直観 - 感覚
感覚タイプの情報代謝は、文字通り感覚によって生きています。自然や芸術を知覚し、見えるもの、聞こえるもの、感じられるもの全てを味わうことができます。自分の肉体と、身体的ニーズを非常に正確に知覚でき、明確なリズムのある生活を送ります。
まるで感覚タイプは今日この日だけを生きているかのようです。明日起こることは全て、彼らにとっては少し予測の外にあることです。抽象的思考力が未発達であるため、先見性が欠けており、自分の力と意志だけに頼ります。
外向、かつ感覚タイプの場合、活動的すぎて自分の人生を困難にしています。
内向、かつ感覚タイプの場合受動的すぎて、間違いを恐れすぎており、本当にやってもいいのかどうか確信を持てません。彼らは「やりすぎ」を恐れています。その恐れようは、自分自身から見ても、他の内向タイプ(つまり内向、かつ直観タイプ)の人たちの目から見ても滑稽に見えるほどです。
直観タイプの情報代謝における感覚は、薄暗く、常に散漫としています。自分自身の身体感覚でさえも、漠然としてしか知覚できません。肉を持った身体が自分にもあることを十分に実感できるのは、彼らが鏡を見ている時だけかもしれません。
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感覚タイプは、直観タイプとはまるで異なった人生を送ります。食事の仕方、呼吸の仕方、自然と美の感じ方、そのすべてが異なっています。これは、感覚タイプと直観タイプとでは、人生の豊かさを異なった方法で認識していると言うことも出来るでしょう。
直観タイプが人生の豊かさにアクセスするためには、愛し、愛される関係を築き、彼らを尊重してくれる感覚タイプの人がいなければなりません。
一方で、感覚タイプは直観タイプとの友情のおかげで、起きていることを冷静に考え、未来を信頼し、不測の事態を避けることができます。もしも様々な要素(例えば知的レベルや、興味の方向性、属している文化)が合致していれば、直観タイプはすすんで感覚タイプのリズムに合わせたり、未来への展望を与えたり、様々な活動の相対性や無限に広がる未知の可能性を感じさせることができます。
感覚タイプは、文字通りの意味で、あらゆる身体的ニーズに注意を払い、それらを肉体的自己の不可欠な部分として捉えます。感覚タイプにとって、魅力 [1]とは自己実現への不可侵の権利であり、他者に影響を与える手段です。
直観タイプは、実在する身の回りの環境や、肉体を持った存在としての「自分」をぼんやりとしてしか認識していないのと同様に、こうした魅力をぼんやりとしてしか知覚できないため、あまり信頼に足るものだとは感じられません。魅力というものは、実在する物なのか、それとも空想の産物なのか、本当にそんなものが存在するのかを疑っているほどです。
そのため、直観タイプは自分の手でイニシアチブをとるよりも、相手にイニシアチブをとってもらうことを期待します。
そんな直観タイプに対して、感覚タイプは、魅力の対象を自分から求め、実際にそれを手に入れようとしたり、実現しようとします。
そして、直観タイプは、自分がその「魅力の対象」になる必要性を感じます。なぜなら、それが「自分のニーズや欲望を満たす権利」を獲得するチャンスに繋がるからです。
感覚タイプが直観タイプに魅力を感じるということは、すなわち、直観タイプにとっては「肉体を持った自分が存在することの証明」を意味します。それゆえ、それが起こる瞬間は「精神的補完」の瞬間であるといえます。直観タイプにとって、魅力は自身を具体化するものであり、そのための手段です。必要なものであり、不可欠なものであり、望ましいものであり、同時に危険なものでもあります。
感覚タイプと「精神的補完」を遂げた直観タイプは、自力では抜け出せない渦に吞み込まれていくかのように、必然的にパートナーの生活のリズムに巻き込まれていくことになります。直観タイプはそれを理解しているからこそ、征服されることへの恐れと警戒心を感じるのです。
上記のような背景があるため、自身の魅力で誰かの気を引こうとするのは、感覚タイプだけに限られます。また感覚タイプは、自分の精神的ニーズのすべてを相手が満たせそうになく、「精神的補完」が難しいと感じると、感情が冷めてしまい、そのまま関係を放棄してしまいます(つまり、関係を開始するという意味でも、終了するという意味でも、イニシアチブを握るのは感覚タイプのほうです)。
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また、感覚タイプは恒常性と一種の依存性、従順性を必要としています。これは感覚タイプのイニシアチブをサポートできる直観タイプのみに提供可能なニーズです。
しかし、直観タイプがパートナーからの従順性を手中に収めることはできません。直観タイプは、パートナーから望まれていることが何かを理解する力には優れていますが、だからといってパートナーの望みをくみ取って、自分が能動的に活動できるわけではありません。
直観タイプにとって性行為に関する物事はタブーです。彼らにとって、こういったことがタブーなのは、なにも内気だからとか、育ちが良すぎるからというわけではなく、彼らの性行為に対する態度の特殊性のためです。
直観タイプの場合、パートナーよりも自分の方が性的な面で活動的になってしまった場合、非常に不快な気分になり、パートナーに感じていた肯定的な態度が、否定的な態度に変わってしまいます。
先述した通り、直観タイプがイニシアチブをとって関係を開始するのは難しいため、直観タイプは、思想的には自由奔放であるにもかかわらず、対人関係ではより控え目で、一般的には性的な奔放さは見られません。
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直観タイプと感覚タイプの関係における嫉妬の効果は興味深いものです。
直観タイプは、パートナーの偶発的な行動で何かが変わったりはしないことを理解しています。そんな直観タイプと比べると、自分自身の経験に基づいて判断する感覚タイプのほうが嫉妬深いです。
しかしながら、少しの嫉妬は両者の関係性にとってプラスの効果があります。
なぜなら、ここでの嫉妬は、直観タイプに「自分の価値」を実感させてくれるものであり、嫉妬されるほど自分が必要とされ、求められていること、自分が相手にとってかけがえのない存在であることを思い出させてくれるものだからです。
感覚タイプからの嫉妬は、直観タイプにとっては「自分が価値ある存在だと、パートナーが認識していること」を示す、最も説得力のある証拠となります。
全ての直観タイプは、自分のことよりも他者を気遣う傾向があります。
感覚タイプは自分の物質的利益を理解しており、それを守る術を熟知しています。
直観タイプは、他の人が残したものに、あるいは他の人がケアしてくれるものに期待します [2]。
直観タイプの感覚は規範的です [3]。そのため、ファッションでは既に確立されている美的基準を厳密に順守しようとします。服選びやアクセサリー選びをしていて、何か「こうしたほうがいいかも」と閃いても、確立された美的基準から外れている場合は、自分の閃きを上手く活かすことができません。
そんな直観タイプを補完する感覚タイプがいない場合、直観タイプは規範を順守することに疲れ果ててしまい、日常生活を度外視した方向へと迷走してしまったり、無秩序状態に陥ってしまったりすることがあります。
美的センスという点において、直観タイプの人々は、知識としては様々なことを知っていますが、自分自身の美的センスにはあまり自信を持っていません。自分の肉体、服装、所作の美しさというものがよくわからないのです。そのため、感覚タイプに補完されていない直観タイプは、間違いなくぎこちなく見えます。
しかし、「監督」してくれる人がいる時の直観タイプは、自分自身に満足している感覚タイプを上回る完璧さに至ることができます。
こうした規範は、人の健康状態に関わる問題でも当てはまります。
感覚タイプは自分の感覚を信頼しきっています。感覚タイプは、自分が感じた「健康だ」とか、あるいは「病気だ」という感覚に疑いを感じません。
どれほど彼らが自分の感覚を信頼しているかというと、医者の根拠のなさそうな診断よりも、自分の感覚の方が正しいと感じるほどです。
もしも「私は病気だ」と感じている感覚タイプが、医者から「あなたは病気ではありません」と言われた場合は、もっと別の医者(「あなたは病気だ」という診断を下せる医者)を探し始めるでしょう。
それに対して、直観タイプは自分自身の感覚にそこまで強く信じていません。
直観タイプは、自分の「私は健康だ」とか「病気かもしれない」といった感覚よりも、医者の診断(つまり規範)のほうが、よほど客観的で信頼するに足るものだと感じます。
医者の診断は「規範」であり、直観タイプは自分が感じる健康か病気かの感覚ではなく、医者の診断に従って行動します。
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そのため時間の使い方 [4]だけではなく、オブジェクト、サブジェクト、現状の持つポテンシャルエネルギー [5]にも非常に注意を払っています。間違いなく、ここには創造性はありません。したがって感覚タイプは戦術家であり、直観タイプは戦略家です。
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直観タイプと感覚タイプとでは、目、歩き方、外見なども異なっています。
直観タイプの目は、何かを見ているようで何も見ていません。一方、感覚タイプの目は非常によく見ています。感覚タイプの目は、あらゆることに気が付く人の目です。
直観タイプの歩き方はどこか頼りなく、少し宙に浮いているようにさえ見え、誰が相手でも道を譲ろうとします。感覚タイプの歩き方は、明確さ、自信、不屈さによって区別されます。
もうひとつ興味深い点は、内向直観タイプ [6]の顔が最も縦に細長く、内向感覚タイプ [7]の顔が最も横幅が長い傾向があるという点です。
また、外向直観タイプ [8]と、外向感覚タイプ [9]を比較してみると、いずれも循環性 [10]であることから、両者に生得的な差異はないと推測する人がいるかもしれません。しかしながら、実際には外向感覚タイプ [9]よりも外向直観タイプ [8]の顔のほうが細長く見える傾向があります。
これは主に口元や額のシワが原因です。対する外向感覚タイプの顔には丸みがありますが、これは主に意志が強い人々 [11]の発達した頬骨によるものです。
食いしばりの傾向が見られる頬骨は、特にSEEに顕著に見られる特徴です。
目を見れば、その人が感覚タイプか直観タイプかだけではなく、その人の感覚・直観が外向性のものか、内向性のものかも判別できます。これは、その人の目の開き具合を見ることでわかります。
外向性直観(Ne)を持つタイプが、最も大きく目を開いています。対して、内向性直観(Ni)を持つタイプが、最も目を細める傾向があります。これは、その人が物思いに耽っている時に最も顕著に観察できます。
感覚タイプはこの中間的な特徴を持っています。どちらかというと外向感覚(Se)タイプのほうが、内向感覚(Si)タイプよりも目を大きく開いていることが多いです。これは、前者は空間全体を見ようとしているのに対して、後者は個々のオブジェクトだけに焦点を合わせているためです。
目を大きく開く傾向の強いタイプから、目を細める傾向の強いタイプまでを順に並べると、下記のようになります(目以外の顔の構造が類似している人同士を比較した場合):
論理タイプと倫理タイプについて述べた章では、倫理タイプは自分の仕事量を評価することができないと説明しました。直観タイプが上手く評価できないのは仕事の品質です。直観タイプの場合、自分の仕事の品質が十分かどうか確信が持てずに、仕事を完了できない傾向、言い換えれば、終わりのない仕事に溺れてしまう傾向があります [12]
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出典の全文訳:人間の双対性(by A. Augusta)
訳注
- ^ 肉体美や容姿の美しさなどの、身体的な魅力。
- ^ 感覚タイプが、まず先に欲しいものを確保し、直観タイプは感覚タイプが選ばなかったものを選ぶ立ち位置に立つか、または、他の人(感覚タイプ)から与えられるものを受け取る立ち位置に立つことが多い。推測ではあるものの、オーシュラのこうした記述が、グレンコのロマンス・スタイルに影響を与えているのかもしれない。「感覚タイプが選ばなかったものを選ぶ」直観タイプが犠牲者タイプ(ベータとガンマの直観タイプ)、「感覚タイプから与えられるものを受け取る」直観タイプが子供タイプ(アルファとデルタの直観タイプ)。
- ^ オーシュラのこうした記述は、ブカロフやイェルマークの機能の次元という説に引き継がれている。ただし、後のソシオニクスでは、モデルAの第3機能と第6機能は規範パラメーターを持つ「まさに規範的」な機能であるのに対して、モデルAの第4機能と第5機能は規範パラメーターを持たない機能であるとされているため、場合によっては直観タイプでも規範から逸脱した行動をとりうるとしている。健康管理(Si)を例にして考えてみると、LIEやEIEは知識としてSiの規範「規則正しい生活は大切」を知っていても、いざその時になると寝食を忘れて仕事や遊びにのめりこみ、体調を崩すということがある。
- ^ 時間の使い方:情報要素 Niに関連。
- ^ ポテンシャルエネルギー:情報要素 Neに関連。
- ^ IEI、ILI
- ^ SEI、SLI
- ^ ILE、IEE
- ^ SLE、SEE
- ^ 循環性:オーシュラは二分法の非合理を「循環性」という言葉で説明している。また、循環性(非合理)と分裂性(合理)と外見的特徴との結びつけも行っている。関連記事「合理と非合理(by A. Augusta)」
- ^ 意志の感覚とも呼ばれる情報要素 Seが主導機能のタイプであるSLE、SEE
- ^ この説明は、タイプによってはオーシュラの説明とは真逆の説明がされることがある。例えばLIEは直観タイプであるが、ほどほどの品質で仕事を進めるのが得意なタイプだと言われることがある。関連記事「機能の符号とタイピング時の注意点 」−Te : LIEのQ「『製品は高品質でなければなりません』という考えについて、あなたはどう思いますか?」の回答を参照」