目次[非表示]
タイプの分類
民主主義
アルファ、ガンマ( xNTx、xSFx )
貴族主義
ベータ、デルタ( xNFx、xSTx )
α | β | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ILE | SEI | ESE | LII | EIE | LSI | SLE | IEI | |
民主 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||
貴族 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||
γ | Δ | |||||||
SEE | ILI | LIE | ESI | LSE | EII | IEE | SLI | |
民主 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||
貴族 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
典型的な特徴
民主主義
- 他の人々や自分自身について認識・言及する際は、まず第一にその人の個人的な資質(素直・信頼・寛容・想像力がない・気さく・格好いいなど)によって行います。この資質は、一般的にその人が属する可能性のあるグループやカテゴリーとは無関係なものです。
- 相手に対する関係や態度は、その人がどのグループやカテゴリーに属するかに基づいて形成されたり、あるいはそのグループやカテゴリーに属するメンバーと自分の関係を考慮して形成されるわけではなく、自分自身の個人的な特性に基づいて形成されます。
- 人を、「特定のグループやカテゴリーを構成する人々固有の性質を備えている、あるグループやカテゴリーの代表」として認識することに抵抗を感じます。
- 他者について何かを言及する際、その人が属するグループやカテゴリーの一般的な特徴に言及するような表現をあまり使いたがりません。
貴族主義
- 他の人々や自分自身を、その人が属していると見なしたグループやカテゴリーによって認識し、言及する傾向があります。この場合のグループやカテゴリーは、社会的に定義された既存のグループ・カテゴリーというより、むしろ彼ら自身が作り出し、定義したオリジナルのグループやカテゴリーである場合があります。
- 他者に対する最初の態度は、その人が属すると思われるグループやカテゴリーに対する態度に影響されます。
- 同じグループやカテゴリーに属する人々には共通の資質があると考え、その資質によってそのグループやカテゴリーを定義する傾向があります。
- グループやカテゴリーの一般的な特徴から他人を捉える傾向があります。
典型的な特徴(拡張版)
2003 年のレーニンの特徴の研究から取得。
民主主義
- 主に個人の資質によって自分自身を認識し、区別しています。他の人を認識する際も同様に、他者の個人的な資質(その人とどれだけ親密か、興味深いか、楽しいか、不快か、その人の知性やアイデア、外見に惹かれるか否か、趣味嗜好はどうかなど)を通して認識します。個人主義はソシオニクスの民主主義に固有のものだと言えます(「私は私である」)。
- 民主主義タイプは、相手の個人的特徴(押しの強さ、知性、個人的業績など)を基にして、その人への態度を形成します。彼らは個人の資質に着目して、特定の個人の優位性を判断します。他者との関係は、相手が属しているグループやカテゴリーの種類や、グループやカテゴリーのメンバーたちとの関係性とは無関係に構築されます。
- 民主主義は、自分と付き合う人を、特定のグループやカテゴリーの一般的性質を備えた代表としては認識しません。
- 民主主義は、特定の個人について言及する際、「グループやカテゴリーの特徴」を一般化した表現を避ける傾向があります(例えば「〇〇タイプの人って…」などの表現を避ける)。
貴族主義
- グループやカテゴリーを通して自分自身を認識し、定義することが多いです。この場合のグループやカテゴリーは、専門的、理論的なグループ・カテゴリーや、年齢、国籍、住所、何階に住んでいるか等、ありとあらゆる基準に基づいている可能性があります。例えば「私は典型的な〇〇です」「この人の出身は〇〇で…」などの発言は貴族主義タイプらしい発言です。集合主義は貴族主義に固有のものだと言えます。
- 相手が属するグループに対する態度の影響を受けて、その人自身への態度も形成されます。貴族主義タイプにとって、二つの対立するグループに同時に所属するということは理解しがたい事です。「あなたは私たちの仲間なのですか?それとも彼らの仲間であり、私たちの敵なのですか?」
- 貴族主義タイプは、自分の「人脈の輪」の特定の特徴を区別し、そこに見られる「特異性」を認識します [1]。
- 会話中、「グループ」「典型的な〇〇」「我々の」「あの人たちは皆そんな感じだ」等の表現を頻繁に使います。
注釈
- 簡単に言えば、民主主義/貴族主義の本質は、集団としての「我々」(貴族主義)、あるいは個人としての「私」(民主主義)のどちらが優位であるか、およびそれに対応する価値観だと言えます。
- 貴族はより社会的な存在であり、民主主義者は個人主義的な存在である、と言うことができます。ただし、これは社会と個人のどちらを重視するかという意味ではありません。
- 社会心理学の観点から見た場合、新しい人物の認識において、貴族主義タイプは民主主義タイプよりも社会的認知のメカニズム(心理学用語としての「帰属 [2] 」と「ハロー/オーラ効果」)が強く働いています。「帰属」の程度は行動の独自性と社会的条件付けに依存しています。「ハロー/オーラ効果」は、新しく接する人の情報をほとんど持っていない際にあらわれる心理効果のことです。これらはいずれもステレオタイプ化(ステレオタイプによる認識・認知)プロセスの一部です
仮説
貴族主義
NF型は、多数派に内在するある種の累積的な特徴をまとめたり、総括して新しいグループ(「郊外の住人」、「新世代のゴールキーパーの典型的な代表」)を作ります。
ST型は、NF型がまとめたグループを、強力な論理に従って動くグループに変換します。また、その論理に従って人々の関係性を整理します。
民主主義
民主主義タイプの認識では、グループというものは共通の利害、プロジェクト、アイデア(NT型の場合)、相互の感情や共感(SF型の場合)に基づいて集まった個人から生じるものです。
また民主主義タイプの認識では、グループは社会的ヒエラルキーを形成するための基礎にはなりません [3]。
ありがちな誤解
ヒエラルキーとステータス(地位)は、構造の論理(Ti)に固有のものだとしばしば説明されることがありますが、筆者らの観察によれば、これは全くの誤解です。
アルファ・クアドラのTiタイプは、形式的な要件には準拠しますが、新しい地位に従って身の回りの様々なものを再構築し始めたりすることはないでしょう。こういった行動は、貴族主義であるベータ・クアドラ、特にST型に見られる行動です。
この誤解のせいでソシオニクスの解釈に混乱が生じていることがあります。観察してみると、他の貴族主義タイプにもこうした「ステータスゲーム」をする傾向が少なくないことがわかります。EIEは相手に「ディレクターである自分との関係を要求」しますし、IEEは「自分より地位の高い人とは付き合えない」と考えたりします。
人を「私のもの」と「私のものではない」に分ける傾向は、貴族主義に起因すると言われることがしばしばありますが、実際には、これは民主主義タイプも含め、Fiを重視するタイプに見られる傾向です。
この概念を拡大解釈すると、ここでの「私の」とは「自分と親密な関係を形成している人」「純粋に愛着を感じる人」「身近な親しい人」を意味していると考えられます。
貴族主義タイプであり、かつFiを重視するタイプでもあるIEEやEIIの場合、愛着と集団への帰属が同義になります。IEEやEIIにとっての「私のもの」と「私のものではない」は、「彼らのグループのメンバー」と「自分とは無縁な人たちのグループのメンバー」を意味します。
「私的な呼び方」と「公的な呼び方」の切り替えは、この二分法の表れという観点から見た場合、必ずしも重要ではありません(ロシア語やその他いくつかの言語では、人の呼び方に公的な形式の呼び方と、そうではない呼び方の両方が存在する場合があります)。
例えば会社では「〇〇部長」と呼び、プライベートな場で「〇〇さん」と呼ぶ、あるいは(自分の母親が学校の先生で、しかも自分のクラスの担任である場合に)学校では「先生」と呼び、家では「お母さん」と呼ぶといった切り替えは、エチケットや行動規範の観点から行われていることです。
このように、二分法とは無関係に、その場のエチケットや行動規範から呼び方を切り替えることは一般的に行われていることです。大切なのは、その人が「私的な呼び方」「公的な呼び方」のどちらをより多くしているかという表面的な話ではなく、「なぜその呼び方をしているのか」という理由の部分です。
具体例
民主主義
- 「私は、その人の社会的所属や、その他の社会的『マーク』には興味ありません」
- 「誰がどのグループやカテゴリーに属しているのかをハッキリさせることには、あまり興味がありません。一人の人間が一個の単位なのです」
- 「その人自身がどうなのかが重要です」
- 「誰かと接する時、その人が男か女かなんて気にしていません」
- 「何をもって『集団に属している』と言えるのかは、私にとって難しいことです」
- 「私は私です。私自身について話すとき、私以外のなにか(グループやカテゴリー)が主語になることはありません」
- 「グループがあること自体は認識していますが、私にとってグループとはゲームにすぎないものです(現実には存在しない、見せかけのものです)」
貴族主義
- 「どのグループに属するのかという点から人を認識します。全ての人をカテゴライズします(「良い母親」「魅力的な人」など)」
- 「相手がどのグループに属しているのかわかっていると、心強いです。そのほうが相手の情報を理解しやすくなります」
- 「私は人の職能に基づいて人を分類しています。この際、まず最初に着目するのは、その人がどのような社会的、経済的階層に属しているかという点です。その次に着目するのは、その人がプロかどうか、振舞い方、個人の資質です」
- 「彼は典型的な翻訳家です」
- 「最近新しい秘書を雇ったのですが、この人、仕事が下手なんですよね。秘書でこういうタイプの人ってあまりいないと思うんですが。出身地のせいでしょうか。あ、誤解しないでください、私は貴族主義タイプではありません」
- 「私にとっては何の意味もないものですが、庶民には必要なものなんだと思います」
- 「君は確かに友人ですが、『私の友人』はマクドナルドのトイレットペーパーを盗んだりはしません!」
クアドラと3つの二分法
「クアドラの精神」または「クアドラの価値観」は、3つのクアドラ属性 [4] で表現可能です。
1930年の歌に「たゆまぬ闘争と労働の中で、子供たちのように歌い、笑いましょう」というものがありますが、これはベータ・クアドラによって作曲された歌です。「クアドラの価値観」からではなく、二分法「主観主義」「果敢」という属性が見られるという点から、この歌の作者がベータ・クアドラであると推測できます。アルファ、ベータ、ガンマ、デルタのうち、主観主義/客観主義が「主観主義」、賢明/果敢が「果敢」となるのはベータ・クアドラだけです。
追加の解説と注釈(エニアグラムのso(ソーシャル)との混同について)
ソシオニクスの貴族主義/民主主義という二分法の一部の特性と、エニアグラムの本能のサブタイプの一部の特性間にはかなりの重複があるため、両者の性質が混同されることが多いです。
エニアグラムの本能のサブタイプにおける「so(ソーシャル)」の特徴と、レーニン二分法における貴族主義の特徴には類似性があります。以下はEnneagram Instituteによるソーシャル優位の説明の例です。
エニアグラムのso(ソーシャル)は、他者との相互作用や集団的活動への参加によって、自分の価値を実感したり、敬意を得ることに焦点をあてています。この相互作用や集団的活動には、仕事、家庭、趣味、クラブなど、何らかの共通した目的を果たす中で他者と交流できる場が含まれます。(中略)しかし彼らの心の中には、他にも様々な暗黙の命令や要求が存在します。その中でも最も重要なものは「階層的社会構造における『居場所』の理解」です。
つまりエニアグラムのso(ソーシャル)とは、「社会的・文化的生活圏、社会的規範や習慣、社会的地位や階層をより強く意識し、集団生活に参加しようとする傾向」と関連していると説明できるかもしれません。そしてこの傾向がソシオニクスの貴族主義の特性だと誤って解釈される恐れがあります(特にsp/soやsx/soなどといったsoが二番目にくるサブタイプの場合、社会的領域がしばしば創造的探求の場となります)。
それとは逆にsoが盲点であるsp/sxやsx/spは、社会的領域に対する意識が低く、集団活動や集団的テーマへの関心が低く、より大きな社会的孤立性を示し、社会的規範や慣習を無視または拒否することさえあります。そしてこうした特性を、「ソシオニクスの民主主義の特性である」と簡単に誤解してしまう人もいます。
◆◆◆
ソシオニクスの貴族主義/民主主義と、エニアグラムのso(ソーシャル)特性の違いの明確な説明は、今のところ存在しません。したがって、タイピングの際には貴族主義/民主主義という二分法を使用しないほうがいいでしょう。
例
貴族主義的な特徴(人を集団の中の特定の位置に置く傾向、特定の個人の性質をより広いカテゴリーのものとして一般化する傾向、人間関係の明示的な規定)が表れていると考えられる発言例。- EII:「謙虚さを持ち、自分の立場をわきまえること。これはいつ何時でも大切なことです(私の場合はたまたま立場が一番上ですが)。下の者を支えることを忘れてはいけません。もし下の者がくじけたら、あなたが一番上に立つピラミッドはなくなるでしょう」… 階層的帰属(「自分の立場」)
- EII:「何も知らないんだな、自分の立場をわきまえろ」… 階層的帰属(「自分の立場」)
- EII:「少なくとも自分に非があることを認めることで、あなたは自分自身と他者のために奉仕できたはずです。私と言い争いをしている間、あなたにはそのための良識が欠けていました」… 明示的/公的な関係性の規定
SLE-IEI(双対関係):
SLE「何があったか知らない癖に、変な決めつけをしないでくれ。あの女の子が俺を無視するようになったのは、俺がわざと『嫌なやつ』として振舞ったからだ。何度も言ったけど、あの子のそばが自分の居場所だなんて思ったことはないよ。たぶんあの子もそう思ったはずさ。双対はお互いに嫉妬しやすいんだよな。お願いだから俺の彼女としての立場に自信を持ってくれ」IEI「立場というなら、あなたはもっと自分の立場をわきまえて振舞うべきだったのでは?『あの子もそう思ったはず』と言うけど、その子の彼氏という立場ですらない男に、『彼女は誰と付き合っているか、いないか』という話をする権利なんてないし、『嫌なこと』をして何かを懲らしめるなんて権利もないと思うんだけど?双対がどうとか関係なく。そもそも『彼氏という立場でない』という部分も疑わしいけど。もうちょっと男らしくなったらどうなの?」
◆◆◆
Stratievskayaによる「貴族主義」クアドラとの関係の部分引用
- あるILI(民主主義)が、何かのタスクや活動をIEEに頼んで休暇に出かけたとします。そして帰ってきたら、何もかも台無しになっていて、手の施しようがないような状況に陥っていたとします。ILIとしてはIEEに作業を頼んだつもりだったかもしれませんが、IEEは頼みごとに合意したつもりはなかったのです。もしここでILIがIEEに問い詰めても、IEEは「私はあなたのための仕事をするために、自分を雇ったわけではありません」と答えるだけでしょう。
- さらに、この一連のやり取りには民主主義と貴族主義の相互作用があることがわかります。IEEはILIの「しもべ」や「使いっぱしり」のような立場に立たされることを嫌います。そうなりそうな可能性を感じただけで、IEEはイライラします。だから、IEEはどんなことであっても、ILIからの要求(間接的なお願いから明確な命令まで)には応じようとしません。IEEがILIをサポートする場合、状況を問わずIEEは自分を「知識人」「経験豊富なプロフェッショナル」「価値あるアドバイスを与える助言者」としての立場、つまりILIよりも優位な立場に立ちながらサポートしようとします。
- というのも、LIE(民主主義)は、無意識のうちに双対であるESI(民主主義)の民主主義的な倫理(即時かつ効果的な支援を提供すること)を志向しています。その一方で、LIEは準双対であるEIIの貴族主義的な倫理(儀礼的な倫理)を理解し、対処することには難があります。EIIは、不満を感じたり、気分を害した際、不愛想になったり無関心さを見せたりすることがありますが、LIEはすぐに「どうしてこんな些細なことでEIIは腹を立てるのだろう」と頭を抱えることになります。
「私(EII)は、女性に対する彼(ILI)の態度が嫌だと感じました。彼女は女性を甘やかすことも、美しい誉め言葉をかけることもなく、つまるところ女性を偶像化することはありませんでした。彼は確かに親切で気配りのできる人ではありました。彼が私のことを悪く言っているのを聞いたことはありません。しかし私のことを良く言っていることも聞いたことはありません。彼はそういう人だったのです。彼は私に『愛している』と言ったことはありませんし、『寂しい』とさえいったことはありませんでした」
この点には、EIIの貴族主義的で儀礼を重視する関係性の倫理(Fi)が表れています。こうした倫理は、ILIが属するガンマ・クアドラの、民主主義的で儀礼に縛られない関係性の倫理(Fi)とは一致しません。このことからわかるように、各クアドラにはそれぞれ固有の倫理規定が存在します。
理論的特性
貴族主義は、モデルAの同じブロックに論理的情報要素(Ti,Te)と感覚的情報要素(Se, Si)を持っています [5]。これについて下記のような解釈が可能です。
- 貴族主義にとって、物質的な資産とは、システム化され、自動化されたものです。
- 貴族主義にとって、社会システムや生産活動といった概念は、具体的に存在するものです。
- 貴族主義にとって、アイデアとは人々や社会的関係のために存在するものです。
- 人や人間関係を評価する際は、パーソナリティやポテンシャルという観点から評価します。
民主主義は、モデルAの同じブロックに倫理的情報要素(Fi,Fe)と感覚的情報要素(Se, Si)を持っています [6]。これについて下記のような解釈が可能です。
- 民主主義にとって、物質的な資産とは、人々や社会的関係のために存在するものです。
- 民主主義にとって、社会システムや生産活動といった概念は、仮想的に存在するものでしかありません。
- 民主主義にとって、アイデアやビジョンとは、技術やシステムのために存在するものです。
- 人や人間関係を評価する際は、その人や人間関係の快適さという観点や、その人(または人間関係)から何が得られるのか、どんな利点があるのかという観点から評価します。
◆◆◆
ソシオニクスの最初の開発者であるオーシュラは、この二分法をモデルAの観点から分析するにあたって、全ての情報要素をブロック単位で分類し、それぞれのブロックに特有の特徴を与え、それを二分法全体の特徴に拡張しました(例えばTiSe、FeNiなどを貴族主義に、SeFi、TeNiなどを民主主義にといった具合です)。
これらは、この二分法の最も一般的な定義や、以下の「典型的な特徴」の項であげるたような、グループに焦点を当てる傾向とその傾向の欠如に明確に関連しているわけではありません。
◆◆◆
【集団思考】に関する、貴族主義/民主主義の特性の説明として、次のようなものが考えられます。
貴族主義的な論理的推論とは、複数の個人を観察して得られた特徴(Se)を、論理的に構造化したもの(Ti)であり、論理的な「点のつながり」を人々に当てはめたものだと言えます。
純粋に論理的なTiの視点を、Seの認識と目標に適応している場合、「ある個人が、ある集団に属している」と認識した際に、「その集団の特徴であることがすでにわかっている特徴」を「その個人が持つ特徴」として仮定するのは完全に理にかなっていることだと感じます。
例えば、「ある会社のある部署に所属する人が、これまでの経験上(Se)使い物にならない人ばかり」だったとします。この際、論理(Ti)によって、非人格的に「ある会社のある部署の特徴」が「使い物にならない」であると結論付け、それをもとに、「ある会社のある部署に所属する別の人」にまで「使い物にならない」という特徴を適応するのはSeTiの視点から見た場合、理にかなったことです。
原始社会や無法状態の戦争・紛争という条件下で「どうにかして生き残る」ために何が必要かという点から見た場合、こうしたSeTi的な推論は非常に有用だといえます。なぜなら実際に自分が攻撃されるよりも早い段階で、「自分の敵は誰か」を推定できるからです。
これに対して、民主主義の推論は、ケース・バイ・ケースの観察(Se)、つまり、ある瞬間にたまたま交流している個人(Fi)に焦点が当てられています。
Fiに焦点を当てることは、「論理的な構造を作り出すこと」ではなく「個々の人々との安定した関係を形成すること」に繋がります。
そして「安定した関係の形成」という観点から考える場合、「その人の観察から得られた現実(Se)が、より広い集団の論理構造(Ti)に適合するかどうか」を考察する意味はありません(また、そのような傾向が見られません)。
注意点として、上記の説明はSeTiが「尊重する機能」側に配置されているベータ・クアドラの場合は明白ですが、「控えめな機能」側に配置されているデルタ・クアドラの場合、あまり明白には見られないかもしれません [7]。
デルタ・クアドラの場合、SeTiよりNeFiから見た方がわかりやすいかもしれません。
デルタ・クアドラは、「他者とのつながり(Fi)」によって「人の潜在能力(Ne)」を実現しようとします。そしてこれが「価値ある生産的な目標に向けたグループの形成」というデルタ・クアドラの特徴につながります [8]。
訳注
- ^ 自分と同じ仕事をしている人を指して「この仕事やってる人って、字が汚い人ばっかだよね、私も人のこと言えないけど」という発言は貴族主義タイプ的だと思われる。グループに共通する特異性として「字が汚い」という特徴があると認識している。
- ^ 用語の意味はwikipedia「帰属」のページ参照。
- ^ 民主主義の場合、本人の能力や成果の多寡、あるいは個々の人々の間で生じる感情に基づいて個人の優劣(優位性)が決まる。
- ^ 貴族主義/民主主義、主観主義/客観主義、賢明/果敢の三つの二分法のこと。
- ^ 自我ブロック、超自我ブロック、超イドブロック、イドブロックのどこかに、SeTiかSiTeがあるという意味。
- ^ 自我ブロック、超自我ブロック、超イドブロック、イドブロックのどこかに、SeFiかSiFeがあるという意味。
- ^ 同じことが民主主義クアドラにもいえる。SeFiが「尊重する機能」側に配置されているガンマ・クアドラの場合は明白でも、「控えめな機能」側に配置されているアルファ・クアドラではあまり明白には見られない可能性がある。
- ^ 逆にNeTiを「尊重する機能」に持つアルファ・クアドラの場合、「グループを作ること」ではなく「論理的な構造を作り出すこと(Ti)」、例えば技術やシステムによって「人や物事の潜在能力や可能性(Ne)」を実現しようとする。