双対関係であるEIIの説明にもLSEに関する説明があります。
意識的な機能
第1機能(先導):Te
LSEのビジネスの論理(Te)は、主に彼らの「意志の強さ」「指導力」「他人に要求を通す力」「努力する力」「リソースの管理分配能力」「余剰リソースの活用能力」に基づいています。
彼らは客観的な経済状況が好ましいか否かに関係なく、この能力を発揮します。この安定感は特筆に価します(強力な直観に依存するLIEとは違い、LSEのTeは絶え間ない変化に適応し、それを利用する能力に依存しています。LSEはこの能力によって、客観的な条件やチャンスを最大限に活用します)。
「何かをマスターするということは、決して偶然の産物ではありません。高みを追求する意志、地道な努力、熟練した技術を知的に積み上げた結果です。多くの選択肢の中から、賢明な選択をしたことを意味します」(アリストテレス)
◆◆◆
このタイプの人々は、「並外れた仕事の能力」と「高レベルの活動」によって際立っています。彼らは自分の専門スキルを高めようとしています。スキルが向上すれば、新しい創造的な探究の範囲を広げることが出来ます。そして探究の範囲を広げれば、自分の専門スキルをもっと新しく、もっと高度なものにすることができます。これはLSEにとって限りなくエキサイティングで面白い事なのです。
どんな仕事であっても最大限の努力と能力を注ぎ込み、高いプロ意識を持って打ち込むことが出来ます。というより基本的に、それ以外のやり方で仕事をすることができません(自分の創造的な目標や職業上の利益に反する行動だと考えてしまうためです)。
どれだけ時間がかかっても、どれだけ労力がかかっても、それを理由に仕事を制限することもありません。自分の目に入る全ての仕事の「出来栄え」を「もっと良くしたい」と思っているような節があります。
LSEのこうした創造的な姿勢は、彼らを強靭に鍛え、想像力を刺激し、興味の幅を広げます。そして、さらに複雑で面白い仕事にチャレンジできるようになります。
◆◆◆
彼らのビジネスは無限であり、無尽蔵です。一度やり始めると、まるで「金鉱」を掘り進めるように、新しい地平を見つけ出していきます。
完璧を目指して働きます。どんな仕事や職業でも、彼らは最高レベルのプロ意識を持って取り組みます。彼らの知識の広大さは非情に素晴らしいものです。自分にも他人にも非常に厳しく、どんなことにも高い献身をします。
「何事も最高を目指して行動する」
「勝利は、全てを準備する人を待っている。人はこれを幸運と呼ぶ」(アムンゼン)
彼らの人生の意義は、仕事、労働、自分が選んだ職業に従事することにあります。
このタイプの人々は通常、「半分の力で働く」ということができません。原則的に「無責任な仕事」を容認することができません。「ずさん」な仕事をしている人間のことを「人間」と呼ぶことなどできないとすら考えています。言うまでもなく、LSEは「他人の労力にタダ乗りする人間」や「怠け者」とは真逆の存在です。
とはいえ通常、大人になったLSEがこのような怠け者を駆逐するためにエネルギーを浪費することはありません。世界の悪を根絶することなど不可能ですし、世の中にはもっと重要なことがあるからです。
◆◆◆
彼らは無私の仕事こそがスタンダードだと考えています。そのため基本的にはあまり人を賞賛したり励ましたりしないほうです。もしもLSEが教師やインストラクターになったら、一般的な量の2倍の作業を割り当てることでしょう。
LSEが奨励する唯一のことは、カウンター・イニシアチブです。例えばLSEが2倍量の作業を課して、あなたがLSEのイニシアチブを奪うため4倍量の作業をこなしたとします。そんな時LSEは「良く出来ていますが次は…」と言って、あなたにさらなる作業を課すことになるでしょう。
ちなみに、これから先はずっと4倍量以上やることが当然ということになっています。
もちろんLSEに「作業量を減らしてほしい」と要求することは可能ですが(これはLSEの衝突関係にあたるIEIの得意技です)、そういう態度をとられると、LSEは非常に驚き、心配し始めてしまいます(「こんな調子で進捗は大丈夫だろうか」)。
LSEは、「膨大な量の仕事をこなすこと」が自分のためになると思っています(また、他人にとっても同じことが言えると考えています)。ほとんどないことですが、最も親しい人にだけ、自分の疲労を訴えることがあります(過労や無理がLSEの一生にわたって付きまといます)。
◆◆◆
通常、誰か上手く作業をこなせない人がいる場合、その人から作業を引き継いで自分でその作業を片づけてしまいますが、その際、どうすればいいのか細かく教えようとします(LSEはSLEとは対照的に、「生き方」を教えるのではなく、具体的な作業の「やり方」を教えます)。
やり方の創意工夫という点では、このタイプは他者を圧倒しています。彼らの仕事の進め方の長所は、利用できるスペアやチャンスを最大限に活用できる点です。
LSEの方法の有効性は、驚嘆に値するような素晴らしい結果を生み出します。LSEは、その方法を開発するにあたって、無意識のうちに「自分の強み、能力、時間を計算して仕事を進めることができる人」を探します(LSEの双対関係にあたるEIIが、まさにこの条件に合致します)。
◆◆◆
ただし、LSEのやり方に従う場合は、細心の注意を払う必要があります。そうしないと極端な負担やオーバーワークを強いられる可能性があるためです。
とはいえ失敗しても決してLSEのやり方の「疑わしさ」のせいにしてはいけません。そういった指摘がLSEを傷付けてしまうというのは言うまでもありませんが、そもそもその指摘自体がおそらく的外れだからです。
LSEは、経験の裏付けがなくて本当に有効かどうか確信が持てないものを、未検証のまま人に勧めたりすることはありません。だからLSEの助言を「非現実的だ」とか「無責任だ」と批判すべきではありません。LSEが無責任な助言をすることはないからです。
この場合、失敗の原因として別の何かが考えられるかもしれません。例えばLSEの助言を受けた誰かが何かを誤解してしまった場合などです。しかし、このせいで失敗してしまったとしても、それはもはやLSEのせいとは言えないはずです。
LSEは、非常に責任感が強いです。一度約束したことを、いつでも、どんな状況でも守ります。約束を守らないことなどありえません。
このタイプの人々は双方向の義務に関してはかなり厳しいほうです。きちんと規律をもって、守るべきことを守ります。どんな仕事であっても、一度やると決めた仕事は真剣に取り組むため、どうでもいい仕事はあまり引き受けたがりません。
十分な理由がないのに、他人に助けを求めることはありません。自分の問題は自分で解決したがります(そして他人にも同じことを求めます)。
◆◆◆
このタイプの人々は「おいしい儲け話」を信じていません。どんな仕事でも、費やされた労力の量によって価値が決まると考えています。
「もしもすべてが簡単に見えるなら、それは間違いなく、その労働者がほとんど技術を持っておらず、その仕事が彼の理解を超えていることの証明である」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
あまりにも仕事が早く出来上がった場合、LSEはその仕事の誤りを探し始めます(そしてたいてい誤りを見つけます)。
従業員のプロ意識とビジネススキルを高く評価します(時には優秀な人をヘッドハントすることもあります)。また、様々な分野の知識を持つことも高く評価しています。LSE自身、驚くほど博学であることもしばしばです。
◆◆◆
あらゆる面を合理性の観点から評価します。無駄な仕事はしません。彼らはビジネスの合理性と利益によって動機づけられています。生産性を最大にするための技術的条件を巧みに整理できます。
LSEはじっと座っていることができないタイプです。必要ならいつでもすぐに仕事に取り組めます(例えば従業員を率いて大掃除をするとなったら、積極的に作業に参加します)。
なよなよした所や、だらしなさはありません。いつも自分にも他人にも厳しいです。常に欠点や未解決の問題に注意を払い、従業員の活動不足や、自発性やビジネスへの熱意の欠如を批判します。
非常に正確に仕事します。自分の仕事の出来映えをチェックする場合、他人を信用せず、自分の手で自分の成果物も、同僚の成果物もチェックします。LSEの仕事は、再チェックの必要性すらありません。
自分の仕事の品質に満足することはありません。周りの人が自分より良い仕事をすれば純粋に喜びますが、自慢されると嫌な気分になります。
仕事の成果を報告する際には、成功したことや成果を強調しながら、すべての仕事を余すところなくリストアップします。
◆◆◆
気分でパフォーマンスが左右されたりはしません(ただしLSEの機嫌のの悪さは、同僚や周囲の人々のパフォーマンスに悪影響を及ぼします)。
責任ある仕事をするために、即興や運、インスピレーションをあてにせず、タイムリーに仕事を始めること、そしてハードワークだけを頼りにしています(LSEは「適当なタイミングに着手する」というのが苦手で、準備のプロセスがまだ完了しておらず、今後起こりうる問題の多くのデータが十分に明らかになっていない段階で、性急に仕事を始めてしまうことがあります)。
どんな仕事でも途中でやめたりはしません。他の仕事に追われている時、部下に自分の仕事を任せることはありますが、それも滅多にあることではありませんし、彼らにとっては不本意なことです。LSEは、1つの仕事がまだ完了していない状態で、別の仕事を割り当てられることを好みません。
第2機能(創造):Si
このタイプの人々が最も重視することは審美性です。自分の成すこと全てに対して、完璧な美しさを求めます。テクニックやスキルをどこまでも磨き上げます。
LSEは、どんなものであっても極限まで美しさを追求する人という印象を他者に与えるタイプです。品質が自分の創造的なアイデアに満たないと、強い怒りを感じます。
「どんな人の手も、作品を絶対的に完璧にすることはできない」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
しかし、それでも美的完成度を追求するのが、このLSEというタイプです。
◆◆◆
美しく生きるということは、彼らにとって最も重要なことです。労働者であろうと牧師であろうと、LSEの服装はいつもスマートで整っています。
このタイプの人々は、服を非常にきちんと手入れしたり着こなしたりできます。一着の服を何年間も、まるで新品同然に着続けることができます。
気取らず、過剰すぎず、上品な着こなしをしています。ファッションの流行を追いかけたりはしません(LSEの服の趣味は非常に保守的です。彼らは自分の美的基準に従います)。
主要な服のスタイルはクラシックですが、気品ある上質な仕立てが目を引きます(「高価な謙遜」)。
多くのLSEの女性は、ビジネスライクで控えめでありながらも高価なジュエリーを好みます。化粧品や香水選びのセンスも素晴らしいです(女性のLSEには、年をとっても美しさを保っているという特徴が見受けられます)。
◆◆◆
嗜好は習慣と同じで、なかなか変わりません。試したことのない味には疑り深いほうで、時には偏見を持つこともあります。
馴染みのない料理を口にするたびに、それが何なのか、何でできているのかをまず確認しようとします。
自分から見て「食べられない」と思われるものには、かなり敏感に拒絶します。自分が好きな食べ物、食べ慣れたものであれば、食べ飽きることはありません。
食事の単調さを苦痛だとは感じないタイプです。
(wikisocion編集者注釈:一般的に、これらの特徴はサブタイプに依存しています。感覚サブタイプのほうが論理サブタイプよりも感覚的嗜好が顕著です)
LSEの外見的な特徴をあげるのであれば、まず最初に、真っすぐな姿勢と、広い肩幅をあげることができます。背筋をすっと伸ばして歩き、振り向く際は体全体を使って振り向きます。このタイプの男性は、たとえ兵役に就いたことがなかったとしても、キリッとした姿勢をしています。
彼らは自分自身の身なりだけではなく、他人の身なりも気にします。LSEが採用試験を担当した場合、面接に来た人が仮に一級のスペシャリストであり、強力な推薦状を持っていたとしても、服装がきちんとしていない場合、不採用にすることもあります。
美しさ、優雅さ、美的感覚、優れたセンスは、このタイプの持つ不変の特徴です。これが彼らを取り巻くものであり、彼らの手によって生み出されるものです。
◆◆◆
家庭での夕食は、LSEにとって儀式的かつ祝祭的な場です。最高の食器をテーブルに並べ、特別な料理を用意します。すべてを最高のレベルにしようとします(平日の夕食ですら、こんな調子のLSEもいます)。
もちろんLSEの料理人や職人がいかに優れているかは言うまでもありません。彼らは自然を愛するだけに飽き足らず、様々な芸術的工芸品について造詣を深め、時には職業的志向を大きく転換することもあります。
例えばある数学の教師は、最初デッサンを学び、次にフラワーアレンジメントを学び、陶芸や焼き物の講座を受講した後、独自の陶芸技術を開発して特許を取得し、陶芸工場を開き、さらに陶芸の彫刻やお土産作成についても学びました。
清潔さ、秩序、上質の快適さは、LSEが自分の家になくてはならない要素だと考えているものです。
また。あらゆる場面で必要なものがすべて家の中に揃っていなければならないとも考えています。
LSEの家には、空っぽの棚や冷蔵庫などありません。LSEは「私の家は私の要塞である」の原則、つまり「外で何があっても問題ないように物資を蓄えておく」という原則で生きています。うっかり補充を忘れたりもしません。
古くなってしまった余剰品は、それが使えないと判断した時だけ捨てます。値段に関係なく、質のいいものだけを少量ずつ購入します(使いきれずに捨てたりしなくてもいいようにするため)。
きちんと丁寧に、そして経済的に家計のやりくりができます。
◆◆◆
体調を崩さないように気を付けています。病気の予防と運動を大切にしています。
病気で休むのは嫌なので、回復し始めたらすぐに仕事に行こうとします。もしもLSEの部下が3日~4日以上体調を崩して仕事を休んだ場合、LSEは「仕事から逃げ出した」と考えることでしょう。
並外れたスタミナを持っており、年をとっても健康的な体型を維持しているほうです。LSEは、基本的に自分の健康問題について不満を言うことがありません。仮に言っていたとしたら、本当に深刻な問題が発生していることを意味します。
旅行やアクティブで快適なレクリエーションを好みます。定期的に展示会やショー、劇を観に行きます。いつも文化的、社会的な生活を送ろうと意識しています。
第3機能(役割):Fe
あまり馴染みのない社会的な場では、冗談を言ったり、笑ったりして、明るく元気な人を演じようとします。
彼らは誰に対しても非常に礼儀正しく、丁寧な対応を心がけています。初対面の人の話を、興味があろうがなかろうが、根気よく聞き、賛同し、同意し、共感を示します。
もしも胸が痛むような話を聞かされた場合は、「こういう場合は普通、人はこう反応するべきだ」という自分の中のあるべき論に従って反応します。その結果、かなり派手に泣いたりすることもあります。
LSEは本質的にセンチメンタルなタイプであり、少なくとも親しい間柄では、自分のそういったセンチメンタルな部分を隠す必要はないと考えているからです。
特に家族のお祝い事や親しい人たちの集まりではセンチメンタルになりやすいです。祝福されたり、自分の功績に言及されたり、尊敬や称賛を受けると、子供のように嬉しそうな顔をします。そしてポジティブな感情が、全く予想もつかない形で表現されることがあります。
この状態は彼らをかなり興奮させるため、無意識のうちに、「何とかしてLSEを落ち着かせたい」という欲求が他人の中に現れます(これを彼らの双対であるEIIは察知して、上手にLSEを落ち着かせることができます)。
感情の起伏が激しい時のLSEはとても弱く、無防備な状態になってしまいます。通常、LSEはこの純朴な記憶をかなり長いこと覚えていて、その後しばらくは周囲の人とそれを共有したがります。
ひょっとしたらLSEの反応が、わざとらしく誇張されているように見えるかもしれませんが、彼らの高揚した感情表現を演技だと疑うべきではありません。
もしそんなことをすれば、LSEは休日を台無しにされたように感じてしまいます。この場合、LSEは傷つくだけに留まりません。高揚は即座に極度の苛立ちに変わり、自分を不快にして気分を台無しにした相手に復讐しようとするでしょう。
◆◆◆
普段のコミュニケーションでは、一定の緊張感を保ちながら、時には少し興奮したような口調で話します。
かなり短気なほうで、ちょっとした拍子に爆発することもあります。
誰かに反論されるのも、誰かに議論を仕掛けられるのも嫌いです。
LSEとの議論は命がけです。これまでにも説明したように、LSEの発言や提言は、LSE個々人の経験に基づく検証を何度も受けています。そのためLSEは自分の主張が唯一正しいものだと信じ切っています。そしてその正しさを守るために腕力を使うこともあります。これはLSEの教育レベルに関係なく、よく発生することです。
「私の上司(LSE)は科学の学位と二つの大学の卒業証書を持つ知的な女性でしたが、私が反論すると唐突に拳を振りかざしてきました」
「面と向かって真実を語られる」という状況は、LSEにとってはかなり負担を感じる状況です。こうした「真実を語る」行為を、LSEは容認できないような不謹慎さ、無礼さ、遠慮のなさ、そして一種の「宣戦布告」だと認識します。
特に「お前は本当は〇〇なやつだ」というような、自分自身についての「真実」を聞くとき、LSEはかなり慎重になろうとするため、すぐには怒りを露にしません。
しかしながらLSEのこうした「自制」状態は、ストレートに怒りを見せている状態よりも遥かに危険です。
◆◆◆
LSEにとって自分のネガティブな感情を抑えることは非常に難しいことです。彼らは一生かけてその方法を学んでいくことになりますが、通常あまりうまくいきません。多くの親友、信頼できるパートナー、有能な部下を失ってから初めて、自分を抑制することを学ぶかもしれません。
どちらかというと、急にカチンとくる気持ちを抑えるよりは、深い悲しみを隠すほうが得意です。LSEはすぐに泣きだしてしまうようなタイプではありません(実際にはうまくいっていなくても、傍から見ると幸せそうな家庭生活を20年間も続けることもできます)。
自分の体調不良を訴えることは基本的にはありません。ただし高齢のLSEの場合、病院の検査結果が悪かったというような話をすることはあります。この特徴は若いLSEの場合に特によく見られる特徴です。例えば骨折した腕にギブスをつけて教室にやってきて「バイクから落ちたけど大したことなかった」と笑顔で言い、その話はそれで終わりということもあります。
◆◆◆
LSEは扱いにくいタイプではありますが、簡単に人を許します。恨みの深さにもよりますが、基本的には早めに恨みを忘れようとします。
あまり人を慰めたりはしないほうですが、もし誰かを慰めなければならない場合は、非常にユニークな方法で行います。
例えば生産性や仕事上の指標を持ち出してきて「自分の進歩をちゃんと見ろ。他の人が君の仕事にどれだけ満足しているかを見ろ。この調子ならすべてがうまくいくに違いない!」と言ったりします。
通常、彼らが「意識して」自分の怒りをみせようとするのは危機的な状況に限られます。例えば特定の困難が生じた際に、パートナーを動員するためです。
彼らは自分の知性に自分の感情を従わせようとします。感情を爆発させると疲れ切ってしまいます。機嫌が悪くても、それについて文句を言ったりはしません。自分の機嫌の悪さの原因について細かく説明することは好みません。休息とお気に入りの音楽で気分転換しようとします。
第4機能(脆弱):Ni
このタイプの人は、「1日が48時間あっても足りない」とよく言います。
LSEの問題のひとつは、作業量に対する時間の見積もりが甘い点です。LSEにとって時間は大敵です。彼らとしては完璧に仕事をこなしたいと願っていますが、締め切りがそれを許しません。
いつもギリギリいっぱいに作業を詰め込んだスケジュールをたててしまうので、どんなに綿密に計画を立てても、常にどこかで無理が生じてしまいます。
通常、仕事の生産性を想定する場合、「仕事の準備にかかる時間」「疲労による作業速度の低下」「休憩時間」「その他、不測の事態で生じる時間的ロス」といったものを考慮しません。
「いつまで電話してるんだ」「まだタバコ休憩に行ってるのか」と言って部下に不快な思いをさせることもありますし、挙句の果ては部下のトイレの長さを暗に批判し始めたりもします。こういった点について、LSEはかなりの傲慢さを見せます。
従業員が休憩しようとしたり、帰宅しようとしたり、休暇を取ろうとするたびにイライラしているような雰囲気を丸出しにします(それがたとえ正当なものであってもです。LSEは従業員を休ませることを極端に嫌がります)。
LSEが考えるところの最大の悪は、労働時間に対する怠慢な態度です。プロ意識の欠如や技術的なミスをどうにか許容するとしても、労働時間を浪費したり、「生産性の低さのあまり、進捗遅れが生じたために、さらなる時間を要求すること」は、LSEにとってほとんど犯罪のように感じられるものです。
生産性の低さは、LSEが誰かを解雇するには十分な理由です。
◆◆◆
LSEは、失敗の原因の多くを時間的な要因のせいにします。時間を失うことは、彼らにとっては非常に不快なことです。まだ残っている作業の量を見積もり、その結果に不満を感じていることがよくあります。
時間とは、彼らが持つ全てのものの中で最も希少であり、価値があるものです。
そのため、LSEは他人の時間を浪費するような行為を決して許しません。他人の時間に配慮しない人間は、LSEの中では最大の社会悪です。もしも一人の人物が、同じ時間、別の場所で行われる二つのビジネスミーティングの予定を立ててダブルブッキングしてしまった場合、LSEはかなり腹を立てます。たとえ悪意のないうっかりミスであったとしても、許しがたいことだと感じます。
彼らにとって、遅刻とは「ぼったくり」「釣銭詐欺」と同じようなものです。遅刻は時間泥棒以上でも以下でもないものなのです。LSE自身、少なくとも付き合い始めは、可能な限り時間厳守を心がけています。
予想外の時間の浪費は、LSEにとって非常に痛切に感じられることです。無茶苦茶なスケジュールで仕事をしなければならなくなってしまうため、パニックに陥ってしまいます。
このタイプの人々は、前倒しで仕事に取り掛かろうとします。
「あるLSEは、同じクラスの誰よりも早く卒業制作に取り掛かりました。プロジェクトの技術的な仕様を知らされる前に、ほとんど全てを完成させてしまいましたが、その後、実際の仕様を聞いた後で、多くのことをやり直さなければならなくなってしまいました」
LSEの時間の支出は、「その時間をかけるだけの価値があるか」という合理性からの観点から決定されます。仕事、勉強、プライベートなことに使う時間は、彼らの理解では「時間の有効活用ができている」となります。
時間を無駄というのは、このタイプの人々にとって耐え難いものです。他人の時間を無遠慮に「盗む」ような人とは一切かかわらないようにします。
◆◆◆
公共生活や政治的な出来事には関心を持っていますが、「時代についていく」ことに苦手意識を持っています。根っからの保守派で、周囲の変化を受け入れることができないところがあります(マーガレット・サッチャーが首相を辞めた理由もこのせいです)。
そんなLSEを補完できるパートナーとは、時間に伴う世界的な変化を見通すだけではなく、それを考慮するようLSEに納得感のある説明ができるパートナーです。
そして、こういったことを巧みにできるタイプこそが、LSEの双対であるEIIです。
時間を守り、礼儀正しく、繊細で控えめなコミュニケーションをとることができるEIIは、最も緊急度が高い事柄をリマインドしたり、一日のスケジュールを管理して、LSEが仕事に追われることがないよう配慮できます。
例えば、LSE自身は、どんなに徹底的に日課をスケジュールしてみたり、あるいは休息日であっても、いつも仕事を抱え込みすぎてしまいます。とあるLSEは、親戚(LII)のために旅行を計画しましたが、その予定があまりにも詰め込みすぎだったせいで数日後にはLIIはすっかり参ってしまい、盛大に喧嘩して、事実上の絶縁状態になってしまいました。
EIIは、そんなLSEの日常生活を調整したり、実態に即した能力の限界を再認識させたり、健康や休息にもっと気を配るよう求めたりします。
無意識的な機能
第5機能(暗示):Fi
このタイプの人々は、人間関係の構築が非常に難しいです。彼らは無意識のうちにEIIの倫理的価値観の体系を志向しています。
そのため彼らの考える個人的な関係性は、やや理想主義的なところがあります。
誰と関係を築くにしても、相手には柔軟性、決め細やかさ、慎重さ、良識、誠実さなどといった、EIIの第1機能 Fiに特徴的なあらゆる資質が備わっていることを前提にしてしまいます。
当然ながら、現実はLSEを常に失望させます。そのため、新しい人間関係を構築する場合、過去の不幸な経験を踏まえて非常に慎重になります。
人と仲を深めるのが非常に難しく、彼らは自分の中の常識を相手に押し付けないように努めつつも、自分のプライベートについてほとんど話そうとしません(もし話さないといけない場合は、かなり渋々話します)。
◆◆◆
かなり秘密主義的で、LSEと数年間一緒に仕事をしても、彼らについてほとんど何もわからないということもあります。会話をしても、どこか距離を置いています。
表面的には非常に不信感が強く、疑心暗鬼になりやすい人に見えますが、それにもかかわらず、彼らは自分自身に対して「他人が本当に正直かどうか」疑うことを禁じています。これはLSEの中では不誠実なことであり、人を侮辱しているようなものだと感じてしまうからです。
信頼を裏切られた場合、相手の良心に委ねようとします。
例えばLSEが部下の悪事を疑った場合、全員に向けて警告をします。部下たち自身の手で事態を整理し、犯人を特定するために一致団結することを期待しているからです。
もしLSE個人に対して陰謀が起きているとしたら、状況はもっと悪いです。LSEは「陰謀の首謀者」が何か明らかな間違いを犯して、それを口実に「首謀者を始末する」ことが可能になるか、あるいはチームの誰かが陰謀を阻止して消滅させることを期待しながら、しばらく待機します。そしてどちらも起きない場合は、全員を解雇してしまいます。
LSEは、不誠実、不正直、意地悪、裏切り、不正行為などといったもの全てを、非常に深刻に受け止めます(LSEのFiはかなり脆弱です。外面的な難攻不落の厳しさで、内面的な弱さを覆い隠しています)。
◆◆◆
他人が自分の信頼を都合よく利用していないかという点には、極めて敏感です。LSEにとって、これはプライドや野心の問題ではなく、倫理的な問題です。
LSEは無意識のうちに「人を信頼すべきだ」という倫理観を志向しています。
そのため、彼らにとって信頼と良識は人間関係の規範だといえます。そして信頼や良識に欠ける人間というのは「不道徳な悪者」であり、「それ相応の扱いを受けるべき」だと考えます。
LSEは自分が悪いことをした場合、それをきちんと認めることができます。自分のほうが悪いという認識は、LSEを強烈に苦しめることになるので、LSEにとってかなりストレスになることではありますが、それでも彼らは自分の責任から逃げたりはしません。
しかし自分に濡れ衣を着せようとする人には容赦しません。LSEは自分の自由意思で、(自分が必要だと思う誰かを)「庇う」ことはありますが、「濡れ衣を着せられる」というのは彼らにとって非常に許しがたいことです。
これは、たとえ誤解であっても許せません(悪意を持ってされるよりはマシですが、それでもLSEは、本当にただの「誤解」であったのかを徹底的に調べようとします)。
◆◆◆
失望した相手との関係を、一切の迷いなく断ち切り、それ以降相手について考えることさえしないようにします。誰かが「LSEが忘れ去ろうとしている相手」のことを思い出させると、非常に嫌な顔をします(たいてい鼻にしわをよせてそっぽを向いてしまいます)。
このタイプの人々は、人間関係の悪化を「宣戦布告」として受け止めてしまいます。そして、自分の意志とエネルギーを総動員して精力的に行動計画を練り始めます。
この戦争は通常「LSEが完全に勝利するまで」続くため、LSEは膨大なエネルギーを浪費し、多大な精神的負荷を受けることになります。
これはその後のLSEの幸福にまで悪影響を及ぼします。
LSEはすぐに人間関係を悪化させて、敵をつくってしまうタイプです。そんなLSEの問題あるFiの真の救いになるのは、双対であるEIIの第1機能Fiです。
EIIのFiは、相互理解、平和、慈悲と思いやりに焦点をあてており、LSEに寛容さ、過ちを赦すことを教え、LSEを「和らげ」ることで、LSEのギスギスしがちな人間関係を穏やかなものに変えます。
どんな失望にも耐えることができ、恨みを抱かないでいられるEIIの模範的な倫理を目にすることで、LSEは安心することができます。EIIの理想主義的な原則は、LSEがそれに従うときに現実的なものになります。
第6機能(動員):Ne
このタイプの人々がいつも時代に遅れずについていけるとは限りませんが、常に分刻みのスケジュールで忙殺されている場合、多くのLSEの創造的な思考は、同時発生するイベントを予想するという方面で発揮されます。
LSEの想像力がどんな空想に及ぼうとも、彼らは決して現実から遠く離れることはありません(レオナルド・ダ・ヴィンチの作品は、当時のモダンな手段を用いて設計されていましたし、ブルガーコフのファンタスマゴリアは、その時代の不条理な現実を反映しています)。
このタイプの人々は、全員が科学研究者というわけではありませんが、未知の新しい現象の話には興味深く耳を傾けます(もちろん、その情報源が十分に権威のあるものであることが前提ですが)。
◆◆◆
「面白いアイデアや独創的なアイデアを生み出せる人、型に嵌まらない思考ができる人」を尊敬します。他人のプロジェクトや提案を尊重し、自分も同じように尊重されることを望みます。
彼らは、自分の創造的な考えや科学的なアイデアを実現するために、あらゆる現実的な可能性に熱中しています。逆に言えば、目に見える見込みがなければ、彼らの活動は(完全にではないにせよ)著しく阻害されます。
LSEが必要としているのは、彼らの創造力を最大限に引き出し、能力や才能を見極め、それを実現させることのできる人たちです。
そしてEIIは、LSEのアイデアと努力に熱中し、困難な局面では励ましとサポートを与えてくれるため、まさにLSEの求めるような人物だと言えます(普段は自分から要求することを好まないEIIが、並々ならぬエネルギーでLSEのプロジェクトを支援・強化します)。
LSEは、予言や予測に注意と関心をもって接し、将来の出来事の展開を予見できる人の意見に耳を傾けます(特にその能力が科学的経験に基づくものである場合)。正確な予測を可能にする研究、プロジェクト、科学はすべて、彼らの興味と尊敬を集めます。
◆◆◆
また彼らは、一人ひとりの倫理的可能性、つまり道徳的資質や傾向を見極めることができる人の意見を尊重します(論理的・感覚的な潜在能力、つまり知的能力や芸術的センスは自力で完璧に見抜けます)。
自分の能力、実力の限界に挑戦します。競技やコンテストには退屈することなく、逆に力を動員させるような「スポーツ的興奮」を感じます。何が起きても自制心は揺らぎません。
他人の成功に嫉妬しません。それどころか、彼らは不当なやり方では成功できないという考えをもっているため、人が成功した場合は称賛します(ただし「宝くじで一山あてたい」というような安易な成功を望む人や、何がなんでも自分を人気者にしようと必死すぎる人は嫌いです)。
また、LSEは決して人の失敗を責めたりはしません。それどころか理由に関わらず、評価されていない人を励まし、応援することを常に心がけています。
◆◆◆
成功はそれ自体が目的ではなく、自分の仕事をきちんとこなせば、自ずと結果はついてくると考えています。
またLSEは自分の能力に対する批判が嫌いなので、自分の能力を伸ばすために出来ることは(あるいは出来ないことも)すべて行っています(すべてのLSEがレオナルド・ダ・ヴィンチに「成長」するわけではありませんが、すべてのLSEの「自分の能力を伸ばす姿勢」は真剣そのものです)。
第7機能(監視):Ti
彼らは生涯学習者であり、自分の知識が不足していることを、恥じることなく認めています。しかしながら、それは仕事仲間に必ずしも理解されていません。
「15年もの間、教育を受け続けているLSEがいるのですが、そのLSEは私の授業に出席して、すべてを細かくノートに記録しています」
いくら実務経験や実績を積んでも、LSEは「自分の知識は十分だ」と自信を持つことができません。このタイプの人々には、「自分が専門家になってやろう」という野心が欠けており、自己批判を欠かすことがありません。たとえどれほどプロフェッショナルになったとしても、自分の力を過信することなく、新しい仕事には真剣に取り組みます。
創作活動や研究プロジェクトに着手する前に、長い時間をかけて綿密なリサーチを行います(これは全活動期間にわたって継続されることもあります)。
LSEの準備資料の精密さは驚くべきものです(エルサレムを訪れたことのないM.A.ブルガーコフが、エルサレムの街の地形を驚くほど正確に描写したことは、ブルガーコフの作品を知る多くのイスラエル人が認めている事実です)。
◆◆◆
LSEの博識ぶりも賞賛に値します。職業を問わず、彼らの書斎にはあらゆる参考書や辞書、カタログ、地図帳、百科事典が豊富に揃っています(LSEである、とある玩具デザイナーの書斎には、地球上のあらゆる種類の動物や生物の図鑑がありました。さらに生物の種類別の図鑑も豊富にそろえられていました)。
(wikisocion編集者注釈:現代では多くの情報がオンラインで得られるため、それほど多くの本を家に置いていない可能性もあります)
LSE自身は「自分の能力は不十分だ」と考えており、また、そう思っていることを隠してもいませんが、実際にLSEの能力が不足していることは滅多にありません。専門的な事柄においてLSEの能力が不足しているというのは、かなり例外的な事象ですが、もしそうである場合は何らかの理由で必要な情報にアクセスできなかったからという可能性が高いです。
しかし、基本的にはLSEがアクセスできない情報というのはありません。このタイプの人々は、隠された「手の届かない」情報を収集することが非常に得意であるため、理想的なスカウトだと言えます。
あらゆる手段を駆使して手に入れた情報を分析する能力、並外れた観察力、豊富な体力、強靭な意志力、自己抑制力、並外れた勤勉さ、非の打ちどころのない作業の正確さ。
こういったものは、ほとんどすべてのLSEが備えています。そのためLSEは時に、 余人をもって代えがたい「目に見えない最前線の兵士」になることがあります。
すべての情報、すべての知識は、このタイプの人々にとって「考えるための情報」になり得ます。彼らは情報源を「信頼できるもの」と「信頼できないもの」に分けています。
前者はほぼ無条件に受け入れますが(全く検証しないわけではありません)、後者は信憑性が確認できるまで繰り返しチェックします。
事実によって確認された情報や、今までに何度も彼らのチェックをクリアして「信頼できる」とされてきた情報のみを信頼します。新しい情報を手に入れると、まず自分の知識体系とリンクさせながら、慎重に、徹底的に自分の中に落とし込んでいきます。
もし理解できなかったところや疑問に思ったところがあれば、遠慮なく説明を求めます。
LSEは、受け取った情報をすぐにきちんと分類、整理しようとします。概要を簡単に理解するだけでなく、詳細に理解することを常に重視しています。
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複雑でわかりにくい概念をシンプルに、かつ理解しやすい形で説明できます。LSEが人を指導するという点でしばしば素晴らしい成果をあげるのは、この資質のおかげでもあります。
LSEは、自分の考えを明確に、一貫性をもって人に伝えることができるという点で、高い評価を集めるタイプです。LSEの目をそらそうとしたり、LSEが誤解するよう誘導することはほとんど不可能です。
LSE自身、何かを話していて本題からそれることはありませんし、また、他人から本題とは無関係な質問をされても、注意が散漫になることもありません。
(wikisocion編集者注釈:これはLSE特有の思考スタイルである弁証法的アルゴリズムが前提になっています。この「弁証法的アルゴリズム」は、「因果的・決定論的」(双対であるEIIもこの認知スタイルを持ちます)という、認識・感情・思考が安定的かつ明示的なタイプの思考スタイルと合わさると、非常に強力な説得力を持ちます)
自分の考えを明確に、首尾一貫性をもって話すことができない人は、通常LSEの共感を呼び起こすことができません。LSEは一貫性に欠ける不明瞭で混沌とした説明を好みません。
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また、事実の誤認や、事実を捻じ曲げるような行為を許しません。特に、個人的な利益やビジネス上の利益に影響を受ける場合は、いつも苛立ちを覚えます。
このタイプの人々は「思弁的」な論理、つまり「経験による裏付けられない論理、純粋に思考だけで組み立てられた論理」には理解を示しません。
机上の空論の曲芸を見るだけで、何事も納得できてしまうようなタイプの人間ではないのです。
他人の意見は、自分の考え方や信念と矛盾せず、自分が納得できる事実によって証明されたものであれば、受け入れます。
(wikisocion編集者注釈:これはLSEとは監督関係であり、なおかつ「LSEが被監督者」側に置かれることになるILIとの関係では例外です。ILIは創造機能Teによる曲芸を見せて、LSEに「納得できるだけの事実がないはずの意見」を納得させてしまうことがあります)
第8機能(実証):Se
常に、どこでも、どんな理由であれ、明白な理由の有無を問わず、自分を傷つける人間には断固として反撃する強い意志を持っています。
このタイプの人々は、自分自身のために立ち上がる力、能力、意欲を常に公然と示しています。
(wikisocion編集者注釈:LSEは公然とこの機能を発揮するからという理由で、タイプ判定初心者は、往々にしてLSEをSLEやSEEといった第1機能がSeであるタイプに間違えがちです。LSEは威嚇をするための警告をすることはありますが、LSEとSLE・SEEの違いは、SLEやSEEと違って反応的ではなく、衝動的なところが見られないという点にあります)
こういった能力は、LSEの無意識のうちに実現されているものですが、あらゆる場面のLSEの行動の中に表れています。
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このタイプの人々は、気分や体調に関係なく、常に声を張り上げ、ほとんどすべての言葉をゆっくりと、まるで強調しているかのように話します。
LSEの動作は、常にシャープで緊張感が見られます。LSEがリラックスしている状態を見られるのは、ごく身近な人に限られます。
常に緊張感があって、しかもそれが相手に筒抜けになってしまいがちなLSEとのコミュニケーションは、おそらく多くの人にとっては不快で疲れるものかもしれません。
しかし、これは彼らの双対EIIには関係ありません。LSEの緊張は、EIIを心地よく活気づけるだけです。まるでネジが弛んでいるかのように常時リラックスしているEIIに、力を集約させ、意志とエネルギーを動員させることができます。
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LSEの意志と断固とした態度には、デモンストレーション的な性質もあります。教育的な目的で、LSE自身が「人はどうやって立ち上がるべきか」の手本を示すことができます。
しかしLSEが先制攻撃をすることは決してありません(何らかの誤解をしてしまった場合を除き)。
LSEは自分の個人的な利益や、「自分のチーム」の利益を守るという大義のために限り、断固とした態度を示します。
自分の創造性を発揮するというために、社会通念上許されている以上の意志の力を振りかざしたりはしません。
このタイプの人々は、目的を達成するために「力ずくで強引に物事を進める」「死体を踏み越えていく」ことができるような人ではありません [1]。LSEはほとんど野心とは無縁で、何が何でも権力を握りたいと躍起になるタイプではありません。
どちらかというと、有権者の意志であったり、LSEの誠実で無私無欲な仕事の結果として、自然に支配とリーダーシップの権利を獲得しているようなタイプです。
非常に丈夫でハツラツとしています。1日19時間働き、いつもエネルギッシュに動き回り、晩年まで高いバイタリティと外見的魅力を保つような人です。困難を克服することが、LSEにとっての極めて自然な、最適な在り方だと言えるのかもしれません。
整理・整頓・清潔・規律を大切にしています。人の都合を尊重し、人に迷惑をかけないようにします。彼らは、どんなことがあっても自分の力だけで問題を解決しようとします。
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LSEは生まれながらのリーダーであり、通常、素晴らしいリーダーになります。より大きな責任を負うことを恐れず、他者に責任転嫁することもありません。それがどんなに困難なことであっても、不平を言うことなく日常的な問題の重荷を背負います。
家庭の義務と仕事、社会活動を両立させ、パートナーに最大限の配慮をすることができます。そしてLSEのパートナーがEIIである場合、LSEが費やした努力は十分に報われることになります。