活性化関係
この関係は、ともに二分法「外向性」「情緒主義」「戦略」「肯定主義」であるタイプ間の関係性です。情緒主義者として、彼らは気軽に人と約束し、サービスを提供するかもしれません。ともに「肯定主義」タイプであるため、人生や他者に対して、肯定的な虹色の光を見る傾向があります。また、ともに「外向性」タイプであるため、どちらも非常に活動的で、よく考えたり、お互いに相談したりせずに率先して行動する傾向があります。最後に、ともに「戦略」タイプでもあるため、それぞれが自分の目標に向けて独自の戦略を立てます。もちろん、どちらもこの邪魔をされることを望んでいません。
最初、彼らは互いを自分の目標を達成するための小道具として見なします。LIEは、SEEの意志的な衝動 [1]によって素早く活性化されます。特にこの衝動は非常に強い感情的な影響を受けており、LIEはSEEの衝動を非常に有望なものと感じます。SEEはLIEを、自分のためなら何でもしてくれる人だと見なします。SEEはLIEのことを、どんな要求も断らない友人であり、自分の気まぐれを全て満たしてくれて、いつも楽しくて陽気な人々に囲まれている、役に立つ存在として扱います。SEEはLIEを理想的なパートナーとは見ていません。LIEは良い人のように見えますが、SEEからすると単純で率直すぎるのです。最初は、SEEは簡単にLIEを操ることができます。特に関係の初期段階では、LIEはSEEに何一つ制限を課さず、LIEは双対であるESIを信頼するのと同じように、全面的にSEEを信頼します。この段階は、おそらく二人にとって最も幸せでロマンチックな時期です。
SEEは、自分の行動に制約を課せられていると感じることなく、LIEとの関係が全て都合よく進むと期待し、自分の心が望むことは何でも許可し始めます。さらに、SEEは無意識のうちに双対であるILIを期待しているため、平然と気軽に浮気をしたりします。SEEとILIの関係であれば、淡泊なILIを刺激し、活性化させるのに役立つ有益な行動であり、ILIとの双対関係を無意識に指向しているSEEにとって、こういったことは自然な行動様式です。もちろん、LIEはそのような「兆候」に「刺激」されることはありません。SEEがこうした倫理的な問題を全て冗談のように扱うことは、LIEの敵意と疎外感をさらに大きくします。LIEはSEEの公明正大さの欠如と軽薄さを批判します。LIEは、なぜSEEがこの手の問題で「遊ぶ」のか全く理解できません。LIE自身は、双対ESIの厳格で不活性な「原則的な」倫理を期待しているためです。
もしも両者が情緒主義タイプでなければ、つまり既存の関係を大切にするタイプ(関係性の倫理Fiの側面に価値を置くタイプ)でなければ、この段階ですでに二人の関係は終わりを迎えている可能性があります。
SEEとLIEの活性化関係の場合、すぐに結婚に至る可能性があります。SEEは最初の活性化の衝動で、すぐにLIEと結婚しようとすることがあるためです。SEEに熱意とエネルギーがあれば、その程度は朝飯前です。LIEは高まる感情の影響を受け、そのうえで論理的に考え、自分にとってより良い相手は今後おそらく見つからないと判断するかもしれません。ただし、書類に署名する前に、この二人の関係が崩壊してしまうこともあります。例えば、花嫁(SEE)が上司のオフィスで性的サービスを提供しているのを、花嫁の同僚である新郎(LIE)が目撃した場合などです。自分の兄の地位を確固たるものにするためにしていたことだと釈明しても、LIEは許さないでしょう。この例の場合、LIEは深く傷つき、すぐにSEEと絶縁してしまいました。無意識に献身的で忠実なパートナーを期待していたLIEは、自分の活性化パートナー(SEE)の動機を理解できず、SEEの移り気さ、軽薄さ、思慮の浅さも理解できませんでした。さらにこの段階で、LIEはすでにSEEの自慢やナルシシズム、野心的でうぬぼれの強い性格にイライラし始めていました。
それでも、彼らの関係は最終的に再開しました。LIEは傷つきやすいですが、恨みを長く引きずることはありません。また、SEEはLIEを長時間、不機嫌にさせておくことはありません。SEEはすぐに対立を和らげ、不愉快なことは全て誤解や混乱のせいだとし、今後はLIEの気持ちにもっと敏感になると約束します。
この組み合わせの活性化ペアが、最も幸せなカップルになることはありません。先述した通り、LIEとSEEは共に外向的です。つまり、両者ともに率先して行動することに慣れていて、お互いに配慮する傾向のない非常に活動的な人だと言えます。LIEは「背中」を守ってもらう必要があります。そうして自分の背後を気にしないでいられるだけの余裕がある時に、LIEは最も安心できます。これはLIEとESIの双対関係で起こることです。この関係では、LIEは両手とも自由に解き放たれ、計画や目標の邪魔になるものはきれいさっぱりなくなります。
しかし、SEEはこうした状況には満足しないでしょう。ESIでさえ、そんな状況に完全に満足することはないはずです。自分がまるでベッドの下に忘れられた「家のスリッパ」のように感じるのが好きな人など存在するでしょうか。SEEは脇役に甘んじることはできませんし、そうするつもりもありません。SEEは無視されることや、「人生から切り離される」ことを耐えられません。遠くで激しく華やかに無数の人生が通り過ぎる中、自分には皿洗いとおむつ替えの役割しか与えられない状況には耐えられません。また、SEEは家族の予期せぬ出費も許しません。SEEはLIEが最後の貯金をリスクにさらすことを許さないでしょう。SEEもお金を貯めたり倹約することが得意で、LIEがこっそり大金を持ち出したり、黙って出費すること、特にそれがトラブルにつながる場合には、決して許しません。
ESIは生涯を通じてLIEと平等を求めて戦い、家族に最低限の倫理基準を確立するために自らの主導機能Fiと創造機能Seの全てを拡張しようとしますが、SEEは日常的な闘いに意志の感覚(Se)を拡張する意欲が最も低いタイプです。しかし、SEEがLIEの粗野で醜い行動に直面すると、しばらくの間、SEEはESIの立場を引き受け、LIEにいくつかの倫理的な発言をし、機転のなさを叱責し、注意不足を責めるようになります。活性化関係におけるSEEはすぐに「道徳家」に変わり、この点ではESIを上回ることさえあります。SEEはサブタイプを発達させて、ESIのように振る舞い始め、柔軟で操作的な創造機能Fiの代わりに、より根本的で原則的な立場をとろうとする主導機能Fiに似たFiの使い方をするようになっていきます。一方で、SEEの不活性な主導機能Seは、活動パートナーとの関係を教育的に整理するためにより柔軟な立場を取らなければならなくなります。そうしなければ残念ながら二人の関係は破綻してしまうことでしょう。
SEEはLIEと「あなたは私の人生を台無しにした」というテーマで喧嘩をしたりトラブルを起こしたりするかもしれません。この中で、SEEの意志の感覚(Se)が強烈な奔流となってLIEを襲い、LIEは理性を失い、まるで耳が塞がれたかのように、普段の心理状態から簡単に引き離されてしまうこともあります。ESIであれば、SEEほどの圧倒的な力を持つ意志の衝撃をLIEに与えることはなかったでしょう。LIEの双対ペア(ESI)が関係や不和を整理しようとしても、ESIの主導機能Fiが抑制的に働くため、倫理的枠組みを超えるようなことはありません。仮に怒ったESIがLIEに手を出したとしても、それはあくまでも象徴的な攻撃であり、数回叩く程度にとどまるはずです。精神的にも肉体的にもLIEにダメージを与えることはないでしょう。
傷ついたSEEの反応は、ESIとは全く異なります。SEEはLIEが成熟するまで、調和のとれた高い倫理観を保った関係を維持しようとはしません。その代わりに、SEEは「道徳的な支え」を別の場所で探し始めます。つまり、第2戦線、第3戦線、第10戦線など、必要なだけ戦線を開くのです。これらの「戦線」で、SEEは背景に追いやられている法的な配偶者(LIE)よりも、自分にとって重
ある典型的なSEEが、パートナーからの注目を失った際に、身近な男性や知らない男性からの求愛を受け入れ、恋愛にのめり込んでいった例を覚えている読者がいるかもしれません。LIEにとって、そのような「罰と裏切り」は、意志の感覚(Se)の衝撃よりも苦痛です。LIEは、パートナー(SEE)のそのような不安定さと軽薄さに非常に強い苦痛を感じます。ちなみに、これはLIEの双対ESIとの関係では滅多に起こりません。ESIは浮気をせず、去りたいときに去るだけです。そしてESIが不倫をすることを決めた場合、それはLIEに離婚を申請した後に限られます。
したがって、LIEはパートナーの裏切りを個人的な侮辱や中傷としてではなく、家族の問題の当然の結果として、関係解消の宣告として受け止めます。裏切りは、LIEの理解では官能的な魅力だけでは説明できない非常に深刻で意味のある行為です。もしSEEがこれを理解していないなら、それは恐ろしいことです。そんな人と一緒に暮らすことはできません。信頼できず、裏切る可能性があるからです。
倫理に関しては、LIEは彼らの双対ESIと同様に完璧主義者であり、一貫して高い倫理基準を持っています。一人のパートナーと暮らしながら、他の人と浮気をしたり、恋愛関係を持つこと、つまり2つの恋愛を並行して維持しようとする行為は、LIEには全く理解できません。それでも、もしLIEがSEEと即座に絶縁しないのであれば、SEEが自分の元を離れるつもりがないことや、SEEにとっての気軽な戯れはLIEの注意を引くための自然な行動であることに気づきます。また、SEEは主導機能がSeであるため、関係の倫理(Fi)の側面よりも肉体的な親密さを重視する傾向があることも忘れてはなりません。SEEにとって倫理(Fi)は二次的なものであり、「オブジェクトを手に入れる」欲求が第一です。
このことに気づいた後、LIEはまるで紐で縛られているかのようにSEEの後をついて回り始めます。もはやLIEの仕事、友人、旅行やハイキングはそれほど重要ではなくなります。もちろん、SEEを連れて旅行や外出に行こうとするでしょう。LIEにはパートナーをコントロールしたいという欲求があります。この欲求にLIE自身が疲れ切ってしまわない限り、彼らはSEEの行動を注意深く見守り続けるでしょう。この段階では、LIEにとってもSEEにとっても、人生が多くのイベントで満ちあふれることになります。
LIEは活性化関係で何年も過ごすと、サブタイプを発達させて、ILIのようになっていきます。つまり、家庭的で穏やかな良き家庭人、柔軟で従順な「主夫」となるのです。SEEの用事で走り回り、買い物に行き、子供と散歩します。つまり、活性化パートナーであるSEEと結婚したLIEは、双対パートナーとの結婚では決してしないであろう全てのことをしますが、これはおそらく良いことだと言えるでしょう。
活性化関係の脈動的な性質は、ガンマクアドラとデルタクアドラの内向タイプペアで明確に見られます。これは関係性の倫理(Fi)が、片方のペアの主導機能であるためだと思われます。
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訳注
- ^ SEEの意志的な衝動:SEEの主導機能Seによるもの。