双対関係であるLSEの説明にもEIIに関する説明があります。
意識的な機能
第1機能(先導):Fi
対立、不和、理解の欠如、相互不信、人が人を抑圧すること。EIIは、こういったことをなくして、最も調和のとれた(そしてEIIの考えでは最も人間的な)倫理的関係性の形を作り出そうとします。
「良い紛争よりも、悪い平和のほうが優れている」
これがEIIの倫理戦略の基本的な形です。
彼らの生涯は、理想的な人間関係のシステムを実現するための手段と機会の追求によって構成されています。そしてEIIは、自分自身が倫理的な模範として相応しい行動をとろうとします。そのため、EIIには内省と自己批判、倫理的な意味での自己改善を絶え間なく繰り返すという特徴があります。
自分自身には非常に高い要求を課しますが、その反面、他の人々の弱さには非常に寛容です。
誰かとの人間関係に問題が生じた場合、EIIは自分が譲歩することによって「解決」しようとします。こんな時、彼らは「じきに相手は『EIIが譲歩した』ことに気づくだろう」「それに対して相手は正当な評価をするだろう」と期待しています。
本質的にEIIの譲歩は、相手に慈悲深さや妥協の意志を抱かせるための一種の倫理的戦術だと言えます。
◆◆◆
心理的に相容れない相手との関係を、家族に対する義務感や責任感に頼って、維持することがあります。しかし、特に好ましくない関係であり、さらにはその関係を修復することは不可能であるとEIIが強く確信している場合、EIIは相手との関係の一切を断ち切って去ってしまいます(これはESIと同じ特徴です)。
過去にパートナーとの関係が壊れた経験がないEIIの場合、自分の近くにいる人々の関係が断絶するのを防ごうとするかもしれません(一緒にいることが本当に害になると彼ら自身が確信するまでは、和解の道を探そうとします)。
EIIは、自分自身の親密な関係の崩壊を(特に修復の余地がないと判断した場合は)、非常に痛烈に受け止めます。身近な人から友人との関係を断ち切るように迫られた場合、EIIは自分の信念と矛盾する状況に置かれることになります。一方では友情を裏切りたくはないし、もう一方では身近な人を動揺させたくないという矛盾です。
◆◆◆
「自分がされたくないことを、他人にしてはいけない」という戒めを、EIIは真剣に受け止めています。彼らは基本的に、他者に対して「ほんの少しのトラブルになるようなこともしたくない」と考えています。自分の優しさや温かさを皆に与えることで、すべての人が心理的に快適に過ごせるような条件を整えようとします。
優しさ、謙虚さ、他人の弱さに対する寛容さ、精神的な感受性、まず自分が最初に慈悲を示すこと、平和主義。これがEIIの倫理プログラム [1] のコアとなる価値観です。
◆◆◆
EIIは、人間関係の構築を極めてデリケートに扱います。
例えばプラスでないどころか明らかにマイナスであるようなものであっても、EIIは他の人のアドバイスや支援をはっきり拒絶することができません(誠意から支援を提供しようとする人を追い払うことが出来ないのです)。
明らかにおかしい内容のアドバイスに対しても同様です。EIIはアドバイスする人に対して非常にデリケートな対応をとります。注意深く話を聞き、自分の問題に相手が共感してこれたことに感謝の意を示しつつ、状況や自分の裁量に従って行動しようとします(「なぜ、この場合のEIIは善意の助言に従わないのですか?」- 全ての「善意でアドバイスしてくれた人」が、「本当にアドバイスに従ったかどうか」まで厳格に監視しているわけではないからです)。
さらにいえば、EIIは他人のアドバイスを「これからどう行動すべきか考える上で参考になる情報」としてだけではなく、「自分の困難に対して、相手が共感を示した」という情報として受け止めることが出来ます。
◆◆◆
他人の不幸にはとても敏感で、共感しやすいほうです。赤の他人についてもそうですが、特にそれが身近な人の問題の場合、すぐに共感してしまいます。
身近な誰かが病気になった場合、EIIは、自分自身の心身の健康に及ぼす影響や、感染の危険性を考えずに、類まれな無私無欲さで看病します(親族にEIIがいる場合、その家族は健康に関して完全に安心することが出来ます。誰かが病気になると、基本的にEIIは他の全ての事柄を脇に置いて患者を看病します。EIIと普段から親しくしているか否かは関係ありません)。
他人の悲しみに共感する能力は、彼らの関係性のシステム(第1機能 Fi)の基本的な価値観の一つです。EIIの理解では、「人を慰める」という行為は、それ自体が十分に有意義な行為です(EIIのこういう視点は、周囲の人々にとって非常に魅力的に映ります)。
◆◆◆
パートナー(あるいは自分の周囲の人)の心情に共感し、連携を示すための表現方法をいつも模索し、オリジナルな形でそれを見つけ出します(例えば、あるEIIは友人の離婚が成立した際、「新しい自由な生活の始まり」を祝福する花束を贈りました)。
EIIにとって、自分の行動の背景にある倫理的な動機が正しく理解され、適切に評価されることは非常に重要なことです。彼らにとっては、どんな贈り物も、どんな好意も、善意の表現としての大きな価値があります。それと同時に、このサービスのためにかかるコストは(その価値の大きさと比べると)遥かに少ないものです(EIIの双対であるLSEもまた、少なくとも彼らが送るものについては、純粋に象徴的な価値を認めています)。
他人の秘密をきちんと守ります。わざわざ「秘密にしておいてほしい」と言わなくても大丈夫です。EIIには、安心して秘密を打ち明けることができます。EIIにとって「秘密を漏らすかもしれない」と疑われることすら、侮辱的なものです。またEIIは「自分と同じように、相手も秘密をきちんと守るはずだ」と信じています。そのため、もしも誰かがEIIの秘密を漏らした場合、EIIは深く失望します。
自分のそばにいる人を裏切るようなことはできません。それと同時に、他人の裏切りを強く非難します。彼らは元々人に対して悪意を抱くタイプではありませんが、自分の信頼を利用されるようなことは決して許しません。陰謀に巻き込まれたり、自分の倫理観に反する関係性の中に身を置いたりすると、EIIは迷い、混乱しますが、その都度、自分の価値観に反しないように振る舞おうとします。
◆◆◆
「自分が人を信用しないことによって、誰かを怒らせてしまうこと」をとても恐れています。
人を信頼しないということは、自分自身を含むすべての人に不快感を与えるものだと感じます。EIIは善意が人間関係の規範であると考えているため、最初から人を疑ってかかったりはしないようにしています。
EIIは、「まず人を疑ってかかる」ことを、倫理にも人道にも反するものだと認識しています。これとまったく同じ理由で、「誰かが悪行を行っている」ことや「悪意を持っている」とEIIに納得させることが不可能な場合があります(たとえこの悪事や悪意の存在がすでに証明されていて、EII以外のすべての人からすると明白な事実であったとしてもです)。
EIIの行動は、個人的な共感と反感によって少なからず左右されます。つまり、相手に同情した場合、相手の悪事に目をつむることがあります。
◆◆◆
愛や友情の名の下に自分を犠牲にすることがあります。例えば他人の過ちの肩代わりをし、起こりうるトラブルから友人を守り、そのために彼ら自身が苦しむことがあります。
EIIは人と心理的距離を縮めやすく、近距離の関係性 [2] を築くことができるため、人を温かく、積極的に受け入れる素地があります。
しかしながら、時にはそれが行き過ぎて押しつけがましいものになってしまうこともあります(EII自身は、自分との関係で誰かを疲れさせたいとは微塵も考えていないため、自分が押しつけがましかったかもしれないと察すると、かなり心苦しい思いをすることになります)。
人間関係が悪い方向に向かう場合、相手と距離を置こうとします。
どんな状況でも、どれだけ大変でも、極めて礼儀正しく、落ち着きを保とうとします。
可能な限り(というより可能でなくても)、人を怒らせて、敵を作らないようにしています。あからさまな敵意を絶対に見せないようにもしています(EIIは、他人との間に「心理的な壁を作る」ことがありますが、EIIはこれを「敵意」だとは考えていません。EIIの考えでは、これは「敵意」ではなく、好きではない相手から「距離を保つ」権利を行使しただけのことです)。
◆◆◆
執念深く人を恨み続けるタイプではありませんが(EIIの考えでは、これは非倫理的なことです)、「加害者が自分の罪を自覚した」と確信できない限り、加害者との関係を修復しようとすることも、まずありません。
とはいえEIIの「許し」を得るには、ただ好意を見せれば十分です。言葉にして謝罪する必要はありません。
EIIが感じる世界はとても繊細で豊かです。彼らは、自分の感情や経験を表現するために言葉を必要としていません。それと同様に、言語化されていなくても、周囲の人間関係を理解することができます。
EIIは決して恩を忘れません。恩知らずは、最も厳しい批判に値するものだと考えています。「優しさと共感」はEIIにとって揺らぐことのない倫理的価値観であり、彼らはそれを他の誰にも真似できない形で表現できます。
このタイプの人々は、深い倫理的分析と内省に傾倒しています。
第2機能(創造):Ne
EIIは、「争いのない」関係性のシステムを、争いが絶えないこの世で実現することは非常に困難だと考えています。この崇高な取り組みでEIIの支えになる資質は、天性の楽観主義と、可能性に対する強力な直観力です。
彼らは、全ての人の中に肯定的な倫理的可能性を見出そうとします。
この資質のおかげで、EIIは教育分野で優れた働きをします。EIIは「悪い子供」という言い方には理解を示しません。EIIの理解では、肯定的な倫理的模範(子供の模範・手本になるような人物の存在)によって教育できない「悪い」子供など存在しません。
EIIの倫理的で直観的な影響力は、人の魂の中にあるすべての最高の資質を識別して開発する能力によって成り立っています。もちろん、この資質の開発には、時間と、誠実な努力と、多くの忍耐力が必要になります。
したがって、EIIは「教育者は常に自分自身に取り組み、自分の倫理的な資質を向上させ、自分の運命に対する義務感と責任感を自分に植え付けなければならない」と考えています。
◆◆◆
また、彼らは「本質的に無益な人間関係は存在しない」と考えています。十分なエネルギーや忍耐力、「嵐を乗り切る」力、自分の動機の誠実さを証明する力、自分自身が持つ最良の特徴を「模範・手本」として示す能力があれば、改善できない人間関係は存在しないと考えているのです。
あらゆる倫理的に困難な状況において、EIIはそこから結果的に生じたあらゆる矛盾を「角が立たない形」にする方法を探すべきだと信じています。例えば、双方が何らかの譲歩をするだけで、状況は確実に変化しますし、少なくとも部分的には問題が解決されるという風に考えます。
◆◆◆
創造的な可能性の直観(第2機能、すなわち創造機能に位置するNe)のおかげで、EIIには先見の明があり、慎重で賢明な行動をとることができます。[3]
彼らの先見性の目的は、人間関係で起こりうる不和の兆候を予見し、それらを回避または防止するために、先んじて行動できるようにすることです。
例えば、とあるEIIは、子供のお祝いの準備をする際、最初にお菓子を均等に分けました。そうしないと招待された子供のうちの一人が、バクバクと大量のお菓子を食べてしまい、他の子供のお菓子が減ることが予想できたからです。
これと同じ理由で、自分の孫が道端でキャンディーを出して食べることを許しませんでした。そんなことをすれば、他のキャンディーを持っていない子供たちから妬みを買い、それがもっとネガティブなことに繋がる可能性があると考えたからです [4]。
時に彼らは、自分自身の快適さよりも周囲の人の快適さを重視することがあります。いつも自分の考えや生き方に沿った行動をとろうとします。
EIIは楽観主義者であるがゆえに、最悪の事態を慎重に予見することができ、自分自身と自分の身近な人にとって最良の方法を探し出すことが出来ます。
この直観的な計算によって、EIIは自分の将来の行動の安全を担保しています。そして、それは時に良い結果をもたらすことがあります。
例えば「民衆の敵」として迫害された一家と、とあるEIIである女の子の話があります。「民衆の敵」だとされた一家は、近い将来、亡命することを見越して、近所の女の子(EII)に自分の家のピアノをプレゼントすることに決めました。しかし、そのEIIの女の子は、これを断固として拒み、ピアノを送り返すように言いました。この女の子の家族の間では、このエピソードは伝説として語り継がれています。ピアノを受け取らなかったおかげで、女の子の一家はその後の迫害の嵐に巻き込まれずに済んだからです。
◆◆◆
とはいえ、EIIの直観力がどれほど強力な物であっても、EIIの計算がいつも正しいとは限りませんし、全ての状況を完全に把握することもできません。
特に、EIIはしばしば現実の中から「自分が望む情報」を、あるいは「自分の心の中で出来上がっている固定観念」を拾い上げて、実際の出来事ではなく、架空の出来事の展開を計算することがあるからです(例えば、「とある夫婦の喧嘩を、自分が仲裁して解決しなければならない」「そうしないと自分がその夫婦の壊れた私生活の責任を問われることになってしまう」とか、あるいは「敵を作らないために、争いに干渉するのは絶対に避けなければならない」というような強迫的な考えに囚われてしまいます)。
いずれにせよEIIの計算や行動の正しさは、人生経験や、状況をどれだけ深く理解できているかにかかっています。
第3機能(役割):Ti
EIIは、現実の矛盾と対立に満ちた世界で理想的な関係を築くという人生の使命を果たそうとしています。また、自分の倫理的プログラム(「理想的な関係を築きたい」という欲求を持つ、第1機能Fi)の実現を妨げる状況について、長い時間をかけて徹底的に考えます。
そしてその考察の中で、時々「『正しい』倫理的態度とは何かを掲げ、それを示すことによって、現実を変えることが出来る」という結論に至ります。
この結論は、簡単に言えば次のように言い換えることが出来ます。
「世界中のすべての人がお互いに親切にすれば、世界から敵意がなくなるはずです。そしてこれは決して不可能なことではありません。なぜなら一人ひとりの中に善の素質があり、それをさらに育てるだけでよいからです」
(他の人と同様に、EIIは自分の周りの人間が皆、同じような考え方や価値観を持っていると考えています。ただ、「弱さ故に誘惑に負けたり、過ちを犯してしまう人も中には存在するので、そこから救い出す手助けをしなければならない。あるいは少なくとも、手助けをする努力はしなければならない」とも考えています)
◆◆◆
EIIの論理は、直観的な可能性、わかりやすく言えば夢や空想に基づいています。この性質はEIIに子供のような素朴さと魅力を与えています。
しかし現実問題として、人と人が争いのない関係を築くためには、必ず誰かがその代償を支払わなければなりません。しかしながらEIIは通常、この現実をどうしても認めたがりません。
EIIにとって、自分の感情を推論に従属させることは難しい事です。EIIの人間関係は、誰に対しても「まずEII自身が、最初に心の広さや優しさを示すこと」を前提にしているため、EIIが客観的であることは困難です。
この影響で、時に「無節操で一貫性に欠ける人」「自己矛盾に満ちた人」だと思われてしまうことがあります。EIIは「すべての人に同意し、すべての人と友達になり、すべての人を愛する」つもりなのです。
かといって、EIIに信念が欠けているのかというと、それはおそらく違います。倫理的な面では、確かにEIIの信念は明確に表れています。このタイプの人々は、客観的現実の法則 [5] にあまり興味がありません(特に、この世に存在する矛盾の正当化に繋がっているものであればなおさらです。周知のとおり、これは敵意と暴力をもたらします)。
EIIは討論によって矛盾を乗り越え、新しい真理に到達するという方法論を否定しているわけではありません。彼らは単にこの側面 [6] を無視することを好みます。
そしてEIIの特徴的な楽観主義によって、対立しあう主張や考えの妥協点を探せば、討論によって初めてたどり着けるような真理には至らなくても、少なくとも倫理的な矛盾を和らげることができると心の底から信じています。
◆◆◆
人とコミュニケーションする際、EIIは「賢く、合理的で論理的な人」という印象を与えようとします。あらかじめ固めておいた考えに頼ることが多いです(EIIは、自分が必要とする関係性を維持するためだけに、事実をねじ曲げることがあります。この手段を使わないで、一体どうやって関係性を調和に導けると言うのでしょうか。本質的な目的が倫理的関係にあるのであれば、事実それ自体はそれほど重要なものではありません。誰もわざわざ確認しないような事実をねじ曲げるだけで争いを回避できるのであれば、それでいいとEIIは考えます)。
議論の際、しばしばEIIは概念の抽象的な意味に固執します。EIIは、具体的な条件によって概念の本質が歪んだり変わったりすることはないと信じています(これは時にEIIとの話し合いを困難にしてしまいます。例えば、EIIは「力なき正義は無力である」という考えには同意しません。「正義が善であるなら、力なんていらないのでは?」EIIの理解では、どんな場合であっても、善は必ず勝つものであり、何の保護も必要ないものです。そして「力」という概念それ自体の正しさを保証するものは何もないため、「力」は詰まるところ、ただの「悪」だと考えています)。
EIIは、双対であるLSEとの相互作用の過程で、客観的現実をより重視し始めます。LSEは人間関係に対する客観的な現実 の影響を排除していないからです。[7]
第4機能(脆弱):Se
自分のために立ち上がるためには、莫大な努力と緊張が必要です。強い意志を持ってはっきり拒絶することは、このタイプの人々にとっては信じられないほど難しい事です。
厳しい口調で話すことは出来ません。何かを強調するかのように話すのは難しいと感じています。EIIの柔らかさ、しなやかさは、人を威圧するような話し方が出来ないことの裏返しと言えるかもしれません。
◆◆◆
EIIは自分の意志の強さについて触れられるのが嫌いです。それに対する批判も、耳が痛いものです。
しかし、EIIの求める倫理的価値観のシステムを現実に適応するためには、強い意志の圧力が必要になります。
固く揺るぎない信念を持って自分の意見・見解をはっきり宣言するためには、意志の強さを見せなければならないのです(ここでEIIのイデオロギーの矛盾した性質が露呈します。もしEIIが暴力に反対するのであれば、彼ら自身もまた、「暴力をふるう人」に対して「暴力を止めろ」という自分の信念を押し通す圧力をかけてはならないことを意味するからです。つかり、このイデオロギーを掲げる人には、他人に何かを強制する権利が全くないということです)。
いずれにせよEIIは自分の意見を通す権利を、論理的な面 [8] から見つけ出そうとします。
例えばEIIがインストラクターとして働いていて、生徒の規律と出席率を維持する責任を担っている場合、その社会的な立場から「人に自分の言うことをきかせる」権利を正当化できます。この場合、EIIは厳しく振る舞うことが出来ます(EIIに別の問題が生じる可能性がありますが)。EIIにとって、厳しく人を叱責することは、非常に心苦しいことであり、とても難しい事です。自分の強い意志の力を見せつける必要性が生じるたびに、EIIは「すぐに断固とした行動をとらなければならない現実の状況」と「そうした行動をとらなければならない内面的な無力感や不本意さ」の間で引き裂かれることになります。
◆◆◆
「決定的な行動」を起こす前に、慎重な理由付けと、覚悟を決めるまでの長い時間が必要になることがよくあります。
多くの場合、その行動をとった場合の利点を考えたり、問題解決に繋がりそうな他の選択肢を探そうとしますが、それに時間をかけすぎてしまって「決定的な行動」を起こすべき瞬間を逃してしまい、「結局何もできなかった」ということになります。そして、そのせいでEIIは「自分の意見をきちんと主張できない人」という評価に甘んじることになります。
さらに、この「自分に対する評価」を全く受け入れることができずに、「自分がなぜ優柔不断な態度をとらざるを得ないのか」釈明しようとすることもあります。このせいで、EIIは自分の問題を余計に悪化させてしまう傾向にあります。
◆◆◆
EIIは、自分の意志の力の弱さ、無力さを痛感しています。こういった弱点が、EIIの倫理的価値観を実現する妨げになっているということを素直に認めることもなかなか出来ません。EIIにとって、自分の弱点を意識せざるを得ないという事実は、とても不快なものです。
その一方で、彼ら自身が他人の意志や権力に依存せざるを得ない状況は、全く持って耐えがたいものです。それでも、(状況次第ですが)物理的な面での依存をある程度我慢することが出来る場合、倫理的な圧力には屈服しません。こんな場合、EIIは「自分の中に引きこもり」「心理的な障壁」を建てて、パートナーとの別れに備えるようになります。[9]
◆◆◆
EIIは、自分の忍耐力や優しさ、誠実さ、謙虚さを、他人に都合よく利用されないように気を付けています。「仏の顔も三度まで」と言われますが、これはEIIにとっても同じことです。自分の心の広さの限界を試そうとする人間を問題視します。
◆◆◆
EIIにとって、「論理的 [10] に物事を理解すること」は、とても重要なことです。誰のために、どこまで譲歩できるか、どの程度譲歩できるかに関わるからです。これはEIIが人として自分自身を守るために、絶対に必要なことです。
このタイプの人々は、強引に物事を押し通すことが出来ません。粘り強く自己主張する力を身に着けるよう勧められると、非常に苛立ちます。
同じことが、目標を達成する力についても言えます。もちろんEIIは自分の目標を実現するために何らかの計画を立てますが、実際にすぐに行動しなければならないような具体的な目標を掲げて、それを達成するために総力を結集し、あらゆる障害を一掃して、何が何でもやり遂げようとすることはありません。これはEIIの掲げる倫理システムにはそぐわないことであり、EIIは自分が「目的のためには手段を選ばない」というような振る舞いをしてはいけないと考えます。
(他の人が見せる「目的のために妥協しない姿勢」はEIIに感銘を与えるかもしれませんが、そのやり方をEIIが真似することはありません。EIIは「それは自分のやり方ではない」とはっきり認識しています)
一方で、EIIは影響力のある人物と共にいることを喜び、人生で成功した人に敬意を向けます。EII自身、有益で必要性の高い人脈を築くチャンスを見逃しません。
さらにいうと、EIIは「自分のレベルに合っていて、真剣にコミュニケーションをする価値がある人」と、「内面的な資質から見て、まともなコミュニケーションをとる価値のない人」を明確に区別しています。
(「価値がある人」にも「価値がない人」にも等しく友好的であろうとはしますが)
このタイプの人々の中には、自己紹介の際に相手がさりげなく口にした「他人と区別できる情報」、例えば学位や地位、称号などといった情報を、疑うことなくあっさり信じてしまう人もいます。
◆◆◆
EIIは、自分の理論 [11] を超えない形で、他人の注意を自分の問題に向けさせるのは難しいと感じています。EIIは定期的に行き詰まったり、危機に陥ったりします(この危機は、忍耐力や謙虚さを見せても解決できない問題や、他人の同情を得られても解決しない問題、あるいはEII自身の活動が明らかに不足していることに起因する問題などによって生じます)。
こんな時EIIは、利益を守り、問題解決するために積極的に行動してくれるパートナー、自分を守ってくれるパートナーを切実に必要としています。EIIは、後援者や守護者を必要としています。彼らは、純粋な気持ちから差し出してくれた誰かの手を取ることは、恥ずかしいことではないと考えています。
この点で最も調和のとれたEIIの理解者は、LSEだと言えます。彼らは進んでEIIを「自分の庇護下」に置き、言葉と行動の両方でEIIを守ることが出来ます。そしてこんな時、LSEは持ち前の意志の力を最良の形で発揮します。
無意識的な機能
第5機能(暗示):Te
EIIの「ビジネスロジック(別名:行動の論理、Te)」の概念は、主にビジネス関係の側面に還元されます。このタイプの人々が、「何をすべきか」「どのようにすべきか」という質問をされた場合、こんな風に答えます。
「具体的に自分に求められていることを、他人が喜ぶような形でやる必要があります」
EIIは、相手が意見を「思索」や「反省」という形ではなく、「直接的、明示的、正確な形」で表現し、「具体的な提案」をするよう望んでいます。
とても真面目で勤勉です。与えられた方法、教えられた内容に厳格に従います。
ひたすら細部を詰めていこうとするタイプです。「もう十分やったから、そろそろやめよう」というような作業の切り上げ時を見極めるのが下手です。こんな時、EIIのそばに意見を聞けるような人がいればいいですが、そうでなければEIIの「完璧な成果物を作りたい」という願望は、全く逆の結果に繋がってしまうこともあります。
◆◆◆
整然とした職場環境を好みます。EIIはLSEと一緒に仕事をすると最も快適に働くことが出来ますが、これがその理由のひとつです。
自分の仕事を徹底的にやるために必要となるエネルギーを、自分の能力の限界まで注ぎ込もうとします。締め切りに間に合わせるためであれば、残業することも厭いません(LSEは他人に法外な仕事を割り当てることがありますが、それを捌くためには「EIIがするような方法」しかないこともあります)。
他人から押しつけられたら押しつけられだけ、負荷を受け入れてしまいます(頼みごとを拒否するのは、EIIにとっては「不快」だからです)。そのせいで、しばしば他人から都合よく利用されます。
◆◆◆
EIIにとって、自分のビジネスに対する熱意が正しく評価されることは非常に重要なことです。自分の並外れた勤勉さを露骨に無視するリーダーを決して信頼しませんし、共感することもありません。さらに、このような関係は、やがてEIIのパフォーマンスや仕事ぶりにも影響を与えることになります。
また、自分の能力、知性、地位に見合わない単純作業には、内心の反発を覚えます。そのような仕事を任されると、個人的な侮辱として受け止めてしまいます。
EIIは、あまり自分の成果物を綿密に見返してチェックするタイプではありません。できればEIIがチェックをするのではなく、有能で信頼できるパートナーがその作業をしたほうが良い結果に結びつきます。しかし、そういった人がいない場合、すべてが適切に行われていることをEII自身が確認しなければなりません。
達成した作業報告をする際、EIIは欠点と未解決の問題に焦点を当てる傾向があります。それを通して、「さらに良くする余地があること」「自分ならその改善ができること」を他の人々に伝えます。
◆◆◆
ビジネス上の取引における連帯感は非常に重要です。これはEIIと同僚の間の連帯感だけでなく、EIIと経営陣の間の連帯感も含みます。とはいえ少なくともEIIの上司が職場で「民主主義的にやっていこう」という体裁を取るだけで、EIIは十分な連帯感を得ることが出来ます。
EIIは自分自身のビジネス面の能力に対して、かなり控え目な自己評価しか持っていないため、いつも他者から与えられる「ヒント」を有難く受け取ります。
ビジネスロジック(Te)に関するアドバイスは、EIIを強く活性化します。
時には人からアドバイスされた内容を、無批判にそのまま受け入れることもあります。例えば「郵便物の領収書は保管しておかなければいけない」と「アドバイス」された場合、EIIはその通りにします。実際には領収書を保管しておく必要性は全くなかったとしても、それに気が付くまでの間、EIIは愚直に保管し続けます。
ビジネス的な提案に、強い関心を寄せています。もしも「値段が高いけど実用性も高い商品」を勧められたら、あっさり購入してしまうことでしょう(これは「EIIは高級志向だ」という話ではありません。したがって安価で高品質な商品を探し回るEIIを、リサイクルショップで見かけることもあるかもしれません)。
◆◆◆
家の中を整理整頓するのは一苦労です。そういったことをやってくれる人が身近にいればいいですが、もしいない場合は、すべて自分でやらなければなりません。
自分の家の中に「不必要な物」を置きたがりません。「もう価値がない」と判断すれば、容赦なく何でも捨ててしまいます。しかし「価値がある」と判断したもの(あるいは少なくとも「ある程度の価値はあるもの」)は、家の中で注意深く保管します。
質素倹約を心がけており、今ある物を大切に活用します。
値下げ交渉をするのは、あまり好きではありませんが、チャンスがありそうだったら「値下げが可能かどうか」を、恐る恐る、これ以上ないくらい丁寧に尋ねます。
お金を貸すのも好きではありません。しかし余裕があればすぐにお金を貸すほうです。そして「貸したお金を返してもらう」のに途轍もない苦労をすることがあります。貸した金額が少額であれば、「返してもらえない」ことを受け入れるかもしれませんが、多額な場合、できるかぎり繊細でさり気のない方法で相手に思い出させる方法を見つけ出します(「以前貸した300ドルだけど、来月まで返さなくてもいいよ」)。
◆◆◆
EIIは、それぞれの場面で何をすべきか、どう行動すべきかを教えてくれるパートナーに、いつも感謝しています。哲学的な「人はどう生きるべきか、どう生きるべきではないか」というような答えでは不十分です(これはEIIの衝突関係にあたる、ベータ・クアドラのSLEの特徴です)。このような哲学的なことを言われても、EIIはただ苛立つだけです。
特定の場面ごとに試行錯誤され、繰り返し効果が証明され、最大限に率直かつ明確に述べられ、体系的に提示されたアドバイス(そしてEIIが人生の具体的な行動指針として、自信を持って実行に移すことが出来るようなアドバイス)を受け取ることができた場合、話は別です。
EIIは、こういったアドバイスを、双対であるLSEから受け取ることが出来ます。EIIが必要としているのは、まさにこうした情報です。これは彼らにとって非常に重要なものです。
第6機能(動員):Si
このタイプの人々は、責任を持ってライフスタイルや家庭内の維持・整理整頓を引き受けようとしますし、必要であれば、それに関する方法を教えることもできますが、それでも日常生活の改善に一定の困難を抱えていることは確かです。
美的センスの分野でも、上手くいっているとは言いがたいです。そのため、この分野ではどんなサポートや情報であっても喜んで受け入れます。一生を感覚タイプのパートナーと過ごす場合でも、感覚的な領域では重大なミスをすることがあります(パートナーが先回りして回避策を講じない場合)。
自分の外見に無頓着なことが多いです。
(wikisocion編集者注釈:EIIとESIには、この点で大きな違いがあります。感覚の側面がFiの倫理・感情の側面とブロック化されているESIにとって(Se-Fi)、「人の見た目」は「人の資質」を判断する材料になります。一方EIIは、この種の意見や判断を不遜なものと見て、しばしば抗議したり異議を唱えたりします)
EIIが自分に求める最大の条件は、「目立たないこと」「挑発的な服装をしないこと」です。EIIにとって重要なのは、変に悪目立ちしないことです。そのため、控えめな、快適できちんとした服を着ようとします。明るい色の組み合わせは極力避けようとします。落ち着きのある中間色を好みます。
このタイプの女性は自然体を好むため、化粧品を使うことを非常に嫌がります。若く見せるために努力することが少ないため、年齢よりもかなり老けて見える人が多いです。
◆◆◆
また、料理にも苦労しているようです。彼らの料理は一言でいうと「極端」です。カロリーを気にして、あるいは材料を節約しようとするあまり、あまりにも貧相な食事を作ってしまうことがあります。焦げつき防止に油を使おうとするまではいいものの、その油の量が多すぎてギトギトになることもあります。
彼らはしばしば、自分の味覚より知識を信じます。「塩の『適量』がわからない。塩を入れること自体はいいとして、塩辛く感じる人がいたらどうしよう」というように料理中に迷うこともしばしばです。
しかし、基本的には失敗を恥じることありません。また、優しく親切で建設的なコメントやアドバイスには耳を傾けます。
健康的なライフスタイルを好み、運動をし、食事に気を配り、自分の健康状態に関心を寄せます。それにも関わらず、EIIはいつも自分の健康を気遣ってくれる人を必要としています。
EIIは、誰かが自分の快適さや栄養を気遣ってくれることを、とてもありがたく感じます。自分に心地よさを提供してくれる人、「自分を大切にしなければならない」ということを時々思い出させてくれる人を必要としています。
LSEは、そんなEIIのパートナーとして理想的なタイプです。LSEは優れたセンスを持ち、心地よさを演出し、大切な人をケアする術を心得ています。LSEは、EIIの家庭的・美的センスに関する問題を見事に解決します。
第7機能(監視):Fe
EIIは、人間の感情、気持ち、心の状態を観察します。
いつも人の気分や精神状態、感情、経験などを非常に細かく拾い上げ、その情報を心の中のメモに書きとどめています。言葉の内容そのものは、彼らにとってはどうでもいいことです。
彼らが重視しているのは、個人的に観察したもの、つまり人の表情やイントネーションだけです。
◆◆◆
相手の感情や気持ちに合わせて自分の感情を変化させることができます。他者のイライラや緊張を抑えたり、落ち着かせることが得意です。
相手の心情にまず共感し、コミュニケーション時に自分の感情を押し付けないようにしています。
悲嘆に暮れる人には悲しみを、楽しんでいる人には明るさを見せます。
「人の機嫌を損ねること」は、「人を怒らせること」であり、「人間関係から見た場合、よくないこと」だと考えています(EIIは、一般的にこれについて独自の理論を持っています。たとえば人が買い物に失敗したとき、そのことに触れてはいけないとEIIは考えます。今更何かを言ったところで意味はないし、相手の気分も悪くなるだけで、何の利点もないからです)。
自分が不快な感情の源にならないよう気を付けているため、誰かをわざと困らせたり、からかったりしないようにしています。さらにいえば、自分だけでなく自分の身近な人が、他人を困らせたり、からかったりすることも許しません。
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人に嫉妬しません。執念深くもありません。人の成功や活躍を純粋に喜ぶことができます。人を妬まないEIIは、とても信頼できる人だと言えます。しかし、EIIの信頼を都合よく利用しようとするような行為は、EIIを残酷に侮辱する行為に等しいです。EIIは人の期待を裏切ることを、あまりにも重く受け止めてしまいます。
愛と友情において、EIIは並外れた献身と無私の精神を見せます。
自分の悩みを話すことで周囲の人々の気分を悪くしないために、ネガティブな感情表現にはとても気を使っています。
愚痴を言う場合、EIIは親しい人よりも、よく知らない人に言うほうが多いです。これは愚痴だけではなく、心の奥底にある不安や悩みも同様です。
人の気持ちに寄り添い、共感し、最大限の機転と忍耐力を発揮します。人を慰める際には、相手を傷つけないよう、常に機転を利かせたデリケートな表現で慰めます。泣いている人がいたら、いつも根気よくなだめ、「もっとしっかりしろ」とは言わずに、好きなだけ泣かせます。
自分の悲しみを人に伝えようとはしません。勇気を持って耐えようとします(このタイプの人々は、年齢が上がるにつれて、ネガティブな感情を抑えることが難しくなっていきます)。
普通、誰かを笑わせたり、楽しませようとすることはありません。周囲の雰囲気をプラスにしようとするのではなく、プラスでもマイナスでもない状態に保とうとします。
深く傷ついた場合、ごく稀にですが苛立ちや焦りを見せることがありますが、EII自身は、これを「自分には許されていないコミュニケーション方法」だと考えます。
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無礼で思いやりのない行動には必ず非難します。
陰口や誹謗中傷を容認しません。彼らは、常に穏便で機転を利かせた形で陰口・誹謗中傷を止めようとします。通常、会話を続けるのに役立つとしても、噂話をしたり「手抜き」したりはしません(また、他者がそういったことをすると、EIIは非難します)。もしも「特定の誰かについて、何かを言わなければならない」場合、自分の発する情報がどのような影響をもたらすか、必ず考えます。
とてもセンチメンタルなタイプです。EIIが好むジャンルは、勧善懲悪のメロドラマです。倫理的な面の強いキャラクターが登場するマルチパート(ストーリーが長すぎるなどの理由で、ひとつのストーリーをエピソード1、エピソード2のように複数のエピソードで区切ったコンテンツ)のテレビ番組を好みます(「イライザはやっぱりすごくいい奴だ。この男はとんでもない悪党だな!」)。
第8機能(実証):Ni
EIIは、双対LSEの弱い直観に「仕える」ことを無意識のうちに求められているため、時間的な状況 [12] を特に重視しています。
フョードル・ドストエフスキーの「おかしな人間の夢」から引用した次の文章は、EIIにとって時間的要因がどれほど重要性の高いものなのかということを、雄弁に説明しています。
「…私は去年の11月、まさに11月3日に真実を知りました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。それは想像を絶するほど暗い夜のことでした。私は夜の11時に帰宅したのですが、『これ以上暗い時間はないに違いない』と思ったことを覚えています」
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人と約束をする場合、誤解を招かないように、そして誰も待たせないようにするために、時間と場所に関する全情報を、できるだけ正確に伝えようとします(EIIは待たすのも待たされるのも嫌いです)。
このタイプの人の中には、驚異的な記憶力を持ち、年を取っても、幼い頃に自分に起こった出来事を詳細に説明できる人がいます。
EIIは、自分自身や他の人々の時間的な計画を非常に真剣に受け止めています。
例えば契約期間中に計画変更の必要性が生じて、契約を履行できなくなることを心配して、有益な長期契約を拒否することがあります。
しかしその反面、予定されたアポイントメントやイベントは決して忘れません。しかも、いつ何をすべきか、常に周囲にリマインドします。「もう9時半だよ、なんでまだ家にいるんだよ!」「もう7時だよ、薬を飲まないと!」「昼までに電話をかけ直すのを、忘れちゃだめだよ!」「今日は8日だよ、明日の家賃を忘れずにね」などなど。まるで人間ではなく「歩く時計」に見えるほどです。
何事も時間通りに、デモンストレーションじみているほど時間通りにやろうとします(「早く行かないと!あの人が予定より早い時間に到着していたら、待ちぼうけさせてしまうかもしれない」)
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急いで仕事をするタイプではありません。仕事の時間をきっちりと決めて、ぎりぎりの時間に課題を終わらせようとします。もし外部の何らかの影響で計画を修正しなければならなくなったら、「予定が狂わないように」全力を注ぎ込みます。
EIIはプライベートな関係のために必要な場合に限って、「予定」から逸脱することがあります(そのため、例えば自分が急ぎの仕事をしているときに、友人が緊急の助けを求めてきたら、EIIは極めて困難な立場に立たされることになります)。
パートナーの日常を大切にします。パートナーが休息を忘れて活動にのめり込むような人の場合、EIIは時間の経過に合わせて、パートナーに休息と食事の時間を思い出させます。
相手が従わない場合、EIIは思い切った手段をとることもあります(また、自分のそばにいる誰かが、普段の健康的な日常生活から大幅に逸脱した時にも、思い切った手段をとります。例:「学校が休みの日は、『いつまで寝ていられるか』チャレンジをしていました。祖母が私たちを起こしにくる時間がいつもより遅めだったからです。そして『限界』になると、怒りながら祖母が寝室に入ってきて、断固とした態度で私たちを『起こす』のです。こんな祖母でしたが、普段はとても穏やかで繊細な人でした」)
EIIは、自分のプライバシーを尊重しない人がいると、必ず苛立ってしまいます。
自分の時間も他人の時間も、無駄遣いしたりはしません(特に上記の例の祖母は、孫の朝食を何度も温めながら、他にやることがたくさんあるのに、孫が「起こしに来る」のを待っていることに腹を立てていました)。
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EIIが見せる「周囲の人々の時間に対する心配」は、「相手との関係性を表現する形」です。これはEIIの倫理プログラム(第1機能 Fi)が求める「パートナーとの倫理的な調和」にとって不可欠なものです。
時間をかけて誰かを助け、支え、慰め、共感することは、EIIの認識では「偉大で寛大な贈り物」というのに相応しいものです。そしてこの才能こそが、彼らの双対であるLSEが最も評価する才能なのです。
訳注
- ^ 第1機能Fi。ソシオニクスでは第1機能のことをプログラム機能とも呼ぶ。
- ^ ソシオニクスの遠距離と近距離の定義はこちらを参照。この記事はモデルGの記事ではあるものの、近距離・遠距離という単語自体はモデルGに限らず使用する単語である。
- ^ EIIは二分法「臨機応変 / 先見」では「先見」、「賢明/果敢」では「賢明」になるタイプ。
^ EIIのこの行動には、EIIの第3機能Tiも悪い形で関わっている可能性がある(関連記事「ソシオニクス デルタ・クアドラ (8) by Stratiyevskaya」)。ここではパーティ参加者同士が揉め事を起こさないようにするために、不自然なまでに公平性を追求しようとするEIIの例が登場する。
Stratiyevskayaのタイプ解釈では、LII(INTj)もEIIと似た倫理的問題を引き起こしてしまうタイプだと説明されている(関連記事「ソシオニクス LII(INTj)by Stratiyevskaya」)。
これらの記事で見られるEIIとLIIの行動は似ているが、EIIが「人間関係に問題を起こさないこと」を目的にしているのに対し、LIIは「公平性を追求すること」を目的にしているという違いがある。
- ^ 実際に運用されている法律やルールという観点から見た場合の正しさ。
- ^ 法的に見てどちらの主張に正当性があるかという側面。
^ ソシオニクスのTiという情報要素には、論理的整合性や論理的分析などの情報とは別に、「秩序」と「秩序の欠如」という情報も含まれる(関連記事「情報要素」)。この「秩序」とは、特に「社会的な秩序」、例えば法律や社会的な立場、ヒエラルキーを意味するものとして解釈されることがある(関連記事「機能の組み合わせ」)。
本出典のTiの説明は、社会的な秩序という観点からの説明に終始しており、論理的整合性や論理的分析に対するEIIの在り方には言及していない。もしも論理的整合性や論理的分析といった情報に対するEIIの在り方を見るのであれば、EIIと同じく第3機能の位置にTiを持つESIの記事か、第6機能の位置にTiを持つSEIの記事やIEIの記事の内容が参考になるのではないかと思われる。第6機能を挙げたのは、機能の次元という観点から見た場合、第3機能も第6機能も持っているパラメータが同じ(「経験」「規範」のみ)であるため。
- ^ この場合の論理とは、「秩序」と「秩序の欠如」(「社会的な秩序」、例えば法律や社会的な立場、ヒエラルキー)という情報を扱う要素としてのTiのことを指す。
- ^ 経済面や力関係の影響で、どうしても依存したり恭順の姿勢を見せざるを得ない横暴な誰かと付き合っている場合、EIIは相手と絶縁する準備を進めようとする。その準備が整うまでの間、相手からの倫理的な圧力をやり過ごすことができる。
- ^ この場合の論理とは、「秩序」と「秩序の欠如」(「社会的な秩序」、例えば法律や社会的な立場、ヒエラルキー)という情報を扱う要素としてのTiのことを指す。
- ^ EIIの倫理的なイデオロギー。
- ^ イベントに付随、あるいは影響を与える時間、場所などの状況。