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二分法の合理性と非合理性の正しい理解について by Trehov and Tsypin

2022年7月24日日曜日

Trehov and Tsypin ソシオニクス 二分法

ソシオニクスにおける合理性と非合理性

構造ソシオニクス学派のA. TrehovとP. Tsypinによる説明。

定義と混乱のレビュー


合理型と非合理型の大きな違いは、前者が過去の経験、そして未来がもたらす変化に対する志向を持つという点です。[7, p.46]

合理型にとって、まとまった計画は「道」のようなものです。計画を立てることで、驚きを恐れずに、未来に向かうことができます。合理型にとって計画とは「目標に導く不可欠な道具として機能するもの」なので、望ましいものです。 [7, p.46]

非合理型にとって計画は「檻」であり、刻々と変化する出来事の流れに柔軟に適合することを邪魔する「厄介な障害物」です。 [7, p.47]


これは、かなり奇妙な考え方だと筆者らは考えています。

まず、合理性 / 非合理性という二分法が、過去や未来への志向とどのように結びついているのかが不明だからです。

ソシオニクスの時間という要因は、「時間の直観 Ni」に関係するものです。そのため、直観型は「時間に関する情報」を志向しています。非合理的直観型は(合理的直観型と同様に)過去から続く伝統や、その「変化」に敏感ですが、合理的感知型は通常、過去の経験(これは完全に直観的要素である)との関連からは離れて、「瞬間的状況」を考慮します。

さらに、過去の経験や伝統への理解を頼りに、習慣や惰性に従って行動する傾向があるのは「非合理的直観型」です。こういった性質はILIに最も明確に表れています。


計画という言葉は、「押しつけられた他人の計画(上司や家族の計画)」と、「自分の計画」の2つに分けられます。前者の計画は、どのようなタイプの人にとっても「楽しいもの」ではありません。そして自分で「創った」行動計画は、誰でも持っているものです


また、「計画の厳密さ」と、「その実行のためにどれだけの選択肢が用意されているか」の2つに分けて考えることもできます。

非合理型の計画は、通常、多くの選択肢とバリエーションがあり、経営理論の「目標の木」を連想させるものです。合理型の計画は通常、「硬直的で固定的な作業方法」と、より密接に結びついたものです。

非合理型にとって「計画とは一種の障害になるもの」なのかというと、そんなことはありません。計画とは将来のための自然な行動プログラムであり、どんな人でも、その発達段階にかかわらず、望むと望まざるとにかかわらず、何らかの計画を立てているものです


さらに、計画文化という「現象」もあります。

多くの人は、子供の頃から淡々とこの文化を教え込まれ、後にそれが必要になったとき、(タイプとは関係無く)「計画があると、生活・仕事・社交がしやすくなる」ことに気付きます。


最後に、LIE、EIE、その他の合理型には、将来に対する明確な計画を持っていない人が非常に多く見受けられます。この手のタイプの特に発達度の低い人々は、何にも縛られず、具体的な考えも持っていないため、当然ながら何をやってもスムーズに事が運ぶことはほとんどありません。

計画的に行動できず、約束を守れないことは、人格的・知的発達上の大きな課題ですが、ソシオニクスのタイプとは関係ありません


◆◆◆


非合理性とは、世界に対する知覚の統合性と連続性のことです。非合理性が認識する世界は連続的で、波のようなものです。非合理性に基づいて情報を知覚する際、精神的機能は拡散的に働きます。非合理性とは「隣接する」概念が、因果関係のないリンクで確率的に結ばれることによる、判断の連想的構築だと言えます。[5, page 186]

合理性とは、世界に対する知覚を分割したり、組織化する性質を意味します。合理性による個々の組織化、分割化は、離散的で結果的な性格を帯びています。因果関係の法則に基づいて、先行する思考から後続の思考へと思考が続く際の判断構築が線形的であるという特徴があります。[5, page 187]


この定義は不当で差別的です。これでは非合理性の人は周囲の現実の中にある因果関係を認識できないことになってしまいます。

実際には、因果関係の理解は誰にでも可能なことであり、それをどの程度「知的活動」に活用できるかというは、タイプではなく個人の知的発達度の問題です。頭の悪い人(典型的な合理主義者にも、もちろんこういう人がいます!)は、たとえ明白な因果関係であっても「自分が信じ込んでいること」に反している場合、それを認識しない傾向があります。逆に、高い知的発達に至っていない未就学児であっても(もっというと、この子供が非合理型であったとしても)、シンプルな因果関係を認識し、それを踏まえて非常に自由に行動します。

また、「判断の連想的構築」は誰にでもあることです。すべての人が知的作業の中で何らかの連想を行っており、しかもその連想は合理的な情報代謝タイプの人と、非合理的な情報代謝タイプの人とで、ほとんど同じになることがあります。


◆◆◆


合理型は、現実の直接的な認識から、やや距離を置いています。

彼らと世界との間にはある種の心理的距離があり、それによって彼らは熟考し、評価し、事前に決定し、目標を設定し、行動計画を立て、行動を道徳、倫理、共感と反感などといった特定の基準に従属させることができます。

彼らが計画したことはすべて、一貫して終わりを迎えます。もし自分の計画を実行するのを妨げるような状況になれば、彼らは狼狽し、不安になり、不満を感じることでしょう。さらに、ある活動から別の活動に切り替えたいと思っても、何か見えない力が働いて、それを許さないかのように切り替えることができず、同じことに「固執」してしまうということさえ起こります。


非合理型は、すぐにイベントの流れに組み込まれるため、常に「流れの中」にいます。彼らの行動は、それまでに採用した意図よりも、「状況の偶発性」に左右されます。

外見上、彼らの行動は予測不可能で可変的です(この可変性は、世界の変わりやすさの影響を直接受けます)。非合理型の人は、仕上げもせずに、あることを放棄して他のことに手を出すことがあります。


多くの場合、この2つのタイプの精神は、正反対の形で現れます。ここで、重要な特徴をいくつか挙げてみることにします。

  • 合理型は、計画的に行動し、危険を冒すことを嫌います。それに対して非合理型はランダムな行動をし、一瞬の出来事に翻弄され、危険な活動でも、それが自分にとってどうなるかをあまり気にせず行動できます。

  • 合理型は不確実な状態を嫌います。なぜなら、そういった状況では事前に何かを予見し計画することは不可能だからです。一方、非合理型にとっては不確実な状態のほうが「デフォルトな状態」であり、逆に「過度に組織化された」生活は憂鬱で疲れるものです。[6、pp.54-55]


まず、評価や査定、行動や活動の計画、目標の設定などは、合理的な情報代謝タイプの人も非合理的な情報代謝タイプの人も、同じように行うことができます。しかも後述するように、最も明確な、あるいは不変の目標を持つのは、合理型ではなく、むしろ非合理型です。計画を立てる人はみな(おおよそのものであっても)、その計画が実現することを期待しています。自分の計画が失敗することを期待したり願ったりする人はいません(最も「非合理的な」非合理型でもです)。


さらに、「非合理型は、一つのことをやり遂げる前に、それを『ほったらかし』にして他の活動に没頭する」という説明に同意することはできません。

なぜ、非合理的なタイプの人たちは皆、あらゆることに気まぐれで、信頼できないと言われることがあるのでしょうか。

実は、非合理的なタイプの人は、ある活動や事業が可能性(Ne)や適時性(Ni)を失った場合、一時的、または永久的に「脇に置く」ことができます。そして、そうした行動には意図性や予測性がないのは確かです。こうやって「見捨てられた事柄」のすべて(またはほとんどすべて)は経済用語で明確に説明できるものだと思われます。


非合理型が無謀にリスクを取るという説明がどこから出てきたのかはサッパリ理解できません。彼らは、慎重に行動しようとするとされている合理型よりも愚か者なのでしょうか。この説明は非常に疑わしいです。

合理型であるEIE、ESE、LIEの発達度がそれほど高くない人の中には、いわゆる「やる気」だけで猪突猛進して危険を冒してしまう、本当に無謀な人がいます。

逆に、非合理型であるSEI、SLI、ILIの人々の多くは、その行動において非常に注意深く、予防的でさえあります。彼らの行動は、しばしば綿密に(そして全面的に)考え抜かれています。


最後に、不確実な状態に対してどの程度深刻に感じるかというのは、直観/感覚の二分法で左右されると我々は考えています。

具体性に引きつけられる感覚型よりも、直観型のほうが不確実性に寛容です(これについては「直観 / 感覚の正しい理解」の記事に詳しく記載しております)。


◆◆◆


人間の神経系のダイナミズムは、「合理 / 非合理」という尺度で決まります。

非合理型は、よりダイナミックな神経系を持っています。彼らは浮き沈みの激しいリズムを刻んで生きています。非合理型のパフォーマンスは、その時々の気分に大きく左右されます。気分が落ち込んでいる時は生産性が急激に落ち、一生懸命働く気になれません。しかし気分が高揚している時には、強みが何倍にもなります。落ち込んでいた時の遅れを取り戻して、大きく前進できます。

行動においても、臨機応変に行動パターンを変えます。途中で軌道修正し、必要なら逆の行動パターンにも簡単に切り替えます。実験と即興なしではやっていけない人です。興味が頻繁に変わるほうです。それにあわせて取り組んでいる物事も常に切り替わり続けます。


合理型は、硬直していて不活性な神経系を持っています。仕事のパフォーマンスは安定しており、激しい浮き沈みは見られません。もちろん気分は変化しますが、気分よりも外的要因の影響を受けるタイプであるため、パフォーマンスが極端に変動することはありません。必要であれば安定したリズムを保ち、平均的な生産性を十分長い期間に渡って維持することができます。

行動とパートナーシップにおいて、合理型は信頼性が高く、一貫しています。状況が変化した場合であっても、すでに具体的な行動計画が動き出している場合は、調整するのに苦労します。ある活動から別の活動への頻繁な切り替えは、彼らにとっては迷惑なことです。最初の興味が失われても、一度始めたことは終わらせたがります。終わってから初めて次の活動に切り替えます [4, p.18]


神経系の働きとソシオニクス的特性の間のいかなる相関関係も、明らかに突飛なものです。

神経系は、人間の情報処理や思考の動機づけの特徴を規定するものではありません。神経系の「ダイナミックさ」は、個人の特性であり、情報代謝タイプに影響を与えることはありません。

合理型、例えばLIEは、日々ある情報のシーケンスから次の情報のシーケンスへと非常に素早く注意を切り替えますが、多くの非合理型、例えばILIやSLIは(神経系の反応という意味で)「鈍い」人々です。「非合理型の方が神経系が柔軟である」ということはありません。神経反応の速さや多様性は、タイプとは無関係なものなのです。

情報代謝タイプとは人間の心の情報処理を洞察するものであり、行動特性は情報処理の直接的な結果ではないため、情報代謝タイプまたはその集団のいかなる行動特性も「常に条件付き」です。


気分の変化について:外的要因の影響で気分が変化するというのは、主に外界の現実によって動機づけられる外向型に起こることです。合理性 / 非合理性とはほとんど関係がありません。また、第1機能がFeである合理型の場合、活動やパフォーマンスレベルは気分で左右されます(また、少なくとも周囲の人には、まるで彼らの気分でランダムに変化しているようにも見えます)。

合理型は信頼性が高いという部分は、あからさまで不当な差別です。非合理型は「病的に」信頼できないというのでしょうか。良心、信頼、誠実さといった資質はソシオニクスのタイプに紐付いた要因ではありません。どのような情報代謝タイプの人でも、他人を失望させたり、約束を破ることはありますし、あるいはその逆に自分が信頼に値する人間であると証明することもできます。こういった信頼性や良心などと言った物事は、ソシオニクスのタイプではなく「人それぞれの素養」に依存しているのだと留意しなければなりません。

現代のビジネスではスピードと効率が求められるため、ビジネスをする全ての人にとって「切り替え」という力が必要になります。もちろん非合理型の方が切り替えは簡単に行えますが、合理型も全く同じように切り替えができます


◆◆◆


合理型は、検証された行動方針に従って、常に慎重に考えて行動し、やるべきこと全てを正確に、かつ的確に処理することが出来ます。未解決の問題の存在は合理型にとって深刻な障害になります。そのため彼らは各事業を慎重に検討します。未解決のまま疑問が放置されることもありません。

「軌道修正は難しい」と感じるほうです。当初の計画通りに事が運んでいない場合であっても、惰性で古い計画を続けることが多いです。このせいで彼らはいつも何かと問題を抱えています。このタイプの人は、秩序と規律を重んじるシステムの中で働くほうが楽だと感じるほうです。[8, p.24-25]


非合理型は、即興で、インスピレーションに従って行動します。創造的に状況に適応し、瞬間に依存しています。交流の場では、他の人々の情報を詳しく探る前にまず接触し、どんな状況であっても「侵入」してしまいます。

衝動性と矛盾は非合理型の特徴です。このタイプの人々は「義務がないこと」を好みます。自分の感情と情熱に従える時だけ効果的に行動します。いつも始めた物事を完了できるとは限りません。なぜなら好奇心の赴くままに、新しいプロジェクトやビジネスに取り組むのが大好きだからです。[8, p.25]


筆者らの考えでは、「全て」「どんな状況であっても」という言葉をソシオニクスで使用すること自体、受け入れられません。なぜなら人の情報代謝タイプが文字通り、かつ全面的に表れると言うことは滅多になく、全ての人のソシオニクスの特性は相対的で推測的なものだからです。


合理型、特に外向合理型の場合、「無謀な行動」をとることがあります。そして知的に発達した非合理型は、通常「一貫性」を持って行動します。偶然に頼るのは「未熟で恐れ知らずの人」だけです。この点について、ソシオニクスのタイプは何の関係もありません。

実際にはLSIやESIが行き当たりばったりな行動を取ることはあります。つまり合理性、内向性、または感覚という性質は、「行き当たりばったり」という性質を減じるものではないということです。


言うまでもないことですが、「矛盾」を非合理性に帰することは絶対に馬鹿げています。人はタイプに関わらず最適な行動を見つけ出すことが出来ます。これは人それぞれに固有の最適解でありながら、極めて効果的なものです。


仕事を完了させるかどうかという問題は、二分法「プロセス / 結果」と関係があります。結果タイプ(別名「左」タイプ)の非合理型は、プロセスタイプ(別名「右」タイプ)の合理型よりも「仕事を早く終わらせる傾向」が強いです。


最後に、好奇心はソシオニクスの特徴ではなく個人の資質です。


私たちの立場

1. すべての合理的な情報代謝タイプは、モデルAの受容チャンネル [1]に合理的なアスペクト(側面)が位置し、非合理的な情報代謝タイプは、これらのチャンネルに非合理的な側面が位置しています。

合理的な側面、特にTeは「行動の方法論」を表し、非合理的な側面、特にNeは「行動の目的」を表します

その結果として、合理型にとって「方法は不変」なのに対して「目的は際限なく操作される」ことになります。一方、非合理型の場合「目的は不変」であり、「聖なる」ものでさえありますが、「方法は可変」であり、操作の対象となります。


例:
コンドラチイ・ルイレーエフ [2]は明らかに非合理型ですが、彼は尋問中、ニコライ2世に対して「デカブリストのとった方法は良くはなかったかもしれないが、我々の目標は高貴だった!」と陳述しています。

イグナチオ・デ・ロヨラ [3]は、「目的は手段を正当化する」というスローガンを掲げていましたが、彼は典型的な非合理型のような思想を持っていました。非合理型はモデルAの構造的に見て、生成機能 [4] 側に方法論的な側面 [5]があるため、一般的に「使用する方法には無頓着」です。

では、合理型の目的を形成するものは何なのでしょうか。それは彼らの採用した方法の勝利です!スターリン [6] の場合、ボリシェヴィキの勝利であり、ヒットラー(EIE)の場合、国家社会主義の勝利であり、レフ・トロツキー(EIE)の場合、永続革命論の勝利です。


比較として非合理型を挙げてみましょう。

レーニン(SLE):特定の国における社会主義国家の建設(その体系的基盤)。

チャーチル(SLE、またはおそらくILE):第二次世界大戦の観点から、英国の相対的な防衛体制を構築すること。

フルシチョフ(SEI):1980年までに共産主義を確立すること。

ゴルバチョフ(SEE):農産物プログラムの実施、「すべての家庭が、2000年までに独立した共同住宅を取得する」こと。


◆◆◆


非合理型の場合、明確で実現可能な目標自体はあっても、当分の間それを達成する方法がないという状況になるのはよくあることです。逆に合理型の場合、このような事態に陥ることは「まずない」といってもいいと思います。しかし合理型の場合は、「素晴らしい方法はあるが、当面(というより相当長い間)、それを適応する場所がない」という場合が多いです。

「目標志向である」というのは、合理型/ 非合理型のどちらか片方のタイプにだけ言えることではなく、全ての情報代謝タイプそれぞれが目標志向であるという点に注意すべきです。ただ合理型の掲げる目標と、非合理型の掲げる目標が異なっているだけです。


◆◆◆


1. これまでソシオニクスでは「非合理性とは直接的で非介在的な情報の認識であり、合理性は介在的な判断である」とされてきました。

モデルAの因果関係を見ると、すべての非合理型の情報代謝タイプにおいて、合理的要素は非合理的要素に機能的に依存しています。つまり非合理型の場合「自足的な知覚が主」で、判断は従となります。合理型の場合は逆です。知覚は判断に機能的に依存しており、判断が主となります。

合理型は最初に思考と努力をし、それから感じたり認識したりしますが、逆に非合理型はまず何かを経験し、それから頭の中でじっくり考えるのです。

合理型は、「知覚 [7]」に合わせて事前に自分自身をプログラムし、「ルール」を発明します。そして「あらかじめ考えたルール」に合わせて経験や知覚 [8]を調整します。非合理型は、まず最初に何かを知覚しようとします。それが出来てから初めて推測をしたり、それに対する説明を考えたり、結論を出したりします。

つまり一方が知覚を、他方が判断を指向しているということではなく、最初に知覚と判断のどちらが来るのが先かに違いがあるということです。


その結果として:

合理型の場合、過去の知覚を基に行った判断に介在された判断が主であり、知覚 [9]はこの判断に従属します。

非合理型の場合、無介在の知覚 [10]が、機能的に判断 [11] を事前定義します。


◆◆◆


3. この二分法に対する古くから続く誤解の一つは、合理型だけが計画を立て、非合理型は「気まぐれ」に生きている、つまり前もって何かを考えることはないと言ってしまっている点です。このクレイジーな結論がどこから出てきたのか我々は知りませんが、こうした説明が害であることは明白です(特に「タイピング」に深刻な悪影響を及ぼします)。


実際のところどうなのでしょうか。もちろん、あらゆる情報代謝タイプの人たちが計画を立てます。その違いは、状況に応じて計画を変更する可能性との関係にあります。

合理型は、たとえ状況が変わっても自分の計画を文字通り「実現」することを望みます。非合理型の場合、計画を立てる際に、その計画が変更されたり、意味がなくなるかもしれないことも同時に感じているため、状況が変わったら素早く方向転換して新しい計画を立てます。

非合理型は柔軟で臨機応変な計画を立て、合理型は堅牢で一方向的な計画を立てるとも言えるかもしれません。


合理型と非合理型では、計画の概念そのものが異なるという点は注目に値します。

合理型は、計画を立てることで、時間軸における行動の順序を方法論的に検証することを理解します。彼らは計画によって、方法論的に検証された時間的な行動のシーケンスを理解します。その一方で非合理型は、計画を重要な目標やゴールへのアプローチ方法として理解します。


例:
合理型の計画:「日曜日はまず記事を書くための資料選びをし、その後食事をして、さらにその後から文章を作成します。もし午前中に誰かから『話をしたい』と言われても、『ちょっと忙しい』と伝えて仕事を進めます」

非合理型の計画:「日曜日は記事を書こうと思います。記事を書くにあたって何をするのかははっきりしています。PCの前に座って、資料を見ながら文章を作成しなければなりません。この作業は1日で完了します。もしも誰かから電話がかかって来たり、突然会いたいと言われた場合、時間が許せば仕事は月曜日に回します。その場合、月曜日中に完成させます」


非合理型は簡単に計画を放棄するように見えるかもしれませんが、実際にはそうではありません。非合理型は「新しい活動(事前に計画していない種類の活動)」に注意を切り替えるとき、「古い活動」と「新しく現れた活動」の重要性を秤にかけて、どちらの優先順位が高いかを判断します。もし何か重要な活動を放棄して、重要ではない新しい活動をするように言われても、非合理型は「古い活動」をそのまま続行し続けます。

合理型は一般的に、やむを得ない事情なしに次から次へと物事を変えることを嫌います。しかし繰り返しになりますが、もし活動を切り替える必要性があれば、合理型は活動を止めて他のことに取りかかることができます(合理型にとっては不本意で、あまり喜びを感じないことではありますが)。


ランダムさと予測可能性について

よく「非合理型はランダムで、予測が出来ず、理性的な視点から見るとしばしば非合理的な行動を取るのに対して、合理型の行動は常に一貫性がある」と説明されがちです。

特に、V.Gulenkoは次のように書いています。


ソシオニクス的な意味での「合理的」とは、「考え抜かれており、予測可能で、意図的、体系的、分析的なもの」であり、「非合理的」とは、「無秩序でランダム性があり、統合的、合成的で無意識的なもの」だと言うことが出来ます。


この見方は「公平とは言えない」ように思えます。

まず、「ランダム」という用語を理解する必要があります。一体何を持って「ランダムである」とするのでしょうか。説明を読む限り、「現在の状況から直接的に導き出されない行動・言葉・思考」を指しているように見えます。しかしこの二分法の2つの極は、実際には対等な立場にあります。ただ「行動・言葉・思考の原因」が異なっているだけなのです。

合理型にとって、行動・言葉・思考と言うのは「判断の成果」です。そして非合理型にとっては「現実を直接認識した結果」です。そして問題は、片側からもう片側を見た場合、互いに動機を理解することが非常に難しいことです

例えば合理型からすると、非合理型が行う「突然の予定変更」は、「何の脈絡もない、ただの思い付き」にしか見えません。しかし実際には、非合理型は自分の行動を注意深く分析しています。彼らは変化する環境の中で、様々な行動の選択肢が持つ機会と見通しの評価をしています。

そして非合理型が他の非合理型を見た場合、互いに「何をしでかすか予想できない、突飛すぎる、気まぐれだ」と感じたりはしません。非合理型にとって「何をしでかすか予想できない」と感じるのは、むしろ合理型の方です。彼らからすると合理型は「急激に変化する感情的な評価に基づいて計画を変更してしまう、理解しがたい人物」に見えてしまいます。

したがって「予測可能性」および、それに関連するすべての概念は、当然ながら「相対的なもの」だと言えます。


◆◆◆


次に、合理性 / 非合理性の特性は、むしろ「レオスタット [12]」的です(G. Schulman [3] の用語)。特に4つの「合理性のグループ」が際立っています。


グループ1:「純粋な合理型」であり、合理性機能が強調されたサブタイプのグループです(例:Ti-LSE)[2] 。このグループは、精神活動と、(部分的な)行動の順序が厳格になる傾向があります。通俗的な意味で「合理的」である可能性が最も高いグループです。

グループ2:タイプ自体は「合理型」であり、なおかつ非合理性機能が強調されているサブタイプのグループです(例:Ni-EIE)。このグループの場合、サブタイプ気質が表現されます(例えばNe-EIIの場合、Neの気質、すなわち「柔軟・可逆的な気質」が表れ、Ni-EIEの場合、Niの気質、すなわち「受容的・適応的な気質」が表れます)。この場合、情報代謝の外的特性は「非合理的な方向」に大きく変化します。このグループの人々は、よく非合理型に間違えられます(そして自分自身を非合理型だと間違えます)。例えばNi-EIEがILIやIEIに間違えられるといったことが起こりがちです。

グループ3:タイプ自体は「非合理型」であり、なおかつ合理性機能が強調されているサブタイプのグループです(例:Fe-EIE)。このグループの場合、サブタイプの気質が表現されます(例えばTe-SLIの場合、Teの気質、すなわち「率直的・自己主張的な気質」が表れ、Ti-ILEの場合、Tiの気質、すなわち「バランス・安定的な気質」が表れます)。このグループの人々は、よく合理型に間違えられます(そして自分自身を合理型だと間違えます)。例えばFe-IEIがEIEやESEに間違えられるといったことが起こりがちです。

グループ4:「純粋な非合理型」であり、非合理性機能が強調されたサブタイプのグループです(例:Ni-ILI)。このグループの場合、実際にかなりランダムで他の人には予測がつかない行動をとる可能性があります。このグループの場合、通俗的な意味でも「非合理的」です。


おわりに

非合理性とは、目標や適切性の欠如ではなく、現実の認識における不可分性と統合されたアプローチのことです。合理性とは、ある考察から次の考察へと順次段階を踏んで思考することであり、「離散性」「位相性」に基づいて世界を認識することを意味します。

電気の配線で例えるなら、合理性の精神は「直列回路」、非合理性の精神は「並列回路」に似ています。


ソシオニクスの合理性 / 非合理性という二分法は、通俗的な意味での「合理的な人 / 非合理的な人」という概念とは何の関係もないものです。なぜなら通俗的な意味での「合理的」や「非合理的」というのは、「思考の生得的特性」を反映したものではなく、「特定の行動や振る舞いの有効性や効率性を、状況的に評価したもの」だからです。


定義:

合理性とは、判断が知覚を生み出すというプロセスを指しています。

非合理性とは、知覚が判断を生み出すというプロセスを指しています。


出典より、参考文献リスト:
  1. Gulenko V. V. Structural and Functional Socionics: Development of a method of combinatorics polarities. - K .: Transport of Ukraine, 1999. -CH.1.

  2. Menchov T. I., Tsypin P. E., Levin J. V. Secrets typing. - M .: Good Word 2004.

  3. Shulman G. A. Socion Model // Socionics, Mentology and Personality Psychology, 3, 1995.

  4. Meged V. V., Ovcharov A. A. Learn to manage people effectively. - Exactly: PPF “Volinski charms” 2000.

  5. Rumyantsev E. A. On the way to mutual understanding: socionics - teachers and parents. - M .: Armada-press, 2002.

  6. Filatova E. S. Socionics for all. Science communication, understanding and consent. - SPb .: B & K 1999.

  7. Udalova E. A. Lessons Socionics, or most importantly, what we have not been taught in school / E. A. Udalova, L. A. Beskova - M .: Astrel 2003.

  8. Ivanov Y. V. Business socionics. - M .: JSC “Business School”, “Intel-Synthesis”, 2001.


出典:


訳注

  1. ^ モデルAの第1,3,5,7機能のこと。
  2. ^ ロシア帝国時代に農奴廃止を掲げて反乱を起こしたデカブリスト(十二月党)の指導者。最後は処刑される。
  3. ^ イエズス会の創立者兼、初代総長。
  4. ^ 第2,4,6,8機能。
  5. ^ Teのこと。
  6. ^ スターリンはLSIだとされることが多い。
    参考:  
    ① https://www.socioniko.net/ru/celebr/stalin-antosh.html
    ② https://wikisocion.github.io/en/index.php@title=Joseph_Stalin.html
  7. ^ 過去に知覚した物事。
  8. ^ 新たに得る知覚。
  9. ^ 今後の知覚。
  10. ^ 過去の知覚を基に行った「判断」からの介在を受けない知覚。
  11. ^ 今後の判断。
  12. ^ 連続的に、あるいは断続的に抵抗値を変えることが出来る抵抗器のこと。


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