双対関係であるLSIの説明にもEIEに関する説明があります。
意識的な機能
第1機能(先導):Fe
EIEにとって、経験や感情の世界は、興味や観察の対象であるだけでなく、主要な「作業場」や「実験室」でもあります。彼らはここで創作と研究の両方を行っています。
人の心を研究し、その人の痛みや苦しみの源を見て、その人の経験や感情の深さを示し、その行動の裏にある感情的な動機を、全ての矛盾とともに理解することにEIEは自分の天命を見出しています。
EIEはこのために生まれたような人々です。実際の世俗的な職業とは関係なく、彼らはこの取り組みのために一生を捧げることになります。
◆◆◆
EIEの周囲の人々は、EIEからの「感情的な影響」を受けずにいることはできません。些細なジョークで人を翻弄し、鋭い指摘や策略、洗練された皮肉で相手を翻弄します。
EIEは、まるで鏡のように人の魂を映し出します。彼らはどんな人でも自分の「劇場」に、「感情的なゲーム」に、「ワークショップ」に、「実験室」に導くことができます。
EIEはしばしば、あたかも自分(EIE)がジョークの標的となる人物より上位(あるいは別の世界)にいるかのような態度をとりながら、愛情のこもった皮肉と寛大な優越感をもって、相手の行動の不条理さ、不器用さについて言及します。
彼らのジョークには、たいてい神秘的でミステリアスなブラックユーモアが見られます(「ダニエル、料理を残したね?何を怖がっているんだい?もういっそ、犬に食べさせてしまおうか。ほら、犬が来たよ、君を食べに…ではなく、君の残したミルクを飲みに」)。
◆◆◆
圧迫感や緊張感のある状況を作り出すことは、EIEにとって特別なことではありません。
気分が良くても悪くても、退屈していても、やることがなくても、ほとんどどんな状態でも、EIEは圧迫感や緊張感を作り出すことが出来ます。ほんのちょっとした「きっかけ」さえあれば十分です。
突然、声のイントネーションが硬く、鋭く、冷たくなり、視線は一点を見据え、時が止まったかのようになります(こんな時、EIEは自分の発言の続きを頭の中で考えています)。
EIEは「他人の倫理的な資質・個人的な資質に対して私はこう思っている」と絶えず示し続けることで、自分の意のままに周囲を「充電」する感情的なフィールドを作り出します。ここで「充電」される感情はポジティブな感情であることもあれば、ネガティブな感情であることもあります。
この感情的なフィールドは「私の個人的な考え [1]」ではなく「一般的な考えはこうだ [2]」という形で示されます)。
こうしたことは全て、豊かな表現力を駆使した微妙なヒントという形で提示されるので、EIEの会話相手は嫌でもEIEの話に興味をそそられることになります。
そして自分でも気づかないうちにEIEの社会的・感情的な指導と影響を受け、知らず知らずのうちに、善意に満ちた人懐っこいEIEが操る「従順なマリオネット」になってしまうのです。
会話中に我に返って、EIEの「魅力的な」社会的影響から抜け出すことは非常に困難です。EIEはすぐに強く気分を害し、失望し、後悔に満ちた行動をするため、会話相手は自分の無粋な行動に気まずさを感じてしまうことになるからです。
このような状況下では、自分から進んでEIEの感情的・社会的影響を再び受ける以外の選択肢はありません。
◆◆◆
EIEは、わざと無関心な態度をとったり、神秘的な、または悲しげな表情を見せることで、この表情を見る可能性のある全ての人の注意を引き、興味をそそろうとします。
無意識のうちにEIEはあらゆる機会を利用して、自分の感情に影響を与えるのに適した対象を探します。
その中でも最も理想的な対象は、まさにこのような性質とスタイルの相互的コミュニケーションを必要としている双対であるLSI(ISTj)です。
EIEは、誰かが自分の「芝居」に興味を示さず、「役者」にも、また「観客」の一人にすらなりたがらないことに何よりも腹を立てます。
EIEの感情的影響に対する頑なで不可解な無関心さ、EIEの繰り広げる倫理的・社会的ゲームへの参加の欠如、これは本当にEIEが無力さを感じる一歩手前の反応であり、EIEが最も恐れていることそのものです。
EIEは「自分の考えを持っている」人を特に警戒します(ただしEIE以上に「自分の考えを持っている人」はなかなかいないでしょう)。
(wikisocion編集者注釈:この記述は、エニアグラムのハートセンター、特に3w4の記述に近いと思われます。他のエニアグラムタイプを持つEIEは自分のイメージ作りや自分の役割、自分の見せ方を意図的に演出することに関心が薄い可能性があります。また、EIE以外のソシオタイプであっても、エニアグラムのタイプ3またはタイプ4である場合、上記のような特徴にあてはまる可能性があります。エニアグラムのハートセンターの特徴と、ベータ・クアドラに属するNF、具体的にはIEI、EIEとを間違えないようにする必要があります)
◆◆◆
一般的に、このタイプの人々は年齢や職業に関係なく、モノマネや声音、イントネーションなどを見事にコーディネートして管理できます。
この能力のおかげで、EIEは会話相手に好意的な印象を与え、相手から最大限の情報を得ながら、自分の望む通りに物事を運ぶことができます。
EIEがその気になれば、人を落ち着かせて警戒心を解き、誠意の心を呼び起こして、相手に「yes」と言わせることが出来ます。
時には人を落ち着かせる手段の正反対の手段を取ることもあります。恐怖と不安によって人を文字通り「束縛」し、完全に自分の意思に従わせようとし、自分のことを完全に信頼するよう要求します。
EIEは「人間の感情のディレクター」であり、「状態や気分のディレクター」でもあります。どんな人であっても、その人に必要と思われる状態や気分を正確に「割り当て」できます。このような感情の「管理」は、通常、EIE自身の考察、関心、疑念、仮定から行われます。
このタイプの人々は、政治家であろうと下っ端の平社員であろうと、自分の活動の規模に関係なく、「こういう世論が広がってほしい」という願いを実現するために必要な方法や道具を完璧に使いこなすことができます。彼らはその能力を駆使して、自分の望む世論を生み出す方向に向かって、周囲の人々の行動を誘導します。
◆◆◆
EIEは年齢、職業、場所、現在の社会的地位とは無関係に「既存の社会的システムの中に、公式・非公式のグループを作ること」「既存のリーダーと新しい公式・非公式のリーダーを交代すること」「社会システム内の上下関係を変動させること」「EIEによる『力の再編成』を妨害した人をグループから排除すること」といった活動を行い続けます。
上下関係のある社会的システムで見られる力の配置は、EIEの個人的・客観的な関心事であり、彼らの活動の最も重要な領域です。
EIEにとって、すでに存在する非公式のリーダー [3]を見つけるだけでなく、今後リーダーになりそうな人を見抜くことも非常に重要です。そしてこれから起こりうるグループ内の変化(メンバーの立場や役割の変化、リーダーの変化)に応じて、現在のグループの関係性を構築します。
そのためにEIEは、一人一人の「心の中」を把握することに努めています(EIEは、キャリアの外、ゴシップの外、「集団の利益」の外、「世論」の外にいる、内面的に独立している人々に特に関心があり、また、警戒しています。こうした人々はEIEにとって理解するのが難しい存在です。そして、まさに「理解しがたい」という理由から、彼らはこうした人々を疑ってかかるべき存在だと感じる傾向があります)。
◆◆◆
EIEは闘争のない人生を想像することはできません。より正確に言えば、EIEは闘争の外の生活を想像することはできません。
彼らは常に何かのために戦い、何かに向かって努力し、そして常に誰かと一緒に行動します。目標がなければ目標を立て、敵がいなければ敵を探すような人々です。
いずれにしても、何の目的も持たずに、ただじっと座っていることは出来ません。
典型的なこのタイプの人々は、障害を乗り越えてみせるために、わざわざ障害を作り出すようなところがあります。そうしたほうがイベントが増えて人生が楽しくなるからです。
さらに、彼らの作り出す「障害」は、社会的なものや、人間関係に関連したものが多いです。「障害」を作り出す一環として、彼らは空想上の噂話や、EIEの個人的な疑念・仮定に基づいた陰謀といった火種を生み出します。
こうした障害の火種が生み出されると、次にグループ内である種の「発酵」のプロセスが起こります。これはどういうことかというと、グループ内に分断が生じはじめ、「敵」と「味方」、「同志」と「反対派」、「私と一緒に行動する人」と「私に反対する人」などの陣営が出来上がっていきます。
さらにEIEはこうした分断のプロセスに全ての人を例外なく無理矢理巻き込みます。この騒動に無関心を決め込む人の存在をEIEは容認しませんが、これはただ一つの単純な理由からきています。
つまりEIEは「EIE自身の問題・興味・活動に無関心な人」に不寛容なのです。
不寛容と言いましたが、EIE自身は「なんでこんなに無関心なのだろう」とヤキモキすることはありません。そもそも彼らにとって「無関心であること」とは「あまりにも不自然なこと」であり、不自然すぎて「そんな人が存在する」ことさえ思いもしません。
EIEは落ち着きのない反逆者の魂を持っています。マクシム・ゴーリキー [4]の物語に登場するキャラクターには、このようなタイプの性格を持つキャラクターが多く登場します。
英雄ダンコ 、海に嵐を告げる「ミズナギドリ」、嵐を探す「孤高の帆」がこれに該当します(このタイプの人々の多くは、自分でも気づかないうちに、非常に挑発的で生意気な態度をとっていることがあります。これは特に幼少期や思春期に顕著に見られます)。
例えばEIEは、全てが「穏やかで静かすぎる」という理由だけで、喧嘩のきっかけを探すことがあります [5]。彼らにとって、こういう状態は、「心配で、怖くてイライラしてくるもの」なのです。一般的に、EIEは平和と静寂を信じていません。静かすぎる水たまりには必ず「水グレムリン」がいるから、その正体を確かめなくては気が済まないといった感じです。
率先して水たまりの中を探ることこそ、市民の義務であり、現体制に対する最高の忠誠心の表れだとEIEは考えます。
EIEのようなタイプの精神は、極端な状況、つまり全体主義の時代や、歴史上の激しい動乱の時代にも生き抜くことが出来るよう「プログラム [6]」されていることに留意すべきです。
困難な時代を生き抜き、乗り越えていくこと、それがこのタイプのパーソナリティにとって最も重要な社会的・生物学的課題です [7]。
彼らは倫理的な機動性、慎重さ、忠誠心、先見性、特に政治的先見性などの特徴を持っており、危機的な状況下でも自分が優位な立場に立つために、より上位の階層に入ることを望みます。
◆◆◆
EIEは常に政治的な活動を行い、市民としての権利や立場に気を配っています。
社会的、公共的に重要な問題に対する「他者の無関心な態度」に苛立ちを覚えます。ただ生きているだけ、ただ存在しているだけ、ただ心の平穏を保っていたいだけ、というタイプの人間に悩まされています。
EIEは「実利主義」と「ありふれていること」を嫌っています。家族でのんびりと、牧歌的な雰囲気の中でゲームを「遊ぶ」ことはできても、「日常生活に追われる」ことには我慢できません。
さらに、彼らはこれを一種の自堕落であると考えます。典型的なこのタイプの女性は、女性が家庭に「閉じこもる」ことを求める社会に対して強い不満を抱きます。このような要求は、EIEの性格に悪影響を与え、家族関係を「軍事的・政治的闘争の場」に変えてしまうことになります。
EIEは、どんな些細な家庭内のエピソードにも「イデオロギー的・政治的な色彩」を与える可能性があります。そして、それを基に自分自身のために積極的な社会生活を展開していきます。
誰かの記念日のためかもしれませんし、誰かが病気になった時のためかもしれませんが、そういった出来事にそなえてEIEは公的な集金を企画し、必要なサービスを着々と準備しています。EIEは誰よりも忙しく、目まぐるしく動き回ります。
そして何よりも、議論、決定、任命、組織化、承認、サポート、そういった全てについて「人に盲目的に従うのではなく、自分のイニシアチブは自分で取るべきだ」ということを声高に宣言します。
◆◆◆
EIEは、年齢、環境、状況を問わず、リーダーシップを発揮することができます。また、必要なときに必要な聴衆を見つけ、単なる会話ではなく、まるで演壇に立っているかのように演説できます。
さらに彼らは何の理由もなく市民集会を開くことができます。そのためには、適切な気分(「燃え盛る魂」とか「消すことのできない怒り」とか)でいるだけでいいのです(ILEもまたEIEと同じように、いつでも、どこでも、好きな時に、好きな場所で集会を開くことができますが、ILEの場合、自分の伝えたい内容が周囲の人に上手く伝わらないことも多いです)。
EIEは、聞き手を慎重に選びます。彼らは、誰をどのように煽ればいいのか巧みに見抜きます。「批判」「非難」「レッテルを貼る」「指をさす」─ これらは全て、EIEの自己表現であると同時に、コミュニティの精神を醸成し、世論を形成するための方法でもあります。また、より大きなスケールでは「政治を行う」「歴史を作る」方法でもあります。
◆◆◆
何かの事業やプロジェクトの発起人となり、新しい人々を巻き込んで組織化し、彼らをリードすること、こういった全てにEIEは熱心に取り組見ます。そのために政治家である必要はありません。ただ「物事の流れに乗り」「正しい」方向性を推測し、「必要な」イニシアチブを取ることが必要なのです。
EIEは社会的な取り組みにおいて、非常に先見の明があり、慎重であることを併せて指摘しておきます。
EIEが何かを始めたとしたら、それは偶然ではありません。そこには常に長期的な目標があり、計算された目標があります。つまり単なる善意ではないのです。
EIEが善意で何かを行っている場合、彼らはそれを世間に宣伝することはありません。他人がどう反応するかわからず、自分の「善行」のせいで予期せぬトラブルに巻き込まれるリスクがあるからです。
例えば、あるEIEは長年にわたって妻に内緒で親戚一同を金銭的に援助していました。全員に少しずつ、ある人には月給から、ある人には臨時収入からです。しかし、彼は皆に欠かさず「妻には言わないでくれ、彼女はこのことについて何も知らないはずだ!」と警告していました。
◆◆◆
EIEは、まるで生まれながらの俳優です。彼らのリーダーシップは、この才能によっても支えられており、これはEIEの最も価値ある資質だと言えます。
人生においても、劇場においても(そして歴史や政治においても)EIEは俳優なのです。舞台に登場したEIEは、観客と一緒に泣いたり笑ったりします(ちなみにEIEが「政治の世界に登場する」と、笑う人はどんどん減っていきます)。
このタイプの人々は往々にして著名な俳優、監督、詩人、音楽家になります。聴衆がいる限り、彼らのインスピレーションは無尽蔵です。
第2機能(創造):Ni
「人々の感情」をEIEの「創造的な実験室の材料」と考えるならば、「時間」はこの材料を鍛え、加工するための道具、または炉です。
EIEにとって、人の「感情モデル」を作り、熟成させるためには、その過程で人の性質(つまり人の行動モデル)を知ることが必要になります。そのため、人は過去にどうだったか、そして未来にどうなるかを知る必要があります。
EIEにとって時間の濃さは、単位時間あたりに経験する感情の量に比例しています。彼らにとって時間の単位とは、感情という命で満たされた細胞のようなものです。
EIEのミュージシャンは独自のリズムとテンポの感覚(マイクロリズムとマイクロテンポ)を持っています。彼らにとっての「1音の長さ」という概念は、「1音の命の長さ」を意味しており、音符の1つ1つが細かいニュアンスに彩られ、運命づけられた特定の瞬間の中で明るい感情を持って生きているのです [8]。
EIEのミュージシャンは、音と音の「間」を魅せるテクニックであったり、テンポと感情的ニュアンスの相互作用によって演奏を作り上げる能力を持っています。
そしてこの点によって、彼らは他のタイプのミュージシャンと区別されます(EIEのダンサーが、目まぐるしく変化する、あるいは非常に繊細に変化する音楽に対して、自身の動きを正確に調整しながら、卓抜した表現力をもって踊ることができるという点で他のダンサーと区別されるのと同様です。彼らの動き・ジェスチャーは、花のつぼみのように時間と共にほころんでいきます。観客は、次第に高められていく彼らの表現を見て、理解し、そして共感します)。
EIEの政治家は、時間を操作する方法を熟知しており、時間をかけて問題を「癒す」ことも、時間をかけて問題を「膨らませる」ことも思いのままです。
つまり彼らは時間をまるで自分の庭のように利用し、問題を「熟成」させ、最も説得力のある形で社会に提示できる瞬間を作り出すことができるのです。
EIEは、時間を具体化する方法も知っています。たとえその瞬間が何十年も続くとしても、その瞬間の重要性を他者に感じさせる方法を知っているのです。
◆◆◆
彼らは状況によって与えられた自分の時間の優位性を利用することができます。例えば戦争中、EIEの政治家は休息のための休戦を申し込み、そうして得られた時間を自陣の利益のために利用することができます(軍隊の移動、新しい軍隊の構築など)。そうして自陣を着々と整えた後で、新たな「騒動」や「挑発」を仕掛け、軍事行動を再開する大義名分を得るのです。
EIEは、自分の活動を時間通りに調整する方法をよく知っています。何をするにしても、常に時間的にみて非常に適切であるように見えるタイプです(つまり「タイミングが良い人」に見えます)。
EIEは優れた戦略家です。彼らの活動や行動の一つ一つは、最終的な計画の目的やタスクによって決定されています。
しかもそれらは十分な柔軟性も持っています(例えば政治家であるEIEにとって、戦争状態は最終的な勝利よりも重要な場合があります。さらにEIEは、自分の行動の最終目標を達成してしまった時に、失望を感じることがよくあります [9]。
EIEは、活動的でイベントがぎっしり詰まっている生活に慣れてしまっているため、活動的ではないペースに切り替えることが苦手な場合があります [10]。こうした状況では「自分の生活から何かが失われてしまった」「何かが足りない」と感じ、「チャンスを逃したような気分」になったり「完全な形で目的を達成できなかった」という感覚に陥ります)。
◆◆◆
EIEにとって、自分の行動の妥当性に自信を持つことは非常に重要です。
そのためには、あらゆることについて常に適切な情報を得ていなければなりません。彼らは「自分に関係すること」「自分にとって重要なこと」について十分な情報が得られないことを恐れています。
なぜなら情報が得られない場合、タイミング外れの行動してしまったり、最悪の場合、遅れをとったりする危険性があるからです。
危機的状況で、EIEは通常、自分の活動と行動を時間内に正確に調整します。
EIEは最初の一撃を与えようとしますが、この一撃は敵からすると全く予想外のものでなければなりません。EIEの最初の一撃の攻撃力には驚かされるものがあります。こうした理由から、EIEは周囲の人々と情報や計画を共有する必要があります。
また、このような理由から、「EIEが心配していることに対して心配していないように見える人、落ち着いていて秘密主義者のように見える人」を警戒します。もしかしたら、EIEが得ようとしているものをすでに手に入れていて、だからこそ冷静で自信に満ちているのではないかと疑わしく見えてしまうのです。
◆◆◆
EIEは常に「他の人が失敗した経験」「他の人が上手くいかなかった経験」に興味を持っています。それらを徹底的に研究し、将来自分が同じ過ちを犯さないように有益な結論を導き出そうとします。
しかし、自分自身の否定的な経験がどのようなものであっても、危機的な状況下では、EIEは自分の感情や直観に導かれるままに行動します(たとえそれが理性や常識に反していても)。このタイプの人々が熱狂的で狂信的な自己放棄をするのは、おそらくこのためだと考えられます。
EIEの中には、まるで「神風特攻隊」のような人が多く存在します(激しく燃え尽きる直前のマッチのように)。いつ、いかなる時代であっても、そして、たとえ小さな仲間の輪の中で生まれ、ほんの少数の人にしか共感されないアイデアであっても、EIEは、そのアイデアに命を捧げることに最高の運命を見出すことがあります。
そのため、この種の狂信的なEIEは、たとえそれが自分の陣営の人間であっても、罪のない人々を人質に取ることに葛藤を感じないようなところがあります(「思想のために殉じることは最大の名誉だ」「こういう人たちの『普通の生活』からであっても、何か『使える』ところはあるはずだ」)。
EIEは、重大な歴史的事件を、ただ傍観していることなどできない人々です。
このタイプの人々は、仮にジャーナリスト、国際評論家、あるいはニュース番組や政治中継のキャスターとして働いていたとしても、さりげなく特定の質問に人々の目を向けさせ、自分が望む形の世論を醸成し、政治家たちの活動に影響を与え、特定の行動方針に向かわせようとしているかのように見えることがあります(wikisocion編集者注釈:エニアグラムの本能のサブタイプ「社会的本能:ソーシャル」が最も弱い人、すなわちsx>sp>so、またはsp>sx>soである人は、こうした社会的志向の強い説明に、完全には共感できないかもしれません)。
EIEは歴史を予見する力を持っています。彼らにとって、自分自身は歴史的なプロセスの一部であり、その時代の一部であり、そして、その時代のアイデアの持ち主であり、スポークスマンであると感じているかもしれません(また、政治的・市民的な活動を行う傾向があるため、他人が根本的に政治に無関心であったり、一部の利害関係者に盲目的に忠誠を誓っていたりすることに違和感を覚え、動揺することもあります)。
EIEは、しばしば「イデオロギーの最前線」で真摯な熱意と成果をもって働いている姿を見ることができます。
そして、そうした活動を熱心に行いながらであっても、EIEは自分の指導者が犯した「歴史的な過ち」について心からの失望を表明できます。
◆◆◆
EIEの人生には、面白くて「大規模」なプロジェクトや活動でいっぱいの、感情的に飽和した明るい時期(「スターアワー」)と、自分にスポットライトがあたるまで待ち続ける時期があります。
さらに、この後者の期間はEIEにとって無為な時間ではありません。たとえ見かけ上がどうであったとしても、最初の期間と同様に重要な時間であり、実際には活動で飽和している状態と変わらないものです。
これが、EIEの目に見えない活動の期間、決定的な瞬間のための「準備」の期間になります。彼らが「スターアワー」にどのような行為を行うかは、まったく重要ではありません。クーデターであったり、議会での見事な演説であったり、壮大に仕組まれた演劇であったり、新たな歴史的時代の始まりを意味する過激な行為であったりします。
重要なことは、「スターアワー」にEIEが「歴史に名を刻む」ということです。
◆◆◆
EIEは、「大きなスケール」で時間を「見る」ことができます。そして「大きなスケール」で時間と戯れることもできます。
EIEにとって時間を守ることは必ずしも重要ではなく、その日のスケジュールを守ることもあれば、守らないこともあります。これはEIEにとっては重要ではありません。EIEは今後の地球規模の変化や、歴史的な正確さ、自分の行動の都合の良さなどに関心があります。
EIEにとって重要なのは「歴史の下に眠る丸太にならないこと」、つまりその時代に有機的に入り込み、溶け込むことなのです。
EIEは、時代ごとの性質を理解し、その時代の「スローガン」を肌で感じることができます。歴史的な時代の移り変わりの中に、類似性やパターンを見出すことができるのです。
また、特定の時代のイデオロギーに共鳴し、自分に近い考えが広まっていた時代に対して頻繁にノスタルジーを感じます。もしEIEが今日の社会に自分の居場所を見つけられない場合、彼らはその社会の過去に生きようとします。
第3機能(役割):Te
EIEにとって、集団を率いて管理することは難しいことです(より正確に言うと、EIEにとって集団を統率することは難しいことです)。
ビジネス上の人脈や人間関係を構築しなければならないというプロセスそのものが、EIEにとって常に容易ではない活動です。
これは、EIEがビジネスの会話をする前に、前もってさまざまな違い、意見の相違点、利害の衝突の可能性を予見し、それに応じた態度をとってしまうからです。
◆◆◆
部下や同僚の仕事をチェックし、ビジネス文書を整頓し、「必要な仕事ではあるものの日常的な仕事をする」ということは、EIEにとって退屈で難しいことです。
業務プロセスの整理や、必要な技術的条件の整備、給与の支払い、仕事に対する物質的な報奨や刺激を与えるといったことをするためには非常に多くの労力が必要になりますが、それに反して得られる成果は僅かなものでしかありません。
そのため報奨金がなく、非効率的で生産性の低い労働環境で、EIEが必要な労働体制を維持するためにとる方法はただ一つ、感情的・行政的な圧力しか残されていないのです。
そして、これらの手段・方法をEIEは非常に熟知しています。
◆◆◆
EIEは単に「私はあなたの仕事に満足している(あるいは満足していない)」と言うことができません。彼らにとって、個人的な意見を表明するために、こうした単純な表現しか使わないというのは、あまりにも不適切なことなのです。EIEは一般的に「私の個人的な意見ですが」という表現を嫌います。
したがって、EIEは個人的な観点から話すことを恐れています。さらにいえば、EIEが好むのは「『部長が』あなたのレポートを褒めていました」「最近、あなたの仕事量が減っていることに『みんな』気づいています」といった言い回しです。
このように、EIEは自分の個人的な見解として意見を述べるのではなく、「世間一般の意見」として表現することを好みます(ただし実際の「世間一般の意見」とEIEの発言の内容が全く一致していない場合もあれば、「世間一般の意見」そのものが実際には存在しない場合もあります)。
しかし、特定の誰かの行動を、意図的に、望む方向に方向づけるためには、まさにEIEが行っているような方法で「一般的な意見」を示すことが有利になるのです。そのためにEIEは、「今起こっていること」と「周囲の人々との関係」を示し、「自分個人からの評価」ではなく、「一般的な意見」として表現しようとします。
EIEの発言は、まるで「私だけがそう思っているわけじゃありません。『みんな』そう思っているのです」と言っているようです(実際には誰の意見も聞いていない可能性はあります)。
◆◆◆
EIEは、ハッタリ、改ざん、事実のごまかしを全く臆することなく行います(特にこれが「問題解決」「現在の状況の特別な重要性」に関連して行われるのであれば、なおさらです)。事実や実体といったものは、その場で他の人が確認できないものであるため、一般的には重要ではありません。
EIEにとって重要なのは「部下や同僚に何らかの影響を及ぼすこと」であったり「あらゆる労働条件(かなり過酷な労働条件)、最低の賃金で誰かを働かせること」、「誰かの仕事を頓挫させることによって、自分の邪魔になりそうな人を退職させること」などといった個人的な欲望です(EIEは単純に、もっと他の、より快適で労働に適した条件を自分で作り出すことができません)。
また、EIEが雇用者ではなく労働者である場合、彼らは労働条件が厳しければ厳しいほど、指導的役割や管理的役割を果たして自分を良い労働者に見せることで、仕事をより長く続けようとします
仕事の長期雇用が保証されている正社員であっても、EIEは「仕事を長く続けること」を重視して行動します。そのためEIEは「理念のために」「感謝のために」働く「とてつもなく良心的な労働者」として自分を見せることができます。
もちろん彼らは優越感が強く、リーダー気質を持っているため、低いポジションに長くとどまり続けることはできません。
また、EIEは、自分にとってより有益で有利な方向に「力を再配置」できるチャンスを決して見逃しません。
このおかげで彼らは職場で「より都合のいいポジション」を獲得できます。
EIEの「ビジネス戦略」の本質は、まさに「周囲に影響を与えるのに最も効果的なやり方は何か」を見抜き、自分自身に対する確かなサポートポイントを見つけ出すことにあります。
EIEは、リーダーとしての立場と権威に拘りを持ち、部下を使って自由に、かつ容易に状況を操ります。自分が誰かの策略に嵌められ、騙されないように注意深く伺っています。
◆◆◆
管理職、リーダー、政府高官としてのEIEは、何の煙もたっていない場所から「犯人」を見つけ出したり、自分に依存している人を恫喝するにはどうしたらいいか熟知しています。
リーダーであるEIEにとって、作為的に緊張状態を作り出し、他人に「罪悪感」を押し付け、自分自身に最悪の自体が生じる可能性を期待し続けることは非常に重要なことです [11]。
EIEがリーダーをする場合、マリオネットを操る「カラバス・バラバス(wikisocion編集者注釈:童話「ブラチーノ [12]」の悪役キャラクター)」のような役割を演じることが多いです。
彼らは時々糸を引っ張っては、自分の陰謀のメカニズム全体が効果を発揮するのを観察します。
このような管理の仕方を好むため、EIEとのビジネスや生産性に関する議論は、常に個人的・倫理的な領域へとシフトしていきます。
ビジネス関係の領域から「個人的関係の整理」の話題へと変えることで、EIEは水の中の魚のようになります。そうすることによって、他の誰にも優先権を与えないようにするのです。
◆◆◆
EIEはまた、自分自身が引き受けた責任の結果に恐れを抱いています。このことは、EIEの個人的な見解を「個人的な見解」として述べるのではなく、世論を操作し、「世論を代弁」するほうが安心できるという傾向を生み出すことに繋がっています。
自分で決断し、自分で責任を負うよりも、「多数派の意見」に従って行動する方がいいと感じるのです。
この戦術は「隠れ蓑」としても機能します。EIE自身は「少数派」という立場で行動しますが、EIEの意見は「大多数の意志に従属したもの」であるため、EIEは「多数派」の中から適当な犯人を見つけ出すことで自分の間違いを帳消しにし、どんな行き過ぎも「多数派のせい」にすることができるのです。
もしも、どうしても「EIE個人の責任」としてしか扱ってもらえない場合、この「リーダー」は取り返しのつかない誤りを犯した後で、さらに「我が亡き後に洪水よ来たれ [13]」という原則に従って行動する可能性があります。
◆◆◆
EIEは常に、特に彼ら自身が承認していない「対抗的なビジネスイニシアチブ」に対して警戒を抱いています。
このため、EIEはLSIと最高のビジネス関係を築くことができます。LSIはEIEの双対ですが、彼らは「従属」の原則に従って自分のリーダーの計画や意図を敏感に察知し、与えられた指示に忠実に従って行動することができるタイプです。
EIEにとって、他のソシオタイプと一緒に行動するのは難しいと感じてしまうかもしれません。
EIEはLSIと同様に、自分個人の投入した労働量・任された責任の大きさに比例して、賃金などの即物的な報酬が分配されているかどうかを注視しています。
個人的な心付けとして、EIEは自分の裁量で物質的な報酬を他者に与えることもありますが、大っぴらには行わず、秘密にしようとします。
「あたなは2件、あの人は5件のコンサートに出演しましたが、あなたにも、あの人にも同じ金額を支払います。もし私をがっかりさせたくなかったら、このことは誰にも言わないように!」
なぜなら、こうしたことはヒエラルキーのシステムの外で行われることであり、そのために自分自身が「システムからの保護を受けることができない状態に置かれている」というように感じてしまうからです。これは、自分の行動には全て自分で答えを出し、自分の過ちには全て、自分のポケットから賠償金を支払わなければならない世界です。
◆◆◆
ビジネスの場で、EIEの魅力的な口調は周囲を疑心暗鬼にさせ、敵に回してしまうので逆効果です。
あるEIEの起業家・兼・中小企業経営者は、顧客に対してしばらく陰謀を巡らせていましたが、結局、顧客はEIEのサービスなしで何とかやっていけるようになってしまいました。
自分の失敗を分析することで、EIEはビジネス倫理を学んでいきます。自分の感情を理性に従属させる方法を学び、自分が「したい」ことではなく、ビジネスにとって「好都合」なことをすることを学び、自分の感情の表現をより抑制することを学び、自分の「感情の語彙」を観察して表現を抑え、自分自身の意見も世論の意見も表明しないように学びます。
お金をくれる人たち、「どの曲を流すか命令する人たち」に対して、適切な態度をとることを学ぶのです。資本主義的なシステムの中で、生来「社会主義的」な側面を持つEIEは、非常に苦労に満ちた学校生活を送らねばなりません。
◆◆◆
反抗的で興奮した魂を持つEIEにとって、市場の必要性、市場価格、市場における関係性を研究することは、「最も面白い仕事」とは言い難いものです。
したがってEIEは、しばしば自分のビジネスの利益を守り、自分と自分のビジネスのために「立ち上がる」こと、自分の仕事と結果を正確に評価すること、自分が他人に要求できる適正な給料を正確に見積もり、その支払いを主張することが苦手だと感じることがあります。
ある仕事では非現実的な報酬を要求し、別の仕事ではほとんどタダ働きで合意することもあります。
EIEからすると、仕事の成果の評価と報酬というものは全て雇用者の能力と経済力にかかっているものに見えてしまいます。しかもEIEからみて、雇用者の「本当の」支払い能力は往々にして秘匿されたものです。
自分をアピールして推薦状を貰うことに繋がるのであれば、実務経験を得るためだけに無償で働くこともありますが、それでも彼らは自分の個人的な献身と熱意が悪用されないか、常に不安を感じています。
EIEは利他的な動機から働くことはできますが、「こいつは他人のためと言えば、それだけでこき使うことができる」と思われたり「人助けのためになるから」という名目でわけのわからない出費をさせられることには、かなり不愉快さを感じます。
独立したエージェントとして、EIEは常に最高にプロフェッショナルなレベルで仕事を遂行しようとしますが(彼らは一般的にプロフェッショナリズムを尊重します)、何らかの客観的な理由でそれが成功しない場合、大いに悩むことになります。
また、事前に全てを考え、細かい部分をすべて先回りして処理しようとします。EIEがこうした先回りを好むのは、こうした細々とした部分に、往々にして「おいしい仕事」があるためです。
◆◆◆
家庭生活では、節約と慎重さを心がけていますが、なかなか上手くいきません。いらない物をしょっちゅう買ってしまい、気が付けば無駄な出費がかさんでいます。
彼らは派手で贅沢な暮らしを好みます。自分の懐の広さを見せたがり、素晴らしいものに囲まれて生活したいと望みます。
EIEが自分で家計を管理する場合、借金をしないようにやりくりするのが難しいかもしれません。
そんな時EIEを救ってくれるのが、1円単位で計算し、全ての支出を把握することのできるLSIという双対の存在です。
LSIは自分の(そして他人の)家計を整理するのが好きです。そのためLSIは喜んで家計簿の管理を引き受けてくれます。EIEは時間をかけて、日常生活における実用性と経済性をLSIから学ぶことが出来ます。
◆◆◆
EIEは試行錯誤を重ねながら仕事をすることを好みます。LSIは、様々な方法や指示、手順の開発の達人です。作業プロセスの細部まで注意深く研究し、「棚上げ」して整理したり、EIEにとって関心と価値のある質問について、何も漏らさすことなく明確に、かつ包括的に説明することによって、EIEにその情報を伝えることができます。
◆◆◆
EIEは仕事やプロジェクトにマルチタスクで取り組むことや、負荷が強すぎることを好みません。自分の計算や計画にミスがあった場合、EIEはそのミスの原因を「仕事が多すぎたから」「他の何かに気を取られてしまった結果、見落としてしまったから」と説明しようとする傾向があります。
注意力散漫は、EIEにとって深刻な問題です。1つのタスクやプロジェクトから別のタスクやプロジェクトに簡単に気が散ってしまい、時には、以前やっていたことを完全に忘れてしまうことさえあります。
その結果、多くのプロジェクトやタスク、事柄が複雑な問題の塊として堆積してしまい、EIEはそれを「解きほぐして」もう一度やり直さなければならなくなってしまうのです。
こうしたことから、EIEは重要な仕事や案件に取り組む場合、気が散ったり、外部からの干渉を受けたりしないような環境で行うことを好みます。例えば誰も、そして何も彼らを煩わすものがない夜間に、気持ちよく生産的に仕事することができます。
第4機能(脆弱):Si
EIEは、常に何かに悩まされているような、あるいは苦しめられているような、身体の内部的な不快感に悩まされていることが多いです。
時々、痛そうに顔をしかめたり、(明るい光や風が原因で)頻繁にまばたきをする癖が見られます。また、嘆き悲しんでいるかのように、静かに抑えた声で話す癖があります。そして、そうした癖がある一方で、大げさに感情を込めたようなイントネーションで、大声で話す癖があるEIEもいます。
◆◆◆
EIEは、確かに明るい光や大きな音に刺激を受けることがあります。どんなものでも、どんな出来事でも、人によっては不快の種になります。時々EIEは、あたかも自分の中からこの不快な状態を消そうとしているように、自分の意識からそれらを消し去ろうとします。
EIEは、鋭い味覚(および味覚以外の感覚)を欲しがります。香りの強い調味料を好み、香辛料が効いたものには強く食欲をそそられます。
味覚の単調さは、EIEをしばしば苛立たせます。彼らは洗練されたもの、新しいもの、珍しいもの、もしかしたら一風変わったものを欲しがるかもしれません。
まだ食べたことのない料理を試してみて、その味や原料を知ることを楽しみます。時には彼ら自身が料理の実験好きである場合もあります(かなり大胆な実験をします)。
ただし、彼らのこうした実験は、いつも成功するとは限りません。時には、料理の基本から見ると相性が悪いとしか言えない素材同士をブレンドしてみることもあれば、シンプルな大味を好むこともあります(なぜなら、それが「まさに欲していたもの」だからです)。
EIEは食材の質の良し悪しに気づかず、腐ったレタスや野菜をサラダ用に切ってしまうことがあります。
また、注意力が散漫なEIEは、どこまで準備したのか、どの材料は入れ終わっていて、どれが入れ終わっていないのかを忘れてしまうこともあります。
◆◆◆
このタイプの人々の中には、料理を作ることよりも「料理人の役割を果たすこと」が好きな人もいます(特に男性のEIEに見られる傾向です)。
このタイプの女性は、すぐに仕事が煩わしくなり、退屈な家事の一種として、時には特別な困難があるかのように、苛立ちながら料理を作ります。
すでに述べたように、EIEの女性が家事中心の生活を強いられると、その性格や態度に悪い影響を与えます。
例えば、筆者は夫の義母(EIE)と、ひと夏の間、共に暮らしたことがあります。初日、私が義母の家に到着するとすぐに、彼女はこう言いました。
「食事は別々にしましょう。私は料理を作らないよ、どうせ私の料理なんて誰も気に入らないだろうから!」
それを聞いた私は少し腹が立ちましたが、その後、彼女が本当に食べ物の扱い方が下手で、それを恥じて悩んでいたことがわかりました。彼女は私にそのことを隠そうとしていたのです。また、彼女はまるで罰ゲームでもするかのように、家事で私に負荷をかけるのです。
まあ家事には慣れているので、私は大丈夫ですが。しかし、夏の終わりになっても彼女は私に突っかかってきました。
「なぜ、スケッチブックと絵の具を持ってきたの?この夏、ずっと何も描いていないのに」
彼女が喧嘩を売っているのは明らかでしたが、私は闘争を求めていないので、彼女に喧嘩の口実を与えないように努めました。そしてこれは彼女をさらにイライラさせました。
◆◆◆
一般に、生活拠点の設置や家庭の維持管理は、EIEにとって「最も楽しい時間の過ごし方」とは言えません。
家族のために、家庭のために、何を買わなければならなかったか、夕方になっても思い出せません。
あるEIEの芸術家は、自分の息子を食料品店にお使いに出し、自分の絵のモデルにつかっていたパンを「リフレッシュ」するために、新しいパンを買ってくるように言いました。
お使いに行った息子は2斤のパンを購入しました。1つは絵画用、もう1つは食べるためのものです。
それを見たEIEは最初これに非常に驚いていましたが、それから笑いました
「そういえば食べる用のパンがなかったんだった。うちの息子はなんて機転が利くんだ!」
日常生活における整理整頓は、EIEにとって常に余計な頭痛の種であり、しかもあまり成果を上げることが出来ません。
EIEの家には、必要な物がたくさん不足していることがあります。インテリアデザインはどこか滑稽で、ぎこちなさが目に付くことがあります。
例えば先ほど紹介した、EIEである義母の寝室のベッドの上には、なぜか美しい古代のレリーフが描かれた大きな石板…1.5m×1.5mくらいのサイズのものがぶら下がっていてびっくりしたことがあります。
どうやってその石板を支えているのかはわからなかったですが、私には全てが驚きでした。この巨大な石板の下で、どうして眠れるんだろう…というか、怖くないんだろうか…と。
◆◆◆
EIEがスリルに飢えているのはこれまでに説明した通りですが、彼らは特に変わり映えのしない日常生活におけるスリル不足を強く感じます。
したがって、彼らは日常生活のいたるところで、その不足を「埋め合わせ」しようとします。このため、EIEは日常生活から困難を生じさせたり、常識に反して日常の人間関係を複雑化させてしまったりすることがあります。
EIEが周囲から十分な感情的刺激を受けられない時に、こうしたことが起こります。この場合、家のインテリアもそれに合わせてアレンジすることがあります。
例えば、すべての窓に黒いカーテンや布をかける、政治的なポスターや写真、好きな歴史上の人物や政治家の肖像画やメッセージをいたるところに飾る、自分の部屋を自分でペイントして壁に自分の作品をかける、などなど。
つまり、自分にとって心地よい感情状態を作るためなら、何でもするのです。
◆◆◆
もちろんEIEの双対であるLSIが、EIEの生活環境の整理を引き受けた場合、事態は好転します。
経済的で勤勉で、生まれつき優れた美的センスに恵まれ、正確で、秩序を作り維持する方法を知っているLSIは、もし彼らがそう望むのであれば、EIEが夢見るような環境を正確に作り出すことができます(関係や状況次第では「ベッドまでコーヒーが運ばれる」ような環境が作られることさえあります)。LSIは経済的で倹約家であり、お金の出入りを細かく記録します。
そうした特徴のおかげで、彼らは家庭を立派に管理することができます。
さらに、LSIはEIEの倫理的価値観や態度を自然に志向しているため、EIEの感情の揺れや落ち込みを恐れません。しかも、そのような情緒的やりとりをすることでLSIは気分がよくなります。
そのためLSIは、EIEの原則に反さず、それでいてEIEの感覚や印象を、より調和のとれた流れに導くような、ある種の美学的な変化や追加をEIEに上手く提案することができます。
EIEが「強烈な個人的体験の演出者」であるなら、LSIは「鋭い、スリリングな感覚の演出者」だと言えます。EIE-LSIという双対ペアの組み合わせでは、常に感情と感覚の交換が行われています(「飴と鞭」)。EIEの感情性がポジティブからネガティブに変化すると、LSIが作り出す快感やリラックス感といった感覚性も、よりシャープでエキサイティング、そして厳かなものへと変化します。
このように、EIEとLSIは互いに補完し合いながら、最適な心理状態、つまり印象・感情・感覚の最適な調和を作り出します(このEIE-LSIペアで「最適な調和のとれたもの」と説明されている状態は、他の双対ペアにとってはあまりにも激しく、「奇妙」で、それゆえに受け入れがたいものに見えることがあるかもしれません。しかしながら、彼らにとってはそれこそがいいのです)。
◆◆◆
EIEは、多くの感覚的な体験や印象を、感情的または直観的に解釈しています。
例えば、あるEIEの教師は、想像力と記憶力を重視した独自の絵画指導理論を持っていました。あらかじめ色の組み合わせを覚えておき、塗った色に対応する色で、点を使って線を描くように輪郭を描くだけでいいという理論です。
この理論に沿って私が絵を描いてみたところ、絵は色とりどりの線だらけになり、それらが重なって混沌としてしまいました。
私にはこの方法は使いこなせませんでした。その教師は私によく次のような説明をしたものです。
「この色の彩度をもっとあげて『鳴り響く』ようにしないと、死んだみたいに静かになってしまいますよ」
◆◆◆
EIEは、外的な不快感の原因に対して敏感ですが、時が経つにつれて、その原因が自分自身の中にあることを理解し始めます。
EIEは自分の孤独を敏感に感じ取ります。特に若い頃は、孤独と誤解に苦しむ「悲しみに塞ぎ込んだ悪魔」のような役柄を演じることがあります。孤独についての憂鬱な考えは、EIEに「存在のはかなさ、もろさ」についての内省をもたらします。
こうした内省の時間は、EIEの気分が悪いときには特に頻繁に訪れます。自分の見た目の不健康さを指摘されただけで、EIEはすぐに「老い」や「命の終わり」について考え始め、さらに暗い気分になってしまいます。
例えば、母(EIE)は入院するずっと前から、「自分が死ぬ日」のための準備を私にさせてきました。
「いいかね、砂糖はここにあって、穀物類はここにしまってるからね。あと、私が死んだら家賃の支払いを忘れないようにしなさいね」
ちなみに母の手術は成功したので、こうした準備は全て無駄に終わりました。
◆◆◆
EIEは自分の周りの人に対して、「自分のことを十分に気にかけてくれていない」と感じる傾向があります。
しかも、そうした期待は、彼らの身近な人たちだけに投げかけられるものではありません。近所の人、職場の人、遠くの親戚、教え子など、様々な人が訪ねてきてくれるのも、EIEにとっては嬉しいことです。
「先生の家を訪問するのが億劫になっていませんか?それとも、私が死ぬまで来ないつもりですか?」
こうした不満は、楽観的で明るく大胆な精神、明晰な頭脳、強い意志、忠誠心、献身、応答性、親しみやすさを備えた人物が、彼らの人生に現れた時に払拭されます。
このような資質を持つ人は、身体的・感情的な不快感を敏感に察知し、パートナーの欲求をすべて満たし、先手を打つことができるのです。
無意識的な機能
第5機能(暗示):Ti
EIEの行動に論理的な説明を見いだすのは難しいことです。このような試みを行うべきでない場合もあります。
EIEは、論理や事実の外に自分を見ているように見えることがあります。EIE自身は具体的な論理的証拠によって説得されるタイプですが、こうした証拠がない場合、荒唐無稽であったり、でっち上げでしかないような事実を「証拠」として考えてしまうことがあります。
自分の発言を裏付けるために、自分の裁量で議論や事実をねじ曲げることがEIEにはよくありますが、その一方でEIEは、誰かが自分にそうした行為をすることを心の底から嫌い、恐れています。
◆◆◆
EIEは、必要な情報、興味深い情報を得る機会をいつも歓迎しています。こういった情報を得るために、EIEはカジュアルな方法をとることもあります。これは、まず相手をリラックスさせた上で、さりげなく重要な情報を聞き出すような方法です。
また、情報獲得手段として、EIEは建設的で、友好的で、気配りのある会話者として自分自身をアピールし、一種の「好奇心の強い懐疑論者」として振る舞いながら、他者の発言の矛盾や抜けを優しく指摘するという方法をとることもあります。
こうしたEIEの指摘に熱くなって反論し、EIEを説得しようとしているうちに、気が付いたらEIEが知りたいと思っていた情報、現状、意図、計画、信念を全てEIEに開示しているのです。
◆◆◆
このタイプの人々の多くは、「科学は、社会問題や課題、政治、世論から決して外れるべきではない」という考えを持っています。
さらに「科学は、国民と社会システムのために積極的に機能し、そのニーズと理想に応えるべきものだ」とも考えています。したがって、科学の研究開発の方向性は、社会システムの人間的・社会的ニーズ、プロジェクト、目標に従って設定されるべきものだという考えを持つEIEは多いです。
このような観点から、EIEは科学的な活動と思想的な活動を両立させることができるのです。
確かに、このようなアプローチの結果は、必ずしも科学のためになるとは限りません。このタイプの人々が、科学研究の分野を「イデオロギーの舞台」に変え、科学の慣習や報告を政治的および個人的なトーナメントの場に変えてしまった例は、歴史上いくつか知られています。
科学的な研究開発を成功させるためには、「正しい方向に進んでいる」とEIEを納得させる必要があります。
これは初期段階の、まだ十分に研究が進められていない科学分野には特に当てはまります。
◆◆◆
EIEは、理性よりも感情が優先されることが多いため、理屈や常識にとらわれない行動をとることが多いです。そのため、特に長時間、冷静かつ客観的で居続けることは、EIEにとって困難なことです。したがって、EIEにとっての「客観的な理解」は、しばしば「自分にとって便利で有益なもの」「自分の目標、発言、見解を支持するもの」を意味しています。
EIEの選ぶ「客観的な情報」には偏りが見られることはよくあります。
時々彼らはそれを「非常に慎重で合理化された方法」で選択します。そして彼らの選択基準は全て、彼らが成し遂げようとしている目標に依存しています。さらに、EIEの「客観性」は、EIE本人がどのような状態、気分でいるかによって左右されることが多いです。
例えば、何かに怒っている時に、たまたま誰かの推薦状を書くように言われたら、そこに批判的なコメントを堂々と「客観的で真実味のある特性」として書いてしまうかもしれません。EIEは、ある部分と他の部分が完全に矛盾してしまっているような分析を提供することもあります。
◆◆◆
彼らは自らの非論理性、矛盾、事実の「合理化」に頻繁に「引っ掛かる」ため、「これ以上、この問題に煩わされたくない」と思うことがあります。
さらに、この「合理化」に関して問題があることを突き付けられると、彼らは子供のような行動をし始めます。怯えたり、心配したり、自分の考えに執着したりしたあと、最終的に自分の発言にがんじがらめになって、混乱しきってしまいます。
◆◆◆
一般に、EIEは論理的な連続性と一貫性を持つことが難しいとされています。EIEが扱う事実は、時に無秩序に整理され、彼らの見解に左右されてしまうため、EIEが理にかなった議論をすることは稀で、感情やイデオロギーによる影響や偏りが見られるだけです。
それにもかかわらず、EIEは他人のことをはっきりと饒舌に、そして適切に語る能力を非常に重視しています。時折、他の誰かの発言や議論を暗記しておいて、都合のいい時に自分のスピーチに使おうとします。そのため、彼らのスピーチは饒舌でありながら表現豊かで印象深い格言の連鎖で構成されたものになる場合もあります。
EIEは、自分自身で徹底的に研究した場合のみ、どんな概念でも明確に定義することができますが、それ以外の場合、「自分の言葉で説明しろ」と言われたら、ほとんどの場合は「真実からかけ離れたもの」、あるいは「意味が正反対のもの」になってしまいます。
◆◆◆
EIEは、細かい矛盾や抜けを見逃さず、細部まで状況を説明し、すべてをオープンに、かつ徹底的に把握できる人を尊敬しています。
つまり、EIEの日常生活を補完し、彼らの思考、業務、プロジェクト、文書に常に秩序をもたらすという意味で、LSIのようなパートナーをまさに必要としています。
LSIのような存在は、EIEにとって、そこにあることが自然な、そして欠かすことのできない「空気」のような存在なのです。LSIがいなければ、EIEの夢や試みの多くは、ただの希望と想像の産物に留まってしまうでしょう。
第6機能(動員):Se
EIEが特別なエネルギー、意欲、粘り強さ、そして大きな意志の可能性を持っているというのは誇張かもしれません。
EIEを駆り立てる力というものは、どちらかというと執着に近いものです。また、EIEには迷いや揺らぎがあるため、「決断力がある」とは言い難いタイプです。
また、EIEは特別「他人を押しのける力」が強いわけでもありません。彼らは、自分のために奮起してくれる人をいつも必要としています。
◆◆◆
EIE自身は、直接的な意思による圧力には屈しませんが、そうした圧力に抗うためには自分の能力を超える大きな身体的労力と緊張が必要になります。
しかし、こうした問題は、特定の社会システムの枠組みの中で、EIEが多くの管轄権と権限を持つことができた場合、容易に解決することができます。そうすれば、彼らは疲れることなく、リラックスして膨大なエネルギーで仕事をすることができます。
EIEは、社会的地位が高ければ高いほど、自分の可能性を見出すことができます。
EIEは権力を悪用する傾向があります。それは、自己主張のために権力を使うせいです。自分の権威を自覚することは、彼らを大いに鼓舞し、活性化させることです(しかし、無限の権力と権威の自覚はEIEにとって危険なことでもあります。人の運命と人生を支配して楽しむ悪鬼に変貌してしまう可能性があるからです)。
◆◆◆
何らかの社会的システムの枠組みの中で仕事をすることは、特にEIEにとって有益なことです。少なくともこの場合、彼らはすでにどこかに「定住」しており、自分自身と自分の能力を示すだけで済むからです。
仕事をする際、EIEは持ち前の柔軟性とダイナミックさを発揮して働きます。そのおかげで、状況を素早く判断し、新しい労働条件に迅速に適応することができます。
EIEは、自分が「定住」している社会的システムを支持する他の労働者を尊重します。このシステムの枠組みの中で、EIEは便利で快適な生活を送っています。彼らが望むのは、そのシステムの中で何らかの地位を占めることだけです。
時に、システムの崩壊が迫っていることを予見して、EIEは撤退の可能性を検討し、少なくともその一部を保持・保護し、それを基に将来的にシステムの「核」を再生することができるよう、準備します。
そしていざシステムが破壊された際は、生き残ったパーツから核を再生し、新しいスローガンを与え、関連する意味を持たせて、将来の進歩に備えようとするのです。
◆◆◆
社会から脱落し、自分の居場所を見つけられなかったEIEは悲劇的です(これは、チャップリンが描いた「放浪者」の姿です)。
EIEは、自分自身を構造化し、組織化し、自分の意志の力で何かをさせることが難しいと考えています。彼らがそうするためには、外からの意志的な衝動が必要です。
EIEを意志ある行動で組織化し続けることができるのは、双対であるLSIだけです。
こうした問題について、LSIは通常、厳格で揺るぎない人々です。EIEに影響を与えるための他の手段は、通常、効果がありません。
もし口でEIEを説得しようとしても、話し合いを続けているうちにEIEのペースになってしまいます。途中で休憩を入れられ、その後また同じ意見を聞かされることになるでしょう。
また、口ではなく直接的な圧力からもEIEは抜け出してしまいます。怒り狂い、動揺し、「卑劣な抑圧の被害者」として自分を演出するか、ジョークを飛ばして笑い話にすり替えてしまうからです。
◆◆◆
一方、自分の仕事に興味を持ち、それに没頭しているEIEは、無理に誰かが働かせようとしなくても勝手に働きます。
こうしたEIEは、まさに理想的な勤勉さを見せます。類を見ないような創造的成功をおさめ、彼ら自身が忍耐力、仕事への適性、決意、目的意識の模範になることができます(そして、その過度の肉体的負担と努力の代償として、輝かしい、しかし短命なキャリアを手にすることになります)。
EIEが仕事に夢中になっているとき、彼らは自分の健康と身体能力を考慮に入れていないかもしれません。
そのため、こうした面ではEIEの双対であるLSIの導きがとても重要な役割を果たします。LSIは、すでに説明したように自分のパートナー(EIE)の状態を非常に敏感に感じ取り、きめ細かい注意を払います。
EIEの強みが陰ってきたら、LSIはEIEを別の、それほど激しくない活動に導くことが出来ます。あるいは必要ならEIEを無理矢理休ませることさえできます。
◆◆◆
LSIと共にいるEIEは、常に近くに仕事を調整できる人(LSI)がいることになるため、過労にならないよう適切に仕事を分配できるようになります。
LSIは、生産的かつ創造的な仕事をするための最適な体制を作り上げ、それをEIEに提供することが出来るような存在なのです。
第7機能(監視):Fi
EIEの倫理規範は、その社会的システムの枠組みの中で正確に、完璧に機能します。EIEは、権力者や部下に対しては「適切なように」「必要なように」振る舞い、対等な関係には対等な立場で関わり、人間関係と言う意味で可能な限り最善の形で自分を見せようとします。
このため、EIEと同じような考えや信念を持つLSIは、EIEとの関係性が上手くいくかどうか心配する必要はありません。
LSIとEIEとの関係では、最も献身的な友情と誠実な無私の愛が保証されています。EIEもLSIと同様に、家族を社会的な構造として捉えているため、家族間の血縁関係や関係性が最も重要な意味を持ちます。
世界中いたるところに混乱と無秩序が存在する可能性はありますが、少なくとも家族関係には、厳格で、変わることのない、明確に定義された秩序がなければならないと彼らは考えます。
もしそのような秩序がなければ、EIEは家族関係に反対し、一般的な規則にも、一般的な社会構造にも従属することを拒否するかもしれません。
◆◆◆
このタイプの人々は、家庭内のあらゆる問題を非常に敏感に察知し、苦しみを持って受け止めます。
離婚、両親の喧嘩、配偶者の裏切りや浮気、家族の利益に対する裏切り、家族の一員による犯罪など、これらはすべてEIEにとって非常に深刻で感情的に敏感な出来事であり、彼らの倫理観や態度に深く触れるため、こうした問題でEIEと和解することは非常に困難なことです。
EIEがこのような出来事に直面すると、「ボイコットを宣言する」「復讐する」「家族に会わない」「家族を一人にする」などの対応や、何らかの反応をする義務があると考えるようになります。
もし、彼らの取ろうとしている行動が、ちょうど伝統的にも行われることのある行動であった場合、EIEの行動はより激化します。そうでない場合、周囲の人々による自分の行動の評価を特に重視することなく、彼らは独自の裁量で行動します。
◆◆◆
EIEの倫理的関心は、特定の社会構造の枠組みにおける人々の関係の観察から成り立っているため、社会集団における力の配置と分布は、EIEにとって常に決定的な重要性を持っています。
なぜなら、こうした力の配置・分布という問題は、EIE自身の活動の性質と方向性を決定する因子だからです。
そのため、彼らはグループの全メンバーの行動と関係が、社会的ヒエラルキーにおける地位と正しく対応するように、特別な注意を払っています。
ラテン語のことわざで例えるなら「木星に許されることは雄牛には許されないかもしれない [14]」の原則、つまりシステムの枠内での動作と関係が適切になるように監視しています。
LSIも、EIEと同様に、この「木星に許されることは雄牛には許されないかもしれない」の原則に基づいて人間関係を構築しようとすることも併せて言及しておく必要があるかもしれません。つまり、社会的システムの枠組みの中での行動は、社会的地位(任された責任という権利)によって定義されており、人は自分の社会的地位に応じた行動を取らなければならないのです。
LSIもEIEも、この原則に唯一の公平で公正な倫理的原則、つまり自分たちの見方や関係性の体系に向き合うための原則を見出すのです。
グループの誰かが「サークルの姫」のように振舞うたびに、EIEはそれを見逃さず、「なぜあの人はこんな風に振舞うのだろうか」「一体何に基づいてこんな振る舞いをするのだろうか」「ひょっとして、グループ内に自分が知らない何かがあるのではないか。その何かは、自分を『グループという船から海へと放り出す』ことに繋がるのではないか」「一体この『姫』の背後にいるのは誰なのか?あるいは何なのか?」と心配になります。
だからこそ、EIEが「最も胡散臭くて火に油を注ぐような出来事とは何か」を考えた場合、それは「それが許されている社会的地位にあるわけでもなく、権限も持っていない人が『あるまじき行為』をすること」だと答えることに繋がるのです。
EIEがこういったことに憤りを感じるのは、こうした行動がシステムの枠組みや規制を侵害し、社会的システム内に混乱をもたらすだけでなく、EIE自身の計画や見積もりにも混乱や中断をもたらし、社会的システム内でのEIEの立場を脅かすからです。
◆◆◆
EIEの魅力的で活発な「社会的接触スタイル」は、EIEにとって極めて重要なこの問題に取り組むための観察をし、正確に情報を得るための主力となる手段なのです。
EIEは自分の手元に集まる情報を増やす必要性を感じるたびに、積極的に他人と接触し、ある種の個人的なゲームを行い、「相手の興味をそそります」。
しかも、こうしたことをわざと行います。結果は滞りなく即座に得られます。多くの場合、EIEのこうした情報収集能力の高さは、驚嘆に値するものです。
例えば、EIEが周囲の人々のパワーや倫理的可能性について十分な情報を持っていない場合、EIEがあっという間に周囲の環境を「関係性を整理するための情報を得るための場」に変えてしまいます。
それはまさに鶏小屋のようなものです。どの鶏がどの鶏をつつくか、逆にどの鶏はどの鶏をつつかないかを観察すれば鶏の上下関係を観察することが出来ますが、EIEは誰も気が付かないうちに、周囲の人間を鶏に変えてしまいます。そして「つつきあい」を、言い換えるなら、「思い出すのも嫌になるようなことを言ったり、やったりするよう」誘導するのです。それによってこの事件を引き起こした「犯人(つまりEIE)」は、淡々とこの「遊び」を横目で眺めながら、「人間にはこんなに嫌らしい、愚かな、汚いところがあるのか」という情報を得ることが出来ます。
◆◆◆
EIEは、「何の事件も起きていない場所」に倫理的な諍いやゲームを作り出すことができます。そうした状況を作り出すために、特別な機会や動機を必要としていないこともあります。
彼らがそうする唯一の理由は、「『ある人がどのような根拠でその行動を許容しているのか』『その行動の動機は何なのか』『それが個人的にどのように関係しているのか』についての情報が不足していて、状況を理解できないと感じたから」であることがほとんどです。
EIEのこうした陰謀は、しばしば無意識のうちに計画され、実行されます。つまり、EIE本人も自分の行動やその目的を常に明確に認識しているわけではないのです。
EIEは単純に何かに違和感を覚えて行動を始め、社会の歯車を動かします。自分自身の知識不足、理解不足が気になり、あらゆる手段で情報を得ようとしているだけなのです。
◆◆◆
EIEがミスをしたり、約束を破ってしまい、それが原因で社会的なグループの中で気まずさを経験した場合、彼らはある種の「大混乱」を引き起こしたいという、どうしようもない願いを感じることがあります。
「大混乱」を引き起こした場合、他の人々の注意を重要な問題からそらし、「人間関係の整理」という倫理的課題で手一杯にさせるのに役立つからです。
その結果、EIEには次のような発言をする権利を得ることができます。「確かに私は最高のリーダーではなかったかもしれない。でも君たちも天使ではないのだ!」
◆◆◆
また、EIEは「システム」の中での自分の立場を心配するあまり、将来競争相手になりそうな人や潜在的なリーダーを見つけ出すことがあります。
そして、その人の脅威度を測定するために、友人や部下、フォロワーを「テスト」し始めることがあります。しかもこの場合、EIEのやり方は最も非倫理的なものである可能性があります。
誘惑したり、脅迫したり、ストレートに挑発したり、恐喝したり、噂話をばらまいたり、ホラ話をしたり、煽動したり…彼らは、この脅威という問題にかかわる「鍵」を持っている人それぞれに対して、倫理的な観点から [15]調査しようとします(ある意味、EIEはたゆまぬ研究者だと言えます)。
EIEは、絶対的な神聖さや、無謬性(絶対に誤りがないこと)などというものがこの世に存在するとは信じていません [16]。
彼らは、自分のテストとチェックを通して、自分の魂のもう一つの側面を開き、相手(そして同時に自分自身)に、「これこそが本物の自分であり、他の全ては見せかけとシミュレーションに過ぎないのだ」と納得させようとしているかのように見えます。
「人間が人間である以上避けられない罪を犯したところで、それはどうしようもないことじゃないか。思い悩むことじゃない」
◆◆◆
EIEによる「大混乱実験による調査結果」は、往々にしてこのような結論に落ち着きます。
いつのまにか実験という名の演劇に参加させられていた「参加アーティスト」たちは、知らぬ間に「罪の兄弟劇団」に入団させられ、団員として紹介されていたような気分になることでしょう。
EIEは、「犯人探し」に多くの時間と労力を費やしています。
多くの場合、EIEが見つけ出す「犯人」はEIEのリーダーシップを無視したり、EIEの立場を脅かしたりする人です。EIEは精神的に自立している人を「察知」します。
それからEIEは、「なぜこの人はそれで平気なのか」の理由を理解するために、その人の魂の中にある「痛みを伴う」ポイントを見つけ出し、彼らの痛みの限界を「調査」する必要性を感じます。
ローラン・ブイコフの映画『スケアクロウ』はこうした状況を上手く描いています。この映画の中では、「裏切り者探し」を率先して行う存在として、「アイアンタック(EIE)」というキャラクターが登場します。このキャラクターは、「真犯人」を非難するよう他の登場人物たちを煽り立てます。
◆◆◆
この種のタイプの人々に特徴的な「倫理的影響力を発揮する手法」は他にもあります。「お気に入り」と「不名誉な人」の頻繁な交代、集団での「罪人」狩り、「悪い評判」のでっちあげとその後の「公開処刑」、あらゆる議論を「判断」に変える技術などです。
倫理的に問題がある方法であっても、EIEにとっては興味のある人の「痛いところ」を突き、必要な情報を得るための手段でしかありません。EIEの倫理的矛盾も、これと同じように説明できます。昨日の敵は今日の友です。
さらに、この矛盾を正当化するために、EIEは、1つの例外を除いて多くの「実際、論理的、事実上の理由」を見つけるでしょう。EIEはただ、関心のある人物をテストしているだけなのです。
ただし、「倫理的関係によって人に影響を与える」という方法は、EIEが無意識のうちに行っていることでしかないため、EIE本人からすると「自分がこうした説明に該当するようなことをやっている」と言われてもピンとかないかもしれません。
しかし、もし「世の中にはこういう考え方もある」と言われた場合、「それもありかもしれない」と思うでしょう。なぜなら、誰かをテストして、チェックするということに不当性や非難されるべき要素があるとは思えない、と考える可能性が高いからです。
このように行動することで、周囲の人々の忠誠心、EIEが住む「システム」に献身的かどうか、あるいは「システムとEIEに対して『忠実』で『献身的』とはいえない可能性」の傾向がないかどうか、つまりある瞬間に一人の人間として、一人の市民としてEIEが興味を持ち、心配している問題の情報を得ることができるのは確かだからです。
彼らにとって、方法の「非倫理性」は、常に「政治的状況」と「歴史的瞬間の必要性」によって正当化されるものです。
第8機能(実証):Ne
「EIEが、ある状況や別の状況においてどのように行動するか」シェイクスピアの演劇は、これを非常に正確に説明しています。
実際のところ、EIEはこのプロセスを無意識レベルで行っているため、自分自身で説明することはできません。さらに、このタイプの人々の中には、ある状況下では、自分自身よりも他人の可能性について説明する方が簡単だと主張する人もいます(というのも、彼らの実証機能(第8機能)は、内的なものではなく、外的な衝動の作用のもとに積極的に発揮される機能だからです)。
無意識にある「可能性の直観」(Ne)の働きは強力です。EIEにとって絶望的な状況は存在せず、常に何らかの方法、「水の中から抜け出す方法」を見つけることができるのです。
この特性のおかげで、EIEが「地位の奪い合いに負けて、脇に追いやられてしまうこと」は、ほとんどありません。彼らは不和を引き起こしたり、それを緩和したり、注意を自分からそらしたり、他の揉め事の原因に目を向けさせたり、他人を自分の身代わりにする方法を何千通りも持っています。
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EIEの発明と「スタント」のストックは無尽蔵です。彼らはどんな敵でも「出し抜く」ことができ、誰にも見つからないように隠れ、自分の足跡を誰も負えないようにするために、うまく他人の足跡を使って自分の足跡がわからないようにできます。
EIEはハンターの置いた罠から抜け出すだけではなく、自分自身がハンターを配置することもできます。どんな人にも自分の正しさを納得させることができ、検証も反論もできない様々な理由や論拠を作り出し、考え出すことができるのです。
(wikisocion編集者注釈:これは完全な事実ではありません。EIEの感覚機能は「不活性」機能であり、なおかつ外部環境や他人からの情報を受け取る「受容」機能ではありません [17]。またEIEは自分の物理的環境を柔軟に、自信を持って操作する能力が弱いという特徴もあります [18]。こういった特徴は、物理的手段で「追い詰められて」「捕まってしまう」元になり得ます。もちろん直観や倫理、論理など、EIEにとって柔軟に使用できる機能や、強い機能、あるいは接触機能だけで解決するのであれば、それなりのチャンスやアドバンテージがあるといえます)
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EIEは、後で自分が不利になるようなことは絶対に言いません。たとえそうなっても、彼らは自分の言った言葉を否定し拒絶するか、あるいは解釈し直して別の意味を与えようとします。
EIEは「よそ者」が「自分の分け前」に近づくことを決して許しません。EIEは決して自分の損になることはしないタイプですが、あたかも自分が自己犠牲をしているかのように他人を錯覚させる方法を、見事に心得ています。
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EIEは、生まれついてのリーダーとして、自分の負けを認めたがりません。彼らは優れた戦略家であり、秘密の動き、迷宮、替え玉を見つけること、秘密の保護を組織化することなど、様々なことに関する多種多様な選択肢と撤退の可能性を考え出す術を知っています。
現代のEIEの政治家たちは、こうした防御のために使用する武器庫をほぼ完ぺきに管理し、たとえ退陣に追い込まれたように見える状況であっても「自分のゲーム」を続ける方法を知っています。
彼らは奇跡の生還率と不死身さを見せることが出来ます。歴史上の様々な過激国家や組織と、EIEの行う政治運動には類似した特徴が見られます [19]。
EIEとの関係を断つことは非常に難しく、EIE自身が「関係を断ちたくない」と思っている場合は不可能です。EIEは、自分も、そして他人も「ゲームから降りる」ことを許さないでしょう。
EIEは、最も思いがけない形で、最も見えない最前線でそれを続けることができます。他人に自分の存在を忘れられたり、無視されたりすることは絶対に許さないのは確かです。
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EIEは、その直観力を、自分たち個人の利益だけでなく、身近な人々のニーズにも有益に活用します(それによって身近な人々に対する特別な配慮や思いやりを表現します)。周りの人々が自分の計画を話してくれるのはEIEにとって喜ばしい事です。
このように、人の信頼を感じられる時、EIEは心地よさを感じます。これは相手がEIEのことを友達だと思ってくれていると感じることが出来るからです。
あっという間に、まるでほとんど恋をしているような気分にすらなってしまいます。そして、示された信頼と信用に何としても報いたいと願うと同時に、自らの先見性と素晴らしい人生経験を示したいと考えるようになります。
EIEにとって、相手が退屈しのぎで話しているのか、それとも自分より賢くて洞察力のある人を見つけることができたと思っているのか、そんなことはどうでもいいのです。
いずれにせよ、たとえ相手から聞かされた計画がすでに「確定」していて、実行段階に移されているものであっても、その計画の誤りや抜けを全て指摘することが自分の義務だとEIEは考える傾向があります。
そしてこれはEIEを動揺させるものです。「なぜ誰ももっと早くアドバイスや助言を求めなかったのか」と感じてしまいます。
これは、EIEがLSIの弱い直観を無意識のうちに志向しており、「まず相談してから行動しよう」と考える傾向があるためです。
EIEが警告のタイミングを気にし、常に事前に他の人に警告することを好むのも、このためです)。
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EIEは、潜在的な問題を個別に予見するだけでなく、世界的な大災害を予見する方法を知っています。様々な現象と出来事の間の歴史的な繋がりについてよく理解しているためです。
このタイプの人々は、ありとあらゆる異常な出来事や非日常的な現象についての情報に興味を持つことが多いです。
中には神秘主義や魔術に魅了され、迷信的で狂信的になったり、自分が「強いバイオフィールド」や「超能力」を持っているように感じる人もいるようです。
EIEの中には、並外れた知識と幅広い関心をもった、優秀で才能に恵まれた人が多く見受けられます。
訳注
- ^ 「私は貴方のそういうところが良いと思う、あるいは悪いと思う」
- ^ 「みんな、貴方のそういう所が良いと思ってる、あるいは悪いと思ってる」
- ^ 肩書はリーダーではないものの、実質的にリーダーの役割を現在担っている人のこと。
- ^ LSIは、マクシム・ゴーリキー(ロシアの劇作家)というニックネームで呼ばれることがある。
- ^ エニアグラムのタイプ9とは真逆。
- ^ ソシオニクスの第1機能は、leading, program, primary, base, dominant等の呼ばれ方をする。
- ^ 関連記事「ベータ・クアドラ・コンプレックス」
- ^ 「曲全体」が「ひとつの感情」に結びついているというのではなく、EIEの場合「曲を構成する一つ一つの音」それぞれが「様々な感情」に結びついている。
- ^ 二分法「プロセス」
- ^ 二分法「果敢」
- ^ 全く緊張感のない状態でいると、だるくて元気になれないので。
- ^ ブラチーノはピノキオをロシア語に翻案した童話。カラバス・バラバスは、ピノキオに登場する人形劇の団長「ストロンボリ」に相当するキャラクター。
- ^ 「我が亡き後に洪水よ来たれ(Après nous le déluge)」ルイ15世の愛人ポンパドゥール侯爵夫人が、大敗を喫したルイ15世を励ますために言ったとされる言葉。「革命によって自分(ルイ15世)の統治が終わってしまったら、国民は混乱に陥るだろう」という意味と「自分が去った後に何が起ころうが自分の知ったことではない」という意味の2通りで解釈される。
- ^ 「木星に許されることは雄牛には許されないかもしれない(Quod licet Iovi, non licet bovi)」ある高い地位にいる重要人物には許されることであっても、それ以外の人々には許されていないという意味。
- ^ つまり「鶏小屋」の例で説明したように、人間関係に問題を煽って、それに対する反応を観察すること。
- ^ 二分法「主観主義」
- ^ EIEの場合、Siは第4機能であり、Seは第6機能である。第4機能と第6機能はどちらも機能二分法では「生成」かつ「不活性」だとされる。
- ^ 「自分の物理的環境を柔軟に、自信を持って操作する能力」はSeに関連する能力。EIEの場合、Seは第6機能であるが、機能二分法では「弱い」機能であり、2次元性機能である。
- ^ ヒトラーやポル・ポト、フィデル・カストロはEIEだとされることがある。
参考:https://web.archive.org/web/20140225045149/http://wikisocion.org/en/index.php?title=User:Rick_DeLong/Famous_People