カリナウスカスの輪
Grigory Reininは、現在のソシオニクスで一般的なモデルAではなく、カリナウスカスの輪というモデルを使用している。そのため機能の配置がモデルAとは異なっている。
機能 #1 – 客観的論理(Te)
これは自信の領域です。
LSEの場合、3番目の機能との組み合わせで、どことなく衒学的でドライな人に見えてしまいます。
EIEやEIIと比べると、外に向けた感情表現がずっと乏しいです。
このタイプの人は静的な性格のように見えることがありますが、もしも登場人物のタイプも俳優のタイプもLSEという映画を作った場合は、驚くような印象を受けるかもしれません。まるで演技をする必要がないかのように、俳優が自分自身を演じ、自然体で空間を満たすのです [1]。
別のタイプの説明でも述べたことですが、優れた監督は、俳優を選ぶとき、その役のタイプに対応する人物に絞ることが多いです。例えば映画監督であるタチアナ・リオズノワが、スティルリッツ [2] 役にヴャチェスラフ・チーホノフ [3] を選んだ時のようにです。
LSEは、優れたリーダー、組織人、管理者になることができます。たとえ軍に所属したことはなくても、その軍人らしい風貌や立ち居振る舞いですぐに見分けることができます。
スーツにネクタイといった格好が最もLSEらしい格好ですが、このタイプの人は、ジーンズにジャンパーでも、きちんとした印象を人に与えます。
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ソシオニクスの客観的論理(Te)には「自分のテリトリー」も含まれます。
LSEは、干渉こそしませんが、自分の家族がどこにいて、何をしているのかを把握したがります。臨床的に言えば、強迫症的な傾向があると言えるでしょう。
常に正確な情報を把握していたいと感じます。新しい事実が発生した場合、それについて考えるための時間とさらなる情報を求めます。
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このタイプの人は、まず最初に「いいえ」と言ってから、客観的なデータ探しをします。
彼らは、自分の世界観で決められた通りに物事を進めることに慣れ切っています。一度、自分の中で一定の秩序を受け入れたら、それを厳格に守っていこうとします。
もしもこのタイプの人に別の方法を提案する場合は、その方法の具体的な道筋だけでなく、なぜその方法に変えたほうが良いのかがわかるような、信頼できる資料(事実の裏付けのある資料)を示す必要があります。
第1機能には保守的な性質があります。ここには「自分の世界は安定している」「自分の領域は安定している」という意味があります。「世界はすでに秩序を保っています。この秩序は決して変わるべきではないことを知らなければなりません」という世界観の元で働いています。
第1機能に客観的論理(Te)を持つLSEは、人に「説明してください」とは言いません。「私にそれを示してください」と言うだけです。
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エネルギーや時間に対する他人の非合理的な態度を、このタイプの人々は痛みを伴うほどネガティブに受け止めます。LSEにとって、行動の費用対効果は欠かすことが出来ない観点です。そうでなければ、スティルリッツの言葉を借りれば、費用対効果のない行動など「宇宙のごみ」でしかありません。
現実のこの側面 [4]をこれほど鋭敏に知覚するタイプは他にありません。すでに書いた通り、LSEは「私に説明してください」とは決して言いません。もし何かを言うのであれば、「示してください」ということでしょう。
「どんな方法を使ったのですか?これを裏付ける統計データはありますか?この事実はどこに反映されていますか?あなたはどこで教育を受けましたか?あなたはどこかに登録 [5] されていますか?どこにも登録されていないとして、そんなあなたの意見にはどんな価値があるのですか?あなたは誰ですか?あなたに心理学について話す権限を与えたのは誰ですか?あなたは心理学者ですか?」
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LSEはこの先も信頼し続けることが出来るだけの正確なデータを求めています。これは彼らの遺伝子に刻み付けられたレベルのニーズです。
全てが信頼できるものでなければなりません。
「誰がこれを正しいと言ったんですか?」
「学者がそう言いました」
「うん、それならいいです」
彼らは、それがただの素人の思い付きではないことを確かめたいのです。彼らが求めているのは素人の妄想ではなく、社会的に認められた権威です。さらにいえば、その情報が「権威のある出版物に印刷されていること」を求めています。
機能 #-1 – 主観的論理(Ti)
これは無視の領域です。そしてここにTiが配置されるLSEには、仮説や概念に不信感を抱きやすいという性質があります。
「一体どこからその説明が出てきたんだ?データをくれ、グラフをくれ、証拠をくれ。それさえもらえば、君が何かを説明する必要はない」
「君の考えはどうでもいい。実際に何があったのか教えてくれ。信頼できる情報と事実が必要だ。そしてそれは『考え』ではない」
と言うかもしれません。
シャーロック・ホームズ(LSE)が犯罪捜査に演繹的手法、つまり事実を分析し、比較する方法を用いた背景には、こうした性質があります。
機能 #2 – 主観的感覚(Si)
LSEは、感覚の絶え間ない変化を楽しみます。様々な食べ物を試したり、新しい飲み物を味わうのが好きです。
病気の対処法に詳しく、実際にその知識を活用して対処したり、その情報を他の人々に説明し、伝えることもできます。
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第2機能は創造性の機能ですが、一般的にあらゆる創造性は、第3機能の素材を使用して、第2機能が実現します。LSEの場合、これは時間に対する感覚、調和に対する感覚、状況に対する感覚として表れることになります。
「春の十七の瞬間」の一節「スティルリッツは20分間眠り、ベルリンへ向かった」というのを覚えているでしょうか。このタイプの人々は、時間に対する感覚が優れており、この分野では非常に特殊な能力をもっています。
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例えばニコライ・コズイレフ博士(ロシアの物理学者、LSE)は、時間の物理的性質のアイデアを科学に導入しました。このように世界を認識できるタイプが他にあるでしょうか。科学会の大多数はこの説に否定的です。あまりにも一般的な物理学の時間の考え方から掛け離れているからです。LSEは時間も空間もどちらも物理的なものとして捉えています。
機能 #-2 – 客観的感覚(Se)
筆者が知る限り、このタイプの人々は十分に身だしなみには気を配っていますが、それが最大の関心事というわけではありません。
SLEの服装は非常にきちんとしています。常に周囲に合わせた服装を選びます。仕事中はいつもきちんと制服を着ています。もしもヴェルサーチェのスーツを着ることとなっている場所で仕事をするのであれば、彼らもヴェルサーチェのスーツを着るでしょうし、ワークオーバーオールを着ることになっていればワークオーバーオールを着ることでしょう。
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LSEにとって、贅沢は「してはいけない」領域の範疇にあります。
LSEの行動や言動は、原則として「一般的に受け入れられている規範」に沿っています。保守的な性格で、いつも通りのルート(同じ通勤経路、同じ行動の連続)にこだわろうとします。
しかしその一方で、物質的な面では非常にダイナミックなところもあります。LSEにとっての「お金」は、物質の感覚であると同時に、物質の論理でもあります。
彼らはいつも必要な分だけ、きっちりお金を持っています。お金の出入りは全て管理されており、隅々まで把握できている状態が保たれています。もしも今お金が手元になくても、「いつお金が入ってくるのか」を、しっかり見通しています。
ここで、他のタイプとLSEを比べてみましょう。例えばESEを考えてみてほしいのですが、彼らは明らかにLSEと違うことがわかります。ESEはお金に対する恐怖感が全くありません。それに対してLSEは、普段からお金の流れをすべて把握しています。
機能 #3 – 客観的直観(Ne)
映画「春の十七の瞬間」には「5:17には情報を振り返り、16:32には…」といった具合で、LSEの第3機能が非常によく表現されています。このタイプの人々は時間を明確に把握しています。
第3機能は自分を評価するための原理として働きます。この評価は、「私は良い」か「私は悪い」のどちらかです。人はこの第3機能からエネルギーを得ています。そのため第3機能は正の強化と負の強化のどちらかとしての作用をします。
LSEは、いわゆる「お役所」的なタイプではないため、決して物事を先延ばしにはしません。今、問題が解決できるのであれば、すぐに解決してしまいます。
LSEにとって「あなたは時間を無駄にしている」という批判は、「あなたは悪い人間だ」と言われているのと同じことです。他人に時間の無駄を指摘することはありますが、自分が時間を無駄にしていると指摘をされると、気分を害してしまいます。
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例えばSEEとは違い、LSEは外的状況の完全性 [6] を求めます。LSEは同時にいくつものことをするのは苦手なので [7]、無意識のうちに優先順位をつけて、全てが滞りなく進められるよう、タスクを一列に並べかえて整理しようとします。
しかし、いつも現実の理想化(言い換えると「一列に並べかえること」)ができるとは限りません。むしろ世界はそれを望んでいません。現実には、時間の流れが異なる空間が常に多数並存しています。
LSEは理想と現実のギャップから、常に緊張を強いられることになります。そして、その緊張を緩和するために、彼らは自分の時間と多大な内的努力を支払わなければならない運命を課せられています。
機能 #-3 –主観的直観(Ni)
LSEの場合、問題解決は「状態の変化・感覚の変化」を通じて起こります。
しかし彼らは前向きに変化を引き起こそうとはしません。こうした変化はLSE本人にとっては不本意なものです。また、その変化が外部に現れることはほとんどありません。
このタイプの人々が自分の中の基準をあえて変化させることは、さらに稀なことです。
機能 #4 – 主観的倫理(Fi)
これは暗示機能とも呼ばれます。そして主観的倫理は、何か・あるいは誰かに対する自分の態度 [8]の領域です。
これがLSEの基本原則です。LSEにとって、自分の意見や態度を形成するのは難しいことです [9]。
客観的なデータ、印刷物、あるいは新聞の記事くらいは、彼らの助けになるかもしれません。とにかく彼らは何かに頼らないと、自分の態度を形成できないのです。
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監督がLSEで、秘書がSEEという組み合わせの場合、秘書であるはずのSEEの意見を、監督であるはずのLSEが取り入れるということが往々にして起こります。これは決して珍しいことではありません。そのうち、どちらが監督なのかわからなくなってきます。
彼らは、何事であれ、すぐには自分の態度を決められないところがあります。LSE相手の場合、「あなたは私のことが好き?」と聞くよりも「あなたは私のことが好きなんです」と言うほうが効果的です。LSEは他の人から「自分は誰が好きなのか」を教えてもらう必要があるからです。
こうしたことは、現象や出来事、専門家に対する態度でも見られます。
「君は科学博士号は持ってるのか?専門分野は?書籍があるなら見せてみろ!なんで手書きなんだ!書籍なら信用できる!」
自分の態度を自分で形成できないからこそ、彼らは客観的で信頼できる資料を参考にしなければならないのです。
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LSEにとっての良い場所とは、評判の良い場所であり、他の人、つまり大多数が「良い」と判断した場所です。
このような視野の狭い考え方が、LSEを非常に保守的な人にしています。
機能 #-4 – 客観的倫理 (Fe)
第-4機能は恐怖の領域です。ここにFeが配置されるLSEの場合、これは対外関係への恐怖を意味します。
LSEは孤独に悩まされないタイプです。彼らにとって孤独は正常な状態です。ILEやESEが求めているような関係性を、LSEは求めていません。
友人やチームの中で、LSEはオブザーバー的な立ち位置にいることが、よくあります。時にはオブザーバーどころか部外者であったり、巻き込まれただけの人であることもあります。
暴力的な感情を向けられると、心が乱れてしまいます。時には反発したり、怯えてしまうこともあります。
有名人
- スティルリッツ(ユリアン・セミョーノフの小説「春の十七の瞬間」の登場人物。映画化、ドラマ化もされている)
- ヴャチェスラフ・チーホノフ(スティルリッツ役の俳優)
- コナン・ドイル
- シャーロック・ホームズ(コナン・ドイルの小説「シャーロック・ホームズ」の登場人物)
- ロナルド・レーガン
- コルネイ・チュコフスキー
- アリョーシャ・カラマーゾフ(フョードル・ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の登場人物)
- マーガレット・サッチャー(wikisocionより)
- ショーン・コネリー(wikisocionより)
- ブルース・ウィリス(wikisocionより)
- メアリー・ポピンズ(P・L・トラヴァースの小説の登場人物)(wikisocionより)
訳注
- ^ この記事の著者グリゴリー・レーニンは演劇研究所に勤めていた影響で、話の途中で演劇に絡めた話になる癖がある。関連記事「ソシオニクス EIE(ENFj)by Grigory Reinin」
- ^ LSEは、スティルリッツというニックネームがついているタイプ。「春の十七の瞬間」というスパイ作品に登場する主人公。
- ^ ヴャチェスラフ・チーホノフのタイプは、本記事の著者グリゴリー・レーニンの見立てではLSE。
- ^ Teの側面。
- ^ 「医師会や学会などといった専門機関のメンバーか」とか「なにか資格を持っているのか」という意味。
- ^ 全ての物事がきちんと滞りなく進んでいること。
- ^ LSEは二分法「プロセス」に分類されるタイプであるため、マルチタスクがあまり得意ではない。
- ^ 人や物事のことが好きか、嫌いか、という意味での態度。
- ^ LIEは、好き嫌いに関してLSEと同様の困難を抱えている。