双対関係であるLIEの説明にもESIに関する説明があります。
意識的な機能
第1機能(先導):Fi
ESIの第1機能は、既存のネガティブな倫理的傾向を特定し、それを完全に根絶しにするまで闘うことを優先しています。ESIが許容できるのは、自分と社会にとってトラブルになる可能性が最も少ないと考えられる関係性だけです。
ESIの作る戒律はどれも断定的で、的確に「人がやってはいけないこと」は何かを示しています。
ESIの人間関係は、「自分がされて嫌なことを人にするな」「目には目を、歯には歯を」という2つの戒律に基づいていることがほとんどです。つまり「ある人が貴方に悪いことをしていない場合、貴方はその人を悪く扱う権利はありません。
しかし、もしその人が貴方に悪いことをする可能性がある場合、その人を信用しない権利があります。さらに、他の人にそのことを警告する義務があります」という戒律です。
これを理解しないと、ESIのことが単なる「他人をいじめるのが好きなゴシップ好きな人間」に見えてしまうかもしれません。
このタイプの人々は、何が「良いこと」で何が「悪いこと」かを生まれながらに理解します。自分や他人に関する噂話は許せないものであり、無価値で危険なものだと考えていますが、噂話と警告・注意喚起は異なるものであり、必要に応じて適切な警告や注意喚起をすることは、神聖な権利と義務であると考えています。そしてESIは常にその権利と義務を守ろうとします。
ESIは直観や論理が弱い [1]ため、ESI自身が自分の倫理的プログラムの限界に苦しむこともあります [2]。
例えば、「私は貴方に何も悪いことをしていないのに、どうして私を信じてくれないんですか?」と言われてはじめて、ESIは自分の行動が自分の主義主張に反していることに気づきます。言い換えれば、ESIは誰かが罪を犯す前から、その人を「罰してしまう」のです。
こういう指摘をされた場合、ESIは非常に思慮の浅い行動をとってしまいます。つまり、信頼すべきではない相手に対して正直であろうとしてしまうかもしれません(これは将来的にESIにとって面倒な事態を引き起こしてしまうかもしれません)。
幸いなことに、このタイプの人々は、自分たちの生まれながらの長所、つまり、自分には人並み以上の「人が悪事を働く素質を見抜く能力」「周囲の人々の倫理的可能性を見抜く能力」があることを、人生のかなり早い段階で理解しています。
◆◆◆
ESIは優れた人相学者であり、並外れた観察眼を持っています。他の人なら見逃すような些細なサインから、人の性格や行動の動機を非常に正確に把握できます。
彼らは自分の視界に入った人を、まるで「X線」のような鋭すぎる視線で解析していきます。そして相手の第一印象から、人の倫理性と、その背後にある動機について正確な考えを形成します。
基本的に、彼らの第一印象が外れることはほとんどありません。第一印象が否定的な印象であった場合、それは正しいが多いです。また、もし第一印象を見直そうとしても、最終的には最初と同じ結論に至ることが多いです(まるでこのESIの貴重な資質は、少し弱い直観や論理を補填するために天から与えられたもののようにすら見えます)。
この天賦の盾を使いながら、彼らは非常に慎重に、警戒心すら持って人との関係を築いていきます。それに対して「人というものは本来は誰とでも仲良くできるはずだ」と言われると、困ってしまいます。
こうした考え方自体はESIの倫理観に反するものではありませんが、彼らの持つ天性の「人を見極める」という資質にはそぐわないものであり、もっと弱い資質を前面に出すことを強要するものであるため、ESIにとっては危険な考え方であり、混乱してしまいます。
◆◆◆
引っ込み思案で無口な印象を与えるESIは多いです。実際、未知の環境よりも慣れ親しんだ環境のほうがESIにとっては心地よい環境です。ただ状況に応じて、文字通り「無理やり」知り合いの輪を広めていくだけです。ESIは他人の自分に対する態度(自分のことをどう思っているのか)を敏感に察知することができます。自分に対してであっても、他人に対してであっても、嘘や偽り、偽善があれば常にそれを感じ取ります。
彼らの抱く揺るぎない倫理観を反映した最大公約数的な性格 [3]を持つESIは、自分の倫理的基準を完全に満たす人としか付き合いたがりません。また「周囲に対する要求が高すぎる人だ」と指摘されても、それを引き下げることができません。
◆◆◆
ESIは、自分自身の倫理的価値観のシステムの外にいる自分を見ることも想像することもできません。「もっとシンプルに!」というアドバイスはESIのためになりません。「三角関係」という状況も、絶対に容認できないものです。配偶者に対する不貞は、ESIにとってはまさに「冒涜的なこと」としか言いようがない悪行に思えます。
彼ら自身、自分に対する不貞を許さず、誰かのパートナーを奪ったりもしません。「性的自由」という概念はエロティックな空想の中でしか許されないものですが、ESI自身はそうした空想をしたりはしませんし、現実には自分自身にもパートナーにもこうした自由を許したりはしません(これはESIにとってプライドの問題です)。
人間関係において、ESIは原則的で非常に一貫性があるタイプです。
マキシマリスト。彼らは持っているもの全て(そして持っていないものでさえ)分け与えます。愛と友情を惜しみなく与えることが出来ますし、友人の借金を返済するためにローンを組むことさえあります。
自分自身に向けられた親切で誠実な関心に、感想的なまでに応えてくれるい人です。それは、彼らの「X線的」な視線に対して、周囲の人々の多くが否定的な態度で反応することに苦しみながらも慣れ切ってしまっているからです。
そんな中で誠実な愛情を与えてくれる人がいたら、精一杯それに応えるのが、彼らの義務なのです。
しかし、もし自分の好意を悪用する人がいれば、後悔することなくその人と縁を切ります。ESIは他人がした悪い事をいつまでも覚えています。そして少なくとも一度、彼らに対して問題を起こした人とは、全ての関係を断ち切ろうとします。
時には、そんな人と「コミュニケーションを取り続けている」ように見えることがあるかもしれませんが、実際にはESIの心の中には、その人は存在しないにも等しい状態になります。
「地球上からすべての悪を根絶やしにする」ための絶え間ない努力をしていますが(心理的不快感のある状態では、しばしば最も身近な人に焦点を当て、その努力を向けるようになります)、ESIは「倫理的報復」を急ぎすぎてしまうことがあります。
他のどのタイプよりも早く、最初の疑念の段階で「被告人」に言い訳する余地を与えずに追い詰めてしまいます(これがESIが人間関係を前向きに発展させる機会を自ら奪っているとも言えます)。
◆◆◆
「論争」という方法を積極的に採用します(これは直観が弱いためです)。心理的不快感や人間関係の危機が長引いた場合、自分の観察を裏付ける追加の証拠を得るために、または自分が感じていることが正しいかどうか確かめるために、わざと論争を引き起こすことがあります。
どんなに人を愛していても、また、彼ら自身の抱く愛情がどれだけ深くても、人の欠点には決して目をつぶることができません。それは、将来的に不愉快な思いをする可能性があるからです。彼らはほとんど人に共感しません(人に共感するには、あまりにも多くのことを見すぎているせいです)。
彼らの信頼を得たり、心を開かせたりすることは間違いなく難しいことです。
ESIは時々しゃべりすぎたり、余計なことを言ってしまったりします(これは他のすべての感覚タイプと同様に、無意識のうちに可能な限り具体的に話そうとしてしまうせいです。しかし無意識の行動であるため、感覚タイプの人々は「余計なことを言ってしまう癖」に気づいていない場合も多いです)。しかし、そうして「話しすぎてしまう」ところがある一方で、ESIは自分の発言内容が悪用される可能性を考えていないわけではありません。
それでも彼らが「おしゃべり」を止めないのは、相互の「率直さ」が友好関係の前提条件(あるいは義務)であるという考えを持っているからです。そのため、自分が不信感を見せることで [4]、誰かを怒らせることを恐れています。
また一方で、自分の「秘密」が他人に知られてしまうような倫理的な苦境にも、自分なら十分に耐えられると考えています。
ESIは自分に対する否定的な意見には興味を向けません。なぜなら、彼らは常に「自分は誰か」「自分が他の人からどのように扱われているか」を知っているからです。さらにいうと、ESIは何事も自分のプログラム(Fiが司る倫理的な戒律)に従っているので、「自分が悪いことをした」とは思いもしないからです。
同じ理由で、彼らはゴシップ、つまり自分が注意を向ける価値もない「倫理的なゴミ」を無視しようとします。自分に対する否定的な意見を聞かされると、「いや、お前がそれを言うのか」と、非常にイライラしてしないます。彼らは否定的な内容のゴシップを、「残酷で、愚かで、言っている本人がわざわざ自分自身を貶めているようなもの」だと考えています(「誰がそんなことを言ってるんだ」)。
ESIにとって恐ろしいのは、自分が何か神話的な罪で告発され、一体何の罪を犯したのか理解できないまま自己正当化(ESIにとっては「神頼み」のような行為です)しなければならない状況です。これはESIにとって極めて苦しいことであり、極度の苛立ちに繋がるものです。
◆◆◆
日常的なコミュニケーションにおいて、ESIは周囲のほとんど全ての人と心理的に距離を置こうとします。不愉快な社会を避け、周囲の「敵対的」な世界から孤立し、時には自ら進んで「修道院」に閉じこもることもあります(ブリジット・バルドーのように、このような生活が長い間続くこともあります)。
ESIは、信頼できる親しい友人たちとの狭い範囲でのコミュニケーションしか好みません。ただし、これはあくまでもプライベートでの交流や、個人的な好き嫌いにだけ適用されるものです。
ESIにとって「他人」とは、自分が信頼しておらず、心理的な居心地の悪さを感じている人たちのことです。ESIは、可能性の直観(Ne)の弱さと、ある種の狭い人生経験から、人を民族的・精神的な理由で「インサイダー」と「アウトサイダー」に分けてしまうことがあります。そして「インサイダー」の世界で自分に敵対し、信頼を裏切る「アウトサイダー」に出会うと、その不満はいっそう激しいものになります。結局のところ、ESIの「インサイダー」と「アウトサイダー」という区分は非常に恣意的なものであり、彼らの生涯を通じて何度も変化するものです。
強引に友情を求められることを非常に嫌います。「アイスピックで自分の魂をこじ開ける」ような人間を警戒しています(もっとも、どちらかというとESIのほうが「アイスピック」を使う側です)。自分を操ろうとする人も嫌います。「倫理的なイニシアチブ」を奪われることが嫌だからです。ESIの主要な関心と観察対象が「倫理的なイニシアチブ」です。彼らはこの点について、常に考察と分析を行っています。ESIが友人やパートナーを厳選するのは、このためです。ESIの考える友情に応えられるのは、無意識のうちに同じような倫理観を志向している双対のLIEだけ…とは限りません!
第2機能(創造):Se
ESIは、自分の存在意義のすべてを構成している倫理的・道徳的価値観の体系に人々を従わせるためにはどうしたらいいのかを巧みに見抜きます。社会の倫理的な問題に対して傍観者であり続けることは、ESIにとって極力避けたいことです。道徳的・倫理的規範からの逸脱には積極的に立ち向かいます(「過激な道徳主義者」)。
このタイプの人々は、自分の周囲にあるすべての悪を明らかにするのが自分のに義務だと考えています。公共の悪徳を暴き、犯罪や風紀の乱れと戦い、一般の福祉のために、道徳基準の純化のために、正義の回復のために、エコロジーのために戦うこと、それが彼らの最初に就く「職業」です。ESIは組織化された悪を嫌い、常に結束力のある善(「戦闘的な美徳」)でそれに抗おうとします。
「悪意ある人間が結束して力を構成するならば、正直者も同じことをすればいい」(レオ・トルストイ)
彼らは組織的暴力の原理そのものを嫌っています(「なぜ悪を団結させてはいけないのかというと、それはほとんど魔物的だからです。災いを引き起こし、多くの人を悲しませるからです。それはなんとしても止めなくてはなりません。悪は神に罰せられなければならないのです」)。
ESIはあらゆる形態のマフィアを憎んでいます。このタイプの人々が、マフィアのビジネスに手を出すことはありません。手段を選ばず権力を握り、それを使って他人を自分の意のままに操ろうとするマフィア像は、まさにESIの中に深い反感と苛立ちを呼び起こすものです。ESIとマフィアは決して相容れない存在です(ESIであるジョセフ・コブゾンが、どのマフィアにも属さないことが納得できる理由です)。
◆◆◆
ESIは、人生のあらゆる場面で、自分にも他人にも非常に厳しいタイプです。友情、恋愛、ビジネス関係、仕事、すべてにおいて平等を徹底します。時にはそれを大げさなほど自分にも他人にも要求します。
自分の言葉、行動、感情、約束、自分が「飼いならした人」に対する責任、自分の仕事の質に対する責任、同僚、仲間、親類、家族への責任など、多くの責任を感じています。しかし彼らが感じている最大の責任は、自分自身に対する責任です。
ESIの特徴は、並外れたパフォーマンスと勤勉さです(ESIが仕事をする時は最大限の努力をします。それ以上の努力を要求されれば、たちまち過労と神経衰弱に陥り、仕事の質と上司との関係を急激に悪化させてしまいます)。ESIの全ての努力の原動力は、「自分がしてもらいたいことを、人にもしてあげる」という倫理観に基づくものです。
ESIは、自分の問題を解決するために外部の人間を巻き込むのが嫌いです。そのため、どんな犠牲を払っても自分の力で対処しようとします。
また、常日頃、他人を犠牲にして問題を解決しているような人には共感しません。他人の自由な時間や、余暇を自由に過ごす権利の侵害に当たる失礼な行為だと考えています。
同じ理由で、彼らは自分の問題を誰にも押し付けないようにしているのです(たとえ親しい友人であっても、たとえ自分がどれほど孤独であっても)。
ESIは良心的なタイプです。もし何らかの事情があって義務を果たせない場合、彼らは苦痛を感じてしまうかもしれません。お金を借りたり、クレジットを使って買い物することも好みません(期限内にきちんと返せるかどうか不安になってしまうため)。
中立的な関係の状態では、礼儀正しく、規律があります。また、他の人にも同じことを要求します。無礼なマナー、反抗的な態度、見苦しい外見で他人を悩ませてはいけないと考えています。
◆◆◆
家の中をきれいに片付けるよう努力します(家事を怠ることは、他の家族に対する義務感の欠如であり、許されないことだと考えています)。家で仕事をする際は、まず家事全般をこなし、後でじっくりと腰を据えて仕事をするようにします。
家を出かける時は、必ず片付けをしてから出掛けます。片付かないアパートに帰るのは嫌だからです。来客が帰った後、まず彼らはすべての食器を洗い、拭き、決まった場所にきちんと片付けます。休むのはその後です。
テーブルの上のパンくず、床の汚れ、散乱した衣類、机の上の「山」など、ちょっとしたことでESIはイライラしてしまいます。このような「刺激物」を排除するために、何よりも緊急に対処しなければならないはずの仕事を先送りしたり、整理整頓や掃除に無責任な態度をとる家族を叱責することもあります。
きちんと整理されていない、掃除されていないといった家庭内の混乱は、ESIの苦しい我慢を強いるものです。これは離婚の理由になりかねないほどの苦痛である場合もあります。
ESIは、自分が築き上げた家庭の秩序が逸脱することに不快さを感じます(些細なことであっても、自分が出した料理が、自分の意図した順番で食べられないと、もうイライラしてしまうのです)。ESIは、双対のLIEと一緒にいるときだけは苛立ちを抑えています。
ただし、LIEはまだ家の秩序を乱すことをギリギリ許されていますが、それも「常識」の範囲内に限ります(あまりにも酷い場合、ESIは自分の仕事を軽視されている、自分の時間と労力を過剰に利用されているとみなします。そしてLIEはすぐに「厳重注意」を受けることになります)。
◆◆◆
ESIの創造的な意志の感覚(創造機能 Se)は、特に極限状態、つまり自分の利益を守る際、特に自分の人間関係の利益を守る際に発揮されます。彼らは自分の人間関係を誰にも侵害させません。自分の友人が悪口を言われているのを聞くのは嫌なことです。
風聞ではなく自分の目で判断しようとします。また、自分の悪口を言う口実を与えないようにしています。喧嘩は許しません(自分自身が喧嘩することも、友人や他の誰かが喧嘩することも)。
彼らは、友人や愛する人のために、何も考えず、危険も顧みず、火の中に飛び込んでいきます。外部からの攻撃からESIは自分と友人、パートナーの人間関係を守ります。他人の意思の力(他人のSe)で好き勝手にされることは許しません。
望まない影響や倫理的なイニシアティブが試みられると、彼らは信じられないほどの力で反撃することがあります(事件の後、ESIは後味の悪い思いをすることがあります。「雀に大砲を撃ってしまった」ような過剰防衛をした気がしてくるのです)。
しかし、いずれにせよ、彼らが最後の言葉を発しなければなりません。自分が最後の言葉を言おうとするのは、ESIを含めて感覚優位タイプ全般に見られる特徴です。
非常に頑固で、自分の考えを変えたがりません。周囲の敵対的な雰囲気を察知したESIは、「攻撃」される前から「自己防衛」を始めることもありますが、その時はほとんど即座に自分の非に気付き、残酷なまでの自責の念に駆られてしまいます。ESI側から先制攻撃は出来ません。それは彼らの倫理的な意思( FiSe )に反することです。
第3機能(役割):Ti
ESIは常に常識と判断力のある人だという印象を人に与えたいと考えています。単なる夢物語ではなく、本当にそうなりたいと思っています。そしてそのための方法を生涯かけて学んでいきます。
自分の感情を理性でコントロールし、自分の身に起こること全てを論理的に分析しようとしていますが、なかなか上手くいきません。彼らは自分の考えを明確に、かつ簡潔に表現する能力を強く尊重しています。それは長い間、彼らが探究し続けている能力でもあります。
彼らは、あらゆる現象、理論、テーマを本質的に理解し、分解し、そこに何らかのパターンを見出そうとしています。
しっかり熟考して作り上げられた方法でのみ、ESIはうまく学習することが出来ます。もしもテーマが定まっていなかったり、混沌としていたり、矛盾していたりするようなものについて、あれこれ違う方法を次々に教えられたり、あるいは全く方法論なしに教えられたりするようなことは、ESIにとって鬼門です。ESIはこうした「教え方」にはついていけません。
どんどん学習が遅れてしまい、そのせいで余計に動揺してパニックになってしまい、すっかり消沈してしまいます。年齢が上がるにつれて、ESIは特に教師選びや教育方法にこだわりを持つようになります。
そして、この「こだわり」に、生涯を通じて絶えず改良を加えていきます。彼らは複数の職業(必ずしも、この職業間に関連性はありません)を習得し、高度な専門性を達成する必要があると考えています。スキルの向上には常に理論を掘り下げていく必要があるため、彼らは学習を人生で最も一定で自然なプロセスとして認識しています。
議論を提示する際、論理的かつ一貫性を保つように努めています。したがって事前にそれらを熟考し、ポイントごとに述べようとします(「まず第一に、第二に、第三に...」)。しかし、「第四」「第五」では与えられたテーマから逸脱し始め、「第六」「第七」ではそれまでの議論と同じことを言ってしまったり、最初に言っていたことと違うことを言い始めてしまったりします。
先導機能、あるいは創造機能に論理機能を持つタイプ(特に反対のクアドラであるアルファクアドラの論理タイプ)に直面した場合、ESIの目指す「調和のとれた」そして「考え抜かれた」考察は、最初の時点で崩壊してしまいます。
◆◆◆
ESIの論理は、非合理・外向・倫理タイプのSEEやIEEのような、ESIよりも脆弱な論理機能しか持たない人々との遭遇には耐えられません。議論の論理的順序はまったく尊重されず、会話は常に個人的な「対決」が始まってしまうことでしょう。
こうした状況におけるESIの通常の逃げ道は、(TiNe、すなわち超自我ブロック全体に多大な緊張をもたらす代償として)これ以上の議論は得策でないと判断し、自分の「意志的な感覚」だけに頼って、誰も怒らせないようにしながら出来る限り論争から手を引くことです。
このような「論争」の結果、ESIは自分自身の「論理的可能性(TiNe)」に対する見方を修正します。そしてさらに熱意と関心をもってそれを発展させようと努力するようになります(ESIは哲学者や理論家といった職業が自分とは縁のない職業であると理解していますが、それにも関わらずこの問題の自分の力を絶望視したりはしていません)。
ESIにとって、論理的な関係は倫理的な関係ほど重要ではありません。
LIEは、ESIの論理的誤りを指摘すべきではないこと、ESIの「論理的」情報は倫理的な側面に関連付けられており、ESIの論理的情報の背後には、倫理的な動機だけがあることを理解します(そしてESIはこのLIEの洞察に感謝しています)。
第4機能(脆弱):Ne
「可能性の直観(Ne)」はESIにとって常にトラブルのもとになるものです。このトラブルは、どこからでも、誰からでも発生する可能性があります。状況の潜在的な進展を見通すのは、彼らにとって難しく感じることです。
彼らは、自分にとって最も有利に見える状況であっても、自分の持つ可能性をきちんと見積もることが出来ません。多くの場合(常にではないにしても)絶望感を経験します。
成功体験や失敗談は語らないほうです。彼らにとって、こういった話題はあまりにも辛い話題です。また、他人の成功の引き合いに自分が出されることも嫌です。これは「自分に対する非難」だと見なしてしまいます。
彼らは自分の仕事の結果に満足することはありません。どれだけやっても、取るに足りないものだと感じています。たとえ何を達成したとしても、自分の創造的な可能性を十分に実現していないように思ってしまいます。
「自分の能力が何の役に立つのか」という問題の答えを彼らが見つけ出すのは非常に困難です。自分が必要とされていないのではないかと言う感覚は、彼らにとって最も苦しい拷問です。自画自賛することはできません。彼らのプライドが許しませんし、下品で公平さに欠く言動だと感じてしまうからです。
ESIは、「何ができますか?」「何をするかを知っていますか?」などの質問に答えることを余儀なくされるたびに、ひどい困惑を感じます。非常に多才で、高い専門性を持っているESIですらそうであるため、他の人からしたら信じられないほどです。ESIは自己宣伝が苦手なのです。
しかしESIは、自分の能力を発揮したいという欲求も強いため、常に専門的なスキルを身につけようとします。また、自分が就業できる、興味を持ったあらゆる分野の仕事をすることができます。
◆◆◆
「1人が同時に2人の神に仕えることはできない」という考えを持っています。そのためESIは専門分野を獲得しようとします。
ある職業で上手く自己実現できそうにない場合、彼らは別の職業につき、その職業のスキルを習得しようとしますが、それでも前職のスキルを専門レベルで維持しようとします(いつか役に立つかもしれないからです)。
不正な手段で無理やり成功しようとはしません。強引に肘で邪魔者を押しのけて仕事をしたり、ベッドの上でダラダラと仕事をするというのは、ESIの仕事のやり方ではありません。彼らにとって、これはメリットを下回る仕事の仕方でしかありません。
能力と才能は神からの贈り物であると信じています。したがって、能力と才能は弱肉強食の形ではなく、胸を張れるような、まっとうな形で使われなければなりません。
誰が勝つか分かりきっている大会には、基本的には参加しません。不当な競争には気分が悪くなってしまいます。
「オーディションの待合室は、まるで失業者向けの炊き出しの行列のようでした。私は他のオーディション参加者の前で、さも自分も彼らと同じように怒りと空腹を抱えているかのように演じなければなりませんでした。そうでなければ、実はすでに内定していて、形ばかりの参加をしている私に向けて、周囲の人々が激しい羨望と敵意を向けてきたことでしょう」
◆◆◆
不健全な競争社会の中では仕事ができません。妬まれることが嫌いなのです。彼ら自身も人に嫉妬しないようにしています(人に卑屈な感情を向けることは倫理に反することだと考えているためです)。自分の業績については、どちらかというと控え目にしか語りません。
この影響で、ESIはしばしば仕事をみつけたり結婚相手を見つけることに苦労します。こういったことをするために必要になる「自分を宣伝する」という行為そのものが、どうしても苦手なのです。
自分の提供するもの・サービスがタダで誰かに使われても、純粋に喜んだりもします(少なくとも何らかの需要があることは確信できるからです)。自分の持つ可能性を見積もることは、ESIにとって難しい事です。
自分の能力未満の簡単な仕事に甘んじることは出来ますが、それと同時に極めて難易度の高い仕事を目指して、最高の仕事をします(しかし、その成果を他の人に伝えたりはしません)。
倫理的な洞察力はあるほうですが、友人やアドバイザー、パートナーを選ぶ際に、しばしば間違いを犯してしまいます。
ESIは「風車と戦うドン・キホーテ」の役割を演じることがあります。最も助けを与えるのにふさわしくない人間、ESIの信頼と友情を悪用しようとするロクでもない人間にチャンスを与え、彼らを助けるために尽力してしまうのです。ESIを騙して、失敗することが見えているプロジェクトのために働かせたり、博打としか言えないような投資に資金提供させたり、危険で報酬が不十分な仕事をさせるのは簡単です。簡単にスケープゴートにされてしまい、怪しげな取引や憶測の犠牲になったりします。
この結果としてESIは、行動、言葉、決定、人間関係に特に注意を払うようになります。しかし、彼らが慎重になればなるほど、多くの緊張と疑惑と敵意ばかりが増大してしまいます。
多くの問題は、起こりうる危険を予測し、正しく判断することができないこと、自分の強みを正しく見積もれないことから生じます。これは必然的に過労、神経衰弱、試験やスピーチの失敗を招いてしまいます。その結果、完全な敗者のような気分になってしまうのです。
ESIの成功は、多くの場合他の人々が想像もできないような努力によって成し遂げられるため(これはLSIと同様の傾向です)、他の人があまりにも簡単に成功しているのを見るとイライラしたり怒りを感じたりしてしまうかもしれません。
もちろんESIは安易な成功 [5]を信じていません。そしてそんな風に簡単な成功をおさめた新興企業の経営者の自信に満ちた態度を見るたびに、不快な気分になります。
◆◆◆
ESIは(LSIも同様ですが)、ビジネスであれ倫理であれ、あらゆる人間関係のシステムにおいて、自分の立ち位置や立場を明確に定義できないことにストレスを感じてしまいます。だからこそ、関係を明確にすることを最も重視しており、不確かな「はい」よりは明確な「いいえ」を好むのです。
完全に不確かな状況や、未知な状況で、何もせずにただ待っていなければならないことほど恐ろしいことはありません。
他の人からすると、ESIが何もせずにパニックに陥っているだけだと誤解してしまうかもしれませんが、この恐怖は、生き埋めにされた人間の絶望に匹敵するものです(このパニックは双対であるLIEであれば簡単になだめることが出来ます。ESIはすぐに自分を奮い立たせ、意志の力を動員して新しい挑戦に臨むことが出来るようになります)。
ESIは予想外の失望(例えば待ちに待った休日がなくなってしまったり、デートを中断しなくてはならなくなったり、せっかくのロマンチックな舞台が台無しになった場合)を非常に痛烈に受け止めてしまいます。彼らはこれを非常に長い間覚え続けており、それを思い出すことで、未来に幻想を抱かないように努めています。
派手好きで、予想できないような行動をとる人とは付き合わないようにしています。そうした人がグループ内にいる場合、彼らはすぐにその人の不要さや脅威を感じ取り、できるだけ早くその場を離れようとします(子供のESIがこのような状況に直面した場合、耐えきれずに悲しくなって、わけもわからずに泣き出してしまったりします。多くの場合、他の子供たちから離れようとします。不愉快な驚きのあるゲームや、愚かで残酷な悪戯が好きではないからです)。
◆◆◆
多くのESIは医者があまり好きではありません。健康に問題がある場合、「できればそんなことは知りたくなかった」と感じてしまいます。健康診断や検査が好きではありません。自分の身体的な問題を直視する時、どうしても不快になってしまいます(これは双対であるLIEの弱い感覚との無意識的な繋がりの表われです)。
自分をトラブルに巻き込まないために、絶え間なく自制し続けなければならないと自制し続けているうちに、人生の不完全燃焼を招き、いつの間にか、とても面白いことが終わってしまっていたという後悔に繋がります。
ESIは、双対であるLIEの助けによってのみ、この状態から抜け出すことが出来ます。LIEだけがESIの失敗した夢を実現させ、ファンタジー、人生への喜び、楽観主義、健康的な冒険主義、そして尽きることのないエネルギーを通して永遠の恐怖の呪縛からESIを救い出すことが出来ます。LIEの助けを受けたESIは、自分が無価値で無用な存在だと感じるのを止めるようになります。
ESIにとって、LIEは行き止まりの袋小路に開いた、新鮮な空気と明るい光に満ちた道のような存在です。LIEと出会うことで、彼らは愛と友情の理想を見つけ出すことが出来ます。ESIが限りない信頼を感じることが出来るのはLIEだけです。LIEの献身があれば、自己疑念からも、他人がESIに疑いを向けることからも解放されます。
無意識的な機能
第5機能(暗示):Te
ESIは、ビジネスセンスのある人、つまり、誠実な働き者、何でも屋、仕事のプロセスを改善し合理化することができる人に大きな敬意を払っています。ESIは、無意識のうちにLIEのビジネスロジック(Te)を志向しているため、常に無駄で非効率な仕事のやり方に気づき、それを非難します。
ESIはLIEと同様に、ビジネスの問題は目先の中途半端な対策ではなく、「抜本的な解決」をすべきだと考えています。しかしながらESIにとってはビジネスロジックの領域は最も受動的な精神機能に該当するものであるため、この領域で自主的に行動を起こすことは難しい事です(だからこそ双対の助けを必要としています)。
LIEの助けによって、ESIは現実的な自己実現の仕方、自分の価値のある使い方、自分の能力に合った職業を見つけることができるようになります。ESIはLIEの中に「自分のビジネス上の利益を守る人」を見出すことができます。
◆◆◆
ESIは非常に効率的で、集中的に作業することが出来ます。新しい専門分野の習得も早い方です。自分の能力を最大限に発揮できる仕事を好みます(単に好むだけではなく、きちんと能力を発揮できます)。
ESIにとって、創造的で知的な可能性を感じさせる仕事ができることは非常に重要です。また、プロフェッショナルになるための高度な職業訓練の機会があることも重要です。ESIにとって仕事とは心と魂の両方のために必要なものなのです。今やっている仕事で自分の能力を発揮できない場合は、仕事を変えようとします。
ビジネス上の問題を自分で解決しようとする場合、ESIは「ビジネスロジック」の側面を「ビジネス関係」の側面に置き換えるという間違いを犯すことがよくあります [6]。
彼らは仕事が落ち着くと、出来る限り上司を頼らないようにします。これはESIが無意識のうちにLIEのビジネスロジックに傾倒しているせいで生じる傾向です。LIEは事細かに説明や助けを求められることを嫌い、自主的に物事を判断する能力を高く評価します。
そうしたLIEを無意識に志向しているESIは、毎回他人の仕事を邪魔するのは「相手を不快にさせてしまうことだ」と感じてしまうため、無意識のうちに出来るだけ自分でなんとかしようとします。それが災いして「プライドが高すぎる」という印象を与えてしまうこともあります。
過敏さ(と直観の弱さ)のために、ESIは自分でビジネスをするのが難しいと感じることがあります。自分の値段を決めて、その主張を「守る」ことは難しいことです。そのせいで一方の利益が他方に損なわれるような関係になってしまいがちですが、それではビジネスは成立しません。そしてこれは、ESIが避けようとしている関係でもあります。
◆◆◆
同じ理由で、彼らは価格交渉も好みません。値段交渉は、自分自身と売り手の両方にとって屈辱的なことであると考えています。というのも、そもそも売り手は「これ以上安く売ることはできない」からこそ、その価格を設定して、客に適切な費用を負担してもらっているのです。
大幅な値下げはかえって不信感を生みます(最初の価格設定が明らかに高すぎたということを意味しているからです。つまり大幅な値下げが可能な売り手とは、悪い売り手だということです。そんな人と交渉する価値はありません)。
自分の賃金の値上げ交渉をするのも難しい事です。ESIは、自分の仕事を評価し、適切な報酬を与えるのは雇用主、あるいは上司のどちらかの役目であると考えています。わざわざ言わなければ適切な報酬を用意しない雇用主や上司というのは、絶望的にケチであるか、倒産しそうな会社であることを意味しているとESIは考えます。
いずれにせよそんな相手との交渉に時間を費やすよりも、早急に転職先を探して、沈みそうな船から逃げ出すべきだと考えます。
ビジネスというものが苦手なため、最も原始的なステレオタイプの解決策、すなわち「儲けられないなら節約する」「自分でできないならプロに頼む」「お金がないなら不便を我慢して節約する」という解決策によって生きています。
ESIにはビジネスの洞察力はあまりありません。プラグマティズ(実用主義、実際主義。理論や信念ではなく行動の結果から判断する主義)は、ESIにとって「非倫理的で、自分の第1機能 Fiに反するもの」だと感じてしまいます。
同じ理由で、恋愛の始まりやビジネス上の利害が対立する場面で、ESIが双対であるはずのLIEに共感することはむしろ難しいことです。ここではサメに食べられる寸前の小魚のような気分になってしまいます。
◆◆◆
ESIは、ビジネスロジックの面の情報を常に必要としています。「何をすべきか」「どうやってやるべきか」という問題に対する、自分のFiの視点と矛盾しない明確な答えを知っている必要があります。
そして全ての指示と説明を、ESIが満足できる形で提供できるのはLIEだけです(なぜならESIは無意識のうちにLIEのビジネスロジックである「代替的なプラグマティズム」に同調しているからです)。
ESIのビジネス上の問題は、LIEと「同じチーム」にいなければ解決できません。不幸にも敵対する陣営にLIEがいる場合、ESIはLIEと利害が一致するように調整するか、戦う必要がありますが、こうした状況ではおそらく敗北してしまうでしょう。LIE以外のタイプの手助けを受けたとしても、ESIの問題は解決せず、悪化するだけです。
第6機能(動員):Ni
時間というのは、ESIにとっては無視したい側面です。時間は感覚の敵です。時間がないせいで、彼らは作品を完璧に美しく仕上げることができません。時間は彼らの強さ、美しさ、若さ、(そして特にESIにとって苦痛なことですが)チャンスを盗むものです。時間は必ずしも楽しいとは言えない変化をもたらしますが、それと同時に必要なものです。しかし変化についていくにも、また時間がかかります。
ESIは、ゆっくりと細部まで丁寧に仕事をすることを好むほうです。ただし、そうした働き方しかできないわけではありません。もし必要としている人がいれば、非常に集中的に、休むことなく、いくつもの仕事を同時並行で進めたり、次から次へと仕事を切り替えていくことも出来ます。
ESIを活性化する最良の方法は、ESIに明確な「時間制限」を与えることです。彼らは与えられた期限に応じて、作業量を計画し、細部の仕上げまで間に合うようにしようとします。そのため、想定外の時間の消費を考慮しつつ、どれくらいの時間がかかるかを常に把握できることがESIにとって重要になります。
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忙しければ忙しいほど「自分は必要とされている」と感じる傾向があります。しかしESIにとって最善なのは、双対によってきちんと「ペース配分」してもらうことです。LIEは、ESIの「仕事のペースを過小評価、または過大評価してしまう問題のある直観」を考慮に入れたうえで、ESIのペース配分を上手く行うことが出来ます。
LIEに促されることで、ESIは与えられた仕事の妥当性を見極めつつ、LIEの忙しい仕事のリズムに合わせながら、「何か仕事をしたくても何もできることがないような、不本意な手持無沙汰で苦しむ空白の時間」を、長らく滞っていた自分の仕事で埋めることができるようになります。
ESIは非生産的な時間の浪費を嫌います。待つことが嫌いだし、人を待たせることも嫌いです。だからこそ、彼らは時間を守るように心がけています。
(可能性の直観 Ne が弱いため)時間厳守の代償として、無駄な時間を過ごさざるを得ません。様々な交通機関の遅延や渋滞を考慮したうえで「待ち合わせ時間ちょうどに到着する」などといった芸当はESIには困難なことです [7]。彼らは無計画なコミュニケーション(突然の来客や、長すぎる井戸端会議)に時間を費やすことは好みません。
これが、ESIがあまり交流を広げすぎないようにする理由の一つです。
ESIは自分の時間を大切にするタイプです。これはLIE-ESIペアの価値観であるだけではなく、ガンマクアドラの価値観(できるだけ多くのことをできるほうがいいし、自分の可能性を発揮できるほうがいいという価値観)でもあります。ESIにとって時間的な要素は特に重要なものです。
第7機能(監視):Fe
不快な倫理的関係を避けるための手段として、ESIはネガティブな感情の観察に重点を置いています。
ポジティブな感情は、観察していてあまり面白いものではありません。ポジティブな感情を見ても、それを信じないか、または自分個人に向けられたものだとはあまり考えません。ESIは、自分の観察範囲にいる全ての人の感情の状態を認識してはいますが、自分の個人的な関係に関する感情にしか興味を持ちません(この点でESIとEIIは異なっています)。
例えば、公の場で起こったスキャンダルを傍観していても、ESIにとってはただ不愉快なだけであり、何も面白さを感じません。個人的な関係に関係する感情にしか興味を持たないせいで、知らず知らずのうちに何らかの問題に巻き込まれ、当事者になってしまっていることもあります。
自分に直接関係しないチーム内の陰謀、ゴシップ、いさかいは、ESIの興味を引くものではありません。
彼らは誰が誰にウィンクしているかなんて気にしていません(その気になれば把握できますが)。ESIにとって重要なのは、それが自分やパートナーに直接関係するかどうかだけです。
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他人の痛みや苦しみには非常に敏感なほうですが、慰めるのは好きではありません。
「同情することで苦痛を掘り返してしまい、その結果また同じ苦痛を経験させてしまうのではないか」と恐れているからです(苦しみは不快な感覚であり、一刻も早く過去のものにすべきであり、わざわざ誇張すべきものではないと彼らは考えています)。実際に同情の言葉を言うことは、ESIにとってさらに嫌なことです(礼儀として必要なら無理にでも言いますが)。
いつも色々なことを手助けしようとしています。具体的な行動に基づかない同情は説得力に欠けるものであり、偽善的だと受け取られてしまう危険性があると考えています。
感謝の気持ちを表すのも同じです。感謝の気持ちを感じていなかったとしても、礼儀として必要であれば、感謝してみせる努力をします。ESIの心からの「ありがとう」は、とても価値の高いものです。
ESIは善行を倫理的規範とし、悪行を規範からの逸脱とみなしています。そのためESIは悪行を長い間覚えていますが、善行は「当たり前」のこととして受け取る傾向があります。そのせいで人によっては「ESIは恩知らずだ」と感じてしまうかもしれません [8]。
意図的に人を傷つけることはできません。誤って誰かを苦しめた場合、非常に心配になってしまいます。
彼らは自分の感情に応じて自分の利益を犠牲にする傾向があります。恋愛や友情において、ESIは並外れた感情移入をしてしまうことがあります。そうでなければ、LIEのような非常に傷つきやすく、内気な相手に自分の感情を見せるよう説得することはできなかったでしょう(時にはLIEがESIの情熱の行き過ぎを抑えなければならないことがあるのは確かですが。仕事に支障をきたしそうな場合は特にそうする必要があります)。
LIE以外のタイプのパートナーが、ESIの敬虔で激しい感情によって活性化されることはありません。それどころか、ESIの外見的な冷たさや無愛想さとESIの激しい感情が一致しないせいで、威圧的で恐怖を感じることさえあるかもしれません。
ESIにとって自分の気持ちは自分の裁量に任されているものです。他の誰にも、自分の感情の強さや激しさをコントロールする権利はないと考えています。どんな感情であっても、それは彼らのものです。
もしパートナーが彼らESIの感情のあり方を気に入らない場合、ESIは別のパートナーを探そうとするかもしれません。ESIは「感情の調整」に対して寛容ではありません。相手の気分に合わせて自分の気持ちを調整することは、ESIにとって理解できないことであり、偽善的ですらあることです。
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ESIの気分は、周囲の人々の気分に応じて自動的に変わる可能性があります。つまり彼らの気分は、外部の影響によって上下する可能性があるのです。しかし基本的にESIが「場のムード作り」をすることはありません。
お世辞や安っぽい褒め言葉を素直に受け取るタイプではありません。ESI自身はお世辞を言ったり人を褒めたりする方ではありません。心の中で賞賛するだけです。
彼らの理解では、褒め言葉はお世辞と同じものです。そのため、誰かに誠実な賞賛を贈ろうとする際に「お世辞を言っている」と誤解されることを恐れています。心の中ではいつも誰かの長所に敬意を払っていますが、それを毎回口に出してはっきり言ったりするわけではありません。
他人に同情や共感を言葉で伝えるのは、かなり消極的なほうです。自分の感情をあからさまに表現することにも、かなり慎重です。
心から感じている以上のことを誇張して表現することは決してありませんが、反感や嫌悪感の表現は非常に率直なほうです(時には相手が失礼だと感じるほど率直に表現します)。反感や嫌悪感を率直に表現することは許されることだと考えているからです [10]。
第8機能(実証):Si
ESIのSiの目的と意味は、パートナーに最大限の快適さ、居心地のよさ、喜びを与えるための条件を作り出すこと、そして不快な感覚からパートナーを保護することです。
LIE-ESI双対ペアの場合、「感覚の調和」そのものを目指しているわけではありません。しかしながら、「感覚の調和」は彼らが目指している「倫理的な調和」を構成する一つの要素であり、鍵になるものです。
何らかの作品を作る場合、彼らは「自分の作品がどのように受け取られるか」を常に考えています。例えば、作品を間近で見てもらうことを前提に、細部まで丁寧に作り込んだりします。
作品を評価しようとする人々が自分の作品に近づきすぎたからと言って、恥ずかしがってはいられません。ハンドクラフトを作った場合、「優美さ」や「細かい部分の完成度」によって、他のタイプの人の作品と区別されるかもしれません。
彼らの作品は記念碑的というよりミニチュア的になりがちです [9]。
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明るく、派手で、刺激的な色の組み合わせの絵画は好きではありません。そのため、どちらかというとデザインや美術工芸品の分野への適性が高いほうだと言えます。LSIと同様に、人から依頼されたテーマに取り組むほうが楽に感じます。誰かが必要としているという事実が、やる気に繋がります。
シンプルな食材と最低限の時間・費用で、とても美味しい料理を作ることが出来ます。ゲストができるだけ快適に過ごせるよう配慮しながら、最高水準のパーティーを開催することもできます。
なるべく簡単に(皮をむいたり、コショウをかけたりしなくても)食べられる食べ物を用意しようとしますが、彼ら自身はあまり「食べやすさ」を考慮している自覚はないかもしれません。
これは無意識のうちにLIEを志向しているために生じることです(LIEは食事しながら、仕事をしたり、テレビを見たり、新聞を読んだりしたがるタイプ。自分が今何を食べているのか、気付いていないことすらあります)。
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シンプルで洗練されていて、機能性の高い服装を好みます。贅沢だったり華美な装飾品を身に着けることはほとんどなく、赤の他人の注目を集めないような服装を選ぶ傾向があります(服よりも顔を見てほしいと感じるタイプです)。服は彼自身の美しさの添え物でしかありません。
複雑な方法をとらなくても、非常に上手く居心地の良さや快適さを作り出すことができます。整理整頓できていて清潔であることは、彼らの人生にとって欠かすことのできない条件です。
仕事から帰ってきた時、部屋が汚いとウンザリしてしまうので、出発間際の数分を整理整頓に費やしたりもします。ESIにとって整理整頓されていること・清潔であることは、非常に重要なことなのです。きちんと整頓されていて邪魔にならないインテリアを好みます。「甘ったるい」装飾は嫌いです(これはSLIの美意識と共通しています)。
自分自身に飽き飽きしないようにするために、芸術や音楽の才能を開花させようとすることが多いです(そのおかげで、一人で時間を過ごす際に、あるいは双対のLIEと二人で時間を過ごす際に、退屈することはありません)。
芸術の領域で、ESIは自分の努力が開花する可能性を見出します(そして実際に成功することもあります)。ESIにとって、自分の芸術のスキルを評価することは非常に重要なことです。彼らは親しい友人たちの小さな輪の中だけで自分の芸術性を示すことを好みます。また、何よりもまず、自分のスキルでパートナーを喜ばせることに関心を向けます。
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ESIは、相手の感覚と自分の感覚を非常に正確に調整する自然な(無意識的な)能力を持っています。彼らの持つこの能力は、双対のLIEによって高く評価され、LIEとESIの双方に大きな喜びを与えることになります。
ESIの芸術の特色は、彼らの倫理的なプログラム(第1機能 Fi)と密接に結びついています。多くの場合これは「パートナーとの快適な家庭」という形で表現されます(これは典型例は、幼いESIが作り出す、「王子」と「バービー人形」が暮らす居心地のいい家庭です)。ESIのアートワークの中には、こうした夢の表われが見られることがあります。
訳注
- ^ 日常語的な意味での「弱い」という意味ではなく、ソシオニクスの用語としての「弱い」。モデルAの第3,4,5,6機能は、機能二分法「弱い」だと定義されている。次元という分類では、第3,6機能は二次元性、第4,5機能は一次元性である。
- ^ 第1機能は先導機能、主導機能という他に、「プログラム機能」と呼ばれることもある。
- ^ 「揺るぎない倫理観を反映した最大公約数的な性格」とは:ESIの基準を満たすか、満たさないかの2つしかない白黒思考的な性格という意味。「ある部分では基準を満たしていてもでも、別の部分では基準を満たしていない人」を強引に「基準を満たしている人」か「満たしていない人」かに分類してしまうこと。
- ^ 「相手を警戒して率直に話さないことで」という意味。
- ^ 宝くじに当たって金持ちになるなど、努力以外の要素で苦労せずに成功すること。
- ^ 業務効率について考えているつもりが、いつの間にか人間関係の問題に置き換わってしまう。
- ^ だから、待ち合わせの時間よりもずっと前に待ち合わせ場所に到着して、他の人を待つという無駄な時間を過ごさざるを得なくなる。
- ^ つまり、ESIが「ありがとう」と言ったということは、「当たり前」以上の、非常に大きい善行を行ったとESIが認識していることを意味するため、「とても価値が高い」と言える。
- ^ いかに象徴的なものを作るかよりも、いかに細かい部分を正確に作り込むかに力を注ぐ傾向がある。
- ^ 第1機能 Fiより、相互の「率直さ」が友好関係の前提条件、あるいは義務であるという考えを持っているため。