幻影関係となるタイプ
はじめに
幻影関係(蜃気楼関係)は、準双対関係と同じく、パートナー間の機能の多くが、相手の無意識な期待 [1] と直接対応しているという点で、双対関係に類似しています。
準双対関係の場合、奇数番号の機能が相手の2次元性 [2] の機能と一致していますが、幻影関係の場合は偶数番号の機能が一致しています。
つまり第2機能、第4機能、第6機能、第8機能が、相手の期待に多少なりとも応えるのに対し、第1機能、第3機能、第5機能、第7機能は相手の期待とは正反対の形で動作します [3]。
幻影関係の場合、現実的な問題を解決するために役立つ人だとは感じやすいですが、第5機能による暗示がないため、双対や準双対のような魅力を感じることはありません。
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あまり親密ではない関係の場合(心理的距離が遠距離の場合)、幻影関係は相互の好意から嘲笑まで、お互いに対する様々な状態を経験するかもしれませんが、これは幻影関係に限った話ではなく、ほとんどのタイプ関係でみられることです。
より近い距離感で接する場合、意識して親密な気持ちになろうとしなくても、様々な方法で実際的な支援をし合うことができます [4]。
一方が外向、もう一方が内向であり、合理性/非合理性という点では共通しているため、生活アプローチが似通っています。そのため幻影関係では、自然に片方がリーダーシップを発揮するような関係になりやすいです。このように根底的には似ている二人ですが、長期間交流を続けると、相手の主導機能(第1機能)に関するすべてに不満を感じるようになります。
お互い無意識のうちに、「相手も自分と同じような『普通の感覚』を持っていて、それを踏まえて物事を考える」と考えてしまいがちですが、実際には幻影関係の場合、相手は自分とは全く違う、やや対立的な世界観を持っています。例えば一方のパートナーの主導機能がSiの場合、もう一方のパートナーの主導機能はSeです。一方のパートナーがFeの場合、もう一方のパートナーはFiです。
パートナーの世界観、中心的な価値観、一般的なアプローチは、「同じようなものに焦点を当てている」という点では似ていますが、実際にはほとんど適合しあえません。
一方がすぐに行動しなければならないと感じていても、もう一方は、まだ静観したほうが良いと感じます。その後、静観していた側が「行動すべき時が来た」と感じても、もう一方の側は「今は何もしなくていい」と感じたりします。
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幻影関係は、片方の創造機能(第2機能)と、もう片方の動員機能(第6機能、別名「隠された課題」とも言います)が一致しています。しかし主導機能(第1機能)と一致しているのは、無視機能(第7機能)です。つまり、世界とのかかわり方は双対関係に似ていますが、世界をどう見るのかという部分は双対関係とは異なっています。
第三者から見ると仲が良さそうに見える傾向がありますが、実際には仲が悪いということがしばしばあります。親密な間柄になるほど、ギクシャクしています。もしも親子である場合、家庭内は波乱に満ちているかもしれませんが、一緒に休暇を過ごす場合は、より自然で、リラックスした有益な付き合いができます。
幻影関係の様相は様々です。相互理解のある関係、相手の癖を受け入れた寛容な関係、一見すると仲が良さそうに見える関係、時々ちょっとした言い争いをする関係、相手のライフスタイルを心底嫌悪し、無視してしまう関係などなど、この全てになる可能性のある関係です。
通常、幻影関係はスムーズに進むことが多いですが、どれくらい仲がいいか、どのような形で知り合ったか、どちらが関係をリードするか(年上で経験豊富な側がリードすることが多いです)によって、これも大きく異なります。
Filatovaによれば、幻影関係では誰が主導権を握っているかが重要になります。よりポジティブな方、またはより自然な心理学者 [5] である方が主導権を握っていれば、関係性は円滑に進むと彼女は説明しています。
Filatovaが提示した4つの幻影関係のケースのうち、2つは同じタイプですが、主導権を握っている側が逆です。より成功した関係において主導権を握っていたタイプの間で共通している二分法は静的だけでした。そして「人生を愛する楽観主義者(optimists)」としてFilatovaが説明するIEEは、二分法でいうと否定主義(negativist)に分類されるタイプです [6]。
さまざまな著者による説明
Valentina Meged, Anatoly Ovcharov
お互いに気を配り、共感し合っている場合、比較的良好な関係性になります。パートナーの意見や利害を無視すると、些細なことで争いが起こりますが、幸いなことにすぐに忘れられます。
幻影関係のコミュニケーションは、本質的にはリラックスして気晴らしができるものです。言い争いが起こることはあまりなく、普通は妥協することで終わります。
互いに精神的サポートをしようとしますが、互いの動機、目標、行動を理解していないため、結局うまく協力し合えず、共同で活動できないことが多いです。両方にとって適切な行動様式をとるのは非常に難しい事です。もっと緩やかな活動(レジャーや雑談)であれば、温かい関係になることがあります。
意見の相違があったり、お互いにうまく協力し合えないことがあっても、幻影関係の場合、相手の理想と自分の理想が似ていると感じやすいため、そこから感情的に心地の良い空気が醸成され、結果としてネガティブさを感じにくいという特徴があります。
I.D. Vaisband
幻影関係は、感情的な面白味があまりない関係であるため、付き合い続けているうちに退屈で停滞したような感覚が強くなってきます。喧嘩を避けようとする傾向が強いため、あまり真正面から向き合う付き合いが出来ません。また、お互いを理解しようとはするものの、お互いの希望を的確に捉えることも苦手です。
この関係が適しているのは、それほど深刻ではない活動(休暇、リラクゼーション、レジャー、エンターテイメントなど)です。生産的な活動には向いていません。
幻影関係の場合、軽薄で不真面目そうな部分はありますが、それでも常識は通じる、魅力的な人物だと感じることが多いです。楽しい仲間として付き合うにはいいですが、真剣な活動を共にする相手としては頼りないと感じるかもしれません。
ライバルのような関係になることは稀です。
家族として考えた場合、心理的な安らぎを求める人には、とても心地いい関係となります。
O.B. Slinko
「The key to heart - Socionics」より
しばしば互いを快適で魅力的な人物だと感じますが、それと同時に、常に理解しがたいと感じるようなところがあります。まるで半分透明なヴェールで包まれているようなものです。賞賛することはできても、完全に理解することは出来ません。
幻影パートナーは、あなたの心を解きほぐして、心身ともにリラックスした状態にしてくれます。幻影パートナーの話は、独創性や素晴らしさを感じるものが多く、聞いていて楽しいかもしれませんが、その意味をきちんと理解するのは難しいです。幻影パートナーと活発な対話を続けるためには、意識的な努力の継続が必要です。
リラックスした活動を一緒にする相手には向いていますが、もっと真面目な活動をする相手には向いていません。二人の考え方が全く違うせいで、協調しながら行動するのがかなり難しいからです。
多くの場合、互いをあまり理解していないため、それぞれが自分の関心事を話す傾向があります。関係の初期段階では、これが誤解の原因になることもあります。
R.K. Sedih
「Information psychoanalysis」より
幻影関係の場合、「大人」と「自信のあるティーンエイジャー」+「子供」の間で相互作用が起こります [7]。
「大人」は惰性で「自信のあるティーンエイジャー」を「子供」のように扱ったり、その逆に「子供」を「自信のあるティーンエイジャー」のように扱ったりします。そんな扱いをされた幻影パートナーは、それに少し戸惑い、驚き、迷惑に感じます。
「この前はあれほど優しくしてくれたのに、今日はくだらないことに口うるさい。私を他の誰かと勘違いしているんじゃないだろうか」
といった具合です。幻影関係の進展の仕方は、良い車で、あちこちに窪みがある道を走っているようなものです。さぞ早くて快適なドライブになることでしょう(ただし道がデコボコしていない部分だけに限る)。
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うまくいっている状況では、互いを知ること、互いに慣れ親しむことにも成功しやすいです。その結果、強い絆で結ばれることもあります。こんな時、彼らはデコボコを避けてドライブすることを学びます。
幻影関係で最も大切なことは、自分の中に生じる「相手を再教育したい、作り変えたい」という執拗な欲求に打ち勝つことです。幻影関係には、お互いに圧力など掛けなくても合意へと至る可能性は常にあります。
関係性が長く続けば続くほど、超自我ブロックは簡単に相手の「子供じみた」気まぐれに上手く対処できるようになっていきます [8]。もっといえば、関係構築が出来ている場合、互いのこうした気まぐれさは魅力として感じられるようにもなっていきます。
Laima Stankevichyute
「Intertype relations」より
真摯に向き合えない場合、退屈な付き合いになりやすい関係です。
倫理タイプのパートナーは、論理タイプのパートナーのことを「正論を振りかざすエゴイスト」だと非難し、論理タイプのパートナーは倫理タイプのパートナーのことを「不注意だ、考え足らずだ」と非難します。
A.V. Bukalov, G. Boiko
「Why Saddam Hussein made a mistake, or what is Socionics」より
余暇に一緒に遊ぶには楽しい人ではありますが、それ以外にはあまり向いていません。まるでいつも霧がかかっているかのように、互いの思考の流れや意図を上手く読み取ることが出来ないため、重大な何かを共に成し遂げるパートナーには向いていないのです。
幻影関係で、完全な理解に至ることはありません。
何かの問題について議論すると、パートナーの様々な側面に興味をひきつけられるかもしれませんが、同時に「この人は、なんでこんなにくだらないことに興味を持つのだろう」と苛立つことも多いかもしれません。共同で仕事をする場合も同様です。なお、そういった活動に際して互いにサポートしあう場合、リラックスした状態が誘導されることになります。
家族が幻影関係で場合、お互いへの関心が低くなる傾向があります。
Victor Gulenko
「Criteria of reciprocity」より
快適さの中断:
幻影関係のコミュニケーションは、さほど面白さを感じるものではなく、それほど有用なものでもありません。落ち着いたコミュニケーションができる状態になるまで、安心感のある交流ができない関係です。
いきなり意見の相違や論争が起こることがあります。ストレスフルな状況に陥ると、簡単に両者のバランスが崩れてしまい、なかなかお互いを落ち着かせることが出来なくなります。
何の前触れもなく、不躾に干渉してくるパートナーに苛立ち、相手との距離をリセットするために立ち向かうというのは、幻影関係ではありがちな流れです。
一般的に、互いの興味や趣味を完全に理解しあえることはありません。また、あまり生産的な話し合いもできません。
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パートナー間の違い:
大きなグループとして交流するよりも、一対一での交流を好む傾向が見られます。第三者の影響で議論が起こる場合、深刻な対立に繋がってしまうこともあります。自分たちの内的世界や問題に焦点をあてる一方で、外界にはほとんど興味が向かないため、二人だけの閉じた付き合いになることもあります。
幻影関係は、パートナー間の理解に一定の波があります。彼らはお互いに「気分次第で変化する私の行動を予測してほしい」と期待しています。
真実の発見や、共通の見解の発見を目的とした議論には向いていません。幻影関係に求められる力は、妥協点を見つけ出す力です。お互いに、相手の考える計画が「不確か」で「幻のよう」に見えてしまうため、計画的な共同生活を送るという点にも難があります。生産性が求められる活動よりも、レジャーなどに適した関係だと言えるでしょう。
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幻影関係は、洗練された叙情的な感情的雰囲気と、独特のユーモアのセンスによって特徴づけられます。内面的な変化(調和的で魅力的な感情に満たされている状態から、心の底からパートナーへの憎しみに囚われている状態まで、非常に幅広い変化)が見られるのも特徴的です。周期的に起こる叙情的でノスタルジックな状態の変化は、パートナーへの信頼を強めるのと同時に、人の幸福の儚さへの悲しみを引き起こします。
好奇心をかきたてられると同時に、憂うべき予感を抱かせるような関係です。たとえ幻影パートナーとの交流で何か失敗をしてしまい、苦い経験をしても、「なんだかんだで、きっとよくなっていくだろう」という確信が失われることはありません。
直観的な資質が強化されると、お互いに性急な行動を避け、相手に合わせることが出来るようになっていきます。
幻影関係には強い内的感情が存在します。お互いに心の底からの共感を感じるかどうかという点が、幻影関係の安定性を大きく左右します。相手のイニシアチブにどれだけ合わせられるかという点も重要です。
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幻影関係には周期性があると書いた通り、関係が崩壊するタイミングは必ずやってきます。幻影関係でありがちな争いは、「私には、あなた(幻影パートナー)の利益や関心とは異なる、私の独自の利益や関心を持つ権利がある」と主張し合い、各々の自律性を求める所から始まることが多いです。争いになると、自分の言い分をきちんと筋道立てて説明しないまま、自分の正しさや正統性を相手にぶつける傾向があります。
こういう時は、距離を置いて、しばらく離れて過ごせば、落ち着きを取り戻すことが出来ます。幻影パートナーに、自分の理屈や判断の正しさを論理的に証明してみせるのは大変難しい事です。おそらくほとんどの場合、上手くいかないでしょう。
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付き合う上でのアドバイス:
幻影関係は、いつの間にか、勝手に進展していく関係性です。何らかの秩序を要求したり、取り入れようとしたり、相手の意志に反した行動を強制しようとしても無駄です。技術的な共同作業は可能ですが、一般的に想定されるような起業ビジネス的な活動には全く向いていません。
幻影パートナーの行動に論理性を求めないでください。この関係の場合、どちらが正しいのか議論するよりも、人生の複雑さについて腹を割って話しあうほうが、得られるものがずっと多いでしょう。幻影関係は、リラックスと夢を促進する関係です。ユーモアや楽観的な雰囲気はこの関係にとってプラスに作用します。美的に洗練された小規模な社交こそが、幻影関係の理想的な形です。
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難しい約束を要求しないでください。幻影関係が安定化するためには、そんなものよりももっと穏やかな条件と行動様式が必要です。相手の気分をよく見て、それに自分を合わせるよう心掛けてください。お互いにそうしているうちに、自然にどちらがリードするかが決まります。
好奇心を刺激するような、不思議な現象について話し合うのもお勧めです。一方のパートナーが活動を始めたら、もう一方のパートナーはあれこれ質問するよりも、それに自分も参加して、サポートを提供するよう努めましょう。
V.V. Gulenko, A.V. Molodtsev
「Introduction to socionics」より
幻影関係は休息や息抜きに適した関係です。幻影関係の人と家庭生活を送ると、十分に快適で心地が良く好ましい生活を送れますが、一般的な活動には適していません。幻影関係ほどパートナーをリラックスさせ、ゆったりさせて「やる気」まで失わせてしまう性質のあるタイプ関係はありません。
幻影関係ほど気楽に、一緒に座って休んだり、どうでもいいことをお喋りできる相手はいません。幻影パートナーと話をしていると、どこか焦点が定まらないまま、相手がだんだんぼやけていって「幻影」と化します。そのような相手とは真剣勝負をする気も起らないでしょう。だからこそ、本気で取り組まなければならない活動を、一緒に行う相手としては向いていないのです。
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パートナーの行動の動機は「複雑で、なかなか上手く理解できないもの」だと感じるのが普通です。お互いに、相手が目指しているものが「注目に値しない、実体のないもの」に感じられてしまいます。いつも「もっと違う行動をしたらいいのに」と内心感じ続けてしまうため、幻影関係で共同作業をしても熱中できません。まるで壊れた電話でゲームをしているようなものです。
傍から見ていると、幻影関係のコミュニケーションは滑稽で面白いかもしれません。コメディアン同士の掛け合いのように、一方が突然、他方を無遠慮に切り捨てたりするからです。
幻影関係で多く見られるのは、外向タイプからの意見の押し付けを嫌がった内向タイプが、それを拒んで自律性を獲得しようと躍起になるパターンです。
一方、外向タイプは内向タイプを「普通の人」に作り直そうとします。
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幻影関係の崩壊は、あまり長く続きません。パートナーは、互いの能力を批判的に評価する傾向がありますが、それと同時に互いに惹かれ合いやすいからです。
会話するよりも行動することに多くの時間を割き、一緒に何かを成し遂げることが出来た場合、かなり温かみのある関係になることもあります。ただしそのような場合であっても、また新しいプロジェクトに着手しようとすると、以前乗り越えたのと同じ困難に再び直面することになります。
幻影関係は、一緒に仕事を組織化したり、実行するのが難しい関係です。したがって幻影パートナーに、「この人と一緒に、多くの仕事をするのは無理そうだ」と感じてしまうのは仕方がない事です。
Ekaterina Filatova
「Art of understanding yourself and others」より
幻影関係は、双対関係と同様に、第2チャネルと第3チャネルの繋がりによって互いに助け合うことができます。しかし第1チャネルと第4チャネルの間には、補完的なつながりがありません [9]。
したがって幻影関係は、あまり深刻性のない事柄、例えばちょっとした雑談や余暇に向いた関係だといえます。こういった関係であれば、良好な付き合いを続けやすいです。
幻影関係の場合、第4チャネルへのサポートがあっても、それに気が付きにくいという傾向があります。両者の強い機能は基本的には同じものであり、ただ方向性が違うだけです。そのためお互いの強い機能は評価されず(「私にだって同じことくらいできる」)、弱い機能は不利な形で表現されます。
したがって互いに「特別に重要な権威ある存在」ではなく「魅力的で魅惑的であり、一緒に時間をすごす相手としては楽な人ではあるものの、真面目なプロジェクトに一緒に取り組むのに相応しい相手ではない」と認識しがちです。例外は、お互いの活動が完全に第1チャネルの影響範囲に入る場合です。
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家庭生活という点から見た場合、特に心理的な快適さを第一に求める人にとっては、幻影関係は非常に好ましい関係だと言えます。
注意点は、幻影関係の場合、同一機能間でのコミュニケーションが存在しないという点です。そのため、弱い機能へのサポートがあるという実感がある場合を除いて、相手の生き方をそのまま受け入れることは難しいです。
Eugene Gorenko, Vladimir Tolstikov
「Nature of self」より
お互いに不満を感じることがなく、付き合っていると楽しい人物に感じられることが多い関係です。自由時間を共に過ごすにはうってつけの相手ですが、真面目な仕事を共に行う相手としては、あまり向いていません。幻影関係の場合、互いの目標や意図を十分に理解するのが難しいからです。
幻影関係は、波もなければ谷もないような平坦な関係になりがちです。興味関心という意味では、ほとんど共通点がありません。
Sergei Ganin
幻影関係は、怠惰さを増大させる関係です。この関係ほど、パートナーを不活性化させる関係はありません。
幻影パートナーといると、一緒にリラックスできます。様々なテーマについて心地よい雑談ができます。互いの話はいつも面白く感じられますが、より深く理解するためには、かなりの努力が必要です。その努力の難しさが、同じ目標を達成する難しさにも繋がっています。
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互いの行動の理由や動機をなかなか理解できないため、共同で仕事をしたり、その他の真剣に取り組む必要がある活動をすると、事態が複雑になります。一方のパートナーが達成しようとすることをみて、もう一方のパートナーは不十分さや無価値さを感じます。
互いに異なる種類の活動を期待しているため、互いに否定的になり、相手の意図や目的を批判することもあえります。第三者から見れば、幻影関係の間で生じる誤解はユーモラスに見えることもあります。
内向タイプは通常、外向タイプからの意見の押し付けから抜け出し、解放されて自立したいと望みます。一方、外向タイプは内向タイプを(外向タイプの考える)「普通の人」にしようとします。どちらも互いの能力に不信感を抱いています。
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幻影関係における意見の相違は、たいてい短時間で終わります。これは多くの場合、幻影パートナー同士が互いに惹かれ合っているためです。
時々、この関係は本当に暖かく、思いやりに満ちたものになります。これは通常、一緒に仕事をしつつも、別のタスクをこなせるという条件が満たされた場合に訪れる状態です。
なんとか共同プロジェクトに成功した場合、彼らはその結果に刺激を受けるかもしれません。しかし別の新しいプロジェクトを始めようとすると、以前と同じ問題(協力の難しさという問題)に直面してしまいます。
幻影関係の理論的特性
幻影関係のパートナーは、ユングの合理性/非合理性を共有しています。
合理性を共有するペアの場合、一方は感覚タイプ、もう一方は直観タイプとなります。この場合、論理/倫理は同じです。
非合理性を共有するペアの場合、一方は論理タイプ、もう一方は倫理タイプとなります。この場合、直観/感覚は同じです。
訳注
- ^ 相手の無意識な期待とは、モデルA機能二分法が「弱い」かつ「尊重」である第5機能と第6機能を意味している。
^ 「次元」や「2次元性」という用語の意味は、記事「機能の次元」参照。
「2次元性の機能」とはモデルAの第3機能と第6機能のこと。ここでは特に「相手の無意識な期待」かつ「2次元性の機能」である第6機能を指している。幻影関係の場合、相手の第5機能と一致するのは自分の第3機能であり、相手の第6機能と一致するのは自分の第2機能。第2機能は「強い」機能であるため、相手の期待を満たすことが出来るが、第3機能は「弱い」機能であるため、相手の期待を満たすことが出来ない。
- ^ 2,4,6,8は、片方が強い機能である場合、もう片方は必ず弱い機能であるが、1,3,5,7は両者とも「強い」か、両者とも「弱い」かしかないうえに同じ位置の機能同士は内向/外向が真逆であるため、「両者とも無力で、他人のサポートどころではない」か「同じ問題にばかり興味が向くが、その問題の捉え方が真逆なので何かと対立しやすい」かのどちらかになってしまう。
^ これは、第1機能が内向/外向が違うだけの同じ機能であるため「似た者同士」なところがあり(例:ILEはNe、IEIはNiでどちらも直観)、同じ問題に目が向きやすい点、そして片方の第2機能が、もう片方の第6機能と一致している点から来ている特徴。第6機能は「動員機能」と言われることがあるが、それとは別に「隠された課題」と言われることもある。
- ^ IEEのニックネームが「心理学者(psychologist)」だとされることがあるが、Filatovaがpsychologistという言葉をどういう意味で使ったのか明確にわかる文献は見つけられなかった。
https://www.wikisocion.net/en/index.php/Intuitive_Ethical_Extratim - ^ 二分法としての肯定主義/否定主義と、通俗的な意味での楽観主義/悲観主義は別の概念であり、両者を切り分けて考える必要があると指摘されることがある。
https://wikisocion.github.io/en/index.php@title=Positivist_and_negativist.html#Additional_Commentary_and_Notes ^ R.K. Sedihは、それぞれモデルAの下記のブロックと対応させて説明している。
「大人」が自我ブロック(第1,2機能)
「自信に欠けるティーンエイジャー」が超自我ブロック(第3,4機能)
「子供」が超イドブロック(第5,6機能)
- ^ 超自我ブロックの第3機能と、超イドブロックの第5機能の間の話。
- ^ この説明はモデルA以外のモデルに基づく説明。具体的にどのモデルに基づく説明かは明記されていない。