この記事では、MBTIの派生理論である「影の機能モデル」におけるデーモン(第8機能)について説明する。
影の機能モデル自体の概要については、記事「影の機能モデル(MBTI派生理論):はじめに」参照。
デーモン(第8機能)
影の機能モデルでは、「デーモン」という元型が第8機能を包み込んでいるとされる。第7機能がこの元型に関するコンプレックス(デーモン コンプレックス)を運用する上での視点・世界観になる。
最も無意識の奥深くに抑圧された領域が、このデーモンである。デーモンは下記のような状況でトリガーされる。
- 自我にとって脅威になっている誰かを打倒する場合(実際の脅威も、妄想上の脅威も含む)
- 自我が「知覚」した脅威を打ち破る場合(自我が誤ってそう知覚しただけで、実際には脅威ではない場合も含む)
デーモンが内包する第8機能は、英雄が内包する第1機能とは反対の機能を内包している。例えば第1機能が直観機能である場合、第8機能は感覚機能である。アニマが内包する第4機能も第1機能とは反対の機能を持つが、アニマが「生命」とのつながりを表すのに対し、デーモンは「死」とのつながりを表しているとされる。
デーモンはアニマの影である。アニマ元型が本人とは異なる性別をとるのに対して、デーモン元型は本人と同じ性別をとると言われる。
アニマ自体が抑圧されている領域にあるため、アニマの影であるデーモンは特に破壊的な形で表れるが、悪い状況で「天使」や「トランスフォーマー(状況から一歩引いて物事を見て、魔術的に見えるほど高度に発展した技術でパラダイムシフトを起こす存在)」としての姿で表れることもある。
タイプ別:デーモンの視点
- ISxJ(#1=Si, #8=Ni)の場合:
「深遠な概念的意味(無意識によって導き出された意味)」は未知の領域であり、自我が求めている「具体的な構造」とは完全に相反するものである。 - INxJ(#1=Ni, #8=Si)の場合:
「過去」は無意味極まりないものであり、それと同時に忘れることができないものである。 - IxTP(#1=Ti, #8=Fi)の場合:
個人的な良心や信念など(社会的な倫理規範や、人から教えらえた倫理的価値観ではなく、自分の中で形成された信念や良心、倫理的価値観)というものは、しつこい罪悪感を伴う面倒な問題である。 - IxFP(#1=Fi, #8=Ti)の場合:
論理的分析というものは、人生から「人間味」を完全に取り除いてしまうものに感じられる。 - ESxP(#1=Se, #8=Ne)の場合:
目の前の現実に対して仮説的な可能性を考えたり、様々な解釈を導き出そうとする試みは、非常に無意味なものに感じられる。 - ENxP(#1=Ne, #8=Se)の場合:
「肉体的で刹那的な乱痴気騒ぎに巻き込まれる可能性があります。過度に刺激を求めたり、過度に眠り続けたり、全く何もしないでいようとするかもしれません」(by ベレンス)
(脱線するがMBTIの場合だと、ENxPではなくINxJでよく見かける説明である) - ExTJ(#1=Te, #8=Fe)の場合:
社会的調和などという概念は、「真の調和」に繋がるよう人々の行動を形作るものではなく、むしろ「真の調和」を犠牲にして、個人的目標のために都合よく「利用」されるものだと感じられる。 - ExFJ(#1=Fe, #8=Te)の場合:
環境を効率化・合理化するという行為は、「社会的調和」という目標のために、やむを得ず行わなければならない必要悪のように感じられる。
タイプ別:デーモン コンプレックスの投影のされ方
自我に対する深刻な脅威(特に自我の中心的存在である第1機能の視点を揺るがすような脅威)を受け、それを「第8機能的な領域に関わる脅威だ」と認識した場合(誤認識も含む)、「他者へのデーモンの投影」が行われている。
実際には他者の意図している内容が第8機能の領域とは無関係な場合もあるが、本人は「第8機能的な領域の脅威だ」と認識しているため、デーモンを投影されてしまった他者からすると、勘違いをされたうえに感情的で攻撃的な反応がかえってきてびっくりすることになる恐れもある。
デーモンは「自己愛」や「誠実さを求める傾向」と関連が深いとされる。自我は第8機能(自分の第1機能とは反対の機能)を通じて、自己愛的な自己観に「インテグリティ(完全性。高い理想を掲げ、一貫性を持って、妥協なくそれらを遵守する誠実な姿勢)」を見出そうとする。
- ISxJ(#1=Si, #8=Ni)
ISxJは、具体的な現実に紐づかない「意味やシンボル」などというものを「どこかクレイジーなもの」だと感じやすい。
それにもかかわらずストレス下に置かれると、ISxJ自身がこういったものを大げさに使ってしまう傾向がある(例えば風水に振り回されたり、破滅的な予言を信じたりする)。
また「人の動機や性格の悪さ」に、突然「気付いて」しまうこともある(妄想的な「気付き」を含む)。
ISxJは、自分にとっての現実とまるで一致しない、他者の抽象的・夢想的な言動に触れると途方に暮れてしまう。
そして相手にデーモンを投影し、「デーモンの脅威に立ち向かうために」ISxJ自身が否定的な推論をし始めることになる。
- INxJ(#1=Ni, #8=Si)
ベレンスによると、INxJは「本当にストレスを感じると、過去の影響を振り返ることに時間を浪費してしまう」ことがある。
「INxJからすると無関係に見えるような過去の事実(これまで蓄積された事実)」に脅威を感じると、他者にデーモンの投影を行う。
その結果、あたかも「相手がINxJの過去を持ち出して、INxJ(の自我)を不当に攻撃している」ように感じてしまい、それに立ち向かうためにINxJ自身が相手の過去を持ち出して攻撃し始めてしまう。
- IxTP(#1=Ti, #8=Fi)
自分の論理的センスの価値を侵害されたと感じると、非常に強いストレスを受け、たとえ自滅してもいいから何としてでもその脅威を取り除きたいと願うようになる。
このような時、相手にデーモンを投影した結果として「この人は私の人間性を根底から破壊しようとしている偽善者(しかも自分には優れた道徳性があると信じて満足しきっている善人面した邪悪な偽善者)である」と感じてしまう。
そこで相手の「満足感」をぶち壊してさらし者ににしてやりたいという思いで考えで頭がいっぱいになる。デーモンが投影されている場合、相手が「善のために」IxTPを批判している状況だけではなく、純粋に論理的な観点から疑問を投げかけているような状況も含めてIxTPは「相手の独善性」こそが脅威だと感じてしまう。
そうして、この「偽善者」を打ち負かし、相手の「邪悪な人間性」を破壊しようとするあまり、今度はIxTP自身がむしろ独善的になってしまう。時には自己破壊的と言えるほど「偽善者」との戦いにうつつをぬかし、時間と情熱、エネルギーを浪費してしまうこともある。
- IxFP(#1=Fi, #8=Ti)
非人称的な論理的分析のことを「冷たくて邪悪なもの」であり「自分の人間性に対する脅威だ」と感じてしまう場合がある。このような時、IxFPは相手にデーモンの投影を行っている。
そして自分が晒されている脅威に立ち向かうために、今度はIxFP自身が冷たい論理的分析を利用して攻撃し、相手の論理を破壊しようとする。
- ESxP(#1=Se, #8=Ne)
ほとんど「こじつけ」としか思えないような雑多な仮説や可能性を次々に聞かされると途方に暮れてしまい、「相手は自分を攻撃しているのではないか」と感じてしまうことがある(実際にそれが単なる「こじつけ」レベルのものか、それとも何らかの確かな根拠に裏付けされたものかどうかとは無関係)。このような時ESxPは相手にデーモンの投影を行っている。
そして脅威に立ち向かうために、「行間を読むのに夢中になってしまい」「相手からすると何の悪意も裏もないような言動に対して、否定的な意図をこじつけてしまう」(byベレンス)ことがある。さらには、その誤った憶測に基づいて相手に対処しようと行動し始めることもある。
- ENxP(#1=Ne, #8=Se)
自分が持つ概念的知識体系やフレームワークに合致しない現実を提示されると、それを脅威に感じることがある。このような時ENxPは相手にデーモンの投影を行っている。
そうして過剰に細部に着目し、「焦って支離滅裂な方法で行動(by ベレンス)」したり、軽率で衝動的な行動をとりながら、相手を破滅させようと画策することがある。
- ExTJ(#1=Te, #8=Fe)
「相手のために多くのことをしているのに、当たり前の感謝さえしようとしない」「自分の誠意を踏みつけられている」ような状況で、ExTJは相手のことを「社会性に問題がある人間」「自分を搾取しようとしている悪人」だと感じてしまうことがある(ExTJが実際に「感謝され、見返りを受け取るに値すること」をしているか否かとは無関係。あくまでExTJ自身がそう思う場合の話)。このような時ExTJは相手にデーモンの投影を行っている。
そして悪意に立ち向かうために、彼ら自身が社会的に見て非倫理的だとされる手段(例えば相手の社会的地位を脅かすなど)を取り始めることがある。自分の自滅さえ厭わないほど苛烈に攻撃することもある。
- ExFJ(#1=Fe, #8=Te)
外部環境の合理化や効率化に激しく圧倒されてしまい、「社会や集団の調和」をぶち壊しにされているように感じてしまうことがある。このような時ExFJは相手にデーモンの投影を行っている。
「調和を乱す」相手を正そうと必死になるが、そうして秩序を求めれば求めるほど底なしにイライラし始め、むしろ彼ら自身が場の調和を乱してしまう。
デーモンとはどのようなものか
無意識に潜むデーモン(第8機能)と、自我の運営特権を持つ英雄(第1機能)は反対の視点を持つが、デーモンが意識に持ち込もうとしているのは、その人(自我)にとって最も抵抗を感じる情報である。
自我はデーモンが持ち込もうとする「有害な情報」から自分の「ぬるま湯のように心地の良い楽園」を防衛するために、なんとかしてデーモンを自分から切り離し、遠ざけようとしてしまう。この一環で、他者へのデーモンの投影が行われることになる。また、自我の境界線が脆く崩れ去ろうとするところまで追い詰められた場合、夢の中で「まさに邪悪の化身」のような存在(人の姿をしている場合もあれば、破滅的なイベントとして表れることもある)として姿を見せることもある。
このようにデーモンのもたらす情報は確かに耳障りではあるが、結局のところどうしようもないほど「真実」だと認めざるを得ない物であり、目をそらせばそらすほど、現実に負の影響を及ぼすある種の真実なのである。
◆◆◆
もしもデーモンを無意識の底に、あるいは他人に叩き込み、押しつけ続けていたとして、最終的に待ち受けているのはエナンチオドロミアという反転現象である。
(エナンチオドロミア:反転という意味。極端な陰の中に陽が、極端な陽の中に陰が生じるように、ある状態が極端になればそれと反対の状態が生じてくる様。ストバイオスによる造語と言われているが、万物の流転について説いたヘラクレイトスの著書にも類似の概念が登場する。ユング心理学の中でも最も重要な概念のひとつである。)
つまり目をそらそうとしても、そらせないほど現実が悪化してしまって、どうしてもデーモンを認めざるを得なくなるところまで追い詰められてしまうのである。
このような時、今度は逆に「自我が存在しなくなるような危険」を感じたり、自我のイメージが「悪に全面降伏し、強制収容所で家畜のように生きるしかなくなった愚かな弱者」へと変貌することになる(つまりそれまでずっと無邪気に調子に乗り続けていた実力不足の英雄が、「実際には自分は大したことなかった」という現実に直面して弱気になり、一転して自暴自棄になってしまう)。
ここまでくると「デーモンの視点こそが真理であり、デーモンの視点や価値観を至高のものとして物事を再考しばならない」と感じるかもしれない。
しかしこれもまた、ある意味現実から目をそらしているような状態である。デーモンの視点そのものが、問題解決する上での正解かというと、必ずしもそうとはいえないからだ。人がデーモンの脅威を感じている時、実際にデーモンの領域に関する領域が問題になっているわけではなく、むしろ「他の問題」をデーモンという悪に押し付けているような場合もあることは上述の例からも想像できるのではないかと思う。
例えば「独善的で感情的な敵」が自分の考察にケチをつけてきたとして、「感情的な観点もまた大切だ」と思うことは確かに難しいことかもしれない。しかし実はそれ以上に過酷な真実、例えば「実は相手は『お気持ち』や人道性と言う点からではなく、論理的整合性やエビデンスの質という点から自分を批判していた。しかも実際に自分の出した考察には論理的な粗があった」「それに対してむしろ自分のほうが感情的に反応して高圧的な態度で相手を威圧し、黙らせようとしていた」という、「感情は大切」以上に屈辱的な真実が潜んでいるかもしれないのである。
◆◆◆
デーモンを受け入れるというのは、「第8機能の視点を大切にしましょう」というような単純な話ではない(これは強制収容所の家畜の段階であり、また別の形の自己欺瞞の始まりである)。デーモンという闇の底には、想像するだけで吐き気を催すような、何が何でも直視したくない真実がとぐろを巻いているかもしれない。
デーモンから目をそらして甘い夢に浸るのではなく、また、デーモンに隷属して自暴自棄に流されるのでもなく、一つの視点にばかりに不当に価値を置かずに物事を判断するための力を自分なりに身につけることが必要になるのである(ユング心理学における個性化)。
元型としてのデーモン
第8機能を包み込むのは、元型「デーモン(demon)」であるのと同時に元型「ダイモン(daimon、半神半人の守護霊)」でもある。「ダイモン」は「デーモン」に由来する言葉ではあるものの、邪悪な意味合いは持たず、例え攻撃的であってもある種の救いの手としての性質がある。
ダイモンには「豊富な知識」「神の力」「運命」「神」という意味合いがあり、ギリシャ神話においては「神格化された英雄」という意味さえ含まれている。こうした英雄は、人と神の間を仲介する神霊だと考えられていた。
影の機能モデルの作者であるビーブは、「ダイモン」とは「デーモン」のよりポジティブな形の元型であり、このダイモンは「自我-自己軸」がうまく確立されたときに、より表面化すると説明している。これは、自我が自己の中心ではないことを認識し、自我の支配的な立場以外の立場を受容できるという発達段階を表している。
言い換えるのならば、影の機能モデルにおけるダイモンとは、人(自我)と神(自己)を仲介しているような存在だと言えるかもしれない。
- PERSONALITY MATRIX Part 2 addendum: archetypes
- Energies and Patterns in Psychological Type: The reservoir of consciousness 1st Edition by John Beebe
- ReadHowYouWant, large edition 16. May 2012, cited in: Journal blogspot Archetypes, Relationship,Shadow, Anima/Animus, and Personal Myth by Joseph Campbell, 30. July 2013