構造ソシオニクス学派のA. TrehovとP. Tsypinによる説明
定義と混乱のレビュー
内向型は受動的ですが、精神的なエネルギーの節約傾向と防衛的な志向を持っており、これがすでに存在するものの習熟と深化に繋がります。その控え目な性格から、外向型に比べるとリーダーシップを発揮することがほとんどありません(特に大きな集団の場合)[4, p.186 ]。
外向型は活動的ですが、精神的なエネルギーを消費する志向を持っており、これが伸長、拡大に繋がります。社会で見られるコミュニケーションリーダーや知的リーダーのほとんどは外向型であることがわかっています [4, p.188]。
私たちは、エネルギー交換プロセスを通じて、外向性/内向性という二分法の明確な記述を行うことに、根本的な異論はありません。内向性はエネルギーの保存に関連しており、外向性は高エネルギー消費に関連しているという点は同意見です。
しかし、外向性/内向性とリーダーシップを密接に関係づけている点は、混乱の原因になっていると言わざるを得ません。
人がリーダーになれるかどうかは、まず第一に本人の個人的な資質(例えば本人がリーダーになりたいと願っていたり、野心を持っているかどうか)、第二に社会的条件(状況によって外向型のリーダーが求められる場合もあれば、内向型のリーダーが求められる場合もあります)、そして第三に特殊なイベント(運がよかったり、誰かが体調を崩して辞めたおかげでリーダーのポストに空きが出来たりなど)の発生に依存しています。
社会的条件が内向的志向に有利に働く場合、(たとえ大きな集団であっても)内向タイプがリーダーになるケースは多いです。
例えばロベスピエール (Ti,Ne), ニコライ1世 (Ti,Se), アレクサンドル3世 (Fi,Se), スターリン (Ti,Se), フルシチョフ (Si,Fe), 毛沢東 (Fi,Se), ブレジネフ (Fi,Se), アンドロポフ (Ni,Te), プーチン (Ti,Se), ルカシェンコ (Ti,Se), などです。
知的リーダーシップについては、権力をめぐる激しい闘争がないため、この外向性/内向性という特性は重視されません。
例えば、過去数十年のロシア文化において最も権威ある人物(事実上のリーダー)の一人は、Fi-Neの「古典的」代表者である知識人D. S. リハチョフでした。現代ロシア映画界における最も輝かしいリーダーの一人はTi-Se のN. ミハルコフです。
- 自分の外側で起きていることを重視します。
- 自分の周りで起こること全てにオープンです。
- 自分の意見を周りの人の意見と関連付けます。
- 行動すること、イニシアチブをとることを好みます。
- 新しい人脈を広げやすく、新しい集団にすぐに馴染むことができます。
- 思ったことをすぐに口に出す傾向があります。
- 興味をもって新しい人と関わり、すぐに知り合いになれます。
- 人間関係がうまくいかなかった場合、簡単にその場を離れます。自分のやり方をするよう他人を変えようとはしません。
- よく危険を冒す傾向があります。
内向型
- 自分の感覚、考え、周囲の印象に重点を置きます。
- (自分を守るために)大量の新しい情報を遮断しようとします。
- たとえそれが自分にとって受け入れがたいものであっても、状況を変えるよりは、状況に適応しようとします。
- 物思いにふけり、沈黙し、外見上は落ち着いているように見えます。
- 交際関係は狭いです。
- 新しく誰かと人間関係を築くことはほとんどありません。
- 精神集中と沈黙に引き寄せられます。
- 突然の訪問を嫌い、自分から訪問することはありません。
- 一人のほうがうまく動けます。
上記の説明は極端すぎます。強引に様々な要素を外向性/内向性と結びつけてしまっているため、実態にそぐわないものになっています。
最も「外向的」な外向型でさえ、自分の周りのすべての人の意見に、誰彼構わず同調したりはしません。同調するのは自分にとって重要な意見を持つ人々に限られるはずです。権威性に欠ける意見だと考えて誰かの意見をはねのけたり、多数派の意見を参考にしないこともよくあることでしょう。
「行動するのが好き」という表現もおかしいです。もしそうなら内向的な人はいつも怠けているということなのでしょうか。行動するということは生きるということです。ということは、内向的な人は生きているのが嫌だというのでしょうか。
思ったことをすぐに口に出すという説明は馬鹿げています。自分の考えを口に出す前に、全くフィルターにかけないで思ったことを全部垂れ流しにする人など、ほとんどいないでしょう。
また、「人間関係がうまくいかなかった場合、簡単にその場を離れます」というのもおかしいです。人間関係の崩壊はどんな人にとっても苦痛です(その苦痛をどう表せばいいのかわからないことはありますが)。どんな別れも大なり小なり心の傷となります。人間関係を自己完結的に管理・演出する傾向のある外向倫理タイプですら、誰かが自分との連絡を一切絶った場合、心配したり動揺したりするものです。
Si-Feは沈黙を好むどころか日常的に社交的なタイプで、「おしゃべり」が好きです(他の内向倫理タイプも同様です)。
私たちの考えでは、「不意の訪問」が好きなことを、社会的な要因と見なすことはできません。これはその人の生い立ちや教育に関係しています。きちんとした躾を受けた人は、通常、不意に訪問したりはしません。実際ほとんどの外向的な人は、訪問の予定がはっきりわかっている状態のほうが快適に感じる一方で、いきなりドアベルが鳴ると不安になります。
人を大きく2つに分ける基本的な違いの1つが、「外向性」と「内向性」です。
これらは、人々の間の個々の心理的な違いの簡潔な特徴を含んでおり、外界の客体・イベントと、自分の主観的な世界のどちらを好むかという点で表現されます[2, p. 20]。
この定義は非常に正しいです。特に「どちらを好むか」(あるいは「どちらが優勢であるか」)という説明は的を射ています。
世界には絶対的なものはありませんが、人間の精神はなおさらそうです。内向的な人も外部のイベントに反応することはできます。なにも「内向型の人は、周囲の観察が『異常』なほど出来ない」というわけではありません。
ただし内向的な人にとってそのような観察は退屈なものであるのも確かです。そのため、重大で複雑な状況下で(ソシオニクス的に言うとモデルAのイドブロックが集中的に働き始める時)、必要な場合に外部のイベントの観察をします[6]。
外向型にとって最も重要なのは、客観的な外界、つまり実際の客体です。そして客体の特性は外向型にとっては副次的なものであるため、必要に応じて変更できます。
外向型は、自分が必要とされていたり、自分なしでは困難だと感じれば、労働条件の悪さには目もくれませんが、人からそれを強制されるのは嫌いです(それが高い目標のためであっても同じです)。
創造的な活動に従事するために、できるだけ早くルーチンワークを終わらせようとします。旅行や移動は外向型の要素です。自分自身でも驚くほど軽いフットワークで飛び立っていきます。
内向型の意識は内なる世界に向けられており、自分の魂の願望、感情、思考、経験をよく理解しています。新しい情報を大量に吸収するのは難しいです。外見上、内向型は穏やかで落ち着いた人という印象を与えます。物静かな雰囲気の人で、一人で行動する場合に最も上手く動けます。
内向型にとっては、客体自体よりも、客体同士の関係性の方が重要であり、それを変えることで望みの結果を得ようとします。
サプライズ、新しい出会い、突然の来客によってバランスを崩されてしまうことがあります。既存の関係を大切にしており、それを破壊することには抵抗があるほうです。人間関係を守るために自分自身や他人を変えることを好みます。交友関係は細く長いです。
義務感を抱いている時によく働きますが、責任を罰として認識するため、責任というものを好みません。[1、pp.18-19]。
まず第一に、どんなに外向型らしい外向型でさえ、多かれ少なかれ一人になれる時間を必要としています。「常に人に囲まれている」というのは完全に間違った説明です。
また、「必要」であるかどうかに関わらず、自分の労働条件に注意を払うのが普通です。そこには外向性/内向性の違いはありません。 厄介な同僚がいて、建物はオンボロで、しかも低賃金などという条件で働きたいと思う人は誰もいません。
「たくさんの友達がいる」と言い切れる人など誰もいないでしょう。真の友達とは非常に少ないものです。これは「外向的な人は内向的な人よりも人脈が広い」という意味かもしれませんが、これも外向性/内向性の診断として使用できるような、もっともらしい特徴とは言えません。
私たちの定義
外向性/内向性という二分法は、何が情報代謝の「トリガー」になるかを決定しています。
外向性の情報代謝のトリガーは外界のイベントであり、内向性のトリガーは自分の内面の変化です。これらをシグナルとして受け取った時、情報代謝のトリガーが引かれます。
外向型の思考のトリガー:外界の発展、変化
内向型の思考のトリガー:個々人の内面的な要因
客観性とリアリズム
C. G. ユングは、この二分法に関連して、人が持つ客観的、または主観的な判断や推測の傾向について考察しました。ユングは下記のように説明しています。
客観的状況やその要求に直接答える形で、考え、感じ、行動するという人は外向的だと言えます[8, p. 371]。
実際には、外向的な情報代謝タイプのメンタルリング [1]では、すべての内向的な側面 [2]は外向的な側面 [3]に機能的に依存しています(例えばSe > Fiのようになります)。外向型にとって現実そのものが主要・一次的なもの(外向的な側面で示される)であり、現実の主観的な反映は副次的・二次的なものです。
これに対して内向型は、自分の感覚に導かれ、それに対応するシグナルがあるときだけ現実と接触します。
G. A. シュルマンは、内向的な側面は現実の反映に、外向的な側面は現実そのものに関与していると考えています。
…アルファ・クアドラは現実の直観(Ne)に、ベータ・クアドラは現実の反映の内向性論理(Ti)に、そしてガンマ・クアドラは現実の感覚(Se)に対応しています。…デルタは感情の反映の機能である内向性倫理(Fi)に対応しています[10, p.93]。
例えばLIEの時間の概念、時間の使い方、イベントのダイナミズム [4] は、将来性のあるプロジェクト、ビジネスベンチャー、効率的な技術の有無に直接左右されます(Te)。こうしたものが見つかったら、そのための時間をとります。つまりLIEにとっての主要なものは論理的(または技術的)な現実 [5] です。
しかしILIは違います。このタイプの人々は(主観的な)時間の感覚によって導かれます。そして彼らがタイムリーであると感じる時だけ動きます(主要なものがNiであり、副次的なものがTe)。NiTeにとって主要なものは現実 [6] ではなく、主観的な時間の感覚 [7]です。
一般的に、内向的な人の先導的側面(第1機能の側面)と、外向的な人の(+/-の符号を考慮した)同じ機能の創造的側面(第2機能の側面)は、ある意味では異なるものです [8]。
後者の場合、創造的側面は常に現実に関する情報をもたらす先導的側面と密接に関連しているため、創造的(内向的)側面も現実性を獲得します [9]。
内向的な人の場合、先導的な側面は何にも依存しないため、どの内向タイプについても、モデルAの中で最も主観的(あるいは恣意的)な側面になります [10]。
LIIとLSIの場合 [11]、既存のシステムに関連付けられていない(または弱く関連付けられている)独自の論理システムが常に存在します。
SEIとSLIの場合 [12]、ファッション、見た目、セクシュアリティなどに関して感覚の独自表現(一般的なものとははっきり乖離している表現)が見られます。
ESIやEIIの場合 [13]、現在の社会常識とはかけ離れていることが多い独自の倫理観があることが多いです。
IEIとILIには [14]、時間に対する独自の認識、タイムリーであること、速度、ペース、時間的な消費に関する基準について独自のアイデアが見られます。
哲学的側面
ソシオニクスの研究テーマから離れて、記事の主題をより広く見ると、興味深い哲学的結論に達することができます。
外向性とは、C.G.ユングが考えていたように(上記の引用を参照)、内的印象や推論から生まれる情報よりも外的環境に関する情報を優先させるというものです。これを哲学的に言えば、個人の意識よりも既存の現実が優先されることに他なりません。これはカール・マルクスの「人間の社会的存在がその意識を規定する」という言葉を反映しています。マルクスは全ての人々、すなわち全ての情報代謝タイプにこの姿勢・方向性があると推測しました。
しかし内向的な人にとって、存在を決定するのは個人の意識です。外向的な人にとっては、現在の存在が現実であり(メンタルリングの外向的な側面が、現実を受け入れます)、内向的な人にとっては、現実に関する彼個人の考察が現実であるのです(個人の考察である内向的な側面を受け入れます)。
このように、外向性/内向性という二分法には哲学的な意味合いがあることは明らかです。そしてこれは外向タイプと内向タイプの間に横たわる、観念形態の大きな違いを示しています。
診断
この二分法を診断する場合、エネルギー交換の方向性や気質を利用すれば簡単です [3], [9]。外向性はエネルギーを消費する方向性を、内向性はエネルギーを節約する方向性を持っています。
診断時には、この特性に対するサブタイプの影響も考慮する必要があります[3]。
モデルAの左側が強調されたサブタイプ(接触・不活性サブタイプが不活性 [15])の外向型でタイプミスが発生することはあまりありません。多くの場合、こういう人々はサブタイプ由来の気質の影響が薄いため、典型的な外向型に見えます。
同様に典型的なのは、モデルAの左側(不活性)が強調された内向型です。ほとんどの場合、こうした人々は日常使われる「内向」という言葉のイメージ通りの内向型に見えます。
これとは逆に診断が困難になるのは、モデルAの右側(接触)が強調された外向型と内向型です。この場合、サブタイプの気質の影響が見られるため、典型的な外向型、内向型とはかなり違って見えます。
- 外向合理型 (EJ)(例:Ni-EIE)
- Ni (+Ip気質): 受容的・適応的 - 外向非合理型 (EP)(例:Ti-ILE)
- Ti (+Ij気質): バランス型・安定型 - 内向合理型 (IJ)(例:Ne-LII)
- Ne (+Ep気質): 柔軟・可逆的 - 内向非合理型 (IP)(例:Fe-IEI)
- Fe (+Ej気質): 率直的・自己主張的
こうしたサブタイプの気質は、タイプ診断中に判定者を混乱させることがよくあります。判定ミスを回避するためには、様々な社会心理学的条件下でのエネルギーダイナミクスを観察しなくてはなりません。
この二分法(および他の二分法)の診断方法は、[7]に示されています。
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訳注
訳者考察
いくつかの哲学(フッサールやソシュールなど)では、そもそもどんな人間であれ現実そのものをありのままに認識することは出来ない(主観的な何かに変換されて認識されている)とされる。この考えを持ち込むと、外界がトリガーになるか内界がトリガーになるかというのは不十分かもしれない(つきつめると全ての人間が内向型になってしまう)。ユングの外向感覚/内向感覚の説明の仕方の違いを踏まえると、他者と共通了解がとれる何かがトリガーになることを「外向性」、とれない何かがトリガーになることを「内向性」とでもいうべきか。