ソシオニクスの生みの親オーシュラの書籍「ソシオン」の翻訳です。今後、追加翻訳予定です。
序文
ソシオニクスは、カール・ユング、E. クレッチマー、A. E. リチコ、およびA. ケンピンスキーの類型論に基づく科学であり、人間の社会的性質や社会の構造に焦点を当てています。人間の認識や思考、社会の機能や進化の基盤には、物理学の法則が確実に存在していることを証明するこの科学は、厳密な論理と実証に裏打ちされています*。
*著者は、人文学者ですが「物理学」という言葉の下で厳格な因果関係(アリストテレス的論理)に基づくあらゆる正確な科学をここでは指しています。
本稿は、ソシオニクスにおける出発点となる前提条件、主要なカテゴリー、および概念について、読者にわかりやすく紹介しています。この仕事はまだ未完成の物です。本稿にはまだ多くの不正確さと矛盾が残っています。新しい対象に対する未熟さと、著者が特別なトレーニングを受けていないことから、手探りで進む必要があったためです。心理学や物理学の学位がなくてもユングの類型論に基づいて新しい視点を見つけることに支障はありませんが、その一方で、観察して得たものを記述したり、分類する際にはそのことが非常に問題にもなります。これが原因で、心理学や物理学用語の代わりに、特定の箇所で日常的な言葉を使用する必要がありました。対象が新規性を持っており、新しい概念や定義を導入する必要があったため、特に困難が生じました。
読者には、我々のいくつかの立場が純粋な理論に基づいて構築されたものに見えるかもしれません。さらに、完全には証明されていないため、まるで理論的な空想のように映るかもしれません。例えばなぜ世界にはちょうど8つの側面があるのか、なぜそれらがブロックで構成されているのか、なぜこれらの特定の側面の組み合わせのみがブロックになることができ、それ以外の側面はブロックにならないのかといった点がそうです。
そのため、我々は読者に対して次の点を説明する義務があると感じています。それは、我々は何も発明しておらず、ただユングの立場を深化させ、明確化するために努力してきたという点、そしてその過程でいくつかの立場がオリジナルのユングとは驚くほど異なる変化を遂げたという点です。
これは、特定の人々の思考方法を詳しく調べる過程で生じました。この過程で、まず第一に、ユングが指摘した世界の認識と適応の16種類の方法が実在することが確認されました。その後、各情報代謝タイプごとの「世界の理解と現実の事実に対する反応」を調査する中で、ユングが「第一機能」と呼んだものの具体的な内容を解読しました。観察された範囲では、各機能の具体的な内容とそれが反映する世界の側面について(完全にではありませんが)、理解することができたようです。異なる情報代謝タイプを持つ人々の機能の研究では、彼らが異なる状況でどのように機能するかを理解することができ、また、個々の情報要素やブロックなどの間に、関連性を見出すことができました。
つまり、この作業はただの理論遊びのように見えるかもしれませんが、「理論」は私たちが実際の観察で解読できたすべてを最も圧縮した方法で記述する手段に過ぎません。観察に基づかない純粋な理論遊びから生まれた理論は一切ありません。
もし誰かが本稿と異なる印象を受けた場合、それはILEである著者の思考方法の結果生じたものであり(これについては後で説明します)、観察対象者の具体的な生活を述べる能力の不足に起因するものです。具体的な事実が観察される一方で、これらの事実を記述する際には、一般的なパターンが紙に書き起こされることになります。
はじめに: 社会とソシオン
人の内界と外界を映し出す人間の脳は、個人だけでなく社会にも貢献しています。人が自分のニーズを満たすためには、周囲の現実について理解を深める必要があります。人は協力して社会貢献的な活動をしますが、個々人の実際の状況に対する理解は、限られた人々にしか共有されません。この現象のメカニズムは、我々の現在の理解によれば非常に単純です。現実の個々の側面は、様々な程度の分化と認識を伴って人間の脳に反映されます。個人が利用する側面は、比較的大まかに脳に反映され、イメージや経験、スキルとして記憶されます。それに対して社会に伝えられる情報の認識は精緻です。言葉で情報伝達する際には、それくらい高い精度の認識が必要です。
個人だけのニーズのために使われ、第一信号系 [1]のレベルに留まる情報の一部は、他の社会のメンバーの影響を受けている可能性があり、ある程度それが考慮されています。同じ情報であっても、社会の他のメンバーに伝えられる場合は、情報代謝タイプに応じて認識され、第二信号系 [2]のレベルへと変換されます。
人は社会に貢献するために協力しており、ひとりひとりの個人は社会の一部でもあります。そのため、一方では現実のいくつかの側面に関する情報を他者に伝え、もう一方では他者が発信した情報を受け取るということが行われます。この点に関しては後で詳しく説明します。今は、先ほど述べたことを実例を挙げながら説明したいと思います。
しばしば私たちを驚かせるのは、注意散漫な人たちが「何も覚えていない」「何も見ていなかった」と言いながら、それにもかかわらず、なぜか事故に巻き込まれずに済んでいるという事実です。このような現象が起きる理由は、彼らが具体的な周囲の世界に関する情報を、自身の実用に十分な程度だけ取得していても、他者に言葉で伝えられる程度の精緻さでは認識していないということを意味しています。だからこそ、彼らは気が散っているように見えるのです。
ある人々は、深く意識的に現実の抽象的な側面を認識し、軽々とそれを伝達します。別のある人々は、具体的な現実に関する情報を同じように軽々と理解する一方で、いわゆる「抽象的な側面」は、他ならぬ彼ら自身も上手に活用できているにも関わらず、なぜか意識の上では「見過ごされている」ということが起こります。前者は通常、抽象的思考(直観的思考)を持つ人々であり、後者は具体的思考(感覚的思考)を持つ人々です。
前者(直観的思考)はある種の思考の遅さによって区別されることは注目に値します。前者が何が何であるかを理解するには、さらに多くの情報が必要です。そのせいで、前者はぼんやりしている人、頭の回転が遅い人という印象を与えがちです。逆に後者(感覚的思考)は一見すると頭の回転が速い人に見えるかもしれません。前者は戦略家的であり、後者は戦術家的であると言えます。
抽象的思考(直観的思考)を持つ前者と、具体的思考(感覚的思考)を持つ後者は、どのような社会であっても同じくらい必要不可欠な存在です。人を生物としてみた場合、種の存続を目指して、同じような個体同士で協力する、独立した存在だといえます。しかし人を社会的存在としてみた場合、そのような独立性によって個体同士が区別される存在ではありません。
実際のところ、人の精神は情報を処理するために様々な方法を使用しています。この方法は全部で16種類ありますが、一人の人間が習得できる方法はこのうちの1種類だけです。そして16種類の方法全てがひとつのシステムを形成しており、そのおかげで人間は人間となり、現在われわれが「文化」と呼ぶもののすべてを築き上げることができたのです。情報処理の方法が1種類だけでは、生産性がありません。同じ情報代謝の方法を好む人ばかりが集まった社会集団は、そうでない集団よりも機能性が低く、人が生きていくうえで直面する最も簡単なはずの問題にさえ対処できなくなってしまいます。人という種の強さは、情報代謝の方法が16種類存在するという、その知性の多様性にあります。したがって個人の知性は社会的知性の1/16であるということになります。
では、16種類の方法の全てから形成された完全なひとつのシステムのことを何と呼ぶべきでしょうか。筆者らはこれを「ソシオン(社会)」と呼んでいます。ソシオンは人間社会の単位であり、人間の社会性の基礎であると考えることができます。しかし、ソシオンは、16種類の異なる知性の総体、または異なる種類の知性を備えた16人の人から形成されたグループを単に指すわけではありません。ソシオンは、彼らの相互作用の厳密な体系でもあります。言い換えれば、ソシオンには16種類の知性だけではなく、16種類の完全に異なる(しかしながら、知性の種類を16種類に分けることができるのと同様に、16種類に分類可能な)関係性があります。一貫性があり、規則性がある単一のシステムへと人々を結束するこのソシオンという概念は、人類のエネルギーの単位だとも言えます。
ソシオンを図で表わすと下記のようになります。まず16種類の情報代謝タイプが、1対1のペアを形成します(そして8種類のペアが生じます)。このペアの目的は、個人の生命活動の恒常性を維持することです。筆者が知る限り、人が自分の知性を十全に発揮するためには、このペア [3]の存在が必要不可欠です。次に8種類のペアは、2つのエネルギーリングに分割されます [4]。このリングは、4種類のペアから構成されています。情報は一方向にのみ流れ、あるタイプから別のタイプへと伝達されます。さらにその次に、片方のリングにおける情報の流れ方と、もう片方のリングにおける情報の流れ方は逆方向です。この方向性が異なる2つのリングは「誘導的」な関係性があります:1つのリングの情報の流れがもう片方のリングにエネルギーを供給し、2番目のリングを活性化します。>図 1における16種類の小さな円は、それぞれ異なる情報代謝タイプを表しています。図の矢印は情報の向きを意味しています。
図1では、2体1組ペアのタイプ間に相補的関係(双対関係)があること、それらのペア同士を結び付ける関係性(矢印で結ばれた関係性)という関係性しか書き表せていませんが、実際にはソシオンの構成要素である各情報代謝タイプは、他のタイプとの間に、それぞれ固有の関係性を持っています。この関係の種類は、全部で16種類あります [5]。
したがって人類の単位としてのソシオンは「16種類の情報代謝タイプ(16種類の形式の知性)から形成されている」というだけでなく、「これらの人々がひとつのシステムとして正常に機能するよう結びつける16種類の関係性から形成されている」ものだと説明することも出来ます。
社会の単位としてのソシオンは、社会的進歩の法則を含む、あらゆる社会発展の法則によって特徴付けられます。人それぞれの個性は1種類の情報代謝に基づいて形成されます。つまり16種類の知性の形式のうちの、一人の人間は1つの知識の形式を獲得します。人間の社会的性質の本質は次のような形で現れます:(1) 世界に対する異なる認識、(2) 他人との関係が良好か否か、簡単か難しいかは、相手の善意ではなく、相手の情報代謝タイプによって決まるという事実。
生物の生存は、周囲の現実への適応性、すなわち他の生物を含むこの現実との間で調和的な関係を築く能力によって決まります。活動的な社会的存在としての人間の生存には、ただ調和するだけではなく、社会の他のメンバーの情報代謝メカニズムとのある種の融合も必要となります。社会の進歩は、その社会性の度合いに直接比例します。
すべての人は、自分と相補的なペアを形成する相手がいないことを、言い替えると自分と協力しあえる関係性の不在を、非常に痛烈に感じます [6]。これは彼の精神的および肉体的なバランスに影響を与えます。個人が社会構造への関与を感じることはないとは言い切れません。社会に積極的に参加していて、社会が自分たちの活動を必要としていることを実感している人もいれば、知識として知っていても、実感として必要性を全く、あるいはほとんど全く感じていない人もいます。しかし、ただ知識として知っているだけでは不十分です。生命の沸き立つ鼓動を感じ、自分が社会関わっていることを実感する必要があります。そしてそのためには、社会システムとしてうまく機能できるだけの十分な種類の情報代謝と接触する必要があります。「自分は社会に必要とされている」または「必要とされていない」という感覚は、明らかに、社会構造の中にその人がどの程度組み込まれているかに直接比例しているようです。
社会の外での活動、あるいは社会との繋がりが稀に、偶発的に生じるだけの活動は、常に精神的に疲れる活動です。個人のエネルギーはあまり活用されず、社会からのエネルギーの補充も不十分であり、そうしてエネルギーを消耗して行った活動の社会的有用性は低レベルなものになりがちです。
自分の人生の有用性を、自分自身や他の人に証明しようとするだけで、多くのエネルギーが浪費されます。社会の観点から見れば、これはエネルギーの無駄遣いであり、個人の観点から見れば「自分が必要とされている」と感じられる「日の当たる場所(ニッチ)」を探す闘争です。競争的闘争とは常に、より効率的な社会的ニッチを見つけるための努力であり、言い換えれば、人が必要とする社会的つながりを提供する活動が行える場所であり、自分にとってより高い承認や評価を得られる場所を模索する試みだといえます。
指導的立場にある人には、そうでない人々と比較して、社会との一体感や、自分が社会から必要とされている実感を得るために必要な「自分が必要とする種類の情報代謝タイプの人々との接触」の頻度が大幅に増します。こうした接触に恵まれている条件下では、仕事の内容に関わらず、人は『私は必要とされている存在である』と感じます。社会の外での活動は、常に社会的有用性の度合いが非常に低い活動であり、社会的に必要になることはありえず、また実際に社会的に認められる活動とは言えません。
社会の進歩の速度は、その社会の社会性の度合いに正比例すると考えられます。社会性が集団で自然発生的に形成される場合、多くのエネルギーが、終わりのないタイプ間対立の解決に費やされることになります。この点では、市場経済は計画経済よりも一定の利点を享受しています。市場経済の主体である民間企業の場合、受け入れがたい人、非生産的な人、対立関係を招きかねない人を排除し、気に入った人々だけを雇用することができるからです。
筆者らは、人間社会そのものが社会と言語の出現とともに現れると考えています。つまり人間社会は、人の精神が16種類の情報代謝タイプへと分化したことと、パブロフの第二信号系の出現とともに現れたと考えています。というのも、人以外の動物の個体間で行われる情報伝達は、第一信号系システムのみで十分であり、それはそれぞれの個体の世界の認識の仕方が均一であるが故に可能となっていると考えられるからです。人の場合、こうはいきません。世界の認識の仕方が、人以外の動物ほど均一ではないからです。ホモサピエンスという種を考えた場合、それは単一の個人ではなく、夫婦というペアとして考えるべきです。そして人類は環境との情報交換の16種類の異なるモデルで構成されており、社会によってのみ特徴づけられます。人類の概念には8種類のペアが、つまり16種類すべての情報代謝タイプが必要です。
第二信号系システムは、人のコミュニケーションに役立ちますが、同じ言葉であっても情報代謝タイプが違うと別の意味を持つことになるため、誤解が生じる余地も多く存在します。最も単純な「いいえ」という言葉を、同じイントネーションで、同じ状況で言ったとしましょう。ある人は、取り消すことのない決意を意味する言葉として「いいえ」と言い、別のある人は、他の言葉を言うのは失礼であると感じて「いいえ」と言います。状況をもっとよく調べ、相手の意図を確認するために「いいえ」と言いう人もいます。「いいえ」と言った後に相手が議論しようとしなかった場合、怒り始める人さえいます。彼らがどのような意味で「いいえ」と言ったのかは、彼らの情報代謝タイプ次第で異なってきます(もちろん社会的地位、育ち、気質などにも影響されます)。
社会がない間は第一信号系システムだけで十分です。ここでは言語は必要になりません。しかし社会が現れるには言語が必要不可欠です。
社会が生まれる前に、一体何が起こったのでしょうか。この質問への回答は、情報代謝理論の観点から霊長類の精神を研究した後におそらく得られることでしょう。サルには何種類の情報代謝があるでしょうか。おそらく、分裂性 [7]と循環性 [8]の二種類があることには疑いの余地はありません。また、外向性と内向性の違いもあるでしょう。これについて正確なことは、今のところ何もわかっていませんが、「サルの協力」に関するレニングラードの研究によれば、サルにも一方的な情報伝達、つまり一方的な「権威」という非対称な関係性があると示唆されています(wikisocion訳者注:E. クレッチマーの体格と気質の2章参照)。
第二信号系システムの出現に伴って、エネルギー代謝と情報代謝の間に部分的なギャップが生じ、エネルギー代謝とはまったく関係のない情報シグナルが出現しました。相手の態度だけでなく、言葉にも注意を払う必要があります。
他人を欺くためだけに行われる偽りの行動というものがありますが、第2信号系システムで飛び交う情報シグナルの背後には、第1信号系システムとは比較にならないほど多くの欺瞞が潜んでいる可能性があります。虚偽の情報には次の二種類があると考えられます。
(1) 意図的な嘘(我々にとってはあまり興味深い物ではありません)
(2) 他人の言葉や思考を適切に理解できず、話し手が意図する意味や重要性とは異なる解釈をしてしまった結果生じたもの。
本研究の主要な課題の一つは、なぜ同じイントネーションの同じ言葉が、人によって異なる意味を持つのか、そして情報代謝メカニズムのどの特性がこれに影響を与えるのか、という問題を理解することです。
社会におけるソシオンの構造、人間の社会的本質、異なる情報代謝タイプとそれらのタイプ間の様々な関係性の形、そして情報代謝モデルの構造と機能についての学問を「ソシオニクス」と呼びます。
訳注
- ^ 第一信号系:感覚的な刺激に対する自律神経のバランスや気分の変化といった無意識的な反応のシステム。生理学者パブロフが条件反射について説明する際に使用した概念。
- ^ 第二信号系:ソシオニクスの用語ではなく、生物学の用語。言語が媒介となる信号のシステム。第二信号系システムは、意識的に現状を評価したり、結果を予測し、その予測をもとに行動を起こすシステムである。生理学者パブロフが条件反射について説明する際に使用した概念。
- ^ ILE-SEIや、ESE-LIIなどの双対関係となるペアのこと。
- ^ 恩恵リング、改訂リングのこと。
- ^ 双対関係と、要求関係・監督関係を連想させる関係しか図1には書かれていないが、他にも同一関係や、準同一関係、衝突関係、協力関係などの関係が全部で16種類あるという意味。要求関係は要求する関係、要求される関係の2種類、監督関係は監督する関係、監督される関係の2種類があるとしてカウントしている。
- ^ 双対ペアを形成できていない状態は、人に強いマイナスの影響があると著者オーシュラは考えている。関連記事「人間の双対性(by A. Augusta)」
- ^ 分裂性:ソシオニクスの二分法「合理性」と同じタイプをさす言葉としてオーシュラは使用している。
- ^ 循環性:ソシオニクスの二分法「非合理性」と同じタイプをさす言葉としてオーシュラは使用している。