」感情調整に、相手は簡単に順応するだろうと想定してしまいます。
うまくいかない現実に直面するうちに、SLIは次第に自分の間違いに気づき始め、間違いを痛感することになります。その結果、SLIは次第に不快な仲間よりも快適な孤独を好むようになっていきます。
SLI(およびSLIの双対IEE)にとって「孤独」というテーマが大きな関心事になるのは、当然の帰結です。現実に失望し、なおかつ双対とパートナーになっていないSLIは、自分の孤独を楽しいものだと捉えて積極的に受け入れ、心地の良いものにしようとします(こうした特徴は双対であるIEEの特徴でもあります)。
無意識的な機能
第5機能(暗示):Ne
SLIがいくら直観力、予知力、先見力を養おうとしても、常にある種の困難が付きまといます。例えば、酷い口喧嘩をして初めて、相手のことを理解することがあります。自分自身の理解については言うまでもありません。このタイプの人々は頻繁に「内省」を楽しみますが、それにも関わらず自分の内面はいつも底知れない謎に満ちています。
SLIは、倫理的な評価を通して、人の能力を評価することがあります(「あの人は善人だから、きっと多くのことを成し遂げるだろう」)。
彼らは「どんな人物であっても、正確かつ簡潔にその人の特徴を言い表す能力」「人間関係の展開を予測する能力」に心から敬意を感じています。また、人間の能力の限界を超えるような科学や科学的手法には、興味と尊敬の念を抱いています。
SLIは、非常に困難な状況を打開する方法を知っている人々の意見を尊重します。不測の事態や危険が迫ったときにどう行動すべきかというアドバイスには、喜んで耳を傾けます。
◆◆◆
あらゆる種類の異常な現象に対して非常に敏感です。時には自分の家で起こっていると感じる異常現象について、極めて深刻な顔で語ることもあります。算数の九九を覚えるように「エナジーバンパイア」から身を守る「ルール」を暗記し、それを真剣に教えることもあります。
超能力を持つ人に憧れ、自分も同じ能力を身につけようとします。
権威ある人相手だと、非常に暗示にかかりやすいです。成功を収めた人、世間に認められた人、賞賛された人には深い尊敬の念を感じます。
自分の成果と他人の成果を比べがちで、自分の成果を正しく評価してもらえない場合、非常に痛烈に反応します。自分で自分の肩書きや功績に言及することもあります。
◆◆◆
彼らは、彼らの創造性を見出し、評価し、才能を発見し、それを実現する手助けをしてくれる人を必要としています。
物事の本質を素早く捉え、それを人に伝えることができる人を心から尊敬しています。このタイプの人々は、何事においても「人の平均化」を嫌います。一人一人に応じた、異なる扱いを受けるべきだと考えています。
自分の才能や能力に対する批判は受け入れがたく感じます。常日頃、彼らは自分のあらゆる才能を伸ばそうとしているため、批判されると内心では反発してしまいます。自己啓発と自己研鑽に熱心です。
基本的に、他の人の成功や功績を持ち出されても、SLIの心には響きません(この唯一の例外がIEEです)。IEEだけが、魅力的でユニークなアイデアでSLIを活性化させ、未知の可能性でSLIを魅了することが出来ます。
第6機能(動員):Fi
SLIは良い人間関係を作りたいと望んでおり、そのためのチャンスをいつも求めています。自分の人脈を広げることに抵抗はありません。友人から頼みごとをされると、快く引き受けるタイプです。SLIは人から相談されるのが大好きです。
彼らは自分のサービスを押し売りしたりはしません。ただ淡々と提供します。彼らはそうやって人を手助けすることこそが、友人を作る最高の方法だと考えています。
◆◆◆
例えば、恋人の家に初めて招待されたSLIがやりがちなことは、壊れた何かの修理です。時には修理に夢中になってしまい、訪問の当初の目的を忘れてしまうこともあります。
そして、そんなSLIは2パターンの道をたどることになります。
ひとつは、パートナーがソシオニクス的に見て相性の悪いタイプだった場合です。
この時、パートナーはSLIの姿勢を不快に感じて、SLIが夢中になっている活動から気をそらそうとして、休んだりリラックスするように言ったり、何か飲み物を勧めたりします。そしてこれはSLIを相手にする場合のやり方としては、かなり悪手だと言わざるを得ません。
SLIは相手のこうした行動を、「自分(SLI)との関係性をもっと発展させたいと相手が強く望んでおり、そのために無理やり強引なイニシアチブをとろうとしている」と捉えてしまうからです。
「望み通りの状況にするために、自分(SLI)に何かを強要しようとしている」とか、「どうやらこの人は、自分(SLI)が思わず引いてしまうくらい、自分(SLI)に興味があるらしい」「自分(SLI)との距離を縮めるために、なりふり構わない行動をしている」と感じてしまうのです。
この場合、SLIはすぐに心理的な不快感を感じて、パートナーへの興味を失ってしまいます。そして一刻も早く「状況を変えよう」とします。
もうひとつは、パートナーがソシオニクス的に見て相性のいいタイプだった場合です。
この場合、SLIのパートナーは全く異なる行動をとります。パートナーはSLIの意欲的な仕事ぶりを賞賛して、家の中にある修理が必要な物をもっとSLIの元に持ってきます(今回SLIが家に来た目的自体が「修理のため」だったのではないかと思いながら)。
そしてSLI自身が休憩したいと言い出すまで、作業の邪魔をしません。他の用事は、次回SLIが家に来た時でいいということにします。
これはSLIの双対IEEにとって都合の良い状況の進展の仕方です。つまり、デートの時間が家庭にとって何らかの実益を伴う活動に費やされ、さらに、近い将来に何らかの前向きな見通しが立ち、さらには心理的な距離が急速に縮まらないような形で関係が進展していくのです。
これはIEEにとってもSLIにとっても重要なことです。IEEは、まるで距離を置くかのように人間関係を構築していきますが、IEEがそうするのは「そんな人間関係こそが、彼らの理想のパートナー(つまりSLI)にとって最も快適で都合のいい人間関係である」ということを、無意識のうちに理解しているからです。
◆◆◆
厳密に定義された距離は、行動に対する特定の制限や、ある種の倫理的枠組み、厳格な義務を前提としているため、SLIにとっては非常に不快なものです。
枠組みや義務、制限があると、状況に応じて「どのように関係を進展させるか」選択する自由を奪われているような気分になってしまいます。SLIはIEEの柔軟な倫理観を志向しているので、「あなたと私は良い友達になれる」と言われたら、それは「私たちは肉体的にも感情的にも精神的にも親しい仲間になれる」という隠れたヒントとして理解すべきものだと思い込んでいます。
しかしパートナーがSLIとの「交際」に固執し、SLIに対して「昼も夜も積極的にパートナーに興味を向け続ける、開拓者としての距離」を取るよう厳密に求め始めると、SLIは目に見えて困惑し始めます。また、物事を「名前」で呼ばれると [6]、SLIは違和感と気恥ずかしさを感じ、その結果として心理的な不快感を味わうことになります。
SLIは、公然と親密な事柄について語られることを、非常に嫌います。それは彼らにとって、むやみやたらに神の名前を口にするようなものです(IEEは親密な関係について話す場合は、仄めかしや曖昧なヒントを使います)。内面的にはSLIはかなり潔癖なタイプです。そのため、ストレートで品がないものには敏感です。
また、SLIは人間関係に「明確さ」が持ち込まれ、それが明確に定義されることを嫌います。権利と責任がはっきり決まっている状態が嫌いなのです。SLIは絶えず、制限がかかる部分とかからない部分の「境界を曖昧」にしたり、人間関係の距離感を変えたり、人間関係が権利と義務に縛られないようにしようとしています(「人間関係に義務なんてない。もし誰かと一緒にいたいと思ったら、義務なんてなくても、その人のために何だってする」)。
一方で、もしSLIが誰かと一緒にいたくないと思ったら、部屋から出ていくのと同じくらい簡単に、理由も行先も告げずに、その場から離れてしまいます。それでいて全く予想外の、そして相手がSLIに会いたくないと思っている最悪のタイミングを狙いすましたかのように戻ってくることもあります。
こんな時SLIは、なぜ以前と同じように自分を歓迎してくれないのか不思議に思うかもしれません(「私が何か悪いことをしましたか?」)。SLIとしては、ただ感情的な不快感から回復するために、一時的に休んでエネルギーを補給していただけのつもりなのです。
そしてその回復にあまりにも時間をかけすぎてしまったという問題は、あくまで自分だけで完結する問題であり、他の人には関係ないと信じています(言うまでもない事ですが、SLIは「精神力の回復」の一環として、同時に複数のパートナーと関係を進めたり、恋人をとっかえひっかえすることがあります)。
これまでにも説明した通り、SLIは自分の主観的な感情の調和と心の安らぎを大切にしています。そして、まさにこれが影響するせいで、SLIの人間関係は必ずしも容易に、円滑に発展するわけではありません。
◆◆◆
SLIは、いつも友人のために何かをする時間と気持ちを持ち合わせている人々ですが、人とはっきりと「友人」になるのが最も苦手なタイプです。彼らの考える友情とは、相互の自発的な関係です。
子供との関係はとても良好です。彼らは子供や孫を可愛がります。一般的に、SLIは子供との接点を簡単に見つけ出すことが出来ます(SLIは優秀な教師になる傾向があります)。
問題は、関係に義務が導入された時に始まります。SLIは人に借りを作るのが好きではありません。彼らはコミュニケーションを取りたいと思った時だけ、自分の親戚の元を訪ねます(そうでない場合の人付き合いは、SLIにとって楽しいもではありません)。SLIは義務と責任に基づく関係を避けようとします。「付き合いの為に」親戚を訪ねて、説教や苦情、健康問題について聞き続けなければならないのは、SLIにとってほとんど拷問と同じです。
道徳的な話や説教をされると苦痛を感じます。彼らにとっては、そういった話を聞かされるよりも、彼ら自身が善人になるほうがずっと簡単なことです。
SLIは、自分を「罰しよう」とか、「再教育しよう」とする他人の試みを許しません。他人が心から自分に好意を持って歓迎してくれていると感じた時だけ、親切に対応します。自分を「再教育」しようとする他人と出くわした場合、SLIは直ちにその人と距離を置いて、心を閉ざしてしまいます。
人には同情と思いやりを向けますが、好き嫌いをあまりはっきり表に出さないようにします(意図的にSLIがそうしようとしている場合を除いて)。自分の長所を自慢したりはしませんが、恩知らずな人とはまともに付き合おうとしません。
人に何かを要求したり欲しがったりしたりはしません。人にわざわざ要求しなくても、自分で自分の望みを叶えられると思うからです。
仲の良い人や、一緒にいて落ち着ける人を全面的に、無条件に信頼します。そういう人であれば、多少軽薄なところがあっても受け入れます。しかし、そうでもない人には不信感を抱き、ささいなことで嫉妬してしまうこともあります。
◆◆◆
SLIは、自分が騙されやすいタイプだと考えています。人から騙されないようにするために、親密な関係を結ぶ相手をかなり厳選します。
SLIの場合、「距離を超えた関係」の中から、親密な関係が生まれます。これは柔軟で機動性に富み、非常に敏感な関係の倫理(Fi)に基づいています(これは、双対であるIEEと同じ特徴です)。そして、この特徴を共有していないIEE以外のタイプとの関係の進展には、往々にして様々な困難が生じがちです。
第7機能(監視):Se
やろうと思えば、SLIは人に強いプレッシャーをかけることができますが、このタイプの人々が命令口調になることは、基本的にはありません。
人を自分に従わせる必要がある場合、人の感覚に影響を与えるという手段をとります。つまり、SLI自身が強い不快感を表現し始めるのです(焦り、欲求不満の苦しみ、イライラ、苦悩、恨み、敵意など)。SLIが強い不快感を表現した結果として、他の人々の感覚に耐えがたい不快感が生じます。Siが脆弱であったり、無意識に抑制された位置にあるタイプの人々に対して痛みを伴うような作用をもたらします。
こうすることでSLIは自分の欲求や要求の多くを、比較的簡単に叶えることが出来ます。
そして、これと同じ方法を利用して、SLIは「永遠に捉えどころがない」双対IEEとの距離を、急激に縮めます。
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SLI自身は、自分の持つ意志の影響力(Se)の強さを正しく理解していませんし、それを実感してもいません。ほとんどの場合、SLIは自分のことを「人当たりがソフトで従順なタイプの人間」だと考えています。
また他の人々が早々にSLIの要求に屈服したとして、それはなぜなのかという点についても、いつも正しく理解できているわけではありません。彼らが「なぜ相手はすぐに折れたのか」理由を考えた場合、「相手の人間性の弱さのせい」だと考えるか、あるいは「相手も内心では自分と同じ欲求や目標を持っていた」と考えがちです。
SLIは、誰かから意志的な圧力を掛けられていないかどうか、いつも注意深く監視しています(この監視は無意識に行っています)。
誰かがSLIに圧力をかけようとするたびに、SLIは不快な感覚を経験することになります(恐怖、緊張、興奮、苛立ち)。SLIはこの不快感をできるだけ早く取り除くために、最も単純で最もやりやすい方法で、状況から抜け出そうとします。つまり、何も言わず、質問にも答えず、ただ踵を返して立ち去ってしまいます。
SLIを縛りつけたり、強制的に呼び戻すことはできません。「意志の圧力(Se)」という方法では、SLIを動かすことは出来ません(もし電話越しに「意志の圧力」をかけられた場合、SLIは会話をやめて電話を切ってしまうかもしれません。また、こういったこと全てに加えて、誰にも見つからないように家を出る可能性もあります)。
SLIが状況から抜け出す機会を奪おうとしても無駄です。これは何の成果にも繋がらないでしょう。レジスタンスの戦士のように、SLIはどんな試練にも耐えて見せます。圧力をかけられても屈服せず、常に強く在り続けます(状況によっては「譲歩」という選択をすることがありますが、これはあくまでも戦術的な観点から実行した作戦の一環にすぎません)。
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他のデルタクアドラの人々と同様に、SLIは自分の内面の自由と独立性を高く評価します。そして誰にもそれを侵害することを許しません。SLIは上司にも怯えず、一方的な命令に従ったりもしません。どんな状況でも、SLIは彼ら自身の裁量でのみ行動します。SLIから恩恵や譲歩を得ることができるのは、ソフトでありながら永続的な形で打診された場合に限ります。時には曖昧なヒントのような形でも十分です。ストレートな意志の圧力は、ほとんど役に立ちません。
第8機能(実証):Ti
SLIにとって、意見が衝突し合うような状況では、自分が最後の言葉を発すること、すなわち自分の見解が認められることが非常に重要です。
SLIの場合、意志の感覚Seと関係性の論理Tiが同じイドブロックにあるため、この2つが同時に作用することがあります。
議論や言い争いに巻き込まれたSLIは、しばしば「そもそも何が目的で話し合っていたのか」を忘れてしまっているかのようにみえることがあります。
そして、真実を求めてではなく、自分の主張を押し通したい、自分が他人より優れていることを知らしめたいという欲求から議論を展開します。
この傾向は、SLIの知的レベルが低ければ低いほど露骨になっていきます。
SLIは議論の中でルール違反じみたテクニックを使うことがあります。ほとんど信憑性がない(下手したら存在すら疑わしいような)情報源から怪しげな情報を引用することもあります。そして特徴的なのは、常に自分の「主張」は反論の余地がないと言い張る点です。
彼らとの議論が、必ずしも相手に知的な喜びをもたらすとは限りません。
彼らは直観が弱いため、原則的に彼ら独自の考えを表明することはあまりありません。必ずしも適切ではない引用をされたり、議論のテーマから逸脱することがある上に、旗色が悪くなってきたSLIは相手を威圧しようとしたり、神経質になってイライラし始めたりします。
そのせいでSLIとの議論に付き合っていると非常に不快な気分になる可能性があります。
このタイプの人々は、自分が持っている様々な分野の知識を披露するチャンスを見逃しません [7]。そのためにわざわざ事前準備をする必要などありません。彼らの興味は実に多岐に渡りますが、反面、表面的なものに留まっていることが多いです。
自分の身近な話題について発言する機会を与えられると、ほとんど躊躇したり考え込んだりすることなく、知識を披露し始めます(「自分が見たものについて語る」という原則に基づいています)。さらに、自分の発言におかしいところがあっても、全く気にしないこともあります。こういった状況でSLIが重視しているのは自分が「興味深い話をする人」だという印象を与えることです。
この印象は、主に彼らの双対であるIEEのために設計されています。IEEは通常、人が自分をどう見せようとするのかという情報を通して相手を知覚します。
こうしたデモンストレーション的な推論がSLIにとって重要なのは、これが双対IEEとの関係性構築(双対ペア化)に役立つという心理的意味を持つからでもあります。SLIのデモンストレーションには、一方では、「わかっているのか、わかっていないのか、よくわからない理屈っぽさ」がありながら、それと同時に話の内容そのものとは関係ない部分で、どこか狡猾さと意味深な皮肉を孕むような、控え目な笑みが同居しています。
この皮肉こそが、彼らの倫理的なゲームの最も重要な要素です。これによってSLIは、彼らが披露している論理的な推論が「ただの表向きのもの」、あるいは「注目を集めるための口実にすぎないもの」だと認識させ、聞き手を全く別の次元に誘ってしまうのです。
そしてIEEは持ち前の強力な倫理的直観によって、間違いなくすぐにSLIが仕掛けたゲームに気付きます。IEEは、例えSLIが何を話していても、それはコミュニケーションのための「口実」にすぎないものであり、注目を引き付け、注目を維持するための単なる手段にすぎないものだということを理解します。
「ゲーム」「口実」としての前提が成り立つと、IEEは「論理的な矛盾を指摘されるかもしれない」という恐れから解放されて、どんなテーマであっても、かなり自由に話せるようになります。これは論理とは全く関係のないゲームであり、それ故に論理的な意味を根掘り葉掘り確かめようとする人などいないという風にIEEは認識するようになるのです。
SLIの「論理」はIEEとの双対ペア化の過程で行われる「倫理的なゲーム」において非常に重要な役割を果たします。
また、この双対ペア化という観点を踏まえると、SLIに「論理的な面で好感を持たれようとする傾向がある」理由を説明することができます。IEEは敗者には同情しないため、どんな状況でも聴衆の面前で名声を失うような事態に陥らないことが、SLIにとっては非常に重要になってきます。また、無意識にIEEの表面的で気まぐれな興味に同調しているSLIは、IEEの注意を引き、それを維持することがどれだけ難しいかをよく理解しています。
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とはいえ、SLIのデモンストレーション的な推論が、常に、そしてすべての場合において、トリックのために行われているものであると考えたり、一種のポーズに過ぎないものだと考えるのは間違いです。これは全くの誤解です。実際に優れた論理性を発揮して注目を集める分野がSLIには確かに存在します。例えば美術的な分野で、配色や構成を比較し、分析する能力は他の追随を許しません。
感覚的な側面は、SLIの論理にとって最も本領を発揮しやすいトピックです。SLIは色調と音調の構成を通して、最も深遠な哲学的意味を知覚することが出来ます。
例えば芸術分野では、アンドレイ・タルコフスキーの映画のすべてが、SLIの哲学のモデルだと言えます。そこには厳密な左右対称のフレーム構成、トリプティク(3部構成)の形式、色彩と音色の相互作用、さまざまな平面のゲーム、まるで実際に触っているように感じられる空間と質感の効果、光と影のゲーム、音の象徴性と感情の象徴性を表す音色のゲームがあります。
そして、こういった全ての感覚的な象徴性は、深い内容と哲学的な意味で満たされています。これらの感覚的なシンボルを通して、社会的、心理的、倫理的、哲学的な側面が深く考察され、表現されています。
SLIは論理的な機能の助けを借りて、彼らが秘める最も繊細な感覚の世界と、最も深い経験の有様を表現します。「感覚的象徴」は、SLIの主観的な感覚に意味と意義を与え、周囲の人々にも理解できるようにするものなのです。
訳注
- ^ 身体的動作の滑らかさは、高次元性Siとあわせて、二分法「非合理」にも関係するとされる。
- ^ ジャック・ロンドンはLIEのニックネームになっていることがある(例えばSLIがギャバンと言われたり、EIIがドストエフスキーと言われることがあるのと同じような感じで)。
- ^ ローフード:加熱や加工をしていない生野菜やナッツ類のこと。つまり熱や酸の影響で失活していないフレッシュな酵素を多く含む食事。
- ^ 日本という国のタイプは「SLI」だと言われることがある。参考:http://socionicasys.org/biblioteka/statji/ob-itime-japonskogo-naroda
- ^ 第1機能Si。ソシオニクスでは第1機能のことを「プログラム」とも呼ぶ。
- ^ つまり、「自分のことを「恋人」とか「愛する人」みたいな呼び方をされたり、自分とパートナーの関係性を「恋人同士」というような、関係性を明確に示す言葉で表現されると」という意味。
- ^ 第8機能の性質のために生じるデモンストレーションじみた言動。