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はじめに
この関係は、ともに二分法「内向性」「情緒主義」「肯定主義」であるタイプ間の関係性です。相互的な感情的反応が、互いの共感を高めます。両者とも、互いを友好的で、魅力的で、親切な人だと感じます。LSIはIEIを保護的に世話し、効果的に求愛し、IEIのニーズに応えます。熱心で感受性豊かなIEIは、惜しみなくLSIに賛辞を贈り、支援と援助を惜しまないことを表明します。IEIは活性化パートナー(LSI)の優雅さや美的センス、マナーや立ち振る舞いに感嘆します。こうした全てが、LSIの強さと、そしてしばしばLSIの男性的な気質と相まって、IEIに非常に好印象を与えます。
機能 1 - 6 と 2 - 5 の相互作用(Ni, Se, Fe, Ti)
IEIと一緒にいると、LSIはより屈託なく、自己主張的になり、時には支配的になる傾向が見られます。これはLSIの自我において感覚機能が前面に表れるからというだけではありません。LSIはIEIの倫理的指示によって、より態度が頑なになります。LSI は、あまりにも曖昧で、巧妙で、無意味な励ましをする人を好みません。
IEIの肯定主義的な活動家としての楽観的で漠然とした予測や、「空に浮かぶ城」のような夢物語、忘れられがちな拘束力のない約束が、LSIを活性化させる効果があるのは確かです。なぜなら「時間の直観(Ni)」の面では、LSIは客観的な状況や周囲の状況に左右されるからです。そのため、LSIは最初、IEIの予測や見通しを非常に真剣に受け止め、パートナーが自分のために設計した長期計画として扱います。しかし時間が経つにつれて、LSIはIEIの幻想的な約束のいくつかに失望し始めます。というのも、IEIの約束には具体的な裏付けがないことが多いせいです。IEIの「幻想」は、主にIEIの双対であるSLEにインスピレーションを与え、リラックスさせるためのものですが、LSIはそれが幻想であることを認識しておらず、長い間、真に受けてしまいます。LSIは、IEIの約束に失望してもなお、何度も誘惑に負けて流されてしまいます。例えばある夫(IEI)は、仕事で使うためだと言って、妻(LSI)に車を買うためのローンを組むよう説得しました。そうして車を買うと、夫は友人宅を訪問するために車を使い始め、何度か事故を起こしてしまいました。>結局ローンの返済に充てられるはずだったお金は全て、車の修理費とガソリン代に消えてしまいました。夫は運が悪かったと開き直り、非難されると激しく腹を立てました。
しかし、IEIが計画や時間に対していかに無頓着であるかを見て、LSIはIEIが単に「遊び半分でやっているだけだ」という結論に達してしまいます。LSIはそんなパートナー(IEI)に腹を立てて、さらに厳しい要求を突きつけることでIEIを厳しく指導しようとします。その結果、LSIは強力な意志の感覚(Se)によって「やりすぎ」てしまうことがあります。IEIはLSIの不満の原因を心から理解できず、傷ついてしまいます。
LSIはこういう時のIEIの感情の爆発を、常にうまく受け止めることができるわけではありません。特にIEIは感情を爆発させるだけでなく、相手から距離を取ることで攻撃を示すからです。これはLSIにとって苦痛です。なぜならLSIにとって「関係の倫理(Fi)」の側面は(超自我のレベルの)かなり脆弱な位置にあるためです [1]。IEIはLSIを大きく突き放した後、徐々に態度を和らげます。そうして再び親切で、友好的になり、LSIとすすんで全てのニュースを共有したり、誠実で道徳的にきちんとした振る舞いを見せながら、LSIと和解しようとします。そして、突然の啓示によってIEIは再びLSIに新しい展望を示し、再びLSIを励まし、果たさないかもしれない約束をします。
この時点で、LSIの論理的議論(LSIのTi)は、もはやIEIに感銘を与えません。なぜならLSIの論理は「偉大な目標」につながるものではなく、壮大な行動を正当化するものでもないからです。IEIは、自分の拡張主義を正当化する論理である、双対SLEの創造的論理を無意識のうちに志向しています。そのため時間が経つにつれて、IEIはLSIを、自分(LSI)の意見や原則よりも重要なものは何もない、過度に保守的で頑固な人物だと見なすようになります。
さらに、パートナー(LSI)に対して、IEIは完全に守られていると感じることはありませんが、同時にLSIが弱いとも思っていません。しかしIEIは時折、特定の気分の時に、LSIを挑発したり、刺激したりして自分の「鋭さ」を見せつけたいという欲求を感じることがあります。こういう時、IEIはLSIに大胆さが欠けていること、つまりIEIの手の中にあるものを「自分のものにする」力がLSIには欠けていると責めることがあります。
wikisocion訳注:双対関係では、一方のパートナーの実証機能(第8機能)が、もう一方のパートナーの脆弱機能(第4機能)と一致しますが、活性化関係の場合はこの一致がないため、活性化関係では相互保護が欠如しているという感覚が生じます。LSIの実証機能Siでは、IEIの脆弱機能Teを補うことが出来ません。LSIは無視機能(別名:監視機能、第7機能)としてTeを持ちます。無視機能(監視機能)は、受動的な観察者、および全てが終わった後の批評家の役割を担いますが、このような振る舞いは脆弱機能の求めるところとは異なるため、LSIの無視機能Teに対して、IEI(脆弱機能Te)は強い不快感を感じます。逆の場合も同様です。IEIの無視機能Neは、LSIの脆弱機能Neを補ったり、カバーしたりすることができません。これはIEIとLSIだけに限らず、全ての活性化関係に当てはまります。
機能 3 - 8 と 4 - 7 の相互作用(Fi, Si, Ne, Te)
もちろんLSIは、IEIが折に触れて、誰が、どのように自分に関係し、いつ、何をすべきかという直観倫理的な情報を提供してくれることに感謝しています。しかし、IEIから見ると、LSIはこの情報に対して適切な対応をしていません。LSIが間違った反応をするのは、IEIから受け取った情報を、環境から「敵」を「整理」するための行動指針として受け取るからです(LSIは無意識のうちに双対であるEIEの予防的な倫理を志向しています)。IEIはLSIのそうした手段を極端だと感じて受け入れません: 「すでに一刀両断にしているのに、さらに理由を作って、なぜそこまで反対したがるのか私にはわかりません」。
LSIは、IEIの倫理的指導にたびたび悩ませられます。IEIの、曖昧な言い回しを使ったり、微妙なヒントを介して自分の意図を伝えようとする癖は、LSIにとって特に苛立たしいものです。IEIの不安定な感情と軽い振る舞いは、LSIに不信感をかき立てます。結局のところ、LSIの双対であるEIEは、女性であっても人に媚びるようなことをしません。仮にEIEの女優が軽薄な態度を演じたとしても、重苦しく不自然になってしまいます。というのもEIEはLSIの疑い深い性質に合わせて「プログラム」されており、EIEがLSIを疑心暗鬼に陥らせるようなことはほとんどありません。また、IEIは倫理的柔軟性と倫理的適応力を持ち、「自分たちもあなたたちも」両方を満足させたいという欲求を持ち、「敵陣」でも良好な気分でいることができる能力を持っていますが、こうした全ては、LSIに深刻な疑念を抱かせてしまう原因になることがあります。こうして、LSIはますます頻繁にIEIの誠実さや献身を疑い始めます。LSIは、自分が「バカにされている」「利用されている」とさえ思ってしまうかもしれません。
IEIの「不利な立場に置かれたくない」というコンプレックスは、双対関係以外の関係においてより鮮明に表れますが、LSIにとっても不快なものです。例えばIEIは他人の物を持ち帰って自分の家に隠すなどして、少しずつ自分のものにしてしまうことがあります。一時的に借りた物を、まるで自分の物のように思い、返却を嫌がるようになります。そうしてパートナーから借りた物と、非双対パートナーとの関係とを比較して前者を選び、後者をためらいなく放棄してしまうのです。
LSIは鋭い観察力を持っているため、こうした行為が行われると必ず気付きます。結局のところ、LSIは細部に対して非常に優れた目と記憶力を持っています。さらに、LSIは自分が嫌いなもの全てに対して、かなり厳しく断定的に反応し、創造的感覚 [2]をすぐに発揮しますが、それでもLSIは、SLEほどはSeを膨張させません。そのため、IEIはLSIを見て、まだ十分にやる気を出しておらず、軌道から外れてしまう可能性のある人物だと捉えます [3]。IEIはLSIのこういった面を見て、不安の兆候だと解釈します。IEIはLSIの「弱点」である「可能性の直観(Ne)」をすぐに感じ取ります。
IEIにとっては行き過ぎているようにみえるLSIの率直さと先見性の欠如を、IEIは定期的に批判します:「あなたは直角三角形の斜辺のように真っすぐで融通がきかない」。LSIがIEIのこうした指摘を快く感じないのは確かです。LSIは、批判ではなく具体的な行動を期待しているため、なおさらそう感じるのは無理もないことです。「で、その時お前はどこにいたんだ。どうやら自分のことを賢いと思っているようだけど、じゃあなんで先に忠告しなかったんだ。今じゃなくて、もっと前に言えばよかったじゃないか」。LSIとしては、相手にミスさせてから、不注意さを批判するというのは良い事だとは思えません。 [4]
LSIは、Neの側面におけるIEIの受動的な非介入にも苛立ちます。LSIはIEIの行動の理由を理解できず、「パートナーは自分と十分な連帯感を持っておらず、献身的でもない。そのせいで正しい行動をとらないんだろう」と思い込みます。もちろんIEIのこうした行動は、LSIが想定しているような悪意、不注意、無責任によるものではありません。IEIがこのような行動を取るのは、IEIの「可能性の直観」の側面が「監視機能」の位置にあり、SLEの「役割機能」のために設計されているからです。LSIの脆弱機能(Ne)と比較すると、SLEの役割機能(Ne)は、他者からのサポートを必要としていません。そんなSLEを志向するIEIの監視機能(Ne)がすることは、ただパートナーの行動を観察および監視し、その行動の修正を提案するだけです。
時間が経つにつれて、IEIはLSIに潜在的な危険を知らせるようになります。つまり、IEIは徐々に自分を調整し、LSIの双対であるEIEを模倣して、LSIが予防的なアドバイスを必要としていることを察するようになります。
同じことが「行動の論理(Te)」の側面でも起こります。この点でIEIはLSIからの具体的なサポートを必要としていますが、ここで得られるのは、自分の行動に対する後からの批判だけかもしれません。これはIEIにとって不快です。指示が間に合わないために自分で行動せざるを得ず、それが最も望ましくない結果を招くことがあるからです。明確で直接的な指示が事前に得られなければ、IEIは自分のタスクをこなすのに苦労します。IEIは何をすべきか、何をすべきでないのかを非常に明確に指示されることを常に求めています。そのような指示が無い場合、望ましくない結果が生じ、それを修正するためには(修正可能であればですが)パートナーの助けが必要になります。とはいえIEI-LSIの関係が長期化していくと、IEIがEIEを模倣するのと同様に、LSIも次第にSLEを模倣し始め、Teの側面で受動的な傍観者でいることを辞めるようになっていきます。LSIは、IEIのタスクを完全に引き受けて自分で処理してしまうか、あるいはIEIを厳密に管理し、徹底的な指示を与えることで、IEIの双対であるSLEを模倣するようになります。
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訳注
- ^ LSIのFiは超自我ブロックの役割機能(第3機能)の位置にある。
- ^ 創造的感覚:LSIの創造機能Se。
- ^ 本記事の著者Stratiyevskayaは、人が他者を評価する際、無意識に「双対タイプならこうする」と考え、自分の双対タイプを基準に全ての他者を評価してしまうという考えを前提にして関係論を描いている。そして、IEIであれば、双対SLEの基準にして他人(ここではLSI)を批評することになる。つまりIEIからすると、客観的には(IEI以外の多くのタイプからすると)「かなり厳しく断定的」なLSIの反応でさえも、LSI以上に強靭なSeを持つSLEと比べると「いまいちSe(意志の感覚)が足りない」と感じてしまう。
^ Stratiyevskayaは、IEI-LSIの関係に限らず、全タイプに共通する話として、脆弱機能(第4機能)を「人からのサポートを求めている機能」、役割機能(第3機能)を「人からのサポートを求めておらず、自分の力でどうにかしたい機能」、監視機能(第7機能、無視機能とも)を「まず状況を監視して、後になってから批評する機能」、実証機能(第8機能)を「相手がサポートを求めているかどうかに関わらず、先回りしてサポートをする機能」と解釈している。
双対関係では、4-8が一致するため、サポートが欲しい機能と、先回りしてサポートする機能がちょうど噛み合っている。そのおかげで「上手くいくかどうかは別にして、自分で何とかしたいと思っている子供」と「それを見守り、上手くいったら褒めたり失敗したらアドバイスをする親」のような良好な関係になる。本文中で「LSIは、批判ではなく具体的な行動を期待している」とあるが、LSI自身、IEIの脆弱機能Teに対しては「サポートせずにまず見守り、後から批評する」スタンスをとるし、LSIの役割機能Fiに対してIEIが手助けをしようとすると「余計なお世話だ」「過干渉だ」と不快に感じる。
活性化関係の場合、4-8ではなく4-7が一致するため、サポートがほしい機能(LSIの場合Ne)に対するサポートが行われない上に、後から批評だけされるので、「全部終わった後になってから偉そうなことばかり言いやがって。わかってるなら先に言うか、いっそ自分でやれよ」となりやすい。
LSIがあらゆる物事に対して「口だけでなく、具体的な手助けをして欲しいし、自分もそうしたい」と思っているわけではない点には注意。LSI以外の全タイプの人を含めた話になるが「私は何であれ具体的な行動で手助けしたいし、そうすべきだと思っている」という思想を持っていたとしても、Stratiyevskayaの理論に則れば、それはあくまで一部の側面(具体的には自分の脆弱機能と実証機能)についてだけ顕著に言えることで、役割機能と監視機能での手助けに対しては「余計なお世話だ」とか「先回りして全部やるのは相手のためにならない」と感じている部分があることになる(そしてタイプごとに具体的に手助けしたい・されたいポイントと、干渉せずに見守る・見守られるべきだと思うポイントがずれているせいで「口ばかり達者だけど何も行動しない人」と「余計な世話ばかり焼いてくる過干渉な人」が生まれる)。