カリナウスカスの輪
Grigory Reininは、現在のソシオニクスで一般的なモデルAではなく、カリナウスカスの輪というモデルを使用している。そのため機能の配置がモデルAとは異なっている。
機能 #1 – 主観的感覚 (Si)
SEIは自分自身の感覚と状態をよく理解しています。彼らは、自分自身に何か問題があるかどうかよく分かっており、他人の意見を必要としません [1]。
彼らはきっと「私は医者ではないけれど、あなたよりは知っていますよ」と言うことでしょう。また医者に対して「こういう処置や治療をしてください」と言うこともあります。
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SEIは自分自身の感覚(例えば味覚や触覚)の働きから得られる様々な感覚的印象や体験を渇望しています。
「もし私が何も感じなければ、私は存在しない。私は感じる、だから私は存在する」
感覚的な印象や体験は、SEIのエネルギーになります。多種多様な感覚は、SEIに自分の存在を実感させるものです。SEIは人生を愛する人です。彼らのモットーは「人生を楽しもう」です。
機能 #-1 – 客観的感覚 (Se)
この位置にSeがある人は、行動や外見を無視します。SEIの場合、外見、見た目を無視するという形で表現されることがあります。SEI自身、外見上の何かが、あまり魅力的で心地良くは見えないかもしれません。あまりファッショナブルとは言えない恰好をしていることもあります。
SEIは、今この瞬間にやらなければいけないアクションを実行できないことがあります。アクションを起こす必要性が、客観的な負担、悪として認識されることもあります。
本当はやりたくないけれど、客観的な論理という観点からみて、やらなければならない、逃げ道もないといった感じです。
自分の行動を誇張し、自分はヒーローだと思い込んでいることがあります。
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これにどう対処すればいいのでしょうか。まず最初に、この機能の特性を自覚し、どのような形で表れているかを知る必要があります。
機能の定義と、人それぞれの主観的な経験は別だからです。具体的な機能の表れという点では、かなり奇妙な形をとる可能性もあります。
そのため、特性を知ることは必ずしも容易なことではありません。人格の非生産的な特性を正しく把握するためには、特別な意識的努力が必要となるかもしれません。
機能 #2 – 客観的倫理 (Fe)
リスクをとる領域。SEIの創造的機能は、自分と誰か、あるいは誰かと誰かの関係 [2] を扱います。
SEIは、人間関係におけるリスクを楽しみます [3]。社交的で情報通です。人間関係の情報を自在に操ります。彼らが 「売る」商品は人間関係の操作です。
SEIは、誰が、何を、どこで、誰と、といった社会的な情報を集めています。人と人との関係の中で起こっていることを非常によく観察しており、適切なタイミングで、関係の変化やシフトを作り出すことができます。
これはイントネーションや洗練された間合いによって、つまり、他の人から「状況を操作していること」自体を覚られないような繊細な形で実現されます。
こうしてSEIは、実際には何も言わずに相手に何かを伝え、相手自身が推測して必要なことを行うよう誘導することができます。情報を歪めて事実を誤魔化すようなことはあまりしませんが、沈黙と優しさの表現の芸術に精通しています。
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SEIにとっての「商品」は、陰謀であり、関係情報の形成であります。
コミュニケーションの領域は、SEIの得意とするところです。「おしゃべりの才能」があり、自信に満ちた口調で上手に話し、議論し、聴衆に語りかける能力を持ち、言語と文学に適性があります。様々な考え方、哲学、認識論、解釈、説明、分析、ロジックに興味を持つSEIがたくさんいます。
機能 #-2 – 主観的倫理 (Fi)
これは「する必要がない」と感じる領域であるとともに、その人の中の基準を構成する領域です。
SEIは自分の態度 [4] をはっきり示しません。礼儀正しさを感じる人です。
ありのままの状況を見れば、全てが明らかになります。SEIは自分の感情よりも、何か客観的な状況について話したがります。
しばしばSEIは、ある人物に対する態度を、一定の、通常は形式的な基準に基づいて構築します。行動的には民主主義者でありながら、心では社会的な身分を強く志向していることがあります。この姿勢が強調されすぎると、俗物っぽさが出てきます。
機能 #3 – 主観的論理 (Ti)
彼らの書く本には、膨大な数の参考文献が付属しています。彼らはいつも公開されている権威的な資料を引用して、弁護に徹しています(〇〇博士を引用するなど)。それが彼らの安心に繋がります。
原則的に、SEIは細心の注意を払って知的問題に取り組みます。権威ある人の意見を参考にすることは、SEIにとっては自分の主張よりも重要なことです。
彼らは自分の推論を決して信用していません。多くの場合、論証のシステム全体が、外部の権威だけに基づいて構成されています。
もし講義中、「この論文を読んだか」「この本には目を通したか」と言われると、あたかも「お前は能無しだ」「お前は誤解している」と非難されているように感じてしまいます(これは第3機能の影響です)。そして防衛的になってしまいます。ここで人間関係を操る達人のSEIは、すぐにこう答えます。
「はい、読みましたが、ナンセンスな内容でした」
「はい、読みましたが、今話している内容とは無関係です」
こう答えつつ、実は何も読んでいません。
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時々、自身の能力に人為的な制限を課すこともあります(「私は私の分野のすべてを理解しています。それ以外の分野は私に関係ありません」)。
あるいは第3の機能の防衛が、極端な謙虚さとして表れるかもしれません。
「私はバカなので何にもわかりません。どれも面白そうではあるのですが、私の力では理解が及びません」
「そんなものは存在しません。私が理解しているものだけが本当に存在していて、それ以外のものは、ただ存在していないのです」 [5]
彼らは知覚の領域に境界を設けます。これは「マイナスの防御」、つまり第3機能に従って状況を単純化する常套手段です。
SEIは自分の能力の欠如をはっきりと、あるいは暗黙のうちに暴かれようとすると、気分を害します。
自分の主張と異なる物事や考え方に対して、SEIがとる可能性のある態度は、興味をそそられて密かに研究するか、完全に無視するかのどちらかです。
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Tiに関して防衛的になっている時のSEIは、しばしばある種のコンプレックスを抱くようになります(「自分なら大丈夫!」コンプレックス)。自分が有能だという感覚は、自尊心を高め、強力なエネルギーを生み出します。これを正の強化と呼びます。
このタイプの人々は論争の際、論理的で、押しつけがましく、堂々としています。そして自分の能力と相手の無能さを強調することを楽しんでいます。
社会は人を元気にします。どんな社会でも、人は厳格な社会的、文化的メカニズムの中に置かれます。
社会で認められるためには、ある種の善人像(まともな隣人、いい人) [6] に当てはまらなければなりません。社会は、隣人、仕事仲間、同業者などといった、重要なグループから構成されるかもしれません。
人は、社会集団から承認され、「チャージ」されるために、自分を「型」にはめるという多大な努力を払います。これは何も大人になってから初めてやることではなく、ほんの小さな子供のうちから行っていることです。
このメカニズムが失われれば、人は制御不可能になり、社会の秩序に無関心になり、やがて無関心どころか、ほとんど反社会的になっていくことでしょう。
機能 #-3 – 客観的論理 (Te)
最大の問題は「理解すること」であり、その解決策は「知ること」です。わからないことがあれば、調べたり、本を読んだり、専門家に相談したりする必要があります。
SEIのアドレス帳には、各分野の優れた専門家の電話番号がずらりと並んでいます(ちなみに、この専門家のほとんどと友達です)。
そうやって人に頼るのと同時に、自分で車のボンネットの下に入って修理することにも抵抗感はありません。
機能 #4 – 客観的直観 (Ne)
外部環境との整合性 [7]。タイプの構造的に見て、暗示にかかりやすい領域です。
「世界は調和のとれたものであってほしい。最初から最後まですべてが分かっていて予測可能であってほしい。すべてが予定通り、軌道を外れることなく、ひとつの目標から別の目標へと着実に進んでいってほしい」 [8]
この欲求は「魂のより深い欲求を満たすこと」から人を遠ざけ、その代わりに、表面的ではあるものの、全てが事前に知られていて、計画されてる堅実な生活に導くかもしれません。
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何らかの長期的なライフスケジュールが与えられた場合、SEIはアジェンダや細かいスケジュールを簡単に組み立てることが出来ます。
彼らの頭の中では、何がどのような順序で起こるのか、一連の流れが出来上がっているのです。
例えば医学部の7年間の最初の時点で、すでに彼らの頭の中には「何をいつ受講するか」の流れが組み立てられています。
外部環境との整合性を崩されると、ストレスを感じたり混乱したりしてしまいます。別のタイプ、例えばILEやIEEは、予期せぬことや予定外のことに直面しても、悠然と構えています。ILEやIEEにとっては、これは面白いことなのです。
しかしSEIは違います。同じ状況に遭遇した場合、SEIは混乱してしまいます。そして世界から切り離されて、石のように固まってしまいます。
SEIは、新しい情報を処理し、整合性を回復するための時間を必要とします。ただしSEIは油断してはいません。そのため、緊急事態の95%には簡単に対処します。もともと特定の問題が発生した場合の対処法を事前にしっかり考えているからです。
しかし、その緊急事態が全く予期していなかったものである場合、彼らは完全に停止してしまいます。
数年前、私たちは民間航空機のパイロットが緊急事態に陥った際の行動について研究しました。そして、ここで上述したSEIの特徴がはっきりと表れていることが確認できました。経験豊富なパイロットは、予想される全ての状況で、素晴らしい活躍を見せてくれました。
しかし予期せぬ状況に直面した場合、彼は無力であり、対処することができませんでした。
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彼らは自発性というものを理解できません。沈思黙考すれば、予想される状況の幅を広げることはできますが、それでもなお予想できないことは遅かれ早かれ起こるものです。
このタイプの人々は、人生のある時点で「スケジュール通りに行動すること」を選択すると、そこから抜け出せなくなる可能性があることを覚えておく必要があります。
「いい学校で勉強し、全てを段階を踏んで学びたいです」
SEIにとって「いい場所」とは外部環境の整合性が確保されている場所です。
機能 #-4 – 主観的直観 (Ni)
自分を知ること、自分に没頭することへの恐れがあります。SEIにとって、内省は大きな問題です [9] 。別のタイプの中には「内省を楽しむタイプ」も存在しますが、SEIやSLIはそうではありません。
もし、このタイプの人が自分の精神を見つめ直すことを選択した場合、物事は3つの方向に進むかもしれません。
- 自分の内面を軽く引っ掻き回しただけで、いっぱいいっぱいになってしまう。
- 自分自身についてではなく、自分自身の考えについて考え始めてしまう。
- こんなこと、自分がやるようなことではないという考えに至る。
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ここでもまた、「自分なら大丈夫!」コンプレックスが作用します。彼らは無視することで、自分の内面的な問題を回避します。これは誇大妄想とは違います。
なぜ心理学の文献には、このコンプレックスについての十分な情報がないのか不思議に思うかもしれません。誰もこの領域でサポートを得るために、セラピストを探そうともしません。
この理由は、そもそも「問題ない」と思っていることが問題だからです。人は問題があれば治療しようとします。しかし問題がないと思えば、治療しようとはしないでしょう。
内なる世界は常にホリスティック(全体的)です。
「そこに触れないでください、私は大丈夫です」
こうやって「自分に問題があることに気付ける場所」のほとんどを、彼らは自分から切り離してしまいます。
SEIは、自分の内なる世界から響く「大丈夫じゃない」という声には耳を傾けず、頑なに無視します。しかし、これは永遠に無視し続けられるものではありません。
しばらくするとSEIは「大丈夫じゃない」ことに直面します。
人を悪人と善人に分け、後者だけと共存し、前者をギロチン台に送ることはできません [10] 。もし前者をギロチン台に送っても、しばらくするとまたギロチン台に送るべき人が出てくることでしょう。そうやっているうちに、生活空間は小さくなっていき、やがて孤独が訪れます。
有名人
- アレクサンダー・デュマ
- ピエール=オーギュスト・ルノワール
- チャールズ・チャップリン
- ガイウス・ユリウス・カエサル
訳注
- ^ Grigory Reininのカリナウスカスの輪モデルでは、人は第1機能に強い自信をもっているとされる。
- ^ 一般的なソシオニクスの情報要素の定義では、人と人の関係性はFeではなくFiの範囲に入る。Grigory Reininの定義は特殊なので注意が必要である。関連記事「情報要素」「情報要素(by A. Augusta)」A. Augustaというのは、ソシオニクスの最初の開発者の名前。
- ^ カリナウスカスの輪モデルでは、人は第2機能に配置されている情報要素(SEIの場合Fe)のリスクを進んで取ることが出来るとされる。
- ^ 自分は誰が好きで誰が嫌いか、誰のことをどう感じているかという意味での態度。
- ^ 「私が理解しているものだけが本当に存在していて」という形の防衛に陥っている状態のSEIの第3機能Teは、LIIやLSIの第1機能Tiを盲目的に信奉しつつ、第-1機能Teを無視している状態にも類似している。
- ^ 第3機能は、人にとっての「いい人」の定義を決定する機能であるとされる。人は「自分はいい人だ」と認識できる状態に置かれることで、社会からエネルギーを受け取ることが出来るとされる。SEIの場合、第3機能がTeなので、Teが優秀な人=いい人ということになる(だから、自分が良い人であるために、ついつい自分の能力と相手の無能さを強調するようなことをしてしまう)。
- ^ Grigory Reininの定義では、Neという情報要素は「外部環境との整合性・完全性」を司るとされている。外部環境との整合性・完全性とは、「自分が想定している通りに、外部の物事が噛み合って進行している状態」を意味する。
- ^ この点においてSEIと非常によく似ているタイプはSLIである。
- ^ Grigory Reininの定義に従えば、SEIやSLIはソシオニクスなどの話に興味を持ちにくいタイプだと言えるかもしれない。Niが無視される領域(第-1機能)に配置されているILEにも「内省が苦手」という描写が存在する。
- ^ Grigory Reininがギロチン台という比喩を使って説明しているタイプには、他にLIIがある。Grigory Reininによると、LIIにとってNi(内省)は「他にやることがあるのに、そんなことしてる暇はない」というものだとされる。