ベータ・クアドラが優先すること
- エボリューション的な関係性の論理の側面 (+Ti) [1] – 従属的な関係性のシステムを作り、権威的で独裁的な権力のシステムを作ること(「上下関係」)。この権力の階層構造に秩序をもたらし、保護し、サポートすること。また、この「上下関係の明確な構造」の元で権力の基盤を作り、「カースト一覧」と「賞罰のシステム」を作成し、権利と責任の範囲を定義し、利益と特権のシステムを確立すること。
- エボリューション的な感情の倫理の側面 (+Fe) – 現在の独裁的なシステムを支えるイデオロギー的なヒエラルキーや、神権的な権力のシステムを作ること。既存の社会構造に対して、未来の目標やゴールを設定し、その精神的・思想的な指導者として活動すること。
- インボリューション的な意志の感覚の側面 (-Se) – 既存の構造に代わるような新しい権力構造を生み出し、権力の「上下関係」を自然発生的に創り出すこと。
- インボリューション的な時間の直観の側面 (-Ni) – 気づかれないうちに、暗黙的にシステムの安全性を確保すること。ヒエラルキーの支配者の背中を守り、差し迫った危険を警告すること。ヒエラルキーの支配者が弱く、無能なリーダーであると認識された場合、(慎重かつ目立たないように)トップを挿げ替えること。
追放者の運命
権力をめぐる残酷で和解できない闘争に敗れ、ベータ・クアドラ社会で弱者になることは、恥ずべきことであり、危険なことです。弱者が弱者であるのは「その人が弱いから」という事実のせいであるとされるため、弱者がベータ・クアドラの社会システムにいる限り、どこにいっても「脆弱で厄介な人間」扱いされてしまいます。
弱者は常に社会から押し出されてしまいます。「自分のポジションを奪われることを許容した」という時点で、常に弱者側に問題があるとされます。
弱者には自分を支持する力も、「裁判官に叫ぶ」力もありません。自分の名誉を守り、自分の主張を証明する力もありません(口を使った方法でも、決闘による方法でも、銃を使った方法でも)。そしてもちろん、弱者は集団的迫害や集団的抑圧に抗う力もありません。
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強者を(「手を変え品を変え」、腕力ではなく、執念と粘り強さによって)弱体化させ、システムから強制的に排除することは、競合相手に対する「最も簡単な」対処法であり、最も「目立たず」「邪魔にならない」方法です。「有罪」になるのは、人を弱体化させた人ではありません。人から弱体化させられてしまった人のほうです。
ベータ・クアドラ社会における弱者の運命は、決して望ましいものではありません。弱者は絶滅の運命にあり、世間から軽蔑される犠牲者の立場にあり、システムから社会の底辺に押し出される運命にあります。「廃棄物」「再選別の山」であり、バリヤ [2]に追いやられる運命にあります。
ベータ・クアドラ社会の誰も、そのような運命から免れません。そして誰も、自分自身がそのような運命を辿ることを望んでいません。したがって彼らは自分のソシオタイプの最も効果的な特性や資質、すなわち、勝利を得るための意志、敵と戦うための冷酷さ、目的を達成するための粘り強さ、目的志向の強さ、粘り強さを最大限に活性化するのです。
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ベータ・クアドラ社会では、どんな条件・法律・命令・イデオロギーにも適応できる力が求められます。そして、何が何でも生き抜いて家族を育て、自分の権利と利益を守り、自分と自分の家族のために戦ったり、野心的な目標を掲げてそれを達成することが求められます。
何世紀にもわたって強い意志と闘争の資質が研ぎ澄まされた結果、ベータ・クアドラは、条件・状況を問わず、生存競争に勝利するための力を獲得しました。彼らはどんな独裁政権下、どんな権力闘争の荒波の中であっても、有利なポジションを確保する力を持っています。トップに君臨し、社会における特権的な地位を占有することで、自分自身と自分の身内の利益を守り抜こうとします。
支配的なイデオロギーや権威に適応できず、それを認めようとしない人々は、社会の底辺の被差別階層に転落します。ベータ・クアドラ社会において、この不幸な転落は全て「自己責任」であり、彼らに同情や哀れみが向けられることはありません。その代わり彼らは「こんな負け犬にはならないようにしましょう」と話す際に便利な「社会の落ちこぼれ」のわかりやすい例として活用されます。
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ベータ・クアドラ社会で「有罪」になることは危険です。「有罪」になった者は、彼の仲間を襲った全ての不幸の責任を負わされ、全ての人に賠償するよう要求されます。ここぞとばかりにありとあらゆる告発(不条理としか思えないようなものも含めた、ありとあらゆる告発)を受け、「罪状」は膨れ上がっていきます。そしてその後、それらすべての「罪」に応じて断罪されることになります(そうやって彼は「他の人々に対する見せしめ」に仕立て上げられるのです)。
ベータ・クアドラ社会において「有罪」になることは、「スケープゴート」になることを意味します。誰もが恥ずかしげもなく彼をこの世全ての悪だと罵ります。自分の悪事も、自分の不道徳も、全ては彼のせいです。彼は「その日一番の英雄」です。誰もこの「英雄」の代わりになりたがったりはしません。
もし「有罪」になった場合の最もマシな対処法は「沈黙を守ること」です。他の人には人生という生存競争がまだまだ続きますが、どうせ死が約束されている彼にはもはや関係ないことです。「彼が7つの大罪のうち、どの大罪を犯したのか」は、実際にはどうでもいい問題です。
ただベータ・クアドラ社会において重要なのは、彼が「捕まった」という事実であり、攻撃に屈した「愚か者」「弱者」であることが明らかになったという事実であり、自分の疑惑を晴らすだけの力も、自分の身を守るだけの力もなかったという事実だけです。これらの点だけで、彼には非難されるだけの十分な責任があるのです。
「有罪」の立場に最も追いやられやすいのは、「資源」タイプのベータ・クアドラや、その他のクアドラのタイプです [3]。
彼らは困惑しながらもまずは告発を受け入れ、その後から自分を正当化しようとします。
しかし「利益」タイプ [4]であり、一貫したタイプ(「合理」タイプ)であるベータ・クアドラ [5]は、「後になってから正当化する機会」など与えたりはしません。
ソシオニクスの最初の文字は、二番目の文字よりも重要です [6]。
最初に告発を受け入れた時点で、犯罪に巻き込まれてしまっているのです。
捕まったら有罪です!自分のために戦わなかった場合も「弱者」なので有罪です!早くみんなに賠償金を払ってください!
訳注
- ^ 機能についているマイナスは「インボリューション的」、プラスは「エボリューション的」という意味。Stratiyevskayaはエボリューション的を「建築的・肯定的」、インボリューション的を「再構築的・否定的」という意味で使用している。
- ^ カースト最下位の被差別階層。
- ^ 二分法「資源」となるタイプは、具体的にはアルファのILE, SEI、ベータの>SLE, IEI、ガンマのLIE, ESI、デルタのLSE, EII。活動のために必要なリソース(金や資源、睡眠時間、体力、気力など)と、活動から得られる利益を天秤にかけた時、前者の損失に対して神経質になりやすいのが「資源」、後者の損失に対して神経質になりやすいのが「利益」である。
- ^ 二分法「資源」の反対のタイプ。
- ^ 具体的にはLSIとEIE。
- ^ LSIやEIIなどのLやEのこと。一文字目が論理Lか倫理Eのタイプは合理タイプであり、SLIやIEEのように、一文字目が感覚Sか直観Iのタイプは非合理タイプである。