カリナウスカスの輪
Grigory Reininは、現在のソシオニクスで一般的なモデルAではなく、カリナウスカスの輪というモデルを使用している。そのため機能の配置がモデルAとは異なっている。
機能 #1 – 主観的倫理(Fi)
第1機能は自信の領域です。そしてここに主観的倫理(Fi)が配置されているESIにとって、Fi、すなわち「何か・または誰かに対するその人の態度(好き嫌いなどの気持ち)」は自信を感じる領域にあります。
ESIにとって、外的な人間関係はあまり自分にとって「関係ないもの」であり、「どうなっていようと、全く気にならない」ことも多いです [1]。
しかし、ESI自身の他の人々に対する態度(他の人のことをどう感じているか)は、人間関係そのものよりも遥かに重要です。そしてESIの抱く、この内面的な感覚はかなり安定しています [2]。
一度ESIが他の誰かについて「いい感情」を持った場合、それを変えるには大きな要因が必要になります。まして「悪い感情」を変えるのは、さらに困難です。
他のタイプの場合、こういう感情の変化は非常に簡単に起るかもしれません。今日は好きだったとしても、明日には嫌いになっているかもしれないのです。
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ESIの第1機能を言葉で説明するのは難しい事です。確かにESIは何らかの態度を持っています。そしてその態度が意識的に生まれているものであるという状況があることも間違いありません。態度を変えることは出来ますが、その領域は言葉では言い表せないほど非常に奥が深いものです。
他の人々や外界に対する個人的な態度のこの領域は強く感じられますが、言語化できるほど認識できるわけではありません。この領域では、絶え間なく何かが起こり続けています。
機能 #-1 – 客観的倫理(Fe)
ESIはオブザーバーです。パーティでは、ほとんど静かに、注意深く観察をしています。
しかしパーティでダンスするのは好きです。彼らは楽しんでダンスしますが、これはESIにとってダンスというものが人とのコミュニケーションにも、対人関係にも関係ないものだからです。
ESIは、他の人々の関係性を全く見ていない可能性があります。そのため急に大きな問題が発生することもあります。こんな時、他の人々はESIに対して言いたいことを山ほど抱えていることでしょう。
一体どうしたのかと聞いて初めて、実はESIがダンス中に、すでに10回も同じ「親指」を踏みつけていたことが明らかになったりするのです。
第-1機能は無視の領域であり、ここにESIの場合、対外関係に関わるFeが配置されています。そのため、彼らは本当に「気が付いていない」のです。親指を踏みつけたのが故意ではないことを説明するのは、おそらく非常に難しいでしょう。なぜなら他のタイプの人々は、それぞれのタイプ固有のやり方で「ESIが自分の親指を執拗に何度も踏みつけた」ことを解釈するからです。
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無視の領域というのは、とても興味深いものです。なぜなら、そこで予想外のトラブルが発生しやすいからです。
例えばある人が自分に素直な生き方をしていたとして、もう一人がそれに我慢して、我慢して、我慢し続けた末に、何かくだらない出来事がキッカケとなって、それまで溜め込んでいた感情が大爆発してしまうことがあります。
こういうトラブルが家族間で発生してしまうと、ソシオニクスもあまり役に立たなくなってしまうでしょう。もちろん後からの振り返りには役立つでしょうが。なぜなら爆発の瞬間には、タイプが剥き出しになっているからです。
機能 #2 – 客観的感覚(Se)
ESIはとても上品に服を着こなすことが出来るタイプです。フランスのファッションモデル、ブリジット・バルドーの名が、このESIというタイプの一般的なラベルとして使用されていたこともあります。
どういうわけか筆者は男性のESIより女性のESIによく出会ってきました。
ESIはかなり女性的なタイプであるといっても過言ではないのかもしれませんが、ソシオニクスには純粋な女性タイプ、あるいは男性タイプというものは存在しません。
ESIは常に独自のファッションスタイルを持っています。それは必ずしも流行のファッションと一致しているとは限りません。
例えば高級服飾店で購入した高価な帽子でさえ、自分が納得のいく修正を施すまでは、決してかぶろうとしないかもしれません。
ESIが服を選び、それを実際に身にまとうまでの間には、たくさんのアクションがあります。何かしら気に入らなければ、もうそれに触ることもないかもしれません。
この領域は、非常に曖昧で繊細な領域です。ESIは自分に合うもの・合わないもの、美しいもの・美しくないものを完全に感じ取っています。服飾を購入するのであれば、自分に見合ったものでなければなりません。
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フォームや見た目、アクション、動き方、踊り方。
どう見えているか、どう動くべきか。ESIにとっての創造性とは、「他の人にはできないことを、自分の手で行う能力」に集約されます。
ところで、ESIに限らず全ての人々が、自分のタイプ(第2機能)に応じた形の創造性を持っています。そしてこの創造性は人それぞれが持つ良識の範囲を超えることはありません。
ESIは社会に上手く適した人々です。彼らは社会に逆らう人ではありません。このタイプは、社会に異議を唱えたり、意図して法律を破ったりはしません。
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このタイプの人々は、お金の使い方が上手です。「The Financier」、「The Titan」、「The Stoic」などの小説を思い出してみてください。
お金が全くない時は、まったく焦らず、落ち着いてそれ相応の行動をとることができます。
第2機能はリスクを積極的に取ることが出来る領域です。お金がない生活は誰にとっても辛いものですが、世の中には、お金が無くても大丈夫な人とそうでない人がいます。そしてLSIとESIは前者にあたるタイプです。
機能 #-2 – 主観的感覚(Si)
第-2機能は、その人が持つ規範に関わる領域です。
ESIの健康に対する姿勢は規範的です。つまり、病気になったら医者に行き、医者の指示に従います。病気にかかったからといってパニックになったり、無暗に怖がったりはしないという「病気にかかった人の一般的な(平均的な、つまり規範的な)態度」を取ります。
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食の好みや性生活も保守的です。
ESIは「医者の指示は守るべきだ。守るかどうかは自己責任の問題だ」という考えを持っています。
機能 #3 – 主観的直観(Ni)
第3機能は、タイプそれぞれに特徴的な問題にかかわる領域です。ESIの場合ここにNiが配置されます。したがってこのタイプの人々の問題は、内的状況の整合性 [3]に関わっています。
「私の内的状況は、常に完全で、安定していて、守られていなければなりません」
これがESIの原則になります。ESIにとって、自分の心の平穏は重要な問題です。
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ESIは、たとえ物質的(金銭的)には赤字になることであっても、あるいは社会的に評価されないことであっても、自分の内的状況の安定性が確保されるような社会的ニッチを見つけ出そうとします。
別のタイプ、例えばLSIの場合、一種の厳格な構造への渇望としてNiが現れます。LIIにとっては外部状況が常に定義されているため、内部状況は常に全体的な性質を帯びています。
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ESIの場合はもっと複雑です。ESIは、自身の内なる調律を通して、外界の調和を繊細に感じ取っています。この内なる調律は、外で起こっていることと同調していなければなりません。したがってESIが自分の内なる調律と同調する世界を、自分で構築することは非常に困難です。
彼らに必要なのは、世界をありのままに受け入れることができる状態を探し出して、そこに行くことです。しかし外界はESIの内なる旋律と長く共鳴し続けることはなく、絶えずESIの心の中の世界を乱し続けます。ESI、EII、EIEは、全てのタイプの中で最も内的状況の整合性を揺るがされやすいタイプです。
機能 #-3 –客観的直観(Ne)
第-3機能は、人が第3機能の問題に直面した時の問題解決の仕方を左右する機能です。ESIの場合、第3機能の問題(内的状況の整合性の問題)を感じた場合、自分の内面のバランスを取り戻すために、外的な状況を整理する必要性を感じます [4]。
現在の外的な状況をそのまま受け入れても、内なる平穏が訪れるとは限りません。時には外的状況に適応するために、自分から働きかけて新しい条件を作り出すことが必要です。
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もし本当に問題がある場合、ESIはしぶしぶ外的状況に介入し、それを変えることで、外的状況の整合性を回復しようと試みます。長い時間をかけてゆっくりと、躊躇いながら、少しずつやっていこうとします。
機能 #4 – 客観的論理(Te)
説明ではなく、知識、事実からの暗示を受けやすいです。
「本当のことを教えてください」
ESIは「その人なりの理解の説明」を必要だとは考えていません。
「何も説明する必要はありません。ありのままの情報を教えてください。私はあなたがどう理解しているかを知りたいのではなく、実際にどうなのかを知りたいのです」
ESIは実際の出来事と、信頼できる事実に焦点を合わせています。
このタイプの人に暗示的な影響を与える場合に必要なのは、何かしらの客観データか、具体的な物だけです。
ESIに必要なのは「明日、劇場に行きましょう。チケットはこれです」という言葉だけです。どんな監督がいて、誰が演じているのか、彼らが何を演じているのかは必要ありません。明日劇場に行くという事実と、チケットという具体的な物、これさえあればESIは観劇の誘いに乗ることでしょう。
ESIは、人々が一般的に受け入れられている秩序に従って行動することを期待しています。そして人々がある種の個人的な関係を利用して秩序を破ろうとすると腹を立てます。
一般的に第4機能は、その人にとっての「良いと感じる場所」を規定しますが、ESIが「良い場所」だと感じる場所は、「起こっている出来事の真偽を確かめることが可能な場所」です。
機能 #-4 – 主観的論理 (Ti)
この第-4機能は、タイプそれぞれの恐れを司る領域です。そしてESIの場合、ここに自分なりの理解(Ti)が配置されています。したがってこのタイプの人々は、何かに対して自分なりの理解を持つことへの恐れを持っています。
ESIの説明は短すぎて、わかりにくく感じられることがしばしばあります。
このタイプの人にとっては、物事についての自分なりの理解を説明するよりも、事実だけを提示するほうがずっと簡単なことです。彼らはいつも、そうした説明をしなければならない状況を避けようとします。
「すでにここにあるもの・目で見ることができるもののことを、わざわざ説明する必要があるのでしょうか。私は事実を知りたいだけです。そして自分なりの理解を説明する必要性など感じません」
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世の中には、「人によって理解の仕方が違う。だからあなたの理解の仕方を知りたい」と思って人に説明を求める人もいるでしょう。しかしESIはそういうことは思いません。ESIにとって、それは特に欲しいとは思わない情報です。
その人なりの理解という意味での説明を聞いても、ESIはそれを真実だとは感じません。仮にその説明が、どれほど論理的で、完璧に筋が通っているものだったとしてもです。彼らにとっては、誰によってどのように提示された情報かという部分は重要ではありません。重要なのは事実です。
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ESIは、自分の理解した内容を説明したり、物事について自分なりに考えたりすることを嫌うタイプだと言えます。
有名人
- セオドア・ドライサー
- リチャード・ニクソン
- ナンシー・レーガン
- レオナルド・ディ・カプリオ(wikisocionより)
- トム・クルーズ(wikisocionより)
- エリザベス2世(wikisocionより)
訳注
- ^ これは第-1機能である無視の領域に、Grigory Reininの定義でのFe(=外的な人間関係)が配置されていることからくる特徴である。なお、一般的なソシオニクスではむしろ「人と人の関係性(自分と誰かの関係性も、誰かと誰かの関係性の両方)はFeではなくFiに含まれる情報要素である。Grigory Reininの情報要素の定義は特殊なので注意が必要である。関連記事「情報要素」「情報要素(by A. Augusta)」A. Augustaとは、ソシオニクスの最初の開発者の名前である。
- ^ カリナウスカスの輪モデルにおいて、第1機能は自信があり、保守的で、不変性が高いとされる。
- ^ Grigory Reininの定義では、Niは内的状況の整合性に関わる情報要素だとされる。内的状況の整合性とは、言い換えると自分の内面(心の中)が調和的で平穏であることを意味する。レーニンの情報要素の定義は一般的なソシオニクスの定義とは大きく異なるので注意が必要。
- ^ Grigory Reininの定義では、外的状況の整合性はNeに関わる情報要素だとされる。外的状況の整合性とは、「自分が想定している通りに外部の物事がかみ合って進行している状態」を意味する。「外的な状況を整理する」とは「自分の周囲で起こっている出来事に働きかけて、自分の想定通りに物事が進むよう調整すること」を意味する。