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ソシオニクス LSI(ISTj)by Stratiyevskaya

2021年12月30日木曜日

EIE LSI Stratiyevskaya ソシオニクス

ソシオニクス LSI(ISTj)の特徴 by Stratiyevskaya

双対関係であるEIEの説明にもLSIに関する説明があります。

意識的な機能

第1機能(先導):Ti

LSIは、内面的な安定性、変わらない世界、変わらない人間関係を目指して努力しています。

この「安定性」であったり「変わらない」というのは、論理的に美しく、首尾一貫していて、計算された、理路整然としたものを意味しています。LSIの知性は最も社会的志向の強いものだと言えます。

このソシオタイプの社会的志向は、具体的なシステムの論理という「プログラム」機能によって決定されるからです [1]。LSIの論理的プログラムは、その社会的使命において、「環境と周囲の構造を不安定化するもの」を、「もっと安定性の高いもの(例えば社会的、政治的、物理的、生物学的に見て確かなもの)」に置き換えることを目指しています。

このような理由から、LSIの一貫性、妥当性、合理性の理解はまず第一に、何らかの現実的、具体的に存在するシステムの枠組みの中での構造的秩序(「物事の秩序」)の組織化に結びついているといえます。


LSIは、システムの外では、決して何も検討しません [2]。これがLSIというタイプの知性の在り方です。LSIは、どんな現象も、「パターン性や法則、論理的秩序を持った何らかのシステムの一部」だと見なしているため [3]、そのシステムを理解することが自分の義務であると考えています。

彼らは自分を取り巻く現実を、システム、論理的設計、一貫性という観点から捉え、自分のまわりに存在するシステム(論理的・倫理的相互関係のシステム、社会構造のシステム、見解と意見のシステム、人生の価値のシステム)を分析しています。


◆◆◆


LSIは、あらゆる出来事や現象の意味と本質を、「体系化」を意識することで理解しています(つまり「この出来事や現象の意味は何か」「本質は何か」と自問自答しながら理解を深めようとします)。

他の出来事と関連性のある出来事なのか、何らかのシステムによって起こった出来事なのか」「この行動は他の行動と関連性があるのか。行動のモデル化はできるのか、できないのか」「これは偶然起こった出来事なのか、それともその背後に何らかの見解や価値観のシステムがあるのか」といったことを考え続けます。


現象の本質を理解すること、ありとあらゆる現象の因果関係を全て明らかにすること、観察された現象を分析して結論を体系化すること、より一般的な定理を導き出して既存のシステムに組み込むこと、既存の全システムの中から目標達成に最も適したものを選んで改良すること、システムを特定の社会条件に適合させ、細部まで丁寧に実現すること。こういった全ての活動が、LSIの継続的な知的活動の場になります [4]

このタイプの知性の特殊性の影響で、LSIは自分の周囲の現実を「中央集権的なシステム」の形で認識することが最も自然だと考える傾向があります(「一つの太陽が私たち全員を照らし、一つの神が私たち全員のために存在する。地球上にあるべき教会はただ一つであり、ローマ教皇が救世主の代理人なのだ!」)。

こうした認識の仕方が、LSIの思考の方法をある意味で制限しているのは確かですが、同時にこれは「社会システムにおける力の配置と分布を反映した社会的な方向性」に「LSIの知性」が向けられることに繋がっています [5]


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LSIは、社会的関係性のシステムの外には決して存在しません。なぜならLSIの個人的な人間関係の輪と、その関係性の性質はそれ自体がすでに体系化(システム化)されているものであり、明確に細かく階層化されているものだからです。

このタイプの人々が、自分の属するシステムの外の視点を検討したり想像したりすることは一般的に困難なことです [6]。これは、LSIが所属する特定の社会的関係のシステムによって秩序付けられている精神構造や彼らの見解の体系と、システムの外にあるものが適合しないからです。


どんな場合でも、LSIは「自分自身で」、「自分自身のためだけに考え」、「自分自身のためだけに」存在することはできません。これはあまりにも彼らの知性のプログラムに矛盾しています(LSIの双対であるEIEの先導機能Feと同様に、LSIの先導機能Tiは、不確実な時代の中に秩序を作り出して導入することで、極限状況を何が何でも生き抜くという目標を持っています。

これはLSIに「既存の体制に対する一定の適合性と忠誠心を持つタイプ」という特徴を与えることに繋がっていきます。確かに何らかの「反社会的」な要素を持つLSIはいるかもしれませんが、それでも彼らは「一人で」いることはできません。本質的にLSIは「一匹狼」でいることはできないのです

彼らは「一匹狼」でいれるほど直観が十分に発達していません。したがってLSIは確実に何らかの社会構造の枠組みの中に組み込まれ、その社会から自分に託された全ての義務を果たし、自分の行動の責任を負うことになります。LSIにとって別の行動様式は「存在しない」のです)。


このタイプの人々は、自分自身(そして他のすべての個人)を既存の関係システムの一部であると考えているため、個人主義のいかなる表明も「容認できないものであり、許容される枠組みを超えているものである。こうしたものは、社会の基盤を損ない、弱体化させ、既存の秩序に混沌と無秩序を持ち込むものだ」と考えています。

だからこそLSIは、指示、手続き、社会的・法的なルールの作成と導入、基準や規範の確立といった活動に特別な社会的意義を見出すのです。LSIは自分の仕事に大きな責任をもって取り組みます。そのため多くのLSIは仕事やキャリアにおいてかなりの成功を収めます。

LSIの考えでは、システムにおける力の配分と配置は、論理的で、全てに理由があり、秩序があり、公平でなければなりません。また、明確な職務分担と、その職務に対応する責任分担を定めていなければなりません


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LII(INTj)と同様に、LSIは国民の意識を啓発し導く必要があると考えます。そしてLSIの場合、この活動の方向性は既存の社会システムの目的と目標に向けられています。このため、この種の人々は、社会的な方向性だけでなく、イデオロギー的な方向性によっても特徴付けられます。

また、この点でLSIは(双対のEIEと同様に)積極的な社会的立場と視点によって他のタイプと区別されます。このタイプの人々は、若い世代に必要な、あらかじめ定義された社会意識を育てるために、イデオロギー的、教育的な仕事を社会的運命だと考える傾向がります(例:マクシム・ゴーリキー、アントン・セミョーノヴィチ・マカレンコ)。


LSIは、システムに冗長性があること(全てのパーツに代替品があること)が、あらゆるシステムの品質と可用性の指標であり、安定性を保証するものであると考えています。社会システムの一部である人間は、交換可能でなければならないものです。

こういった条件下でこそ、全ての人が既存の社会システムの中で自分の居場所を見つけることができ、そのシステム自体が、全ての人に完全な職業と雇用を保証することに繋がるだろうと彼らは考えます(この状態は、可能性の直観Neが弱いLSIにとって特に好都合な状態です)。

彼らは「ユニークで代替不可能な要素」があるシステムは完全ではないと考えます。なぜなら、それは相互関係に不平等を生み、混乱と不確実性をもたらすからです。

非常事態には集団全体の生命活動にとって危険なものになる可能性すらあります(「公然と個人主義的な立場をとること」に対するLSIの批判的な態度はこうした点でも表れることになります)。


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LSIの考え方は非常にシステマティックです。彼らはあらゆる事象を論理的に説明しようとします(論理的な問題や質問でLSIを説得したり、混乱させて軌道修正しようとするのは容易なことではありません)。LSIは会話相手の知的能力を推し量る方法を知っていますが、その評価はしばしば批判的になりがちです。ディベートでは主導権を握ろうとします。反論する他者を黙らせ、最後に発言するのは自分でなければならなりません(これはSeの影響です)。

手法の開発、計算、表・グラフ・教科書・マニュアルなどの編集を巧みにこなします。話し上手で、プレゼンが得意なLSIは、論理的な流れに沿って「最終的な論理的結論」が導きだされる過程を聞き手が簡単に追跡できるよう、資料を段階的に提示することができます。

聴衆の前で話す場合、LSIは質問を投げかけ、自分で答える傾向があります [7]


LSIは、自分の主張を表現する際に、かなり衒学的な態度 [8]をとります。

彼らは自分の見解や価値観のシステムを擁護し、極端な過剰主義で自分自身を表現します。LSIは、「LSIの属する階層的社会システムの中での位置づけをしようとしてもエラーになってしまう存在」すなわち「自分(LSI)とは異なるシステムに根ざしている存在」を受け入れることができません。

LSIは「人の行動は、その人それぞれの立場 [9]にきちんと対応している必要がある。そうでなければ国民の意識は『ふさわしくない』行動のモデルに誘導されて混乱してしまい、それが原因でシステムが不安定化してしまうだろう」という考え方をします。

権威への敬意は、LSIの知的構造の中でも最も重要な価値観の一つです。LSIの重要な動機でもあり、多くの点でLSIの人間関係と行動の本質を決定します。


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天性の観察力を持つLSIは、事実に基づく情報を徹底的に収集し、注意深く処理し、情報の流れの中から自分が必要とするものを正確に見つけ出す能力を持っています。彼らは具体性に細心の注意を払い、「重要ではない」些細な事実が無視されたり、些細な計算ミスが起こらないようにします。

彼らは「自分の考えを論理的に示すのが下手な人」や、「すぐ話が本題や主題から外れる人」には非常にイライラしてしまいます

定式化に対する怠慢な態度や処理、用語の誤用や曖昧な定義、(そして特に酷いものとして)思考の提示における混乱と混沌、こういったものは全てLSIを苛立たせるものです。


第2機能(創造):Se

現実的で具体性の高い論理プログラムは、具体的な方法で実装する必要があります。そして直接的な感覚を活用する方法ほど、現実的で具体性の高いものはありません。

自然はLSIを具体的なシステムの理論家に任命した後、彼らに「柔軟に取り扱うことのできる強力な道具」として、「意志的な感覚(Se)」という力を与えました。

この意志的な感覚という力は、空間における自分の能力と力を敏感に認識する力を意味しています。LSIは自分の意志的な手段 [10]の正当性を強く意識することで、強い意志で目標に向かって突き進み、周囲に真の影響を与えることができます。

実在する公的な構造に属することで、LSIは自らの社会的意義を見出します。つまり「自分の社会的意義はシステムの理想に奉仕することだ」と考えるようになります。>

そして彼らはそれを果たすために理論的基礎を作り、どんな時代が来ようが侵されることのないような、強力な管理構造を構築します(もしメインシステムが崩壊しても、すぐに改革という名の修理を受けることで復旧できるようなシステムであり、別の旗や別のスローガンの下でも機能し続けるような代替可能なシステムです) [11]


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LSIは自分自身と周囲の人々に対してかなり厳格なタイプです。また、システムの枠組み内に発生する、あらゆる種類の混沌と無秩序の種にも極めて不寛容なタイプでもあります。

彼らは高い労働能力に対して心から称賛します。「社会のため、チームやグループのために無私の労働をすること」、これは人間の活動の規範であり、健全で持続可能な社会システムで許可されている唯一の活動です。逆にあらゆる怠惰、無責任、杜撰さを許すことができません [12]

こうしたことは社会の基盤を損ない、社会の弱体化と破壊を引き起こし、未曽有の人災の原因になるものです [13]。したがってLSIは、いかなる同情や寛容さも無しに、あらゆる手段で戦う必要であると考えています


彼らは社会の無秩序、無能、無責任の現われに対して、常に直接的に立ち向かい、戦う用意があります(例えば、休暇の多くの時間を、ホテルのメンテナンスと、食事の栄養の偏りを解消するという戦いに費やす可能性があります。

こんな時、彼らは疲れ果てて、しかし満足して休暇を終えます。休暇先でLSIの目の前に現れた「怠惰」はLSIの努力によって清算され、他の観光客はサービスを享受することができます)。


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LSIのシステムの枠組みは、単なる人の群れではありません。共通の利害で結ばれ、階層的に組織化された集団であり、構成するメンバー数やメンバーの年齢に関係なく、領域ごとに必ずそれを管理・指導する者(「ユニットの指揮官」であったり、「フロアの監督者」であったり)が任命されているような枠組みです。

LSIの意志的な感覚(Se)は、ESI(ISFj)の戦闘的・道徳的なSeとも、SLE(ESTp)の「暴徒のボス」的なSeとも違うものです。LSIのSeは軍事的・管理的な性質を帯びています(これはLSI-EIE双対ペアに特異的にみられる性質です)

このことは、LSIが社会システムの枠組みの中で、人々の集団を「部隊」や「分隊」、「旅団」に転換していくのを好む性質を上手く説明しています。


LSIは、社会階層のどのレベルにも心地よく溶け込むことができます。部下に要求し、目上に議論を吹っ掛けないようにすることができます。LSIにとって重要なことは、システムの中で自分の居場所を確保することです。彼らは一定の熱意で公務を遂行し、立場に従ってビジネスを進めることができます。

管理する方が自分に向いている」が彼らの口癖であり、「自分は命令に従っただけ」が最も説得力のある言い分です。彼らにとっては、こうした言い分に異を唱えることなど不可能だと感じられるほどです。

LSIはシステムの中で、立場が下の者は上の者に従わなければならず、若者は年長者に従わなければならないというヒエラルキーの論理に従って生きています(wikisocion編集者注釈:これは先ほどTiの項目で説明したような、LSIの特殊な思考形態によって条件づけられています)。


LSIは礼儀作法にはうるさいほうです [14]。常に規律正しく、落ち着いていて、きちんとしていて、機能的で責任感があり、時間を守ります。こういった資質は、LSIの社会的な機能と動機、つまり「社会システムの利益のために働くこと」を果たすには、まさに理想的と言えるような資質です。


また、彼らは自分の家のことを「システムの中で自分に託された『領域』」だとみなします。そのためLSIにとって、家の全て、つまり家計の分配も、家族のメンバーの行動も、それら全てが厳密な管理と点検の対象になるものです。

家庭における「物事の順序」の概念は、LSIにとっては「文字通りの意味」と「比喩的な意味」の両方の意味を持ちます。これは「物事ごとに指定された場所」という意味だけでなく、「家族という社会的階層構造を構成する各メンバーのための特定の場所」という意味も持っています。


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LSIの意志的な影響力の発揮の仕方は、創造的な励ましと罰のシステム(「飴と鞭」のシステム)です。自分に託された「領域」内で、LSIは自分の意志に対する他者からの「ほんのわずかな抵抗」も許しません。相手との個人的な距離が近ければ近いほど、LSIのSeによる影響力は、より厳しく、過酷なものになっていきます。


罰を与える際、「なぜ罰を与えるのか」を通常説明しようとする点には一定の評価ができますが(LSIがこうした説明をするのは、社会人としての自覚を高める必要があると考えているからです)、「悪事」が繰り返されると、LSIは警告なしに頻繁に罰を与えるようになります

しかもLSIの罰は唐突であることが多く、それゆえに相手に恐怖を与えるものです(「LSIの父による音楽の授業は、私にとって本当に試練と呼ぶのにふさわしい物でした。父がバイオリンを調律し、楽譜を並べて、椅子の背にベルトをかけるところから授業が始まります。もし私が気を抜いたり、間違った音をだしたりしたら、容赦なくベルトが私に襲い掛かりました。しかしそんなレッスンの後、父は愛情深く、私の枕元にキャンディを置きました。『多くの偉大な音楽家は、これと同じ方法で訓練された』というのが父の口癖でした」)。

LSIは、検証済みの方法を好んで使用します。特にその方法がLSIの見解と一致していて、肯定的な結果をもたらすと彼ら自身が考えている場合は特にそうです。


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LSIの「励ましと罰」のシステムは、他の感覚タイプと同様に「感覚のコントラスト」で構成されています。彼らは本当の痛みと本当の喜びが何であるかを知っています(そして、もしもこれを知らない場合、それでも彼らは純粋に知的好奇心から、自分自身または他の人で「何が本当の痛みか、何が本当の喜びか」テストしたいと思うかもしれません)。


LSIのこうした意志的な影響力の発揮の仕方は、彼らの双対であるEIEにとってはふさわしいものです(EIEの感覚は脆弱で、しかも非常に不活性なものであるため、LSIが好むような方法があって初めて動員され、鍛錬されることができます)。

EIEは鋭い感覚(Se)機能を持っているわけではないので、活力(「内なる支柱」であり、支えや方向性になるもの)を見失ってしまうことがあります。EIEは「自分がしっかりした何かに支えられている」という確信を得られず、また、「相手の寛容さには限界がある」ことを忘れてしまっている時、落ち込んでイライラしはじめます。そして他人を悩ませ、喧嘩をふっかけて「お前の能力を証明しろ」と要求しているかのような態度をとってしまいます。

EIEは強さを尊重し、すべての弱虫と意気地なしを軽蔑するため、LSIと共通言語を見つけ出すのが早く、EIEの目にはLSIが「あらゆる面で価値のある人間・パートナー」のように見えることがしばしばあります。


また、この段階でLSIの「感知の感覚」(Si)の側面がオンになりますが、これはLSIにとって無意識に実行するデモンストレーション機能(実証機能, 第8機能)であり、LSIの気分の変化に対応している機能です [15]

したがってLSIは、彼らが突然「痛みを与えたい」と思った理由と、これを行う動機を常に完全かつ意識的に認識することはできません(この願いは、ほとんど本能的に、かなり頻繁に、わずかな苛立ちの兆しをもってLSIの内面に生じます)。その後、LSIは自分の行動の論理的根拠を考え出し、「教育目的でこれを行った」という説明に繋がります。

LSIが自分の意志(Se)と感知(Si)による方法を「やりすぎた」と感じた場合、LSIは必ずその埋め合わせとして、親切な行為をすることで自分の過ちを軽減しようとします


第3機能(役割):Fi

上司には規律正しく、部下には厳しく、同僚にはお人好しで親切、「自分の陣営」の敵には厳しく妥協せず、異性には親愛と礼儀を尽くし(「近づきがたい要塞の包囲と攻撃」という戦術で好意を勝ち取ります)、家族には献身と思いやりをもって対応します。

LSIは、「責任の度合いが、権利の度合いを決める」という社会的に公正で正当な倫理の原則に基づいて人間関係を構築します。

彼らは「人の行動の正当性」という観点から、人の行動の倫理性を評価します。したがって、LSIにとってのあらゆる種類の関係の性質は、相互の約束と責任の度合いによって決定されます。


LSIの倫理の枠組みの中で、個人の欲望と個人の権利は最も優先度が低いものです。彼らは権利と責任の関係のみを考慮しており、そこでは「義務を果たした場合」に限って、「自分の欲望とニーズを満足させる権利」が与えられます

どの程度欲望を満たしていいか」は「どの程度義務を負ったか」「どの程度責任を負ったか」によって決定されます。「木星に許されることは雄牛には許されないかもしれない [16]」という原則に従います。


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LSIの倫理的公正の原則は(LIIと同様に)、まず第一に、公的システムの枠組み内での物質的資源の公正な分配の原則(つまり共通の目的に対する個人の貢献度と、費やした労力の多寡に応じた権利の分配)に由来しています [17]

LSIの倫理は相互コミットメントの原則に基づいているので、彼らは「責任の程度に応じた特権の分配」を「完全に倫理的かつ公正」だと考えます。そのためLSIの倫理観は、本質的に深い階層構想を持っています。彼らはこの中に、中央集権化された関係システムの論理的秩序の存在に気付くことができます。

社会構造の長である家族の長は、最も多くの権力と特権を与えられなければなりません。これはLSIにとって議論の余地がないものです。

「認められた権威」「多数派」そして「年功序列」への暗黙の服従が、LSIの倫理の基本です。


LSIは、この相互コミットメントの原則を個人的な関係の領域にまで広げようとします。しかし、これを満たすためにはLSIと関係を形成する人が「LSIの社会システム」の共同参加者でなければならないという条件があります。この人物は、LSIにとって「誰か」でなければなりません [18]。そうでなければ、倫理的平等の根拠がなくなってしまうからです。

LSIが、もしも彼らから見て「友人」と定義した女の子に会っている場合、LSIはすでに彼女に対して「特定の義務」を課しています

彼女は彼(およびLSIのシステムの理想)に忠実で献身的であることが義務付けられ、彼女側には彼との関係を断ち切る権利はなく、「好き勝手に」振る舞う権利もありません

一言でいえばLSIのシステムの他のメンバー(彼の親戚、友人、同僚)の前で、彼女はLSIを妥協させたり、弱体化させたり、裏切る権利を持っていません。もし彼女がこういう振る舞いをした場合、LSIからするとそれは「不公平で不公正なこと」になります

そしてこの場合、LSIは(LSIの視点から見た場合は)彼女に対して正当な要求を持っているかもしれません(彼女がサークルに入る「手助け」を自分がしたおかげで、彼女はLSIの社会システム、つまりサークルにあるものを使用できる権利を得たという点、そしてサークル内での彼女の行動の責任を、彼女をサークルに誘ったLSIが負っているという点から) [19]


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こうした理由から、LSIは家族関係の崩壊を「自分の評判に傷がつくもの」だと捉える傾向があります(「『自分の妻とさえ意見が合わない人が、どうしてグループを率い、管理することができるのか』と言われたら、たまったものではありません」)。

さらに彼らの理解では「LSIとの関係を断つこと」は「LSIのシステムとの決別」でもあり、それは彼らの目には非常に恐ろしいことに見えてしまいます。

なぜなら「LSIの社会システムに参加しない」ということはLSIにとって「自分がどんな行為をしてもいい」という根拠になるようなことであり、また「もはや何の社会的意義も持たない存在にまで落ちてしまった」ことを意味するからです。

LSIは、このカテゴリーに「犯罪者」「不誠実な夫や妻」「注意力散漫に職務を遂行する同僚」、そしてそれに劣らず重要な「自分に敵対する陣営の人々」を加える権利があると考えます。

LSI自身は献身的で愛情深い家庭人でありますが、その一方で自分のシステムの「敵」の家族には容赦なく厳しい態度をとることもあります [20]

この場合のLSIの倫理観は「目には目を、歯には歯を」の原則に従って構築されています。


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人間関係において、LSIは他の感覚型と同様に、関係形成の初期段階においてイニシアティブをとることが多いです。しかし相手側からの支援がタイムリーに得られないと、すぐに倫理的な問題にぶつかってしまいます。

ただし双対であるEIEとのパートナーシップでは通常この問題は起こりません(LSIは、同一倫理観、同一論理原則を持つ相手を志向しており、この条件を満たすのは双対であるEIEだけです。この倫理的志向の外で、LSIは自分に近い精神の持ち主を見つけることが難しく、正しく理解されることも難しいです。

LSIは、持ち前の楽観性と社交性を十全に発揮しながら、相互理解と適切な精神的支えが見つかるまであちこちの社会に参加しては遠ざかってというのを繰り返します

このタイプの人々は、同じ考えを持つ人々のグループの中では個人的な関係を築くことが容易です。そのグループでは、周囲の人々すべてが彼らの意見を共有し、LSIは友人たちの忠誠と支持に自信を持つことができるのです)

(wikisocion編集者注釈:必ずしもそうとは限りません。LSIと付き合った経験のないEIEは、LSIの行動や意図を誤解して個人的な支援を行わないことがあります。その場合、コネクションは実現しないか、あるいはLSIがEIEからの「お礼」がないことに憤りや誤解を感じ、ネガティブな関係性になることさえあります)。


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倫理的な側面から見ると、LSIにとって最も理解しやすい領域はビジネス関係です。またビジネス関係の固定観念を、個人的な関係の領域に厳密な形で持ち込むのはLSIにとって非常に都合のよいことなので、頻繁にそうしようとします

これは時に彼らにとって非論理的なもの(なんとなく生じる気持ちや激しい感情といった主観的な概念に基づいていて、本質的に他人には理解不能であるもの)に「秩序を作り出す」唯一の可能性であると感じられるからです。


LSIは通常、感情の領域に関係するものに、どんな「論理」がありうるのか理解できません。彼らは外的な感情表現を観察することによって行動の動機を理解しようとし、それを正確に記述する(あるいは演出する)ことができますが、理解することは非常に困難です

LSIは、感情といったものが彼らの知性の理解手段に全く屈しないことを(全く正しく)考慮します。実際、LSIは周囲の人々の行動に「論理性」が全くないことを何度も目にすることにいなります。この結論を踏まえて、倫理的公正性の原則は、一種の合理的な倫理基準としてLSIに都合が良いものです(これは弱い直観という意味でも都合がいいものです)。

LSIは、この「基準」からの後退を、彼らに言わせれば「ルール通りにいかない」あらゆる形の関係を、極めて否定的に評価します。


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その脆弱な倫理機能と問題の多い直観機能から、LSIはしばしば人々の行動の背後に「悪い動機」を想像してしまう傾向があります(倫理的なカテゴリーは論理的に理解することができないものであるため、LSIに対して「それは誤解だ」と納得させることはかなり難しく、時にはほとんど不可能です)。


LSIは「ルールに従って」人間関係が成り立っていると思い込んでしまうことがあります(こうした思い込みは、LSIの関係性の倫理が低次元性のものであることの表われです) [21]。LSIは、自分と誰かとの関係性が「誠実なものである」ことを「論理的に」納得できない場合 [22]、彼らはその関係が誠実なものであると信じない権利が自分にはあると考えます。

LSIは、自分に委ねられた責任ゆえに警戒を怠ることができないと確信しています。LSIは直観が弱いタイプです。そのため人を信頼しすぎることを恐れています。LSIにとって、信頼関係を築くことは「自分にとって許されない贅沢」だと感じられるような行為です。もしそのようなことをすれば、大きな代償を払わなければならない羽目になるだろうと信じています。

そのため、LSIは自分の不信感(疑心暗鬼)を正当なものだと考える傾向があります。もし一度、誰かについてネガティブな見方をしてしまうと、その後、その見方が変わることはありません


EIEは、倫理的直観的な認識に問題を抱えた相手(つまり、まさにLSI)を志向しています。EIEは、LSIと倫理的志向を共有できる唯一の倫理タイプです(他の倫理タイプは、EIEほどLSIの倫理的志向を共有できません)。

そして、EIEはパートナー(LSI)が必要としている倫理的・直観的な方向に導くことにこそ、EIEは自分の主な宿命を見出します(「悪事を働く可能性のある人物をあぶり出し、その人物に関する必要な情報をLSIに提供すること」─ EIEはまさにこのために陰謀を企て、ほんのわずかな仮定で「説得力のある」事実を作り出すことができるのです。

過剰な警戒は決して有害ではなく、火のないところに煙が立たないように、何もないところに疑惑が生まれることはないのです)。LSIと同じ目的と目標(既存の社会構造の倫理的関係の枠組みの中での「行動の正しさ」を観察すること)が、EIEの社会的機能を定義しています。


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ソシオニクス的にみて相性の悪い相手とのコミュニケーションにおいて、LSIは身近な環境の倫理的可能性について必要な情報を相手から受け取ることができません [23]

そのため、これといった理由なしに、何かの拍子にLSIは「自分のパートナーや家族の他のメンバーの献身性と従順さをテストしたい」という欲求が膨れ上がることがあります(そしてLSIはこういった「テスト」の方法を見つけ出すのは上手です)。

例えば、割り当てられた仕事を十分に誠実に行っていない可能性のあるメンバーがいる場合、そのメンバーの仕事を監視するために、よりLSIが信頼できると感じる誰かを派遣することがあります


「父に言われてパン屋にパンを買いに行きましたが、パン屋が夕方まで閉まっていたので何も買わずに私は帰宅しました。しかし父は私が『パン屋は閉まっていた』と言ったのを信じず、姉をパン屋に向かわせました。そして姉はパンを買ってきました。姉がパン屋に行った時間にはパン屋が開店していたからです。父は私が嘘をついたと決めつけて、私を罰しました」

また、LSIの「テスト」の他の例としては、次のようなものもあります。あるLSIは自分の妻が結婚相手誠実かどうかテストするために、LSIは自分の友人を妻の元に送り込んでわざと誘惑させ、その結果を妻本人に報告させるというテストを行いました。

但し書きをするなら、LSIがこういった試し行動をするのは「パートナーがEIE以外の場合」だけです。EIEがパートナーの場合、LSIはEIEの献身さに疑念を抱くことはありません 。


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個人的な関係がどうであれ、LSIは感情が理性を阻害してはならないのと同様に、感情がビジネス上の関係を阻害してはならないと考えています。したがって家庭のために仕事を後回しにするというのは、LSIにとっては難しい選択です(ちなみにEIEも同様の価値観を持っているのでLSIに対して「仕事と私、どっちが大事なの!?」といった選択肢を迫ることはほとんどありません)。

しかし、それでもLSIが家庭のために自分のキャリアを犠牲にすることに同意した場合、LSIにとってこれは非常に深い傷となってしまい、生涯LSIを苦しめることになります。また、間違いなくプライベートな関係にも影響を与えることになります。


第4機能(脆弱):Ne

LSIの論理は徹底して具体的なものであるため、空想や自由な発想の余地はありません。このため、「自分ではなく他の誰かが最も興味深い解決策や大胆なアイデアを提案した」ということ、そして「自分自身は他の人が提案したような魅力的なアイデアを思いつけなかった」ということに悔しい想いをすることがよくあります

LSIには、自分の知的可能性の限界を、激しく痛感する瞬間があります。彼らは行き止まりで、路地裏のような場所にいて、出口は一つしかなく、そして色鮮やかに輝くアイディアが今にも出てきそうなのに、なぜか出てこない、そんな感覚を覚えることがあります。

LSIは、自分の知的潜在能力の弱さ(誰の目にもわかってしまうほど明らかな弱さ)について考えたり、自分で解決策や解決策を見つけることができないのではないかという恐れから、自分が「全く無価値な失敗者」であるかのような感覚に襲われることがあります


また、自分にとって非常に重要なプロジェクトに関する重要な情報、つまり今現在、あるいは将来的なシステム内の力関係に関する情報や、その中での自分の位置に関する情報がタイムリーに届かないと、LSIは不快な気持ちになります。LSIは、仕事やスケジュール、キャリア、周囲の人々との関係などに関する情報の不足と、特定の計画における自分の立場の不確実性を苦痛に感じます。

LSIにとって、自分の周りの関係性のシステムにおいて「仕事をしていない」状態に陥ることは恐ろしいことです。これはまるで、船から真っ暗な海に投げ出されてしまうような恐ろしい状態です。

LSIが、あらゆる関係性の枠組みの中で安定性を重視するのは、このような恐怖があるからです。彼らは最も困難で最も不自由な状況に適応しようとします。LSIは、システムのフレームワークからはみ出さないようにするために、最も危険な状況や、膨大な負荷がかかるような条件でも、わずかな足場を縫うようにしてシステムの枠組みから外れないように働くことができます。

LSIにとって、自分の大切な船であり、大切な社会的システムの場である「自分の働く場所」を大切にしない人や、「人に働く場を提供しているという利点」を評価できない人は理解できない存在です。


◆◆◆


LSIはあまり転職を好みません(実際、あちこちの職場を転々とするような人がまともなキャリアを築くことは難しいだろうということは、多くの人が想像できるでしょう)。

さらにLSIにとっては、転職活動(面接を受けたり、テストを受けたりといった活動)そのものが苦痛であり、また「自分が不採用となり、他の誰かが採用されるような事態」に直面する能性を考えるだけで、不快な気分になります。さらに、新天地の様子がよくわからない不安(労働条件や、新しい同僚、雇用主との関係が実際どうなるのかよくわからない不安)も、LSIにとってはかなり負担になることです(心配になるし、恐怖を感じることもあります)。


LSIは「社会的なシステムから自分に任されている領域」での関係性の崩壊 [24] を恐れているように、彼らは「自分の家族関係の崩壊」を恐れています。家族が分裂するような事態が生じると、LSIは自分自身が「和解の発端」になろうとします。どうしても家族の分裂を避けられないような状況にまで追いやられてしまうと、LSIは絶望のあまり、非常に極端な手段をとることがあります


LSIは通常、人の行動の動機を推測する時は「最悪の動機」を想定します。また、誰かが自分に対して不誠実で、醜く、価値のない、あるいは単純に無粋な振る舞いをすることを非常に嫌います。

例えば「誰かが自分に断りなく、何かを勝手に持っていくこと」は、LSIにとっては許しがたい事です(「あの道具を使おう」と思った時にそれがないことに気が付いたLSIの心の中を一体誰が想像することが出来るでしょうか)。またLSIは貸したものをすぐ返さない人のことを信用しません(こういった人には常に疑いの眼差しを向けてしまいます)。

こうした考え方はEIEにも共通している部分があります。EIEにとって他人の物を勝手にとることは、「何らかの復讐をするため意識的にやるような行為」であり、「よほどのことがない限り許されない行為」です(例:あるEIEの子供は、自分のLSIの妹に「罰を与える」ために、妹の学校の制服を隠しました。その結果、妹は学校に遅れ、遅刻の記録をつけられてしまいました。これは「時間に正確で几帳面な妹(LSI)にとって、かなり堪えるはずだ」という計算の上で実行された、EIEによる復讐です)。


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LSIは、予測不可能な行動、派手なトリック、奇抜なジョーク、馴れ合い、無粋な策略を好む人たち、つまり一言で言えば、LSIに迷惑をかけたり、さらなる問題を引き起こしたり、愚かで猥雑な行為に巻き込む人たちとは付き合わないようにします。

LSIが「安易な成功を好む人々」に同調することはありません。小手先のずる賢いテクニックを駆使して調子よくスタートできたとしても、それは真の成功に至るものではないと彼らは考えます。

才能とは何か考えた場合、彼らは真っ先に「それはたくさん努力でき、たくさん働けることだ」と考えます。


LSIは、自分の能力や伸びしろについて、他人が話すことを嫌います。また、他人が運任せで成し遂げたことについて、「お前も同じように成功しろ」と期待されることも嫌います。彼らは「運が良かった人」や「運に恵まれた人」を特別好むことはありません。「幸運による成功」という話題についてLSIと話さないほうが無難かもしれません

こうした話題はLSIにとって非常に不快になる話題であり、まるで自分に対する侮辱のように感じてしまうからです。

LSIにとって、成功とは仕事と労働の中にのみ存在するものであり、仕事と労働を通してのみ獲得できるものであり、またそうする価値のあるものでなければなりません。それ以外の「成功」は、LSIにとっては「まやかし」や「詐欺」のようなものです。そしてその欺瞞はいつか必ず白日の下に晒されると考えています。


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LSIの恐れるものは捏造、デマ、詐欺、偽情報、ねつ造された事実であり、また、自分がそうしたことに関わって、しかもそれがバレることを恐れています。LSIは無意識のうちに、疑り深く鋭いEIEを志向しているため、自分自身を欺いて嘘をつくことを恐れています

そのため非常に困難な状況に直面した場合でも、それを打開するために「嘘」をついたり「捏造」するような行為(自分がその罰を受ける可能性のある行為)をするよりは、従来通りの立場のままでやりすごしたり、他の誰かの意見を参考にする方が都合がいいと考えます(LSIは外部から提供される情報と事実を信頼することを好みますが、これはLSIの理解では「情報の信ぴょう性の責任は、その情報を受け取った側ではなく情報を提供した側が負うものである」という考えがあるからです。

注意点として、LSIは事実をねじ曲げる行為が彼らのシステムにとって有益であり、自分より目上の立場の人の承認が得られた場合は、許容することもあります。LSIにとって重要なのは、その罪の責任を自分が負わなくてもいいという点です)。


LSIの抱えるこういった数々の不安は、LSIに「明確に、最大限具体的に説明しながら話す」という特徴を生み出します。公的な報告書ではそれで良くても、日常会話としては細かく話しすぎだという場合もあります。このLSIの危険な習慣をやめるように説得できるのはEIEだけです。

EIEはLSIが「率直な暴露」をした結果どういう事態に陥るか、LSIの短慮な発言が招くかもしれない最悪の結果をLSIに指摘することが出来ます。このようなEIEの警告は、LSIにとっては必ずしも耳当たりの良いものではありませんが、それでもLSIはEIEが自分を怖がらせるためにやっているのではなく、LSIの命や運命、システムの中での立場のために言ってくれているのだということを理解してEIEに感謝します。


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LSIは自分自身の能力を過信せずに、慎重に、かつ先見の明をもって物事に対処するよう努めていますが、それにもかかわらず、なぜか複数ある選択肢の中から最悪のものを選択してしまう傾向が自分にはあることに、自分自身驚いています。

自分のミスや他人のミスを徹底的に分析しても、「なぜ誰よりも早く自分が罠にかかってしまうのか」彼らにはわかりません。「罠」の中にこそ、LSIが行き止まりから抜け出す方法がある。こんなLSIの厳しいジョークのような「問題のある」直観がLSIに影響を及ぼすのです。


LSIは騙されることを非常に恐れていますが、(特に若いうちは)頻繁に自分の不注意の犠牲になってしまいます。だからこそLSIにとって、身近な人の誠実さ、正直さ、そして献身を信頼すること、そして身近にそのような人がいることはとても大切なことです(極限条件下でLSIが社会的な活動をする場合、これは必要不可欠なものです)。そして、これまでに説明してきた通り、このような条件を満たすパートナーとして最もふさわしいのはEIEです。


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具体的には、LSIの「直観的な盲点」と「倫理的な防御の欠如」に無意識な注意を向けているEIEは、自分の身近な環境と親しい人の環境の両方について、常に一種の「掃除」を行っています。EIEは自分の周りに「疑わしいところがある人物」がいることを許しません。そしてもしパートナー(LSI)のそばにそういった人物が現れたら、即座に察知して排除しようとします。

EIEがそういった人物との関係を切ると判断するためには、ほんのわずかな理由や機会があれば十分です。EIEはありとあらゆる手段(陰謀を使ったり、ゴシップやほら話、虚偽の証拠を使うなど)を使って、迅速に、不可逆的にパートナー(LSI)と疑わしい人物との関係を断ち切ろうとします(「すぐに、今ここで、私がここにいる間に彼に電話して、『もう関わりません』と宣言しろ!それが嫌なら今後、誰もお前を相手にしないようにしてやる!」)。


このようなパートナーであればこそ、LSIは「あらゆる面から徹底的に守られている」と感じられるのです。この場合、LSIの抱える直観的な倫理に関する問題は全て解決されます。LSIはただ、EIEが考え抜き、計算して導き出した答えに従って自分に要求されることだけをこなしていれば良くなります。

このような保護が感じられるときだけ、LSIはリラックスでき、肩の力を抜いて社交的になり、心を開き、気軽に話したり、行動したり、コミュニケーションを撮ったりすることが出来るようになります。

ただし言うまでもありませんが、LSIの個人的な信頼関係は、内向的である彼らが満足できるような、最も近い人間関係の輪に限られることになります。


無意識的な機能

無意識的な機能:LSI

第5機能(暗示):Fe

LSIは、感情が飽和するような、明るく鮮やかな生き方を強く好みます。LSIは、落ち着きがなく、反抗的な心と魂を持ち、明るい感情を生み出し、人生を強く、かつ楽しい感情で満たすことができる人を好みます。こうした人からの刺激を受けることが出来ない場合、LSIはすぐに活力を失い、「酸欠」のようになり、格式ばった鈍い人になってしまいます。

時折LSIは自分がまるで病気であるかのように感じ、活力を失い、気分が落ち込んでしまい、自分の不調を気にするあまり実際には何でもないことを「非常に重い病気の兆候に違いない」と感じてしまったり [25]、人間嫌いになってしまったりします。

その一方で、EIEの感情的な影響を受けることで、雨水を吸い込んだ花のように咲き始めます。文字通り、感情を受けてきらきらと輝き始めるのです。


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双対であるEIEとのやり取りは、LSIにとって、めったにない喜びとなります。EIEはLSIにとって非常に興味深い会話パートナーであり、魅力的で機知に富み、才能にあふれた人に見えます。EIEは歌い、パロディを作り、即興で詩を作る、まさにおとぎ話に出てくるような人です。

EIEは人気映画俳優や有名なトーク番組や娯楽番組の司会者、とても面白いコメディチームのリーダーにように、人々の共感を集めています。


LSIにとって、人生が明るい感動的な出来事に満ちていることはとても重要なことです。特に、それが強く誠実な感情であれば、彼らはすぐに一般的な感情の高揚を覚え、そこから「充電」することができます。LSIはお祭りのような雰囲気と、その雰囲気に自分自身が一体化しているような感覚を好みます [26]

そのためLSIは祝日や休日を好み、明るく楽しいショーを好みます。特に好むのはオリンピックの宣誓式などといった、祭典の開幕を告げる壮大で厳粛な儀式です(LSIとEIEペアにおいて、こうした儀式は特に重要で神聖なものです。このペアは「力とイデオロギーのペア」だと言えます。

このペアは、仮に子供であっても「誓いの儀式」を非常に厳粛に行うという特徴があります。LSIとEIEの両方にとって特別な価値を持つ資質である「献身と忠誠の祭典」として行われています)。


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LSIは気分転換の必要性をよく感じます。そのためか(特にEIEが身近にいない場合)、彼らは友人の輪の中で自ら感動的なトーンを作り出そうと試みます。休日の最中に、EIEとペアになっていないLSIは突然深い憂鬱な感情の必要性を感じることがあります。

この場合、自分で歌を歌ったり哀愁を帯びた曲を演奏して解消できればいいですが、そうでなければ客にショパンの葬送行進曲を演奏して聞かせるようなことをしてしまったりもします。

EIEもこうしたことを意識的な悪戯として行うことはありますが、LSIの場合、無意識にする可能性が高いです。LSIは心の痛みと悲しみに、なぜか無性に強い憧れを感じてしまうことがあります。


またLSIは、気分が激しく変化するような状況を無意識に求めてしまうことと合わせて、相手の感情をLSIが認識できるような形で正確に表現してほしいという必要性を抱えているため、無意識に、わざと家族のスキャンダルを引き起こすことがあります(LSIを飽きさせないEIEが、彼らのそばにいない場合は特に)。

LSIが無意識にこういった刺激を求めていることを、彼らと共に暮らす人が理解しておくのは大切なことです。たしかに彼らは表面上は平和と平穏を重んじています。しかし、そうして意識的には平和を求めていても、無意識的にスキャンダルを引き起こしてしまうのです。だからこそLSIの家族にとって、LSIが無意識に抱えている、感情と感覚の飢えを満たす手助けを積極的にすることが重要になります。

LSIは、彼ら自身のタイプが持つ基本的な価値の1つである「力」を尊重していることを覚えておくと役立ちます。LSIは、意図的に為された厳しく不条理な要求に対して反撃する力を尊重しています。そして相手の価値観をチェックし、「相手が本当に価値ある存在だ」と確信するために、わざと相手を試すような行動をとることがあります。

こうしたLSIの特徴は、時に幼いLSIでさえ生意気で喧嘩っ早い性格を示す理由を説明しているかもしれません。また、彼らのこうした行動は自分のシステムを他人に押し付ける方法であるのに留まらず、自分の双対を見つけ出すための方法として無意識に使われているのかもしれません(若いEIEもLSIと同様の性質を見せます)。


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感情を誠実に表現することは、LSI-EIEペアにとって最も重要な価値観のひとつです。LSIとEIEはお互いに解釈しやすい形で感情を表現します。LSI-EIEペアにとって本当の気持ちは痛みと苦しみによって試されなければならないものです。

そうやって試されてこそ、彼らの気持ちは高揚し、真に美しく、確かなものになるのです(さらに、こうしたテストは愛情だけでなく、友情、義務に対する忠誠心、そして愛国心の深さをチェックするためにも使用されます)。


EIEの誠実で洗練された感情だからこそ、鋭敏で批評的な観察力を持つLSIも、「EIEの感情は本物だ」と確信に至ることができます。その感動と哀愁はLSIに素直さをもたらし、知性の糧になります。LSIはこの感動を通して、最も正確な倫理的方向性を得ることができるようになるのです(「彼女の瞳に私はすぐに魅了されました。そして私は彼女とそっくり同じような瞳をもつ女性を探しました」 - グレブ・パンフィーロフがインナ・チュリコワについて)。

LSIに自分の経験や感情の誠実さと深さを納得させることができるパートナーは、EIEをおいて他にはいません。LSIが完全に信頼できるのは、EIEだけです。


第6機能(動員):Ni

他の論理的な感覚タイプと同様に、LSIは、飽和状態、あるいは過負荷になるほどに、その時々のイベントにのめり込んでいく点が、他のタイプとは違います。

「今この瞬間」という言葉自体が、まさにLSI的な言葉です。LSIは常に「今この瞬間」を観察し、分析し、グラフを描き、レポートを書き、「今この瞬間」の状態についてミーティングを行います。


LSIにとって「今この瞬間」は極めて重要なものです。そのせいで彼らは常に緊張状態にあります。LSIは常に「今この瞬間」に全力投入します。

LSIはこの「今この瞬間」以外の時間がないという風に見えることがあるかもしれません。実際、LSIにはそういう傾向がありますが、一応、彼らであっても漠然とした「明るい未来」のような抽象的な概念も持っています

もしも自分のシステムの枠組みの中にしっかりと位置づけられているような「明るい未来」であれば、比較的未来に確信を持つことができますが、多くの場合は漠然と死後の世界について考える程度に留まります

ごく最近の過去(数字によってのみ「今この瞬間」と区別されるような過去)もLSIの中には比較的はっきり存在していますが、遠い過去(伝聞情報として知っていて、LSI自身も確かにそうした過去があったと信じようとしている過去)という概念には、彼らが生まれる前の全てが含まれているため、LSIはそれについて自分で判断することはできません。LSIが持っているのは彼らが生まれてからの「今この瞬間」だけです。


LSIの時間はシステムにおける自分の仕事に属しています。したがって彼らの時間的カテゴリーは彼らの属するシステムの「時間的指標」と直接的に結びついています。

例えば、四半期末から四半期初め、夏休み、勤務開始時刻、勤務終了時刻など、LSI自身の時間的な認識は、LSIの属するシステムにおける「時間」に置き換えられます。


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LSIは、自分自身も他の従業員も含めて勤務時間中は常に仕事から離れてはならないと考えます。自分の仕事が終わっても、他の誰かのサポートをする必要性が生じるかもしれないからです。LSIは、部下がいつ出勤し、いつ退勤したかをチェックすることを好みます。

もしも部下があまりに早く仕事を終えてしまった場合、部下の仕事をチェックする体制を用意して全てをチェックし、それに加えてタイムスケジュールや計画を見直したり給与を引き下げるかもしれません

私生活で「果報は寝て待て」が苦手なLSIも、仕事であれば必要なだけ待つことができます。


LSIの時間的な態度やシステム内の関係は、システム内での自分の立場によって決まります。相手が上司であれば、決定を急かしたりはしませんが、部下には短期間で仕事をするよう迫ります(もちろん仕事の質も要求しますが、LSIのこうした振る舞いによって真っ先に被害を受けるのは、仕事の質です)。

LSIは、自分流に時間という要素を無視し、「ワークグループの熱意」という要素で代用します。そしてLSI自身はワークグループの一員として、生産に必要なリズムを作り出す案を採用したり、彼ら自身がリズムを生み出す活動に参加したりします。実際、時間的に切迫した厳しい締め切りに追われている時こそ、LSIが最も生産的に働けるため、特に緊急時にLSIは不可欠な存在です。

LSIにとって重要なのは、仕事を完了させるために必要な時間の枠に関する情報を受け取ることです。例えば、「2週間でやれ」という指示があればその通りに実行しますが、何も指示がなければ「お役所仕事」になりかねません。


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LSIの時間は静的です。それは彼らにとって変わらず、また彼らを変えることもないものです。時代がどんな形に変化しても、そこに行政制度がある限り、LSIはその枠組みの中で生き、働くことになります。

しかし、支配的な階層システムの時代が終わり、LSIがそのシステムから「脱落」してしまうと、LSIは「時間の外」を生きるようになります。つまり、未来に自分を見出せず、代わりに過去にあこがれるようになります


こうした場合、LSIは壊れたシステムの断片や繋りを再生させようとします。そしてその繋りの枠組みの中で、たとえそれが脆いものであっても、彼らの双対であるEIEが現在の時代の精神に対応する新しいアイデアでそれを満たすまで働き続けます。

その時、LSIは全力を尽くして、この新しいシステムを強化し、改善し、社会に導入するだけでなく、その社会の中で自分が優位に立つようにします(例:1995年の下院選挙で共産党が勝利し、ソビエト連邦を再創造しようとした点)。


LSIがグローバルな視点で時間を認識するためには、EIEの手を借りる必要があります。


第7機能(監視):Te

LSIの「行動の論理」という側面は、社会システムの中での位置づけと、社会システムの外(例えば個人的なイニシアティブの領域)での位置づけの2つの側面から説明することができます。


LSIにとって、何らかの社会システムの中で働くことがより好ましいことは間違いありません。そして、まさにこの方向で彼らは最大限の努力を払います。一方、彼らにとって個人的なイニシアチブという面から働くことはかなり難しいことです。これは、LSIの可能性の直観(Ne)が弱いためだけでなく、個人的なイニシアチブが彼らの論理的なプログラム(Ti)に矛盾しており、社会システムの外に彼らを置いてしまうものであるためです。

LSIにとってシステムの外側のイニシアチブは反社会的なものであり、これは叱責されるべきものであり、犯罪的なものでさえあります(LSIが社会的なシステムから「脱落」したとき、まさにこうしたことが起こります。彼らは自分が「脱落」した社会に反発して自動的に「アンチシステム」を形成します)。


◆◆◆


したがって社会的な意味において、LSIの事業活動は、彼らの閉鎖的で静的なシステムの改善に向けられており、このシステムをいかにして自給自足で成り立たせるかという重要な問題の解決を求め続ける苦悩から成っています。この問題の解決策として、LSIは階層構造のすべてのレベルにおいて、合理的で社会的に正当な物質的資産の分配に注目します。


LSIはこうした問題を他の人より上手く解決します。わざと商品不足を人為的に創り出すような行為や、特定の社会的システムのメンバーだけで特定の資源を占有するような行為には断固として反対します。

LSIは、人をシステムに「追い込む」方法と、人を働かせる方法を知っています(LSIが行動の論理Teをうまく実行できない場合は、お金を重要な価値としてみなすSeと構造の論理Tiの合わせ技として、1円単位まで綿密に、徹底的に管理しようとします)。

LSIにとって、報奨金や各種の福利厚生、出来の良いメンバーを大々的に讃えたり、出来の悪いメンバーを遠回しに批判するための掲示物といったものは全て、階層的社会システムの外部に資源を流出させることなく、システム内の資源の循環だけで「人をシステムに囲い込み、働かせる」ことのできる、効率的な手段を意味しています。


LSIにとって、先進的な技術の導入や、個人の自発的な行動、個人事業の奨励といった、行動の論理(Te)が関係する一部の領域は、社会的システムの価値観の外側にあるものであり、社会(社会的システム)の利益と矛盾する個人的な領域に属するものだと解釈するため、どこか有害で危険なものであると感じる傾向があります(また、時に彼らは後先を考えない、目先の利益しか見えていないような「改善案」を導入することもありますが、これは「今現在」以上のことを見ることが出来ない弱い直観によって説明できる行動です。こうした提案は、甚大な被害を招くことがあります)。


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「統制(コントロール)」の問題に関して、LSIは特別な敬意を持って取り組んでいるだけではなく、自分自身も適切に適用することが必要であると彼らは考えています。

経営者やトップにいる人々が、統制を取ることに無頓着な場合、「彼ら(経営者など)にとってこの組織の価値は低いものである」とLSIは認識します。そして、そこから「低い価値しかないということは、彼ら(経営者など)にとって組織の生み出す利益はあまり必要のないものだということなのだろう。ということは、彼らが組織から享受する利益が少なくても問題ではないはず。それなら自分(LSI)が個人の利益を優先して、組織内のモノを再分配してもいいはずだ」と考えて、実際にそのような行動をし始める傾向があります。

LSI以外の人々がLSIと接するうえで重要な点は、少なくとも「厳格な会計や計算」だとか「徹底した管理システム」さえ用意しておけば、「統制を取ることに無頓着だ」とLSIに思われる事態を避けられるという点です。


日常生活では、このタイプの人々は十分に実践的です。また家計の管理も得意ですが、必ずしも先見の明があるわけではないので、目先の小さな利益に囚われて後々大きな損害を出してしまうことがあります


第8機能(実証):Si

LSIの仕事には、常にLSIというタイプの持つ強い部分と弱い部分の両方が明確に表れています。論理的に考え抜かれ、高度な専門性があり、細部まで徹底的に練り上げられたものであるのと同時に、そこには必ずイデオロギー的、あるいは社会的な方向性が明確に見られます

特に後者は、社会システムの外で個人的に仕事をすることが難しいLSIにとって重要なことです。そんな彼らにとっては、注文主や依頼主のために緻密な仕事をするほうがはるかに簡単なことです。


こうした特徴はESI(ISFj)にもみられる傾向です。これは実証機能(第8機能、デモンストレーション的な機能)にSiがあるタイプに共通してみられる特徴であり、実証機能が本人のためというよりも本人の双対のために、つまり本人の外側の世界に向けて積極的に使用されるものであるという点から説明できます。

名刺のデザインひとつとってもこういう傾向があります。彼らは自分の名刺のデザインをする場合は無駄に時間をかけてしまったり、上手く作れなかったりしますが、その一方で顧客のために同じことをする場合は、顧客の要望のスタイルとテーマに合わせて、あっさりと素晴らしいデザインの名刺を作ることが出来ます。

LSIの場合、象徴性も主題もない集合住宅を設計するよりも、具体的なテーマとシンボルが存在する展示パビリオンや行楽施設を設計する方がはるかに簡単です(例:全ロシア博覧センターの展示館)。これは可能性の直観の弱さの影響によるものです。彼らは何もないところから、何か面白いものを考え出すのは苦手なのです。


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LSIの美意識はSEI(ISFp)的な感覚の効果の下で形成されますが、これはLSIの双対であるEIEの持つ脆弱な感覚に「奉仕」するために発揮されます。

つまり、LSIの実証的な感覚機能(第8機能Si)は、SEIから「休日の洗練された雰囲気」の要素を取得し、またEIEからは「イデオロギーと演劇的な装飾性」を取得して形成されます(こうして出来上がったLSI的な美意識が反映された建築様式こそが、「スターリン様式」という、野菜や果物、麦の穂、リボンなどを多用するスタイルです)。

さらに付け加えておくと、単にLSIはSEI的な要素とEIE的な要素をミックスしているだけではありません。

この2つの要素に加えて、LSI自身からは「強さと秩序に関する美学」(厳格なシンメトリーとモニュメンタルなフォルム)が付与されています。


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LSIの美学は「社会現象」であり、彼らのシステムの美学であり、彼らにとっての「時代」を象徴するものでもあります。LSIのスタイルは、彼らが精神的に属しているシステムの全盛期(全体主義的なシステムが覇権を握っていた時代)を願って、あるいは懐かしんで、その時代を守ろうとする、LSI特有のレトロでユニークなスタイルです(古代ローマ帝国の軍事的全体主義の美学を手本とした30~40年代の「ドイツ帝国様式」や30~50年代の「スターリン様式」はLSI流のレトロスタイルの一例と見ることができます。


また現代では、「30年代の精神を受け継いだ、スポーティなビジネススタイルとして表現されている様子」も見ることができます。

例えばロシアのバンドグループである「Dr. Watson(Доктор Ватсон)」(30~50年代のスタイル)や「Na Na(На-На)」などがこれに該当します。今後も、「停滞の時代」の特定の軍事スタイルにある種の憧れを向けるLSI的なレトロスタイルが生まれることでしょう。

LSIは、その時代とシステムの「芸術的装飾者」であり、そこに彼らの知性の実証的(デモンストレーション的)な機能が担うべき社会的役割があるのです。


出典:


訳注

  1. ^ ソシオニクスの第1機能は、「先導機能」「プログラム機能」などと呼ばれる。LSIは第1機能が論理、第2機能が感覚なので、この論理は感覚機能と組み合わせて使用される。
  2. ^ LSI本人としては「何も検討していない」といわれるのは心外ではないかと思う。ここでの「何も検討していない」とは、例えば「人間関係について考察する時に【類型の知識体系】を使った検討はあれこれ行うが、【類型の知識体系を一切使わずに】検討することは無い」といった意味である。【類型の知識体系】は【会社の役職】や【部活動における各メンバーの立場と、立場ごとに求められている役割】に置き換えることもできる。
  3. ^ 二分法「貴族主義
  4. ^ 「結論を体系化し」「既存のシステムに組み込む」「目標に適したものを改良する」というのは、「書籍やネットで得たタイプの知識を基に周囲の人間を観察し、そこで観察された特徴を体系化する」「既存のシステム(ユングのタイプ論なり、MBTIなり、ソシオニクスなり)に、自分が体系化し、一般化した考えを取り組む」という意味で、「類型に独自解釈を追加したいタイプの人」の在り方に近いかもしれない。

    「システム(類型)を現実社会で活用する」という行動は、「システムを特定の社会条件に適合させ、細部まで丁寧に実現すること」的な行動だとも考えられる。

    つまり、現実の人間関係に類型を活用することを好み、かつ独自理論作成に興味を抱く人の特徴と、これらのLSIの特徴は近似していると言える。

    LSIは一般的に、会社などの「社会集団におけるヒエラルキー」に焦点をあてた説明が多く「個人主義には否定的」な立場だと説明されているが、「貴族主義/民主主義」の違いを踏まえるに、「類型論」のようなフレームワークに興味を持つ(特にそのフレームワークを実生活に活用することに興味を持つ)のはLII、ILE、ILI、LIEのような民主主義タイプよりも、むしろLSI、SLE、LSE、SLIのような貴族主義タイプのほうが多いかもしれない

    「社会集団におけるヒエラルキー」への無関心さ・「個人主義」に着目して、自身をLII(民主主義タイプ)だと誤って考えてしまうLSI(貴族主義タイプ)がいる可能性もあるのではないかと思う。

  5. ^ 教会が絶対的な地位を獲得していた中世ヨーロッパの社会では、その時代の社会に適した形で知性が発揮され、科学が絶対的な地位を獲得している社会では、科学に適した形で知性が発揮される。
  6. ^ 例えば中世ヨーロッパの社会に暮らすLSIは、異教徒の社会の常識を「全く理解できない愚かな蛮習」のように感じてしまうし、科学を絶対視する社会に暮らすLSIは、「科学的ではない」ものを理解できず、「考えるだけ時間の無駄」だと感じてしまう。
  7. ^ 二分法「宣言
  8. ^ 自分の「知的さ」をひけらかすような態度。衒学的という表現は、ベータ・クアドラのLSIの他には、ガンマ・クアドラのILI(INTp)の説明でも比較的よく見られる。面白いことにアルファ・クアドラのLII(INTj)の説明ではあまり見かけない表現である。

    関連記事「クアドラ」:この記事では、アルファ・クアドラがNiTeを抑制した結果として、「知識をひけらかし、やたらとアドバイスしたがる人を嫌う傾向」を持つという説明が登場する。

  9. ^ 社会的なシステム上の立場。
  10. ^ 強い意志の力(Se)で相手を屈服させ、自分の主張を押し通す手段。
  11. ^ 「現象を体系化できること」という要件さえ満たせていれば、本質的にはどんなシステムでも構わない(どれほどLSI自身がそれまで信頼して使い倒していたとしても、すべてのシステムは本質的には代替可能であり、絶対的に正しい真のシステムはない)という意味で、二分法「主観主義」的であるといえる。
  12. ^ 個々のLSIごとに「システム」が違う点には注意が必要である。

    システムごとに(つまりLSIごとに)「混沌と無秩序」の定義や、求められている「無私の労働」の定義、「高い労働能力」の定義、「怠惰・無責任・杜撰さ」の定義も異なる。いわゆる世間一般的な定義とは大幅に異なる場合も考えられるため、「(世間一般的な意味での)労働能力に無頓着で、怠惰で、無責任で、杜撰で、チームワークを乱してばかりいるし、そもそもチームを気にしてすらいない」LSIもありうる

    LSIのシステムは、暴走族やネットゲーム内のチーム、チャットサーバーなど、様々なグループ内に秩序を生み出す暗黙的・明示的なルールを意味する場合もあれば、一見すると「社会システム」とは全く無関係に感じられる「MBTI」のようなフレームワークを意味する場合、さらには「そのLSIしか知らないし、他には誰も活用していないオリジナル類型論」のようなフレームワークを意味する場合もあるのではないかと思う。

    例としてオリジナル類型論の場合を考えると、
    - 理論提唱者(つまり自分)
    - 優良賛同者(金を出す人や宣伝してくれる人)
    - 賛同者(金も労力も出さないで消費だけする人)
    - 良い人(「相性がいい」「健全度が高い」「発達度が高い」等、そのLSIのシステムにおけるポジティブな定義に一致する人)
    - 悪い人(ネガティブな定義に一致する人)
    - 古い類型システムや自分と異なる類型システムに囚われている人
    - 何かと噛みついてくるアンチ

    このような社会的意味合いを帯びたヒエラルキー構造・味方と敵の構造が、そのLSIの対人関係における振る舞いを決定づける基盤として機能することもあるのでないかと思われる。

    関連記事「貴族主義」:貴族主義の特徴として、「他の人々や自分自身を、その人が属していると見なしたグループやカテゴリーによって認識し、言及する傾向があります…この場合のグループやカテゴリーは、…むしろ彼ら自身が作り出し、定義したオリジナルのグループやカテゴリーである場合があります」というものがある。もっともLSIの場合、Niの項目であるように「まったくゼロからつくった100%オリジナルなシステム」よりも「既存の何かを変化させて作ったシステム」のほうが多いのではないかと思う(例としてオリジナル類型論の話でいえば、自分でゼロから考えたオリジナル類型論ではなく、MBTIなどの既存類型を、自分なりに解釈しなおしたり、変形させたりして作ったオリジナル類型のほうが多い)。

  13. ^ 繰り返しになるが、ここでいう「社会」は「LSIのシステム」と同じ意味であり、世間一般的な意味での「社会」とは異なる可能性がある
  14. ^ 何度も繰り返しになるが、この場合の「礼儀作法」の定義はLSIごとに(LSIのシステムごとに)異なるため、世間一般的な意味での礼儀作法とは異なる可能性がある
  15. ^ 第8機能の項目でも説明があるが、LSIのSiの使い方はSEIに似ているとされる。
  16. ^ Quod licet Iovi, non licet bovi:ラテン語の格言。ある高い地位にいる重要人物には許されることであっても、それ以外の人々には許されていないという意味。
  17. ^ 本文献著者のStratiyevskayaの解釈では、「公正」の意味合いが、LIIは「たくさんの責任と義務を負った強者も、負えなかった弱者も同じ量の資源を得ること(Neによる、人それぞれが持つ可能性の平準化の方法)」を目指すが、LSIの場合、「たくさんの責任と義務を負った強者(=LSIシステムにおけるヒエラルキーの上位者)が、より多くの資源を得ること」を目指す。
  18. ^ LSIの社会的システムの中で、特定の立場に定義づけられていなければならないという意味。
  19. ^ LSIから見ると、彼女よりも自分のほうが「より多くの責任を負っている」ので「自分のほうが、彼女よりも、より多くの権利の分配」を受けて当然だという思考回路になる。
  20. ^ 例えるなら「暴力を友達にふるうなんていけません!暴力を振るってよい相手はバケモノ共と異教徒共だけです」的な価値観。
  21. ^ 低次元性とは、モデルAの第3機能、第4機能、第5機能、第6機能を指す言葉。関連記事「機能の次元
  22. ^ Ti-Seの社会階層的なシステムにぴったり合う形で、各自が「誠実に」義務と責任を果たしている関係性以外の関係性は、LSIにとって「誠実」な関係には見えない。
  23. ^ 「相手が自分のことをどう思っているか」「自分との関係性を、相手はどの程度大切にしているか」等の情報を、自信を持って読み取ることが出来ない。
  24. ^ 自分の社会的な責任と義務を果たすことが出来ずに、自分の権利を失う状態。
  25. ^ LSIを含めて、因果的決定論的認知スタイルを持つタイプは、「教化や、極端にいえば洗脳に対する抵抗力が弱い」とされる。
  26. ^ LSIのFeは暗示機能の位置にあるため、感情的刺激を楽しんで吸収することが出来る。それに対してSLIのFeは脆弱機能の位置にあるため、喜びと言ったポジティブなものも含めて感情的刺激そのものを苦痛に感じやすく、なるべく避けようとする(SLIと同じ傾向は、ILIにもある)。


ENTp 
ISFp 
ESFj 
INTj 
ESTp 
INFp 
ENFj 
ISTj 
ESFp 
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